岐阜県山県市(旧美山町)椿(その3)

  • 2016.08.09 Tuesday
  • 07:24

平成28年7月30日(土)、岐阜県の廃村めぐり、
山県市(旧美山町)の廃村 椿(つばき)、
分校跡は、集落跡のほぼ中央にあり、その辺りが椿中村、
それより下流側が椿下村、上流側が椿上村と呼ばれる。

 

クルマまで戻って、改めて離村記念碑を見ると
上村の三差路付近に記された善林寺というお寺の様子が気になった。
これまで上村には行ったことがない。
「気になったなら、行きましょう!」と3名はクルマで上村を目指した。

 

上村に着いて、まず目を引いたのは三差路手前の大きな石碑だった。
何かと思い確かめたら、個人の家屋跡の碑だった。
善林寺跡ははっきりわからなかったが、
新しいお墓を含む規模が大きい墓地が見つかった。

離村記念碑には載っていなかったが、
三差路の一角に、神明神社という神社の跡が見つかった。

 

 

 画像1 : 椿上村・個人の家屋跡の碑
  表面には「初代 旧縁之地碑 中原治良兵衛・利世」、
  裏面には「平成26年11月建立」と刻まれていた。

 

 

 画像2 : 善林寺跡と思われる場所の墓地

 

 

 画像3 : 神明神社跡

 

 (2016年 7月30日(土)午後4時15分〜4時35分頃)
 

岐阜県山県市(旧美山町)椿(その2)

  • 2016.08.08 Monday
  • 07:10

平成28年7月30日(土)、岐阜県の廃村めぐり、
山県市(旧美山町)の廃村 椿(つばき)、
縣神社からは、車道に戻らず、脇道を歩いてみた。

 

先の作業小屋に人の気配がしたので、一度足を停めて
「どうしましょう」とミナカミさん夫妻に話すと、
「ヘヤネコさん的にはGOでしょう!」とのお返事。
地域の方は、60代ぐらいの男性(Tさん)で、
意を決めて「こんちわー」とご挨拶すると
Tさんは朗らかに対応してくれた。

 

「ここは、こんな山のなかやけど、太閤さんの頃から天領でな」
と、Tさんは話された。
先の離村記念碑の
「天正17年(1589年)頃幕府領となり」
という記述とつながる話だ。
 
Tさんと分かれてからは、さらに川の上流側に歩いて、
分校跡を目指した。
北武芸小学校椿分校は、へき地等級1級、児童数33名(S.34)、
明治6年開校、昭和46年閉校。同年椿は集団移転により閉村。
分校跡の入口には見慣れない記念碑が建立されていた。
「いつできたものだろう」と裏面を覗こうとすると、
碑の真下から複数の蜂が飛んできたので、
「きゃー」と叫び、急いで離れた。
幸い、刺されるなどの被害はなかった。

 

分校跡には錆びたブランコ、ジャングルジムなどの遊具が残るが
草藪は深く、近づく気にはなれない。
「戻りましょうか」とゆるい坂を下ると、前をゆくみなみさんが
一人巴投げを決めて、脇の草むらに転がり落ちた。
「大丈夫かー」と声をかけると、ダメージはない様子だった。
前を歩いていたよっぱさんは、何があったのかわからなかったことだろう。
ケガがなかったのは何よりだ。
蜂のことも含め、緊張感が伴う分校跡だった。

 


 画像1 : 椿分校跡の碑
  「村影弥太郎の集落紀行」Webによると、
  平成19年8月建立とのこと。

 

 

 画像2 : 椿分校跡碑の真下の蜂の巣
  こんなものがあるとは、思いもよらず・・・
  春の茂みが薄い時期に再訪したいものだ。

 

 

 画像3 : 分校跡−離村記念碑間のお地蔵さん
  車道沿いに、6体のお地蔵さんが並んでいた。

 

 (2016年 7月30日(土)午後3時35分〜3時50分頃)
 

岐阜県山県市(旧美山町)椿(その1)

  • 2016.08.07 Sunday
  • 08:00

平成28年7月30日(土)、岐阜県の廃村めぐり、
三河安城駅から徳山ダム方面には、東海環状道を使った。
関広見ICからR.418へと入ってほどなく、
山県市(旧美山町)の廃村 椿(つばき)に立ち寄った。

 

平成18年11月以来、三度目の訪問(初訪は平成16年10月)だが、
最寄りの集落 笹賀からの川沿いの道は頼りなく、
「この道でよかったかな」とちょっと心配になる。

やがて視界が広がり、大きな離村記念碑が迎えてくれた。
初訪時は建ったばかりだった碑も、12年を経た。

 

碑のそばにクルマを停めて、川の上流側に歩きながら
「このあたりに縣神社という神社があるはずなんですけど・・・」
とミナカミさん夫妻と話していると、橋の向こうに鳥居が見えてきた。

 

過去2回の椿の探索で、私は神社に立ち寄った記憶がない。
「ゆっくり歩かなかったからじゃないかな」と思ったが、
「廃村と過疎の風景(2)」の記録を見直すと
初訪のときも碑のそばにクルマを停めて、川の上流側に歩いていた。

 

 

 画像1 : 椿の離村記念碑
  表面には「椿村の人家分布図」という主題で、
  67戸の人家が記されている。
  裏面には
  「文亀元年頃に始まり 天正17年頃幕府領となり 昭和46年閉村となる」
  「平成16年10月吉日建立 建立者 武藤國男」と刻まれている。
  文亀元年=1501年、天正17年=1589年である。

 

 

 画像2 : 縣神社 拝殿にて
  春まつりの貼り紙が見当たった。

 

 

 画像3 : 縣神社 従軍記念碑
  昭和27年建立とあった。
  太平洋戦争が終わった後のものらしい。

 

 (2016年 7月30日(土)午後3時〜3時10分頃)
 

兵庫県と岐阜県の廃校廃村に出かけました

  • 2016.07.01 Friday
  • 07:24

平成28年6月24日(金)、兵庫県の廃校廃村 上生野に、
6月27日(月)、岐阜県の廃校廃村 卯野原、弓掛、下山に出かけた。 

 

大阪土日出張の機会を使ったもので、
「廃校廃村 500か所超え」の旅では、福井県(H.25)、
香川県、富山県(H.26)、岡山県、鹿児島県(H.27)を訪ねている。
長所は、年休消化が少なくて済むこと、財布にやさしいこと、
短所は、ゆったりした気分になりにくいことだろうか。

 

今回は、初めて前日(金曜)にも出かけたが、
現地(朝来市)の天気はみごとに雨だった。
これに対して、月曜日の現地(下呂市)の天気は梅雨の晴れ間だった。

 

無事、4か所訪問することで、
「廃村千選」累計訪問数は496か所となった。
500か所達成まで、いよいよあと4か所だ!

 

 

 画像1 : 弓掛分校跡(その1)
  卯野原、弓掛、下山は、岩屋ダムの建設によって昭和46年〜47年に
  廃村となった。
  ダム湖よりも上流にある弓掛を訪ねると、
  ひと目でそれとわかる分校跡があった。
  集落跡は、まるごと「飛騨金山の森」という野外活動の施設になっていた。

 

 

 画像2 : 弓掛分校跡(その2)
  分校跡の一角には、土盛があって、その上には石碑が建てられていた。
 

 

 画像3 : 弓掛・離村記念碑
  碑面には「故郷之碑」弓掛区と刻まれていた。
  建立は昭和47年3月とあった。

 

 (2016年 6月27日(月)午後1時10分〜1時15分頃)
 

岐阜県根尾村(現本巣市)黒津 --- 平成13年2月

  • 2013.03.18 Monday
  • 07:12

今年も春の彼岸となり、冬は過ぎた感があります。
ふと振り返れば、平成13年2月に岐阜県根尾村(現本巣市)で
カンジキを買って以来、
ほぼ毎年、雪景色の廃村へと旅をしていたことに気がつきました。


平成23年夏、北陸方面6泊7日ツーリングのアップが終わったので、
これから平成13年から24年までの12年間分の、
各所の雪景色の廃村を紹介したいと思います。


====


岐阜県根尾村(現本巣市)黒津(くろづ)
 平成13年2月25日(日)訪問
 「廃村と過疎の風景(2)」 No.1「雪に閉ざされた冬季無人集落を訪ねる」
   http://heyaneko.web.fc2.com/djneo.html


カンジキを買って、初めて出かけたのは、岐阜県根尾村(現本巣市)黒津です。
R.157の「落ちたら死ぬ」で有名な能郷−黒津間をカンジキを履いて歩くという
今から思えば無謀な企画です。
それでも、前日には下見をして、夜は樽見の居酒屋で情報収集をしてと、
安全第一は心がけていたようです。


樽見−能郷間は村営バスを使っていました。
>行きのバスの能郷着は8時40分頃,帰りのバスの能郷発は夕方4時40分頃、
>およそ8時間。黒津までの7kmの道をどのくらいの時間で歩けるかが勝負です。
と記しているように、計画はしっかり立てていて行ったことは間違いなさそうです。



>計算で割り出した黒津での滞在可能時間は2時間。
>立ち止まると寒いので,食休み以外は,細長くて起伏のある集落の中を
>ずっとウロウロしていました。
この食休みも、座ることはできないので、おにぎりの類を立って、
多少動きながら食べたことが思い出されます。



>集落のいちばん奥にある学校跡は,岐阜市内在住の猟を趣味とする方が
>管理しているとのことでしたが,建物には誰も居ませんでした。
猟の方とは能郷−黒津間でひとりすれ違っており、
「学校跡に誰かいると面白いなあ」と思ったものでした。
黒津小学校は、へき地等級3級、児童数19名(S.34)、明治19年開校、
昭和46年休校、昭和60年閉校です。


根尾村の奥西谷(黒津、大河原、越波)は私のお気に入りの山村で,
昭和62年9月を最初に、昭和63年11月(この時は根尾で3泊)、平成4年8月、
平成8年10月、平成12年5月、そしてこの時と、計6回も足を運んでいるのですが、
これ以来12年間訪ねていません。
平成23年夏、北陸方面6泊7日ツーリングで、行く予定を立てたのですが
「R.157 温見峠通行止」で行けなかったのは、残念なところです。

岐阜県山県市(旧美山町) 西洞

  • 2012.12.24 Monday
  • 20:23

 ●4 西洞(にしぼら)
 岐阜県山県市(旧美山町) 【初訪】


平成23年夏、北陸方面6泊7日ツーリング
7月26日(火、旅2日目)


旧徳山村から根尾(樽見)、美山(谷合)を経由して、西洞(にしほら)に到着したのは午後1時頃。
金色の馬が印象的な、平成7年建立の「西洞の人家分布図」という碑が迎えてくれました。



家屋が数戸あり、軽トラも停まっていましたが、地域の方に出会うことはありませんでした。
学校跡と推測される平地は、川向こうにあり、頼りない橋を渡って探索しましたが、はっきりした痕跡は見当たりませんでした。



柿野小学校西洞分校は、へき地等級2級、児童数11名(S.34)、昭和45年閉校。
柿野小学校(本校)にも立ち寄りましたが、平成9年に閉校していました。
 

岐阜県揖斐川町(旧徳山村) 徳山本郷

  • 2012.12.24 Monday
  • 17:05

 ●3 徳山本郷(とくやまほんごう)
 岐阜県揖斐川町(旧徳山村)


平成23年夏、北陸方面6泊7日ツーリング
7月26日(火、旅2日目)


徳山ダムのダム湖(徳山湖)を見下ろす高台にある公共施設「徳山会館」に到着したのは、午前10時頃。
旧徳山村は10回目(門入・戸入行のみを含む)ですが、水没後の徳山本郷は今回が初めてです。
先を急ぐこともあり、少し離れている本郷の離村記念碑は見に行きませんでした。



徳山小学校は、へき地等級1級、児童数173名(S.34)、昭和62年休校、平成4年閉校。
3階建て鉄筋コンクリート造の校舎は、今はサカナの棲み家なのでしょう。


 ◎ 2000年 5月の旧徳山村
  http://www.din.or.jp/~heyaneko/gifu0.html
 ◎ 2004年10月の旧徳山村
  http://heyaneko.web.fc2.com/dj33.html
 ◎ 2006年 8月の旧徳山村(水没直前)
  http://heyaneko.web.fc2.com/gh11.html
 ◎ 2007年10月の旧徳山村(門入・戸入のみ)
  http://heyaneko.web.fc2.com/zs04.html

岐阜県揖斐川町(旧藤橋村) 鶴見・東杉原

  • 2012.12.24 Monday
  • 11:19

●2 鶴見・東杉原(つるみ・ひがしすぎはら)
 岐阜県揖斐川町(旧藤橋村)


平成23年夏、北陸方面6泊7日ツーリング
7月25日(月、旅1日目)
〜 7月26日(火、旅2日目)


東杉原の簡易宿泊所「すぎはら」に雨の中到着したのは、夕方5時40分頃。徳山ダム(旧徳山村)の手前、「藤橋城」がある鶴見・東杉原は8回目ですが、宿泊は初めて、この日「すぎはら」泊は私ひとりです。



2004年10月に昼食をとるため立ち寄った「すぎはら」ですが、夜は徳山ダムの水力発電施設関係の作業員の方向けの居酒屋が併設されています。
まだ明るい午後7時頃から、居酒屋の一角で食事を始めると、やがて若い衆二人組が飲みに来ました。
テレビを見ながら淡々ととる食事は、今いち面白くなく、「どうしようか」と思っているうちに、年配の方がひとり来て二人組と入れ替わりました。ふとテレビの脇を見ると、分厚い本が5冊ほど置いてあり、「これはカラオケに走るしかない」と思い、ご当所の「柳ヶ瀬ブルース」(美川憲一)を唄いました。



唄を歌うと、一気に消化がよくなった感があり、年配の方とも話しやすい雰囲気になりました。この方は高知県出身で、発破の専門家だそうです。
そのうちに、私と同じ年配の青森出身のトンネル掘りの専門家の方が登場して、呑んで唄ってと賑やかに過ごしているうちに、時計は午前0時を回りました。
#7/25(月)、廃校廃村:2ヶ所、走行距離:220km


ツーリング2日目、7/26(火)の起床は朝6時。天気は雨混じりの曇。神社跡の離村記念碑まで散歩に出かけて、朝食の後はママ(島岡さん)に「集落の記憶」の取材に協力していただき、記念撮影のときは、お店のスタッフの方(杉里さん)にも加わっていただきました。
宿出発は午前9時45分。幸い天気は持ち直し、軽い気分で徳山ダムへ向かうことができました。



杉原小学校は、へき地等級1級、児童数116名(S.34)、昭和57年閉校。現在、2階建て鉄筋コンクリート造の校舎は「ふじはし星の家」という公共施設として活用されています。

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