奈良県野迫川村 中津川(その1)

  • 2018.10.13 Saturday
  • 10:11

平成30年10月上旬、奈良県の廃村探索、
野迫川村中津川(なかつがわ)を訪ねたのは、18年ぶり2度目。
池津川局郵便区全図(S.32.10)では、中津川は15戸とある。
離村時期は昭和47年頃と想定している(学校閉校後3年後の経験則)。

 

中津川小学校はへき地等級2級、児童数65名(S.34)、明治20年開校、
昭和44年休校、平成11年閉校。
児童数の推移を見ると、S.36:63名、S.37:36名、S.38:5名と
昭和37年前後に激減している。
これは、2劼曚瀕イ譴振皺緯次覆なやふち)という鉱山があり、

鉱山の閉山(昭和37年)とともに、鉱山集落関係の児童が転出したためである。
先の郵便区全図では、金屋渕は84戸とある。

 

『野迫川村史』(野迫川村史編集委員会、1974)には、
学校休校後の中津川の様子(昭和45年、人口21名)について、
>明治15年(1882)の人口の3分の1に減少し、実質的には村落共同体は内部崩壊し、
>離村者がわずかに夏季に帰村し、共同体財産の維持、管理が行われているにすぎない。
と記している。

 

野迫川村の平成27年国勢調査人口は449名。
平成12年(783名)と比べた減少率は、43%となっている。

 

 

 画像1: 中津川小学校跡(その1、平成12年5月)
     閉校から1年2か月後のことだが、周囲に人の気配はまったくなかった。

 

  (2000年5月26日(金)午後3時頃)

 

 

 画像2: 中津川小学校跡(その2、平成30年10月)
     18年ぶりに訪ねて、あまり雰囲気が変わっていない小さな木造校舎は
     「時の流れとはどのようなものか」、語りかけるようだった。
     再訪して、よかった。

 

 

 画像3: 中津川小学校跡(その3)
     中津川探索レポートはいくつかあるが、
     なぜか取り上げられない向きから校舎を撮ってみた。

 

  (2018年10月8日(月祝)午後1時〜1時30分頃)
 

奈良県野迫川村 紫園

  • 2018.10.12 Friday
  • 07:16

平成30年10月上旬、奈良県の廃村探索、
野迫川村紫園(しおん)を訪ねたのは、18年ぶり2度目。
池津川局郵便区全図(S.32.10)には8戸とある。
離村時期は昭和45年頃(高度成長期後期)と思われる。

 

見覚えがある「野迫川村 紫園」の案内板近くにクルマを停めて、
Iさん達と4名で 20分ほど辺りを探索した。
廃屋が1戸、スギ林の中に残っていた。
家の敷地に建てられらログハウスも、使われなくなって久しい様子だった。

 

 

 画像1: 「野迫川村 紫園」の案内板

 

 

 画像2: スギ林の中に残った廃屋

 

 

 画像3: 使われなくなって久しい様子のログハウス

 

  (2018年10月8日(月祝)12時25分〜12時40分頃)

 

石川県、富山県と奈良県の廃村に行ってきました

  • 2018.10.09 Tuesday
  • 06:41

平成30年戌年、16度目の廃村探索、
体育の日がらみの三連休、石川県、富山県と奈良県の廃村を訪ねました。

 

石川県は金沢市横谷、富山県は南砺市(旧福光町)刀利、中河内、下小屋、
奈良県は野迫川村中津川で、すべて再訪です。

 

台風25号の影響が心配されましたが、
おおむね晴天のもと、良い探索をすることができました(^_^)

 

とはいえ、新規訪問ゼロは、何となく寂しい感じもするところで・・・
再訪と新規訪問、バランスよく配分したいところです。

 

 

 画像1: 横谷・道場跡の建物
  横谷は7年ぶり2回目。
  大きな道場跡の建物は、しっかりと残っていました。

 

  (2018年10月6日(土)午前10時頃)

 

 

 画像2: 下小屋・分校跡地の標柱
  下小屋は2か月ぶり2回目。
  オロロのたたりで300m手前で折り返した分校跡、
  無事到達することができました(^_^)

 

  (2018年10月6日(土)午後1時頃)

 

 

 画像3: 中津川・学校跡の建物
  中津川は18年ぶり2回目。
  閉校から約50年、小さな木造校舎は
  「時の流れとはどのようなものか」、語りかけるようでした。

 

  (2018年10月8日(月祝)午後1時頃)

 

兵庫県香美町(旧香住町) 本見塚(その4)

  • 2017.02.01 Wednesday
  • 06:58

平成28年10月9日(日)、兵庫県但馬の廃村、本見塚(もとみづか)への旅、 
小さな峠を越えてしばらく進むと視界が開けて、
午後2時頃、T字路から1時間弱で本見塚に到着した。

 

本見塚の明治24年の戸数は21戸・120名。
大阪営林署の事業所があり、山仕事を生業とした暮らしがあったが、
地すべり地域の指定があって個別の移転が進み、
昭和43年、最後の2戸が集落を離れた。

 

 

 画像1 「地すべり防止区域」の案内板

 

 

 画像2 往時の土蔵が残されていた

 

 

 画像3 人の気配が感じられる水道

 

 (2016年10月9日(日)午後2時20分頃)
 

兵庫県香美町(旧香住町) 本見塚(その3)

  • 2017.01.25 Wednesday
  • 07:12

平成28年10月9日(日)、兵庫県但馬の廃村、本見塚(もとみづか)への旅、 
興味の対象は、何といっても分校跡である。

 

本見塚の分校は「土本分校」といって、手前の集落 土生(はぶ)と本見塚の間に位置したが、
その場所が本見塚地内のため、本見塚は廃校廃村として取り扱っている。

 

奥佐津小学校土本分校は、へき地等級2級、児童数6名(S.34)、明治7年開校、昭和40年閉校。
五万地形図(香住、S.45)に文マークは記されていないが、
事前の調べで分校跡は入口T字路−本見塚間、進行方向左手にあることがわかっていた。
気をつけながら歩いていると、コンクリ造りの水槽が残る平地が見つかった。
他は概ね斜面だったので、「ここが分校跡ではないか」と推測した。

 

 

 画像1 入口T字路−本見塚間のダート

 

 

 画像2 コンクリ造りの水槽が残る平地

 

 

 画像3 水槽の側面には「水」と刻まれた

 

 (2016年10月9日(日)午後1時45分〜3時5分頃)

兵庫県香美町(旧香住町) 本見塚(その2)

  • 2017.01.22 Sunday
  • 07:17

平成28年10月9日(日)、兵庫県但馬の廃村、本見塚(もとみづか)への旅、
カヤノからはR.178まで戻って、クルマを土生に向かって走ったが、
途中あるはずの本見塚入口のT字路は見当たらず、そのうちに土生トンネルが見えてきた。
この区間(香住−豊岡間)のR.178は主要道で、交通量もそこそこある。

 

トンネル手前で折り返して向かった本見塚入口のT字路は、新道の建設で旧道となっていた。
そして、本見塚に向かう未舗装道の路面は荒れていた。
T字路から本見塚まではおよそ2km、
「クルマを置いて行くしかないっしょ」と言って歩いて向かったが、
keikoは気が進まなかったことだろう。

 

 

 画像1 本見塚入口のT字路付近のR.178旧道の橋
     その先、進めそうな感じではない。

 

 

 画像2 本見塚入口のT字路
     向こうにR.178新道のガードレールが見える。

 

 

 画像3 本見塚に向かう未舗装道
     行けるのかもしれないが、安全を考えると
     歩いたほうが無難である。

 

 (2016年10月9日(日)午後1時30分〜3時20分頃)

兵庫県香美町(旧香住町) 本見塚(その1)

  • 2017.01.21 Saturday
  • 08:02

平成28年10月9日(日)、起床は朝6時。天気は雨のち曇り時々晴。
智頭急行山郷駅そばの宿を出て、鳥取駅でクルマを借りて
兵庫県但馬地方の廃村 本見塚(もとみづか)へと出発したのは朝9時30分。
途中,居組駅,浜坂市街の土産物店,余部鉄橋跡,鎧駅に立ち寄ったが,
「賑やかな場所よりも静かな場所のほうがいいな」と,
今更ながら思ったりした。

 

本見塚の枝村カヤノは,佐津川上流域,R.178からわかりにくい枝道を
1kmほど入った場所にある。
訪ねてみると道のどん詰まりに民家が構えていたが,人の気配はなかった。
本見塚に向かう道には車止めと「立入禁止」の札がなされていて,
その荒れかたを見て,すぐに引き返した。
橋の向こうの家々も見に行ったが,やはり人影はなかった。
カヤノには長らく3戸の暮らしがあったが,常住される方はいない様子だった。

 

 

 画像1 車止めで閉ざされたカヤノ−本見塚間の道

 

 

 画像2 車止めの先の道は、ひたすら草に埋もれていた

 

 (2016年10月9日(日)午後1時頃)

兵庫県豊岡市(旧日高町)金山 (その6)

  • 2017.01.15 Sunday
  • 06:44

兵庫県但馬の廃村、金山(きんざん)への旅、
駐車場までの帰り道、不動尊のお堂を過ぎたあたりで、
黒い猟犬のようなものが見下ろした先の道の
落ち葉の中を横切っていった。

 

猟期にはまだ早く、大きさから考えるとクマに違いなさそうだ。
私は小声で「クマを見たで」とkeikoに話すと、
「この山の中やからなあ」との返事がきた。
これほど厳しい山中とは思っておらず、熊鈴は持っていなかった。
その後の山道は、なるべく賑やかに声を出すよう心がけた。

 

金山を訪ねて「廃村千選」の累計訪問数は503か所となり、
関西41か所全訪が達成された。

 

 

 画像1 金山集落跡に落ちていた、おそらく往時のラーメン鉢

 

 

 画像2 不動尊のお堂を過ぎたあたりで見かけた
     お地蔵さん
     改めて、道中の無事を祈る

 

 (2016年10月10日(月祝)午後12時30分〜1時頃)
 

兵庫県豊岡市(旧日高町)金山 (その5)

  • 2017.01.13 Friday
  • 07:05

兵庫県但馬の廃村、金山(きんざん)への旅、
標高510m、駐車場から1時間40分も歩く山の中にして、
集落跡は整備されている。

 

歴史を記した案内板や四阿があって、
分校跡、往時の生活道など、わかりやすく残っているので、
廃村の雰囲気を味わうには、よい場所と言える。

 

「ここがよいでしょう」と、分校跡入口、四阿のそばで
keikoと新年の賀状用の集合写真を撮った。

 

 

 画像1:廃村・金山の歴史を記した案内板


 

 画像2:分校跡の石垣と四阿

 

 

 画像3:分校跡入口をバックに集合写真を撮る
     (賀状で使わなかったバージョン)

 

 (2016年10月10日(月祝)正午〜12時30分頃)

兵庫県豊岡市(旧日高町)金山 (その4)

  • 2017.01.12 Thursday
  • 06:51

兵庫県但馬の廃村、金山(きんざん)への旅、
家屋跡の敷地がはっきりわかる集落跡を探索すると、
五右衛門風呂の風呂釜が見られた。

 

集落跡は整えられていて、風呂釜は「集落があったこと」を伝えるために
残されているように見えた。

 

 

 画像1:五右衛門風呂の風呂釜(その1)
     一升瓶が入っている

 

 

 画像2:ミシンのような機械
     横にがいしが転がっている

 

 

 画像3:五右衛門風呂の風呂釜(その2)
     空き缶が入っている
     拾っておいたほうがよかったかもしれない

 

 (2016年10月10日(月祝)正午〜12時30分頃)

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