山口県岩国市(旧美川町) 平本(その2)

  • 2020.05.22 Friday
  • 12:54

令和2年4月上旬、山口県の廃村探索+廃村の取材、
根笠小学校平本分校は、へき地等級1級、児童数21名(S.34)、明治22年開校、昭和39年閉校。
五万地形図(岩国、S.41)を見ると、平本の文マークの校区は、西谷上流の平井方、東谷上流の藤ヶ谷、枝谷に入った小杉、扇野、清代あたりだろうか。

 

道のない山の中を上ったり下ったりさまよっているうちに、竹が生えた平地が見つかった。
しっかりした竹藪をなんぎしながら探索するうちに、往時の便所と便器が見つかり、分校跡到着を確信した。

 

今回、コロナ対応のため参加できなかったおきのくにさんのレポート(平成19年夏、20年春)から、「単独での到達は難しい」と思っていた平本、
傷ひとつなく残る便器はとても美しかった。
帰り道も下ったり上ったりさまよっているうちに、ナベが転がる往時の家屋の敷地跡にたどり着いた。

 

 

 画像1 平本・山の中をさまよううちに、分校跡の平地にたどり着く

 

 

 画像2 分校跡には、往時の便所と便器を見つける

 

 

 画像3 傷ひとつなく残る便器はとても美しかった

 

   (2020年 4月 5日(日)午後3時〜3時10分頃)

 

山口県岩国市(旧美川町) 平本(その1)

  • 2020.05.21 Thursday
  • 06:14

令和2年4月上旬、山口県の廃村探索+廃村の取材、
奴田原からは5劼曚廟茵◆崔歪豌国・美川ムーバレー」へと進み、ハマちゃんチームとはここで分かれた。
ムーバレーの4劼曚廟茵∈埜紊量槁 平本は何もない山の中にあるため、クルマを1台に絞った。

 

平本の川の合流点の三差路は、西谷側の道へと進んだ。

そして、車窓左側の山がスギ林になったところでクルマを停めて、山へ向かって歩き始めた。
最初はっきりしていた山道がだんだんあやふやになった頃、ナベが転がる往時の家屋跡にたどり着いた。

 

 

 画像1 平本・分校跡を目指して山道を歩く
      人物はかめさん

 

 

 画像2 山道の斜度は大きく、クルマが立体的に見える

 

 

 画像3 ナベが転がる往時の家屋跡にたどり着く

 

   (2020年 4月 5日(日)午後2時20分〜2時30分頃)

 

山口県岩国市(旧美川町) 奴田原

  • 2020.05.20 Wednesday
  • 06:21

令和2年4月上旬、山口県の廃村探索+廃村の取材、
三瀬川小学校跡からは4劼曚廟茲旅眦找畫遜戸 旧美川町奴田原(ぬたばら)を目指した。
根笠川沿いでクルマを2台に絞り,山腹に向かって上がる枝道に生活感はなかったが,たどり着いた奴田原ではクルマが停まった家屋が一軒あった。
ただ,明らかに無住という家屋も数軒建っていた。

 

根笠小学校奴田原分校は,へき地等級1級,児童数50名(S.34),明治20年開校,昭和41年閉校。
分校跡は奴田原バス停の先,集落の東側にあり,かめさんの説明を受けないとピンと来なかったかもしれない。
山際の平地は「言われてみれば分校跡かも」という感じだった。
平地には崩壊した家屋が見られたが,分校との係わりはわからなかった。

 

分校跡から少し先に歩くと車道があって,道沿いに閉ざされた地域会館が見当たった。
時間があったら神社も訪ねたかったところだ。

 

 

 画像1 奴田原・無住の家屋が数軒建つ

 

 

 画像2 石垣と分校跡に続く小径

 

 

 画像3 奴田原分校跡では、崩壊した家屋が見られた

 

   (2020年 4月 5日(日)午後1時25分〜1時35分頃)

『上雄柏』の小冊子、秋田魁新報に掲載されました

  • 2020.05.19 Tuesday
  • 07:07

小冊子『上雄柏・学校跡整備と花壇に込めた想い』(堀江晴男さん=上雄柏小中学校卒業生 著)、
本日(5/19(火))秋田魁新報の文化欄に記事が掲載されました。

『日本廃村百選』は、佐藤晃之輔さんの寄稿でしたが、今回は私の寄稿です。

 

秋田魁新報に記事を取り上げられたのは、
『廃村をゆく2』、『秋田・廃村の記録』、『日本廃村百選』に続いてこれで4回目。
縁が深くなるのは、とてもありがたいことです。

 

『上雄柏・学校跡整備と花壇に込めた想い』、ISBNのない小冊子ですが、
「アマゾン」(多摩屋様扱い)と「HEYANEKOのbooth」で、取り扱っています。
 https://www.amazon.co.jp/dp/B088DVXRRQ (アマゾン)
 https://heyaneko.booth.pm/items/2010124 (HEYANEKOのbooth)

 

 

 画像 小冊子『上雄柏・学校跡整備と花壇に込めた想い』
    スイセンの花がこの物語のキーワードです。

三瀬川小学校跡

  • 2020.05.19 Tuesday
  • 06:19

令和2年4月上旬、山口県の廃村探索+廃村の取材、
周防大島・外入港からは、北側の海岸沿いの国道を走って大島大橋に戻り、
柳井市内、旧周東町 岩徳線周防高森駅付近を経て、かめさんオススメの木造校舎がある三瀬川小学校跡を目指した。
三瀬川(さんぜがわ)は根笠川(錦川の支流)の上流域にある集落で、過疎が進んでいることがうかがえた。

 

三瀬川小学校は、へき地等級1級、児童数196名(S.34)、明治12年開校、昭和63年閉校。
学校跡は県道から少し入った場所にあり、草生した校庭の向こう、サクラと平屋建て木造校舎に迎えられた。
ハマちゃんチームは廃墟探索を得意としており、ちょうどよい機会のようだ。
校舎は開け放たれており、風通しの良さが保存状態の良さにつながっているように思えた。
校舎の裏手には体育館があって、舞台の上には校章が残っていた。

 

 

 画像1 三瀬川小学校跡・サクラと平屋建て木造校舎に迎えられる

 

 

 画像2 校舎内、長い廊下を歩く

 

 

 画像3 給食室の上に、卒業生が描いた絵が飾ってあった

     「昭和37年度卒業生作品」とあるから、
     描いた方はいま 69歳ぐらいになる。

 

   (2020年 4月 5日(日)12時25分〜12時55分頃)
 

 

アマリリスの花が咲きました

  • 2020.05.18 Monday
  • 07:31

昨日(5/17)、わが家のルーフバルコニーで、
アマリリスの花が咲きました。 
昨年は 5/29(水)だったから、やや早めです。

 

今日(5/18)はソテツを移植してちょうど丸1年。
ソテツロスが心配されましたが、

ガーデンはまずまず落ち着いています。

 

 

 画像1:アマリリスの花(その1、遠景)

 

 

 画像2:アマリリスの花(その2、近景)

 

  (2020年5月17日(日)正午頃) 

 

山口県周防大島町(旧橘町) 立島(その4)

  • 2020.05.18 Monday
  • 07:03

令和2年4月上旬、山口県の廃村探索+廃村の取材、
立島の探索はおよそ1時間。帰りは船の後方、舵の近くに座った。

 

私が訪ねた学校があって無住化した離島は、これで19島目。
いつも島の表情が、行きと帰りで違って見える。

 

このメンバー(6人)とは、昨年春も萩諸島(尾島、櫃島、羽島)に出かけている。
帰り着いた周防大島・外入の港で、
私は「来年の島旅は、広島の横島あたりにしましょうか」と提案したが、
実現できるだろうか。

 

 

 画像1 瀬渡し船の舵の近くに座る
     ナビが存在感を示している

 

 

 画像2 帰りの船から見た立島(その1)
     「堤防のそばに2棟の家屋がある島」として記憶に残った

 

 

 画像3 帰りの船から見た立島(その2)
     左の島影は周防大島(伊崎付近)

 

   (2020年 4月 5日(日)午前10時10分〜10時20分頃)
 

山口県周防大島町(旧橘町) 立島(その3)

  • 2020.05.17 Sunday
  • 06:54

令和2年4月上旬、山口県の廃村探索+廃村の取材、
安下庄小学校立島分校は、へき地等級3級、児童数4名(S.34)、昭和18年開校、昭和39年閉校。
海岸から少し入ったところにもう一軒の家屋が建っており、分校は2つの家屋を結ぶ道の北側にあった。
「SHIMADAS」には「平成4年、墨絵芸術家が校舎をアトリエとしていた」とあるが、現存はしていない。

 

6名で分校跡地を探索すると、かまどや手押しポンプ、井戸、釜、食器、旗の掲揚柱、石製の臼など、いろいろなものが見つかった。
「お墓が山の中腹に残る」とのことで、ピンクリボンを追いかけて山にも入ってみたが、海岸線の方向に進むことになったので、深追いはしなかった。

 

 

 画像1 立島・分校跡想定地
    結構茂みは深い(人物はウメちゃんとトンちゃん)

 

 

 画像2 立島・分校跡想定地で見かけた かまど

 

 

 画像3 分校跡想定地で見かけた 手押しポンプ

 

   (2020年 4月 5日(日)午前9時〜10時頃)
 

山口県周防大島町(旧橘町) 立島(その2)

  • 2020.05.16 Saturday
  • 09:11

令和2年4月上旬、山口県の廃村探索+廃村の取材、
立島の港にはしっかりした防波堤があった。
港の左手には二階建ての貸別荘「くじらの宿 やまと」が、右手には時折元住民の方が訪ねるという家屋が建っている。

 

上陸は船を横付けして、堤防に上がる形で行った。

三村さん(瀬渡し船の船長)によると、この日の満潮は朝7時半頃、干潮は昼2時頃で、「立島への上陸は潮が満ちているほうがよい」とのこと。
貸別荘は整ってはいたが、使用感は薄かった。

 

 

 画像1 立島・港左手の貸別荘

 

 

 画像2 堤防から見た港左手の貸別荘
    人物はふたつぎさん

 

 

 画像3 立島・港右手の元住民の家屋

 

 

 画像4 堤防から見た港右手の元住民の家屋
    人物はウメちゃん、トンちゃんと三村さん

 

   (2020年 4月 5日(日)午前9時〜10時頃)

 

山口県周防大島町(旧橘町) 立島(その1)

  • 2020.05.15 Friday
  • 06:47

令和2年4月上旬、山口県の廃村探索+廃村の取材、
菅野ダムからは、旧熊毛町 山陽道熊毛IC、柳井市街を経て、大島大橋で周防大島に渡り、南側の海岸沿いの道を走って宿がある安下庄(あげのしょう)を目指した。
移動中、山陽道・山陽新幹線よりも南側の地域は、目指さないと行けないことに気がついた。

 

周防大島町は人口17,000名(H.27)。みかんが名産で、温暖な気候と明治期にハワイへ多くの移民を送ったことから「瀬戸内のハワイ」と呼ばれる。
この日の宿「ちどり本店」には夕方6時頃に到着し、ハマちゃん、トンちゃん、ウメちゃんと合流。海産物が中心の夕食は美味しかったが、コロナの緊張感が漂っていた。
あと、翌日訪ねる予定の立島(たつしま)への瀬渡し船を頼んだ方との電話連絡が取れないという不安もあって、お酒は必要最小限にして、早めに就寝することにした。

 

翌4月5日(日)の起床は朝6時。天気は晴。
立島への瀬渡しについて、心当たりの方に連絡を取ると、頼んでいた方は体調を崩されて入院中ということがわかった。
「何とかなりませんか」と頼んだところ、別の瀬渡し船を出してくれる方を紹介していただくことができた。

ひと息ついて朝食をとって、「ちどり本店」を出発したのは朝8時頃。
瀬渡し船が出る外入(とのにゅう)の港まで、クルマ3台(かめさん、ハマちゃんチーム、ふたつぎさんと私、計6名)で移動し、たどり着いた「ペンギンハウス」はダイビングサービスの店だった。

 

SHIMADASと『周防大島』(宮本常一:周防大島出身の民俗学の大家 著)によると、立島は面積0.2平方km、標高88m。
昭和30年代には7戸30名の暮らしがあったが、昭和45年には老人ばかりの2戸3名となり、昭和60年に無人島化したという。

店の方(三村さん)は、立島についての資料を用意してくれていた。
外入港から立島までは4辧10分ほど。
昨春訪ねた萩諸島がある日本海と比べると瀬戸内海は明らかに穏やかだが、小さな船に乗ると気分が高まる。

 

 

 画像1 瀬渡し船から見た立島(その1)
     舳先にいる人物はかめさん

 

 

 画像2 瀬渡し船から見た立島(その2)
     背後の島影は平郡島

 

 

 画像3 瀬渡し船から見た立島(その3)
     建物が2棟見られる

 

   (2020年 4月 5日(日)午前8時55分〜9時頃)
 

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