幸福駅跡

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    廃村探索のハイシーズン、5月下旬に北海道を合同探索で訪ねることは定番となった。
    平成27年は上川・留萌と檜山・渡島、平成28年は釧路・十勝に出かけている。
    平成29年は日高を訪ねることが早々に決まった。

    調整の結果、メンバーは平成27年と同じく旭川の田中さん、函館のラオウさん、
    札幌の成瀬さん、私の4人組になった。

     

    日高本線は、昭和56年8月、私が初めて北海道を国鉄周遊券を使って旅したとき、
    大阪発の夜行急行「きたぐに」、青函連絡船、函館発の夜行急行「すずらん」と乗り継いで、
    苫小牧から様似まで乗車している。
    その先の襟裳岬は、北海道で最初に足を運んだ著名な場所として強く記憶に刻まれている。

     

    平成29年5月27日(土)、起床は未明4時。浜松町朝6時発羽田行きモノレールは空港快速。
    8時50分、帯広空港に到着し、田中さんと合流。天気はあいにくの雨。
    まず、最初の目的地、襟裳岬手前の苫別(とまべつ)を目指す。
    空港の近くには旧広尾線幸福駅跡(昭和62年廃止)があるので、平成4年夏のツーリングで以来
    25年ぶりに立ち寄った。

     

     

     画像1 幸福駅跡に建つ復元駅舎
        平成25年に建て替えられたもので、
        決まった規格の愛国発幸福行きの再現きっぷが張られている。  

     

     

     画像2 幸福駅跡の板張りホームと橙色の気動車
        広尾線は、昭和56年の旅で、広尾−大樹間と、帯広−愛国間を乗ったことがある。
        往時の雰囲気が残されているのは、嬉しいことだ。

     

     

     画像3 板張り床の気動車内部
        駅跡に人の気配はなかったが、気動車内部を見学することができた。
        昭和の頃は、こんな車両に乗って旅していたんだなあ・・・

     

       (2017年5月27日(土)午前9時10分頃)


    ソテツとアマリリス

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      梅雨入りから1週間経ち、浦和は久しぶりに雨の朝です。
      晴れた土曜日のルーフバルコニーの様子を振り返っておきましょう。

       

      ソテツに新しい葉が20枚芽吹きました。
      いよいよ背が高くなってきた感じがします。

       

      今年のアマリリスは、10ほど花が咲いて、賑やかでした。
      今咲いているものが、ラストとなりそうです。

       

       

       画像1 いよいよ背が高くなってきた感じがするソテツ

       

       

       画像2 今年ラストのアマリリスの花

       

         (2017年6月10日(土)午前9時30分頃)


      岩手県北上市 本畑

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        平成29年5月15日(月)、岩手県北上市近辺の廃村探索、
        鉢森の探索後は、千貫石自然公園の管理棟のあたりで一休みしてから、
        この日最後のポイント 本畑(もとはた)・瀬美温泉へと向かった。

         

        岩崎新田小学校本畑冬季分校は、へき地等級3級、児童数6名(S.34)、
        昭和24年開校、昭和41年閉校。
        ずいぶん前に北上市教育委員会の方とのやり取りでいただいた本畑冬季分校の記事には
        「昭和24年、瀬美温泉の自炊室を間借りして開校」と記されているが、
        今の瀬美温泉は昭和35年開業とのことで、その実態は不明のままだ。

         

        探索したところ、本畑に建つ家屋は瀬美温泉を含めて5戸。
        集落という雰囲気ではないが廃村という感じでもない。
        五万地形図(夏油温泉、S.45)に記されている鳥居マークは、
        駐車場内に無造作に置かれている祠になったのではないかと推測した。

         

        「この旅は、瀬美温泉に入って終わりにしよう」と考え、窓口で入浴券を購入したが、
        時間は午後2時20分。
        今から北上駅に向かうと自由席があるやまびこで大宮まで帰ることができる。
        というか、手元のきっぷは自由席特急券なので、指定席に替えるのは面倒くさい。
        結局廊下で押し返し、温泉に入らないまま本畑を後にした。

         

        北上駅からやまびこに乗って大宮駅まで戻り着いたのは夕方5時58分。
        会社へのお土産は、定番の南部せんべいを買った。

         

         

         画像1 本畑・思ったよりも大きな宿だった「瀬美温泉」 

         

         

         画像2 瀬美温泉駐車場で見かけた神社に係わると思われる祠

         

         

         画像3 前日の小花に続き、沈殿池のようなものが見られた

         

           (2017年5月15日(月)午後2時頃)


        岩手県金ケ崎町 鉢森(その2)

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          平成29年5月15日(月)、岩手県金ケ崎町 鉢森(はちもり、営林集落)の廃村探索、
          千貫石溜池の周辺は、「千貫石自然公園」という広大な公園になっている。
          五万地形図(川尻、S.47)に家屋マークが記されたその場所には、
          「せせらぎ広場」という整った施設ができていた。

           

          広場にクルマを停めて、傘をさして山に向かう道を歩くと、
          林の中にまとまった平地が見当たった。
          一時は雷が鳴るほどの強い雨になったが、
          帰路に平地に着いた頃にはひととき雨が上がって景色が明るくなった。

           

          後日、鉢森分校の場所は
          「千貫石ため池の西端、鉢森山からの滝水が流れ入る付近」であることがわかった。
          「昭和32年、六原農場は鉢森山500町歩の山林に県内より製炭夫を募集し、
          10か年製炭する契約で45世帯を入山させた」とのこと。

          つまり、探索で歩いた山中は、鉢森営林集落の製炭夫の作業場だった。

           

          分校跡、集落跡はすぐそばをクルマで通り過ぎていたが、
          場所のアタリが付いたので、鉢森も未訪ではなく訪問と数えることにした。
          ただし、分校跡、集落跡は、いつか改めて探索したいと思う。

           

           

           画像1 鉢森・集落跡と想定した場所近辺の自然公園「せせらぎ広場」 

           

           

           画像2 集落跡と想定した場所近辺の平地

           

           

           画像3 「せせらぎ広場」 に横たわっていた「熊出没注意」の看板 

           

             (2017年5月15日(月)午後1時頃)


          岩手県金ケ崎町 鉢森(その1)

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            平成29年5月15日(月)、岩手県北上市近辺の廃村探索、
            帰路の胆沢ダム−本畑・瀬美温泉間、金ケ崎町の千貫石溜池付近では、
            鉢森(はちもり)という短期間しか存在しなかった炭焼き集落の跡地探しに挑んだ。

             

            北方小学校鉢森冬季分校(のち二ツ森小学校鉢森分校)は、へき地等級3級、
            児童数13名(S.34)、昭和33年開校、昭和40年閉校。
            千貫石溜池の上流側には鉢森山があるので、集落はこの山の麓にあったと推測されるが、

            集落名は地形図に記載されておらず、調べても有力な情報が見出せていない。

            長い間鉢森は「戦後開拓集落ではないか」と考えていた。
            金ケ崎町立図書館の方とのやり取りで炭焼き集落であることはわかったが、
            場所の特定はできなかった。
            「現地に行けば何かわかるかもしれない」と、
            戦後開拓集落 和光の小学校跡そばの商店に入って、ご主人に尋ねてみたが
            「わからない」とのことだった。

             

            月曜日は図書館は休み。
            天気は雨で、山菜取りの方と出会うこともなさそうだし、
            「ここではないか」と想定した場所に足を運ぶ以外に手立てがない。

             

             

             画像1 商店のそばにある和光小学校跡(昭和51年閉校)

             

             

             画像2 金ケ崎町の田畑の水がめ・千貫石溜池

             

             

             画像3 おいし観音(千貫石溜池そばの高台にある)

             

               (2017年5月15日(月)午前11時30分〜正午頃)


            岩手県奥州市(旧胆沢町) 下風江(その3)

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              平成29年5月15日(月)、岩手県北上市近辺の廃村探索、
              渋民沢がこの行程の折り返し点で、下風江、尿前へと来た道を戻った。

               

              復路の下風江では、五万地形図(焼石岳、S.46)に3つの家屋マークが
              集まるあたりに足を運んだ。
              栗駒焼石ほっとライン沿いにクルマを停めて、
              水辺公園を造成しているらしい区域を横切り、旧道まで歩くと
              「小寒沢橋」という昭和39年建設の古い橋を見つけることができた。

               

              下風江分校跡の正確な場所はわからなかったが、
              航空写真を見る限り、小寒沢橋のやや北東側にあったように思われる。

               

               

               画像1 下風江・小寒沢橋から西側(ほっとライン)方向を見る

               

               

               画像2 小寒沢橋付近から北東側(分校跡があったと思われる)方向を見る

               

               

               画像3 小寒沢橋付近から南西側(3つの家屋マーク)方向を見る 

               

                 (2017年5月15日(月)午前10時30分頃)


              岩手県奥州市(旧胆沢町) 渋民沢

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                平成29年5月15日(月)、岩手県北上市近辺の廃村探索、
                下風江に続いては、さらに上流の営林集落の廃村 渋民沢(しぶたみざわ)へと向かった。

                 

                渋民沢にあった愛宕小学校前川分校は、へき地等級5級、児童数7名(S.34)、
                大正11年開校、昭和36年閉校。
                「前川」はこの地を流れる胆沢川の支流の名前で、「渋民沢」は前川の支流の名前でもある。
                へき地5級地だが、栗駒焼石ほっとラインが開通しているので簡単に行くことができる。
                水沢営林署による営林集落は大正から昭和30年代までのもので、
                古くは銀山に係わる集落があったらしい。

                 

                林道に入って前川に架かる橋を渡ると「渋民林道入口」「本寺林道入口」という標柱があったが、
                林道を進むのは得策ではない。
                前川へと下る昔ながらの坂道があったので、これを進み、
                川に近い平地に営林集落跡があったと仮定することにした。

                 

                 

                 画像1 渋民沢・前川に架かる赤い欄干の渋民橋 

                 

                 

                 画像2 営林集落跡と仮定した場所付近の前川の流れ

                 

                 

                 画像3 標柱が立つ渋民林道の起点 

                 

                   (2017年5月15日(月)午前10時頃)


                岩手県奥州市(旧胆沢町) 下風江(その2)

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                  平成29年5月15日(月)、岩手県北上市近辺の廃村探索、
                  下風江(おろせえ)のダム湖畔 おろせ広場からは道が通じていたので、
                  対岸の稜線近くにある於呂閉志(おろへし)神社に足を運んだ。

                   

                  昨日は、地形図で見る分には同じような雰囲気の
                  赤石鉱山の山神社を目指したが、足を運ぶことはできなかった。
                  於呂閉志神社に通じるダートの道は真新しく、
                  胆沢ダムができてから作られた様子だ。
                  それまでは、地形図に記された頼りない山道を歩かないといけなかったのだろうか。

                   

                  そんなことを考えながらたどり着いた神社の本殿は、ささやかなものだったが、
                  クルマでたどり着くことができて、とてもありがたく思った。

                   

                   

                   画像 下風江・於呂閉志神社

                   

                     (2017年5月15日(月)午前9時15分頃)


                  岩手県奥州市(旧胆沢町) 下風江(その1)

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                    平成29年5月15日(月)、岩手県北上市近辺の廃村探索、
                    尿前(しとまえ)に続いては、やや上流の下風江(おろせえ)へと向かった。

                     

                    愛宕小学校下風江冬季分校(のち下風江分校)は、へき地等級不明、児童数17名(S.35)、昭和35年開校、昭和40年閉校。
                    「下嵐江」と記されることもあれば「おろせ」と読まれることもある。
                    R.397から栗駒焼石ホットラインに入りしばらく走ると、ダム湖畔の「おろせ広場」に到着した。
                    広場には、弘法の枕石やお地蔵さん、馬頭観音の石碑など、ダム湖建設で移転してきたものが集められていた。
                    広場の一角には「仙北街道 下嵐江藩境御番所跡」という碑が見られた。
                    このことから、下風江は藩境の警備関係の集落だったことがわかった。

                     

                     

                     画像1 胆沢ダム湖畔のゆかりの石碑等が集まるおろせ広場

                     

                     

                     画像2 弘法の枕石を背にしたお地蔵さん

                     

                     

                     画像3 「仙北街道 下嵐江藩境御番所跡」の碑
                         対岸に見えるずんぐりした山は猿岩山

                     

                       (2017年5月15日(月)午前9時頃)


                    岩手県奥州市(旧胆沢町) 尿前

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                      平成29年5月15日(月)、岩手県北上市近辺の廃村探索、
                      朝食をとってから入畑温泉の宿を出発したのは朝7時20分。
                      当初はすぐ下流側の瀬美温泉がある本畑(もとはた)に出かける予定だったが、
                      この日の温泉が午後からの営業とのことで、
                      先に旧胆沢町の胆沢ダム関係の廃村 尿前(しとまえ)へと出かけた。

                       

                      胆沢ダム(総貯水容量1億4300万平方m)は、石渕ダムを再開発(かさ上げ)する形で
                      平成25年竣工。
                      真新しい胆沢ダム管理支所の建物で一服した後、尿前渓谷橋を渡り、
                      ダム湖畔の「石渕広場」に着いたのは朝8時20分。
                      広場は旧石渕ダム堤体付近に作られている。
                      尿前にあった愛宕小学校石渕分校は、へき地等級2級、児童数59名(S.34)、
                      明治32年開校、昭和44年閉校。
                      ダム湖畔には「ふるさと」「水没移転者記念碑」と刻まれた石碑があった。

                       

                       

                       画像1 長くて大規模な胆沢ダムの堤体

                       

                       

                       画像2 ダム湖に架かる尿前渓谷橋

                       

                       

                       画像3 尿前・「ふるさと」「水没移転者記念碑」と刻まれた石碑

                           碑に「尿前」という集落名は刻まれていなかった。

                       

                         (2017年5月15日(月)午前8時30分頃)


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