東大館駅

  • 2016.07.30 Saturday
  • 07:31

平成28年5月31日(火)、釧路空港から秋田市までの3泊4日の旅、 
4日目は、大館市街、市役所に近いビジネスホテルで目覚めた。

 

市街は、大館駅よりも花輪線の東大館駅のほうが近い。
時間があったので、散歩がてら東大館駅まで歩いて行った。

 

小さい駅ながらみどりの窓口がある有人駅で、
私は帰りのこまちの切符を手配した。

 

 

 画像1 : 東大館駅駅舎
  昨夜繰り出した飲み屋街は、東大館駅のすぐそばだった
  ことが、散歩してわかった。 

 

 

 画像2 : 東大館駅ホーム
  島型ホームだが、片側の線路はなくなっていた。

 

 

 画像3 : 東大館駅に到着する2両編成ディーゼルカー
  次の駅 大館が終着の列車は、通学の高校生で
  まずまず賑わっていた。

 

 (2016年 5月31日(火)午前7時35分〜50分) 
 

宮城県の廃校廃村めぐり・番外編

  • 2016.07.26 Tuesday
  • 06:59

平成28年7月18日(月祝)、宮城県の廃村めぐり、
クルマは新幹線と陸羽東線との接点駅 古川で借りた。
きっぷは、JR東日本の週末パスを初めて使った。

 

古川というと、化女沼(けじょぬま)レジャーランドという
遊園地の廃墟があると、どこまで耳にしていた。
帰り道、余り時間を使って、足を運んでみた。

化女沼は、平野部の中にある小さなダム湖で、
渡り鳥の繁殖地として名高いらしい。
湖のまわりは、クルマで一周できる公園のようになっている。

 

湖を時計と反対回りに走り、Yさんと
「そんなの本当にあるのかな」と話しながら、右のカーブを曲がると、
視界にボンと観覧車の廃墟が飛び込んできた。

レジャーランドの所有者が手入れしているというだけあって、
すっきりとした凛々しい観覧車だ。
たまにはこんな、息が抜ける寄り道も悪くない。

 

 

 画像1 : 化女沼レジャーランドの観覧車(1)
  いつ頃できて、いつ頃閉園になったのかは、
  気になるところだ。
  調べると、昭和54年開園、平成13年休園(23年間稼働)
  と出てきた。

 

 

 画像2 : 化女沼レジャーランドの観覧車(2)
  Yさんから「カラスがいますね」と声があがった。
  よくみると、観覧車の輪のてっぺんにカラスが4羽とまっていた。

 

 

 画像3 : 化女沼レジャーランドの観覧車(3)
  周囲にはメリーゴーラウンドやミニSLなど、
  いろいろな施設が草に埋もれていたが、
  やはり観覧車の存在感が圧倒的だ。
  施設(入場ゲート)の入口はダム湖の反対側にあって、
  敷地にはホテルの廃墟も残されていた。

 

 (2016年 7月18日(月祝)午後2時45分頃)

宮城県の廃校廃村に出かけました

  • 2016.07.25 Monday
  • 05:57

平成28年7月18日(月祝)、新幹線日帰りで
宮城県の廃校廃村 玉山(たまやま)と大土森(おおどもり)に
出かけた。 

 

この頃何かと忙しい。
大宮−仙台間が1時間少しと思うと、
宮城県は日帰りで行きたくなってしまう。

 

当日は梅雨明け前にして、なかなかの好天だった。
廃村めぐりは、長年の付合い(ガールポップ関係)の
Yさんと2人で出かけた。

その後、仙台駅で同じく長年の付合いのSさんと待ち合わせて
駅近く居酒屋で、再会を祝して3人で乾杯した。

 

「廃村千選」累計訪問数は498か所となった。 
500か所達成まで、いよいよあと2か所だ! 

 

 

 画像1 : 玉山分校跡 
  玉山集落がダム湖に沈んだのは昭和36年。
  分校は、その後湖畔で昭和41年まで(5年間)存続した。
  その詳細は謎のままだ。
  分校跡は、除雪基地となっていた。

 

 (2016年 7月18日(月祝)午前10時50分頃) 


 

 画像2 : 大土森集落跡の古い橋
  鉱山集落大土森は、昭和38年、鉱山の閉山とともに
  閉村となった。
  集落跡には、往時のものらしき橋やトンネルがあったが、
  分校跡などの痕跡は見当たらなかった。

 

 (同 午後12時55分頃)

上厚内から大館へ(その2)

  • 2016.07.24 Sunday
  • 07:22

平成28年5月30日(月)、上厚内から大館までの鉄道の旅、
南千歳から乗り継いだ2本目の特急 スーパー北斗は、
苫小牧で41分遅れ(最大遅れ)になった。

 

途中、伊達紋別を過ぎたあたりで

「新函館北斗の乗り継ぎはできません」というアナウンスがあり、
時刻表から計算した大館着3時間遅れを覚悟した。

気まぐれな旅ならば「まあいいか」と笑えるのだが、
大館では知人と食事会があり、夕方6時が待ち合わせ時間だ。
夕方5時10分着ならば、よい塩梅なのだが、
夜8時9分着では、その予定自体が流れてしまう。

 

座席を離れて、車掌に「何とかなりませんかね・・・」と
事情を説明しながら食い下がった。
それが功を奏したかどうかはわからないが、
八雲を出発し、遅れが35分まで戻ったところで一発逆転、
「時間調整をするので乗り継ぎできます」というアナウンスがあった。

 

新函館北斗着は午後2時45分、乗り換えは不思議にスムーズで
乗り継ぎは3分、新幹線はやぶさは定刻の4分遅れの午後2時48分、
新函館北斗を出発した。
スーパー北斗の乗車時間は約3時間、
とても疲れたが、何とかなってホッとした。

 

新青森着は1分遅れの午後3時51分、
函館にも青森にも行かないまま、津軽海峡を越えてしまった。
初乗りの北海道新幹線は、早いのはありがたいが、
駆け足だったこともあって、味も素っ気もなかった。

 

新青森からは、4本目の特急 つがるに乗り継いで、
雨が降る大館には、定刻通り夕方5時10分に到着した。

 

 

 画像1 : はやぶさの車内から見た新函館北斗の駅名標
  在来線ホームから新幹線ホームまでの乗り継ぎが楽だった以外、
  どんな駅だったか、まったく記憶に残っていない。

 

 (2016年 5月30日(月)午後2時47分)


 

 画像2 : 新青森駅に到着するつがる
  はやぶさは10両編成に対して、つがるは4両編成。
  はやぶさ(新函館北斗−東京)は日に10往復もあるのに、
  つがる(青森−秋田)は日に3往復しかない。
  青森から秋田は、青森から東京よりもはるかに不便なのだ。

 

 (同 午後4時46分)

 

 

 画像3 : 雨が降る大館駅
  大館は半年ぶり。なぜかなじみになっている。
  3泊4日の旅で、傘を差したのは大館の夕刻だけだった。

 

 (同 午後5時15分)


 

上厚内から大館へ(その1)

  • 2016.07.23 Saturday
  • 07:59

平成28年5月30日(月)、道東・十勝の廃校廃村めぐり、 
1時間強の探索を満喫し、朝7時22分、新得行きローカル気動車に乗って
上厚内を後にした。

 

この日の廃村めぐりの予定はここまで。
日中は、帯広−南千歳−新函館北斗−新青森と、特急を4本乗り継いで、
約720kmの行程を10時間近くかけて、奥羽線の大館まで移動する。

JR北海道在来線は「無事動くかなあ・・・」と心配していたが、
案の定、千歳線人身事故の影響で、スーパーとかちの南千歳到着は15分遅れ、
函館行スーパー北斗の南千歳発は37分遅れとなった。

 

新函館北斗でのはやぶさの乗り継ぎは34分、
新青森−大館の便数は少ないので、乗り継ぎ損ねると、
大館着は3時間遅れ(夕方5時10分着→夜8時9分着)になってしまう。
さてさて、運命はいかに。

 

 

 画像1 : 上厚内駅に着くローカル気動車
  これは2番線から、1番線に着いた釧路行きローカル気動車を撮ったもの。
  上厚内での余り時間は、駅ノートを書いたりしてのんびり過ごした。

 

 (2016年 5月30日(月)午前6時56分)

 

 

 画像2 : 帯広駅に停車中のスーパーとかち
  帯広駅は乗り継ぎは8分。
  「昭和56年以来 35年ぶり」とかいう余裕はあるはずもなく、
  途中下車してコンビニでホットコーヒーを調達するのが関の山だった。

 

 (同 午前8時46分)

 

 

 画像3 : 南千歳駅に着くスーパー北斗
  かなり焦りながら途中下車して、
  遅れた場合の大館までの時刻表のスジを読み、
  駅ホームの売店でかにめしを調達した。

 

 (同 午前11時51分)

北海道浦幌町 上厚内(その5)

  • 2016.07.22 Friday
  • 06:42

平成28年5月30日(月)、道東・十勝の廃校廃村めぐり、 
駅がある高度過疎集落 上厚内、
実は辺鄙な山奥ではなくて、国道38号線沿いにあったりする。

 

メインストリートの東端は踏切になっていて、
その先はクルマがたくさん走る国道が通っている。

上厚内の神社は、国道沿いにある。
探索の大詰め、私は階段を上がって、集落の神様にご挨拶をした。

 

 

 画像1 : 上厚内・国道38号線
  踏切に向かう道路標識には「上厚内市街」と記されている。
  廃屋多数、現住家屋2戸でも、
  「市街」というのは、何かほほえましい表現だ。

 

 

 画像2 : 上厚内神社の鳥居
  北海道らしい白の鳥居が待ち構えていた。

 

 

 画像3 : 上厚内神社の拝殿
  しっかり手入れがなされた、綺麗な拝殿だった。
  「上厚内 神社」で検索すると、2015年11月 浦幌神社に合祀され、
  「100年の歴史に幕」という記事が出てきた。

 

 (2016年 5月30日(月)午前6時45分〜7時5分頃)
 

北海道浦幌町 上厚内(その4)

  • 2016.07.21 Thursday
  • 07:12

平成28年5月30日(月)、道東・十勝の廃校廃村めぐり、 
駅がある高度過疎集落 上厚内、

 

小学校跡の探索に続いては、集落のメインストリートを西から東へと歩いた。

現住の家は2戸で、うち1戸にはクルマが停まっていない。
無住の家のうち1戸は、比較的最近まで住まれていた感じがした。
二万五千図(厚内、S.61)には、32戸の家屋が記されているが、
集落のそばの農地は北海道としては狭い。
過疎が進んだ理由は、農業、畜産業に向かない場所だからではないだろうか。
「人口統計ラボ」Webで調べたところ、
上厚内の就業者総数(H.22)は3名で、農林業はゼロだった。

 

 

 画像1 : 上厚内・メインストリート(1)
  小学校跡のそばから東側を望む。
  左側に小学校跡、商店跡、右側に現住家屋、駅がある。

 

 

 画像2 : 上厚内・メインストリート(2)
  もう一軒の現住家屋のそばから西側を望む。
  左側に廃屋群、右側に最近まで住まれていた感じ家屋がある。

 

 

 画像3 : 上厚内・駅近くの廃屋
  商店跡をはじめ、たくさんの廃屋が残っているのも
  上厚内の特徴といえる。

 

 (2016年 5月30日(月)午前6時35分〜50分頃)
 

北海道浦幌町 上厚内(その3)

  • 2016.07.20 Wednesday
  • 07:14

平成28年5月30日(月)、道東・十勝の廃校廃村めぐり、 
小学校跡は駅入口から見ると、左側(北西側)にある。
私は地形図を見る分には、駅が平面で学校跡が高台にあると想像したが、
行ってみると、駅がわずかに高台で学校跡が平面だった。

 

上厚内小学校は、へき地等級1級、児童数43名(S.34)、
大正13年開校、昭和57年閉校。最終年度(S.56)の児童数は3名。
広い校庭があって、環境は良さそうに見えた。
かつては商店があり、今も駅は存続している。
「なぜここまで過疎が進んだんだろう」
綺麗に残っている赤い屋根の体育館を見ながら、
私は少し不思議に思った。

 

 

 画像1 : 上厚内小学校跡
  左側の大ぶりの建物は体育館、
  右側の小ぶりの建物は地域の会館で、
  入口がついた渡り廊下でつながっている。

 

 

 画像2 : 上厚内・「郷学の庭」の碑(1)
  小さく「第11代校長 太田孝幸」と刻まれている。
  気候の厳しさのせいか、
  台座のコンクリートの角は崩れ始めていた。

 

 

 画像3 : 上厚内・「郷学の庭」の碑(2)
  碑の裏面には
  「上厚内小学校閉校記念事業協賛会 昭和57年3月20日」
  と刻まれていた。

 

 (2016年 5月30日(月)午前6時28分〜35分頃)
 

北海道浦幌町 上厚内(その2)

  • 2016.07.19 Tuesday
  • 07:05

平成28年5月30日(月)、道東・十勝の廃校廃村めぐり、 
上厚内駅に滞在できる時間は1時間8分。
ひと通り探索するにはちょうどよい時間だ。

 

駅前には商店の跡が構えている。
廃校廃村で、かつて商店があった集落はあまりない。
何年頃まで開いていたのだろうか。

 

 

 画像1 : 上厚内・駅前商店跡(1)
  「廃村をゆく」に載っているpiroさん撮影の画像では
  入口左側に赤いポストが写っている。
  5年ほどの時を経て、ポストは失われていた。

 

 

 画像2 : 上厚内・駅前商店跡(2)

  近づくと、なかなかの存在感がある。

 

 

 画像3 : 上厚内・駅前商店跡(3)
  日専連カードの加盟店だったらしい。

 

 (2016年 5月30日(月)午前6時20分〜40分頃)
 

北海道浦幌町 上厚内(その1)

  • 2016.07.18 Monday
  • 06:16

平成28年5月30日(月)、道東・十勝の廃校廃村めぐり、 
芽室行き1両編成のディーゼルカーは、朝6時14分、上厚内駅に到着した。

 

上厚内は「駅がある廃校廃村」、鉄道に乗って行きたかった。
しかし、本数は上りが7本、下りが6本。
実現させようと思ったら、厚内始発の朝一番を使って、
次の朝7時22分発で出発するぐらいしか、方法はないと言える。

 

上厚内で下りたのは、もちろん私ひとり。
駅に人影は、もちろんなかった。

 

 

 画像1 : 上厚内・跨線橋から見た風景
  最初に見た風景は、こんな感じだった。

 

 

 画像2 : 上厚内駅・1番線ホーム
  貨物列車が交換のため停まっていた。


 

 画像3 : 上厚内駅・駅舎 
  味がある木造駅舎で、ノートが置いてあった。 

 

 (2016年 5月30日(月)午前6時15分〜20分頃)
 

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< July 2016 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

  • 山風呂分校跡(その1)
    HEYANEKO (03/24)
  • 山風呂分校跡(その1)
    クマ (03/22)
  • 山風呂分校跡(その1)
    HEYANEKO (03/22)
  • 山風呂分校跡(その1)
    クマ (03/20)
  • 山形県小国町 越戸(その5)
    はる (02/08)
  • ドキュメント20min. 「ニッポンおもひで探訪 〜北信濃 神々が集う里で〜」
    HEYANEKO (11/25)
  • ドキュメント20min. 「ニッポンおもひで探訪 〜北信濃 神々が集う里で〜」
    take (11/23)
  • 「HEYANEKOのホームページ」、更新のお知らせ(令和5年11月3日)
    HEYANEKO (11/12)
  • 「HEYANEKOのホームページ」、更新のお知らせ(令和5年11月3日)
    國光 (11/11)
  • 「HEYANEKOのホームページ」、更新のお知らせ(令和5年11月3日)
    HEYANEKO (11/11)

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM