上岡からの帰り道(その2)

  • 2016.01.31 Sunday
  • 07:55
平成28年1月10日(日)、高知県香美市(旧物部村) 
戦後開拓集落 上岡(かみおか)への旅。
帰り道は、上岡発午後3時15分、登り口着3時45分(所要時間30分)、
登り口発3時50分、クルマの地点着4時45分(所要時間55分)だから、
登り口の休憩を足しても所要時間1時間半。
行きと比べると30分ほど短縮されている。

大原さんは、「上岡の車道はどこから続いていたんだろうか」と
気になるようである。
村影さんのWebには、「安芸市の別役方面から道が通じていたのだろうか」
と記されているが、この道は山頂近くを通る山道で、
大原さんいわく「ありえない」とのこと。
「通じていたとしたら、川之瀬谷からの林道(宇筒舞林道)か、
北側の桑ノ川の谷からの林道(桑ノ川林道・桃草林道)の
いずれかであろう」と、地形図を見ながら説明を受けた。

宇筒舞林道の本線は、峰を越えて中津尾へと向かっている。
川之瀬谷に沿う道は、宇筒舞林道90支線と呼ばれる。
夕闇が迫る中、大原さんと行けるところまで行ってみると、
90支線に入って2kmほどでクルマでは走れない崩落箇所があったが、
歩いてならばまだまだ先へ行けそうだった。

地形図では、林道は川之瀬谷を跨いですぐの地点で切れているが、
終点の標高は800m。
上岡で私達が歩いて行った東端地点の標高は880m(標高差80m)。
等高線をたどった終点−東端地点の距離は1.5kmほどしかない。
「桃草林道は新しい林道なので、往時、上岡まで通じていたのは
おそらく宇筒舞林道90支線ではないか」
と大原さんは推測したが、その答は謎である。



画像 : 宇筒舞林道90支線から見た、川之瀬谷の夕景
天気に恵まれ、上岡にも行けて、充実した一日だった。

(2016年 1月10日(日)午後5時15分頃)

上岡からの帰り道(その1)

  • 2016.01.30 Saturday
  • 08:03
平成28年1月10日(日)、高知県香美市(旧物部村) 
戦後開拓集落 上岡(かみおか)への旅。
帰り道は、来た道をそのまま戻ることを基本とした。
山道を30分ほどで降りて、まといリスの前で長靴に履き替えて、
川之瀬谷は、川中を3分の1、軌道跡を3分の2ぐらいの割合で歩いた。

問題は、軌道跡のガレ場(崩落)部分だ。
大原さんが先導で歩くから、多少の踏み跡はできるが、
谷にすべり落ちたら、ケガは免れない。
10mほどのガレ場を越えるのに5分かかった箇所があった。
さすがに「川中を歩くほうが安全だ」と思った。



画像1 : 軌道跡のガレ場(崩落)部分
画像左側に、川と石垣が写っている。
手前に踏み跡があるから、斜面をたどってきたはずだが
どう歩いたのか、見当がつかない。

(2016年 1月10日(日)午後4時7分頃)



画像2 : 軌道跡と川の流れ
高低差は5mほどだろうか。
この先のガレ場は通行不能と判断し、
谷へ下りて川中を歩いた。

(同 午後4時33分頃)

まといリス

  • 2016.01.29 Friday
  • 07:11
先日話題になった、「山でよく見かけるリス」の正式名称、
「まといリス」、「纏リス」もしくは「リスのまとい」が通称、
「まといを持ったリス」が正式な表現(正式名称はないらしい)
ことがわかりました。
昭和47年制定で、映画まであるとのことです。



「元祖・山のゆるキャラ」は、言い得て妙ですね。
調べていただいたのら猫さん、ありがとうございます。

高知県香美市(旧物部村) 上岡(その6)

  • 2016.01.28 Thursday
  • 07:09
平成28年1月10日(日)、高知県香美市(旧物部村) 
戦後開拓集落 上岡(かみおか)への旅。
索道の施設跡からは、別ルートで山を降りる道があるらしいが、
来た道を戻るため、分校跡へ戻った。

上岡分校跡の碑の碑文は、とても読みにくい。
数枚写真を撮ったうち、いちばん見やすく写ったのは
斜めからフラッシュをたいて撮ったものだった。



画像1 : 上岡分校跡の碑(1)
碑の土台に私の頭の影が写っている。



画像2 : 上岡分校跡の碑(2)
見比べると、周囲は案外暗いことがわかる。



画像3 : 上岡分校跡の碑(3)
「河口小学校上岡分校跡
昭和23年5月1日開校
昭和37年1月10日閉校
物部村」
と刻まれている。
建立は「昭和57年5月吉日」である
偶然だが、私たちは54年目の閉校記念日に
訪ねたことになる。

(2016年 1月10日(日)午後3時10分頃)

高知県香美市(旧物部村) 上岡(その5)

  • 2016.01.27 Wednesday
  • 07:11
平成28年1月10日(日)、高知県香美市(旧物部村) 
戦後開拓集落 上岡(かみおか)への旅。
索道の施設跡は、放置された軽トラを過ぎるとすぐに見つかった。
軽トラが走れそうな幅の道の終点だった。

急斜面の尾根上の戦後開拓集落では、この施設を使って
さまざまな物資が運ばれたことだろうか。
巻上げ機の小屋は、管理されていないはずだが
エンジンを含め、とてもしっかりと残っていた。



画像1 : 索道巻上げ機の小屋
エンジンはヤンマーディーゼルだった。



画像2 : 小屋の脇に放置されたバイク
朽ちた三輪自動車の残骸もあった。



画像3 : 索道の支柱
錆びたケーブルも残っていた。

(2016年 1月10日(日)午後2時55分頃)

高知県香美市(旧物部村) 上岡(その4)

  • 2016.01.26 Tuesday
  • 07:17
平成28年1月10日(日)、高知県香美市(旧物部村) 
戦後開拓集落 上岡(かみおか)への旅。
現地の探索で、見つけたかったのが、放置された軽トラと
索道の施設跡だった。

村影さんのWebに載っているものであるが、
どこにあるかについては、現地で探すことを楽しむため、
読んでいなかった。

東の道方面には見当たらなかった。
「日暮れの時間を考慮して、3時頃には出発しましょう」
と、昼食時に決めていた。
おきのくにさんの資料を見ると。西の道は分校跡から500mぐらいまで
続いているようだ。
制限時間が近づいてきて、
「見つからなかったら、めちゃくやしいですね」
と言い始めた頃、道の先に噂の軽トラが現れた。
私達は、分校跡に到着したときと同じぐらい嬉しかった。



画像1 : 上岡に残る軽トラ(1)
三菱ミニキャブ ワイド55という車種らしい



画像2 : 上岡に残る軽トラ(2)
LPガスを運ぶ軽トラだったらしい。

(2016年 1月10日(日)午後2時50分頃)

高知県香美市(旧物部村) 上岡(その3)

  • 2016.01.25 Monday
  • 07:19
平成28年1月10日(日)、高知県香美市(旧物部村) 
戦後開拓集落 上岡(かみおか)への旅。
尾根筋の集落跡には、軽トラなら今でも通れそうな幅がある道があり、
道は分校跡から左右(東西)に続いている。

東の道を行ってみると、放牧場の名残りの
餌場と思われるコンクリの施設が見当たった。
「この道はどこに通じているのだろう」と、大原さんは興味深げなのだが、
先に行きすぎると、日暮れまでに山を降りれない可能性が出てくるので、
分校跡から500mぐらいで引き返した。



画像1 : 上岡集落跡の道(1)
スギ林の間を縫って、軽トラなら通れそうな道が続いている。



画像2 : 上岡集落跡の道(2)
「山火注意」の看板とボトル型の水槽が見当たった。
背後の屋根は分校跡の建物である。



画像3 : 餌場と思われるコンクリの施設 
他にコンクリ造りの水槽も見当たった。

(2016年 1月10日(日)午後2時頃)

高知県香美市(旧物部村) 上岡(その2)

  • 2016.01.23 Saturday
  • 07:52
平成28年1月10日(日)、高知県香美市(旧物部村) 
戦後開拓集落 上岡(かみおか)への旅。
分校跡の建物の左隅には、昨年3月に中津尾分校跡で見たのと同じ形の
小さな学校跡の石碑が見当たった。
建物は何かしら管理されているようで、中は整然としていた。
左側から入って、通り抜ける形で右側から出た。
平地には電柱が建っていたが、上岡まで電気が通じていたとは考えられない。
「自家発電がなされていたんだろうなあ」と、大原さんと話をした。



画像1 : 上岡分校跡の校舎(3)
建物の左隅、学校跡の石碑はごく小さいものだが、
この碑のおかげで、存在感が際立つ。



画像2 : 上岡分校跡の校舎(4)
建物内部には、年代物のTVが置かれていた。
いつ頃まで見ることができたのだろうか。



画像3 : 上岡分校跡の校舎(5)
自家発電は、開拓集落があった頃からなされていたのだろうか。
分校が現役の頃は運動場だったはずなので、
この電柱は集落が移転してから建てられたのではないかと想像した。

(2016年 1月10日(日)午後1時40分頃)

高知県香美市(旧物部村) 上岡(その1)

  • 2016.01.22 Friday
  • 07:21
平成28年1月10日(日)、高知県香美市(旧物部村) 
戦後開拓集落 上岡(かみおか)への旅。
歩き始めて2時間強、けもの道に入ってからでも40分強、
ようやく傾斜がゆるんで、石垣が目の前にそびえ、上岡に到着した。

上岡は標高約820mの台地状の尾根の上にあり、
昭和37年1月に無住化し、跡地には村によって牛の放牧場が作られた。
しかし、放牧場は昭和48年頃に廃止となって、跡地にはスギが植えられた。

石垣から、ゆるい坂を進んでいくと、行く手に建物が見つかった。
これこそが、目指してきた上岡分校跡の校舎だ。



画像1 : 上岡・集落跡の石垣
おきのくにさんからいただいた資料(航空写真)によると
この石垣は家屋の跡らしい。

(2016年 1月10日(日)午後1時21分頃) 
※ 歩き始めたのは午前11時15分頃 



画像2 : 上岡分校跡の校舎(1)
これほど行きづらい場所の学校跡は、
ふつう、何かの痕跡が見つかれば上出来である。
それが校舎が残っているというのだから、驚くべきことである。 



画像3 : 上岡分校跡の校舎(2)
無住化から54年。
校舎は「違う建物ではないか」と思わせるほど
しっかりとした姿で建っていた。

(同 午後1時26分頃) 

上岡への道(その5)

  • 2016.01.21 Thursday
  • 07:20
平成28年1月10日(日)、高知県香美市(旧物部村)
戦後開拓集落 上岡(かみおか)への旅。
川之瀬谷からの登り口の標高は480mに対し、上岡は825m。
標高差は345mもある(距離は1kmほど)。

「30分あれば登れるのではないか」という思惑だったが、
30分登っても、まだまだけもの道が続いている。
斜度が大きいため、スピードが出ないのだ。
冬の山歩きだが、私も大原さんも暑さのため汗をかいた。



画像1 : 上岡へ続くけもの道(1)
川之瀬谷に近い場所にて。
長靴は、リュックに入れて背負って歩いた。

(2016年 1月10日(日)午後12時35分頃) 
※ 歩き始めたのは午前11時15分頃 



画像2 : 上岡へ続くけもの道(2)
ほぼ中間地点にて。
ガレ場では、少々危うい感じがした。

(同 午後12時50分頃) 



画像3 : 上岡へ続くけもの道(3)
上岡に近い場所にて。
斜度はどれぐらいあるのだろう。
分度器があったら、すぐにはかるのだが・・・

(同 午後1時12分頃) 

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