「コミックマーケット89」に出展しました!

  • 2015.12.31 Thursday
  • 10:04
「廃村と過疎の風景」第1集〜第8集,出展しました。
いや〜,冬のコミケも体力と気力が問われますね〜(^_^;)

国際展示場駅から会場までは,いつもよりも一本早い電車に乗ったからか混雑が激しかったです。
その代わりか,終わりもいつもより早く,終了時(夕方4時)には並びのサークルはずべて店じまいしていました(^^;)

鉄道・旅行・メカミリから歴史・創作(文芸・小説)へのジャンル替えの成果は,まずまずだったでしょうか。
廃系のなじみのサークルまで足が運べななかったのは残念でした。

平成27年もあとわずかになりました。
よいお年をお迎えうださい。 >みなさま



画像1:開始前の出展ブロック
お隣は「文芸サークル葡萄」という初出展の純文学サークルでした
(2015年12月30日(水)午前9時15分頃)



画像2:終了1時間前の出展ブロック
向かいの並びのブロックから、パンダさんが来てくれました(^_^)
(同 午後3時頃)

コミケ89、明日出展です

  • 2015.12.29 Tuesday
  • 20:57
「廃村と過疎の風景」第1集〜第8集、出展します(^_^;) 
  *「全県踏破への道」(第7集・第8集)がメインです。 
  *第1集〜第3集は、少部数です。 

日時 2015年12月30日(水)10時〜16時 

場所 東京ビックサイト(東5ホール“マ”ブロック−34b) 
   サークル名:HEYANEKO 

  *「コミケ89」(3日間開催)の2日目です。 
  *出展するブロックのジャンルは、歴史・創作(文芸・小説)です。 
    ※ 鉄道・旅行・メカミリからジャンルを変更しました。 
  *出展するブロックの出展者数は250サークル(全35,000サークル中)です。 

2015年8月の 「コミケ88」に続く、同人誌即売会出展です。 
第7集・第8集(全県踏破への道)は、 
インデザインで編集した旅行記を主としています。 

興味をおもちの方、コミケに出かける予定がある方は、 
是非お立ち寄りください。

手元からバイクがなくなった2015年

  • 2015.12.26 Saturday
  • 06:57
2015年もあとわずか。1年を振り返ると、
「手元からバイクがなくなった」という出来事があることに気がついた。
2月下旬のことである。
1984年11月から継続して所有していたから、
31年の歴史にピリオドを打ったわけだが
なぜかあまり印象深くない。

1990年8月から2014年3月まで、24年乗ったBAJAを昨年手放して、
「バイクは終わった」と思ったからだろうか。
その後、妻と共有になったSLでは、ツーリングに行くことはなく、
5月に浦和から1時間ほどの松伏町まで走ったぐらいだった。
秋にはバッテリーが上がって、
バイク屋に売りに行くときは、妻と一緒に押していった。

私も50代になり、体力や動体視力は落ちてきた。
バイクをこだわりなく下りることができたのは、
「やりたいことをやれた」からなのだろう。
あと、大きな事故はなく下りることができて、本当によかった。



画像1:24年乗ったBAJA
手放す当日、さいたま市見沼田んぼにて

(2014年 3月16日(日)午後3時頃)



画像2:妻が10年乗って、私がちょっと乗ったSL
浦和−松伏間のセイコーマート前にて

(2014年 5月31日(土)午後3時30分頃)

秋田県男鹿市(旧若美町) 申川

  • 2015.12.25 Friday
  • 07:13
申川(さるかわ)は、男鹿半島の付け根あたり、今回めぐった秋田県66か所の廃村の中で唯一海辺にある。「秋田・消えた村の記録」には「申川の住民は漁業で暮らしていた」と記されているが、現在、海辺に漁業施設は皆無である。
菅江真澄ゆかりの日吉神社の拝殿は、萱ぶき屋根のしっかりしたものだった。拝殿のかたわらには、小さな仏様の像が見当たった。

海辺の申川は風が強いことが想像されるが、耕された田んぼが見られた。人工林が見られなかったのも66か所の廃村の中で唯一である。斜面は草に覆われており、木はまばらにしか生えていなかった。
北側約1kmには、石油資源開発(株)の申川鉱場がある。油井は柵で囲われていて、「立入禁止」「火気厳禁」の看板があった。



画像1:萱ぶき屋根の日吉神社の拝殿



画像2:海辺の耕された田んぼ



画像3:申川鉱場(申川油田)の油井

(2015年10月12日(月)午後1時30分頃)


 

ああ、保滝沢冬季分校

  • 2015.12.18 Friday
  • 07:12
平成27年10月31日(土)、秋田県廃村調査第3陣の1日目、
旧田代町杉の沢に続いて、
2月にも出かけた戸数2戸の過疎集落 保滝沢(ほたきざわ)に立ち寄った。
正確に言うと、保滝沢冬季分校跡地にのみ立ち寄った。

山田小学校保滝沢冬季分校は,へき地等級1級,児童数14名(S.34),
昭和29年開校,昭和45年閉校。
2月に探索したときは、雪景色の中、
農業用倉庫として残る冬季分校跡の校舎が残っていた。
見つけてから接近するまで1時間以上かかったことを思い出す。

時間がない中なので、すぐそばまでクルマでアプローチした。
目印の赤い鳥居の前を通過しても、それらしいものは見当たらない。
赤い鳥居のそばにクルマを停めて、
「確かこのあたりだったはず」という場所まで歩いた。
どうやら、分校跡校舎はこの8か月の間に取り壊されたらしく、
現地には建物の基礎すら残っていなかった。



画像1 : 保滝沢冬季分校跡の校舎 
保存状態は悪くはなく、「農業用倉庫として活用されているからだろう」と思った。
校舎の右側に、赤い鳥居が小さく写っている。

(2015年 2月 7日(土)午前11時20分頃) 



画像2 : 保滝沢冬季分校跡地
ここが「分校跡地」ということは、往時を知る方以外わからないことだろう。
意識はしなかったのだが、画像の右端に赤い鳥居が小さく写っている。

(2015年10月31日(土)午後1時45分頃)

近畿大学 大学通り

  • 2015.12.11 Friday
  • 07:31
平成27年12月5日(土)、大学関係の同窓会があって、
3年ぶりぐらいに、母校 東大阪市の近畿大学へ出かけた。

近大は、マグロ養殖の成功と、志願者数日本一が追い風になって、
間々、雑誌や書籍で取り上げられていることがわかった。
しかし、訪ねた当日は大学の推薦入試があって、
大学通りは閑散としていた。

「キッチンカロリー」「ポロトコタン」「てらまえ」「いと美」
といった、学生時代に通った食事処が
今も営業中というのは、卒業生としては嬉しいことだ。
今度出かけたときは、どこかに足を運びたいものだと思った。



画像1:近畿大学 大学通り(西門まで約200m地点)
卒業は昭和59年、修士修了は昭和61年だったから、
修了からでも29年経ったことになる。
#その後、附属高校講師で平成2年まで通ったから、
#これをカウントすると25年。



画像2:近畿大学 大学通り(西門まで約50m地点)
赤煉瓦風タイルの凱旋門(西門)は、
私が附属高校に通っていた頃(昭和54年頃)完成した。



画像3:西門前の食事処「キッチンカロリー」
私が大学の頃、すでにまわりの建物と比べて古くさかった。
今も営業中というのは、感動的だ。
今度出かけたときは、「ガチャ鉄板焼き」を食しよう。

(2015年12月5日(土)午後4時20分頃)

2015年12月、月例更新のお知らせ

  • 2015.12.04 Friday
  • 07:29
昨夜(12/3(木))、「HEYANEKOのホームページ」の
「500か所超えへの道」の旅行記、岐阜・石川以南 No.19
「北九州 雨のダム系廃村めぐり」
〜 佐賀県吉野ヶ里町大川内,福岡県那珂川町五ケ山,宮若市犬鳴
をアップしました。 
「旅心のページ」トップでは、No.19 佐賀・福岡編 と記しています。 

5月中旬、大阪出張の流れを使って出かけました。
宿泊は福岡と長崎。
前夜は福岡屋台に行ったり、翌日は軍艦島上陸観光に行ったりしました。
クルマは新鳥栖駅で借りましたが、九州新幹線には乗らず、
西鉄天神大牟田線−JR鹿児島本線−長崎本線と
ローカル電車を乗り継いで出かけました。



画像1:五ケ山小学校跡の碑(裏面)
学校跡は、柵で囲われた樹木畑になっていて、
中には立ち入れませんでした。



画像2:五ケ山小学校跡の碑(表面)
回り込むと「五ケ山小学校跡地」と刻まれた表面を
かろうじて確認することができました。



画像3:五ケ山小学校跡、動物のオブジェ
小学校の閉校は昭和41年。
いろいろなものが残っていたのは意外でした。

(2015年5月18日(月)午前11時30分頃)

尾久駅

  • 2015.12.03 Thursday
  • 07:25
平成27年11月30日(月)、久しぶりに気まぐれな散歩ができたので、
前々から気になっていた尾久(おく)駅とその近辺に、初めて足を運んだ。

3月に上野東京ラインが開業して、浦和−横浜が、上野・東京経由、中距離電車で
行けるようになった。
浦和−横浜間の駅は全7駅(赤羽・尾久・上野・東京・新橋・品川・川崎)。
尾久駅には、幕内の番付に幕下の力士が紛れているような、一種の違和感があるが、
上野東京ラインの開業で、さらにその色合いが増した。

利便性を考えたら、これから大きく変わっても何の不思議もない尾久だが、
足を運んでみると、すぐそばまで来ても駅の気配がしない住宅街が続いていた。



画像1:尾久駅(遠景)
ただ降りるだけではつまならいので、
都電の荒川遊園前電停から、地図を持たずに歩いて目指した。



画像2:尾久駅
駅前には、線路に並行して明治通りが通っている。
駅の背には大きな鉄道の車両基地となっている。

(2015年11月30日(土)午後4時50分頃)

八郎潟駅

  • 2015.12.02 Wednesday
  • 07:10
平成27年10月8日(金)、秋田県の廃村調査第2陣の1日目、
第2陣・最初2か所のポイント(五城目町下北口、滝ノ下)に足を運んだ後、
札幌から参戦の成瀬健太さんと八郎潟駅で待ち合わせた。

八郎潟干拓地・大潟村の最寄駅、八郎潟町の中心駅で、特急が停まる。
大きな駅ではないが、駅前にはまずまずの活気がある。
すぐそばに、コミュニティセンターを兼ねた八郎潟町立図書館があって、
成瀬さんは、翌日訪ねる予定の藤里町の廃校廃村について、
ここで調べ物をしながら待っていた。
滝ノ下の神社探しに時間がかかり、「待たせたかな」と思ったが、
時間を有効に使える場があったのは、ありがたいことだった。



画像1:八郎潟駅駅舎
日暮れが近い時間の東向きの駅舎は、夕陽を浴びていた。
昭和44年に改築されたもので、その時代の匂いがある。
画一的でない(多様性がある)のは、駅舎のよいところだ。



画像2:八郎潟町立図書館とゆるキャラ「ニャンパチ」像
この5年以内に整備されたことが想像される。
ゆるキャラ像は、
平成20年代の空気を後世に伝える存在になるのだろうか。

(2015年10月8日(土)午後4時45分頃)

立木ロス

  • 2015.12.01 Tuesday
  • 07:30
平成27年11月21日(土)、家のガーデンの裏にあった立木が切られた。
マンションの部屋は7階、立木は3階の高さにあって、
その差を埋め合わせる、大きな木だった。

樹を切るのは簡単だが、元に戻すことはできない。
マンションの一住民の私は、ラティスを増やすことぐらいしかできなかった。



画像1:ガーデンの風景(1)
紅葉したコキアと立木(クスノキなのかな?)が
よい遠近感を醸し出している。

(2015年10月15日(木)午前7時40分頃) 



画像2:ガーデンの風景(2)
枯れたコキアと頼りない立木。
前日、半分切られた後なのでしかたがないが、
「最期を見届けることができてよかった」としかいいようがない。

(2015年11月21日(土)午前9時頃) 



画像3:ガーデンの風景(3)
コキアの後にはビオラを植えた。
ラティスが立木の穴埋めをできるわけはないが、
これで何とかなじむしかない。

(2015年11月29日(日)午前9時頃) 

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