男鹿駅

  • 2015.11.30 Monday
  • 07:19
平成27年10月11日(月祝)、秋田県の廃村調査第2陣の4日目、 
第2陣・20か所のポイントをすべて訪問したあと、
時間が余ったので、指定席券を早い時間の新幹線に替えるため、男鹿駅に立ち寄った。

この日は旅日和(土・日・月祝)の3日目、上りのこまちに空席は薄く、
夕方6時16分の便が5時40分に繰り上がっただけだったが、
少しでも早く家に帰ることができるのはありがたかった。
余った時間は、寒風山に登ることで消化した。

このところ、鉄道+レンタカーの旅が主となったこともあって、
立ち寄った駅舎の画像を積極的に撮るようになってきた。
駅は町の玄関口。「どんな町なのか」と、駅前で想像するのはなかなか楽しい。



画像1:男鹿駅舎
秋田−男鹿間には15往復のローカル気動車が走るが、
駅舎には、利用客の気配はなかった。
駅前で想像するには、男鹿市街は空洞化が進んでいるようだった。
後の調べで、男鹿市の人口は3万人を切ったことを知った。



画像2:駅舎入口右側のなまはげ像
画像を見直していて、
入口の右側になまはげ像があることに気がついた。
平成24年秋(3年前)に駅舎の外装が改装され、
そのときに設置されたらしい。

(2015年10月11日(月祝)午後2時20分頃)

秋田駅

  • 2015.11.28 Saturday
  • 07:13
平成27年10月8日(金)、秋田県の廃村調査第2陣の1日目、 
クルマは秋田駅東口のレンタカー店で借りた。

秋田駅の表側は西口で、裏側の東口はとても地味だ。
レンタカー店を使う旅をしていると、裏側めぐりをすることになる。
ある意味、とても面白い。



画像 秋田駅東口
新しいビルで、個性はない。
いかにも平成生まれの新幹線の駅という感じである。

(2015年10月8日(金)午前10時30分頃)

早口駅

  • 2015.11.27 Friday
  • 07:23
平成27年11月3日(火)、秋田県の廃村調査第3陣の4日目(最終日)、 
62か所のポイントをすべて訪問したあと、
鷹巣市街のレンタカー店にクルマを返しに行く途中、
大館−鷹ノ巣間にある早口(はやぐち)駅で一服した。

1日目、大館で借りたクルマが早口川流域の廃村 深沢(ふかさわ)で動きが取れなくなり、
しかたなくロードサービス関係の方に送っていただき、
急きょその後のことを考えた、思い出深い駅である。
林先生がトイレに行っている間、私はひとり青空を背にした早口駅駅舎を見ながら、
このミッションの成功をしみじみと味わった。



画像1 早口駅駅舎 
所在地の旧田代町は、平成の大合併で大館市となった。
駅や旧町役場、いくつかの店があるバス通りは閑散としている。



画像2 早口駅駅舎(少しだけ遠景) 
1日10往復の普通・快速列車が停まるが、特急は停まらない。
ほぼ通学の高校生専用の駅となっているようで、
タクシーも停まっていなかった。
駅舎の左側に停まっている空色のクルマは、
鷹巣で借りたトヨタの軽 ピクシススペース。
トヨタに軽があるのは、急きょ借りることになるまで知らなかった。

(2015年11月3日(火)午後2時20分頃)

大館駅

  • 2015.11.26 Thursday
  • 06:52
平成27年10月31日(土)、秋田県の廃村調査第3陣の1日目、 
予定より約1時間遅れの午後12時4分、
普通列車はクルマを借りる大館駅に到着した。

地上に改札がある昭和な雰囲気の駅は、「ふるさとの駅」という感じがする。
ただ、弘前とは異なり、駅前に賑わいは感じられない。
市街地のはずれにある駅は、時代から取り残されているようにも見える。
駅前レンタカー店の向かいにある建物は、
明かりが灯っていながら、半壊状態にあった。



画像1 大館駅駅舎
大館は忠犬ハチ公の生まれ故郷。
駅前の茂みには、ハチ公の像がある。



画像2 大館駅駅舎(遠景)
このように、駅の周囲は広々としている。
10年ぐらい経ったら、再開発で大きく変貌しているのかもしれない。

(2015年10月31日(土)午後12時10分頃)

弘前駅

  • 2015.11.25 Wednesday
  • 07:06
平成27年10月31日(土)、秋田県の廃村調査第3陣の1日目、 
前日の大阪での父の告別式から1200km以上陸路で動き、
新青森駅を経由して、朝10時24分、弘前駅に到着した。

都会のような雰囲気の駅は、奥羽本線(在来線)の駅としては珍しい。
少し離れて、大きな駅舎を見ながら、
「時代が変わっても、どこか重い感じの空は同じなんだろうなあ」と思った。



画像1 弘前駅西口から駅舎を臨む
「新しい」と思った駅舎の完成は平成16年だった。
駅ビル横には「アプリーズ」という商業施設がある。



画像2 弘前駅東口から駅舎を臨む 
西口と違って閑散としている。
黒石へと向かう弘南鉄道の弘前駅がある。



画像3 「ようこそ青森へ」の案内板
弘前駅東口で見かけた。
ひょんな途中下車で立ち寄っただけなのだが。

(2015年10月31日(土)午前11時頃)

秋田県北秋田市(旧阿仁町) 鍵ノ滝

  • 2015.11.24 Tuesday
  • 06:57
平成27年11月1日(日)、秋田県の廃村調査第3陣の2日目、 
旧阿仁町鍵ノ滝(かぎのたき)も平成27年2月以来 9か月ぶりの再訪。 
櫃畑、鍵ノ滝と風流な名前の廃村が続く。

鍵ノ滝の最盛期の戸数は5戸、移転は昭和46年。 
阿仁スキー場は、鍵ノ滝の地内にある。
#スキー場の最寄り集落跡は、高津森(たかつもり、戦後開拓集落)。
櫃畑と比べると、鍵ノ滝には若干集落跡の気配があって、
「消えた村」にも載っている往時からの家屋が1軒、
あと、崩れた家跡が1〜2軒、道沿いに残っていた。

なお、鍵ノ滝は、秋田県の廃村調査全66か所(オプション含む)の中で
唯一大字の名称で、「角川日本地名大辞典」にもその名は載っている。



画像1 鍵ノ滝橋の看板(1) 
鍵ノ滝集落跡中心部は橋から約600m先にある。 
「かつて集落があった」ことを知っている者としては、 
「ここに集落があった」という誤解が生じることがやや心配である。 



画像2 鍵ノ滝橋の看板(2) 
広々とした二車線の道路が通じる鍵ノ滝には
かつての不便さがあまり感じられない。



画像3 「消えた村」にも載っている往時からの家屋
この家屋の近辺に、かつて分校があった。
阿仁合小学校鍵ノ滝分校は、へき地等級4級、児童数10名(S.34)、
昭和26年開校、昭和44年閉校。
分校跡は、道路となったのだろうか。
跡地記念碑が欲しいところである。

(2015年11月1日(日)午後4時30分頃)

秋田県北秋田市(旧阿仁町) 櫃畑

  • 2015.11.23 Monday
  • 07:17
平成27年11月1日(日)、秋田県の廃校調査第3陣の2日目、
旧阿仁町櫃畑(ひつはた)は平成27年2月以来 9か月ぶりの再訪だった。

櫃畑の最盛期の戸数は5戸、移転は昭和46年。
阿仁スキー場に通じる道は広くて走りやすい。
しかし雪の中と同じく、秋にも集落跡に存在感はなく、
往時を偲べるものは「櫃畑橋」というふりがなが入った看板だけだった。



画像1 櫃畑橋の看板(1)
集落跡中心部は、橋のすぐそばにある。
「かつて集落があった」ことを知っている者には、
離村記念碑的な役割をしているといえる。



画像2 櫃畑橋の看板(2)
脇に集落跡由来の碑か看板を建てると
さらによいのではないかと思った。



画像3 集落跡中心部の三差路
枝道の入口には「立入禁止」の看板とロープが施されていた。
周囲は、ほぼ人工林となっている。

(2015年11月1日(日)午後4時頃)

岩野目駅と大平

  • 2015.11.21 Saturday
  • 07:30
平成27年11月1日(日)、秋田県の廃村調査第3陣の2日目、
旧阿仁町大平(おおだいら)は、秋田内陸線岩野目駅から1km弱の距離にある。
二万五千図(阿仁合、1974・2007)の橋をあてに訪ねてみたが、
踏切の先は藪になっており、その先には進めなかった。

大平の最盛期の戸数は8戸、移転は昭和48年。
上流約3kmの橋まで回り込んで訪ねた大平集落跡には、
建物関係と見られるブロック造の低い壁が見当たった。
耕作放棄地には、スギの木が侵入して、のびのびと成長していた。



画像1 岩野目駅
無人駅で駅前には作業小屋しかないが、一日10往復の列車が停まる。
ホームの先にある踏切が、大平へ通じる道である。



画像2 岩野目駅前踏切
往時は軽四輪が渡れたことがわかる。
「秋田・消えた村の記録」には「橋がないので・・・」と記されているが、
2015年の住宅地図を調べたら、道と橋が記されていた。



画像3 大平の耕作放棄地に生えるスギの木
秋田県の公式ゆるキャラ「スギッチ」とよく似ている。

(2015年11月1日(日)午後2時10分頃、3時頃)

オバマまんじゅう

  • 2015.11.20 Friday
  • 07:14
平成27年11月16日(月)、福井県若狭の廃村めぐり、
敦賀までの帰り道、小浜市街で国道からはずれ、
道の駅に立ち寄り、「オバマまんじゅう」を土産に買った。
あまり甘くない、品の良い味だった。

八重山のオバアで名を馳せた小浜島は「こはまじま」。
小浜市は「おばまし」。
なかなか読みづらい市の名前を、わかりやすくアピールした
このまんじゅうの功績は大きいのではないだろうか。



画像1 オバマまんじゅうのチラシ
箱の中に入っていた。
市内の老舗和菓子店が作っている。



画像2 オバマまんじゅう
顔のものと、頭の後姿のものがある。
オバマ大統領もあと1年だ。

(2015年11月19日(木)午後9時30分頃)

永谷のすべり台とブランコ

  • 2015.11.19 Thursday
  • 07:15
平成27年11月16日(月)、福井県若狭の廃村めぐり、
この日3番目に訪ねたおおい町(旧名田庄村)永谷(ながたに)には、
すべり台とブランコが残されていた。

永谷の往時の戸数は9戸、移転は昭和60年頃、
学校は、手前2kmほどの集落 出合(であい)にあった。
「関電の電発に反対」という朱書きの掲示から、
揚水発電所の建設計画が、離村につながったことが伺えた。

帰り道、国道162号沿い(小浜市深野あたり)に
新しいすべり台とブランコが見当たりました。
「昔、永谷のすべり台とブランコは、こんな感じだったのかな」
と思い、写真を撮るためクルマを停めた。



画像1 永谷のすべり台
太鼓橋が併設されている本格的なものだ。
名田庄村が公園を整備して施設したのだそうか。



画像2 深野のすべり台とブランコ
灯籠があるから、神社の一角のようだが、
短時間で見る限りでは神社は見当たらなかった。



画像3 永谷のブランコ
出合小学校(名田庄小学校出合分校)の休校は昭和53年。
この集落に子供がいたのは、休校の頃までだったのだろうか。

(2015年11月1日(日)午後1時30分頃、午後3時頃)

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