嵐のような日々

  • 2015.10.31 Saturday
  • 06:02
平穏に過ぎる一日のありがたさがしみじみ感じられる。



画像:晴れた秋の日のガーデン 
ふとんを干すと、画像が白っぽくなるらしいことが
半月前のものと比べるとわかった。

(2015年10月24日(土)午前10時25分頃) 

上大沢の冬と秋(その2)

  • 2015.10.27 Tuesday
  • 05:43



画像1 上大沢の神社の鳥居(冬)
鳥居から本殿に向かって踏み跡があった。
紅赤は雪の中でも引き立つ色のようである。

(2015年 2月 8日(日)午前8時40分頃)



画像2 上大沢の神社の鳥居(秋)
冬はモノトーンだった神社の鳥居は、
緑と黄葉・紅葉に包まれていた。

(2015年10月11日(日)午前8時30分頃)

*上大沢:秋田県北秋田市(旧鷹巣町)の廃村
最盛期の戸数 8戸、離村年 昭和47年

上大沢の冬と秋

  • 2015.10.26 Monday
  • 06:48
今年は、廃村の調査でたびたび秋田県を訪ねている。
秋田県北・旧鷹巣町の上大沢と小摩当は、冬と秋に訪ねたので、
定点観測をしてみたい。



画像1 上大沢の離村記念碑(冬)
初めて訪ねた上大沢、雪は集落跡まで除雪されていた。
「上大沢集落之跡」と刻まれた離村記念碑は、
半分雪に埋もれながらもはっきりそこにあることがわかった。

(2015年 2月 8日(日)午前8時40分頃)



画像2 上大沢の離村記念碑(秋)
2月以来8か月ぶりの訪問。
前回は雪景色だったが、今回は穏やかな秋の風景の中、
「上大沢集落之跡」と刻まれた離村記念碑が建っていた。

(2015年10月11日(日)午前8時30分頃)

*上大沢:秋田県北秋田市(旧鷹巣町)の廃村
最盛期の戸数 8戸、離村年 昭和47年

ひっとべ

  • 2015.10.24 Saturday
  • 11:12
平成27年7月14日(火)、鹿児島県の廃校廃村への旅、
天文館からは鹿児島中央駅前まで歩き、リムジンバスで鹿児島空港へと向かった。

この3年の間に4回足を運んだ鹿児島県だが、
鹿児島空港にはゴールのイメージがあって、帰路ばかり3回使っている。
夜の便を使うとき、「大空食堂」で軽く一杯のひとときは定番になりそうだ。

今度はいつ足を運ぶことができるのだろう。
できれば、3泊4日ぐらいの日程で出かけたいものだ。



画像1:甲突川・南洲橋から見えた桜島
橋は鹿児島中央駅からは500m、
天文館公園からは800mほどの距離にある。
次回鹿児島を訪ねるときも、ここから桜島を見ることだろう。

(2015年7月14日(火)午後6時45分頃)



画像2:「大空食堂」のメニュー
ひっとべとは
「泣こかい 翔ぼかい 泣こよか ひっ翔べ」
あれこれ考えずに、思い切って、行動してみること!

「面白い方言だなあ・・・」と思って、カメラに収めた

(2015年7月14日(火)午後8時頃)

天文館・居酒屋「柿の実」

  • 2015.10.23 Friday
  • 07:18
平成27年7月14日(火)、鹿児島県の廃校廃村への旅、
天文館電停からは、この旅最後の目的地の居酒屋「柿の実」へと向かった。

「柿の実」のママ 酒元ひろこさんは、錦江湾に浮かぶ小さな離島
新島(しんじま)の出身。
私は「高度過疎の島」新島に、平成25年4月に訪ねている。
その4か月後の平成25年8月、「新島は全住民が島外へ移住した」との旨、
南日本新聞の報道があった。
無人島となってから、島出身者の方による「新島再生プロジェクト」が始まった
と、鹿児島県在住の友人が教えてくれた。
再生プロジェクトを進める島出身者の方=「柿の実」のママなのだ。

「柿の実」では、ママと妹さんが待っていてくれた。
お酒を飲みながら、私は新島の旅行記が載っている冊子
「廃村と過疎の風景(8)」を紹介した。
ママは、新島の今の様子をタブレットで紹介してくれた。
酔いが回ってくるうちに
「桜島を見ておきたい!」と思い付き、ママに尋ねると
「港まで行くと、きれいに見えるよ」と教えてくれた。

お店に戻ってから、私は「再生プロジェクト」の募金に一口のって、
森進一の「港町ブルース」を唄って、お店を後にした。
福山(広島)から始まって、柳平(岡山)、四ツ山(熊本)、
本之牟礼(鹿児島)と続いた、1泊2日の長い旅、
締めくくるには最高のひとときだった。



画像1:「柿の実」の看板
お店はビルの2階にあって、なかなか見つけにくかった。

(2015年7月14日(火)午後6時頃)



画像2:正面に桜島がある新島の港の風景
島は再生プロジェクトできれいになった様子だが、
「天日干しのヒジキは、もう見れないんだろうなあ・・・」
と思うと、何ともいとおしい。

(2013年4月1日(月)午後1時50分頃)

天文館の電停

  • 2015.10.22 Thursday
  • 07:08
平成27年7月14日(火)、鹿児島県の廃校廃村への旅、
川内駅から乗ったJR在来線(鹿児島本線)の電車は、
定刻通り、終点の鹿児島中央駅に着いた。
荒尾からの行程、熊本−新水俣間は新幹線になったが、
新水俣−薩摩大川−鹿児島中央間は、初めての在来線で乗り通した。

鹿児島中央からは、路面電車に乗って
市内一番の繁華街 天文館(てんもんかん)に向かった。
私が鹿児島県を訪ねるのはこれで5回目。
平成6年8月、平成25年3〜4月、8月、平成26年5月、今回だから、
近年、3年連続で訪ねているが、
天文館に足を運ぶのは今回が初めてのことだ。



画像 天文館の電停
路面が緑化の芝で覆われているのが印象的。
suikaで降りようとしたが、
「お客さん、それは使えませんよ」とのことだった。

(2015年7月14日(火)午後4時25分頃)

川内駅

  • 2015.10.21 Wednesday
  • 07:08
平成27年7月14日(火)、鹿児島県の廃校廃村への旅、
薩摩大川駅から乗った肥薩おれんじ鉄道の気動車は、
終点の川内(せんだい)駅に着いた。
川内からは、鹿児島中央行きのJR在来線に乗り継いだ。

川内駅のホームには、「御神禮」と記された
神社風のモニュメントがあったが、
何を示すものなのかはわからなかった。

対面の今は使われていないと思われるホームの壁には
古びた時刻表が残っていた。
「西鹿児島方面」は、時刻表の愛読者にはなつかしい字面だ。
九州新幹線が開業したのは平成16年3月のことだから、
西鹿児島駅がなくなって、かれこれ12年目になる。



画像1 川内駅、「御神禮」のモニュメントが建つホーム
CT817系は、九州の旅でなじみの電車になった。



画像2 川内駅、「西鹿児島方面」の文字が残る古い時刻表
これもモニュメントなのであろうか。

(2015年7月14日(火)午後3時15分頃)

甑島

  • 2015.10.20 Tuesday
  • 07:02
平成27年7月14日(火)、鹿児島県の廃校廃村への旅、
薩摩大川駅近くの道の駅 阿久根で昼食休みをとっていると
東シナ海に浮かぶ甑島(こしきしま)の島影が見えた。

直線距離だと道の駅と上甑島は約25km。
細長く浮かぶ島影に、甑島の規模の大きさを感じた。



(2015年7月14日(火)午後1時40分頃)

鹿児島県阿久根市 落

  • 2015.10.19 Monday
  • 06:37
平成27年7月14日(火)、鹿児島県の廃校廃村への旅、
本之牟礼(ほんのむれ)馬頭観音公園から薩摩大川駅までの帰り道、
私の希望もあって、花木さんは
落(おとし)という過疎集落(限界集落)に立ち寄ってくれた。

落は平家の落人伝説がある集落で、
その規模は13戸19名(男性6名、女性13名、H.27)、
阿久根市の集落では最小規模だ。
いちばんの若手は70代。
長年自治会長をされてきた方は、早く引退したいが
成り手がいないので、何とか続けているという。

行政は集落の見回りなどをして、できるだけの支援をしている。
そして、住まれる方はみな、
「元気なうちは落に住み続けたい」と言っているとのことだ。



画像1:落、神社(落平神社)の鳥居
錆びた遊具が、昔、子供がいたことを物語る。



画像2:落、家屋に続く切り通りの道
石垣、岩肌、路面と、一つひとつに歴史が感じられる。



画像3:落、古い家屋に貼られた「ヒザの水」の看板
屋根にコケが生えるのは、南国の特徴のようだ。

(2015年7月14日(火)午後12時45分頃)

JUGEMテーマ:ふるさと

秋田県藤里町 太良

  • 2015.10.17 Saturday
  • 10:14
平成27年10月10日(土)、秋田県の廃村調査の道中、
すぐそばまで来たので、太良(だいら)という鉱山の跡地に立ち寄った。

太良鉱山は、少なくても江戸期からの歴史をもち、
鉛、亜鉛、銅など生産された。
明治以降は古河財閥の鉱山となり、
全盛期(明治後期)には約1千名が住む鉱山町があった。
戦後、昭和33年8月、洪水のため輸送手段の森林鉄道が壊滅的な被害を受け、
鉱山は休山、やがて閉山となった。

金沢小学校太良分校は、へき地等級4級、
児童数81名(S.34),明治14年開校,昭和36年閉校。
鉱山集落が消滅したのは、閉校年だと思われる。

鉱山跡、集落跡は、現在林業会社の作業場となっている。
「秋田・消えた分校の記録」によると
分校は鉱山集落のいちばん高所にあったという。
分校跡の探索はできなかったが、手入れされた山神社が残っていて、
精錬場跡の煙突を見ることができた。



画像1:精錬場跡の煙突(遠景その1)
雑木に囲まれて、高いレンガ造りの煙突がそびえる。



画像2:精錬場跡の煙突(遠景その2)
背景の山々は、世界遺産白神山地である。



画像3:精錬場跡の煙突(近景)
山神社とともに
「ここに鉱山があった」ことを後世に伝える
貴重な遺構といえる。

(2015年10月10日(土)午後12時50分頃)

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