2015年9月(2度目)、Web更新のお知らせ

  • 2015.09.30 Wednesday
  • 07:28
昨日、「HEYANEKOのホームページ」、9月2回目の更新を行いました。
更新を行ったのは、下記3つのリストです。
・「廃村 千選」 〜 編者が訪ねた「廃校廃村」
・HEYANEKOが訪ねた「廃村」リスト
・HEYANEKOが訪ねた「廃校廃村」リスト(中学校編) 

9/20(日)から23(水祝)まで、3泊4日で
秋田県(県南)に廃村調査に出かけました。
秋田と石川の追加で、「廃村千選」の累計訪問数は478か所(11か所増)、
「廃村」の累計訪問数は619か所(29か所増)、
「廃校廃村(中学校)」の累計訪問数は164か所(6か所増)
となりました。

旅行記の作成がたいへんそうですが、
のんびりとまとめていこうと思います。



画像1:秋田県羽後町の廃村 蟻坂(ありさか)の風景
最寄りの集落から2.5kmほど山中に入った廃村で
学校跡はありません(最盛期の戸数7戸)。
昭和60年に離村した集落跡は、緑に包まれており、
家屋は見当たりません。



画像2:蟻坂の神社の祠
神社は川の向こう側、地形図に記された場所にあり、
川に架かる橋は見当たりません。
「渡渉したいなあ」と思ったのですが、
調査のスケジュールを優先して、諦めました。



画像3:蟻坂の離村記念碑
表面には「蟻坂在住没者供養塔」、
裏面には「蟻坂閉村之碑」と刻まれています。
平成17年6月に元住民の方の手によって建立。
碑の前にはろうそくの明かりが灯っていました。

(2015年9月22日(火)午前10時頃) 

石川県の廃村に出かけました

  • 2015.09.29 Tuesday
  • 07:10
9/26(土)、石川県の廃村 金沢市堂、菊水に出かけてきました。 
ともに、内川ダム建設で生じた廃村ですが、
上流部の菊水は水没しておらず、往時からの家屋、新しい家屋が
多数建っていました。

北編と南編のどちらで取り上げるべきか迷いましたが、
石川県は南編(「廃村(10)」)としました。
#富山県は北編(「廃村(9)」)です。
#石川県と富山県の間で線を引きました。



画像1 内川小学校菊水分校跡の石碑
跡地は、菊水ポケットパークとして
整備されています。



画像2 菊水集落跡に残る往時からの家屋
萱葺き屋根にトタンがかぶせられたもので、
目を惹く存在感がありました。



画像3 不法投棄禁止等を記す警告看板
金沢市企業局、菊水郷友会、金沢中警察署の名前入りの
「警告 この地域一帯は水道水源地域につき,
ゴミ,空缶等の不法投棄を禁止します。
違反した場合,法律で処罰されます」と記された看板が
数多く立っていました。
不法投棄自体は見れらませんでした。

(2015年9月26日(土)午後1時30分頃)

JUGEMテーマ:ふるさと

肥薩おれんじ鉄道

  • 2015.09.25 Friday
  • 22:38
平成27年7月14日(火)、鹿児島県の廃校廃村への旅、
新水俣駅からは、肥薩おれんじ鉄道という三セク線に乗り換えて
この日訪ねる予定の廃村 本之牟礼(ほんのむれ)の最寄り駅である
薩摩大川駅をめざした。

おれんじ鉄道の車両はオレンジ色かと思いきや、
それは銀河鉄道999特別仕様のラッピングを施したものだった。
水俣駅を過ぎ、県境を越える1両編成の気動車の乗客は私ひとりだった。



画像1:肥薩おれんじ鉄道の気動車(その1)
側面は夜空が連想される藍色。
撮影地は新水俣駅。



画像2:肥薩おれんじ鉄道の気動車(その2)
左が標準的なカラーの気動車。
撮影地は出水(いずみ)駅。

(2015年7月14日(火)午前9時〜9時40分頃)

新水俣駅

  • 2015.09.25 Friday
  • 07:45
平成27年7月14日(火)、鹿児島県の廃校廃村への旅、
JR荒尾駅からは、ローカル電車で熊本駅に出て、
新幹線に乗り継ぎ、新水俣駅で下車した。

心配された雨は、熊本−新八代間で上がり、
幸いなことに、新水俣駅に着いた頃には青空が出てきた。



画像1 新水俣駅の駅名標
なぜかドリカムが迎えてくれた。



画像2 新水俣駅の駅舎
駅は平成16年、新幹線開業時に開設された。

(2015年7月14日(火)午前8時35分)

雨の荒尾駅

  • 2015.09.24 Thursday
  • 06:56
平成27年7月14日(火)、鹿児島県の廃校廃村への旅、
前日の宿は、熊本県荒尾市四ツ山の旅館「長崎屋」。
出発は朝5時半。夜半から強い雨が降っている。

JR荒尾駅まで行くバスはまだなく、
「出だしから覚悟がいるなあ・・・」と思いながら
雨の中ひたすら、駅へと続く道を歩いた。



画像1 雨の「長崎屋」
国道に面して食堂があって、旅館はその奥にある。
角打ち「かいせん」は、向かって左側の酒屋の奥にある。



画像2 雨の三池鉄道跡の鉄橋
市街地に、突如緑に包まれた鉄橋が現れる。



画像3 雨の荒尾駅
「長崎屋」から駅まではおよそ20分。
その道のりは、雨のおかげでしっかり記憶に残った。

(2015年7月14日(火)午前5時半〜6時頃)

角打ち「かいせん」

  • 2015.09.20 Sunday
  • 05:46
平成27年7月13日(月)、岡山県の廃校廃村への旅、
この日の宿、熊本県荒尾市四ツ山の旅館「長崎屋」は、
JR荒尾駅からバスで10分ほど、平成21年11月以来6年ぶり。

すぐそばの角打ち「かいせん」では、6年ぶりにママと常連の藤島さんと再会できた。
藤島さんからは「幽霊やないやろな」との声がかかった。
居合わせたお客さんとともに集合写真を撮ったのは,夜11時頃だった。



画像 角打ち「かいせん」にて
平成21年11月に訪ねたときの様子は、
冊子「廃村と過疎の風景(8)」のp.25に載せている。
お店には冊子を土産に持って行った。
炭鉱町があった頃の雰囲気を残す、とてもよいお店です。

(2015年7月13日(月)午後11時頃)


大牟田駅

  • 2015.09.19 Saturday
  • 08:31
平成27年7月13日(月)、岡山県の廃校廃村への旅、
JR福山駅には、予定よりもやや早い夕方4時50分に帰り着いた。

福山からは久留米まで「さくら」に乗って、
この日の宿泊地、熊本県荒尾市四ツ山を目指した。
途中、大牟田駅で10分ほど待ち時間があったので、
改札を通って、駅前の様子を見てみた。

大牟田といえば、三井三池炭鉱(平成9年閉山)。
大牟田や荒尾には「かつてあった大きな炭鉱町の雰囲気」が色濃く残る。
三池炭鉱関連資産が世界遺産に登録されて、
これからどのような展開があるのだろうか、興味深い。



画像1: 大牟田駅駅舎
昔ながらの平面駅の構内には、コンビニが入っていた。
福山発が早かったので、暗くなり切らないうちに到着できた。



画像2: 駅を背にしても見た大牟田市街
「祝 世界文化遺産 登録決定!! 三池炭鉱関連資産」
の看板がある。



画像3: 駅のホームにある「燃える石のふるさと」のオブジェ
ホームに堂々と石炭の原石が置かれているのは
素晴らしいことだ。

(2015年7月13日(月)午後7時35分頃)

学校食堂

  • 2015.09.18 Friday
  • 07:20
平成27年7月13日(月)、岡山県の廃校廃村への旅、
備中湖沿いの通行止め箇所からは、折り返して柳平、佐原目を通過すると、
カーナビは新成羽川ダムの堤体を渡るよう指示した。
こんなルートがあるとは思いもよらず。
おかげで、通行止めのダメージは小さくて済んだ。

県境を超えると、広島県神石高原町旧豊松村に出た。
「豊松村」なんて自治体があったのは、このとき初めて知った。

旧豊松村から、旧油木町の南はずれをかすめて、旧三和町に入った。
国道沿い、視界の右側に二階建ての古びた校舎が見える。
立ち寄ってみると、「学校食堂」という看板が出ていた。
どうも廃校の校舎が飲食店として再利用されているらしい。

入口の手前には、「井関小学校之跡」という碑があった。
後で調べると、井関小学校は、昭和59年閉校、 
へき地等級無級、児童数207名(S.34)だった。



画像1: 井関小学校跡入口から見た二階建て校舎
昭和30年代前半に建てられた古い校舎らしい。



画像2: 校舎の入口正面
何となくあやしげな雰囲気ともいえる。



画像3: 校舎の入口から中の様子を伺う
営業は午後3時までだった。
営業中だったら、コーヒーでも飲みたかったなあ・・・

(2015年7月13日(月)午後3時50分頃)

新成羽川ダム沿いの県道・「全面通行止」の看板

  • 2015.09.17 Thursday
  • 07:29
平成27年7月13日(月)、岡山県の廃校廃村への旅、
柳平から福山駅までは、新成羽川ダムに沿った県道を走って
広島県旧油木町を経由して帰る予定だった。

しかし、柳平からおよそ3km、橋を渡った三差路付近で
「全面通行止」の看板に出くわした。
>落石のため通行できません
とあるが、コーンにはクルマが通れる程度の空きがある。

クルマから降りて、「どうしようか」としばし考えたが、
時間のロスがあると困るので、撤退することにした。



画像: 新成羽川ダム沿いの県道・「全面通行止」の看板(その1)
県道名は「奈良備中線」とある。

(2015年7月13日(月)午後2時40分頃)

岡山県高梁市(旧備中町) 柳平(その3)

  • 2015.09.16 Wednesday
  • 06:40
平成27年7月13日(月)、岡山県の廃校廃村への旅、
目標の柳平(やなびら)では、およそ1時間探索した。

湖畔に建っている碑は、離村記念碑のような感じなのだが、
達筆すぎて、何を書いているのか、少々わかりづらい。

裏面を見ると、読みやすい字でしっかりした記述があった。

>昭和四十三年新成羽川ダムの建設の議起
>るや部落民は其の時代の流れに従い幾百
>年幾世代を経にし祖先墳墓の地を後に
>して各地に離散のやむなきに至ったのである
>思えば柳平部落は部落を挙げて一大
>家族の如く古い傳統を持ち分教場は其の
>文化の中心として理想郷を建設して居たのである
>今萬感の思をこめてここに記念の歌碑を
>建て郷里柳平の名を永遠に偲び伝えん
>とするものである

>昭和五十三年十一月吉日建立
>村上儀平治 貞子

やはり、昭和43年(1968年)にダム建設が始まり、
「故郷はダム湖に沈んだ」というのが一般的な認識と見てよさそうだ
「高台の家が一二軒残った」状態を廃村と見てよいかどうかは、
少々時間をおいて考えたい。



画像1: 柳平・離村記念碑(表面)
>ダム沿いに 野菊が咲いて 秋ふかし
>柳平部落 ここにしずむ
でよいだろうか?



画像2: 柳平・離村記念碑(裏面)
立派な離村記念碑である。
個人が建てたものだとしたら、私が知る限り
五指に入る立派さだ。

(2015年7月13日(月)午後1時40分頃)

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