広島県・岡山県の管轄境界標

  • 2015.08.31 Monday
  • 07:15
平成27年7月13日(月)、岡山県の廃校廃村への旅、
JR福山駅で借りたクルマはレール&レンタカー。
JRのきっぷは東京−八代なので、割り引かれる金額はまずまず大きい。

目標の高梁市(旧備中町)柳平(やなびら)までは50km超ある。
どの道を選べばよいかはっきりしないので、
適当にカーナビをさわると、岡山県井原市方面に進むルートが出てきた。

「ローカルなお店で一服したいな」と思っていると
市街地が続くR.313から少し入った道に、
「渡辺ストアー」という看板が見当たった。

寄り道してみると、店の目の前には大きな碑が建っていた。
碑文を読むと、大正8年(1919年)に建てられた
広島県(備後)と岡山県(備中)の管轄境界標だった。

お店の方に話をうかがうと、店はぎりぎり広島県福山市にあって、
隣の倉庫は岡山県井原市になるとのこと。
お客さんは両県から半々ぐらい来るそうだ。



画像1:渡辺ストアーと広島県・岡山県の管轄境界標
(遠景:広島県側から臨む)
とても平凡な風景で、県境のイメージはない。



画像2:広島県・岡山県の管轄境界標
(広島県側から臨む)
碑は三差路の角に建っている。
広島県側には「神辺駅へ 2里18町45間」と刻まれている。
神辺は、JR福塩線と井原鉄道の分岐駅である。



画像3:渡辺ストアーと広島県・岡山県の管轄境界標
(岡山県側から臨む)
県境で、コンクリの色が変わっている。
岡山県側には「七日市駅へ 2里12町13間」と刻まれている。
調べると、七日市は井原市街地の地名だった。

(2015年7月13日(月)午前10時30分頃)

JR福山駅+釣り人の像

  • 2015.08.29 Saturday
  • 08:11
平成27年7月13日(月)、岡山県の廃校廃村への旅、
目標の高梁市(旧備中町)柳平(やなびら)は、広島県境に近いため、
出発は山陽新幹線の福山駅を選びました。

前回訪ねたのは平成21年1月だから6年前。
そのときは寝台特急「はやぶさ」に横浜まで乗ったというぐらいだから、
時代はずいぶん変わったものです。

福山はバラの町。プランターの花はすべてバラです。
黒っぽい建物を隔てて、駅に向かって立つ釣り人の像が建っています。
新幹線開業時(昭和50年)に建てられた「五浦釣人像」は、
待ち合わせの場所として福山市民に親しみのある像とのことです。



画像1: JR福山駅南口のプランターと釣り人の像



画像2: 釣り人の像(拡大)
像の作者 平櫛田中(ひらくしでんちゅう)さんは、
近隣の岡山県井原市出身の著名な彫刻家で、
107歳で大往生されたそうです。

(2015年7月13日(月)午前9時40分頃)

JR大宮駅+北斗星

  • 2015.08.28 Friday
  • 07:17
平成27年4月29日(水祝)、富山県の廃校廃村への旅、
北陸新幹線への乗り継ぎのJR大宮駅で、
たまたま札幌発上野行き寝台特急「北斗星」に遭遇しました。

なぜか機関車は、10日前に見た「カシオペア」と同じ型でした。
何か、違和感がありますよね。
「お客さんの中には、がっかりした方もいるだろうなあ・・・」
と思いながら、とりあえず撮っておきました。



画像1: JR大宮駅で下車した「北斗星」
昨年5月の、乗り納めのときのものです。
振り返れば、全部で3回乗りました。

(2014年5月27日(火)午前9時10分頃) 



画像2: JR大宮駅で、たまたま見かけた「北斗星」
臨時運行も終了した現在、
私が見た最後の姿となりました。

(2015年4月29日(水祝)午前9時頃) 

JR宇都宮駅+カシオペア+スタミナ健太

  • 2015.08.27 Thursday
  • 06:59
平成27年4月19日(日)、栃木県の廃村めぐりの旅、 
出発地のJR宇都宮駅では、朝ということで、
札幌発上野行き寝台特急「カシオペア」に遭遇しました。

このような状況になると、
「カシオペアも、あるうちに乗らなければ・・・」
と思ってしまいますね。

華のある存在は、何事においても大切です。
この日は鹿沼市梶又、日光市(旧藤原町)五十里に
レンタカー(予約なし)で出かけました。



画像1: JR宇都宮駅のホームに停まる「カシオペア」
子供が列車に向かって手を振っているのが印象的でした。



画像2: JR宇都宮駅東口にて
名物ギョーザの「スタミナ健太」の石像が迎えてくれました。

(2015年4月19日(日)午前8時頃) 

杉森 耕地跡の様子

  • 2015.08.26 Wednesday
  • 06:55
平成27年8月8日(土)、鳥取県の廃村めぐりの旅2日目、 
杉森でも、耕地の様子を観察して、画像を撮りました。 

水田はなく、耕地跡にはスギが植えられています。
二つ比べると、杉森のほうが板井原よりも
集落の痕跡は薄くなっているというか、旧住民の方の影が薄くなっているというか、
そんなことが見えてきます。



画像1: 集落跡南側のスギが植林された水田跡
微妙にゴミが捨てられていますね。



画像2: 集落跡手前1kmほどの場所にある水田跡
スギが生えた水田跡は、耕作放棄地とは言わないのかな?
その辺りのことは、ほとんど素人です。

(2015年8月8日(土)午前10時30分〜11時頃) 

JUGEMテーマ:ふるさと

鳥取県鳥取市(旧用瀬町) 杉森

  • 2015.08.25 Tuesday
  • 07:11
平成27年8月8日(土)、鳥取県の廃村めぐりの旅2日目、
板井原に続いて足を運んだのは、 
旧用瀬町の廃村 杉森(すぎもり)、こちらも4年ぶり2回目の訪問です。 

離村記念碑「杉森の郷」(2001年建立)には、 
「昭和50年4月離村17戸」と刻まれています。 

到着して驚いたのは、離村記念碑の横の家屋がくずれて
ガレキになっていたことです。
前回は、両親と記念写真を撮った場所だけに
時の流れを強く感じました。



画像1: 離村記念碑  ※ 平成23年10月、横に家屋があった 
板井原のものよりも4年早く建っています。
碑文は同じような感じですが、石はずんぐりとしています。 



画像2: 分校跡 
興徳小学校杉森分校は、へき地等級2級,児童数14名(S.34), 
明治12年開校,昭和50年休校,昭和54年閉校。 
板井原と同じく、分校跡は更地になっていますが、
離村記念碑は、上手200mの場所に建てられました。 



画像3: 壊れた家屋 
かろうじて家屋の輪郭は残っていますが、近々ガレキになるのでしょう。
後ろの土蔵はしっかり残っています。 

(2015年8月8日(土)午前10時30分〜11時頃) 

板井原 耕地の様子

  • 2015.08.24 Monday
  • 06:32
平成27年8月8日(土)、鳥取県の廃村めぐりの旅2日目、
板井原では、耕地の様子を観察して、画像を撮りました。

観察することはあっても、あまりきちんと画像を撮ることはありませんでした。
比較すると面白いものになりそうですが、さてさて(^^)



画像1: 集落跡北側の水田



画像2: 集落跡南側の耕作放棄地

(2015年8月8日(土)午前9時30分〜10時頃)

JUGEMテーマ:ふるさと

鳥取県鳥取市(旧用瀬町) 板井原

  • 2015.08.22 Saturday
  • 07:47
平成27年8月8日(土)、鳥取県の廃村めぐりの旅2日目、
上板井原に続いて足を運んだのは、
旧用瀬町の廃村 板井原(いたいばら)、やはり4年ぶり2回目の訪問です。
板井原というと、一般には上板井原(智頭の板井原)を指すそうですが、
「廃村千選」では、用瀬の板井原となります。
離村記念碑「板井原の里」(2005年建立)には、
「昭和50年4月離村22戸」と刻まれています。 

前回は「金婚式祝いの旅」の一環で、父母と一緒に訪ねました。
今回は単独でややのんびりできますが、
正午頃、鳥取駅に戻らばければなりません。
このため、「30分で見れるところまで見よう」と、
制限時間付きの探索となりました。

2回目の板井原では、集落跡の小道を丹念に歩くことができました。
家屋や土蔵が、全部で10戸ぐらいあったでしょうか。
小道が、往時とあまり変わらない様子で残っていたのは驚きでした。



画像1: 分校跡と県道、離村記念碑
興徳小学校板井原分校は、へき地等級2級,児童数11名(S.34),
明治15年開校,昭和49年休校,昭和54年閉校。
分校跡は駐車場となっており、一角に離村記念碑が建っています。



画像2: 手入れされていない土蔵
分校跡から歩いて2〜3分、4年前にも単独で訪ねました。
父母は、分校跡付近でのんびり過ごしていたはずです。



画像3: 集落内の小道(川を渡る箇所)
苔が生えた枝でできた橋があって、
「あぶなっかしいなあ・・・」と思いながら2往復しました。

(2015年8月8日(土)午前9時30分〜10時頃)

JUGEMテーマ:ふるさと

板井原集落(伝統的建造物群保存地区)

  • 2015.08.21 Friday
  • 07:27
平成27年8月8日(土)、鳥取県の廃村めぐりの旅2日目、
まず足を運んだのは、
「板井原集落」として伝統的建造物群保存地区に指定されている
智頭町の農山村集落、上板井原、4年ぶり2回目の訪問です。

六尺道の中央あたりで水道管の工事があって
静かな山里という感じでなかったのは、残念なところです。
住民は2戸4名まで減少していますが、
古民家の補修をしている若い方の姿が見られました。



画像1: 六尺道、六地蔵があるあたり
「確かに、昔の集落の道ってこんな感じだったよなあ・・・」
と、お地蔵さんよりも道のほうに興味を感じていました。



画像2: 智頭小学校板井原分校跡の石柱
隣にある公民館の建物が往時の分校校舎で
国登録有形文化財となっていることを、
今日初めて知りました。

(2015年8月8日(土)午前9時頃)

那岐小学校跡

  • 2015.08.20 Thursday
  • 07:24
平成27年8月8日(土)、鳥取県の廃村めぐりの旅2日目、
農家民宿「いず味」の2階の部屋からは、すぐそばに那岐小学校跡の校舎が見えていました。

那岐小学校は、へき地等級無級、児童数314名、明治8年開校、平成24年閉校。
智頭町内の6つの小学校を1校に統合したことによる閉校です。
智頭産のスギを使ったと思われる大きな校舎は、閉校後、公民館などの用途に活用されています。



画像1: 那岐小学校跡 校舎
サクラの花の真ん中に「那」の文字がある校章が印象的です。
校舎は平成6年建てられました。



画像2: 閉校記念碑等の石碑
オンパレードという感じで並んでいました。



画像3: 石造りの門柱
レポートをまとめて、
この大きさの廃校まで追いかけなければいけないとしたら、
「廃校を追いかける人ははいへんだなあ・・・」
と思いました。

(2015年8月8日(土)午前6時〜6時50分頃)

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