北海道上ノ国町 上ノ沢

  • 2015.07.31 Friday
  • 07:17
平成27年5月31日(日)、北海道・道南の廃村めぐり3日目。
天ノ川駅からは、湯ノ岱駅跡、湯ノ岱小学校跡には立ち寄らず、
この日三番目の廃校廃村,戦後開拓集落 上ノ沢(かみのさわ)を訪ねた。
手前の集落 湯ノ岱から4kmほど,舗装道がダートに変わってまもなく右手に,白い標柱が立っていた。

湯ノ岱小学校上ノ沢分校は,へき地等級2級,児童数22名(S.34),昭和33年開校,昭和43年閉校。集落の閉村は平成初頃。
分校跡地の標柱は,「昭和62年7月21日 道標建立の集い 関係者一同」と記されている。
分校の歴史や職員名が入った立派なものだが,傷みが進行していた。
成瀬さん,田中さんは校地の草をかき分けたが,建物の基礎は見つからなかった。
開拓集落の中心は分校跡よりもやや上手にあって,訪ねたところ作業小屋が見当たった。



画像1: 上ノ沢分校跡付近の風景
分校跡は、道の右手にある。



画像2: 上ノ沢分校跡の標柱
「湯ノ」の文字は削れて、「分校跡」の文字が草に埋もれている。



画像3: 上ノ沢分校跡の標柱(草の整理後)
建立から28年、標柱の寿命は30年ぐらいなのかもしれない。

(2015年5月31日(日)午後1時20分頃)

JUGEMテーマ:ふるさと

宮越小学校跡

  • 2015.07.30 Thursday
  • 07:08
平成27年5月31日(日)、北海道・道南の廃村めぐり3日目。
上ノ国町内の探索、大安在から上ノ沢に向かう途中、
天ノ川駅よりも前に、宮越駅跡、宮越小学校跡を訪ねていたことを
天ノ川駅の駅名標を見ていて、気がついた。

宮越小学校は、へき地等級1級、児童数63名(S.34)、昭和23年開校、平成10年閉校。
廃村もしくは高度過疎集落以外の廃校は守備範囲外だが、画像の1枚ぐらいはとっておくものである。
ちなみに、宮越駅跡は画像を撮らなかったので、どんな駅跡だったか全然思い出さないし、Web上で画像を見てもピンと来ない。



画像1: 宮越小学校跡の校舎
17年前までこんな木造校舎が使われていたというのは驚きだが、
振り返れば、まだそんな時代だったのかもしれない。



画像2: 宮越小学校跡のバックネット
つる草の花が咲いていたから撮ったものと思われる。

(2015年5月31日(日)午後1時頃)

天ノ川駅

  • 2015.07.29 Wednesday
  • 07:12
平成27年5月31日(日)、北海道・道南の廃村めぐり3日目。
上ノ国町大安在から上ノ沢に向かう途中、
道道沿いに天ノ川駅があったので、立ち寄っってみた。

全国的にも珍しい、駅の形状をした私設の構造物(モニュメント)で
江差線(木古内−江差間)が運行していたときにも、
ここには停まらなかった。

鉄道が廃止になっても、あまり変わらない様子で残る天ノ川駅だが
今年度中には撤去されるらしい。



画像1 駅名標が残されている天ノ川駅
廃止区間の江差線の駅からは、駅名標はすべて撤去されている



画像2 ホーム脇に立つ64キロポスト
函館駅からかと思ったら、
五稜郭駅(江差線の起点)からだった。

(2015年5月31日(日)午後1時5分頃)

北海道上ノ国町 中外鉱山

  • 2015.07.28 Tuesday
  • 06:48
平成27年5月31日(日)、北海道・道南の廃村めぐり3日目。
この日、私の定位置はラオウさんのクルマの助手席。最初の廃校廃村は、上ノ国町中外鉱山(ちゅうがいこうざん)。名称は鉱業会社の名前に由来する。主にマンガンを産出した鉱山は、昭和14年から61年まで稼働した。象徴的なペンシル型の焙焼炉は、集落の手前,道道右手にズリ山とともに残っていた。

中外鉱山集落跡の中心T字路に着いた頃には、雨は上がっていた。
若葉小学校は、へき地等級2級、児童数336名(S.34)、昭和15年開校、昭和62年閉校。集落の離村は平成初頃。
学校跡はT字路の左手にあり、横断歩道があるのでわかりやすい。
跡地には「若葉小学校跡 祝昭和40年卒業15回生 還暦記念 学舎は永遠に 平成21年9月29日」と記されたいう木製の案内板が立っている。
二階建て木造校舎は、案内板が立った頃に取り壊されている。
T字路をまっすぐ進むと「通行止」の看板と閉ざされたゲートがあって、その脇には壊れた家屋が残っていた。
ラオウさんによると商店跡の建物とのこと。地域の方のクルマが停まっていたので、様子をうかがうと、通いの耕作で来られているようだった。

T字路を折れた方向に進むと鉱山の鉱毒処理施設があり、ラオウさんのクルマのカーナビにはその先に鳥居マークが示された。
このマークを追いかけてクルマを走らせると、草が整理されたような空間があったが、探索するほどの興味は起こらなかった。



画像1 中外鉱山・象徴的なペンシル型の焙焼炉



画像2 若葉小学校跡には卒業生製作の木製案内板が立っている



画像3 中外鉱山・ゲートの脇に壊れた商店跡の家屋が残る

(2015年5月31日(日)午前7時40分頃)

JUGEMテーマ:ふるさと

江差駅跡

  • 2015.07.27 Monday
  • 07:10
平成27年5月31日(日)、北海道・道南の廃村めぐり3日目、起床は朝5時半頃。
外は夜からの雨が降っており、少しひんやりとしている。
部屋で軽い朝食をとり「繁次郎番屋」を出発したのは朝6時40分頃。
悪天候のため、一行の足取りはやや重いが、天気予報は曇りのち晴れとのこと。

私はラオウさんのクルマの助手席に移動して、まず江差線江差駅跡を訪ねた。
平成26年5月に廃止された駅舎入口には「ありがとう江差駅」と記された標柱が建っていた。



画像1: 「ありがとう江差駅」と記された標柱
鉄道員の帽子が印象的。
「(一社)北海道建築士会檜山支部寄贈」とある。



画像2: 江差駅跡ホームにて
廃止から1年、駅舎は目張りが施されている。



画像3: 江差駅跡ホームにて
線路はまだそのまま残されていた。

(2015年5月31日(日)午前6時55分頃)

道の駅「江差」、簡易宿泊施設「繁次郎番屋」

  • 2015.07.25 Saturday
  • 08:17
平成27年5月30日(土)、北海道・道南の廃村めぐり、
須賀小学校跡のほか、厚沢部町内では富里小学校跡、清和小学校跡、旧鶉小学校跡にも立ち寄った。私は守備範囲外だが、昔ながらの校舎を見るのは悪くない。道南の木造校舎に到達できて、田中さんはとても喜んでいた。

この日の走行距離は370kmぐらいあって、前日を上回った。田中さん、引き続き運転おつかれさま。宿は道の駅「江差」内の簡易宿泊施設「繁次郎番屋」。景色がよい海辺にあって、仲間で気楽に使うにはちょうど良い施設だ。
夕方5時半頃に受付を済ませ、江差町郊外のショッピングセンターで食料を、近くのセイコマで酒を調達し、4名で再会を祝しながらひとときの宴を楽しんだ。



画像1: 富里小学校跡
鷲巣小学校(のち富里小学校)は、へき地等級2級、児童数60名(S.34)、
明治34年開校、昭和60年閉校。



画像2: 富里小学校跡(拡大)
校舎入口には、歩古丹で落ちていたのと同じような照明灯がついている。

(2015年5月30日(土)午後3時40分頃)



画像3: 清和小学校跡
鶉越小学校(のち清和小学校)は、へき地等級1級、児童数150名(S.34)、
大正8年開校、平成10年閉校。



画像4: 清和小学校跡(拡大)
校舎入口には、サクラの花模様の校章がついている。

(2015年5月30日(土)午後4時10分頃)



画像5: 簡易宿泊施設「繁次郎番屋」
堤防から撮ったもので、泊まったのは明かりがついた右側の建物。
4名使用で10,500円(ひとり2,625円)。
1名使用と2名使用は同額で6,300円だから、
ひとり旅には不向き、4人旅には向いているといえる。

(2015年5月30日(土)午後7時頃)

北海道厚沢部町 須賀

  • 2015.07.24 Friday
  • 06:45
平成27年5月30日(土)、北海道・道南の廃村めぐり、
日中戸、ヌタップと比較的簡単にたどり着いたこともあり、一行は足取りも軽くR.229を南下して、厚沢部町の戦後開拓の廃村 須賀(すが)を目指した。
宮野−須賀間は70kmほどあるが、約1時間半で到着した。須賀の5kmほど手前には館(たて)というまとまった規模の集落があり、過疎の匂いは薄い。

須賀には昭和21年夏から樺太引揚者など30戸の入植があり,過疎化が進んだ昭和48年でも8戸の暮らしがあった。集落の無人化は昭和末頃。
須賀小学校はへき地等級2級,児童数34名(S.34),昭和24年開校,昭和49年閉校。学校跡は主道と「町道須賀線」の分岐のすぐそばにあり,やや傷んだ校舎が残されていた。
ラオウさんによると、校地は東京在住の卒業生が厚沢部町から購入し、近くに住む農家の方が運動場跡に畑を作り管理しているとのこと。



画像1: 須賀小学校跡・運動場跡の畑



画像2: 須賀小学校跡・校舎正面



画像3: 須賀小学校跡・校舎の外観

見直すと、
「少しは小学校跡から離れて、集落跡のほうへ歩いておくんだったなあ・・・」
と反省する次第。

(2015年5月30日(土)午後3時50分頃)

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北海道せたな町(旧大成町) ヌタップ

  • 2015.07.23 Thursday
  • 07:29
平成27年5月30日(土)、北海道・道南の廃村めぐり、
旧大成町中心部を過ぎ、宮野のセイコマで一服した後、戦後の開拓集落の廃村 ヌタップを目指した。
海辺の宮野から川沿いのダートを進むと、集落入口付近、道の右手の少し高い場所に「開拓記念之碑」と刻まれた古い石碑(昭和28年建立)が見当たった。
ヌタップは、昭和24年、樺太からの引揚者などが入植して拓かれ、昭和37年には12戸51名が暮らしたが、昭和38年9月の豪雨被害を契機に全戸離村した。
平和小学校はへき地等級5級、児童数25名(S.34)、昭和26年開校、昭和39年閉校。学校跡はダートからやや右に入った場所にあり、五万地形図の文マークの場所にはササ藪の中に建物のガレキが見つかった。
ラオウさんは今回ヌタップを訪ねて、奥尻島を除く道南の廃校廃村をすべて踏破したそうだ。



画像1: ヌタップ「開拓記念之碑」
離村記念碑ではなく、開拓記念碑なのが心に残る



画像2: 平和小学校跡の建て物のガレキ
校名が「沼達布小学校」とかだったら、
また違う印象を受けたかもしれない。



画像3: ヌタップ・集落跡の風景
林道は、ダートだけどすっきりとしている。

(2015年5月30日(土)午後2時頃)

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北海道せたな町(旧大成町) 太田小学校跡

  • 2015.07.22 Wednesday
  • 06:38
平成27年5月30日(土)、北海道・道南の廃村めぐり、
北海道本土最西端の尾花岬近辺を長いトンネルで越えて、昼食はトンネルの先の集落 太田(おおた)の小学校跡でとった。
太田小学校はへき地等級5級、児童数49名(S.34)、明治15年開校、平成13年閉校。
学校は、昭和38年9月の集中豪雨の被害を契機に移転したため、集落からは500mほど入った高台にある。

旧大成町の行止まり集落 太田は、昭和63年8月のツーリングでも行きたかったポイントで、このような形で足を運べるとは思いもよらなかった。
太田集落の高齢化率は76%(H.26)と高いが、26戸46名とまずまずの規模がある。
単独で訪ねていたら集落を歩いて、出会う方がいたらお話でもしたかったところだ。
田中さんが話題にしていた、15世紀からの歴史があり、とても険しい参道の先にあるという太田神社も興味深い。



画像1: 太田小学校跡の校舎
往復1kmとはいえ、なかなかの傾斜がある道を
小学生が毎日通うのはなんぎだったのではないだろうか。



画像2: 太田小学校跡の校舎(拡大)
校舎の入口に校名と校章が施されているのは北海道らしい。
「太」の字が欠けているのはお愛嬌かな。

(2015年5月30日(土)午後1時頃)

北海道せたな町(旧北檜山町) 日中戸

  • 2015.07.21 Tuesday
  • 06:41
平成27年5月30日(土)、北海道・道南の廃村めぐり、
私を乗せた田中さんのクルマが瀬棚港に到着したのは午前11時半。
ラオウさんとは平成24年5月以来3年ぶり、成瀬さんとは平成23年8月以来4年ぶりの再会となる。
瀬棚のセイコマで昼食を買って、まず、長い間陸路がなかった漁村の廃村 日中戸(にっちゅうべ)を目指した。
旧北檜山町の行止まり集落 日中戸は、明治期から大正期にかけてニシン漁で賑わったが、川のそばにあった漁業集落は昭和38年9月の集中豪雨で壊滅的な被害を蒙り、翌39年3月に全戸離村した。海辺の道道は長い間通じないままだったが、平成25年4月に開通し、クルマで行けるようになった。
私は昭和63年8月、手前の水垂岬付近までバイクで走ってきたが、「通行止」の看板に阻まれて戻って以来、27年ぶりのリベンジだ。

道道に架かる「日中戸橋」を渡ったところにクルマを停めたのは正午頃。
日中戸小学校はへき地等級3級、児童数11名(S.34)、明治31年開校、昭和39年閉校。
川の北岸、小高くなった場所に木製の電柱が立っていて、上がった場所に石垣と学校建物の基礎が見つかった。
ラオウさんと成瀬さんはこのGW頃にも日中戸を訪ねたが、「フキやイタドリが成長して、雰囲気はずいぶん違う」とのこと。
五万地形図(久遠、S.36)を頼りに成瀬さんは学校跡からさらに上の神社跡をめざしたが、残り3名は見守ることにした。
橋の横から川へ下りていくと、河口には往時の船着場らしき古いコンクリートの護岸が見つかった。
河原は丸い花崗岩の石ころで真っ白だった。



画像1: 日中戸に残る木製の電柱
電気は自家発電だった
学校跡は、左側の小高い場所にある



画像2: 日中戸に残る木製の電柱(拡大)
離村からすでに51年目、よく残っているものだ



画像3: 河口の船着場跡らしき古いコンクリートの護岸
ちょうど日中戸橋の真下にある

(2015年5月30日(土)午後12時5分〜30分頃)
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