兵庫県新温泉町(旧温泉町) 桧尾
- 2014.04.26 Saturday
- 08:10
平成22年6月5日(土)、兵庫県の日本海側 但馬(たじま)地方の廃村めぐり、
池ヶ平(いけがなる)から久斗山(くとやま)に戻ってきたのは昼12時半頃。久斗山小学校跡(平成15年閉校)で、昨夜の残りの生八ツ橋をおきのくにさんと山分けしながら、お昼休みです。
久斗山から峠を越えて、旧温泉町の熊谷(くまだに)に出ると、一見現役とも廃校ともわからない小学校(熊谷小学校)が見当たりました。後で調べると、熊谷小学校はこの春、開校以来134年の歴史に幕を引き、中心部の小学校に統合されたばかりでした。熊谷集落には商店が一軒あったので、昼食を調達したかった私は、「こんちわ」と声をかけてお店に入ったのですが、買えたのはジャガイモのスナック菓子だけでした。
池ヶ平の次に目指した高度過疎集落 桧尾(ひのきお)は、熊谷から5kmほどの山の中。だんだん頼りなくなる県道の峠を越えてすぐ、突如右手に「どう見ても学校跡」という二階建ての赤い屋根の建物が見当たりました。まさかこんなに簡単に冬季分校跡が見つかるとは、予想しませんでした。
熊谷小学校桧尾冬季分校はへき地等級2級、児童数13名(S.34)、明治34年開校、昭和43年閉校。分校の入口の前には道の盛り土がなされていて、どうやら道は分校の閉校後にできた様子です。後に住宅地図(S.54)を調べたところ、冬季分校跡の建物には、公会堂と記されていました。
事前に住宅地図(H.21)で見た桧尾集落に残る家屋は2戸。冬季分校からわずか先の斜面に広がる集落には、錆びた屋根の家屋がいくつか見当たりましたが、その大半は廃屋です。クルマを停めて、二人で探索をしているうちに、畑を耕しているおばあさんの姿が見えたので、「こんにちは」とご挨拶。お話をすると、おばあさん(神野しまゑさん)は御年90歳。きつい方言は聞きづらかったのですが、顔を合わせていると、うまく会話が成立します。
しまゑさんは、四十代中年男子から見ても、お母さんというよりはおばあさん。「この畑には、ご先祖様の家が建っていた」、「畑に残る石垣は、家の名残り」、「冬も里には降りずにここで過ごす」というしまゑおばあさんの表情は、とても朗らかでした。
「ありがとう」、「こちらこそ」と言い合いながら、しまゑおばあさんと別れて、クルマで県道に戻ると、左手に神社が見当たりました。とっさの判断、私は「止めて」と言いそびれてしまいました。廃村めぐりの私と廃校めぐりのおきのくにさん、一緒に行動すると、指向の違いがよくわかります。
山を降りたところには、味取(みどり)という山中にしては大きな集落があって、味取小学校跡(昭和51年閉校)には二宮金次郎像が残っていました。
池ヶ平(いけがなる)から久斗山(くとやま)に戻ってきたのは昼12時半頃。久斗山小学校跡(平成15年閉校)で、昨夜の残りの生八ツ橋をおきのくにさんと山分けしながら、お昼休みです。
久斗山から峠を越えて、旧温泉町の熊谷(くまだに)に出ると、一見現役とも廃校ともわからない小学校(熊谷小学校)が見当たりました。後で調べると、熊谷小学校はこの春、開校以来134年の歴史に幕を引き、中心部の小学校に統合されたばかりでした。熊谷集落には商店が一軒あったので、昼食を調達したかった私は、「こんちわ」と声をかけてお店に入ったのですが、買えたのはジャガイモのスナック菓子だけでした。
池ヶ平の次に目指した高度過疎集落 桧尾(ひのきお)は、熊谷から5kmほどの山の中。だんだん頼りなくなる県道の峠を越えてすぐ、突如右手に「どう見ても学校跡」という二階建ての赤い屋根の建物が見当たりました。まさかこんなに簡単に冬季分校跡が見つかるとは、予想しませんでした。
熊谷小学校桧尾冬季分校はへき地等級2級、児童数13名(S.34)、明治34年開校、昭和43年閉校。分校の入口の前には道の盛り土がなされていて、どうやら道は分校の閉校後にできた様子です。後に住宅地図(S.54)を調べたところ、冬季分校跡の建物には、公会堂と記されていました。
事前に住宅地図(H.21)で見た桧尾集落に残る家屋は2戸。冬季分校からわずか先の斜面に広がる集落には、錆びた屋根の家屋がいくつか見当たりましたが、その大半は廃屋です。クルマを停めて、二人で探索をしているうちに、畑を耕しているおばあさんの姿が見えたので、「こんにちは」とご挨拶。お話をすると、おばあさん(神野しまゑさん)は御年90歳。きつい方言は聞きづらかったのですが、顔を合わせていると、うまく会話が成立します。
しまゑさんは、四十代中年男子から見ても、お母さんというよりはおばあさん。「この畑には、ご先祖様の家が建っていた」、「畑に残る石垣は、家の名残り」、「冬も里には降りずにここで過ごす」というしまゑおばあさんの表情は、とても朗らかでした。
「ありがとう」、「こちらこそ」と言い合いながら、しまゑおばあさんと別れて、クルマで県道に戻ると、左手に神社が見当たりました。とっさの判断、私は「止めて」と言いそびれてしまいました。廃村めぐりの私と廃校めぐりのおきのくにさん、一緒に行動すると、指向の違いがよくわかります。
山を降りたところには、味取(みどり)という山中にしては大きな集落があって、味取小学校跡(昭和51年閉校)には二宮金次郎像が残っていました。