福島県会津若松市 川渓
- 2014.02.22 Saturday
- 08:52
平成21年10月24日(土)、夫婦で出かけた会津若松の廃村めぐりツーリング、
観光名所めぐりは、鶴ヶ城と猪苗代湖に出かけました。ともに私は20年ぶり2回目で、keikoは初めてです。
裏口っぽい南口にバイクを停めて、訪ねた鶴ヶ城は、大河ドラマ「天地人」ゆかりの地ということもあり、多くの観光の方で賑わっていました。
写真を撮って、「会津若松観光案内」のチラシをちょうだいして、次に目指したのは猪苗代湖です。地図で見るとほど近い鶴ヶ城と猪苗代湖ですが、間に飯盛山の山脈があるため、道は意外と不便です。静かな滝沢旧道から強清水に出て、猪苗代湖は西岸の中田浜、崎川浜を回りました。
季節は秋、人けのない崎川浜からは、湖越しに磐梯山がそびえていました。地図でも目立つ湖にたどり着けて、keikoの満足度は高かったようです。
猪苗代湖からは山深い背あぶり高原の道を走って、東山温泉に到着したは予定より1時間遅れの午後1時20分。足湯の辺りにバイクを停めて、坂の上の食事処で昼食休み。私としてはこの旅のメインイベント、東山小学校分校の4つの廃村めぐり、いよいよ開始です。足湯は手をつけただけとなりました。
東山温泉から二幣地、安藤峠を越えて白河に至る道(二幣地までは県道)は、ダートが混ざっていることが予想されるのですが、距離的に短いので、この日のうちに帰るためにはこの道しかありません。まず訪ねた川渓(Kawadani)は、東山ダム建設(昭和57年竣工)のため生じた廃村で、住宅地図で見るところ、その痕跡はダム湖沿いに移設された神社(山王神社)と、かろうじて水没を免れた古い橋以外見当たりません。
東山小学校川渓分校はへき地等級1級、児童数17名(S.34)、明治7年開校、昭和40年閉校(昭和47年冬季分校閉校)。山王神社の境内には、点灯(通電)の記念碑があり、川渓に電気が通じたのは昭和20年代との旨が記されていました。「確か石鎚山の麓の廃村にもあったね」と、keikoは興味深げです。
川渓の神社を後にして、県道に戻ったあたりでkeikoから、「ガソリンは大丈夫?」と声がかかりました。あわてて手元の行程表を見ると、安藤峠を越えるのは危なそうです。これはうかつでした。しばし迷って「廃村めぐりはあと一つにして、会津若松市街に戻ろう」と判断することになりました。
観光名所めぐりは、鶴ヶ城と猪苗代湖に出かけました。ともに私は20年ぶり2回目で、keikoは初めてです。
裏口っぽい南口にバイクを停めて、訪ねた鶴ヶ城は、大河ドラマ「天地人」ゆかりの地ということもあり、多くの観光の方で賑わっていました。
写真を撮って、「会津若松観光案内」のチラシをちょうだいして、次に目指したのは猪苗代湖です。地図で見るとほど近い鶴ヶ城と猪苗代湖ですが、間に飯盛山の山脈があるため、道は意外と不便です。静かな滝沢旧道から強清水に出て、猪苗代湖は西岸の中田浜、崎川浜を回りました。
季節は秋、人けのない崎川浜からは、湖越しに磐梯山がそびえていました。地図でも目立つ湖にたどり着けて、keikoの満足度は高かったようです。
猪苗代湖からは山深い背あぶり高原の道を走って、東山温泉に到着したは予定より1時間遅れの午後1時20分。足湯の辺りにバイクを停めて、坂の上の食事処で昼食休み。私としてはこの旅のメインイベント、東山小学校分校の4つの廃村めぐり、いよいよ開始です。足湯は手をつけただけとなりました。
東山温泉から二幣地、安藤峠を越えて白河に至る道(二幣地までは県道)は、ダートが混ざっていることが予想されるのですが、距離的に短いので、この日のうちに帰るためにはこの道しかありません。まず訪ねた川渓(Kawadani)は、東山ダム建設(昭和57年竣工)のため生じた廃村で、住宅地図で見るところ、その痕跡はダム湖沿いに移設された神社(山王神社)と、かろうじて水没を免れた古い橋以外見当たりません。
東山小学校川渓分校はへき地等級1級、児童数17名(S.34)、明治7年開校、昭和40年閉校(昭和47年冬季分校閉校)。山王神社の境内には、点灯(通電)の記念碑があり、川渓に電気が通じたのは昭和20年代との旨が記されていました。「確か石鎚山の麓の廃村にもあったね」と、keikoは興味深げです。
川渓の神社を後にして、県道に戻ったあたりでkeikoから、「ガソリンは大丈夫?」と声がかかりました。あわてて手元の行程表を見ると、安藤峠を越えるのは危なそうです。これはうかつでした。しばし迷って「廃村めぐりはあと一つにして、会津若松市街に戻ろう」と判断することになりました。