新潟県柏崎市小田山新田

  • 2013.07.22 Monday
  • 07:13

2013年春、新潟県の廃校廃村めぐり2日目(5月25日(日))、
次の目標 小田山新田(こだやましんでん)は、越ヶ沢からおよそ25km。高規格で交通量が少ないR.252は、バイクで走るにはとても快適です。
柏崎市に入り、鯖石でR.252から枝道に入り、産廃処理場を横目に進むと、「柏崎ぶどう村ワイナリー」という樽で作った看板が見当たりました。
ちょうど小田山新田に入ったあたりだったので立ち寄ってみると、建物は閉ざされていて、「施設は平成19年に破たんした」との旨の紙が貼られていました。

小田山新田集落跡は、「柏崎ぶどう村ワイナリー」の看板から500mほどの場所にあり、往時からの土蔵と大きな家屋が残されていました。
家屋のそばにはクルマが停まっていて、農作業をされていたおじさんが居たので、ご挨拶をしてお話をうかがうと、昭和39年からここで暮らしたが、市街に近いわりに雪が深いことから、12戸あった家々が少しずつ少なくなり、昭和60年頃には無住となったとのこと。



上条小学校小田山新田冬季分校は、へき地等級1級、児童数19名(S.34)、昭和6年開校。閉校年は不明だったのですが、今回「冬季分校は集落入口の左側にあって、昭和39年から5〜6年は廃校していた」とうかがえたことで、昭和45年頃と推定することができました。



歩いて集落跡を探索したところ、分校跡の痕跡は見当たりませんでしたが、家跡の浴室跡や昔ながらの脱穀機を見い出すことができました。
ツーリングマップでは市街地の延長線にあるように見える小田山新田は、丘陵の奥深く、冬は雪に閉ざされる廃村でした。

新潟県十日町市(旧川西町)越ヶ沢

  • 2013.07.19 Friday
  • 07:03

2013年春、新潟県の廃校廃村めぐり2日目(5月25日(日))、
田代からは尾根道に戻り、越ヶ沢(こしがさわ)に向かう分岐で「通れるだろうか」と迷っていると、軽トラに乗ったおじいさんがやって来て、「大丈夫だよ」と言ってダートをすいすい進んで行きました。
越ヶ沢は平成18年10月に訪ねていますが、R.252よりも北側のほうに行くのは、今回が初めてです。



軽トラから距離を置いてダートを進むと、「いかにも集落跡」という場所に到着。
ちょうど先のおじいさんが軽トラから降りられていたので、ご挨拶をしてお話をうかがうと、ここは越ヶ沢集落跡の一部で、自分を含め2人が通作しているとのこと。昔はこれが上野から仙田へと続く道だったが、今は仙田への道は通れなくなったとも言われていました。



中仙田小学校(のち仙田小学校)越ヶ沢冬季分校は、へき地等級1級、児童数19名(S.34)、大正13年開校、昭和49年閉校。集落の離村は昭和60年。
二万五千図(岡野町、S.44)には、北側の越ヶ沢と南側の越ヶ沢の真ん中あたりに文マークと鳥居マークが記されており、新しい二万五千図(岡野町、H.19)と見比べると、それぞれR.272のすぐそばにあって、鳥居マークは残っています。
R.272に向かってダートの道を下りながら、神社へ続く道を探したのですが、心当たりは見つかりませんでした。R.252までたどり着き、文マーク付近をしっかり見てみましたが、気配は感じられませんでした。もしかすると、ちょうど道になったのかもしれません。
平成18年10月に訪ねたときは、南側の越ヶ沢で「ここが分校跡」と伺った場所があり、分校は移転があったのかもしれません。また、越ヶ沢バス停は、廃止されたようでなくなっていました。

旧川西町の廃村探索、4か所をまわるのに3時間半かかりました。ノーヘルはひとまずここまでです。

新潟県十日町市(旧川西町)田代

  • 2013.07.18 Thursday
  • 07:07

 2013年春、新潟県の廃校廃村めぐり2日目(5月25日(日))、
星名新田の次の目標 田代(たしろ)にも、丘陵の尾根道から向かいました。
田代への分岐にも「地内の山菜採り ご遠慮願います」という看板と立入禁止のコーンが立っていましたが、「そこを何とか」と断って通過しました。
ダートはやや荒れていましたが、信濃川方面から上がる道がメインだからのようです。
集落跡の手前には棚田があって、手作業で田植えをする3名のおじさんと遭遇。話をうかがうと、会社仲間の一人が田代出身で、趣味の米作りとのこと。
折りたたみ椅子があって、愛犬がお供するその雰囲気は、確かに趣味です。



「少し先に行けば、記念碑がある」と教えていただいたおかげで、星名新田と比べると気を楽にして先に進むことができました。
上野小学校田代冬季分校は、へき地等級1級、児童数5名(S.34)、昭和18年開校、昭和37年閉校。集落の離村は昭和42年。
平地の一角には「田代趾」(平成4年建立)と仏様、二十三夜塔などが建っています。



碑には「万治〜寛永年間(1658〜1673年)に開かれ、以後300年、一時は10戸を数えたが、時代の流れに押されて、昭和42年閉村となる」との旨、記されていました。
平地にはチューリップが植えられていたりで、思いがけない賑やかさです。



戻りの道ではお墓が見当たったので、バイクを停めてご挨拶に行くと、往時からの六体並んだお地蔵さんが迎えてくれました。

新潟県十日町市(旧川西町)星名新田

  • 2013.07.17 Wednesday
  • 06:32

 2013年春、新潟県の廃校廃村めぐり2日目(5月25日(日))、
平見の次の目標 星名新田(ほしなしんでん)は、R.252の北側、越ヶ沢トンネルの上を越えてすぐの場所にあります。
分岐には「地権者・耕作者以外の通行を制限します」という看板と鍵がついた鎖が施されていましたが、「悪いことはしません」と断って、脇を通り抜けました。クルマではできない技です。



棚田がある集落跡をどんづまりまで走ると、平地の真ん中に「星名新田趾」と刻まれた離村記念碑が建っていました(昭和53年建立)。
碑には「安政6年(1859年)に開かれ、以後110余年を経て、5戸が里地に転居のやむなきに至り、昭和47年閉村となる」との旨、記されていました。



山深くの小さな枝村に残る立派な碑は、存在感がありました。
星名新田では地域の方には出会いませんでしたが、かえって緊張感がありました。

新潟県十日町市(旧川西町)平見

  • 2013.07.15 Monday
  • 07:28

平成25年春 新潟県中越の廃校廃村めぐり、
旅2日目 5月25日(日)の起床は朝5時頃。天気は晴。身繕いをして宿を出発し、まずは24時間営業のコンビニで、朝食の調達などの買い物です。
五万図(松乃山温泉、S.43)を見ると、旧川西町の中心部と丘陵の境目には名前入りのお寺(長福寺)があります。長福寺からは丘陵の尾根に続く道があって、尾根に出てから平見、田代に行く予定を立てました。途中、分校がなかった星名新田と再訪の越ヶ沢にも立ち寄る予定です。
曹洞宗龍雲山長福寺は、応永15年(1408年)に開かれたという由緒があります。バイクを停めて広い境内のブナ林を散歩していると鐘が鳴ったのですが、なぜか軒先に吊るされた鐘は建物の中で突かれていました。



長福寺の上手にある灌漑用ダム(長福寺ダム)を見下ろす場所で、ヤマフジの写真を撮っていると、ヘルメットをはずしてかぶる作業が邪魔くさくなりました。
スピートは出せない山中の道、「まあいいか」と右ミラーにヘルメットをかけて、しばらくノーヘルで走ることになりました。
丘陵の尾根道は走りやすく、時々農作業や山菜採りの方のクルマが通ります。最初の目標、平見(ひらみ)の分岐には鎖が施されていましたが、「お邪魔します」と断って、先へと進みました。
やがて見晴らしが良くなり、広々した棚田に到着しました。ここで道は怪しくなるのですが、二万五千図(岡野町、H.19)には水田マークが記されており、位置関係を把握して枝道の枝道に入ると、古い納屋と農作業をされるおばあさんの姿が見当たりました。



千手小学校平見冬季分校は、へき地等級2級、児童数3名(S.34)、昭和21年開校、昭和37年閉校。集落の離村は昭和47年。
おばあさんにご挨拶をして、話をうかがうと、平見は「平見八軒」と呼ばれる歴史のある隠れ里のような村で、私が嫁いで来た頃はクルマの道はなかったとのこと。冬季分校は納屋の手前、白いヤマフジが咲いているあたりにあったこと、高度成長期、町からの要請で解村になったことなど、いろいろ教えていただきました。



おばあさんが耕す小さな畑のそばには、山水を溜める用に古いタイル張りの風呂桶が使われていました。
そのうちに棚田で農作業をされていたご子息が来られて、「昔からの村の神社も見ていくとよい」と、山に少し入った場所にある神社を教えていただきました。

山深くの平見で、村の方と話ができるとは思いがけない展開です。
そして、ノーヘルは地域の方にご挨拶しやすくなることが、経験的にわかりました。

新潟県小千谷市孫四郎

  • 2013.07.05 Friday
  • 07:08

2013年春、新潟県の廃校廃村めぐり1日目(5月24日(土))、
北山から孫四郎(まごしろう)へ向かう枝道は二万五千図(岩沢、H.20)でもわかりにくく、おそるおそるダートを走りました。



木製の電柱が見えて、赤い屋根の家屋が見当たり、孫四郎に到着したのは夕方5時5分。1戸だけ残る家屋は、三差路のすぐそばにあり、周囲には多くの田んぼがありました。



北山小学校孫四郎冬季分校は、へき地等級2級、児童数9名(S.34)、昭和50年閉校(開校年不明)。
家の方(私と同世代の女性)がマキを割っていたので、ご挨拶をして分校のことを尋ねると、「神社の手前にあったが、今はガレキしか残っていない」とのこと。
分校跡を訪ねると柱やコンクリ造の瓦がしっかり残っていました。



分校跡の隣の丘の上には、地形図には載っていない神社が建っていました。
隣の古びた神社は、この日の終わりにお参りするにはちょうどよい雰囲気でした。

2013年7月、Web月例更新のお知らせ

  • 2013.07.04 Thursday
  • 06:38

7/2(火)、Webの月例の更新で、
「廃村と過疎の風景(8)」に、平成24年梅雨明け頃に訪ねた
沖縄県伊是名村具志川島(ぐしかわしま)のレポートをアップしました。
  http://heyaneko.web.fc2.com/zsw22.html



探索は、嫁(keiko)とふたりで行いました。
嫁と一緒に沖縄へ行くのは今回が初めてです。
島の船着場から内陸の学校跡までは1km少し離れていて、
季節がらもあって、探すのはたいへんでした。
というか、探しあてていただいた、案内の方に感謝します(^_^)
暑さもですが、日差しの眩しさがすごくて、
案内の方がいなければ、たどり着けていたかどうか、
わからないほど身動きしづらかったです。



具志川島小中学校跡の砂地の校庭には野生のタバコが生えていて、簡単にひっこ抜けたので
写真を撮るにあたって、数十本整理しました(^_^;)

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