新潟県小千谷市桂平

  • 2013.06.28 Friday
  • 06:11

 2013年春、新潟県の廃校廃村めぐり1日目(5月24日(土))、
5番目の廃校廃村 桂平(かつらだいら)は、若栃−北山間にあるのですが、二万五千図(岩沢、H.20)には地名はなく、集落の匂いがしません。



アタリを付けた場所に農作業の方の姿が見当たったので、ご挨拶をして桂平について尋ねると、「場所はここだが、特には何も残っていない」とのこと。



北山小学校桂平冬季分校は、へき地等級2級、児童数16名(S.34)、昭和46年閉校(開校年不明)。
多くの田んぼが残る桂平で見つけたのは、農作業の小屋2軒と、屋敷跡に咲くスイセンの花ぐらいでした。

新潟県小千谷市 若栃小学校跡

  • 2013.06.27 Thursday
  • 06:17

2013年春、新潟県の廃校廃村めぐり1日目(5月24日(土))、
源藤山から山間の集落 若栃(39戸、H.25)へと抜ける道には通行止の看板が立っていましたが,問題なく走れてほっと一息。
いかにも廃校という風情の若栃小学校跡に立ち寄ると,1階の部屋に電灯が点いていてびっくりです。



若栃小学校は、へき地等級1級、児童数104名(S.34)、平成17年、中越地震の年度を最後に閉校しました。

新潟県小千谷市源藤山

  • 2013.06.26 Wednesday
  • 06:38

2013年春、新潟県の廃校廃村めぐり1日目(5月24日(土))、
この日の後半戦に目指した、小千谷市源藤山(げんどうやま)、桂平(かつらだいら)、孫四郎(まごしろう)は、信濃川右岸の丘陵(東頸城丘陵)に点在する小さな廃校廃村です。
なだらかな丘陵にはたくさんの田んぼがあるのですが、廃村が多いのは冬の積雪の多さと密接な係わりがありそうです。
川口橋で魚野川を渡り、川井橋で信濃川を渡り、川沿いのまとまった集落 真人(まっと)では、源藤山への枝道探しがたいへんかと思ったのですが、看板があがっていてひと安心。
枝道に入って坂を上っていくと、行く手に家々が見えてきて、源藤山へ到着したのは午後3時15分。
クルマが数台停まっていて、農作業をされる方の姿が見える集落の姿に、一瞬「ここが源藤山でよいのかな」と思いました。



二万五千図(岩沢、H.20)には、源藤山集落を一周できる道が記されているので、神社を回り込んでほぼ一周すると、「簡保資金還元融資施設 昭和57年度 真人小学校 源藤山分校」という看板がある二階建ての建物が見当りました。



真人小学校源藤山冬季分校は、へき地等級1級、児童数16名(S.34)、大正5年開校、昭和60年閉校。
分校跡の向かいの家の方(年配の女性)にご挨拶をして、話を伺うと、源藤山に通年住む家は2戸だが、真人には集落の方々の集団移住地があって、そこから田畑に通われているとのこと。分校跡は、公民館として使われているとのこと。
また、中越地震の復興で関東からボランティアの方が来て、それが縁で関東から田畑に通われる方もいるそうです。



5月下旬は、この地域の田植えの季節。分校跡にもイネの苗が置かれています。
分校跡からは、神社にお参りして、集落内を一周する道を歩きましたが、田植えをする方にご挨拶しながら歩く道中は、何とものどかでした。

新潟県長岡市(旧川口町)牛ヶ首

  • 2013.06.24 Monday
  • 06:29

2013年春、新潟県の廃校廃村めぐり1日目(5月24日(土))、
「堀之内やな場」で、いつになくのんびりした昼食の後、目指したのは
旧川口町牛ヶ首(うしがくび)です。
途中、魚野川沿いの小道を走ると、JR上越線と新幹線がクロスしていました。
二万五千図(H.18、小千谷)を見ると、川のすぐ上には関越道が走っており、
なぜかこの地点に主要交通網が集中しています。
川口町運動公園、竹田という小集落を過ぎると、すぐに牛ヶ首への分岐にたどり着きました。
二万五千図を貼りあわせた資料、なかなか役に立っています。


分岐からゆるやかな下り道を少し進むと、養鯉場の施設が目に入り、
続いて整った大きな家屋が2軒見えました。
道の右側のスペースにバイクを停めて、辺りを探索したのですが、地域の方の姿は見当たりませんでした。



川口小学校牛ヶ首冬季分校は、へき地等級1級、児童数7名(S.34)、昭和25年開校、昭和51年閉校。
養鯉場へ歩いていくと、迎えてくれたのは若いご夫婦。
「冬季分校のこと、ご存知ですか」と尋ねると、わからないとのこと。
また、中越地震(平成16年)をきっかけに牛ヶ首は無住となったとのこと。



「場所の特定は難しいかな」と思い、そろそろ出発しようと思ったところで、
大きな家屋の方(年配の女性)がクルマで来られました。
ご挨拶をして冬季分校のことを尋ねると、私がバイクを停めた場所が分校跡の公民館の駐車場で、
地震による被害で公民館は取り壊されたとのこと。



旧川口町は、中越地震の震源地。集落の建物、道、田んぼは軒並み大きな被害を受けたが、
やっと落ち着いてきたと言われていました。

新潟県魚沼市(旧堀之内町)小芋川

  • 2013.06.23 Sunday
  • 06:33

2013年春、新潟県の廃校廃村めぐり1日目(5月24日(土))、小千谷市十二平からは来た道を戻り,行き損ねた旧堀之内町小芋川(こいもがわ)を目指しました。
通行止の看板がある分岐から1kmほど走るとビニールハウスや小屋が見当たり,あっけなく小芋川に到着したのは午前11時50分。バイクを停めた場所のそば,日当りが悪い場所にはまとまった雪が残っていました。



宇賀地小学校小芋川分校は,へき地等級1級,児童数22名(S.34),明治15年開校,昭和50年閉校,昭和55年冬季分校閉校。二万五千図(小平尾,S.43)の文マークを参考に,左側の枝道を上がりましたが,古くて傾いた木製の電柱と新しい小屋があるだけでした。引き返してビニールハウスのほうに行くと,横にはクルマが停まっていて,おじさんにお会いすることができたので,ご挨拶をして分校跡のこと,集落のことなどを尋ねました。
分校跡は,ビニールハウスよりやや上手寄り,傾いた木製の電柱よりも左側の高台にあって,コンクリートの階段が残っているとのこと。集落ではニシキゴイの養殖が主産業で,ビニールハウスでは稚魚を孵化させているとのこと。また,離村のきっかけは昭和56年の豪雪と教えていただきました。
再び分校跡を目指して歩くと,広い平地は見当たったものの,階段がわかりません。あまり傾いていない木製の電柱の脇に下りの道筋があったので,たどってみると畑の中にタイル貼りの風呂釜が見つかりました。さらに少し下ると,畑の中に忽然とコンクリートの階段が残っていました。私は青空の下,階段に座りながら集落跡を見下ろして,しばし一服しました。途中で,お昼のおにぎりを買い損ねたのは残念なところです。




見下ろした集落跡では,コイの養殖用の池やコンクリ製の水槽が目を引きます。使われなくなったコンクリ製の水槽を見ていると「農業関係の遺産は,なぜ産業遺産に含まれないのだろう」と思ったりしました。もっとも,ニシキゴイの養殖は,水産業に分類されるのかもしれません。



小芋川を後にしてすぐ,使われていそうな池があったので,バイクを停めて覗いてみると,少し濁った水の中にニシキゴイの姿を見ることができました。

新潟県小千谷市十二平

  • 2013.06.22 Saturday
  • 07:15

 2013年春、新潟県の廃校廃村めぐり1日目(5月24日(土))、最初にたどり着いたしたのは、小千谷市十二平(じゅうにだいら)です。
旧堀之内町 竜光から小芋川を目指し県道を走ると、分岐に通行止の看板が出ていたため「先ではないか」と思ってしまい、気がつけば小千谷市に入っていました。この状況では、十二平を先に訪ねるのが得策です。



短いトンネルを抜けて、十二平に到着したのは午前11時15分。まず見当ったのは火の見やぐらと「よりどころ」という標札がある新しい家屋でした。
火の見やぐらの少し先には大きな石碑があって、表面には「ここはじょんでぇら」、裏面には「中越大震災之碑」と記されています。十二平は、平成16年10月23日に起きた中越地震の被害に伴い、11世帯の方が集団移転した廃村で、碑の建立は平成20年11月とありました。



塩谷小学校十二平分校は、へき地等級2級、児童数14名(S.34)、明治18年開校、昭和43年閉校、昭和52年冬季分校閉校。二万五千図(小平尾、S.43)には文マークと鳥居マークが並んで記されています。



県道の右側の枝道を上がっていくと、分校跡の広がりがあって、少し先には赤い鳥居が建っていました。神社の敷地には、笠の石が横に置かれた灯籠、狛犬、コンクリ造の祠が、小さな区画に整えられていたので、この日はじめのお参りです。



現地には養鯉場の施設や家屋があって、住まれている方がいるようにも見えます。ニシキゴイの養殖は、旧山古志村など、この地域の地場産業です。村の方の姿も見かけたのですが、養鯉場の作業でお忙しそうな感じがしたので、声はかけずとなりました。

群馬県嬬恋村小串

  • 2013.06.16 Sunday
  • 10:56

平成25年5月26日(日)、新潟県中越地方の農山村の廃村めぐりの帰り道、
群馬県嬬恋村の鉱山関係の廃村 小串(おぐし)に、
かずさん、のりさんと3名で出かけました。
私は平成18年7月、同年10月以来、6年半ぶり3回目です。


 ◎午後12時45分
  毛無峠から御地蔵堂に向けて出発。
  峠からの歩道で小串に向かうのは初めて。
  途中、山歩きの格好の小串探索チーム(10名強)とすれ違う。
  峠に固まって残っているものとは別の索道の支柱には、ケーブルが残っていた。



 ◎午後1時8分
  御地蔵堂到着。
  ここで毎年7月下旬、関係者で、慰霊祭と懐かしの集いの会が行われる。
  トイレなどの施設は、まだ施錠されていた。



 ◎午後1時20分
  毛無隧道の入口が近くにあるとのことで、かずさんに案内していただく。
  全長1332m、昭和28年に開通し、昭和46年の閉山とともに保安のため密閉。
  群馬県高山村の林道湯沢線に接続していたという。



 ◎午後1時35分
  小串一区、二区あたりを探索。
  共同浴場跡?、マーケット跡、労組の建物跡などが見つかる。



 ◎午後1時55分
  小串小中学校跡あたりを探索。
  回旋塔は、無住化から42年経過しても、しっかりと立っていた。
  近くにある、幼稚園跡のガレキもしっかりと見た。



 ◎午後2時15分
  小串四区を通過。
  家々があったことを示すかのようにスイセンの花が咲いていた。



 ◎午後2時25分〜3時
  小串五区に到着し、探索。
  四区−五区間のササ藪は、予想にたがわず厳しかった。
  その藪を越えてたどり着くところに値打ちを感じた次第。
  一見平屋建ての職員クラブ跡には、階段が2か所ある。
  後で調べたところ、2階は木造モルタル造、1階のRC造だったとのことで
  RC造の建物の傷み方は、松尾鉱山、端島の建物にも共通する。



 ◎午後3時12分
  無事に探索できたことに感謝して、山神社にお参り。



 ◎午後4時8分
  御地蔵尊で一服しながら、毛無峠へ戻る。
  ジロー坂は、日影の部分にまとまった雪が残っていた。
  3時間ほどの小串の探索では、探索チームの方々以外には
  誰にも出会わなかった。

2013年6月、Web月例更新のお知らせ

  • 2013.06.01 Saturday
  • 11:03

6/1(土)、Webの月例の更新で、
「廃村と過疎の風景(7)」に、平成24年GWに訪ねた
北海道森町三岱(さんたい)のレポートをアップしました。
  http://heyaneko.web.fc2.com/zs27.html


探索は、piroさんとラオウさんの3名で行いました。
八雲町の廃校廃村探索の続きで足を運んだのですが、
メンバーが半分に減って、ずいぶん雰囲気が変わったこともあって
別枠でまとめました。
エピローグということで、全県踏破(北陸・東海以東)の旅の
レポートはこれで完了です。



画像は、三岱の神社です。
古い地形図を見ると、スコロ岱、桂岱、笹岱という地名が載っていて、
三つの岱をまとめて三岱というようです。
学校跡は中央の桂岱、神社は南側の笹岱にあります。

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