●10 中島(なかじま)
福井県大野市(旧西谷村)
平成23年夏、北陸方面6泊7日ツーリング、
7月26日(火、旅2日目)
伊勢から伊勢峠を越えて、笹生川ダムを通過して、
旧西谷村の中心集落(村役場所在地) 中島に到着したのは夕方5時50分頃。
初めて見る往時の住宅地図が、待っていてくれました。
住宅地図のおかげで、はっきりとはわからなかった学校の所在地が、
「萬霊之碑」の対面の公園内ということわかりました。
中島小学校は、へき地等級1級、児童数176名(S.34)、昭和44年閉校です。
見慣れた西谷村離村経緯の案内板もリニューアルしていました。
旧西谷村
福井県大野郡西谷村は何千年という往古より続いてきた平和な山村でしたが、
昭和三十一年の県の総合開発事業の一環として建設された笹生川・雲川の
両ダムによって、まず上秋生、下秋生、小沢、本戸の四部落が水没離村し、
ついで昭和三十八年に襲った豪雪が因となって温見、熊河の両部落を
失いました。
そしてまた昭和四十年九月十四日の未曾有の集中豪雨によって壊滅的災害を
受け、再建の途も防災目的のための真名川ダム建設によってうちくだかれ
平和郷再建の夢を捨てて全村民離村のやむなきにいたりました。
この案内の文は、平成16年9月の「廃村と過疎の風景(2)」でも取り上げました。
http://heyaneko.web.fc2.com/dj34.html
昭和62年9月に初めて見て以来、頭に深く刻まれている文です。
「萬霊之碑」の碑文も、この機会に起こしました。
「萬霊之碑」碑文
中島部落の発祥は縄文、石器時代狩猟の民を元祖として
漸次集落化され、鎌倉南北朝時代より地の利を得て
急速に発展、新興の中心として安養寺の建立、永禄元年
春日神社を祀るなど、雨来星霜幾百年西谷村産業経済
政治文化の中心地として栄えた平和郷であったが、
昭和四十年九月十四日、壱千数十粍の集中豪雨は
僅か一夜にして部落全域を廃墟と化し総戸数の八割に及ぶ
百余戸を流失或は埋没し、部落内に流入した堆積土砂は
丈余に達した。
而るに健気な住民は之に屈せず、全国民の善意と激励により、
ひたすら再建復興を誓って泥沼の中から雄々しく立ち上がり
明日への希望を託したが、これを国として国は
下流防災のため真名川ダムの建設となり、被災に重ねて
水没の悲運にあう。
祖先の血汗で築かれた想い出つきない美しの山河を湖底とし、
断腸の思いで第二のふるさとを求めて移住する。
誰か惜別の情禁じ難く、茲にお互いの幸せを念じ、
悲涙をこめて碑を建立し、在住者の名を刻み、永遠に
故郷を偲ぶ。
西谷村長 山本満 記
昭和四十四年八月建立
平成12年2月以来交流を続けてきた、旧西谷村上笹又出身、中島(その後大野市街)で
料理店「魚吉」を営まれていた吉田吉次さんが、
今年1年、永眠されました(享年78歳)。
このツーリングで立ち寄ったときの
冊子「廃村と過疎の風景(6)」 集落の記憶、中島・上笹又の取材が、
最後の機会となってしまったのですが、
お話しをうかがうことができて、本当によかったと思います。
ご冥福をお祈りいたします。
吉田吉次さんの言葉
炭焼きの苦労、豪雨災害の恐怖を思えば、何でも乗り切っていくことができた。
何事にも正直でまじめに取り組んでいくことで、道は開けるものだ。