みなさまよいお年を!

  • 2012.12.31 Monday
  • 21:17

今年(2012年)は、八丈小島の縁でたどり着いたJUGEMブログで、
ようやくブログに根をはやすことができました(^_^;)


廃校廃村のほうは、懸案だった
冊子「廃村と過疎の風景(6)」集落の記憶が9月に完成し、
現地探索も、京都市左京区大原大見から静岡県森町中塚まで
全国37か所をめぐることができました(^_^)



画像は、今年4月9日(月)、7年ぶりに訪ねた、長崎市池島の
ストア前に居た猫たちです。
池島は廃村ではないのですが、大晦日に思い出す存在になりました(^^)


何かと、あわただしい年末ですが、
みなさまよいお年を!

 

福井県勝山市 横倉

  • 2012.12.31 Monday
  • 12:48

●13 横倉(よこくら)
 福井県勝山市 【初訪】


平成23年夏、北陸方面6泊7日ツーリング、
7月27日(水、旅3日目)午前11時頃


勝山市内2ヵ所目の目標 横倉は、R.416の福井県側行止まりの末端に所在します。
現住の家は3戸。道は一応国道ですし、地内には「あまごの宿」という宿泊施設があるためか、開けた印象を持ちました。



横倉は三八豪雪の際(昭和38年1月)、雪崩災害で16名の死者を出しました。この災害はその後の離村につながり、国道沿いには雪崩災害の慰霊碑が建っていました(左側は3名の児童の慰霊碑)。
横倉小学校(野向小学校横倉分校)は、へき地等級1級、児童数40名(S.34)、昭和46年閉校です。


 

慰霊碑の対面、やや下手に神社(横倉白山神社)があったので、お参りをしていきました。

福井県勝山市 岩屋

  • 2012.12.31 Monday
  • 08:09

●12 岩屋(いわや)
 福井県勝山市 【初訪】


平成23年夏、北陸方面6泊7日ツーリング、
7月27日(水、旅3日目)


この日の起床は朝7時頃。天気は曇。吉田吉次さんと一緒に朝食をとって、
西谷村の写真集をお借りして大野を出発し、まず目指したのはえちぜん鉄道勝山駅です。
大野と勝山は、R.157で約11km。なじみ深い大野に対して、勝山は足を運ぶこと自体が今回初めてです。
駅は勝山市街のはずれ、九頭竜川の向かいにありました。
地方の駅は、ツーリングで一服するのにちょうどよく、挽いたコーヒーもあってラッキーです。



勝山駅から九頭竜川の下流沿いに進み、岩屋観音がある岩屋に到着したのは午前10時10分頃。
奈良時代の開山という岩屋観音はさらりと見ただけ、樹齢推定500年の大杉は見逃しましたが、
後の行程を考えると正解でした。



岩屋は行止まりの山中の廃村ですが、村跡にはキャンプ場が整備されています。
キャンプ場管理棟で管理人さんに出会えたので、廃村めぐりの話をすると、奥の部屋に飾られていた往時の岩屋区見取図を見せていただくことができました。



北郷小学校岩屋分校は、へき地等級1級、児童数14名(S.34)、昭和39年閉校。分校跡には、ちょうど管理棟が建っている様子でした。

「廃村 千選」 北海道(道央・道東・道北・道南)、リンクを更新しました

  • 2012.12.30 Sunday
  • 21:27

本日(12/30(日))、Webの更新で、
「廃村 千選」 北海道(道央・道東・道北・道南)において
学校名に「学舎の風景」Web、自治体名に「日本の過疎地」Blogへのリンクを
施して、アップしました。


 ◎北海道・道央
   http://heyaneko.web.fc2.com/ghl-01.html
 ◎北海道・道東
   http://heyaneko.web.fc2.com/ghl-48.html
 ◎北海道・道北
   http://heyaneko.web.fc2.com/ghl-49.html
 ◎北海道・道南
   http://heyaneko.web.fc2.com/ghl-50.html


piroさん、成瀬さんに了解をいただき、それぞれ施しました。
結果、275か所中、236か所まで、どんな様子か見ることができるようになりました。
数でいうと、86%にもなります。
piroさん、成瀬さんに感謝いたします。



画像は、その規模の大きさと、「歓迎 ようこそ夕張へ」という横断幕が印象的な
夕張市旭小学校の体育館跡です。

北海道夕張市 北炭夕張

  • 2012.12.30 Sunday
  • 12:23

2012年5月2日(水) 午後2時15分〜3時10分頃


GWの北海道4days 1日目、この日の探索、いちばんの目的地は、日本最大規模の廃村(ゴーストタウン)、北炭夕張炭鉱(昭和52年閉山)炭鉱町跡の象徴、夕張第二小学校跡です。


この日、宿を取った清水沢から、夕鉄バスに乗って、JR夕張駅、市役所がある本町を通過して、終点社光バス停で下車。
志幌加別川の東側に社光、高松、小松、西側に住初、福住、富岡、錦、いちばん奥に丁未という町名がありますが、
市が主導した「石炭の歴史村」の観光開発のため、ほぼ無住化しています。小学校は全部で3校、福住に2校(夕張神社隣と丘の中腹)と丁未にありました。
社光はどんな雰囲気の町かと思いきや、人家があるのは本町寄りだけで、バス停があるあたり(旧炭住街)は、公園と観光施設があるのみでした。
観光施設「花畑牧場 夕張希望の丘」(「シネマカフェ」「アートギャラリー」)に人影はまったくなく、営業開始は5月中旬とのこと。



誰もいない「北の零年 希望の杜」の施設からは、谷を挟んで旭小学校(旧夕張第二小学校)の校舎跡がはっきりと見えました。
夕張第二小学校は、へき地等級無級、児童数2638名(S.34)、昭和50年統合閉校。
校舎跡は「ファミリースクールふれあい」という公営の宿泊施設として使われていましたが、所在地 福住炭住街は平成15年頃に無住化し、
「ふれあい」が市の財政破綻のあおりを受けて閉鎖となったのは平成18年9月のことです。



学校の規模の大きさを考慮して「廃村千選」では、この地区名を「北炭夕張」と呼んでいます。
福住のほか、社光や高松、住初の子供たちも通っていたことでしょう。
校舎跡には「ふれあい」の青い看板が残り、一見綺麗に見えますが、よく見るとガラスが割れて、荒んでいる様子がわかります。



夕張神社の参道を背にして、左側に入っていくと、明らかに使われていない舗装道があって、その先に、旧旭小学校のRC3階建ての校舎がそびえていました。
旭小学校は、昭和50年4月に夕張第二小学校、福住小学校、丁未小学校が統合し、第二小学校の場所に創立。
児童数は、昭和50年が413名、昭和57年(最終年度)が60名。その雰囲気や規模の大きさを考えると、校舎や体育館は、第二小学校の頃からのものと思われます。
5年前までは使われていた校舎跡、正面から入って様子を見てみると、気候のせいか、人為的な破壊のせいか、驚くほど荒れていました。



3階まで上がって通路を進むと、大きな体育館にたどり着きました。荒れた感じが薄い体育館では、ひとときゆっくりして、北炭夕張が繁栄していた頃を偲びました。

福井県大野市 上若生子・下若生子

  • 2012.12.30 Sunday
  • 08:53

●11 上若生子・下若生子(かみわかご・しもわかご)
 福井県大野市


平成23年夏、北陸方面6泊7日ツーリング、
7月26日(火、旅2日目)、午後6時15分頃


中島−大野市街はR.157で約20km。温見峠が通行止のせいもあってか、交通量は限りなくゼロに近い数です。
「ゆっくり走ろう西谷路」の看板と真名川ダムサイトの麻那姫像へご挨拶して、足早に大野へ向かいました。



若生子小学校(上若生子)は、へき地等級1級、児童数74名(S.34)、昭和44年閉校です。
この夜は、大野の吉田吉次さん(西谷村出身)宅泊。「集落の記憶」の取材に協力していただきました。
 *7/26(火)、廃校廃村:9ヶ所、走行距離:211km


 ◎2000年5月の旧西谷村
   http://www.din.or.jp/~heyaneko/fukui0.html
 ◎2004年10月の旧西谷村
    http://heyaneko.web.fc2.com/dj34.html

コミケ83、出展しました(^_^;)

  • 2012.12.29 Saturday
  • 19:20

心配された雨やら雪やらにならなくて,よかったです(^_^)
珍しくりんかい線ではなく、ゆりかもめで夜景を見ながら帰りました。


★日時 2012年12月29日(土)10時〜16時


★場所 東京ビックサイト(東5ホール“ぽ(Po)”ブロック?57a)
    サークル名:HEYANEKO


購入いただいた方、来ていただいた方、ありがとうございました!
新刊(「廃村と過疎の風景」第6集),好評で,今後の動きの励みになりました(^_^;)
夏コミまでに「廃村全県踏破」(残り鹿児島,宮崎),完結させたいと思います。



画像は、ゆりかもめと京浜東北線の乗換、新橋駅SLのイルミネーションです。

福井県大野市(旧西谷村) 中島

  • 2012.12.29 Saturday
  • 05:47

●10 中島(なかじま)
 福井県大野市(旧西谷村)


平成23年夏、北陸方面6泊7日ツーリング、
7月26日(火、旅2日目)


伊勢から伊勢峠を越えて、笹生川ダムを通過して、
旧西谷村の中心集落(村役場所在地) 中島に到着したのは夕方5時50分頃。
初めて見る往時の住宅地図が、待っていてくれました。
住宅地図のおかげで、はっきりとはわからなかった学校の所在地が、
「萬霊之碑」の対面の公園内ということわかりました。
中島小学校は、へき地等級1級、児童数176名(S.34)、昭和44年閉校です。





見慣れた西谷村離村経緯の案内板もリニューアルしていました。

 旧西谷村
  福井県大野郡西谷村は何千年という往古より続いてきた平和な山村でしたが、
  昭和三十一年の県の総合開発事業の一環として建設された笹生川・雲川の
  両ダムによって、まず上秋生、下秋生、小沢、本戸の四部落が水没離村し、
  ついで昭和三十八年に襲った豪雪が因となって温見、熊河の両部落を
  失いました。
  そしてまた昭和四十年九月十四日の未曾有の集中豪雨によって壊滅的災害を
  受け、再建の途も防災目的のための真名川ダム建設によってうちくだかれ
  平和郷再建の夢を捨てて全村民離村のやむなきにいたりました。


この案内の文は、平成16年9月の「廃村と過疎の風景(2)」でも取り上げました。
  http://heyaneko.web.fc2.com/dj34.html
昭和62年9月に初めて見て以来、頭に深く刻まれている文です。



「萬霊之碑」の碑文も、この機会に起こしました。


 「萬霊之碑」碑文
  中島部落の発祥は縄文、石器時代狩猟の民を元祖として
  漸次集落化され、鎌倉南北朝時代より地の利を得て
  急速に発展、新興の中心として安養寺の建立、永禄元年
  春日神社を祀るなど、雨来星霜幾百年西谷村産業経済
  政治文化の中心地として栄えた平和郷であったが、
  昭和四十年九月十四日、壱千数十粍の集中豪雨は
  僅か一夜にして部落全域を廃墟と化し総戸数の八割に及ぶ
  百余戸を流失或は埋没し、部落内に流入した堆積土砂は
  丈余に達した。
  而るに健気な住民は之に屈せず、全国民の善意と激励により、
  ひたすら再建復興を誓って泥沼の中から雄々しく立ち上がり
  明日への希望を託したが、これを国として国は
  下流防災のため真名川ダムの建設となり、被災に重ねて
  水没の悲運にあう。
  祖先の血汗で築かれた想い出つきない美しの山河を湖底とし、
  断腸の思いで第二のふるさとを求めて移住する。
  誰か惜別の情禁じ難く、茲にお互いの幸せを念じ、
  悲涙をこめて碑を建立し、在住者の名を刻み、永遠に
  故郷を偲ぶ。
              西谷村長 山本満 記

    昭和四十四年八月建立



平成12年2月以来交流を続けてきた、旧西谷村上笹又出身、中島(その後大野市街)で
料理店「魚吉」を営まれていた吉田吉次さんが、
今年1年、永眠されました(享年78歳)。
このツーリングで立ち寄ったときの
冊子「廃村と過疎の風景(6)」 集落の記憶、中島・上笹又の取材が、
最後の機会となってしまったのですが、
お話しをうかがうことができて、本当によかったと思います。
ご冥福をお祈りいたします。


 吉田吉次さんの言葉
  炭焼きの苦労、豪雨災害の恐怖を思えば、何でも乗り切っていくことができた。
  何事にも正直でまじめに取り組んでいくことで、道は開けるものだ。

明日(12/29(土))はコミケ出展(^_^)

  • 2012.12.28 Friday
  • 17:59

早いもので、今日は本業の仕事おさめ。
しかし、明日はコミケ83に出展ということで、お休みモードにはなれません(^^;)


★日時 2012年12月29日(土)10時〜16時


★場所 東京ビックサイト(東5ホール“ぽ(Po)”ブロック−57a)
    サークル名:HEYANEKO


東京地方の今夜は雨ということですが、
何とか朝までにあがってくれることを祈るところです。
興味をおもちの方,コミケに出かける予定がある方は,
是非お立ち寄りくださいませ(^_^;)



画像は、コミケとは全く関係がない、
北海道夕張市 清水沢飲み屋街の猫です(=^_^=)

福井県大野市(旧和泉村) 伊勢

  • 2012.12.28 Friday
  • 06:58

●9 伊勢(いせ)
 福井県大野市(旧和泉村)


平成23年夏、北陸方面6泊7日ツーリング、
7月26日(火、旅2日目)


久沢から県道に戻って九頭竜湖(伊勢川)を伊勢橋で渡り、伊勢に到着したのは夕方5時頃。
湖に沈まなかった伊勢は、初めて行ったとき(昭和62年9月、24年前)には人の気配があり、もしかするとログハウスや、新たな離村記念碑が建っているかもとも思ったのですが、集落跡には個人の土地の権利を示す看板があちこちに立てられているだけでした。
大和小学校伊勢分校は、へき地等級3級、児童数33名(S.34)、昭和41年閉校です。



あと、県道沿いの林の一角に、なぜか紐がついた個人の碑が建っていました。
碑には、
「中部九県造林コンクール有料造林私有林の部で優秀な成績をおさめた」
との旨、記されていました。



昭和44年というから、ずいぶん古いものですが、
おそらく賞状(紙)の内容をそのまま碑にしたものではないかと思われます。
紐は、最近作ってここに運ばれたものということなのでしょう。

 ◎2000年5月の旧上穴馬村
   http://www.din.or.jp/~heyaneko/fukui3.html
 ◎2004年10月の旧上穴馬村(池ヶ島、荷暮)
    http://heyaneko.web.fc2.com/dj35.html

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