石川県旧山中町、生水集落跡

  • 2012.08.29 Wednesday
  • 18:27

2012年6月25日(月) 午後2時頃


石川県旧山中町の廃校廃村めぐり、
生水の離村記念碑のそばに「貯水池内立入禁止」というゲートがあったので
ゲートをくぐって貯水池(というよりもただの川)のほうに行ってみました。
川沿いの道を歩くと、「ここが生水の集落跡」と実感できます。
舗装道の上に乗っている土のかさぶたが
「年に数度は水の底になる」ことを表しているようでした。



道をどんどん歩くと、隣り村(小杉)を結ぶ橋の跡にたどり着きました。
今は橋台が残るだけですが、道筋ははっきり確認できます。
同時に高台にできた新道の道筋も、確認できました。



生水集落跡の探索で、ひときわ目を惹いたのは、
工場跡を思わせる広い敷地です。
「紡績工場とか、大きな工場があったのかな」と思いながらも
気になるので、宿題にする予定でした。



ゲートに戻ると、一台クルマが増えていて、
乗ってきていた方がいたので、ご挨拶。
お話しをすると、生水の係わりの方ではなく、山中市街の方が
山の空気を吸いにやってきたとのこと。
気になっていた工場跡について質問すると
「ダム工事で稼働していた採石プラントの跡」とのこと。
このお返事は、ありがたかったです。


このGWに出かけた北海道夕張市の鹿島では
採石プラントが稼働していましたが、
そろそろ本体工事が終わる頃。
取り壊しの時期になっているかもしれませんね。

石川県旧山中町、生水の里の碑

  • 2012.08.22 Wednesday
  • 19:39

2012年6月25日(月) 午後1時40分


石川県旧山中町の廃校廃村めぐり、
小杉(こすぎ)の集落跡は、離村記念碑や新しい道に対して
川を挟んで向こう側にありました。
小杉の辺りまで来ると、集落跡は水没しておらず、
遠眼に昔の道の様子がわかります。



小杉の碑から1kmほど、枝道を少し下ったところには
「生水(しょうず)の里」と記された離村記念碑がありました。
新しい道沿いに碑があった片谷、坂下、小杉とは異なり、
生水の碑は、昔の神社の敷地に立てられている様子でした。



    碑 文
 美しい水湧き合えるこの里を「生水」と御祖らは名づけられた。
 湧き合える水は里人の心にしみて久遠の昔から今に流れ続けた。
 湧き合える生水は陽を受けて豊かな稲穂を育てた。
 湧き合える生水に法の光はさして生きる道を示され今に継がれて
いる。
 湧き合える生水は森を育て薪炭を、竹を育て細工ものを生む力に
もなった。
 この里を拓き、守り、育てた御祖らの跡を継承した吾ら今、この
里を離れるに当り、御祖らの御労苦に深く感謝の心を捧げ、今にい
きることの喜びを、山に谷に川に生水の里に捧げ、略史を刻して別
れのことばとする。
                  生水町 離村者一同
  平成十一年十月吉日


      略 史
  古代不詳
  一四七〇頃  一向一揆の支配を受ける
  一五五〇頃  本願寺の直参門徒となる
  一七〇一   大聖寺領高辻帳 村高七一石
         この頃より、石灰生産始まる
  一八四四   村高九七石 十五戸
  一八八九   江沼郡西谷村生水区 十八戸
  一九三三   大火 十二戸中九戸焼失する
  一九三七   亜鉛採掘始まる
  一九四六   石灰岩搬出索道が設営される
  一九五三   亜鉛精錬所が稼働した
  一九八四   ダム建設のため水没十二戸が離村する



「山中町史」現代編によると、
坂下、小杉、生水は、三町でダム建設対策協議会を結成し、
昭和58年11月末から昭和59年末までの1ヶ年で集団移住を完了させた
とあります。
片谷は、単独でダム建設対策協議会を結成し、
三町から1年遅れの昭和60年末に移住を完了した
とあります。


片谷、坂下、小杉、生水の離村記念碑は、すべて平成11年10月建立。
左に大きな石碑、右に碑文というスタイルも共通です。

石川県旧山中町、小杉 望郷の碑

  • 2012.08.21 Tuesday
  • 22:21

2012年6月25日(月) 午後1時35分


石川県旧山中町の廃校廃村めぐり、
坂下(さかのしも)の次は、予定調和的に小杉(こすぎ)の離村記念碑を
目指しました。
小杉の碑のタイトルは「望郷」でした。



 碑 文

 「小杉」という地名「杉」は、スギ、スキ、スカ、スズなどと読
み、「杉」のつく土地は、すがすがしい土地、聖なる土地という意味
をもっていることが多い。また「日置地名」の付近には杉のついた
地名がよくみられる。
 私達「杉の民」の祖先はいつ頃からこの土地に住みついたのか往古
のことは詳かではないが、隣村には日置神社があり、種々の伝説が
残されていることから相当ふるいと考えられる。明らかなところで
の石山合戦(一五七〇〜一五八〇)の折、打越勝光寺住職祐恩に従
い、旗主の一人として小杉了誓が参加している文書から、杉の民の
祖先も合戦に参加していることは確かであろう。
 その頃からでも五〇〇余年、この地に住み、土地を護り、子孫繁
栄のため営々として努力を重ねてきたのである。
 今、この地に立つ杉の民の想う事は、かつての暮し、魚を捕った
川、兎を追いし山肌、炭焼く煙たつ山ふところ、日焼けした祖父母
や父母の顔など走馬燈のように体内を駆け巡ることでしょう。
 この地にダム建設に伴い、水没することとなった。
 私達は父祖伝来の土地を犠牲にして、新天地を求め移住していっ
た。しかし、この地に生まれ育った杉の民の心は永遠にこの地を去
る事はないであろう。
 この度、この地に「望郷」の碑を建て、「杉の民」の子孫がいつ
の日かこの地を訪れた時、在りし日の祖先を偲んでいただければ幸
いと思う。
                         合 掌

 平成十一年十月吉日



さすがにこれだけ連続して碑をみると、飽きてきました。
限られた時間の中、現地では碑文を読むことはなく、
「中身は後でゆっくり読もう」となりました。
いくらか現地でしっかり読んだのは、風谷の碑文だけかもしれません。


訪ねてから2か月経って、しっかり読んだ小杉の碑文、
「杉の民」という呼称と、最後の「合掌」が印象的です。

新潟県の廃村、上杉川、門原、仙見谷へ出かけてきました

  • 2012.08.19 Sunday
  • 08:32

8/18(土)、鉄道日帰りで、新潟県の廃村
五泉市(旧村松町)上杉川、門原、仙見谷へ出かけてきました。
第6集完成までに、廃村千選の3分の1超え(334か所訪問)を成し遂げたいもので…(^_^)
現地はレンタサイクルで回りました。


画像は、上杉川の分校跡です。
川内小学校上杉川分校は、児童数71名、へき地等級1級(S.34)、昭和49年閉校。
集落は昭和53年に離村しました。
分校跡は、平成9年頃まで村松町青少年自然の家として活用されましたが、
現在は、建物の基礎が残るだけになっています。



上杉川に続いて、門原、仙見谷とまわりましたが、
いずれの集落跡でも、関係の方とお会いすることはありませんでした。
自転車は7時間半ほど借りて、およそ40km走りました。

石川県旧山中町、坂下 古里の碑

  • 2012.08.16 Thursday
  • 22:34

2012年6月25日(月) 午後1時30分


石川県旧山中町の廃校廃村めぐり、
片谷(へぎだに)の「古里の地の碑」からは、次の学校跡がある九谷(くたに)まで
淡々とクルマを走らせるはずでした。


しかし、片谷−九谷間には、坂下(さかのしも)、小杉(こすぎ)、生水(しょうず)
という3つの廃村があります。
「各廃村ごとに離村記念碑があるのでは」と想像されるので、
のんびり行くことになりました。



案の定、坂下にも「古里の碑」と刻まれた離村記念碑が立っていました。
「山中町史」現代編(1999年)によると、
移住を余儀なくされた6町86戸の内訳は、
枯渕13戸、片谷25戸、坂下5戸、小杉7戸、生水12戸、九谷24戸で、
坂下がいちばん小さな集落だったことがわかります。


 碑 文

 坂下町は往昔は付近一帯を日置谷と称し、
その中心集落として栄え、延喜式内社日置
神社が鎮座し、近郷十ヶ村の惣社として別
名、砥倉明神、風ノ宮とも云われた。
往時は山中谷との交流は坂下峠より四十九
院を経て山中、動橋方面への交通の要所で
あり、峠の下の集落として「坂下」の地名
が生まれたといわれている。
 以来畿変遷、いま私たちは公共の利益を
信じ、九谷ダム建設に協力して愛着尽きな
いこの地を去る。
 由緒ある伝統と古い輝かしい歴史を偲び、
祖先と多くの先人の労苦に感謝しながら、
ふる里の山河は永久に栄えることを念じ
つつ、その深い思いをこの碑に託す。

 平成十一年十月吉日


「山中町史」現代編によると、
片谷、坂下、小杉、生水の4町は、移転先の山中町加美谷台において
「新しい鎮守の社は、4町の神社をひとつにまとめて日置神社として新築した」
とあります。
日置神社は、坂下の神社の名前です。



神社跡の標柱があったのは、坂下だけです。
「坂下が日置谷の中心集落だった」
というのは、集落の規模でははかれない部分なのかもしれません。

石川県旧山中町、片谷 古里の地の碑

  • 2012.08.15 Wednesday
  • 08:22

2012年6月25日(月) 午後1時25分


石川県旧山中町の廃校廃村めぐり、
九谷ダム 想郷の碑の辺りから五彩湖と命名されたダム湖の湖面を見ましたが、
深さは感じられませんでした。



想郷の碑は、枯渕(かれぶち)と片谷(へぎだに)の境目辺りに立っています。
「往時学校があった片谷には、もしかしたら学校跡の碑があるかな」
と思っていたので、碑を後にしてから、湖沿いにゆるい早さで走っていると
県道から湖沿いに入る歩道が見つかりました。


クルマを停めて歩道に入っていくと、いつくかのお墓と
「古里の地 片谷町」という、片谷の離村記念碑が立っていました。



 碑 文

 私達の祖先が永い年月営々辛苦の中から
凝土の発展と子孫繁栄のために築き残され
た山紫水明のこの平和な里に、ダム建設の
計画が公表された。井ら、住民は祖先伝承
のこの安住の地が水没し、移住するという
極めて深刻な問題に昼夜を問わず協議を続
けた結果、公共事業の重要性を理解し悩み
苦しみを乗り越え、郷土のよりよい発展を
希い、地権者一同の相違により、ダム建設
に協力することを決意した。
 往時をしのぶばかりであったこの地を幾
星霜が経た今日、ダム湖周辺の水と緑豊か
な憩いの場として、私達の祖先が眠るこの
見晴らしの大地に地域の発展を希い、「古
里の地」の碑を建立する。

 平成十一年十月吉日


「希い」は「ねがい」と読むと思うのですが、
碑文を起こす作業をしていて、初めて知った読み方です。


片谷小学校(明治7年開校、昭和47年閉校)に係わる碑は
見つかりませんでした。

石川県旧山中町、九谷ダム 想郷の碑

  • 2012.08.14 Tuesday
  • 08:51

2012年6月25日(月) 午後1時15分


石川県旧山中町の廃校廃村めぐり、
枯渕集落跡からは、九谷ダムの堤体がよく見えます。



堤高75.8m、総貯水容量2490万立方mですから、大きいダムではありませんが、
多くの集落がダムに係わって離村していて、無人の地が広がっているので
廃村という視点で見ると、存在感は強いといえます。



平成18年竣工の新しいダムサイトは、明るくて、広い駐車場がありましたが、
売店の類はありませんでした。
しかし、「想郷」「石川県知事 谷本正憲」と彫られた大きな碑があって
廃村探訪者に、九谷ダムを強くアピールしてくれました。


 碑 文

 九谷ダム建設に協力し祖先
伝来の地を離れて移住を余儀
なくされた六町八六戸、及び
小学校二校、神社、保育所、
診療所など、今はただ往時を
偲ぶしかない。
 古里への愛着立ちがたく残
された山河の整備と地域振興
を希いつづける枯渕、片谷、
坂下、小杉、生水、九谷町住
民の心情と想いをこの碑に託
し、富士写ヶ岳を仰ぐこの地
に望郷の碑を建立する。

 平成十年十月
 山中町長  上出 弘



旧山中町の廃校廃村めぐり、風谷を皮切りに回り始めて1時間半ほど、
見つけた碑は、これで6個目。どれも立派です。
どうも旧山中町は、石碑が好きな土地柄のようです。

九谷ダム建設には、九谷の奥の真砂も係わっていると見ていたのですが
碑に「六町八六戸」と明記されていたので、
真砂は含まないことになりました。

「コミックマーケット82」に出展しました!

  • 2012.08.12 Sunday
  • 20:43

いや〜、夏コミは体力勝負っす(^^;)!


「廃村と過疎の風景」第1集〜第5集、出展しました(^_^;)
 

日時 2012年8月12日(日)10時〜16時


場所 東京ビックサイト(東5ホール“ぱ(Pa)”ブロック−34a)
   サークル名:HEYANEKO


イベントの詳細はこちらです。
    http://www.comiket.co.jp/
   *「コミケ82」(3日間開催)の3日目です。
   *出展者数は約35,000サークル(3日間計)です。
   *出展するブロック(東5ホール)の3日目のジャンルは,同人ソフト,鉄道・旅行・メカミリです。



2012年同人誌即売会初出展です。
持込み135冊、売上げ80冊は、新刊なしとしては健闘したといえそうです(^^;)
購入いただいた方、ありがとうございました!

新刊(「廃村と過疎の風景」第6集)もがんばって仕上げますです(^_^;)

 

コミケ82に出展します! (再掲)

  • 2012.08.11 Saturday
  • 08:02

 コミケ82に出展します!


===


2012年、同人誌即売会 初出展です!
「廃村と過疎の風景」第1集〜第5集、出展します(^_^;)


 ●日時 2012年8月12日(日)10時〜16時
 ●場所 東京ビックサイト(東5ホール“ぱ(Pa)”ブロック−34a)
     サークル名:HEYANEKO


 *「コミケ82」(3日間開催)の3日目です。
 *出展者数は約35,000サークル(3日間計)です。
 *出展するブロック(東5ホール)の3日目のジャンルは,
  同人ソフト,鉄道・旅行・メカミリです。


2011年8月の 「コミケ80」に続く,同人誌即売会出展です。
残念ながら、出展を目指していた「廃村と過疎の風景」第6集は
間に合いませんでした…(-_-)
チラシぐらいはしっかり作っていこうと思います(^^)


興味をおもちの方,コミケに出かける予定がある方は,
是非お立ち寄りください(^_^;)


===


画像の猫とは、長崎県長崎市(旧外海町)のかつて炭鉱で栄えた島
池島の港(きっぷ売場)で、
2012年4月10日(火)朝8時半頃に出会いました。
その後、高速艇に乗って昭和小学校が待つ崎戸炭鉱を目指しました。



「廃村と過疎の風景」第6集 集落の記憶

  • 2012.08.05 Sunday
  • 07:48

完成時期で少々悩んだ「廃村と過疎の風景」第6集ですが、
9月10日(月)で固まりましたので、ご連絡いたします。
  http://www.din.or.jp/~heyaneko/haison6.html


できあがるまで何があるかわからないので
「予定」の表記は入っています(^^)
これで、コミケ82(8月12日(日))用のチラシをつくることができます(^^;)



◆「廃村と過疎の風景 6 集落の記憶」
 頒価 1,575円(税込)
 頁数 168ページ+図版4ページ
 版形 B5判(26cm)
 発行時期(予定) 2012年9月10日
 ISBN 978-4-9903475-6-7

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