おけと湖畔には「旭入植地水没記念碑」という碑があるという。
田中さんは「ダム堤体のそばにある」と話していたので、「これは見つけなければ」と思いながら
戻り道をゆっくりたどっていると、湖畔の広場の奥に碑を見つけることができた。
碑には「大正9年に森林鉄道敷設、大正12年に営林署の労務者が開墾と造林事業を目的に入植」
と刻まれていたが、離村時期はないので、従来通り閉校年の頃と考えることにした。
画像1 : 常上旭・学校跡1?手前、閉ざされたゲートが現れた
この旅で閉ざされたゲートに出会ったのは、これが唯一だった。
画像2 : おけと湖畔に「旭入植地水没記念碑」を見つける
画像3 : 「旭入植地水没記念碑」を裏側から見る
(2024年2月13日(火)午前7時5分〜7時20分頃)
ダム湖(おけと湖)は真っ白で、人の気配は全くない。
湖畔の道を進んでいると、3匹のエゾシカが道を横切り、斜面を上がっていった。
野生動物との遭遇は、続くときは続くが無いときは無いが続く、
3泊4日の旅でエゾシカと出会ったのはこのときだけだった。
画像1 : 常上旭・ダム堤体からおけと湖を望む
画像2 : 常上旭・エゾシカと遭遇する(1)
画像3 : 常上旭・エゾシカと遭遇する(2)
(2024年2月13日(火)午前6時45分〜6時55分頃)
画像1 : 置戸市街のイルミネーション
右側の足元にはキャンドルライトがある。
画像2 : 置戸市街のイルミネーション(2)
左は写真店の明かりで、七五三の写真が見られた。
画像3 : 置戸市街のイルミネーション(3)
少しぼやけているのだが、明るく感じられるものになった。
(2024年2月12日(月)午後5時45分〜7時45分頃)
画像1 : 留辺蘂駅・ホームから駅舎を望む
画像2 : 留辺蘂駅・屋根が付いた島式ホーム
画像3 : 留辺蘂駅・駅名標
(2024年2月12日(月)午後3時35分〜3時45分頃)
画像1 : 西留辺蘂駅・踏切から駅を望む
この先3.5?に、旧金華駅(平成28年廃止)がある。
画像2 : 西留辺蘂駅・ホームへのスロープ付近
駅舎はなく、スロープ付近に駅名標示はない。
画像3 : 西留辺蘂駅・駅名標
通過していくオホーツクが一緒に収まった。
(2024年2月12日(月)午後3時20分頃)
上金華小学校は、へき地等級2級、児童数10名(S.34)、昭和27年開校、昭和38年閉校。
分岐点から1?弱の枝道沿いに、学校跡の碑が見当たった。
分岐点には「愛媛団体入植之地」の碑と馬頭観音碑が並んで建っており、
ここで名寄まで帰る田中さんを見送った。
入植之地の碑は「大正5年入植、昭和44年までに全戸離農」と刻んでいた。
画像1 : 上金華・枝道沿いに学校跡の碑が建つ
画像2 : 上金華の枝道、学校碑の前をSWIFTが走る
画像3 : 国道と枝道の分岐点、愛媛団体入植地碑と馬頭観音碑が並んで建つ
(2024年2月12日(月)午後2時15分〜3時頃)
駅廃止から8年経った駅前市街に残る現住家屋は3戸(R.6)。
半壊した家屋が寂れ感を強くしていた。
画像1 : 金華駅跡・信号所として駅舎が残る
画像2 : 金華駅前市街、寂れ感が強く漂っている
画像3 : 半壊した家屋が寂れ感を強くする
画像4 : おそらく駅舎は、廃止前とあまり変わらないのであろう
(2024年2月12日(月)午後2時〜2時10分頃)
富士見小学校は、へき地等級1級、児童数49名(S.34)、昭和4年開校、昭和39年閉校。
五万地形図(北見富士、S.33)を見ると、文マークは国道沿い、無加川とパオマナイ沢の合流点のそばに記されている。
しかし、心当たりの場所には上武華駅逓跡の碑が建つだけで、そこにあるはずの富士見小学校跡の碑は見つからなかった。
学校碑の有無については、無積雪期に再訪したときの課題にしたい。
画像1 : 富士見・上武華駅逓跡の碑が建つ
画像2 : 北見富士(標高1291m)と上武華駅逓跡の碑
(2024年2月12日(月)12時25分頃)
『秋田・廃村の記録』(初版)が2016年10月発行、
『撤退の農村計画』が2010年8月発行ですから、
とてもゆっくりしたペースでの新刊ですが、
しっかりと積み上げてきたものの強さが感じられる内容になっています。
林直樹さんとの付合いは、2014年8月、つくばの国立環境研究所で行った
講演「廃村と過疎の風景2014」のときからで、
かれこれ10年経っているのですね。
10年後に京都のフォーラムでご一緒するというのも、縁を感じるところです。
昨日発売の「Wedge」2024年4月号に
撤退戦略についてのまとまった記事が載っています。
『撤退と再興の農村戦略』本編ともども、
興味・関心のある方、是非お手にとってお読みください。
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画像1 : 富士見大町・「イトムカ鉱山発祥之地」の碑が建つ
画像2 : 日待ちして、改めて「イトムカ鉱山発祥之地」の碑を撮る
画像3 : 積雪の中,「恵泉中学校跡」碑の頭が見つかった
(2024年2月12日(月)12時5分頃)
画像1 : 国道273号、三国峠(標高1139m)に初めてたどり着く
(2024年2月12日(月)午前10時55分頃)
画像2 : 国道273号、三国大橋(標高1020m)をSWIFTが駆け抜ける
(同 午前11時頃)
画像3 : 国道39号、石北峠(標高1050m)に初めてたどり着く
(同 午前11時45分頃)
三股小学校は、へき地等級2級、児童数120名(S.34)、昭和19年開校、昭和51年閉校。
五万地形図(石狩岳、S.46)を見ると、駅のそばには多くの家々があって、
文マークは東側の高台に記されている。
季節柄、学校跡は遠目で見るだけにした。
現在(R.6)、三股には現住家屋が2戸あって、1戸は三股山荘、もう1戸はかつての郵便局局舎だという。
バスは北海道拓殖バスのノースライナー(旭川−帯広)で、1日1往復だった。
画像1 : 十勝三股バス停と、郵便局局舎だったという現住家屋
画像2 : 三股山荘、敷地の一角に十勝三股駅名標がある
画像3 : 三股山荘の駐車場から三国山(標高1541m)を望む
(2024年2月12日(月)午前10時20分〜10時30分頃)
黒石平にあった黒石小学校は、へき地等級1級、児童数34名(S.34)、
昭和28年開校、昭和45年閉校。
バス停そばの駐車場から長靴を履いて雪原へと向かい、
「防雪林を目指せば大丈夫」という田中さんに続いていくと、
林の縁に半ば雪に埋もれた学校跡の碑が見つかった。
画像1 : 黒石平バス停そばの駐車場から、電力所前仮乗降場跡方向に歩く
画像2 : 小学校跡を目指し、田中さんに続いて雪原を歩く
画像3 : 黒石小学校跡、「小学校跡」の碑が建つ
(2024年2月12日(月)午前9時10分〜9時40分頃)
旭丘小学校は、へき地等級5級、児童数21名(S.34)、大正15年開校、昭和46年閉校。
閉校後50年超、校舎は残っているが周囲には雑木がたくさん生えている。
高台には5戸の農家があるが、道道沿いには校舎以外の建物は見られなかった。
画像1 : 旭ヶ丘・学校跡近辺の道道の風景
画像2 : 雑木に埋もれながらも校舎が残る
画像3 : 高台への分岐、旭ヶ丘案内図が建つ
(2024年2月12日(月)午前8時40分〜8時45分頃)
画像1 : 清水谷・道道分岐あたりの国道273号の風景
画像2 : 「清水谷」の標示板と清水谷バス停
画像3 : 清水谷バス停
十勝バスぬかびら線(帯広−ぬかびら温泉)は、日に4往復あるらしい。
(2024年2月12日(月)午前8時25分頃)
「地域のこれからを考えるフォーラム」に登壇します
来たる4月21日(日)、京都で開かれる「地域のこれからを考えるフォーラム」に登壇します。
ポスター掲載の肩書は、アレックス K.T.マーティンさんに付けていただいた「廃村専門家」にしました。
https://muratsumugi-240421-kyoto.peatix.com/
【日時】 2024年4月21日14時〜17時
【場所】 京都大学国際交流ホール
【ゲスト】 林直樹氏 金沢大学 准教授
田中輝美氏 島根県立大学 准教授
浅原昭生氏 廃村専門家
オンライン配信もありますので、興味・関心のある方、よろしかったらご参加ください!
画像:「地域のこれからを考えるフォーラム」のポスター
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清水谷小学校は、へき地等級1級、児童数60名(S.34)、昭和27年開校、昭和50年閉校。
閉校後およそ50年、校舎は残っているが使われている様子はない。
ただ、除雪がなされていたため、無理なく校舎の玄関を見ることができた。
画像1 : 清水谷・学校跡入口は国道と接続している
画像2 : 積雪期だが、無理なく校舎の玄関を見ることができた
画像3 : 校庭の一角に、静かに遊具が残っていた
(2024年2月12日(月)午前8時15分頃)
画像1 : 早朝の上士幌市街(1)
画像2 : 早朝の上士幌市街(2)
画像3 : 早朝の上士幌市街(3)
(2024年2月12日(月)午前5時55分頃)
画像1 : 福山・学校跡に碑が建つ
碑は「平成20年建立 新得町教育委員会 郷土研究会」とあった。
画像2 : 背面から碑を見る
除雪された道は、クルマが余裕で通る幅があった。
画像3 : 閉鎖された大規模牧場「狩勝牧場」の管理棟
除雪はされておらず、手前の碑の確認はあきらめた。
(2024年2月11日(日)午後2時10分〜2時20分頃)
福山にあった大規模牧場「狩勝牧場」は平成30年3月に閉鎖されており、
現地まで行けるかどうか心配だったが、
道は除雪が行われており、林業関係と思われるクルマの轍が見られた。
画像1 福山へ向かう道、手前1?ほどの地点
画像2 狩勝峠手前の斜度が高い国道38号が見える
狩勝峠は標高624m。かつては根室本線も峠の近辺を越えた。
(2024年2月11日(日)午後2時25分頃)
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新内小学校は、へき地等級1級、児童数59名(S.34)、昭和8年開校、昭和49年閉校。
学校跡には整った校舎が残り、公共の施設(新内ホール)として活用され続けている。
手入れされた校舎を見ると、穏やかな気持ちになった。
画像1 新内・学校跡に整った校舎が残る
画像2 校舎は公共の施設として活用され続けている
画像3 学校跡対面には、新得町営育成牧場の施設が建っていた
(2024年2月11日(日)午後1時45分〜1時50分頃)
画像1 岩松・道道沿いに「野生動物注意」の岩松町内会の看板が残る
画像2 集落跡に複数の無住家屋が残る
画像3 学校跡に門柱のレプリカと郷土研究会による案内板が建つ
(2024年2月11日(日)午後1時25分〜1時35分頃)
画像1 岩松・トムラウシへ続く道道沿いに新岩松発電所の建屋が建つ
画像2 発電所建屋の対面、神社が建つ
画像3 発電所建屋の対面、神社が建つ(拡大)
季節柄、神社は遠くから見るだけにした
(2024年2月11日(日)午後1時20分頃)
画像1 西上幌内小学校跡、牧場の敷地に標柱と門柱が並んで建つ
画像2 門柱の背後には沿革を記した碑が建つ
画像3 干し草ロールの貯蔵庫が見当たった
(2024年2月11日(日)午前11時20分頃)
先頭を行くK・Tさんのクルマが、地区の会館前で停まった。
「何だろう」と思ったら、丘の上から熱気球を眺めるのにちょうどよい場所だとのこと。
私は熱気球を見るのは初めて。
時間に追われず、のんびりと熱気球を眺めるのもいいものだ。
画像1 押帯の丘から眺めた熱気球
三連休の好天の2日目。気球は7つぐらい飛んでいただろうか。
画像2 駐車場所の前に建つ上押帯一会館
背後には、ひたすら雪景色が広がっていた。
画像3 上押帯一会館の対面、牧場のウシ
2頭のウシが、ステージの上にいるような感じで目立っていた。
(2024年2月11日(日)午前9時45分〜9時55分頃)
閉校記念オブジェには閉校50年後に向けてのタイムカプセルが入っているらしいのだが、
開けられることはあるのだろうか。
学校跡近辺には大規模な牧場があって、寂しい感じはしなかった。
画像1 上美蘭別小学校跡・閉校記念オブジェと工事関係の作業小屋
検索したところ、オブジェの名前は「あゆみの塔」ということがわかった。
画像2 閉校記念オブジェと滑り台
そばの樹(五葉松)は学校のシンボルだったらしい。
画像3 工事関係の作業小屋と体育館
並んでいるので、体育館も工事関係の施設に見える。
(2024年2月11日(日)午前9時30分頃)
画像1 美蘭別小学校跡・雪の中、小さな碑が見える
画像2 碑には「郷学」と刻まれていた
画像3 学校跡の対面、旧郵便局舎かもしれない建物が残る
(2024年2月11日(日)午前9時5分頃)
画像1 美都小学校跡・すぐそばに古びた公民館が建つ
画像2 美都小学校跡・道道方向に馬頭観音碑、地神碑が並んで建つ
(2024年2月10日(土)12時55分頃)
・北海道新得町岩松
・北海道置戸町常元鹿ノ子
・青森県青森市八甲田開拓
・新潟県出雲崎町上相田
・新潟県小千谷市小土山
・長野県木曽町(旧新開村)中幸沢
・静岡県掛川市明ヶ島
・静岡県浜松市天竜区(旧佐久間町)久根鉱山
・鳥取県三朝町中津
・高知県安芸市古井
・高知県香南市(旧香我美町)舞川
・高知県香美市(旧大宮町)河野
あわせて、令和5年9月以降に存在がわかった冬季分校関係の廃校廃村10か所を
番外としました。
今回の更新によって、「廃村千選」の中(番外を除く)の廃村の数が
1000か所を超えました。
調査開始(平成17年)から19年目、感慨深いものがあります。
これを契機に新たな追加は番外とすることにしました。
総数「1128か所」が定まった数になります。
情報を提供していただいた、國光さん、おきのくにさんに感謝いたします。
画像1 : 「HEYANEKOのホームページ」、廃村千選 東日本編のトップページ
画像2 : 「HEYANEKOのホームページ」、廃村千選 西日本編のトップページ
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画像1 上里小学校跡・校舎と校庭(ビニールハウス)とブランコ
画像2 上里市街、古びた無住家屋が建つ
もしかしたら。郵便局舎だったのかもしれない。
画像3 上里市街、「子供飛出し注意」の看板を見かける
(2024年2月10日(土)午後1時10分〜1時20分頃)
画像1 二又小中学校跡・校舎は傷み、校庭は残土置場になっていた
画像2 道道51号沿いには、かつて二又市街があった
画像3 学校跡の対面には、二又開拓記念碑が静かに佇んでいた
(2024年2月10日(土)午後2時50分〜3時5分頃)
画像1 里美・分校跡には作業小屋と桜並木がある
画像2 道道沿いに、壁面だけになったブロック造り家屋が残る
画像3 探索の終わりに、里美越の標板を見つける
里美は上里の一部として扱われているので、「里美」の名前が見つかり嬉しかった。
(2024年2月10日(土)午後1時25分〜1時55分頃)
新最上小学校は、へき地等級2級、児童数12名(S.34)、昭和27年開校、昭和41年閉校。
離村時期は昭和44年頃(閉校から3年後ぐらい)と推測している。
当初「積雪のため行けないのではないか」とも思った学校跡、集落跡だが、
林業関係のクルマの轍があったため、無事訪ねることができた。
「校舎だったかもしれない」と思わせる作業小屋付近で折り返して
たどり着いた分校跡は、道道27号から新最上への枝道に入って1?ほどの場所で
作業小屋よりもだいぶ手前にあった。
画像1 新最上・「校舎だったかもしれない」と思わせる作業小屋付近
道道から枝道に入って3?ほど、冬にここまで行けるとは思わなかった。
画像2 「校舎だったかもしれない」と思わせる作業小屋
移設された可能性はあるが、はっきりしたことはわからない。
画像3 新最上小学校跡には、雪山ができていた。
痕跡は何もなく、跡地碑が建っていれば嬉しいところだ。
(2024年2月10日(土)午前11時25分〜11時40分頃)
画像1 栄・学校跡にはメガファームの施設が建っている
画像2 メガファームの一角に獣魂碑が建つ
画像3 メガファームの手前、1戸の廃屋が残る
(2024年2月10日(土)午前10時45分〜10時50分頃)
紀伊國屋新宿本店は、3階-H38 社会問題の棚に2冊ありました。
三省堂 池袋本店には在庫がなく、『記憶に残る廃村旅』で調べると
1階 120-05 地方史・郷土誌の棚に『廃村旅』が1冊ありました。
ジュンク堂池袋本店では、2階 地図旅行書 15 国内紀行と
9階 芸術 壁面D 003 東北の歴史に
計7冊あると、プリントされました。
2階の様子を見に行くと、
棚やや上方に表紙が見える形で3冊、
棚下方に『日本廃村百選』『記憶に残る廃村旅』と並ぶ形で1冊ありました。
ジュンク堂池袋本店は、ありがたい存在です。
1か月ぐらい経ったら、9階にも足を運んでみようと思います。
画像1 : ジュンク堂池袋本店、『住まなくなっても守りたい』(その1)
書店の棚、それも表紙が見える形で並ぶというのは、ありがたいことです。
画像2 : ジュンク堂池袋本店、『住まなくなっても守りたい』(その2)
上の棚にブラタモリが、下の棚にはワンダーJAPONが並んでいます。
画像3 : ジュンク堂池袋本店、『住まなくなっても守りたい』(その3)
棚下方では、軍艦島、池島や産業遺産の本と一緒に並んでいました。
(2024年2月24日(土)午後5時30分頃)
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美幌町の人口(R.6)は およそ18,000名(S.45は およそ26,000名)、
オホーツク管内東部では、北見、網走に続ぐ規模がある。
駅の中に地域物産展という感じの店があったので、塩風味のパンを買った。
画像 : 美幌駅、駅舎
(2024年2月10日(土)午前9時45分頃)
画像1 : 冬の西女満別駅、待合室
画像2 : 冬の西女満別駅、待合室とホーム
画像3 : 冬の西女満別駅・ホームと駅名標
夏と比べると、茂みがなくてすっきりしている。
(2024年2月10日(土)午前9時25分頃)
何かの情報を得るには駅がよいので、訓子府駅跡に立ち寄ると、
駅の構内に食事処「駅茶屋」があったので、迷わず入ることにした。
ゆったりとした、マンガの単行本がたくさん並んでいる店内では
ドリンクバー付きでかしわうどんを食した。
あと、「てぬきたこめし」の缶詰を家の土産に買った。
画像1 訓子府駅跡・駅舎を正面から見る
駅跡はバスターミナルとして活用されている。
画像2 訓子府駅跡・駅舎を裏手から見る
廃線(平成18年)からすでに18年。
これほどしっかりした駅跡は、あまりないのではないだろうか。
画像3 訓子府駅跡・ホーム
一角に喫煙所が設けられていた。
(2024年2月13日(火)午前11時〜11時50分頃)
美園小学校は、へき地等級4級、児童数21名(S.34)、
昭和21年開校、昭和50年閉校。離村時期は平成8年頃。
美園地内の道道143号を走ったところ、パーキングのそばに往時を偲ばせる廃屋、
牧場の柵の向こうにすっきりとした小学校の案内板を見つけた。
画像1 美園・道道143号沿いで見かけた廃屋
画像2 美園小学校跡は柵の向こう、牧場の施設になっている
画像3 柵越しに、美園小学校跡の案内板を眺める
「横綱大鵬が小学2年のとき在籍した」と記されている。
新しい感じがしたのだが、「平成6年10月」とあった。
(2024年2月13日(火)午前10時30分〜10時40分頃)
令和6年猫の日、『住まなくなっても守りたい』、発売日を迎えました!
本という昔ながらのメディアの良さを引き出すべく、制作しました。
先ほど、ホームページの案内を更新しました。
http://www.din.or.jp/~heyaneko/sumanaku.html
各ネット書店での販売が始まりました。
アマゾン : https://www.amazon.co.jp/dp/4870226154/
楽天ブックス : https://books.rakuten.co.jp/rb/17767770/
honto : https://honto.jp/netstore/pd-book_33124671.html
東京都内の大規模書店と、秋田県内の書店に限られると思いますが、
書店の店頭にも並ぶはずです。
取寄せは、全国の書店で可能です。
近々、ジュンク堂池袋本店あたりに足を運ぼうと思います。
多くの方に、手に取って見ていただきたいところです。
画像1 川上バス停、待合室と広い駐車スペースがある
画像2 川上バス停そば、酪農家の家の対面で見かけた牛注意の交通標識
画像3 川上駅跡、ホームにはトイレができていて、横に駅名標の枠が残っていた
(2024年2月13日(火)午前10時頃)
画像1 小利別駅跡、瀟洒な駅舎を短絡通路から眺める
画像2 小利別駅跡から、市街の幅が広い道を眺める
画像3 小利別市街には多くの無住家屋が建っていた
(2024年2月13日(火)午前9時20分頃)
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「どんな施設なのか」と思ったが、予想に違わず個性的な宿だった。
市街ではあるけれど、周囲は公園や公共施設になっていて、
歩いて7分ぐらいのはずのコンビニや食事処がすいぶん遠くに感じた。
画像1 置戸市街・若者交流センター
明るいうちに到着できてよかった。
(2024年2月12日(月)午後4時45分頃)
画像2 若者交流センター(その2)
到着から30分後、空はすっかり暗くなった。
(同 午後5時20分頃)
画像3 若者交流センター(その2)ホールすぐそばの市街、キャンドルが灯る
公園内には中央公民館やスポーツセンターがあるが、人の気配はなかった。
正面に、旧置戸駅駅舎(コミュニティホールぽっぽ)が見える。
(同 午後5時20分頃)
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ふるさと銀河線(平成18年廃止)旧置戸駅駅舎は
「おけとコミュニティホール ぽっぽ」になっており、
入口には「置戸駅」の表示があった。
ホールの中には絵画館があって、とても上品な感じがするが、人の気配は薄かった。
滞在している間に、陸別発北見行きのバスが静かに発車していった。
画像1 旧置戸駅・おけとコミュニティホール ぽっぽ
画像2 ホール入口の「置戸駅」の表示
画像3 ホールすぐそばの市街、キャンドルが灯る
(2024年2月12日(月)午後5時30分頃)
市販本
『住まなくなっても守りたい−元住民たちの想い』
のご案内
「ここにムラがあったこと」、伝えるものは何だろう.
(秋田文化出版刊、2024年2月22日発売予定)
◎著者 浅原 昭生
◎四六判、本文280ページ(オールカラー)
◎定価 2,200円(10%税込)。 ISBN978-4-87022-615-9
令和の世が進み、人口減は加速している。限界集落が無住になると、どうなっていくのだろうか。
本書では、全国の廃村をくまなく訪ね、調査する著者が、元住民たちとの出会いがあった18か所の無住集落について、歴史と現況をまとめ、「住まなくなっても守りたいもの」を掘り下げる。
私たちが未来に向けて守っていきたいものは何だろうか。廃村は多くの気づきのきっかけを持っている。
===
【目 次】
○ まえがき(アレックス K.T.マーティン)
○ 「住まなくなっても守りたい」のあらまし
○ 廃村の定義、本書の特徴
○ 表紙画像、野灯について
● 廃村聞き取り 東日本(北海道・東北・関東)
01 歴史の語り継ぎに込めた想い 鴻之舞(北海道紋別市)
02 学校跡整備と花壇に込めた想い 上雄柏(北海道滝上町)
03 集団移転地から通耕を続ける 小摩当(秋田県北秋田市)
04 開拓地の田んぼにまつわる集い 東由利原(秋田県由利本荘市)
05 子供も大人も育んだ冬季分校 小倉(山形県小国町)
06 私家版写真集から伝わった想い 石津鉱山(群馬県嬬恋村)
コラム1 廃村調査26年 ?合津(秋田県大館市) 湯田(秋田県美郷町)
● 廃村聞き取り 中部地方(甲信越・東海・北陸)
07 鳴き砂と毒消し道復活への想い 角海浜(新潟市西蒲区)
08 伝統のまつり継続に込めた想い 沓津(長野県飯山市)
09 水没を免れた学校跡の一本桜 八橋(愛知県設楽町)
10 ふるさと情報紙に込めた想い 越波(岐阜県本巣市)
11 古民家温泉民宿に込める想い 北原(富山県南砺市)
12 木地師縁の里に離村碑が建つ 割谷(福井県池田町)
コラム2 再生した廃村の今昔 ?芝平(長野県伊那市)
● 廃村聞き取り 西日本(関西・中国・四国・九州・沖縄)
13 ゆるく交流する元住民と訪問者 保月(滋賀県多賀町)
14 平家伝説のまつりを続ける想い 向畑(山口県岩国市)
15 千人住んだ村、二つの想い 石鎚村(愛媛県西条市)
16 現世は歴史があってできている 竹屋敷(高知県北川村)
17 空港となったふるさとへの想い 箕島(長崎県大村市)
18 ふるさと再生プロジェクトの夢 新島(鹿児島市)
コラム3 離島の廃村、二つの記録 鳥打(東京都八丈町) 網取(沖縄県竹富町)
○ 廃村の聞き取りで心掛けていること/成果物を振り返って
○ 謝 辞
○ 参考文献・出典資料
○ あとがき
===
新刊『住まなくなっても守りたい−元住民たちの想い』、
発売日(2月22日(木)、奇しくも猫の日(=^_^=))が近づいてきました。
先週、出版社から見本が届きました(画像左側)。
制作用に用意した校正紙を巻いたもの(画像右側)に比べると、黒っぽい感じがしますが、
メリハリがはっきりして、良い感じです(^_^)
昨日今日で、力添えいただいた元住民の方、探索仲間などに見本を発送します。
アマゾンをはじめとした予約受付も、あと5日で「発売中」に替わります。
https://amazon.co.jp/dp/4870226154/
表紙画像は、愛媛県西条市石鎚村、中村の野灯です。
発売からしばらくすると、全国各地の図書館に導入されると思います。
本という昔ながらのメディア、手に取って読んでいただけると嬉しく存じます。
どうぞよろしくお願いいたします。 >みなさま
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画像1 国道242号 置戸町に「秋田市街」の案内板
画像2 秋田市街中心部、T字路に商店が建つ
画像3 秋田市街の一角、「秋田団体着手小屋跡」碑が建つ
(2024年2月12日(月)午後4時10分頃)
昭和62年、上士幌駅は国鉄士幌線(帯広−糠平)とともに廃止。
駅跡は交通公園として整備されている。
早朝に散歩がてら訪ねたところ、大きな屋根のホームのレプリカが迎えてくれた。
画像1 上士幌駅跡・交通公園の駐車場
案内板には「交通公園交流施設」と記されている。
画像2 上士幌駅跡・大きな屋根のホームのレプリカ
交通公園という眼で見ると「交流施設」の本丸になるようだ。
画像3 上士幌駅跡から、夜明け前の東の空を望む
一角には交通公園パークゴルフ場の旗が建っていた。
(2024年2月12日(月)午前6時頃)
画像1 足寄駅・旧駅舎のレプリカ
ノボリから、食堂や喫茶が入っていることがわかる。
画像2 あしょろ銀河ホール21 で見た往時の足寄駅 旧駅舎
確かに、レプリカは左右に180度反転した形になっている。
画像3 足寄駅・駅名標
駅名標だけ切り取ったほうのが、往時の雰囲気が出ているかもしれない。
(2024年2月10日(土)午後4時25分〜4時35分頃)
陸別町の人口(R.6)は およそ2,200名(S.45は およそ6,900名)、
「日本一寒い町」というキャッチコピーで知られている。
ふるさと銀河線は平成18年に廃止となったが、
陸別駅はりくべつ鉄道(観光鉄道)に引き継がれており、
名実ともに「陸別駅跡」ではなかった。
画像1 陸別駅・駅舎
画像2 陸別駅ホーム、2両の気動車が停車する
銀河鉄道999は高校生の頃、少年キングの連載で読んでいたものだった。
画像3 積雪期の陸別駅構内
信号が点いているのが嬉しかった。
(2024年2月10日(土)午後3時45分頃)
画像1 緋牛内駅、遠軽行きのキハ40系
画像2 緋牛内駅、遠軽行きのキハ40系(プレートを拡大)
(2024年2月13日(火)12時55分頃)
画像1 : 冬の緋牛内駅・正面から駅舎を見る
画像2 : 緋牛内駅・上りのホームから駅舎を見る
画像3 : 折よく緋牛内駅に 遠軽行き普通気動車が到着した
この3月の改正で、石北本線からいなくなるというキハ40系を
見送ることができた。
(2024年2月13日(火)12時40分〜12時55分頃)
1日あたりの走行距離は、1日目(主に岩手)が157?、
2日目(主に青森)が196?に対し、
3日目(山形・南陽市のみ)は43?だった。
画像1 : 梨郷駅・駅舎
画像2 : 梨郷駅・ホーム
(2023年10月22日(日)午後2時35分頃)
2.5?手前の最寄り集落 土平を過ぎると未舗装の林道となって、道は二又に分かれた。
普通なら上りの右側の道なのだが、外沢へ続くのは下りの左側の道だ。
やがて「クルマはこの辺りまでかな」という場所があったので、その先は歩きにすると、まもなく視界に斜めに倒れた木が入った。
小さな沢に沿う小径を遡っていくと、やがて道がトの字状になっている場所にたどり着いた。
そこには家屋はなかったが、家屋のガレキと廃車が見られた。
「歩かないとたどり着けない」のは笹子平と共通なのだが、外沢の空はなべ底のように狭く、集落跡は閉塞感に包まれていた。
梨郷小学校外沢分校は、へき地等級1級、児童数2名(S.34)、明治40年開校、昭和53年休校、昭和57年閉校(同じ頃 離村と推測)。
五万地形図(赤湯、S.44)には文マークはなく、6戸の家屋が記されている。
「午後の校庭」(松田淳一著、無明舎刊)には平成8年の山菜の頃、著者が二又の分岐から歩いて外沢を訪ねたときの様子が載っている。
その頃は分校跡校舎が建っていて、
「扉は開いていたが、どうしても入る気分にはなれなかった」
という結びは印象に残ったものだった。
画像1 : 外沢へ続く林道・行く手に倒木が見えてきた
画像2 : 外沢・家屋のガレキが「ここに集落があった」ことを伝える
画像3 : 草に埋もれた廃車が存在感を示していた
いつの頃のものかはわからないが、今クルマでの出入りは至難の技だ。
(2023年10月22日(日)午後1時25分〜1時45分頃)
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漆山小学校笹子平冬季分校は、へき地等級3級、児童数7名(S.34)昭和20年開校、昭和39年閉校、昭和46年離村。
戸数4戸の広い平地がある山中の小集落のそばには笹子池(仮称)があった。
平地の西側に緑に包まれた笹子池を見つけたとき、「集落跡に着いた」ことを実感した。
画像1 : 笹子平へ続く林道・クルマを置いて坂道を上っていく
画像2 : 笹子平・複数の杭が建つ平地には山の中らしくない広がりがあった
画像3 : 池を見つけて、笹子平到着を実感する
(2023年10月22日(日)午前11時〜11時20分頃)
画像1 : 矢ノ沢へ続く林道入口・「全面通行止」の案内板が立つ
画像2 : 矢ノ沢・コンクリ橋付近、道が怪しくなってきた
画像3 : 集落跡推定地に、これといった痕跡は見当たらなかった
(2023年10月22日(日)午前10時10分〜12時10分頃)
当初「廃村千選」では戸数3戸(H.19)の高度過疎集落としていたが、
今は住宅地図上で戸数が1戸まで減った平成20年頃を離村年とした廃村としている。
まず集落を訪ねると、1戸残る青い屋根の現住家屋と堂宇が視界に入った。
漆山小学校杢ノ沢分校は、へき地等級3級、児童数34名(S.34)、
明治23年開校、平成4年休校、平成17年閉校。
五万地形図(赤湯、S.44)の文マークは、杢ノ沢ともう一つの集落 須刈田の間に載っている。
集落からの戻り道に訪ねたところ、そこには整った木造校舎が残っていた。
通じる道は狭いながらも県道で、近年まで地内にキャンプ場があったらしい。
40分の探索の間に、停車もしくは通過するクルマ4台と出会った。
画像1 : 杢ノ沢・集落の上手、1戸残る現住家屋
お堂を含めて、屋根が空色で統一されているのが印象的だった。
画像2 : 杢ノ沢分校跡、板張りの木造校舎が残る
『午後の校庭』(松田淳一著、無明舎刊)によると、
昭和31年に作られたとのこと。
画像3 : 杢ノ沢分校跡、板張りの木造校舎(その2)
校舎は整っているが、使われている様子はなかった。
(2023年10月22日(日)午前9時15分〜9時40分頃)
市販本
『住まなくなっても守りたい−元住民たちの想い』
のご案内
「ここにムラがあったこと」、伝えるものは何だろう.
(秋田文化出版刊、2024年2月22日完成予定)
◎著者 浅原 昭生
◎四六判、本文280ページ(オールカラー)
◎定価 2,200円(10%税込)。 ISBN978-4-87022-615-9
令和の世が進み、人口減は加速している。限界集落が無住になると、どうなっていくのだろうか。
本書では、全国の廃村をくまなく訪ね、調査する著者が、元住民たちとの出会いがあった18か所の無住集落について、歴史と現況をまとめ、「住まなくなっても守りたいもの」を掘り下げる。
私たちが未来に向けて守っていきたいものは何だろうか。廃村は多くの気づきのきっかけを持っている。
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【目 次】
○ まえがき(アレックス K.T.マーティン)
○ 「住まなくなっても守りたい」のあらまし
○ 廃村の定義、本書の特徴
○ 表紙画像、野灯について
● 廃村聞き取り 東日本(北海道・東北・関東)
01 歴史の語り継ぎに込めた想い 鴻之舞(北海道紋別市)
02 学校跡整備と花壇に込めた想い 上雄柏(北海道滝上町)
03 集団移転地から通耕を続ける 小摩当(秋田県北秋田市)
04 開拓地の田んぼにまつわる集い 東由利原(秋田県由利本荘市)
05 子供も大人も育んだ冬季分校 小倉(山形県小国町)
06 私家版写真集から伝わった想い 石津鉱山(群馬県嬬恋村)
コラム1 廃村調査26年 合津(秋田県大館市) 湯田(秋田県美郷町)
● 廃村聞き取り 中部地方(甲信越・東海・北陸)
07 鳴き砂と毒消し道復活への想い 角海浜(新潟市西蒲区)
08 伝統のまつり継続に込めた想い 沓津(長野県飯山市)
09 水没を免れた学校跡の一本桜 八橋(愛知県設楽町)
10 ふるさと情報紙に込めた想い 越波(岐阜県本巣市)
11 古民家温泉民宿に込める想い 北原(富山県南砺市)
12 木地師縁の里に離村碑が建つ 割谷(福井県池田町)
コラム2 再生した廃村の今昔 芝平(長野県伊那市)
● 廃村聞き取り 西日本(関西・中国・四国・九州・沖縄)
13 ゆるく交流する元住民と訪問者 保月(滋賀県多賀町)
14 平家伝説のまつりを続ける想い 向畑(山口県岩国市)
15 千人住んだ村、二つの想い 石鎚村(愛媛県西条市)
16 現世は歴史があってできている 竹屋敷(高知県北川村)
17 空港となったふるさとへの想い 箕島(長崎県大村市)
18 ふるさと再生プロジェクトの夢 新島(鹿児島市)
コラム3 離島の廃村、二つの記録 鳥打(東京都八丈町) 網取(沖縄県竹富町)
○ 廃村の聞き取りで心掛けていること/成果物を振り返って
○ 謝 辞
○ 参考文献・出典資料
○ あとがき
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新刊『住まなくなっても守りたい−元住民たちの想い』、
平成31年2月、NHK-TV「ナビゲーション−住めなくなっても守りたい」の取材を受けたことを
きっかけとして企画を思いついてからおよそ5年。
いよいよ結実が近づいてきました。
発売日は、2月22日(木)に決まりました。
北海道紋別市鴻之舞から鹿児島県鹿児島市新島まで、全国各地の18集落について、
「住まなくなっても守りたい−元住民たちの想い」を掘り下げます。
アマゾンをはじめとした予約受付も始まりました。
https://amazon.co.jp/dp/4870226154/
表紙画像は、愛媛県西条市石鎚村、中村の野灯です。
どうぞよろしくお願いいたします。 >みなさま
JUGEMテーマ:本の紹介
画像1 : 岩国市(旧本郷村)西黒沢集会所
集落には整った家々が建っていて、集会所も整然としている。
画像2 : 集会所前のごみステーション
扉に「お知らせ」が貼られている。
画像3 : 扉のお知らせ(拡大)
「地区内にお住まいの方がおらず」と明記されていた。
元住民の方に会うことができたので、
話をうかがうと、離村時はコロナ禍が始まった頃(令和2年頃)と
わかった。
(2024年1月14日(日)午前11時20分頃)
●坂口 慶治著
◆1,980円(税込)・四六判・254頁・海青社・滋賀・2023/12 刊・ISBN978-4-86099-416-7
木子、駒倉(京都府宮津市)は、かつて丹後半島東部の山地地域の中軸的集落で、明治23(1890年)には木子は55戸、駒倉は46戸を擁した。ともに主な生業は農業(稲作、畑作)で、養蚕、林業、牛の肥育(子牛取り)などで、丹後地域の各地では機織業が盛んに行われていた。
その後、両集落は徐々に規模を縮小し、昭和37年には木子は26戸、駒倉は22戸となった。著者はこの年を「部分廃村化」の開始としているが、それは離村戸の階層や離村理由、耕地の売買の有無など、綿密な調査に基づいてのものだった。
そこに38年1月、三八豪雪が起こり、39年の牛肉輸入拡大政策が追い打ちをかけた。木子では住民間の分裂が起こり15戸の「準廃村化」段階となり、駒倉では11戸残留の状態で集落の解散、すべての土地の営林署への売却等が決まった。翌40年、9戸が区会決議による集団移転に応じた。昭和48年、最後まで残った2戸の離村によって駒倉は「全面廃村化」した。
その年5戸になった木子では、新たな住民1戸が転入した。著者は最後の旧住民2戸が離村した平成6年を木子の全面廃村化としている。なお、新住民の転入は平成8年までに累計17戸あったが、根付くことは難しく、令和期に残るのはペンション経営、牧場経営の3戸となっている。
類似した二つの集落が廃村に至るまでのことを、その立地、自然災害歴、火災歴、行政区域の変遷、学校の設置、電灯の導入、通婚圏といった様々な要素を織り交ぜて比較し、一挙に載せた本書は、集落の廃村化の機構と要因を明確にするための貴重な資料となることだろう。(HEYANEKO)
※ 22字/行×30行=640字
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年末に突発性難聴で入院したとき、「じっくり読むにはよい機会」と思い、『丹後の大集落 木子と駒倉はどのように消滅したか』を病院に持って行った。
私は地方・小出版流通センターの情報誌「アクセス」に、新刊の案内を不定期で記しているのだが、この本についても案内を記してみたくなった。
残念ながら、版元(海青社)と地方小はやり取りがないため、このたび当方のブログ・SNSからの案内の発信をすることになった。
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