北海道平取町 仁世宇(その1)

  • 2017.07.22 Saturday
  • 08:01

平成29年5月29日(月)、北海道日高の廃村探索3日目、
太陽小学校跡からは、道道沿いの旧門別町三和小学校跡(昭和61年休校)に立ち寄り、
平取町に入りR.237沿いの振内のセイコマで一服して、
一つ目の目的地仁世宇(にせう)入口の集会所跡・商店跡に到着したのは午前10時頃。
橋を渡ってすぐに通行止箇所があったが、迂回路があって事なきを得た。

 

仁世鵜小学校は、へき地等級3級、児童数23名(S.34)、大正6年開校、昭和47年閉校。
五万地形図(岩知志、S.33)には文マークは記されていない。
また、成瀬さんは平成23年10月に仁世宇を訪ねた際、クルマで奥のほうまで行ったにもかかわらず、
ヒグマの母子に遭遇して引き返したという因縁がある。
田中さんも集会所跡は訪ねているが、奥地は単独では行かないほうがよいと判断して未訪とのこと。

 

探索1週間前に入手した「振内局 郵便区全図」(S.39.05)には、待望の文マークが記されていた。
商店跡から文マークまでは6匐瓩の距離がある。
注意深く見るとヒグマのふんが転がっているダートをゆっくりと進み、
「そろそろ学校跡かな」という見晴らしがよい平地にクルマを停めて身支度をしていると、
先に歩いて行っていた田中さんが「見つかりました」と声をあげて走って戻ってきた。
私は「クマじゃないよね」と声をかけた。

 

 

 画像1 仁世宇入口には、集会所跡と商店跡の建物が残る

 

           
 画像2 仁世宇・学校跡周辺は何もない平地や林になっている 

 

 

 画像3 仁世宇・青空の下、学校跡の建物を見つける

 

   (2017年5月29日(月)午前10時頃)

 

コメント
画像1の写真。
左の商店跡は現在も僕のばあちゃんの家です。(現在入院中)
右の集会所跡は現在、孫の僕が町から借りていて趣味の部屋として使っていますよ。
  • 仁世宇出身者
  • 2017/07/23 8:53 PM
>仁世宇出身者さま
はじめまして。へき地ブログへようこそです。
お名前は成瀬さんのブログで拝見したことがあります。
・集会所近辺の子供達は、6km離れた仁世鵜小中学校まで通われていたのでしょうか。
・学校近辺の成人の方々は、5km離れた日東鉱山まで通われていたのでしょうか。
・なぜ地名は仁世宇で、学校名は仁世鵜なのでしょうか。
ご存知でしたら、教えていただけるとありがたく思います。
  • HEYANEKO
  • 2017/07/24 10:37 PM
自分は現在38歳ですが、自分が仁世宇に住んでた小学校4年生までは近くの岩知志小学校に通っていました(2年後に廃校)。ですので、その時点で仁世鵜小学校は現在と同じ位の荒廃でした。

ちなみに僕の祖父は存命であれば現在99歳ですが、日東鉱山で働いてたと聞いております。馬搬(馬のソリで荷物運搬)をしていたそうです。

  • 仁世宇出身者
  • 2017/07/26 5:42 PM
>仁世宇出身者さま
 岩知志小学校は平成2年閉校ですから、「その時点」は昭和63年頃になりますね。
 仁世宇集会所あたりと、仁世鵜小学校あたりが別物なのだと、よくわかりました。
 また、日東鉱山は、地域を代表する職場だったことが想像できました。
 ありがとうございます。
  • HEYANEKO
  • 2017/08/09 7:22 AM
コメントする








    
この記事のトラックバックURL
トラックバック

calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< July 2018 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

recommend

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM