愛媛県西条市(旧小松町 石鎚村)途中ノ川(その2)

  • 2017.04.15 Saturday
  • 08:07

平成29年4月8日(土)、愛媛県の廃村めぐり。 
途中ノ川分校跡は、林道跡終点から右ななめの方向に斜面を上がったところにあるという。
茂みの薄いこの時期にして、道らしいものはほぼ見当たらず、
荒獅子さんの案内がなかったら、たどり着けなかったことだろう。

 

石鎚小学校途中ノ川分校は、へき地等級3級、児童数21名(S.34)、
明治41年開校、昭和42年閉校。閉校年度(S.41)の児童数は5名だった。
途中ノ川があった自治体 周桑郡石鎚村(昭和26年まで千足山村、
昭和30年 合併により小松町、平成16年 合併により西条市)は、
信仰の山 石鎚山麓の山村で、平成初頃に自治体規模の廃村となっている。

 

明治20年 途中ノ川に簡易小学校が設立されたが、
村の財政の厳しさ、村民が教育を望まなかったことから、明治25年には閉校となり、
千足山村は義務教育免除地となった。
しかし、「子供達への教育は必要だ」と、県や郡役所が村に再開校を勧めた。
明治41年 郡費補助を受けて千足山村尋常小学校本校が途中ノ川に開校。
村外れの途中ノ川に本校ができたのは、比較的市街地(小松、石根)に近く、
簡易小学校閉校後、私立の家庭教育所が開設されていたことによるのではないかと考えられている。
大正12年 本校が村中心部(郷、昭和4年からは虎杖土場)に移転後は、分校として存続、
昭和35年からは石根小学校途中ノ川分校となり、石鎚小学校とは切り離された。
児童数は昭和37年に急減しており(S.36=22名、S.37=7名)、何かしら動きがあったことがうかがえる。
途中ノ川の離村時期ははっきりとはわからないが、分校の閉校と同年(昭和42年)か、
それほど経たない時期ではないかと思われる。

 

霧の中、林道跡終点から道なき道を10分ほど歩くと、視界に石垣が見えてきて
入口の石段を上がり、分校跡に到着した。
分校跡には「千足山村途中ノ川本校」「明治41年」「曽我喜助建立」と刻まれた石柱が建っていた。
小さな石柱だが「ここに学校があった」という証明であり、旅人にはとてもありがたい。
ひと息ついて、荒獅子さんと語らいながら昼食をとった。

 

 

 画像1 途中ノ川分校跡の石垣と石段
      石垣、石段ともにしっかりしており、
      集落において大切な場所だったことが感じられる。

 

 

 画像2 途中ノ川分校跡の校地と石柱
      石柱は、入口のほぼ正面、
      後方の石垣に背を向けて建っていた。

 

 

 画像3 途中ノ川分校跡の石柱
      「明治41年」は碑の右側面に、「曽我喜助建立」は左側面に刻まれている。
      碑の様子からすると、明治41年に建立されたものではないと思われる。
      曽我喜助さんがいつの時代の方なのか、知りたいところだ。

 

    (2017年4月8日(土)12時45分頃)

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