北海道せたな町(旧北檜山町) 日中戸

  • 2015.07.21 Tuesday
  • 06:41
平成27年5月30日(土)、北海道・道南の廃村めぐり、
私を乗せた田中さんのクルマが瀬棚港に到着したのは午前11時半。
ラオウさんとは平成24年5月以来3年ぶり、成瀬さんとは平成23年8月以来4年ぶりの再会となる。
瀬棚のセイコマで昼食を買って、まず、長い間陸路がなかった漁村の廃村 日中戸(にっちゅうべ)を目指した。
旧北檜山町の行止まり集落 日中戸は、明治期から大正期にかけてニシン漁で賑わったが、川のそばにあった漁業集落は昭和38年9月の集中豪雨で壊滅的な被害を蒙り、翌39年3月に全戸離村した。海辺の道道は長い間通じないままだったが、平成25年4月に開通し、クルマで行けるようになった。
私は昭和63年8月、手前の水垂岬付近までバイクで走ってきたが、「通行止」の看板に阻まれて戻って以来、27年ぶりのリベンジだ。

道道に架かる「日中戸橋」を渡ったところにクルマを停めたのは正午頃。
日中戸小学校はへき地等級3級、児童数11名(S.34)、明治31年開校、昭和39年閉校。
川の北岸、小高くなった場所に木製の電柱が立っていて、上がった場所に石垣と学校建物の基礎が見つかった。
ラオウさんと成瀬さんはこのGW頃にも日中戸を訪ねたが、「フキやイタドリが成長して、雰囲気はずいぶん違う」とのこと。
五万地形図(久遠、S.36)を頼りに成瀬さんは学校跡からさらに上の神社跡をめざしたが、残り3名は見守ることにした。
橋の横から川へ下りていくと、河口には往時の船着場らしき古いコンクリートの護岸が見つかった。
河原は丸い花崗岩の石ころで真っ白だった。



画像1: 日中戸に残る木製の電柱
電気は自家発電だった
学校跡は、左側の小高い場所にある



画像2: 日中戸に残る木製の電柱(拡大)
離村からすでに51年目、よく残っているものだ



画像3: 河口の船着場跡らしき古いコンクリートの護岸
ちょうど日中戸橋の真下にある

(2015年5月30日(土)午後12時5分〜30分頃)
JUGEMテーマ:ふるさと
コメント
コメントする








    
この記事のトラックバックURL
トラックバック

calendar

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< October 2019 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

recommend

recommend

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM