兵庫県新温泉町(旧浜坂町) 池ヶ平

  • 2014.04.09 Wednesday
  • 21:04
平成22年 梅雨入り前、兵庫県の日本海側 但馬(たじま)地方の廃村めぐり、
6月5日(土)、豊岡のビジネスホテルの起床は午前5時。コンビニで朝食のパンを調達して、6時35分のローカル列車で豊岡を出発。途中、海の近くの小さな無人駅 鎧(よろい)で途中下車して朝食休みをとり、一般的な観光の目的地、かつ、おきのくにさんとの待ち合わせ場所の餘部(あまるべ)駅に到着したのは朝8時47分。
余部鉄橋を訪ねたのは、大阪に住んでいた平成元年3月以来 21年ぶり。明治45年完成の古い鉄橋が今まで残ったのは、今や特急は日に2往復しか通らないという、山陰本線でもローカル色の濃い区間だからに違いありません。架け替えによって、強風による運休の回数は格段に減少するそうです。私は前にも写真を撮った、余部集落西側の港の先の岩場で寝そべって、日光浴をしながら消えゆく鉄橋をぼんやりと見ていました。



島根県在住のおきのくにさんのクルマが余部鉄橋下に到着して、合流したのは朝10時半頃。松江から余部までは、およそ3時間の距離とのこと。
最初に目指したのは、余部鉄橋から比較的近い旧浜坂町の山の中腹の廃村 池ヶ平(いけがなる)です。久谷駅から山へ向かい、久斗山(くとやま)集落の少し手前には「池ヶ平口」というバス停が見当たり、その横には「安泰寺」という木製の看板が立っていました。



おきのくにさんの情報(Web上の資料)によると、安泰寺はもともと京都にあった曹洞宗のお寺で、池ヶ平が廃村になった後、昭和52年に集落の跡地に越してきたとのこと。また、住職はドイツ人の方とのこと。人がいるかどうかわからない廃村のお寺をイメージしていた私は、驚くことしきりです。
分岐点からダートを4kmほど走ると、地すべり地帯を示す古い看板が立っていました。周囲には、地すべり防止のための水抜き井戸が見当たりましたが、これはおきのくにさんの教えがなければわからなかったことでしょう。
池ヶ平集落跡に到着して、待っていたのはイノシシ除けの電柵です。クルマを停めて、注意深く柵をまたいで、探索した集落跡は、その大部分が安泰寺の所有地になっていました。



「まずはお寺にご挨拶」ということで、本堂に足を運ぶと、修行中の白人の男性とお話をすることができました。この方(アレックスさん)はオーストラリアの方で、日本、アメリカ、ドイツなど、各国から修行の方が来られているそうです。
久斗山小学校池ヶ平冬季分校はへき地等級3級、児童数7名(S.34)、開校年不明、昭和46年閉校。アレックスさんは、ノートパソコンで現在地を調べられるなど、私たちを山歩きの面々と思われた様子でした。
池ヶ平の探索では、古びた作業小屋、土蔵、赤い鳥居と石碑が残る神社跡を見つけました。



冬季分校跡は気配も感じられなかったのですが、後で住宅地図(S.53)の浜坂町区割図を見たところ、作業小屋の手前の平地に文マークが記されていました。
また、池ヶ平集落の越冬住宅(積雪期を過ごすための市街地の住宅)ができたのは昭和46年12月ということがわかりました。
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