新潟県十日町市(旧松代町) 小屋丸
- 2013.12.30 Monday
- 08:04
2013年秋、2度目の上越ツーリング(10月28日(月))、
塩荷谷に続いては,旧牧村の戦後開拓集落の廃村 平等(へいとう)を目指す予定でした。しかし,集落跡で痕跡を見つけるのは難しいと思われ,この日浦和に帰る旅の午後に訪ねるには不向きです。高田市街地を過ぎて着いた旧牧村柳島の三差路ではしばし迷いましたが,R.405をそのまま進みました。
代わりに足を運ぶことになったのは,旧松代町の農山村の高度過疎集落 小屋丸(こやまる)です。帰り道に関越道六日町ICを使うとすれば,旧牧村から旧安塚町,旧大島村,旧松代町,十日町市街,六日町と,ローカル道でスムーズにつなぐことができます。小屋丸は3戸5名(H.24)。松代市街との距離はわずか5km。限られた時間の中,気軽に訪ねてみるにはちょうどよい集落です。
R.405沿い,旧安塚町小黒では専敬寺という大きな木造建築のお寺で一服しました。道中で「なんだろう」と思ったものを見る余裕が出てきました。
十日町市(旧松代町)に入り,R.253の松代郵便局がある交差点には,「右折 小屋丸」を示す大きな看板がありました。これだけ見ていると,5km先に廃れた風景が待っているとは思えません。枝道に入り,射撃場の看板を見ながら5km走ると,公民館らしき建物が見当たり,小屋丸に到着しました。
この建物には「消防水利要図」という看板があって,学校を含めて20戸ほどの家々が記されています。しかし視界には,少し先に家が1軒見えるだけです。田畑があって,住まれる方もおられる小屋丸ですが,その風景は看板が使われていた頃とは別物といってよいほど変わっているように思えました。
松代小学校小屋丸分校は,へき地等級2級,児童数57名(S.34),明治9年開校,昭和59年閉校。古い地形図(松之山温泉,S.43)には文マークがあって,公民館の地図の看板にも明記されているぐらいだから,簡単にわかりそうなものなのですが,どうもピンときません。
バイクを停めて,か細くて舗装されていない小道を歩いていくと,やがて文マークが記された特徴のあるカーブの場所まで来ました。しかし,そこにはススキが生えた平地があって,真ん中に赤っぽい屋根の小屋が見当たるだけです。草をかき分けて小屋のところまで行ってみると,個人の方の物置のような感じでした。
15分ほどの探索で見つかった往時のものは,遊具として使われたと思われる古タイヤぐらいでした。
また,小屋丸には「リトル・ユートピアン・ハウス」という「大地の芸術祭」関係の建物があります。後で調べたところ,平成22年に「小屋丸 冬と春」という映画が,フランスのジャン=ミッシェル・アルベローラという芸術家の手で作られていて,建物は「小さな美術館」ということがわかりました。
この日の廃村探索はこれにて終了。午後3時に小屋丸を出発して,十日町市街を抜けて,六日町ICから関越道に乗り,所沢ICで下りて浦和に到着したのは夜6時40分。この日の走行距離は計360km。飯山の佐藤さんにBAJAを預かっていただたおかげで,10月は計6か所,新潟の廃村をめぐることができました。
塩荷谷に続いては,旧牧村の戦後開拓集落の廃村 平等(へいとう)を目指す予定でした。しかし,集落跡で痕跡を見つけるのは難しいと思われ,この日浦和に帰る旅の午後に訪ねるには不向きです。高田市街地を過ぎて着いた旧牧村柳島の三差路ではしばし迷いましたが,R.405をそのまま進みました。
代わりに足を運ぶことになったのは,旧松代町の農山村の高度過疎集落 小屋丸(こやまる)です。帰り道に関越道六日町ICを使うとすれば,旧牧村から旧安塚町,旧大島村,旧松代町,十日町市街,六日町と,ローカル道でスムーズにつなぐことができます。小屋丸は3戸5名(H.24)。松代市街との距離はわずか5km。限られた時間の中,気軽に訪ねてみるにはちょうどよい集落です。
R.405沿い,旧安塚町小黒では専敬寺という大きな木造建築のお寺で一服しました。道中で「なんだろう」と思ったものを見る余裕が出てきました。
十日町市(旧松代町)に入り,R.253の松代郵便局がある交差点には,「右折 小屋丸」を示す大きな看板がありました。これだけ見ていると,5km先に廃れた風景が待っているとは思えません。枝道に入り,射撃場の看板を見ながら5km走ると,公民館らしき建物が見当たり,小屋丸に到着しました。
この建物には「消防水利要図」という看板があって,学校を含めて20戸ほどの家々が記されています。しかし視界には,少し先に家が1軒見えるだけです。田畑があって,住まれる方もおられる小屋丸ですが,その風景は看板が使われていた頃とは別物といってよいほど変わっているように思えました。
松代小学校小屋丸分校は,へき地等級2級,児童数57名(S.34),明治9年開校,昭和59年閉校。古い地形図(松之山温泉,S.43)には文マークがあって,公民館の地図の看板にも明記されているぐらいだから,簡単にわかりそうなものなのですが,どうもピンときません。
バイクを停めて,か細くて舗装されていない小道を歩いていくと,やがて文マークが記された特徴のあるカーブの場所まで来ました。しかし,そこにはススキが生えた平地があって,真ん中に赤っぽい屋根の小屋が見当たるだけです。草をかき分けて小屋のところまで行ってみると,個人の方の物置のような感じでした。
15分ほどの探索で見つかった往時のものは,遊具として使われたと思われる古タイヤぐらいでした。
また,小屋丸には「リトル・ユートピアン・ハウス」という「大地の芸術祭」関係の建物があります。後で調べたところ,平成22年に「小屋丸 冬と春」という映画が,フランスのジャン=ミッシェル・アルベローラという芸術家の手で作られていて,建物は「小さな美術館」ということがわかりました。
この日の廃村探索はこれにて終了。午後3時に小屋丸を出発して,十日町市街を抜けて,六日町ICから関越道に乗り,所沢ICで下りて浦和に到着したのは夜6時40分。この日の走行距離は計360km。飯山の佐藤さんにBAJAを預かっていただたおかげで,10月は計6か所,新潟の廃村をめぐることができました。
小屋丸分校跡、何となく長居しないほうがよさそうな空気を感じました。
理由ありな場所だったからでしょうか・・・。