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北海道夕張市 北炭夕張

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    2012年5月2日(水) 午後2時15分〜3時10分頃


    GWの北海道4days 1日目、この日の探索、いちばんの目的地は、日本最大規模の廃村(ゴーストタウン)、北炭夕張炭鉱(昭和52年閉山)炭鉱町跡の象徴、夕張第二小学校跡です。


    この日、宿を取った清水沢から、夕鉄バスに乗って、JR夕張駅、市役所がある本町を通過して、終点社光バス停で下車。
    志幌加別川の東側に社光、高松、小松、西側に住初、福住、富岡、錦、いちばん奥に丁未という町名がありますが、
    市が主導した「石炭の歴史村」の観光開発のため、ほぼ無住化しています。小学校は全部で3校、福住に2校(夕張神社隣と丘の中腹)と丁未にありました。
    社光はどんな雰囲気の町かと思いきや、人家があるのは本町寄りだけで、バス停があるあたり(旧炭住街)は、公園と観光施設があるのみでした。
    観光施設「花畑牧場 夕張希望の丘」(「シネマカフェ」「アートギャラリー」)に人影はまったくなく、営業開始は5月中旬とのこと。



    誰もいない「北の零年 希望の杜」の施設からは、谷を挟んで旭小学校(旧夕張第二小学校)の校舎跡がはっきりと見えました。
    夕張第二小学校は、へき地等級無級、児童数2638名(S.34)、昭和50年統合閉校。
    校舎跡は「ファミリースクールふれあい」という公営の宿泊施設として使われていましたが、所在地 福住炭住街は平成15年頃に無住化し、
    「ふれあい」が市の財政破綻のあおりを受けて閉鎖となったのは平成18年9月のことです。



    学校の規模の大きさを考慮して「廃村千選」では、この地区名を「北炭夕張」と呼んでいます。
    福住のほか、社光や高松、住初の子供たちも通っていたことでしょう。
    校舎跡には「ふれあい」の青い看板が残り、一見綺麗に見えますが、よく見るとガラスが割れて、荒んでいる様子がわかります。



    夕張神社の参道を背にして、左側に入っていくと、明らかに使われていない舗装道があって、その先に、旧旭小学校のRC3階建ての校舎がそびえていました。
    旭小学校は、昭和50年4月に夕張第二小学校、福住小学校、丁未小学校が統合し、第二小学校の場所に創立。
    児童数は、昭和50年が413名、昭和57年(最終年度)が60名。その雰囲気や規模の大きさを考えると、校舎や体育館は、第二小学校の頃からのものと思われます。
    5年前までは使われていた校舎跡、正面から入って様子を見てみると、気候のせいか、人為的な破壊のせいか、驚くほど荒れていました。



    3階まで上がって通路を進むと、大きな体育館にたどり着きました。荒れた感じが薄い体育館では、ひとときゆっくりして、北炭夕張が繁栄していた頃を偲びました。


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