比岐島のヒナゲシ

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    平成29年4月9日(日)、愛媛県の廃村めぐり、比岐島の探索、
    分校跡から船長と炊き込みご飯が待つ船着場に戻る途中、
    空き家の前でオレンジ色の花を見かけた。

     

    近頃この季節、街中でよく見かけるナガミヒナゲシではないだろうか。
    まさか瀬戸内のめったに人が来ないはずの島で
    目にするとは思わなかった。

     

     

     画像1 比岐島分校跡の校舎

     

     

     画像2 空き家の前で咲くオレンジ色の花

     

     

     画像3 空き家の前で咲くオレンジ色の花(拡大)

     

        (2017年4月9日(土)午前11時40分頃)
     


    愛媛県今治市 四阪島(その2)

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      平成29年4月9日(日)、愛媛県の廃村めぐり、四阪島洋上観察、
      家ノ島(鉱区)の北側の海岸を見てから、
      二つの島が地続きになった場所にある、四阪港(表の港)に入った。
      洋上観察とはいえ、二度の空振りを経て三度目で来ることができ、嬉しく思った。

       

      四阪島は、今治港から15辧⊃卦鑄郵舛ら20劼硫合に浮かぶ五つの島の総称で、
      明治28年(1895年)別子銅山精錬所の煙害対策のため住友が買収し、精錬所建設に着手、
      精錬所は明治38年から昭和51年まで、72年間稼働した。
      最盛期(大正末頃)の人口は5,500人を数えたが、
      昭和52年(1977年)、一部の関係者を除いて四阪島に住む方はいなくなった。
      昭和62年、住民登録人口がゼロになった。

       

      別子学園四阪島小学校(私立)は、児童数688名(S.34)、
      明治34年開校、昭和36年公立へ移管、昭和52年閉校、閉校年度の児童数は100名。
      四阪島中学校(私立)は、生徒数219名(S.34)、
      昭和22年開校、昭和36年公立へ移管、昭和52年閉校、閉校年度の生徒数は65名。
      美濃島の居住区は、主に港からの坂道を上がった島の中にあり、
      学校は島のいちばん高所(標高112m)付近にあった。

       

      港からは、日暮別邸(迎賓館)と病院跡を観察することができた。
      港に人の姿はなく、ゆっくり観察できたが、
      比岐島で感じたものと共通する、それとない緊張感があった。

       

      美濃島の裏手には、海辺に建つRC造4階建て鉱員住宅の廃墟が存在感を醸し出していた。
      高台にもいくつか建物が見当たったが、あまり存在感はなかった。
      「鉱員住宅は残っていない」と言われる四阪島だが、
      海辺の4階建て鉱員住宅の廃墟は、取り壊されない限り、
      島に暮らしがあったことを伝え続けることなのだろう。

       

       

       画像1 四阪島・美濃島の風景(その1)
            左に日暮別邸、右に病院跡が見える。
            島の病院は、勤務者向けに昭和61年まで診療を続けた。

       

       

       画像2 四阪島・美濃島の風景(その2)
            日暮別邸は、新居浜市街に移築されることが決まっており、
            平成30年9月が工事完了目標という。

            四阪島にあるうちに見ることができたのは大きな収穫だった。

       

       

       画像3 四阪島・美濃島の風景(その3)
            鉱員住宅は1階に8戸だがら、32戸が入居していたことになる。
            洋上から見た居住区の感じは、軍艦島とは大きく異なっていた。

       

          (2017年4月9日(土)午後1時5分頃)


      愛媛県今治市 四阪島(その1)

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        平成29年4月9日(日)、愛媛県の廃村めぐり、
        2番目の目的地、四阪島(しさかじま)には比岐島から海路を8辧
        30分ほどで到着した。

         

        まず住友のリサイクル工場がある家ノ島(鉱区)から入り、
        時計回りにかつて家々があった美濃島(居住区)のほうへと進んだ
        家ノ島の海岸沿いの崖が黒っぽいのは、
        精錬所時代の銅鉱石のカラミでできているかららしい。

         

        島には「上陸禁止」「崩落注意接近危険」といった看板が目立つ。
        日曜日のせいなのか、工場に人の気配はなかった。

         

         

         画像1 四阪島の遠景
              大まかにいって左側が家ノ島、右側が美濃島。
              精錬所は昭和51年に休止したが、家ノ島には平成25年まで

              精錬所時代の大煙突(高さ71.5m)が立っていた。
              船長によると、大煙突は天気の良い日は
              今治からでも見えるぐらいの存在感があったらしい。

         

         

         画像2 四阪島・家ノ島の風景(その1)
              カラミでできた人工的な海岸は、独特なものだ。
              曇り空のモノトーンがよく似合っている。

         

         

         画像3 四阪島・家ノ島の風景(その2)
              海上観察したところ、鉱区の感じは軍艦島とよく似ていた。

         

            (2017年4月9日(土)午後1時頃)


        愛媛県今治市 比岐島(その5)

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          平成29年4月9日(日)、愛媛県の廃村めぐり、比岐島の探索。 
          2時間半の探索の間、遊漁船潮風の船長は、船の中で鯛めし、鯛のあら汁を
          つくってくれていた。

           

          船長によると、潮風は船釣り(船の上での釣り)の船で、
          瀬渡し(島などへ上陸しての釣り)をする船は、別の免許がいるとのこと。
          釣りのお客さんの炊込みご飯は、釣れた魚をさばいてつくるが、
          海上作業など、釣り以外のお客さんも時々いて
          あらかじめ魚を用意するので、その分料金がやや高くなるとのこと。
          比岐島の探索を終え、穏やかな天気のもと、
          船着き場に座って食する鯛めしは、記憶に残る美味しさだった。

           

          比岐島出発は12時20分頃。島では瀬渡しの釣りの方以外は誰にも出会わなかったが、
          出航後の船上から、島の東側の海で仕掛け漁をしているHさん親子に、
          遠目からだがお会いすることができた。
          私は「おじゃましました」と、頭を下げてご挨拶した。

           

           

           画像1 比岐島の船着き場
                コンクリの船着き場の先に、潮風と船長が見える。

           

           

           画像2 比岐島を後にする
                島には昼食休みを含めて3時間滞在した。

           

           

           画像3 仕掛け漁をしているHさんの船
                お話はできなかったが、お会いできてよかった。

           

              (2017年4月9日(土)正午〜12時30分頃)
           


          愛媛県今治市 比岐島(その4)

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            平成29年4月9日(日)、愛媛県の廃村めぐり、比岐島の探索。 
            家々が固まる船着場のそばから離れ、おおむね西に向かって、
            行けるところまで島中を歩いてみた。

             

            集落のはずれには、「比岐発電所」という標札がある小屋があった。
            島には電気が通じておらず、自家発電が行われているという。
            扉を開けてみると、ディーゼルの発電機が備えられていた。

             

            島には広くミカン畑が広がっている。
            手入れされていない畑もあったが、整ったものもあった。

             

            島のいちばんの高所(標高58m)には、比岐島灯台が建っている。
            そばには三角点があるはずなのだが、3人がかりで探しても見当たらなかった。

             

             

             画像1 比岐発電所
                  建物は新しかったが、標札は年期が入っていた。

             

             

             画像2 島のミカン畑へ続く道
                  灯台の麓を過ぎて下りの道沿いになっても、延々と続いていた。

             

             

             画像3 比岐島灯台
                  銘板には「初点 昭和50年3月 改築 平成27年2月」とあった。

             

                (2017年4月9日(土)午前10時〜11時頃)


            愛媛県今治市 比岐島(その3)

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              平成29年4月9日(日)、愛媛県の廃村めぐり。 
              比岐島の探索は2時間半。おおむね4人がそれぞれに動き、
              どこかで顔を合わせると、部分的に一緒に動くという感じだった。

               

              比岐島分校跡の隣には「三島神社」という扁額がある鳥居があって、
              くぐって山道を歩くと、3分ほどで社殿にたどりついた。
              高台にあるわりに展望はよくないが、社殿は新しく整っていた。
              脇には妙な顔をした狛犬が構えていた。

              神社裏の山手には、太陽光発電パネルと三角点があった。

               

              島の家屋は分校跡とHさん家、空き家が5軒ほど。
              Hさん親子は留守だったが、島を探索中に戻ってきて、漁に出られていった。

               

               

               画像1 三島神社の社殿
                    最初と最後にご挨拶に行った。

               

               

               画像2 神社裏の三角点
                    「大切にしましょう三角点 国土地理院」の標柱を伴っていた。

               

               

               画像3 比岐島の空き家
                    この家屋にはパラボラアンテナが見られた。

               

                  (2017年4月9日(土)午前9時30分〜11時30分頃)
               


              愛媛県今治市 比岐島(その2)

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                平成29年4月9日(日)、愛媛県の廃村めぐり。 
                比岐島の分校跡は、船着場から見て向かって右側、7戸ほどの建物群の端っこにある。

                 

                美須賀小学校比岐島分校は,へき地等級5級、児童数16名(S.34)、明治34年開校、昭和54年閉校。
                明治34年から大正14年までは義務教育免除地で、家庭教育場が置かれていた。

                美須賀中学校比岐島分校は,へき地等級5級、生徒数5名(S.34)、昭和30年開校、昭和57年閉校。
                小・中とも唯一の島民Hさんの御子息が最後の卒業生で、最終年度の児童・生徒数は1名だった。

                 

                訪ねてみると、サクラの花を背負った木造平屋の校舎が建っていた。
                入口に立つトーテムポールは、「小さな島の分校めぐり」(本木修次著、ハート出版、1998)
                にも登場するが、校舎とともに現物を見ることはこれまでなかった。

                 

                皆が校舎の中を探索しているとき、私は「ついに比岐島に来たなあ・・・」と思いながら、
                分校跡と向き合った岸壁に座って、校舎とトーテムポールを眺めていた。

                 

                 

                 画像1 比岐島分校跡(その1)
                      校庭には大きなマツの木が生えている。
                      サクラはなぜか、校舎の裏手にあった。

                 

                 

                 画像2 比岐島分校跡(その2)
                      防波堤から見ると、分校跡は緑に埋もれているように見える。

                 

                 

                 画像3 比岐島分校跡(その3)
                      校舎の中には「中学校」の表札があった。

                 

                    (2017年4月9日(土)午前10時頃)
                 


                愛媛県今治市 比岐島(その1)

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                  平成29年4月9日(日)、愛媛県の廃村めぐり。 
                  最初に訪ねた島 比岐島(ひきじま)は、1戸3名、面積0.3平方kmの小さな島だが、
                  広い海の中にポツンと浮かんでいるので、相応の存在感がある。

                   

                  今治港からの距離は7辧△よそ25分で島に到着。
                  唯一の島民Hさんは今治にも家を持たれており、比岐島の家は別宅なのかもしれない。
                  5日前にご挨拶の手紙を出しておいたが、島に上陸したところお留守だった。

                   

                  比岐島でまず感じたのは、個人宅に勝手に入ったような緊張感だった。

                   

                   

                   画像1 遊漁船潮風から見た比岐島
                        今治寄り(西側)から見たもので、南側にある集落は見えていない。

                   

                   

                   画像2 比岐島の船着場
                        家々は船着場のそばに集まって建っている。

                   

                   

                   画像3 比岐島の小道
                        自動車はもちろん、自転車も見当たらなかった。

                      (2017年4月9日(土)午前9時30分頃)


                  愛媛県西条市 基安(その2)

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                    平成29年4月8日(土)、愛媛県の廃村めぐり。 
                    往時の基安までの道は、主に川来須(新寒風山トンネル)から

                    桂谷をさかのぼる山道だったが、
                    旧寒風山トンネル開通は昭和39年なので、

                    トンネル入口からの山道も使われていたことだろう。

                     

                    中之池小学校基安分校は、へき地等級3級、児童数59名(S.34)、
                    昭和12年開校、昭和44年閉校。閉校年度(S.43)の児童数はわずか1名だった。
                    基安鉱山は主に銅を産出した鉱山で、明治初期から昭和47年まで稼働した。
                    昭和18年からは住友の経営となり、別子銅山の銅鉱とともに四阪島で精錬されたという。
                    集落の閉村時期は、鉱山の閉山と同じ昭和47年ではないかと推測される。
                    斜面にせり出た校庭にバックネットが残る分校跡は、

                    たどり着いた段よりも一段高い場所にあった。
                    せり出た部分の3割程度は崩壊していた。
                    ここも荒獅子さんの案内があったからこそたどり着けた感じがした。

                     

                    基安では、木造の家屋は閉村時にすべて取り壊されたが、
                    コンクリ造りの小屋が2つ残っていた。
                    足を運んでみると中に石炭が見られたので、燃料庫だったと思われる。

                     

                    帰り道、二つ目の谷はまわり込むと山道で越えることができた。
                    一つ目の谷は崩落箇所よりもだいぶ手前で越えて、
                    カードレールを目指して、道なき道を這い上がった。

                     

                     

                     画像1 基安分校、斜面にせり出た校庭(その1)
                          象徴的なバックネットは、閉校から49年経っても
                          山中にしっかり残っていた。

                     

                     

                     画像2 基安分校、斜面にせり出た校庭(その2)
                          下から見ると、石垣の前に鉄骨が組まれていることがわかる。

                     

                     

                     画像3 基安分校、斜面にせり出た校庭(その3)
                          眼下に霧のもととなる雲が見える。
                          後で調べると、分校跡の標高は1007mあった。
                          「四国には1000m超の学校跡はない」と思っていたが、
                          谷道(徳島県旧東祖谷山村、1051m)に続いて、基安が加わった。

                     

                        (2017年4月8日(土)午後3時30分頃)
                     


                    愛媛県西条市 基安(その1)

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                      平成29年4月8日(土)、愛媛県の廃村めぐり。 
                      途中ノ川からは入口(馬返)まで来た道を戻り、クルマを湯浪で折り返して、
                      西条市街付近を経て、2番目の目標 基安鉱山集落跡を目指した。

                       

                      基安は私の予測では、R.194新寒風山トンネル入口付近から桂谷沿いの道に入り
                      上り詰めたところだったのだが、
                      旧寒風山トンネル入口の脇から、少々下っていったほうが行きやすいことが判明した。

                      西条市街付近では、霧に加えて雨が降り出した。
                      旧寒風山トンネル入口の標高は1115m。
                      西条では先週末厳しい冷え込みで雪が降っており、「残っているかも」と少々心配する。
                      しかし到着すると、雨は降っていたが、霧からは抜け出しており、少し安心する。

                       

                      折り畳み傘をさして、首にタオルを巻いて基安への道をたどり始めたのは午後2時40分。
                      道ははじめの谷のところで崩落してなくなっていた。
                      10年ほど前に訪ねた荒獅子さんも「こりゃまいったなあ」という雰囲気だ。
                      下って上って谷を越えて、下りの山道をしばらく歩くと、
                      ガラス瓶など生活の痕跡が見つかる。
                      二つ目の谷でも道が見当たらす、汗だく、泥まみれになりながら、下って上って谷を越えた。
                      谷の先、道なき道をしばらく歩くと、
                      出発から40分ほどで建物の基礎と石垣が見つかり、基安鉱山集落跡に到着した。

                       

                      弱い雨が降っていたが、
                      折り畳み傘は、はじめの谷の崩落地点からずっとポケットの中だった。
                      タオルはとても役に立った。

                       

                       

                       画像1 旧寒風山トンネル入口脇、基安への道のはじまり
                            ゲートからはじめの谷の崩落地点までは1分もかからない。
                            崩落地点の谷間には雪が残っていた。

                       

                       

                       画像2 基安への道の途中
                            道筋はあったりなかったりで、とてもわかりにくい。
                            ピンクリボンの類もなかった。

                       

                       

                       画像3 基安鉱山集落跡
                            石垣は北東の方角を向いている。
                            日当たりの加減からか、コケの成長具合がとてもよい。

                       

                          (2017年4月8日(土)午後2時40分〜3時20分頃)


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