愛媛県新居浜市 土ノ峠

  • 2019.02.02 Saturday
  • 07:20

平成30年12月、愛媛県の廃村探索、旅2日目、
竹屋敷から小さな沢を3つ越えて歩くこと約45分、
小高い場所に神社が見つかり、土ノ峠到着を確信した。

 

中萩小学校大永分校は、へき地等級2級、児童数5名(S.34)、明治40年開校、昭和43年閉校。
土ノ峠は戸数4戸(S.36)の小さな集落で、分校跡には跡地の碑と石垣、建物の基礎が見られた。
跡地石碑には「閉校 昭和39年3月」と刻まれていたが、『全国学校総覧』では昭和39年から41年まで休校の後、同42年に児童数1名とあるので、「廃村千選」ではこの情報を優先している。

 

土ノ峠に通じる車道はなく、

「この碑はどうやってここまで運んだんでしょうね」と、現地で荒獅子さんと話をした。

 

 

 画像1 神社が見つかり、土ノ峠到着を確信する

 

 

 画像2 五右衛門風呂の風呂釜が見当たった

 

 

 画像3 大永分校跡地の碑、側面には所在地「大永山字土ノ峠」が記されていた

 

  (2018年12月16日(日)午前11時10分〜11時35分頃)

 

愛媛県新居浜市 竹屋敷

  • 2019.02.01 Friday
  • 06:21

平成30年12月、愛媛県の廃村探索、旅2日目、
目指す土ノ峠は、鹿森よりもさらに山奥にある。
途中には竹屋敷という小さな廃村があって、石垣に囲まれた小道、家屋などが
往時の生活を偲ばせる。

 

 

 画像1 竹屋敷・石垣に囲まれた下手の三差路

 

 

 画像2 道標がある上手の三差路

 

  (2018年12月16日(日)午前10時20分、12時10分頃)

 

愛媛県新居浜市 鹿森(その2)

  • 2019.01.31 Thursday
  • 06:07

平成30年12月、愛媛県の廃村探索、旅2日目、
2番目の未訪廃村 土ノ峠(つちのとうげ)に向かうため、通ることになった鹿森(しかもり)だが、
分校跡には少し寄り道をして足を運んだ。

 

私立別子学園東平小学校鹿森分校(のち角野小学校鹿森分校)は、児童数113名(S.34)、大正6年開校、昭和45年閉校。
共同浴場跡から南側の通りへと進み少し上がると、分校跡の門柱にたどり着いた。
8年前には掛かっていた「東平小学校鹿森分教場」と書かれた木の標札は、傷んで門柱から外れていた。

 

 

 画像1 鹿森・分校跡の門柱と標札

 

 

 画像2 分校跡の校庭
     石垣の高さは5mぐらいだろうか

 

 

 画像3 鉱員住宅跡に残るレンガ造りの水回り

 

  (2018年12月16日(日)午前10時〜10時10分頃)
 

愛媛県新居浜市 鹿森(その1)

  • 2019.01.30 Wednesday
  • 07:04

平成30年12月、愛媛県の廃村探索、旅2日目、
2番目の未訪廃村 土ノ峠(つちのとうげ)には、車道が通じていない。
土ノ峠へ向かう山道は複数あるが、住友・別子銅山関係の廃村 鹿森(しかもり)を通る道を選んだ。
荒獅子さんは、中之成、土ノ峠、鹿森ともに初めてとのこと。
私は鹿森は平成22年3月以来8年ぶり2度目。大規模な社宅跡の再訪も楽しみだ。

 

マイントピア別子の駐車場に軽トラを停めて、炭焼き小屋横の「鹿森」という頼りない表示の場所から山道を上がる。
10分ちょっとで「鹿森 大正5年建設 昭和45年3月閉鎖」と刻まれた石碑と「鹿森社宅」という銅のプレートが見当たった。
木造平屋建ての社宅は、全部で276戸あったといわれる。
「おそらくこの方向だろう」と思って道なりに進むと、
集落のメインストリート(100mを超す長い階段)に到着し、やがて共同浴場跡にたどり着いた。

 

 

 画像1 鹿森・集落跡入口に建つ離村記念碑

 

 

 画像2 集落のメインストリート(100mを超す長い石段)


 

 画像3 はっきりと様子がわかる共同浴場跡

 

  (2018年12月16日(日)午前9時50分〜10時頃)

 

愛媛県新居浜市 中之成(その3)

  • 2019.01.29 Tuesday
  • 06:54

平成30年12月、愛媛県の廃村探索、旅2日目、
中之成(なかのなる)の戸数は18戸(S.36)。
近隣には柿之成(8戸)、上之成(16戸)といった小集落があった。

 

中之成では集落下手にも神社があって、心当たりの場所には「カシノキ 右入る10m」という標柱が立っていた。
石段を上がると鳥居、狛犬、社殿がそろった大きめの神社(大宮神社)が迎えてくれた。

大宮神社境内で朝食休みを取ったのは8時30分頃。
境内は荒れ気味ではあるが、時々手入れされているような感じもする。
社殿手前のプレハブ小屋は、社務所が取り壊された後に建てられたと考えられるが、
使われなくなって久しい様子だった。

 

分校の児童数は昭和40年17名に対し、同41年は1名と激減しており、
この頃離村が進んだことが推測される。
約1時間の中之成の探索で、誰かに出会うことはなかった。

 

 

 画像1 中之成・下手の神社、大きな狛犬と鳥居に迎えられる

 

 

 画像2 社殿に巻き付いた幟は破れていた

 

 

 画像3 境内にカシの木が立つ

 

  (2018年12月16日(日)午前8時30分〜8時50分頃)
 

愛媛県新居浜市 中之成(その2)

  • 2019.01.28 Monday
  • 07:20

平成30年12月、愛媛県の廃村探索、旅2日目、中之成(なかのなる)の探索、

「エノキ 左入る100m」の標柱からスギ林の中、山道をたどると、
道の左側にエノキをご神木とした上手の神社跡が見つかった。

 

大生院小学校中之成分校は、へき地等級域1級、児童数29名(S.34)、明治25年開校、昭和43年閉校。
五万地形図(新居浜、1970)から、分校は上手の神社のそばにあったと想定していた。
探索では痕跡はわからなかったが、後に得た「分校は神社の対面」という情報を加味すると、対面で見つけた水回りらしきものが痕跡といえそうだ。

 

神社上方の家屋跡に続く歩道には「奉寄進 明治20年」と刻まれた幟を立てる石柱が建っていた。
薄暗いスギ林の中を探索すると、多くの石垣とお墓、陶器がめが見つかった。

 

 

 画像1 中之成・上手の神社、階段とエノキ

 

 

 画像2 分校跡に関係すると思われる水回りらしきもの

 

 

 画像3 陶器がめが見つかる

 

  (2018年12月16日(日)午前8時〜8時30分頃)
 

愛媛県新居浜市 中之成(その1)

  • 2019.01.27 Sunday
  • 07:12

平成30年12月、愛媛県の廃村探索、
旅2日目、起床は早朝5時30分頃。天気は曇時々晴。
伊予西条駅そばのコンビニで荒獅子さんと待ち合わせて、
軽トラで最初の未訪廃村、新居浜市 中之成(なかのなる)を目指す。

 

手前の集落 川口から山に向かう道には「通行止」の看板が立っていたが、
コーンの様子から「先に進んでも問題はない」と判断した。

 

中之成への道は荒れ気味ではあるが舗装道で、
荒獅子さんと話をしながら走っていると、高度を上げながらどんどん進むことになった。やがて、走るのが難しいほど道が荒れて、その先は崩落していた。
スマホで地図情報を確認すると、中之成よりも1劼曚廟茲某覆鵑任い拭
中之成の3劼曚廟茲了鈎罎砲蓮△つて愛媛鉱山という鉱山・鉱山町があり、
『新居浜市史』(1962)を調べると、昭和23年から28年まで大生院小学校愛媛鉱山分校が開校していたことがわかった。
手前の「コガノキ 右入る800m」の標柱は上之成(廃村)に向かう道の入口を示すものなのだろう。

 

崩落箇所で折り返して着いた中之成に向かう道の入口には
「エノキ 左入る100m」という標柱が立っていた。

 

 

 画像1 中之成へ向かう道・「通行止」の看板

 

 

 画像2 愛媛鉱山 手前2kmの道の様子

 

 

 画像3 上之成入口・「コガノキ 右入る800m」の標柱

 

 

 画像4 中之成入口・「エノキ 左入る100m」の標柱

 

  (2018年12月16日(日)午前7時〜8時頃)
 

愛媛鉱山への道

  • 2018.12.19 Wednesday
  • 07:04

平成30年12月中旬、愛媛県の廃校廃村探索、
戦中戦後の短い期間、愛媛鉱山という鉱山・鉱山町が、
中之成よりも3劼曚鋲遒了咳にありました。

 

『四国鉱山誌』(1947)によると、
愛媛鉱山は日本鉱業の鉱山で、主要鉱物は銅、
『新居浜市史』(1962)によると、
大生院小学校愛媛鉱山分校は、昭和23年開校、同28年閉校。
鉱山の閉山時期は不明です。

 

探索では、中之成を目指して軽トラを走らせたのですが、
無意識に通過して、愛媛鉱山に接近することになりました。
手前2劼曚匹里箸海蹐芭啼擦吠落があって、ストップがかかりましたが、
「何かきっかけがあったら、現地を訪ねてみたい」
と思わせる、妙な引力を感じました。

 

 

 画像1:愛媛鉱山への道(その1)
    直線距離でいうと10劼曚匹寮ジ容盂い見渡せた

 

 

 画像2:愛媛鉱山への道(その2)
    見事な崩落に、2年半前の北海道・高見への道を思い出した

 

 

 画像3:愛媛鉱山への道(その3)
    クルマが入った構図で見ると、道の険しさがわかる

 

 (2018年12月16日(日)午前7時30分頃)
 

 

愛媛県の廃村に行ってきました

  • 2018.12.18 Tuesday
  • 07:03

平成30年戌年、21度目(最終)の廃村探索、
11月に続いて、愛媛県の廃村に行ってきました。
訪ねた廃村は、新居浜市中之成、鹿森、土ノ峠
(計3か所、初訪2か所、再訪1か所)です。
今宮の聞き取り調査を兼ねた1泊2日の旅でした。

 

探索は、愛媛在住の友人 荒獅子さんと2人で行いました。
中之成では、分校跡ははっきりとはわからずでしたが、
神社跡(上と下で1か所あった)を訪ねました。
上はエノキ、下はカシの木がご神木でした。

 

鹿森は、平成22年以来8年ぶり。
スケールの大きさは特筆ものです。
分校跡の標板は、門柱から外れており、文字は色褪せていました。

 

土ノ峠への道は、予想通り歯ごたえがあり、
マウントピア別子の駐車場から歩いて1時間30分かかりました。
分校跡の石碑は、イチョウの落ち葉に包まれていました。

 

「廃村千選」愛媛県のポイント23か所中、
残る未訪はあと2か所(小田深山、御五神島)になりました。

 

 

 画像1:中之成・上の神社跡
    地形図によると、分校跡は上の神社近辺にあったものと思われる

 

 (2018年12月16日(日)午前8時頃)

 

 

 画像2:鹿森・分校跡門柱
    集落跡は雛壇状に整地されており、校庭は門柱の対面にあった。

 

 (同 午前10時頃)

 

 

 画像3:土ノ峠・分校跡石碑

    分校跡は石碑の先にあり、校舎の基礎が残っていた

 

 (同 午前11時20分頃)
 

愛媛県西条市 今宮(その2)

  • 2018.12.15 Saturday
  • 05:55

平成30年11月上旬、愛媛県の廃村探索2日目、

今宮の探索、後半は「丸一屋」を折返り点として、

石鎚登拝道と今宮林道を元に戻る形で行った。

 

高嶺小学校今宮分校は、へき地等級2級、児童数20名(S.34)、明治44年開校、昭和47年閉校。
初訪時に見つけることができなかった校舎は、木や草に埋もれていたが、
中はさっぱりとしていて、廊下や教室に面影が感じられた。

 

14年ぶりに訪ねた石鎚登拝道の途中にある旅籠町 今宮。
人の気配が薄れ、木々が茂り、森へ還っていく感が印象深く残った。
同時に、14年という年月の重みが肌身にしみた。

 

 

 画像1: 今宮・「丸一屋」に戻ったので、石鎚登拝道を折り返して上る

 

 

 画像2: 木立の中なので薄暗いが、歴史を感じさせる石垣が続く

 

 

 画像3: 「表屋」の近く、とてもしっかりした石垣が見られた

 

 

 画像4: 「善之丞」のそばには、静かに墓石が建っていた
     (「丞」は正確には「極」の木へんがないもの)

 

 

 画像5: そして今宮分校の屋根に戻り着く
      40分ほど経過して、周囲はやや明るくなった

 

 

 画像6: 校舎の内部は、思いのほかすっきりとしていた

 

 

 画像7: 校舎を灌木だらけの校庭から見る
      どこかに往時からの標札も残っているらしい
 

 

 画像8: 校庭を挟んで、廃屋が建っている
     (手元の資料によると、宿ではなく一般の民家)

 

 

 画像9: コンロやなべに往時の生活感が感じられる

 

 

 画像10: 宿ではないはずなのだが、宿泊人名簿が残っていた

 

 (2018年11月4日(日)午前6時45分〜7時20分頃)
 

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