林道大平軽沢線の標柱

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    平成27年5月10日(日)、
    新潟県・中越の廃校廃村への旅
    道路情報を見ると、軽沢を通る県道559号新座八箇線の
    十日町市三ツ山−津池間(5.2km)は、冬期閉鎖のため
    H.26年12月1日からH.27年6月上旬まで
    全面通行止となっています。

    訪ねたところ、入口には看板は出ていますが、
    クルマが通れるスペースは確保されていました。
    実質使えるようになってからも、情報が更新されないのは
    いわゆるお役所仕事だからでしょうか。
    隣り村 美女木(廃村)のおばあちゃんは
    「年の半分は雪に埋もれる」と話していました。

    県道から軽沢で分岐する林道は、大平軽沢線といいます。
    大平は、十日町市内のどこかの地名らしいです。
    魚沼市(旧守門村)大平ではありません。
    標柱は、雪融け後らしい立ち方で迎えてくれました。



    画像1 林道大平軽沢線の標柱
    (画像を52度時計と反対回りに回転)



    画像2 林道大平軽沢線の標柱
    (元画像)

    JUGEMテーマ:ふるさと

    軽沢の棚田

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      平成27年5月10日(日)、
      新潟県・中越の廃校廃村への旅
      軽沢には一軒の作業小屋と思われる建物があります。
      まわりには小規模な棚田があり、水が張られていました。

      建物は農作業用に使われていることが推測されるのですが、
      どこかスマートで、生活感が弱いのは不思議なところです。
      1時間弱の探索で、軽沢で出会う方はいませんでした。



      画像1 軽沢の作業小屋と思われる建物
      かまぼこ型の屋根に雪のすべり台が作られています。
      9年前にはなかったものです。   



      画像2 軽沢の棚田
      二枚の田んぼに水が張られていて、
      一枚、田んぼの跡が見当たりました。

      (2015年5月10日(日)午後3時30分頃)

      JUGEMテーマ:ふるさと

      「軽澤学校跡」の碑

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        平成27年5月10日(日)、
        新潟県・中越の廃校廃村への旅
        9年ぶりに訪ねた軽沢の分校跡には、見慣れない碑が建っていました。

        碑の表面には
        「軽澤学校跡」、
        裏面には
        「開校年明治40年 閉校年昭和48年」、
        「平成20年11月建立」、
        あと、寄付者等の9名の名前が刻まれていました。

        クルマの車窓からも見えるこの碑、
        かつて「この地に学校があった」ことを後世に伝えるにおいて
        重要な役割を果たすことでしょう。



        画像1 「軽澤学校跡」の碑
        分校跡の敷地は、碑のすぐ上にありますが、
        すぐにそうとわかるのは、春ならではかもしれません。



        画像2 軽沢分校跡のサクラの花
        敷地の縁にはサクラの木があって、
        枝の先にわずかに花を咲かせていました。

        (2015年5月10日(日)午後3時30分頃)
         
        JUGEMテーマ:ふるさと

        十日町市 軽沢分校跡地

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          平成27年5月10日(日)、
          新潟県・中越の廃校廃村への旅
          十日町市軽沢を訪ねたのは、9年ぶり2回目です。

          前回訪ねたときは、秋の夕暮れ近い時間でした。
          往時の匂いが薄い集落跡で、
          古い地形図の文マークを頼りに分校跡を探すと、
          草むらの中、それらしき空間があって
          探り当てたことの喜びを感じたものでした。

          今回は雪融けの頃、背の高い草は生えておらず、
          分校跡は難なく見つかりました。
          大池小学校軽沢分校はへき地等級2級、児童数21名(S.34)、
          明治40(1907)年開校、昭和48(1973)年閉校。
          往時の校区は、軽沢(標高460m)と美女木(標高430m)
          の2集落でした。



          画像1 秋の軽沢分校跡地
          茂みがあって、重い感じがします。
          右の木の手前に、くず物が捨てられています。



          画像2 秋の軽沢分校跡地(グランド)
          「グランド内で物を燃やさないで下さい」という
          掲示板の背後に、校舎に向かっていたと思われる
          コンクリートの階段が見えます。

          (2006年10月13日(金)午後4時頃)



          画像3 春の軽沢分校跡地
          茂みがなく、明るい感じがします。
          門柱があったかどうかはわかりませんが、
          二本の木々の間が分校の入口だったのは違いなさそうです。
          くず物、掲示板は片づけられており、
          コンクリートの階段も見られませんでした。

          (2015年5月10日(日)午後3時30分頃)

          JUGEMテーマ:ふるさと

          新潟県の廃村に行ってきました

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            平成27年5月10日(日)、日帰りで
            新潟県・中越の廃校廃村への旅に行ってきました。
            訪ねたのは、魚沼市(旧守門村)大平、十日町市軽沢、
            ともに再訪です。

            掘り下げていくのは面白いのですが、
            新たな謎もたくさん出てきます。
            「どのあたりをほどほどの線にするか」が、
            重要なところなのでしょう。



            画像1 : 大平・車道登り口付近にある滝
            車道には、「冬季通行止」の看板が出ていましたが
            間を抜けて走ると、およそ3kmで無事大平まで着くことができました。
            滝の上の台地上の高原に大平戦後開拓集落跡があります。



            画像2 : 大平・圃場整備された田んぼ
            田んぼにはまだまだ雪が残っている箇所がありましたが
            道はほぼ除雪されていました。
            かまぼこ型屋根の作業所の背の山は、守門岳です。

            (2015年5月10日(日)午前11時頃)
             
            JUGEMテーマ:ふるさと

            新潟県魚沼市(旧広神村)手ノ又

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              平成26年8月23日(土)、中越の廃村めぐり、
              この日最後(5番目)の目的地、旧広神村手ノ又(てのまた)は,村東部の山間,最寄りの集落 中子沢(ちゅうしざわ)からおよそ3kmの距離にある農山村です
              道路地図には地名はなく,中子沢からの道もはっきり記されていないことから,やや難度が高いことが予想されます。
              中子沢は戸数5戸ほどの小さな集落で,公共の温泉宿は閉ざされていました。
              温泉宿跡の少し先,羽根川に架かる橋の手前で左折して入った小道はほどなくダートに変わり,「この道で大丈夫だろうか」と心配に思いながらも先を進むと,「唐松山・猫岩・権現堂山登山口」の駐車場があって,クルマを停めずに先に進むと,複数の池が見られるようになり,やがて道は途切れました。

              羽川小学校中子沢分校手ノ又冬季分校は,へき地等級3級,児童数4名(S.34),開校年不明,昭和39年閉校。田んぼがあって,地域の方との出会いがあった4番目とは全く違う妙な風景に,私は何となく「長居しないほうがよい」と思いました。
              後日「広神村史」を調べたところ,下巻巻末の年表に「昭和37年 手ノ又部落に電灯ともる」,「昭和42年 大字三ツ又のうち手ノ又部落全戸転出」という記述が見つかりました。
              分校はおろか「本当にここに集落があったのか」もあやふやだった手ノ又でしたが,二万五千図(大湯,S.42)とWeb版の最新地形図を見合わせると,集落跡にたどり着いたことは確かのようです。古い地形図に池はなく,離村後に田んぼが池に変わったようです。



              画像1 : 手ノ又に続く怪しいダート
              おそるおそる走りました



              画像2 : 池が見られるだけだった手ノ又集落跡
              ここで道は途切れました

              (2014年8月23日(土)午後5時10分頃)

              新潟県魚沼市(旧守門村)大平

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                平成26年8月23日(土)、中越の廃村めぐり、
                4番目の目的地、旧守門村大平(おおだいら)は、村北部の台地状の高原(標高520m)にある戦後開拓集落跡で、最寄りの集落 二分(標高370m)からはおよそ3kmの距離です。
                芹谷地からも案外近く、横根、二分を経て約10km、寄り道しながらでも30分ほど、午後3時頃には到着していました。
                大平には広々とした田んぼが一面に広がっています。ポツリポツリと見える大きな建物は、作業小屋というよりは作業所という呼称が似合います。
                作業所がかつての開拓農家の敷地に建てられていることが容易に想像できたのですが、どうゆうわけかそこには人の姿が見当たりません。「これは、人待ちをするしかない」と決め込み、待つこと30分、ありがたいことに、1台のクルマが大平に向かってやってきてくれました。

                高倉小学校二分分校大平冬季分校は、へき地等級4級、児童数9名(S.34)、昭和24年開校、昭和50年閉校。クルマに乗っていたのはご夫婦(TさんとR子さん)で、ご挨拶をしてR子さんに集落のことを尋ねたところ、「大平は満州からの引揚者の開拓集落で、入植したのは新潟県出身者だけだった」、「分校は古い道のそばにあったが、跡地は圃場整理で田んぼとなった」、「今も皆が守門に住んで、通いで耕作している」との旨、お話をうかがいました。
                分校跡と思われる田んぼのあぜ道を歩いていると、草刈りをするTさんとの距離が短くなったので、ご挨拶をすると、Tさんが「昔から変わり映えなく農業をしているよ」と話されたので、私は「開拓の成果が受け継がれているのは、素晴らしいことです」と返事をしました。



                画像1 : 廃村 大平の田園風景
                台地の上には広々とした田んぼが広がっていました。



                画像2 : 開拓農家跡の敷地に建つ作業所
                人の姿が見当たらないのが、不思議なぐらいでした。



                画像3 : 大平冬季分校跡地
                画像のちょうど真ん中あたりに分校があったとのことです。

                (2014年8月23日(土)午後3時〜4時頃)

                新潟県魚沼市(旧入広瀬村)芹谷地

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                  平成26年8月23日(土)、中越の廃村めぐり、
                  3番目の目的地、旧入広瀬村芹谷地(せりやち)は、村中心部の穴沢から東に5kmほど行った小規模な集落です。
                  五万地形図(守門岳、S.44)の文マークには寺新田(てらしんでん)、二万五千図(穴沢、S.42)の文マークには屋形平(やかただいら)という地名がありますが、住宅地図(H.24)で使われている地名は芹谷地です(学校名は屋形平)。
                  訪ねることで、「どれが地域で使われている名前か」という謎を解きたいところです。

                  JR只見線入広瀬駅を出発し、2階に入口がある魚沼市入広瀬庁舎(旧村役場)を過ぎて、道中見られる田園風景は、さすが魚沼コシヒカリの産地、豊かそうな感じです。迷って着いた横根から、芋鞘新田へと進み、「そろそろ着く頃では」と思ったところに、農作業をする方の姿が見当たりました。
                  急いでクルマを停めて、ご挨拶をして「冬季分校の跡地を探しているのですが」と尋ねると、少し道を戻ったところの作業小屋が建っている場所が跡地との旨、教えていただけました。 

                  横根小学校芋鞘分校屋形平冬季分校は、へき地等級2級、児童数14名(S.34)、昭和23年開校、昭和41年閉校。Sさんは芹谷地の生まれで、今は入広瀬の中心部に住んで農作業に通っているとのこと。屋形平はもう少し山に入った場所で、寺新田は地名ではないとのことで、この謎は解けました。
                  Sさんからは「昔は積雪の頃は、冬ごもりをしていた」、「道路がよくなって、除雪がたいへんだから移転してほしいと村から話があった」、「今は除雪もしやすくなっているから、またここに住みたいもんだな」との旨、お話をうかがいました。
                  歩いて冬季分校跡を見に行く途中にはSさんの屋敷跡があって、流しがあって湧き水が引かれていたので、ペットボトルに詰め、喉を潤しました。



                  画像1 : 芹谷地・屋形平冬季分校跡付近の田園風景
                  「わびしい」「寂しい」といった感じはまったくありません。



                  画像2 : 作業小屋が建つ屋形平冬季分校の跡地
                  地形図の文マークと照らし合わせても、この場所でよさそうです。



                  画像3 : 流しがあって,湧き水が引かれていた屋敷跡
                  「冬はどんな感じになるんだろう」と、ちょっと興味が湧きました。

                  (2014年8月23日(土)午後1時45分〜2時15分)
                   

                  新潟県長岡市(旧山古志村)寺野(その2)

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                    平成26年8月23日(土)、中越の廃村めぐり、2番目の目的地、長岡市(旧山古志村)寺野(てらの)、
                    地域の方(橘さん)と別れて、神社のほうへ少し歩くと墓地があって、奥のほうに「寺野部落絵図碑」という目を惹く石碑が建っていました。

                    いつ頃のものかはわからないのですが、29戸も家々が刻まれていて、分校もあります。
                    種芋原小学校寺野冬季分校は、へき地等級3級,児童数28名(S.34),大正8年開校,昭和41年閉校。
                    絵図碑では神社と分校は隣り合わせになっていて、これは多くの小集落で見られることです。
                    碑から神社までの道は、三本大杉の文字のところを通っていった感じです。

                    改めて住宅地図を見ると、平成12年の寺野は住居が1戸と養鯉場が1軒。
                    昭和62年では住居は1戸で、養鯉場は記されていません。
                    また、寺野部落絵図碑の建立は平成14年8月です。
                    やはり寺野は中越地震(平成16年10月23日)のために消滅した集落ではなく、高度成長期の頃には、ほぼ移転が完了していたと見てよさそうです。





                    画像1・2 : 寺野部落絵図碑
                    墓石とあまり変わらない大きさですが、この類の碑があると、訪問者はとても嬉しいです。



                    画像3 : 寺野・十二神社の祠
                    コンクリート製の建屋で守られるようになったのは、震災後のことではないかと思われます。

                    (2014年8月23日(土)午前11時〜11時20分頃)

                    新潟県長岡市(旧山古志村)寺野

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                      平成26年8月23日(土)、中越の廃村めぐり、
                      2番目の目的地、長岡市(旧山古志村)寺野(てらの)は、村北部のまとまった規模の集落 種芋原(たねすはら)から南に2kmほど行ったところにある小規模な集落です。
                      二万五千図(半蔵金、S.42)には神社マークがあり、これを目指してクルマを走らせたところ、途中から「この先行止まり」という看板が出てきて、やがて道は柵に遮られました。
                      ちょうど、ニシキゴイの養魚場と家が建っていて、家の前には私より少し年配の男性(橘さん)が居たので、ご挨拶をして
                      「寺野の神社を探しにきたのですが…」と尋ねたところ、
                      「寺野はここで、神社は脇の道を上がっていったところにある」との旨、お返事をいただきました。

                      私は寺野は高度成長期に無人になったと思っていたのですが、橘さんとお話をすることで、中越地震(平成16年10月23日)まで3戸住まれるの家があったことがわかりました。
                      「中越地震の被害は甚大で、集落の大半は地すべりで崩れた」
                      「いま残っている1軒の家屋は、地盤が固かったから残ったが、引っ越して養魚場は閉ざされた」とのことでした。



                      画像1 : 寺野に残る1軒の家屋
                      パッと見た感じでは、「養魚場はやっているのかも」と思いました。
                      家屋は、作業小屋として使われているようでした。



                      画像2 : 中越地震で崩れた寺野集落跡
                      確かに、段々畑の跡としては不自然です。
                      転がっている水道の施設に、生々しさが残ります。

                      (2014年8月23日(土)午前10時40分〜11時頃)

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