新潟県柏崎市(旧高柳町) 後谷(その3)

  • 2018.07.21 Saturday
  • 06:49

平成30年GW後半、新潟県中越 廃校廃村の旅、
後谷(うしろだに)集落跡は見通しのよい谷間にあって、中心部には作業小屋が建っていた。
畑もあったが、誰かに出会うことはなかった。
集落跡では神社跡の場所はわからなかったが、なぜかヘルメットをかぶった仏様と出会った。

 

集落跡から県道の峠付近を通るクルマがわずかに見えるので、
帰り道に確認すると、点のような作業小屋と栃ケ原ダム湖を同時に見ることができた。

 

旧高柳町では、昭和46年から47年にかけてへき地小集落について集落移転事業を進めた。

「高柳町史」には、白倉では11戸48人、中後では13戸29人が、後谷では9戸41人が転出の対象になったと記されている。

今は磯野辺が5戸、板畑が7戸、桐山が9戸しか残っていない。

 

桐山集落開発センターのそばには、
「人と自然と芸術が共に息づく郷」という案内板が建っていた。
十日町市と津南町は「越後妻有 大地の芸術祭」を平成12年から3年に1度開催し、
一定の成果を得ており、平成30年バージョンは7回目となる。
私は桐山や竹之高地、山野田の様子をみて、
「自然、芸術を通じた人々の交流は、今後の廃村、過疎集落において重要な動きになるのではないか」と思った。

 

 

 画像1: 後谷・ヘルメットをかぶった仏様

 

 

 画像2: 後谷集落跡の遠景(ダム湖の左側)と栃ケ原ダム湖

 

 

 画像3: 桐山・「人と自然と芸術が共に息づく郷」という案内板

 

  (2018年5月6日(日)午後2時〜2時45分頃)
 

新潟県柏崎市(旧高柳町) 後谷(その2)

  • 2018.07.20 Friday
  • 07:24

平成30年GW後半、新潟県中越 廃校廃村の旅、
4番目の目標 旧高柳町後谷(うしろだに)は、高柳町中心部(岡野町)から8km、
標高362mの丘陵地(峠の近く)にある。
昭和46年、集落移転事業によっ離村した。

 

山道を県道まで歩くと、後谷に向かう枝道入口がわかった。
クルマで行けそうなので、一度桐山集落開発センターまで戻った。

県道からダートの枝道を集落の少し手前まで走ると
「農道が傷んでいます 関係者以外の乗り入れ禁止」という案内板があったので、
素直に従って案内板前にクルマを停めた。

 

後谷集落跡は見通しのよい谷間にあって、中心部には作業小屋が建っていた。

 

 

 画像1: 桐谷小学校跡と集落跡を結ぶ山道

 

 

 画像2: 「農道が傷んでいます 関係者以外の乗り入れ禁止」の案内板

 

 

 画像3: 後谷集落跡の作業小屋

 

  (2018年5月6日(日)午後2時頃)
 

新潟県柏崎市(旧高柳町) 後谷(その1)

  • 2018.07.19 Thursday
  • 06:50

平成30年GW後半、新潟県中越 廃校廃村の旅、
4番目の目標 旧高柳町後谷(うしろだに)は、高柳町中心部(岡野町)から8km、
標高362mの丘陵地(峠の近く)にある。
昭和46年、集落移転事業によっ離村した。

 

山野田からは冬季通行止となる県道(341号大沢小国小千谷線)の峠を越えて柏崎市に入り、
1週間前にも走った鯖石川の谷 国道252号線に出た。
しかし、カーナビは岡野町から後谷までの道として、最短距離の栃ケ原を通る県道(219号松代岡野町線)を選んでくれない。

それは、この県道の栃ケ原と旧松代町桐山(後谷の隣接集落)の間が、積雪の多い年は5月下旬まで冬季通行止になるためだった。
「役に立たんヤツやなー」と思いながらカーナビを無視して走ると、雪はまったく見当たらず、
峠を越えて十日町市に入り、桐山(戸数9戸、H.29)に到着できた。

 

桐山の集落開発センター(公民館)そばにクルマを停めて、まず桐谷小学校跡を目指した。
この名称は、桐山と後谷の集落名に由来する。
桐谷小学校はへき地等級3級、児童数47名(S.34)、明治45年開校、昭和47年閉校。
大山神社の裏手から斜面をあがると、山道に出ることができ、
心当たりの平地には「松代町立桐山小中学校跡」と刻まれた石碑が建っていた。
この名称は、後谷が離村した後に改称されたものである。

 

 

 画像1: 山道から見上げた桐谷小学校跡の平地
    大山神社の裏手から山道までは、
    地形図を頼りに道のない斜面を歩いた

 

 

 画像2: 桐山小中学校跡の碑(その1)
    「村影弥太郎の集落紀行」Webには載っていないこともあり、
    見つけたときの嬉しさはひとしおだった。

 

 

 画像3: 桐山小中学校跡の碑(その2)
    名称は「桐山小中学校」だが、所在地は後谷になる
    ちなみに後谷に中学校があったのは、この碑によって知った。

 

  (2018年5月6日(日)午後1時10分〜1時30分頃)
 

新潟県長岡市(旧小国町) 山野田(その3)

  • 2018.07.18 Wednesday
  • 06:11

平成30年GW後半、新潟県中越 廃校廃村の旅、
3番目の目標 旧小国町山野田(やまのた)、
集落跡をぐるっと回ってクルマを停めた場所に戻ろうとすると、
「小国芸術村会館」という木造二階建ての建物があったので立ち寄った。

 

山野田は特産品 小国和紙発祥の地で、小国芸術村は昭和63年発足。
中越大震災による被害のため山野田の9戸は全戸避難し、
これを機に集落は移転したが、
平成18年、道が通じるようになった時期にあわせて芸術村会館は復興したという。

芸術村の方に話をうかがうと、
「山野田では絵画などの芸術関係の方が、家屋を作業場として使うことがある」
と教えていただいた。

 

中越大震災に係わる廃校廃村は全部で5か所
(竹之高地、山野田、小高、牛ヶ首、小千谷十二平)。
今回でひと通り足を運んだが、震災から12年目、
竹之高地と山野田には、ともに穏やかな空気に包まれてていた。

 

 

 画像1: 往時の農家の家屋を使った小国芸術村会館 

 

 

 画像2: 芸術村会館の二階から山野田の全景を見る

 

 

 画像3: 使われていると思われる消防小屋

 

  (2018年5月6日(日)正午〜12時30分頃)
 

新潟県長岡市(旧小国町) 山野田(その2)

  • 2018.07.17 Tuesday
  • 06:56

平成30年GW後半、新潟県中越 廃校廃村の旅、
3番目の目標 旧小国町山野田(やまのた)、
学校跡門柱からさらに歩くと、小高い場所に十二神社が見つかった。

 

神社は中越大震災で大きな被害を受けたようだが、鳥居とご本尊は再建されており、
境内には復興記念碑(平成21年建立)が建っていた。
私は拝殿跡の前に座って
「みなさんの愛ありがとう 山野田集落」と刻まれた石碑を見ながら、
おにぎりを食した。

 

 

 画像1: 山野田には多数の往時の家屋が残る

 

 

 画像2: 中越大震災の復興記念碑が建つ十二神社


 

 画像3: 「みなさんの愛ありがとう 山野田集落」と刻まれた石碑

 

  (2018年5月6日(日)午前11時45分〜正午頃)

 

新潟県長岡市(旧小国町) 山野田(その1)

  • 2018.07.16 Monday
  • 07:47

平成30年GW後半、新潟県中越 廃校廃村の旅、
3番目の目標 旧小国町山野田(やまのた)は小国町中心部から9km、
標高220mのゆるやかな斜面にある。

集落に入ってすぐ、県道沿いに「冬季通行止」の案内板があったので、近くにクルマを停めて探索を開始する。

そばには地域の方が3名ほどいたが、何となくご挨拶し損なう。

 

増田小学校(のち上小国小学校)山野田分校はへき地等級2級、児童数73名(S.34),
明治10年開校、昭和55年閉校。
クルマを停めて集落跡を探索すると、分校跡の門柱が簡単に見つかった。
校庭や校舎は「少し先にあるのでは」と思って歩いたが、
詳しいことはわからなかった。

 

 

 画像1: 山野田・県道沿いに建つ「冬期間通行止」の案内板

 

 

 画像2: 雪国らしい二段式の消火栓

 

 

 画像3: 簡単に見つかった分校跡の門柱

 

  (2018年5月6日(日)午前11時30分〜11時40分頃)
 

新潟県長岡市 十二平

  • 2018.07.15 Sunday
  • 06:16

平成30年GW後半、新潟県中越 廃校廃村の旅、
2番目の目標 十二平(じゅうにだいら)は長岡市街から南方向に17km、
標高204mのゆるやかな斜面にある。
「廃村千選」では、閉校年+3年の経験則から昭和43年頃離村としている。
手前の六日市は普通の集落で、少し山に入っただけで廃村があることに驚く。

 

六日市までの枝道は細いが舗装されており、道中立派な仏様に出会う。
集落跡中心部では、地域の方お二人と話をすることができた。
水田跡がニシキゴイの養殖池として活用されていた。
神社は高台にあって、ご本尊はかまぼこ型屋根の建物に守られていた。

 

六日市小学校十二平冬季分校はへき地等級1級、児童数16名(S.34)、
明治44年開校、昭和40年閉校。
冬季分校跡は、神社よりも一段下のかまぼこ型屋根の建物がある平地ではないかと思った。

 

 

 画像1: 十二平・1軒だけ残る家屋

 

 

 画像2: ニシキゴイの養殖池として活用されている水田跡

 

 

 画像3: 神社の石段と、かまぼこ型屋根の建物

 

  (2018年5月6日(日)午前10時〜10時15分頃)
 

新潟県長岡市 竹之高地

  • 2018.07.14 Saturday
  • 07:38

平成30年GW後半、新潟県中越 廃校廃村の旅、

長岡市街のレンタカー店出発は、朝8時5分。

1番目の目標 竹之高地(たけのこうち)は、長岡市街から南東方向に17km、
標高310mの山あいにある。
蓬平温泉のすぐ上流側にあって、国道17号線から温泉街までは
まずまずのクルマが走っていた。

 

高竜神社の少し先、不動滝の上手にある竹之高地不動社は、
しっかりした社殿と休憩所を備えており、
足を運んで今日一日の道中の無事を祈った。

 

竹之高地小学校(のち太田小学校竹之高地冬季分校)はへき地等級1級、
児童数74名(S.34)、明治25年開校、平成3年閉校。
小学校跡のRC三階建て校舎は、県道沿いに堂々と建っていた。
家屋が建ち、農作業の方の姿もあるが、
校舎のやや下流側に建つ「竹之高地開祖の碑」の様子を見ると、
中越大震災(平成16年10月)を機に離村したことがわかる。

碑の裏手の平地では、小学校跡地の碑が見つかった。

 

後で見つけた「竹之高地だより」Webには、
「昭和20年代には60軒の家屋があったが、中越大震災による被害のため現在は家屋は8軒、住人は2名」
と記されている。
また、雪は11月中旬頃から翌年4月中旬頃まで積もっており、
始まりの雪はシンシンと降り、終わり頃は吹雪となるという。

 

 

 画像1: しっかりした社殿が印象的な竹之高地不動社

 

 

 画像2: 竹之高地小学校跡校舎の規模はとても大きい

 

 

 画像3: 「竹之高地開祖の碑」の裏面には「まほろばのゆめ」と刻まれていた

 

  (2018年5月6日(日)午前8時50分〜9時10分頃)
 

新潟県柏崎市(旧高柳町) 中後(その2)

  • 2018.07.06 Friday
  • 07:01

平成30年GW前半、新潟県中越 廃校廃村の旅、
5番目(最後)の目標 中後(なかご)は、
高柳町中心部から27km、県道78号大潟高柳線の舗装が途切れたあたりにある。
県道よりも少し高い場所に農作業の方(Nさん、70代ぐらいの男性)の姿が見られたので、

ご挨拶に伺った。

 

私が「ここは“ちゅうご”ですよね」と尋ねると、
Nさんは「いいや“なかご”だ」と答えられた。
「廃村千選」では10年以上中後を“ちゅうご”としていたが、
“なかご”が正しいことが判明した。 

 

門出小学校中後分校は、へき地等級3級、児童数8名(S.34)、明治35年開校、昭和46年閉校。
Nさんは「神社は集落跡よりも少し高い場所にあって、その手前に分校があった」と話された。
また、「磯之辺までの県道の工事は止まっているが、載っている地図があるので、時々折り返される旅人がいる」とのこと。

「地理院地図」Webの地形図に神社マークがあったので、これを目印に心当たりの斜面をあがっていくと、
「神社跡ではないか」と思える石造りの遺構が見つかった。
その手前にはまとまった平地があり「分校跡では」と思ったが、
二万五千図(石黒、S.43)の文マークと空中写真を比べると、分校跡は枯れススキの道がヘアピン状に曲がっている付近にあるような感じがした。

中後の家屋は、未成県道(ダート)のそばに多くあったようだった。

 

柏崎市近辺の廃村探索は、5か所となって中後で終了。
少し時間があったので、1匱蠢阿僚戸 板畑(戸数7戸(H.29))で
「分校跡が見つからないかな」とクルマを停めて心当たりを歩いたところ、
門柱と二階建ての校舎を見つけることができた。
石黒小学校板畑分校はへき地等級3級、児童数46名(S.34)、昭和60年閉校。
中後からも簡単に歩けそうな距離だが、別々に分校があったのは、
昭和の大合併前は別の自治体(高柳村と石黒村)だったからなのだろうか。

 

 

 画像1 中後・倒れた枯れススキを踏みながら集落跡を探索する(分校跡付近) 

 

 

 画像2 小山の上に、神社跡かと思われる遺構が見られた

 

 

 画像3 中後の1匱蠢亜多数のクルマが停まる板畑の分校跡

 

  (2018年4月29日(日)午後3時40分〜4時25分頃)
 

新潟県柏崎市(旧高柳町) 中後(その1)

  • 2018.07.05 Thursday
  • 07:01

平成30年GW前半、新潟県中越 廃校廃村の旅、
5番目(最後)の目標 中後(なかご)は、
高柳町中心部から27km、標高413mのゆるやかな山の斜面にある。
昭和46年、集落移転事業によって離村した。
岡野町からだと県道12号松代高柳線、275号門出石黒線、78号大潟高柳線で
時計回りに回り込まなければ行くことができないが、
徒歩交通の頃は門出(岡野町の南6kmの集落)からの山道がメインとして使われていたはずだ。


途中の石黒には、昨年7月、上越市嶺から柏崎市居谷に向かうときにも立ち寄っている。

今回別の道を使って訪ねると、前回は気に留めなかった木造平屋建ての簡易郵便局の建物が目を引いた。

日曜日のため閉まっていたが、「本当に現役なんだろうか」という佇まいだった。

 

最寄りの集落 板畑(戸数7戸、H.29)から1km、県道の舗装が途切れた所でクルマを停めた。
辺りの見晴らしはよく、棚田が見られたが、集落跡の匂いがしないため、
中後へ到着したのかどうかはっきりとはわからなかった。

 

 

画像1 石黒・木造平屋建ての簡易郵便局の建物

 

 

画像2 中後・県道の舗装が途切れた所でクルマを停める

 

 

画像3 棚田には水が張られていた

 

  (2018年4月29日(日)午後3時20分〜3時40分頃)
 

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