沖縄県竹富町 上地(その5)

  • 2019.12.31 Tuesday
  • 06:06

令和元年10月下旬、沖縄県・八重山の廃村探索、
路地をひと回りした後、もう一度本底さんを訪ね、気になっていたことを尋ねると、
「集落には20軒ほど家屋があるが、みな石垣島か西表島に家を持っていて、島にいるのは5戸ぐらい」という答をいただいた。
ちなみに、平成27年の新城島の住民登録戸数は9戸10名(下地の1戸1名を含む)である。

 

上地から大原港へ戻ってから、西泊さんに「パナリに行けた」ことを電話で一報した。
上地港で書いた妻宛の絵葉書は、大原の郵便局から出した。

 

 

 画像1: 上地・小学校跡の角、メインストリートといえる交差点

 

 

 画像2: 改めて、小学校跡の碑と鉄棒、公民館

 

 

 画像3: 改めて、「来島者へお願い」の案内板

 

 

 画像4: 上地港・迎えのゴムボートがやって来た

 

 (2019年10月22日(火)午後3時10分〜3時30分頃)
 

沖縄県竹富町 上地(その4)

  • 2019.12.30 Monday
  • 06:20

令和元年10月下旬、沖縄県・八重山の廃村探索、
集落の路地は綺麗に整っているが、人の姿はない。
歩いているうちに家の前にいた島民の方(Aさん)から「どちらさんですか」という声がかかったので、「西泊さんの紹介で集落を訪ねています」ととっさに答えた。
豊年祭が行われる中御嶽(ナカウガン)がAさんの家の先にあることはわかっていたが、「行かないほうがよさそうだ」と思った。
「郵便ポストはどこですか」と尋ねると、「2つ目の道を左に折れるとある」という返事をいただいた。

 

定期船は通わず、店はない上地だが、「ほとんど使われていない」という郵便ポストがある。
Aさんにお礼をいってその場所に向かうと、伝統的な家屋の前、少し入ったところに赤いポストを見つけた。
私は「上地に来れてよかった」と思いながら、バスの中で書いた大阪の母宛の絵葉書を投函した。

 

 

 画像1: 上地の路地で、誰かとすれ違うことはなかった

 

 

 画像2: 路地には,芝貼りのものもあった

 

 

 画像3: 「ほとんど使われていない」郵便ポストに絵葉書を投函する 

 

 (2019年10月23日(水)午後2時40分〜3時頃)

 

※ 続きは「こちら」

沖縄県竹富町 上地(その3)

  • 2019.12.29 Sunday
  • 07:36

令和元年10月下旬、沖縄県・八重山の廃村探索、
旅の者が上地集落を訪ねるには、島民の方の許可がいるという。
私が西泊さんから許可を得たかどうかは微妙だが、連絡が取ったことを拠り所として白砂の路地を歩くと、屋外でビールを飲んでいるご主人と奥さんに出会った。

「お邪魔しています」とご挨拶して、話をしたところ、ご主人はもう一つの島民の方が開催する観光ツアーの代表者(本底さん)で、島のこと、祭りにかける想いなどをうかがった。

 

集落を探索できる時間は1時間ほど。まず本底さんお勧めの見晴らし台(クイヌパナ)を訪ねた。
手前には西御嶽(イルウガン)の鳥居があったが、「立入りも写真を撮るのも厳禁」とのことで、足早に通り過ぎた。

 

 

 画像1: 上地・珊瑚の石垣に白砂の路地が続く 

 

 

 画像2: 見晴らし台(クイヌパナ)へ続く珊瑚でできた階段

 

 

 画像3: クイヌパナから見た上地港

 

 

 画像4: クイヌパナから見た下地方向の海景色

 

 (2019年10月23日(水)午後1時50分〜2時40分頃)

 

※ 続きは「こちら」

沖縄県竹富町 上地(その2)

  • 2019.12.28 Saturday
  • 09:42

令和元年10月下旬、沖縄県・八重山の廃村探索、
パナリこと新城島(上地島)は、面積1.76k屐⊆囲6.22辧
明治36年には58戸(下地を含む)が半農半漁の暮らしをしていたが、
水が湧かない不便さから石垣島や西表島への移住が進み、
下地集落は昭和38年に廃村となり、上地集落も5戸ほどが残るだけになった。


ただ、島民の方々には祭りを通じて強い結びつきがあり、特に7月中旬に行われる豊年祭は、男性のみで行われ、関係者以外は参加できない秘祭として知られる。

 

上地小学校は、へき地等級5級格、児童数17名(S.34)、明治29年開校、昭和50年閉校。
学校跡は港から集落に入ってすぐ左手にあり、鉄棒と記念碑、ジャングルジムがあった。
校庭は広々としていて、奥にはRC造の公民館が建っており、しっかり管理されている印象を受けた。

 

 

 画像1: 上地公民館と小学校跡の鉄棒

 

 

 画像2: 上地小学校跡の記念碑(平成26年建立)

 

 

 画像3: 校庭の片隅にジャングルジムが残っていた 

 

 (2019年10月23日(水)午後1時50分〜3時15分頃)

 

※ 続きは「こちら」

沖縄県竹富町 上地(その1)

  • 2019.12.27 Friday
  • 06:53

令和元年10月下旬、沖縄県・八重山の廃村探索、
パナリこと新城島(あらぐすくじま)の上地(かみじ)行きの日程は、
4日目(最終日)の午後となった。

 

当初パナリには、島民の方(西泊さん)のシュノーケリングを主とする観光ツアーで上陸する予定だったが、
「単独だとツアー開催は難しい」というメールの一報を得て、豊原に拠点を持つ内地の方のツアーに切り替えた。
しかし、お店で話をうかがうと「ツアーで行くのはパナリでも下地で、上地には行かない」ということがわかった。
事情を話して「そこを何とか」とお願いしたところ、何とか融通をつけていただくことができた。

 

ツアーの参加者は8名。大原港からシュノーケリング用ゴムボードに乗っておよそ15分。
ボートは先に上地に立ち寄ってくれた。上地港の規模は大きく、空と海はどこまでも青い。
そして集落の手前には、「無断でお宮に入ったり、勝手に願い事をしてはならない」と記された案内板があった。

 

 

 画像1: ゴムボートの舳先から見た新城島の遠景

 

 

 画像2: 新城島(上地島)・大きな規模の上地港

     正面の島影は西表島

     

 

 画像3: 「お宮に入ってはならない」の記述が緊張感を醸し出す

 

 (2019年10月23日(水)午後1時40分〜1時50分頃)

 

※ 続きは「こちら」

網取再訪

  • 2019.12.26 Thursday
  • 07:02

令和元年10月下旬、沖縄県・八重山の廃村探索、
3日目(22日(火))、西表島の陸路が通じない集落 船浮「ふなうき荘」での起床は朝6時頃、天気は晴で北風は比較的弱い。
ネットで確認したところ、上原便は2週間ぶりに運航しているようだ。

 

網取には当初シュノーケリングツアーで立ち寄る計画だったが、集落跡の滞在は10分ほどとのこと。
「もう少しゆっくりできないか」と伝えたところ、宿主の池田米蔵さんが「釣りをするから一緒に行こう」という声をかけてくれた。

集落跡は、シュノーケリングツアーを主催する船浮在住のプロのミュージシャン池田卓さんに案内していただいた。
21年ぶりに再会した「あんとぅり」の碑は、変わらず堂々と海のそばに建っていた。
平成27年に環境省が「自然環境保全地域」に指定したという網取の海は、とても美しかった。

 

 

 画像1:網取・学校跡校舎(現 東海大学海洋研究所の施設)は海のすぐそばにある

 

 

 画像2:「あんとぅり」の碑(平成8年建立)

 

 

 画像3:「自然環境保全地域」に指定された網取の海

 

 (2019年10月22日(火)午前10時50分〜12時10分頃)
 

沖縄県竹富町 由布島(その4)

  • 2019.12.24 Tuesday
  • 07:00

令和元年10月下旬、沖縄県・八重山の廃村探索、
八重山の水牛は、昭和初期に台湾からの移民によって石垣島で導入されたのがルーツとされる。
由布島の水牛は、暮らしが豊かになった昭和30年頃には農耕用に各家庭で飼われるようになった。

 

集落の解散(昭和46年)を経て、植物園の開業時(昭和56年)は2頭だった水牛車の水牛は、今 40頭以上に増え、年間観光客数は20万人を数える。
散策を終えた後、水牛車待合所そばの「水牛之碑」に挨拶した。

 

 

 画像1:由布島の浜辺に寝そべる水牛

 

 

 画像2:由布島の浜辺・目の前に水牛の横顔がきた

 

 

 画像3:「水牛之碑」には「水牛一家に感謝の碑を建てる」と記されていた

 

 (2019年10月21日(月)12時40分〜午後1時25分頃)
 

沖縄県竹富町 由布島(その3)

  • 2019.12.23 Monday
  • 07:00

令和元年10月下旬、沖縄県・八重山の廃村探索、
由布島(ゆぶじま)にあった島小学校(のち由布小学校)は、へき地等級5級格、児童数17名(S.34)、昭和23年開校、昭和46年閉校。
門柱は散策路に溶け込むように建っており、横には歴史を示す黄色い案内板があった。

 

門をくぐってすぐ右手には立入禁止のコンクリの建物があって、遠目で見たら「由布公民館」という標板が見られた。
井戸や水がめといった、往時からのものも散見された。
「集落の歴史は、植物園を語る上で欠かせないものなんだなあ」と思った。

 

 

 画像1:由布島植物園の一角・学校跡の門柱と黄色い案内板

 

 

 画像2:「由布公民館」という標板があるコンクリの建物

 

 

 画像3:茂みの中に 往時の水がめが見られた

 

 (2019年10月21日(月)12時5分〜12時15分頃)
 

※ 続きは「こちら」

沖縄県竹富町 由布島(その2)

  • 2019.12.22 Sunday
  • 06:42

令和元年10月下旬、沖縄県・八重山の廃村探索、
由布島(ゆぶじま)島は、面積0.12k屐⊆囲1.96辧
>昭和20年に竹富島、黒島からの移住者が定住し、やがて分校が開校。
>昭和30年にはマラリアが終息し、パイナップル栽培などで暮らしは豊かになったが、
>昭和44年の台風による高潮被害を受け、昭和46年、集落は対岸の美原に移転して解散した
という歴史がある。
しかし、残ったおじいが「南海の楽園になること」を目指してヤシや花を植え続け、
昭和56年に亜熱帯植物園が開園し、これが今に引き継がれている。

 

私は「かつて由布島に集落や学校があった」ことを、15年前の旅から帰って間もない頃に知った。
「機会があったら是非行きたい」と思い続けてきた由布島、レストハウスを過ぎて園内の散策路をたどっていると、学校跡の門柱がみつかった。

 

 

 画像1:由布島・亜熱帯植物園の散策路を歩く

 

 

 画像2:浜辺の茶屋、コーヒーを飲みながらくつろぐ
     向こうに見えるのは小浜島

 

 

 画像3:植物園の一角に学校跡の門柱が構えていた

 

 (2019年10月21日(月)午前11時15分〜11時50分頃)
 

※ 続きは「こちら」

沖縄県竹富町 由布島(その1)

  • 2019.12.21 Saturday
  • 07:50

令和元年10月下旬、沖縄県・八重山の廃村探索、
水牛車観光で知られる由布島(ゆぶじま)には、かつて集落があり、学校もあった。
亜熱帯植物園関係の居住があるため、高度過疎集落としているが、
自治区としての由布島は、昭和46年に解散している。

 

10月21日(月)、石垣島の宿での起床は朝6時30分頃。
天気は晴だが北風はやや強く、上原便は欠航していた。
このため西表島行きは、もうひとつの航路 大原便を使った。
島東部・大原着は朝8時50分、西表島の路線バスには3日間のフリー乗車券があり、今回はバスが西表での主要移動手段だ。

 

大原から25分ほどで、由布水牛車乗場バス停に到着。
西表島と由布島は400mほどの海峡で離れているが、水深は20僂曚匹如△里鵑咾蠅反綉躰屬行き来している。
電柱が海を渡っており、トラックで渡ることもできるようだ。
ピンク色のリストバンド型入園券を買って、10名ほどの個人客とともに水牛車に乗り込むと、おじいが笑いをとりながら、島や水牛の案内をしてくれた。

 

 

 画像1:西表島・水牛車乗場から見た由布島

 

 

 画像2:西表島の浜に並ぶ水牛車

 

 

 画像3:水牛車がのんびりと由布島へ向かう

 

 (2019年10月21日(月)午前10時10分〜10時35分頃)
 

※ 続きは「こちら」

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