石川県小松市 光谷

  • 2017.05.13 Saturday
  • 05:30

平成29年GW、石川県小松市の廃村めぐり、
第7の目的地 木地小屋(Kijigoya)は新保から4劼曚瓢海愎覆鵑西貊蠅砲△襪、
国道には「除雪など工事作業中 立入厳禁」という看板とチェーンがあって、
行く手を阻まれた。
時間的にもちょうどよいので、木地小屋行きはあきらめて、
新保、丸山へと戻り、尾小屋、池城経由の道から光谷(Mitsutani)へと向かった。

 

光谷は比較的小松市街に近く、昭和31年までの集落名は「三ッ谷」だった。
松岡小学校三ッ谷分校は、へき地等級3級、児童数13名(S.34)、
明治18年開校、昭和39年閉校。分校跡には見慣れない「光谷の記」と刻まれた碑が建っており、
見慣れた「ふるさとセンター」の建物はなくなっていた。
碑の表面には「平成26年5月 光谷会建立」と刻まれており、碑は離村50周年を記念して建てられたらしい。
碑文には「昭和38年の豪雪によって、全町上げて取り組んでいたりんご園が壊滅、
閉町のやむなきに至りました」と記されていた。

 

碑の裏面には「ふるさとセンター」に掲げられていた住宅配置図が継承されていた。
この図と新しい石柱のおかげで、共同浴場跡を見つけることができた。
その他、神社跡、住宅跡の水回りが見つかったが、集落はおおむね森へと還っていた。
集落跡、光谷生水(湧水)の少し手前には、往時からの耕地が見られた。
地域の方の姿が見られたが、遅くなったこともあるので、遠目に見るだけにした。

 

 

 画像1 分校跡に建てられた「光谷の記」の碑

 

 

 画像2 碑の裏面に刻まれた「ありし日の光谷町略図」

 

 

 画像3 新しい石柱と共同浴場跡の浴槽

 

   (2017年4月30日(日)午後4時55分〜5時30分頃)

石川県小松市 新保

  • 2017.05.12 Friday
  • 06:46

平成29年GW、石川県小松市の廃村めぐり、
第6の目的地 新保(Shinpo)の新丸村成立時(明治22年)の戸数は135戸、
村でいちばんの規模を誇った。

 

新保神社の鳥居前にクルマを停めて、そばに立つ「国道昇格記念碑」(昭和59年建立)を確認する。
新保には別荘のような新しい家屋が多く建っている。神社の境内には、日なたにも雪が残っていた。

 

新保小学校は、へき地等級4級、児童数18名(S.34)、明治9年開校、昭和41年閉校。
学校跡は橋のそばの川沿いだが、クルマから見る分にはササ藪にしか見えなかった。
橋の下手にコーヒーの看板がある養魚場があり、ご主人の姿があったので、
ご挨拶をすると学校跡について教えていただけた。

 

改めて訪ねると、雪の壁の向こうに学校跡に建つ雨量観測所が見つかった。
林さんが持参したドローンで空撮して確認すると、はっきりと学校跡だとわかった。

 

 

 画像1 新保神社の鳥居と「国道昇格記念碑」

 

 

 画像2 学校跡に建つ雨量観測所

 

 

 画像3 ドローンで空撮した新保小学校跡(林さん撮影)

 

   (2017年4月30日(日)午後3時30分〜4時21分頃)

石川県小松市 花立

  • 2017.05.11 Thursday
  • 07:02

平成29年GW、石川県小松市の廃村めぐり、
第5の目的地 花立(Hanatate)の昭和31年までの集落名は「須納谷(Sunodani)」だった。

 

「小松市花立町」と記された案内板のあたりにクルマを停めて、探索を開始すると、
いくつかの整った家屋と春の花が迎えてくれた。
暖かな晴天で、耕された畑が見られ、「桃源郷」という言葉が頭に浮かぶ。
同行の林さんの頭にも浮かんだようだ。

 

新保小学校須納谷分校(のち新丸小学校須納谷分校)は、
へき地等級4級、児童数24名(S.34)、明治18年開校、昭和43年閉校。
ゼンマイを天日干しする地域の方(年配の女性)の姿があったので、
ご挨拶をして分校跡について尋ねると、
神社跡とともにお返事をいただくことができた。

 

前回(9年前)ははっきりわからなかった分校跡だが、
今回ははっきりしたコンクリの階段を見出すことができた。
階段を上った場所には枯れ草が倒れたグランドが見られた。

 

 

 画像1 花立集落に建つ作業小屋と春の花              

 

 

 画像2 耕された畑が見られる

 

 

 画像3 須納谷分校跡へと続くコンクリの階段

 

   (2017年4月30日(日)午後2時50分〜3時20分頃)
 

石川県小松市 丸山

  • 2017.05.10 Wednesday
  • 07:03

平成29年GW、石川県小松市の廃村めぐり、
第4の目的地 丸山(Maruyama)は、昭和31年までは能美郡新丸村の村役場所在地だった。
小原から県道で丸山に入り、木造2階建ての建物の前にクルマを停めて、探索を開始した。

 

新丸小学校(休校後 尾小屋小学校新丸分校)は、へき地等級3級、児童数37名(S.34)、
明治9年開校、昭和44年休校、昭和47年閉校。
学校跡に建つRC造2階建て、尖った屋根の「丸山町集会所 研修センター」には
「昭和59年度 電源立地促進対策交付金施設」の銘板があった。

 

漁協関係の年配の男性とお話をすると、昭和45年頃から冬期無住で、
今年は雪が多くて3月には国道のゲートが開かなかったらしい。
また、学校跡のグランドは集会所よりも一段高くて、枯れ草が倒れた広い平地になっていた。

 

あまり時間がなく、神社(谷郷社)に行けずだった。

また、9年前、国道沿いで見かけた新丸診療所跡の建物は、取り壊されたようだった。

 

 

 画像1 「町内会事務所」だった木造2階建ての建物              

 

 

 画像2 学校跡のグランドと「丸山町研修センター」

 

 

 画像3 無住家屋の前に咲くカタクリの花

 

   (2017年4月30日(日)午後2時20分〜2時40分頃)
 

石川県小松市 小原

  • 2017.05.09 Tuesday
  • 05:58

平成29年GW、石川県小松市の廃村めぐり、
第3の目的地 小原(Ohara)は,大日川ダム建設にともない生じた廃村で,
集落跡は水没している。

 

私は平成20年6月に津江を除く旧新丸村の5集落に足を運んでおり,
今回は9年ぶり2度目。
阿手(川の下流方向)から大日川ダム堤体を経て小原に入り,
ダム湖沿いの「古里憩いの場」にクルマを停めた。

 

ダム湖側には四阿と「小原のふる里」と刻まれた碑が建っていた(平成10年11月建立)。
隣には集会所らしき建物があった。
山側には「湖底に故郷 小原あり 離村50周年記念碑」が建っていた(平成20年6月建立)。

 

新丸小学校小原分校は,へき地等級3級,児童数6名(S.34),
明治11年開校,昭和34年閉校。
地形図の小原の文マークは,憩いの場より少し上流側に記されているが,
ダム湖を眺めてもどんな集落・分校があったかは想像できなかった。

 

 

 画像1 ダム湖畔に建つ「小原のふる里」の碑              

 

 

 画像2 山側に建つ「離村50周年記念碑」

 

 

 画像3 かつて小原集落があった辺りの大日ダム湖

 

   (2017年4月30日(日)午後1時55分〜2時10分頃)
 

石川県小松市 津江(その2)

  • 2017.05.08 Monday
  • 06:01

平成29年GW、石川県小松市の廃村めぐり、
大山林道から津江へと下る道はおおむねしっかりしていたが、
谷の直前に崩落箇所があって肝を冷やした。

 

集落跡は川の合流点にあり、手前に軍人記念碑、
支流の向こうにポンプが残る分校跡があった。

新丸小学校杖分校は、へき地等級4級、児童数8名(S.34)、
明治11年開校、昭和37年閉校。昭和34年に山を越えて2劼両原が離村してからは、
中学校分校が開校していた。

橋脚が残る本流は雪融け時期のため水量が豊富で、
長靴で渡るのはたいへんだった。

林さんは渓流釣りを趣味としており、渡渉は慣れている感じがした。

 

本流の向こうに「津江の里」と刻まれた離村記念碑がある神社跡があった。
碑には「昭和59年6月建立 津江会」と記されていた。

津江の標高は346m(分校跡)、最盛期戸数は70戸(大正期)、
昭和31年までの集落名は「杖」だった。
昭和37年11月、大日川ダム建設に伴う不便のため、離村式が行われ廃村となった。
出作りが盛んな土地柄のせいか戸数の増減が激しく、
離村時(S.37)は7戸だった。

 

集落跡に旧住民が訪ねることは稀と思われるが、整った石垣があって、
家屋跡の敷地もはっきりとわかった。

 

 

 画像1 分校跡と思われる場所に残るポンプ              

 

 

 画像2 雪融け時期で水量豊富な川を、長靴で渡る

 

 

 画像3 神社跡に建つ「津江の里」の碑

 

   (2017年4月30日(日)午前11時40分〜12時35分頃)

石川県小松市 津江(その1)

  • 2017.05.07 Sunday
  • 07:54

平成29年GWは,大阪に2泊して,
往路は東海道新幹線岐阜羽島駅から郡上市の廃村へ,
復路は北陸本線小松駅から小松市の廃村へ出かける計画を立てた。
4月30日(日),起床は5時頃,天気は良くて暖かい。
大阪駅7時発のサンダーバードはGWということで指定席D席だったが,
空いていることと,日差しがまぶしいことから,自由席A席に移動する。

 

小松駅到着は9時22分。西口ロータリーで林直樹さんに合流。
今年初顔合わせで,一緒に廃村に足を運ぶのは1年半前の秋田以来だ。
林さんは昨年10月から金沢大学に勤められており,
石川県は林さんのホームグラウンドといえる。

 

第1の目的地 光谷(Mitsutani)には,国道360号線を走り,
白山市出合経由,光谷越からアプローチしたが,
市境付近はトンネル工事のため通行止めとなっていた。
しかたがないので光谷は,池城経由の道から夕方に行くことになった。

 

第2の目的地 津江(Tsue)は,この行程中唯一初訪の廃村で,
単独では行きたくないほどの山の中にある。
鳥越で県道44号線(小松鳥越鶴来線)に入って7劼曚鼻
杖川沿いの大山林道(未舗装)の入口には通行止の表示があったが,
クルマの出入りができるスペースがあった。
「何かあったときは自己責任」と暗に表しているのであろう。
入口付近には山菜取りの方のクルマを数台見かけた。
オフロードバイクにはよい感じの林道かもしれない。

 

入口から7劼曚鼻の啼擦隆笋療召り方が尋常でなくなってきたので,
クルマを停めて歩き始める。
津江集落跡は,林道から標高差85mの谷を下った川沿いにある。
谷へ下る道を見つけることができるか,少々心配だったが,
上流方向から見るとはっきりとしていた。

 

 

 画像1 大山林道入口の,スペースが付いた通行止の表示

 

 

 画像2 大山林道から見下ろした杖川の流れ

 

 

 画像3 大山林道と津江がある谷へと向かう山道の分岐

 

   (2017年4月30日(日)午前10時25分〜11時30分頃)

小松市の廃村、空撮画像

  • 2017.05.03 Wednesday
  • 08:49

平成29年4月30日(日)、林直樹さん(金沢大学の先生)と石川県の廃校廃村、
津江、小原、丸山、花立、新保、光谷に行ってきました。
木地小屋(新保出)は、ゲートに阻まれて行けませんでした。

 

光谷を除く6か所は、かつて能美郡新丸村という自治体でした(昭和31年小松市と合併)。
自治体規模の廃村(冬季無住)になったのは、
新丸小学校が休校になった頃(昭和44年頃)と推定しています。

 

今回の特筆すべきことは、現地をドローンで空撮できたことです。
林さんが研究にドローンを使っていることは知っていましたが、
実際に使っているところを見るのは今回が初めてです。

 

丸山、花立、新保の空撮画像(林直樹さん撮影)を紹介します。
前回(2008年6月)は梅雨時の雨の中、満足な探索はできませんでした。
9年ぶりの今回は、雪融け直後の晴天の午後という条件にも恵まれました。
真上から見る学校跡は、どれもくっきりと写っていました。

 

 

 画像1 丸山の空撮画像
    新丸小学校(休校後 尾小屋小学校新丸分校)は、へき地等級3級、児童数37名(S.34)、
    明治7年開校、昭和44年休校、昭和47年閉校。
    学校跡には丸山町集会所・研修センター(真ん中上方の尖った屋根の建物)が
    建っています。
    今回、地域の方とお話することができ、(右上の四角い平地)に
    足を運ぶことができました。

 

 

 画像2 花立の空撮画像 
    新保小学校(のち新丸小学校)須納谷分校は、へき地等級4級、児童数24名(S.34)、
    明治34年開校、昭和43年閉校。
    前回の探索でははっきりとはわからなかった学校跡ですが、
    今回、地域の方とお話することができ、学校跡へと続くコンクリ階段(左下方)と
    グランド(上方の平地)に足を運ぶことができました。

 

 

 画像3 新保の空撮画像
    新保小学校は、へき地等級4級、児童数18名(S.34)、
    明治18年開校、昭和41年閉校。
    前回の探索でははっきりとはわからなかった学校跡ですが、
    今回、地域の方とお話することができ、学校跡に建つ雨量観測施設(左寄りの建物)と
    グランド(画像の大部)に足を運ぶことができました。

    道と学校跡の間には雪の壁(右寄り)があって、

    クルマで通るだけでは、その存在ははっきりとはしませんでした。

 

    (2017年4月30日(日)午後2時30分〜4時頃) 

 

石川県金沢市 菊水 分校跡の石碑

  • 2016.04.27 Wednesday
  • 07:20
平成27年9月26日(土)、石川県金沢市 ダム関係の廃村
堂、菊水への旅。 
菊水(きくすい)分校跡地には、大きな石碑が建っていた。
従来、離村記念碑と分校跡の碑は、別物と思っていたが、
廃村に建つ分校跡の碑は、「離村関連記念碑」として
ひとつと考えてもよい感じがしてきている。

内川小学校菊水分校は,へき地等級3級,児童数59名(S.34),
明治11年開校,昭和47年(年度途中)閉校。同年閉町。
最終年度(S.47年度)の児童数は9名だった。



 画像1 : 内川小学校菊水分校跡の石碑(その1)
  跡地は、菊水町ポケットパークとして整備されている。
  サクラの木があるから、花の頃はひと味違うことだろう。



 画像2 : 内川小学校菊水分校跡の石碑(その2)
  金沢駅から菊水までは22kmある。
  探索の足は「まちのり」(レンタサイクル)を使った。

  (2015年 9月26日(土)午後2時頃)


 

石川県の廃村に出かけました

  • 2015.09.29 Tuesday
  • 07:10
9/26(土)、石川県の廃村 金沢市堂、菊水に出かけてきました。 
ともに、内川ダム建設で生じた廃村ですが、
上流部の菊水は水没しておらず、往時からの家屋、新しい家屋が
多数建っていました。

北編と南編のどちらで取り上げるべきか迷いましたが、
石川県は南編(「廃村(10)」)としました。
#富山県は北編(「廃村(9)」)です。
#石川県と富山県の間で線を引きました。



画像1 内川小学校菊水分校跡の石碑
跡地は、菊水ポケットパークとして
整備されています。



画像2 菊水集落跡に残る往時からの家屋
萱葺き屋根にトタンがかぶせられたもので、
目を惹く存在感がありました。



画像3 不法投棄禁止等を記す警告看板
金沢市企業局、菊水郷友会、金沢中警察署の名前入りの
「警告 この地域一帯は水道水源地域につき,
ゴミ,空缶等の不法投棄を禁止します。
違反した場合,法律で処罰されます」と記された看板が
数多く立っていました。
不法投棄自体は見れらませんでした。

(2015年9月26日(土)午後1時30分頃)

JUGEMテーマ:ふるさと

calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< July 2018 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

recommend

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM