北海道神恵内村 オブカル石(その4)

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    平成30年2月8日(木)、冬の北海道・後志の廃校廃村探索1日目、
    オブカル石の安内小学校跡には、
    「かつてここに学校があった」ことを伝える碑が3つあった。
    それぞれに個性的で、印象深いものだった。

     

    まず、象徴的な白い親子像。
    緑をバックに見たら、また違う印象を受けることだろう。
    雪に埋もれていたが、「安内小学校址」と刻まれた台座の上に建っている。
    碑文から、この像は昭和46年(閉校4年目)に建てられたものとわかる。
    #「学舎の風景」Web 神恵内村オブカル石 より引用

     

     碑文
     嗚呼
      西の河原よ
      窓岩よ
     冬は苛烈なる日本海の怒涛と相対峙し
     夏は虎杖の競い立ち蝉しぐれふり注ぐこの台地
     まさしくここに六十有余年に亘り教育の灯をともし続けた親と子と
     そして教師の哀歓の歴史があった
       昭和46年8月14日
        安内小学校第16代校長 豊本綱市書

     

    次に、公園内の「昭和天皇御大典」記念碑、
    展望台のそばに静かに建っている。
    雪の下には、しっかりした台座が埋まっているらしい。
    碑には「昭和三年御大典記念」と刻まれている。
    学校が存続していた頃からのものなのだろう。

     

    最後に公園下の「心勿忘」と刻まれた学校跡記念碑。
    やはりカンジキを履かなければ、行こうという気にはなれなかった。
    できそうだったので、
    雪に埋もれていた台座の碑文を掘り起こした。
    R.229が開通した年(平成8年)に建ったことがわかる。

     

     心勿忘
       揮毫者 元安内小学校長 豊本綱市氏
     明治17年旧7月 寺子屋教授始まる
       43年 4月 珊内教育所となる
     大正 6年 4月 安内尋常小学校となる
     昭和 4年 4月 安内国民学校となる
       22年 3月 神恵内村立安内小学校となる
       42年 3月 廃校
     明治・大正・昭和の三代に亘り
      318名の卒業生を送り幕をとじた
       平成8年9月
        安内小学校跡記念碑建立協賛会創

     

    「ここに安内小学校があった」ことは、末永く残りそうだ。
    オブカル石という集落名も、川の名前とともに残っていくことだろう。

     

     

     画像1:白い親子像が台座の上に建つ「安内小学校址」碑

     

     

     画像2:「昭和天皇御大典」記念碑

     

     

     画像3:「心勿忘」、安内小学校跡記念碑

     

      (2018年2月8日(木)午後2時25分〜3時頃)
     


    北海道神恵内村 オブカル石(その3)

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      平成30年2月8日(木)、冬の北海道・後志の廃校廃村探索1日目、
      オブカル石の安内小学校跡、象徴的な白い親子像の場所にたどり着いたのは午後2時25分。
      上り口から正味20分かかった。

       

      冬の積丹半島は、天気が荒れると横風で雪が舞い上がり、たびたび通行止になるという。
      展望公園から広がる海景色を見渡しながら、無事に到着できたことに感謝した。
      陽の差し方によって明暗が変化する冬の海景色は、記憶に残る美しさだった。
      その他、公園内では「昭和天皇御大典」記念碑、
      公園下では「心勿忘」と刻まれた学校跡記念碑を見つけた。

       

      この旅では、訪問地と到着見込時間、距離を「12分、30/h」(休憩時間を含む)で
      事前にノートに記して、実績を付記するという作業を課している。
      オブカル石の探索見込時間は40分だったが、実績では1時間20分となった。

       

       

       画像1:オブカル石・安内小学校跡、象徴的な白い親子像

       

       

       画像2:展望台(安内小学校跡)から広がる海景色を見渡たす

       

       

       画像3:陽の差し方によって明暗が変化した

       

        (2018年2月8日(木)午後2時25分〜2時35分頃)
       


      北海道神恵内村 オブカル石(その2)

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        平成30年2月8日(木)、冬の北海道・後志の廃校廃村探索1日目、
        積丹半島西岸 オブカル石はニシン漁の基地として早くから開けたが、
        漁が不振となってからは交通の不便さなどから集落は廃れ、
        昭和41年に集団移転が行われた。

         

        オブカル石にあった安内小学校は、へき地等級5級、児童数24名(S.34)、
        明治17年開校、昭和42年閉校。
        河口から700mほど南の高台にある学校跡は、現在「あんない展望公園」になっており、
        R.229からでもひと目でそれとわかる。

         

        クルマを展望公園入口に停め、様子を見たところ、
        入口から公園までの上り坂は雪に埋もれていた。
        長靴とカンジキを用意して挑むことになったのは午後2時5分。
        見た目にはすぐ近くの展望公園だが、斜面にたまった雪は深く、
        斜度もあってなかなか先に進まない。

         

         

         画像1:オブカル石・R.229と「あんない展望公園」

         

         

         画像2:柵の先に展望台(安内小学校跡)が見える

         

         

         画像3:「あんない展望公園」の標柱

         

          (2018年2月8日(木)午後2時〜2時10分頃)
         


        北海道神恵内村 オブカル石(その1)

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          平成30年2月8日(木)、冬の北海道・後志の廃校廃村探索1日目、
          この日唯一の目標 オブカル石は、積丹半島西海岸沿いにある。
          積丹町沼前(神威岬南側の集落)から神恵内村オブカル石、川白までの間には
          長い間車道がなく、
          西の河原トンネルなどとともにR.229が開通したのは平成8年11月のことだった。

          珊内局郵便区全図(S.37.5)によると、オブカル石の戸数は11戸。
          集落は主に河口南側にある。

           

          西の河原トンネルを抜けてすぐ左手の駐車スペースにクルマを停める。

          迎えてくれた建物は、トンネルとともに開業した「西の河原レストハウス」跡だとのこと。

          入口に「積丹まりんマーケット 平成22年4月オープン予定」との看板があったが、

          再生はされなったのであろう。
          駐車スペースの少し先には河口があって、「オブカル石川」の標柱が建っていた。

           

           

           画像1:オブカル石・「西の河原レストハウス」跡の建物に迎えられる

           

           

           画像2:駐車スペースから西の河原トンネルを望む

           

           

           画像3:河口付近に「オブカル石川」の標柱が建っていた

           

            (2018年2月8日(木)午後1時50分〜1時55分頃)
           


          北海道むかわ町(旧穂別町) 大和炭鉱

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            平成29年5月29日(月)、北海道日高の廃村探索、
            散会は、JR石勝線夕張支線の清水沢駅を選んだ。
            途中、日高町千栄の学校跡(平成10年閉校)、むかわ町福山の学校跡(昭和56年閉校)と神社、
            大和炭鉱の学校跡(昭和43年閉校)などに立ち寄りながら樹海ロードを夕張市へと向かった。

             

            大和炭鉱(豊進)は、平成26年5月以来の再訪で、田中さん、成瀬さんは初訪とのこと。
            樹海ロード沿いにあるので、二人とも気づかずに通過したことはあるはずだ。
            稲里小学校大和分校(のち大和小学校)は、へき地等級3級、児童数79名(S.34)、昭和34年開校、昭和43年閉校。
            穂別局郵便区全図(S.33.5)には22戸とあるが、開校前の文マークは記されていない。

             

            「大和小学校跡」の石碑は、山道の路傍、草に埋もれながら建っている。
            今回は、車道と学校跡の間に流れる川を渡りやすい場所までまわり込んで渡ったので、
            前回と比べると唐突な印象は薄かった。
            「他に何か見つけることはできないか」と少し先まで足を伸ばしたが、これというものは見つからなかった。

             

             

             画像1 大和炭鉱・車道と小学校跡の間には川が流れている
                 渡渉した箇所には道筋ができていた

             

             

             画像2 大和小学校跡と思われる平地
                 渡渉箇所から見ると、石碑は平地より少し先にある

             

             

             画像3 草に埋もれて建つ「大和小学校跡」の石碑
                 碑の手前には、木製の標柱の残骸が転がっている

             

               (2017年5月29日(月)午後2時30分頃)


            北海道日高町 三島(その2)

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              平成29年5月29日(月)、北海道日高の廃村探索3日目、
              田中さん、成瀬さんともに
              「三島小学校跡は訪ねたことはあるが、それより奥には行っていない」とのことなので、
              1kmほど先の釣り堀があると思われる場所まで足を運んだ。

               

              そこには酪農の施設と日高町営バスの「伊沢宅前」バス停があった。
              後で調べたところ、釣り堀はさらに先にあるらしい。
              三島を訪ねて、日高にある「廃村千選」のポイント全9か所の全訪が達成された。

               

               

               画像1 三島・集落名ではなく個人名のバス停が、集落ではないことを物語る

               

               

               画像2 釣り堀関係なのかと思った池

               

               

               画像3 バス停そばの放牧場で見かけたウシ

               

                 (2017年5月29日(月)午後1時頃)


              北海道日高町 三島(その1)

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                平成29年5月29日(月)、北海道日高の廃村探索3日目、
                仁世宇からR.237まで戻った三差路で函館に戻るラオウさんと分かれ、合同探索は三人組になった。
                昼食休みは日高町中心部の道の駅「樹海ロード日高」で取った。
                集落がほとんどない山中を通るため「石勝樹海ロード」という愛称があるR.274(夕張市−清水町間)は、
                平成3年の全通から道東道の全通(平成23年)までの間、札幌と十勝を結ぶ主要道だったが、
                訪ねた日の時点で日勝峠は、平成28年9月の台風被害のため不通となっていた。

                 

                二番目の目的地 三島(みしま)は、日高町中心部から樹海ロード(穂別国道)を千栄まで進み、
                枝道を5劼曚鋲った場所にある農山村の廃校廃村で、今は1戸(H.28)が残るのみだが,釣り堀があるらしい。

                三島小学校は、へき地等級3級、児童数34名(S.34)、昭和24年開校、昭和49年閉校。
                閉校記念碑は、岩にはめ込まれた緑色の金属製プレートには、
                「大正7年 福島県下の団体が入植、戦時中三井鉱業がクロームの採鉱を行う、三井と福島の二文字を取って三島と呼称す」

                と、集落の沿革が記されていた。

                 

                学校跡を探索すると、木製の旗ポールの土台が見つかった。

                成瀬さんは「三島小学校の校舎の写真は、まだ見たことがない」と言われていた

                 

                 

                 画像1 三島・学校跡前の道沿いの風景

                 

                           

                 

                 画像2 岩に金属製プレートがはめ込まれた学校跡の碑

                 

                 

                 画像3 学校跡の探索で見つかった木製の旗ポールの土台

                 

                   (2017年5月29日(月)午後12時40分頃)


                北海道平取町 仁世宇(その2)

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                  平成29年5月29日(月)、北海道日高の廃村探索3日目、
                  仁世宇の学校跡校舎はブロック造り、一部木造モルタル造りで、外壁と骨組だけになっていたが、
                  どんな感じの校舎だったかは、はっきりとわかった。
                  奥の教員住宅では、浴槽や便槽が見つかった。
                  青空の下、皆の気分が高揚したのは言うまでもない。

                   

                  「廃村千選」では、仁世宇は鉱山関係の高度過疎集落(2戸(H.22))としているが、
                  仁世宇の鉱山(日東鉱山)は入口近辺にある。
                  立派な造りの校舎を見て、
                  「例えば、農家の方が鉱山に勤めるなど、何らかの関係はあったのだろう」など、皆で話しあった。
                  成瀬さんが持参した閉校時の校舎の写真を見ながら、ササ藪を探索することで、
                  木造モルタル部分の玄関の基礎を見出すことができた。

                  田中さんは、「校舎の造りには規則性がある」と話された。

                   

                  帰り道、「民家の様子も見てみましょう」と、仁世宇二号橋近くの小高い場所の家屋を確認したところ、
                  平成23年10月には建っていたその家屋は崩壊していた。
                  玄関の柱には複数の「町税完納章」が張られていたが、やがてガレキとなっていくのだろう。

                   

                   

                   画像1 仁世宇・外壁と骨組が残る学校跡の校舎 

                   


                   画像2 浴槽や便槽が見つかった教員住宅跡

                   

                   

                   画像3 仁世宇二号橋近く、小高い場所の家屋のガレキ

                   

                     (2017年5月29日(月)午前10時30分頃)


                  北海道平取町 仁世宇(その1)

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                    平成29年5月29日(月)、北海道日高の廃村探索3日目、
                    太陽小学校跡からは、道道沿いの旧門別町三和小学校跡(昭和61年休校)に立ち寄り、
                    平取町に入りR.237沿いの振内のセイコマで一服して、
                    一つ目の目的地仁世宇(にせう)入口の集会所跡・商店跡に到着したのは午前10時頃。
                    橋を渡ってすぐに通行止箇所があったが、迂回路があって事なきを得た。

                     

                    仁世鵜小学校は、へき地等級3級、児童数23名(S.34)、大正6年開校、昭和47年閉校。
                    五万地形図(岩知志、S.33)には文マークは記されていない。
                    また、成瀬さんは平成23年10月に仁世宇を訪ねた際、クルマで奥のほうまで行ったにもかかわらず、
                    ヒグマの母子に遭遇して引き返したという因縁がある。
                    田中さんも集会所跡は訪ねているが、奥地は単独では行かないほうがよいと判断して未訪とのこと。

                     

                    探索1週間前に入手した「振内局 郵便区全図」(S.39.05)には、待望の文マークが記されていた。
                    商店跡から文マークまでは6匐瓩の距離がある。
                    注意深く見るとヒグマのふんが転がっているダートをゆっくりと進み、
                    「そろそろ学校跡かな」という見晴らしがよい平地にクルマを停めて身支度をしていると、
                    先に歩いて行っていた田中さんが「見つかりました」と声をあげて走って戻ってきた。
                    私は「クマじゃないよね」と声をかけた。

                     

                     

                     画像1 仁世宇入口には、集会所跡と商店跡の建物が残る

                     

                               
                     画像2 仁世宇・学校跡周辺は何もない平地や林になっている 

                     

                     

                     画像3 仁世宇・青空の下、学校跡の建物を見つける

                     

                       (2017年5月29日(月)午前10時頃)

                     


                    北海道新ひだか町(旧三石町) 二川(その2)

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                      平成29年5月28日(日)、北海道日高の廃村探索2日目、
                      3つ目の目的地 旧三石町 二川(ふたかわ)からの戻り道の途中、
                      道沿いの家に年配の方(Fさん、男性)の姿が見当たった。

                       

                      ここでラオウさんの勘が働き、過ぎてしばらくしてからその場所に戻り、
                      クルマを停めてご挨拶をしたところ、
                      Fさんは分校の出身で、湾曲部の中にあった分校のこと、
                      炭焼きの方が住まれていた三百町のこともご存知だという。

                       

                      ここからがラオウさんの本領発揮、何とFさんにクルマで現地まで来てもらい、
                      案内していただくという業に出た。
                      私は荒業に思えたが、これほど確かな調べ方はない。
                      Fさんに「校舎はこの場所で、この向きに建っていた」と説明していただき、
                      私はひたすら目からウロコだった。

                       

                       

                       画像1 二川分校跡の平地
                         分校跡は、道から入ってすぐの平地だった。

                       

                       

                       画像2 話をする4人が並ぶ向きに二川分校の校舎が建っていた

                       

                         (2017年5月28日(日)午後2時50分頃)

                       


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