北海道京極町 東花

  • 2018.10.01 Monday
  • 06:36

平成30年6月中旬、北海道・後志の廃村探索 旅4日目(6/11、月曜日)、
後志最後の未訪廃校廃村となった 東花(とうか)は標高358m、錦(標高275m)から4劼曚瓢海貌った場所にある。
前回(平成30年2月)は積雪のため行くことができなかったが、道は舗装されており、たやすく到達することができた。

 

東花小学校は、へき地等級3級、児童数22名(S.34)、明治43年開校、昭和51年閉校。
集落の離村時期は平成12年頃(複数の住宅地図の比較による)。
新旧地形図を比べると、左への枝道があるT字路の角地が学校跡のはずだが、痕跡は傾いた電柱しか見当たらなかった。

やや下流側へと歩くと、往時のサイロが見当たった。

 

さらに下流側へと歩くと、道端で草を刈る地域の方の姿(Tさん、60代ぐらいの女性)があった。
「おはようございます」と挨拶をして、学校跡について尋ねたところ、
「T字路の角地であっていますよ」と返事をいただくことができた。

Tさんは枝道を入った場所で畑の手入れをされているというが、畑の確認はしなかった。

 

その他、東花で見つけたものはTさんとお会いした場所よりも下流側、道沿いの家屋のガレキぐらいだった。
旧地形図にはT字路の学校跡対面に鳥居マークがあるが、そこに神社があったとは想像もできなかった。

 

 

 画像1: 東花・学校跡に残る傾いた電柱

 

 

 画像2: T字路の角地には「ヒグマ出没中」の案内板があった

 

 

 画像3: 下流側、道沿いで見かけた家屋のガレキ

 

  (2018年6月11日(月)午前7時30分〜8時15分頃)

 

北海道留寿都村 旭野

  • 2018.09.30 Sunday
  • 07:37

平成30年6月中旬、北海道・後志の廃村探索 旅3日目(6/10、日曜日)、
7番目(この日最後)の目標 留寿都村旭野(あさひの)は、ルスツ市街から11劼稜聖蛎爾稜儿伺兮爾如
平成12年頃離村(複数年の住宅地図の比較から推定)。
留寿都局 郵便区全図(S.46.8)には18戸、『角川地名大辞典』では7戸(S.61)とある。

 

旭野小学校は、へき地等級3級、児童数41名(S.34)、大正8年開校、昭和44年閉校。
学校跡には跡地の碑が建ち、碑の周囲の草は綺麗に刈られていた。
それにしても、平成12年頃まで暮らしがあった集落にしては生活感が薄い。

「何かしら見つけよう」と、五万地形図(留寿都、S.44)に記された鳥居マークの場所を目指して探索したが、
そこは山の斜面で、ササ藪の中、探索は進まない。
先陣を切る成瀬さんが諦めて道へ戻り始めた頃、真ん中にいた井口さんから「石碑を見つけました」という声があがった。
後方の私が確認したところ、それは「天照皇大御神」など5つの神の名が刻まれた昭和7年建立の碑だった。

 

 

 画像1: 周囲の草が綺麗に刈られた「旭野小学校跡」の碑 

 

 

 画像2: 神社跡で見つけた「天照皇大御神」と刻まれた碑

 

  (2018年6月10日(日)午後4時30分〜5時頃)
 

北海道洞爺湖町(旧洞爺村) 富丘

  • 2018.09.29 Saturday
  • 07:33

平成30年6月中旬、北海道・後志の廃村探索 旅3日目(6/10、日曜日)、
6番目の目標 旧洞爺村富丘(とみおか)は、洞爺湖畔の市街から11劼稜聖蛎爾旅眦找畫遜戸遒如
戸数は11戸(H.27)だが、大半は牧場関係などで新たに転入された方で、
『角川地名大辞典』では3戸(S.61)とある。

 

富丘に向かうに当たってはR.290(札幌−洞爺湖間の主要道)を大原で離れ、旧洞爺村内の道を選んだが、その道はダートでだった。
たどり着いた富丘には会社が営む牧場(神内ファーム21富丘牧場)があって、畜舎は大規模なものだった。

 

富丘小学校は、へき地等級3級、児童数38名(S.34)、明治40年開校、昭和48年閉校。
学校跡には地域の会館が建ち、平地の真ん中には「学舎の跡」碑と居住者地図表示板(大正6年と昭和23年の様子を比較したもの)が並んでいた。
牧場のそばでは「牛馬魂之碑」とお地蔵さんが見られた。

 

富丘牧場の職員の方(Tさん,40代ぐらいの男性)とも話をすることができた。
Tさんからは,「富丘で学校が存続していた頃から住まれるのは酪農の方1戸のみ。
富丘牧場には宿舎もあるが,留寿都村からの交通の便はよく,通いの方も多い」
と教えていただいた。
その他,富丘では単独で訪ねた牧場で,ウシを間近に見ることができたのが印象に残った。

 

 

 画像1: 富丘・神社跡付近から見た牧場の遠景

 

 

 画像2: 小中学校跡に「学舎の跡」碑が建つ

 

 

 画像3: 富丘牧場では、ウシを間近に見ることができた

 

  (2018年6月10日(日)午後3時15分〜4時頃)
 

 

北海道豊浦町 上泉

  • 2018.09.28 Friday
  • 07:17

平成30年6月中旬、北海道・後志の廃村探索 旅3日目(6/10、日曜日)、
5番目の目標 豊浦町上泉(かみいずみ)は、豊浦市街から14劼稜聖蛎爾旅眦找畫遜戸遒如
戸数は5戸(H.27)だが、常住する方はわずかとのこと。
『角川地名大辞典』では9戸(S.61)とある。

道道914号線(新富神里線)沿いには多くの牧草地が広がっていて、根釧台地と共通する雰囲気がある。

 

上泉小学校は、へき地等級4級、児童数29名(S.34)、明治45年開校、昭和55年休校、平成12年閉校。
北海道の小学校で休校期間が20年間もある例は珍しい。
学校跡には小さな地域の会館が建っていて、往時からのものとしては崩れかけの門柱が残っていた。
また、敷地の隅には養魚場の施設があったが、稼働している様子はなかった。
15分ほどの探索の間、地域の方に出会うことはなかった。

 

 

 画像1: 20年間の休校後、平成12年に閉校した上泉小学校跡地

 

 

 画像2: 学校跡敷地隅の養魚場の施設

 

 

 画像3: 学校跡の対面、広々とした牧草地

 

  (2018年6月10日(日)午後2時10分〜2時20分頃)
 

北海道蘭越町 川上

  • 2018.09.25 Tuesday
  • 06:58

平成30年6月中旬、北海道・後志の廃村探索 旅3日目(6/10、日曜日)、
4番目の目標 蘭越町川上(かわかみ)は、昆布から16劼稜聖蛎爾稜儿伺兮爾如⊂赦41年離村。
昆布局 郵便区全図(S.29.6)には20戸とある。
蘭越市街、昆布からだととても遠いが、胆振管内豊浦町の現住集落 新富とは4劼靴離れていない。


道道32号線(豊浦ニセコ線)から川上に向かう枝道に入る場所には、
「蘭越町川上牧場」と記された標板がある。
枝道はダートを想像していたのだが、舗装されており、所々に退避スペースがある。
どうやら、道の先には北海道新幹線のトンネル工事の現場があるらしい。

 

川上小学校は、へき地等級5級、児童数21名(S.34)、大正7年開校、昭和41年閉校。
心当たりの場所には川上小学校跡の標柱があって、奥のほうにはブロック造りの教員住宅が残っていた。
「おお、建物が残っている」と一同満足して、学校跡で押し返したが、
その先には牧場や開拓記念碑があったらしい。

成瀬さんは「開拓記念碑を見てみたい」と、2週間後に単独で再訪されたそうだ。

 

 

 画像1: 川上・枝道入口に架かる旧道の橋と新しい橋

 

 

 画像2: 川上小学校跡に残るブロック造りの教員住宅

 

 

 画像3: ブロック造り教員住宅の内部

 

  (2018年6月10日(日)12時25分〜12時50分頃)
 

北海道蘭越町 旭台(その2)

  • 2018.09.24 Monday
  • 06:12

平成30年6月中旬、北海道・後志の廃村探索 旅3日目(6/10、日曜日)、
3番目の目標 蘭越町旭台(あさひだい)は、蘭越市街から9劼旅眤罎砲△襦
五万地形図(岩内、S.44)と「地理院地図」Webの地形図には、鳥居マークが記されている。
3人でササ藪をかいて探索すると、草に埋もれた拝殿が見つかった。

 

旭台小学校は、へき地等級4級、児童数43名(S.34)、大正4年開校、昭和48年閉校。
学校跡は道道66号線が鋭角で曲がる箇所の内側にあるように見えるが、
旭台小学校跡の木柱は道道西側の区画に建っていた。
後日、空中写真と比べて調べたところ、道道の道筋が変わったためこのようになったことがわかった。

 

また、旭台では数軒の廃屋が見られたが、それはリゾート関係のもので、
リゾートは平成5年頃に破たんしたらしい。

 

 

 画像1: 旭台・ササヤブに埋もれた神社(旭台神社)の拝殿

 

 

 画像2: 頼りない旭台小学校跡の標柱

 

 

 画像3: 夏草に埋もれたリゾート関係の廃屋

 

  (2018年6月10日(日)午前10時25分〜11時5分頃)
 

北海道蘭越町 旭台(その1)

  • 2018.09.23 Sunday
  • 06:35

平成30年6月中旬、北海道・後志の廃村探索 旅3日目(6/10、日曜日)、
3番目の目標 蘭越町旭台(あさひだい)は、蘭越市街から9劼稜聖蛎爾稜儿伺兮爾如
昭和51年頃離村(閉校年+3年の経験則)。
蘭越局 郵便区全図(S.30.5)には31戸とある。
『角川地名大辞典』には2戸5名(S.61)とあるが、離村後進められたリゾート関係の住民ではないかと思われる。

 

旭台への道は、昆布から昆布温泉をかすめるルートを想定していたが、カーナビは蘭越市街を回るルートを示した。
「まあいいか」とそれに従っていると、蘭越から先も豊国を回る妙なルートが出てきて、
道はやがて鉄板敷きのマニア向けのものになった。
「道筋は間違ってはいないんだけど」と言いながら先へと進むと、長いダートもあったが、
何とか旭台の三差路に到着できた。他の2つのルートは、整備された舗装道(道道66号線)だった。

 

 

 画像1: 旭台に向かう鉄板敷きのマニア向け道

 

 

 画像2: 整備された舗装道との交点手前に、旭台神社の鳥居が見つかった

 

  (2018年6月10日(日)午前10時10分〜10時25分頃)
 

北海道ニセコ町 二王子

  • 2018.09.22 Saturday
  • 07:19

平成30年6月中旬、北海道・後志の廃村探索 旅3日目(6/10、日曜日)、
2番目の目標 ニセコ町二王子(におうじ)は、ニセコ市街から5劼糧電所関係の廃校廃村で、昭和36年頃離村。
狩太局 郵便区全図(S.30.8)には41戸とある。王子製紙尻別川第二発電所は、大正15年建設。
二王子は五万地形図(狩太、S.35)に記された地名で、発電所勤務の従業員とその家族が住まれた。

 

二王子にあった王子小学校は、へき地等級2級、児童数29名(S.34)、昭和2年開校、昭和36年閉校。
心当たりの場所は広い畑となっており、地形図がなければここに発電所集落があったことを想像することはできない。
農作業をされる方(Nさん、70代ぐらいの男性)がいたので、ご挨拶をしたところ、
Nさんは「発電所集落とは、なつかしいなあ」と話された。
尻別川第二発電所は今も稼働し、苫小牧の製紙工場へ電力を供給し続けている。

 

 

 画像1: 二王子・畑となった王子小学校跡(クルマの左側)

 

 

 画像2: 建設から90年以上、今も稼働する尻別川第二発電所 

 

  (2018年6月10日(日)午前9時15分〜9時40分頃)
 

北海道共和町 下ビラ

  • 2018.09.21 Friday
  • 06:46

平成30年6月中旬、北海道・後志の廃村探索、
6月10日(日、旅3日目)、余市の「ライダーズハウス岡本」での起床は朝6時頃。
幸いにも、空は晴れている。
余市を朝6時45分頃出発。クルマの運転は主に私、時々成瀬さん、助手席は井口さん(北大の学生)という布陣で臨んだ。

 

最初の目標 共和町下ビラ(しもびら)は、鉄道駅がある小沢から5劼稜聖蛎爾稜儿伺兮爾如
昭和47年頃離村(閉校年+3年の経験則による)。
戦後開拓の入植により、戦前に閉校となった小学校が再度開校したという歴史を持つ。
小沢局 郵便区全図(S.30.8)には37戸とある。
国富から南へ向かう道を選んで走っていると、車窓の右手にイタドリに埋もれたブロック造りの開拓農家跡が見つかった。

 

下ビラにあった旭小学校は、へき地等級2級、児童数31名(S.34)、明治36年開校、大正12年閉校、昭和26年再開校、昭和44年再閉校。
五万地形図(岩内、S.44)の文マークは道沿いにあるが、「地理院地図」Webの地形図と比べると、道筋が変わっていることがわかる。
旧道入口付近にクルマを停めると、そこはワイスホルン(山)の麓で、手入れがなされた牧草地が広がっていた。
旧道には草が茂っていたが、道筋ははっきりしており、心当たりの場所には草に埋もれた平地が見当たった。
3名で探索したところ、これといったものは見つからなかったが、平地にはっきりとした段があることから、
「段の下が運動場で、段の上に校舎はあったのであろう」と特定することができた。

 

 

 画像1: 下ビラ・イタドリに埋もれたブロック造りの開拓農家跡

 

 

 画像2: 牧草地と山頂に雪が見られるワイスホルン

 

 

 画像3: はっきりとした段で、学校跡を特定することができた 

 

  (2018年6月10日(日)午前7時40分〜8時15分頃)
 

北海道神恵内村 オブカル石(再訪)

  • 2018.09.20 Thursday
  • 06:05

平成30年6月中旬、北海道・後志の廃村探索、
海岸沿いの漁村の廃村 オブカル石にも再びやって来た。
安内小学校(昭和42年閉校)跡の「あんない展望公園」は、神恵内方面から向かうと見つかりにくく、
西の河原トンネル手前でオブカル石川の標柱を確認してから向かった。

 

高台の公園には、冬とは異なりあっけなく到着した。
白い親子像は緑に包まれており、草を刈ると台座の「安内小学校址」の文字もはっきり読み取ることができた。

冬には行けなかった西の河原レストハウスそばの十一面観音堂にも、足を運ぶことができた。
冬に比べると行動半径は広く、かつ短時間で探索することができたが、インパクトは冬のほうが強かった。
初めて訪ねた成瀬さんは、何が印象に残っただろうか。

 

 

 画像1: オプカル石川の標柱と西の河原レストハウス跡の建物

 


 画像2: 白い親子像の下には「安内小学校址」と刻まれた台座がある

 

 

 画像3: 安内小学校跡からは、夏の日本海が見渡せる

 

  (2018年6月 9日(土)午前11時〜11時50分頃)

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