北海道紋別市 志文(その2)

  • 2019.08.15 Thursday
  • 06:37

令和元年5月下旬の道東・道北の廃村探索 2日目、
農山村の高度過疎集落 志文(しぶん)、
学校跡の横には神社があって、鳥居、参道、社殿とも整った印象を受けた。
境内では馬頭観音碑が見つかった。

 

学校跡対面の酪農家の方とは、沼の上鉱山を探索した後、ご挨拶することができた。

 

 

 画像1:志文・学校跡の横に建つ神社

 

 

 画像2:境内に建つ馬頭観音碑

 

 

 画像3:奥まった場所にご本尊が奉られていた

 

 (2019年5月26日(日)午前9時40分〜9時50分頃)
 

北海道紋別市 志文(その1)

  • 2019.08.14 Wednesday
  • 05:27

令和元年5月下旬の道東・道北の廃村探索 2日目、
緑蔭からは信部内、沼ノ上まで戻り、2つ目の目標、シブノツナイ川沿いを5劼気のぼった農山村の高度過疎集落 志文(しぶん)へと向かった。

 

志文小学校はへき地等級3級、児童数32名(S.34)、大正3年開校、昭和57年閉校。
志文には3戸の暮らしがあり(H.27)、学校跡の対面には酪農家の方の家がある。
しかし、校舎は傷みが進み、一部は崩れ始めていた。
そんな校舎の手前、「学舎の里」碑は淡々と建っていた。

 

 

 画像1:志文・「学舎の里」碑と崩れかけた校舎

 

 

 画像2:校舎の前は笹藪になっていた

 

 

 画像3:校舎の中には、往時の面影が残っていた

 

 (2019年5月26日(日)午前9時25分〜9時35分頃頃)
 

北海道湧別町 緑蔭

  • 2019.08.13 Tuesday
  • 06:29

令和元年5月下旬の道東・道北の廃村探索、
2日目午前中は紋別市東部(湧別町を含む)の廃校廃村4か所をめぐり、午後からは鴻之舞の鉱山資料館に立ち寄り、ピンポイントで鉱山街跡地をまわる計画を立てた。

 

紋別市街の宿「かつうら旅館」を出発したのは朝8時頃。
メンバーはK・Tさん、田中さん、成瀬さん、私の4名。
近くのセイコマで各自昼食を調達して、まず、湧別町の農山村の廃村 緑蔭(りょくいん)を目指した。
長いダートがあるとのことで、手前の集落 信部内(しぶない)の小学校跡でクルマを1台に絞る。

 

緑蔭小学校はへき地等級3級、児童数9名(S.34)、大正5年開校、昭和35年閉校。
学校跡付近は同時期に離村しているが、緑蔭の行政区が広いため、離村時期は平成14年頃としている。
信部内小学校跡から5辧単調なダートを走ると、視界左手に「緑蔭小学校の跡」と刻まれた黒い碑が表れた。
湧別町の学校跡地碑は、この形らしい。
閉校から60年近く経過し、森に還った学校跡を探索すると、つぶれた門柱と校舎の基礎が見つかった。

 

 

 画像1:緑蔭・学校跡付近・森の中を直線状のダートが通る

 

 

 画像2:緑に埋もれた学校跡地碑とつぶれだ門柱(その1)

 

 

 画像3:緑に埋もれた学校跡地碑とつぶれだ門柱(その2)
     よく見ると、門柱が対になっていることがわかる。 

 

 (2019年5月26日(日)午前9時頃)
 

北海道紋別市 鴻輝

  • 2019.07.03 Wednesday
  • 06:42

令和元年5月下旬、北海道・紋別近辺の廃村探索、
旅1日目、上和訓辺からは上渚滑まで戻り、8つ目(この日最後)の目標、鴻輝川沿いの戦後開拓集落の廃村 鴻輝(こうき)を目指した。

 

鴻輝小学校はへき地等級2級、児童数28名(S.34)、昭和30年開校、昭和45年閉校(同年離村)。
手前の集落 上渚滑上東から道道を3劼曚豹覆爐函⊃聞塋向右手の丘の上に、ポツンと「学舎の里」の碑が建っていた。
学校跡は牧草地となっており、面影を見出すことはできなかった。

 

 

 画像1:鴻輝・丘の上に建つ「学舎の里」碑

 

 

 画像2:学校跡は牧草地となっていた 

 

  (2019年5月25日(土)午後4時50分〜55分頃)
 

北海道紋別市 上和訓辺(その2)

  • 2019.07.02 Tuesday
  • 06:19

令和元年5月下旬、北海道・紋別近辺の廃村探索、
旅1日目に訪ねた上和訓辺(かみわくんべ)には、奉安殿(大正から昭和戦前期、天皇皇后の御真影と教育勅語を納めていた建物)が残っている。

 

牧草地となった校庭を歩いて抜けると、草むらの中に個性的な屋根と鉄の扉が印象的な古びた建物が見つかった。
この奉安殿は、戦後、学校から隣接する神社へ移転したものと推測される。

 

 

 画像1:上和訓辺・牧草地となった校庭

 

 

 画像2:草むらの中に奉安殿が見つかった

 

  (2019年5月25日(土)午後4時20分頃)
 

北海道紋別市 上和訓辺(その1)

  • 2019.07.01 Monday
  • 05:47

令和元年5月下旬、北海道・紋別近辺の廃村探索、
旅1日目、上古潭からは立牛川沿いを上渚滑まで下り、
7つ目の目標、渚滑川を渡って農山村の廃村 上和訓辺(かみわくんべ)を目指した。

 

和訓辺小学校はへき地等級2級、児童数21名(S.34)、大正4年開校、昭和51年閉校。
集落の離村は平成14年頃。
上渚滑中心部から道道をさかのぼること7辧△燭匹蠱紊い審惺酸廚砲蓮崛曚そ个糧蝓廚塙錣泙譴神彙枠蠅閥軌住宅が建っていた。
窓から中を覗くと、校歌が書かれたプレートが見つかった。

 

 

 画像1:上和訓辺・「想い出の碑」と教員住宅

 

 

 画像2:「想い出の碑」の裏面
     碑は昭和51年3月(閉校時)、創立60周年を記念して建てられたものだった。
     紋別市内各学校跡に建つ「学舎の里」碑は、
     この碑をモデルとして作られていることが想像される。 

 

 

 画像3:教員住宅に残る校歌が書かれたプレート

 

  (2019年5月25日(土)午後4時15分頃)
 

上古潭 再訪

  • 2019.06.30 Sunday
  • 06:57

令和元年5月下旬、北海道・紋別近辺の廃村探索、
旅1日目、上立牛からは中立牛まで戻り、6つ目の目標、2月も訪ねた農山村の廃村 上古潭(うえんこたん)へと向かった。

 

中立牛の上古潭口三差路から5辧∧菽呂悗了淨司岐近くには見慣れた「学舎の里」碑と跡地の標柱が建っていた。
見比べると「なぜ上立牛には学舎の里の碑がないんだろう」と思うところだ。

 

 

 画像1:上古潭・冬の「学舎の里」碑

 

  (2019年2月10日(日)午後3時頃)

 

 

 画像2:上古潭・春の「学舎の里」碑

 

 

 画像3:上古潭・春の「学舎の里」碑(その2)

 

  (2019年5月25日(土)午後3時30分頃)

 

北海道紋別市 上立牛

  • 2019.06.29 Saturday
  • 07:37

令和元年5月下旬、北海道・紋別近辺の廃村探索、
旅1日目、拓雄からはオシラネップ川沿いを下雄柏まで戻り、5つ目の目標、立牛川沿いの農山村の廃村 上立牛(かみたつうし)へと向かった。

 

上立牛小学校はへき地等級3級、児童数27名(S.34)、大正6年開校、昭和39年閉校。集落の離村は昭和42年頃。
手前の集落 中立牛の上立牛口三差路から8辧∪岩橋を渡ってしばらく走ると、学校跡地の標柱が見つかった。
道の対面には神社跡の標柱があり、その脇には五角柱の地神碑(天照皇大神碑)が建っていた。

 

 

 画像1:上立牛・小学校跡地の標柱

 

 

 画像2:五角柱の地神碑(天照皇大神碑)

 

  (2019年5月25日(土)午後3時〜3時10分頃)
 

北海道滝上町 拓雄

  • 2019.06.21 Friday
  • 06:32

令和元年5月下旬、北海道・紋別近辺の廃村探索、
旅1日目、上雄柏からは、4つ目の目標、オシラネップ川沿いをさらに8劼気のぼった戦後開拓集落の廃村 拓雄(たくゆう)へと向かった。
オホーツク管内では難関のひとつで、クルマを一台に絞って臨んだが、山深くではあるものの特に問題なくクルマで到達することができた。

 

拓雄小学校はへき地等級5級、児童数51名(S.34)、昭和26年開校、昭和43年閉校(同年離村)。
道道の終点、通行止の案内板がついた柵の前にクルマを詰めて、柵の先へと歩いていくと、あっけなく学校跡の門柱にたどり着いた。
近くで森林の伐採作業が行われているらしく、校庭は整った平地になっていた。
校庭の隅には「拓雄 開拓地 小中学校跡地」と刻まれた碑が建っていた。
その他、学校跡の探索では校舎の基礎が見つかった。

 

 

 画像1: 拓雄・通行止標示の少し先に学校跡がある

 

 

 画像2: 学校跡に残る校名標付きの門柱

 

 

 画像3: 学校跡には作業道が貫通する 

 

 

 画像4: 校庭の隅に建つ「開拓地 拓雄小中学校跡地」碑 

 

 (2019年5月25日(土)午後1時40分〜2時10分頃)

 

北海道滝上町 上雄柏

  • 2019.06.20 Thursday
  • 06:59

令和元年5月下旬、北海道・紋別近辺の廃村探索、
旅1日目、3つ目の目標 上雄柏(かみゆうはく)到着は、昼食休みにちょうどよい午後1時頃。
上雄柏小学校はへき地等級2級、児童数61名(S.34)、昭和7年開校、昭和50年閉校。
集落の離村は昭和60年頃。
学校跡には跡地碑や花畑が整備されていて、校舎は煙突と基礎になって、ガレキは綺麗に山積みされていた。
なぜか門柱は校舎の並びにあった。
「学舎の風景」Web(平成19年6月)、「村影弥太郎の集落紀行」Web(平成24年5月)と見比べると、今の風景がいちばんすっきりしていた。

 

昼食休みを花畑あたりで取ったところ、すでに上雄柏を訪ねている3人はゆっくり話し込んでいる。
初訪の私は学校跡を中心に、教員住宅の様子を見にいったりしたが、
すこし上手にある駅逓跡の建物は車窓から見るだけになった。

 

 

 画像1:上雄柏・学校跡地碑を中心とした花畑

 

 

 画像2:煙突と基礎だけになった校舎と水飲み場

 

 

 画像3: 校舎の並びに建つ門柱

 

 (2019年5月25日(土)午後1時〜1時30分頃)

 

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