中雄柏・雄柏神社

  • 2019.06.19 Wednesday
  • 06:37

令和元年5月下旬、北海道・紋別近辺の廃村探索、
旅1日目、中雄柏(なかゆうはく)では、学校跡から次の目標、上雄柏へと向かう途中、道の西側にある雄柏神社跡に立ち寄った。
正面からは草が生して近づけなかったが、裏側に回り込んでアプローチすると、しっかりした社殿が迎えてくれた。

 

二万五千地形図(滝西、S.50)を見ると、神社のあたりが中雄柏の中心部のようだが、人の気配は感じられなかった。

 

 

 画像1:中雄柏・学校跡近辺の牧草地

 

 

 画像2:雄柏神社の社殿

 

 (2019年5月25日(土)12時35分〜12時45分頃)

 

中雄柏 再訪

  • 2019.06.18 Tuesday
  • 06:46

令和元年5月下旬、北海道・紋別近辺の廃村探索、
旅1日目、滝上のセイコマでK・Tさんと合流したのは午前11時40分頃。
各自昼食を調達し、2つ目の目標 中雄柏(なかゆうはく)にある雄柏小学校跡を目指した。

 

お父さんが教師のK・Tさんは、幼少期、雄柏小学校の教員住宅で過ごした。
今回は、住宅跡の水道の配管などを案内していただいた。
雄柏小学校はへき地等級1級、児童数69名(S.34)、明治44年開校、昭和48年閉校。
積雪期と比べると行動半径は広がり、校舎の基礎を見ることができた。

 

 

 画像1:中雄柏・冬に続いてニノキン像とご挨拶  

 

 

 画像2:折れたレンガ造りの煙突

 

 

 画像3:奥のほうに教員住宅が残る

 

 (2019年5月25日(土)12時10分〜12時20分頃)

 

滝奥 再訪

  • 2019.06.17 Monday
  • 06:01

令和元年5月下旬、北海道・紋別近辺の廃村探索、
旅1日目、起床は未明4時頃。旭川空港到着は朝8時30分頃。
レルヒ中佐の顕彰像前で田中さん、成瀬さんと合流。
天気は良いが旅の3日間、全国的に時ならぬ猛暑が予想されている(空港到着時の旭川は20℃ぐらい)。
まず、冬のルートをおよそ逆に走り、国道273号 浮島トンネルを越えて、滝上町滝奥(たきおく)を目指した。

 

滝奥では、2名の元住民の方々と話ができ、駅逓跡の建物は診療所、教員住宅として使われた後、今に至ることがわかった。
国道沿いの建物は教員住宅は校長用で、学校跡の門柱の木はイチイ(オンコ)でできているとのこと。
積雪期には足を運べなかった神社跡の馬頭観音碑も見ることができた。

 

 

 画像1:滝奥・駅逓跡の碑と門柱

 

 

 画像2:緑に埋もれた国道沿いの教員住宅

 

 

 画像3:神社跡の馬頭観音碑

 

 (2019年5月25日(土)午前10時45分〜11時15分頃)

 

中幌内 再訪

  • 2019.06.07 Friday
  • 05:55

令和元年5月、北海道・オホーツク管内の廃村探索3日目、
上幌内に続いては、同じく幌内川沿いの廃村 中幌内(なかほろない)へ向かった。

中幌内を訪ねるのも平成19年9月以来12年ぶり。
前回見つけることができなかった中幌内小学校跡の門柱は、道道沿いの笹藪の中に建っていた。

 

中幌内地内の道道には、複数の消防車が停まっていた。
田中さんと「消防訓練かな」と話しながら通り過ぎたが、羽田まで戻ってから
山火事があったことを知った。
この山火事が鎮火に向け収束したのは、10日後(6/6(木))のことだった

 

 

 画像1:道道下川雄武線・中幌内橋の標示板

 

 

 画像2:笹藪の中に建つ中幌内小学校跡の門柱

 

 

 画像3:道道の真ん中に消防車が停まっている

 

  (2019年5月27日(月)午前10時10分〜10時30分頃)

 

上幌内(雄武町)再訪

  • 2019.06.06 Thursday
  • 06:10

令和元年5月、北海道・オホーツク管内の廃村探索3日目、
宿泊地 上興部からは、下川市街、サンルを経て、雄武町の農山村の廃村 上幌内(かみほろない)へ向かった。
下川市街からオホーツク海沿いの雄武町幌内へと続く道道の距離は56辧
下川−幌内間に現住集落はなく、最果て感を味わうことができる。
高度成長期以前、上幌内は下川・美深から雄武・幌内に行くときの中継地点として重要だったに違いない。

 

上幌内を訪ねるのは平成19年9月以来12年ぶり。
郵便局跡の局舎はそのままだったが、平成20年の離村を経てポストはなくなっていた。
五万地形図(雄武、S.48)を頼りに神社を探すと、やや傷んだ大きな社殿が迎えてくれた。

 

 

 画像1:上幌内・学校跡に建つ「開魂」の碑(昭和45年建立)

 

 

 画像2:ポストがなくなった上幌内郵便局跡の局舎 

 

 

 画像3:上幌内神社・大きな社殿が建つ

 

  (2019年5月27日(月)午前9時25分〜9時55分頃)

 

猛暑の北海道(おもに道東)の廃村に行ってきました

  • 2019.05.28 Tuesday
  • 07:07

令和元年亥年、3度目の廃村探索、
猛暑の北海道(おもに道東)の廃村に行ってきました(2泊3日)。

訪ねた廃村は、道東(オホーツク管内)滝上町滝奥、中雄柏、上雄柏、拓雄、湧別町緑蔭、
紋別市上立牛、上古潭、上和訓辺、鴻輝、志文、沼ノ上鉱山、鴻之舞、
雄武町上幌内、中幌内、道北(上川管内)幌加内町蕗之台、共栄、新富、雨煙別、
鷹栖町鷹栖大成(計20か所、初訪13か所、再訪7か所)です。


メンバーは、田中さん、成瀬さん、辻さん(2〜4名)です。

時ならぬ猛暑で、5月26日(日)には探索地と同じ管内の佐呂間町で
最高気温 39.5℃(北海道内で過去最高)を記録しました。
クルマの中(鴻之舞付近)では、42℃を観察しました。
しかし、天候は晴(雨の心配まったくなし)、湿度も低い目ということで、
満足のいく探索を行うことができました。

 

 

 画像1:拓雄・「開拓地 小中学校跡」の碑

 

 (2019年5月25日(土)午後1時45分頃)

 

 

 画像2:三吉・「学舎の里」の碑と校地に掘られた池

 

 (2019年5月26日(日)午前11時15分頃)

 

 

 画像3:蕗之台・学校跡推定地の笹藪

 

 (2019年5月27日(月)午後1時5分頃)
 

北海道滝上町 滝奥

  • 2019.04.10 Wednesday
  • 06:25

平成31年2月中旬、道東の廃村探索、
滝上市街のセイコマで昼食休みをとり、午後一番は4番目(この日最後)の目標、渚滑川上流沿いの農山村の廃村 滝奥(たきおく)へと向かった。
滝奥を通る国道273号の浮島トンネル区間は、紋別と旭川・札幌を結ぶ高速バスも通るが、近年は鴻之舞を通る道道305号を使うことが多くなっているようだ。

 

滝奥小学校(のち滝西小学校滝奥分校)はへき地等級3級、児童数65名(S.34)、大正7年開校、昭和49年閉校。
商店跡近くにクルマを停めて、渚滑川支流の谷に向かって歩き橋を渡ると、左手に「奥滝上官設駅逓所跡」の碑が見えた。
碑の脇の門柱は学校跡のものとのこと。
先に進むと教員住宅と思われる整った家屋が建っていて、少し先に学校跡地の碑が見つかった。
成瀬さんによると、横の小山は神社跡には馬頭観音碑が建っているという。

 

 

 画像1:滝奥・商店跡の建物が残る

 

 

 画像2:「奥滝上官設駅逓所跡」の碑と門柱                      

 

 

 画像3:教員住宅と思われる整った家屋 

 

 

 画像4:大きなマツの木と「滝奥小学校跡」の碑

 

  (2019年2月11日(月祝)12時45分〜午後1時5分頃)
 
 

北海道滝上町 奥札久留

  • 2019.04.09 Tuesday
  • 06:13

平成31年2月中旬、道東の廃村探索、
この日3番目の目標、サクルー川沿いの農山村の高度過疎集落(2戸残る)奥札久留(おくさっくる)には、滝上市街を通って向かった。
「滝上市街でラーメン店でも入れないか」とも思ったのだが、外食はセイコマに集約されているようだった。

 

奥札久留小学校はへき地等級3級、児童数40名(S.34)、大正8年開校、昭和46年閉校。
学校跡には門柱が建っているだけだったが、その先にはバス停があって、水曜日のみであるが滝上市街まで2往復の便が運行されているようだった。
2戸残るのはともに酪農家の家で、奥の家のそばには神社(奥札久留神社)の鳥居と本殿が見られた。
なお、道道61号(士別滝上線)の奥札久留−似峡間(上紋峠区間)は、平成30年度より冬季通行止になった。

 

 

 画像1:奥札久留・学校跡に残る門柱 

 

 

 画像2:民家のすぐ横にある奥札久留神社

 

 

 画像3:奥札久留バス停は、水曜日のみの運行ながらも整っていた

 

  (2019年2月11日(月祝)午前11時40分〜11時50分頃)

 

北海道滝上町 白鳥松布(その2)

  • 2019.04.08 Monday
  • 06:52

平成31年2月中旬、道東の廃村探索、白鳥松布(しらとりまっぷ)の探索、
古い生活改善センター辺りのゲートが閉ざされていたので、
その先は歩いて 1卆茲粒惺酸廚悗噺かった。

 

白鳥松布にあった上白鳥小学校はへき地等級3級、児童数69名(S.34)、昭和8年開校、昭和49年閉校。
昨年秋に成瀬さんがK・Tさんと訪ねたときは朽ちかけた校舎が残っていたというが、
それから半年弱、校舎は取り壊されて雪が積もったガレキの山になっていた。
それでも門柱と学校跡地の碑が建っているおかげで、「ここに学校があった」ことははっきりとわかった。

 

 

 画像1:白鳥松布・学校跡に向かって歩く

 

 

 画像2:校舎は取り壊されてガレキの山になっていた

 

 

 画像3:天然石でできた門柱が建つ

 

  (2019年2月11日(月祝)午前10時40分〜11時10分頃)
 

北海道滝上町 白鳥松布(その1)

  • 2019.04.07 Sunday
  • 07:25

平成31年2月中旬、道東の廃村探索、
中雄柏からは、シュルトルマップ川沿い、農山村の廃村 白鳥松布(しらとりまっぷ)へと向かった。
最終人家を過ぎてしばらく走り、古い生活改善センターの辺りで、道はゲートに閉ざされていた。
しかし、ゲートの先の道は除雪されており、おそらく林業関係のクルマが出入りしているのであろう。

 

 

 画像1:白鳥松布・古い生活改善センター

 

 

 画像2:生活改善センター奥の神社

 

 

 画像3:学校跡に続く道はゲートで閉ざされていた

 

  (2019年2月11日(月祝)午前10時40分〜11時10分頃)
 

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