猛暑の鴻之舞(その2)

  • 2019.09.06 Friday
  • 06:33

令和元年5月下旬の道東・道北の廃村探索 2日目、
小玉さん(上藻別駅逓保存会代表)と分かれて、慰霊碑、「銀色の道」記念碑を見て、プールが残る中学校跡を探索した後、上鴻之舞に行くか、資料館に戻るか迷ったが、「3時頃まで資料館にいる」という小玉さんの声を優先することになった。
小玉さんは「資料館には現地のことを知る案内人が必要だが、なかなか後継者が見つからない」と話された。
その思いは、廃村の元住民の「住まなくなっても守りたい」と共通する。
「可能であれば、掘り下げてみたい」と思った。

 

鴻之舞からは滝上に向かう途中、K・Tさんのクルマの温度計は42℃まで上がった。
滝上では、バスで札幌へ帰る成瀬さんを見送り、K・Tさんとも滝上で分かれた。
私と田中さんは、この日の宿 ゲストハウス「GA. KOPPER」がある上興部を目指した。

 

この日の最高気温は、紋別市が37.0℃、滝上町が35.0℃、同じオホーツク管内佐呂間町では、39.5℃という記録が出た。

 

 

 画像1:真冬の鴻紋軌道の鉄橋(五号杭橋)跡

 

 

 画像2:猛暑の鴻紋軌道の鉄橋(五号杭橋)跡

 

 

 画像3:真冬の鴻之舞鉱山慰霊碑

 

 

 画像4:猛暑の鴻之舞鉱山慰霊碑

 

 (2019年2月10日(日)午後1時10分〜3時20分頃)

 

 (2019年5月26日(日)午後1時40分〜1時45分頃)

 

猛暑の鴻之舞

  • 2019.09.05 Thursday
  • 06:52

令和元年5月下旬の道東・道北の廃村探索 2日目、
三吉からは水谷まで戻り、弘道小学校跡を経て、鴻之舞鉱山資料館(上藻別駅逓跡)へと向かった。
クルマの中の温度計は37℃を示すなど、暑さが尋常ではないため、昼食は資料館の駐車場、クルマの中でとった。

 

上藻別駅逓は大正15年から昭和15年まで稼働。その後、旅館、住宅として存続し、平成17年、鴻之舞関係の有志の手により整備され、鴻之舞金山歴史資料館として開館。
平成20年には登録有形文化財に指定された。

3か月半ぶりの再訪で見学できた資料館には、たくさんの鴻之舞金山関係の資料が展示されていた。
事前に訪ねる旨をメールしておいたおかげで、代表の方(小玉さん)に大煙突、大山祇神社、五号坑坑口を案内していただくことができた。

 


 画像1:真冬の鴻之舞鉱山資料館(上藻別駅逓跡)

 

 (2019年2月10日(日)午後1時10分頃)

 

 

 画像2:猛暑の鴻之舞鉱山資料館(上藻別駅逓跡)

 

 

 画像3:鴻之舞のシンボル・大煙突(昭和7年頃建立)

 

 (2019年5月26日(日)12時45分〜午後1時15分頃)

 

北海道紋別市 三吉

  • 2019.09.04 Wednesday
  • 06:54

令和元年5月下旬の道東・道北の廃村探索 2日目、
沼ノ上鉱山からは志文、沼ノ上まで戻り、3つ目の目標、ポンコムケナイ川沿いの戦後開拓集落の廃村 三吉(みよし)へと向かった。
三吉小学校はへき地等級2級、児童数10名(S.34)、昭和33年開校、昭和37年10月閉校。集落の離村は昭和40年頃。
手前の集落 水谷の外れの三差路からダートを1匱綽覆爐函◆岾惻砲領ぁ徃蠅見つかった。
その隣の池は、廃校後に紋別市が廃棄物処理用に掘った穴に水が溜まったものだという。

 

開校期間が5年弱しかなかった学校跡、集落があった期間が10年少ししかなかった集落跡だが、碑の付近を探索すると、ブロック造りのサイロが見つかった。
三吉の名前を後世に伝えるにおいて、碑の役割は大きい。
三吉の訪問で、紋別とその近辺の20か所の廃校廃村すべてに足跡を残すことができた。

 

 

 画像1:三吉・「学舎の里」碑と跡地に作られた池

 

 

 画像2:学校跡には池ができている

 

 

 画像3:サイロが「ここに暮らしがあった」ことを伝える

 

 (2019年5月26日(日)午前11時15分〜11時25分頃)

 

北海道紋別市 沼ノ上鉱山

  • 2019.09.03 Tuesday
  • 07:08

令和元年5月下旬の道東・道北の廃村探索 2日目、
志文からはクルマを一台に絞り、3つ目の目標、シブノツナイ川沿いをさらに5匸しさかのぼった鉱山集落の廃村 沼ノ上鉱山(ぬまのうえこうざん)へと向かった。


古い地形図を見ると、鉱山集落はシブノツナイ川支流と志文鉱山川の合流点付近に記されている。

沼ノ上鉱山にあった上志文小学校はへき地等級4級、児童数51名(S.34)、昭和12年開校、昭和34年12月閉校(同時期離村)。
鉱山の主要鉱物は金、三菱の所有で、閉山後、従業員は下川鉱山に移っていったという。
学校は集落の一角にあったと思われるが、離村後植えられたカラマツは大きく育ち、学校、集落とも、その痕跡を見つけることはできなかった。
「入山禁止」の案内板に三菱の名前があって、「場所はここに違いない」ことを確認できたのは幸いだった。

 

 

 画像1:沼ノ上鉱山・集落跡推定地を歩く

 

 

 画像2:入山禁止の案内板(その1)
     鉱山の跡地は林道の先にある。

 

 

 画像3:入山禁止の案内板(その2)
     案内板には
     「かんぼつ箇所あり きけんです 三菱金属鉱業株式会社」
     と記されていた。

 

 (2019年5月26日(日)午前10時〜10時40分頃)

北海道紋別市 志文(その2)

  • 2019.08.15 Thursday
  • 06:37

令和元年5月下旬の道東・道北の廃村探索 2日目、
農山村の高度過疎集落 志文(しぶん)、
学校跡の横には神社があって、鳥居、参道、社殿とも整った印象を受けた。
境内では馬頭観音碑が見つかった。

 

学校跡対面の酪農家の方とは、沼ノ上鉱山を探索した後、ご挨拶することができた。

 

 

 画像1:志文・学校跡の横に建つ神社

 

 

 画像2:境内に建つ馬頭観音碑

 

 

 画像3:奥まった場所にご本尊が奉られていた

 

 (2019年5月26日(日)午前9時40分〜9時50分頃)
 

北海道紋別市 志文(その1)

  • 2019.08.14 Wednesday
  • 05:27

令和元年5月下旬の道東・道北の廃村探索 2日目、
緑蔭からは信部内、沼ノ上まで戻り、2つ目の目標、シブノツナイ川沿いを5劼気のぼった農山村の高度過疎集落 志文(しぶん)へと向かった。

 

志文小学校はへき地等級3級、児童数32名(S.34)、大正3年開校、昭和57年閉校。
志文には3戸の暮らしがあり(H.27)、学校跡の対面には酪農家の方の家がある。
しかし、校舎は傷みが進み、一部は崩れ始めていた。
そんな校舎の手前、「学舎の里」碑は淡々と建っていた。

 

 

 画像1:志文・「学舎の里」碑と崩れかけた校舎

 

 

 画像2:校舎の前は笹藪になっていた

 

 

 画像3:校舎の中には、往時の面影が残っていた

 

 (2019年5月26日(日)午前9時25分〜9時35分頃頃)
 

北海道湧別町 緑蔭

  • 2019.08.13 Tuesday
  • 06:29

令和元年5月下旬の道東・道北の廃村探索、
2日目午前中は紋別市東部(湧別町を含む)の廃校廃村4か所をめぐり、午後からは鴻之舞の鉱山資料館に立ち寄り、ピンポイントで鉱山街跡地をまわる計画を立てた。

 

紋別市街の宿「かつうら旅館」を出発したのは朝8時頃。
メンバーはK・Tさん、田中さん、成瀬さん、私の4名。
近くのセイコマで各自昼食を調達して、まず、湧別町の農山村の廃村 緑蔭(りょくいん)を目指した。
長いダートがあるとのことで、手前の集落 信部内(しぶない)の小学校跡でクルマを1台に絞る。

 

緑蔭小学校はへき地等級3級、児童数9名(S.34)、大正5年開校、昭和35年閉校。
学校跡付近は同時期に離村しているが、緑蔭の行政区が広いため、離村時期は平成14年頃としている。
信部内小学校跡から5辧単調なダートを走ると、視界左手に「緑蔭小学校の跡」と刻まれた黒い碑が表れた。
湧別町の学校跡地碑は、この形らしい。
閉校から60年近く経過し、森に還った学校跡を探索すると、つぶれた門柱と校舎の基礎が見つかった。

 

 

 画像1:緑蔭・学校跡付近・森の中を直線状のダートが通る

 

 

 画像2:緑に埋もれた学校跡地碑とつぶれだ門柱(その1)

 

 

 画像3:緑に埋もれた学校跡地碑とつぶれだ門柱(その2)
     よく見ると、門柱が対になっていることがわかる。 

 

 (2019年5月26日(日)午前9時頃)
 

北海道紋別市 鴻輝

  • 2019.07.03 Wednesday
  • 06:42

令和元年5月下旬、北海道・紋別近辺の廃村探索、
旅1日目、上和訓辺からは上渚滑まで戻り、8つ目(この日最後)の目標、鴻輝川沿いの戦後開拓集落の廃村 鴻輝(こうき)を目指した。

 

鴻輝小学校はへき地等級2級、児童数28名(S.34)、昭和30年開校、昭和45年閉校(同年離村)。
手前の集落 上渚滑上東から道道を3劼曚豹覆爐函⊃聞塋向右手の丘の上に、ポツンと「学舎の里」の碑が建っていた。
学校跡は牧草地となっており、面影を見出すことはできなかった。

 

 

 画像1:鴻輝・丘の上に建つ「学舎の里」碑

 

 

 画像2:学校跡は牧草地となっていた 

 

  (2019年5月25日(土)午後4時50分〜55分頃)
 

北海道紋別市 上和訓辺(その2)

  • 2019.07.02 Tuesday
  • 06:19

令和元年5月下旬、北海道・紋別近辺の廃村探索、
旅1日目に訪ねた上和訓辺(かみわくんべ)には、奉安殿(大正から昭和戦前期、天皇皇后の御真影と教育勅語を納めていた建物)が残っている。

 

牧草地となった校庭を歩いて抜けると、草むらの中に個性的な屋根と鉄の扉が印象的な古びた建物が見つかった。
この奉安殿は、戦後、学校から隣接する神社へ移転したものと推測される。

 

 

 画像1:上和訓辺・牧草地となった校庭

 

 

 画像2:草むらの中に奉安殿が見つかった

 

  (2019年5月25日(土)午後4時20分頃)
 

北海道紋別市 上和訓辺(その1)

  • 2019.07.01 Monday
  • 05:47

令和元年5月下旬、北海道・紋別近辺の廃村探索、
旅1日目、上古潭からは立牛川沿いを上渚滑まで下り、
7つ目の目標、渚滑川を渡って農山村の廃村 上和訓辺(かみわくんべ)を目指した。

 

和訓辺小学校はへき地等級2級、児童数21名(S.34)、大正4年開校、昭和51年閉校。
集落の離村は平成14年頃。
上渚滑中心部から道道をさかのぼること7辧△燭匹蠱紊い審惺酸廚砲蓮崛曚そ个糧蝓廚塙錣泙譴神彙枠蠅閥軌住宅が建っていた。
窓から中を覗くと、校歌が書かれたプレートが見つかった。

 

 

 画像1:上和訓辺・「想い出の碑」と教員住宅

 

 

 画像2:「想い出の碑」の裏面
     碑は昭和51年3月(閉校時)、創立60周年を記念して建てられたものだった。
     紋別市内各学校跡に建つ「学舎の里」碑は、
     この碑をモデルとして作られていることが想像される。 

 

 

 画像3:教員住宅に残る校歌が書かれたプレート

 

  (2019年5月25日(土)午後4時15分頃)
 

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