北海道鷹栖町 大成

  • 2019.09.24 Tuesday
  • 06:12

令和元年5月下旬の道東・道北の廃村探索 3日目、
沼牛駅跡からは道道72号(旭川幌加内線)で江丹別峠を越えて、
8つ目(この日最後)の目標 農山村の廃村 鷹栖町大成(たいせい)を目指した。

 

学校跡を含む大成集落の大部分は、自動車メーカー ホンダのテストコースとなっている。
鷹栖大成小学校はへき地等級1級、児童数48名(S.34)、大正3年開校、昭和47年閉校(同年離村)。
学校跡はテストコースの柵のすぐそばなので、柵越しに様子をうかがうことで訪ねたことにした。

 

続いて田中さんの案内で、鷹栖市街、郷土資料館の敷地に建つ校名標入りの門柱を見に行った。
レンガ造りの門柱は存在感があったが、往時はレンガではなかったらしい。
旭川空港に到着したのでは夕方5時50分頃。

田中さん、3日間、約660kmの行程お疲れさまでした。

 

 

 画像1:大成・クルマのテストコースとなった学校跡を望む

 

 

 画像2:テストコースの外側は農地になっている

 

 

 画像3:鷹栖町中心部・郷土資料館の敷地に建つ校名標入りの門柱

 

 

 画像4:確かに「鷹栖町立 鷹栖大成小学校」の名がある

 

 (2019年5月27日(月)午後4時50分〜5時10分頃)
 

北海道幌加内町 雨煙別(その3)

  • 2019.09.22 Sunday
  • 07:02

令和元年5月下旬の道東・道北の廃村探索 3日目、
雨煙別バス停あたりで五万地形図(幌加内,S.46)を見ると、
文マークのそばに鳥居マークがあった。
確認すると、石垣の上に建つ地神碑を見つけることができた。
「石垣は北海道では珍しい」ことに今さらながら気がついた。

 

雨煙別を複数回訪ねている田中さんだが、地神碑は新たな発見とのこと。
北海道はどうしても案内してもらう機会が多くなるのだが、
新たな発見があると、嬉しいものだ。

 

 

 画像1:雨煙別バス停
     神社は道を挟んだ、↓下の森にある。

 

 

 画像2:神社に建つ地神碑
     三番目の文字が何なのかは、わからないままになっている。

 

 (2019年5月27日(月)午後3時50分〜55分頃)
 

北海道幌加内町 雨煙別(その2)

  • 2019.09.21 Saturday
  • 07:07

令和元年5月下旬の道東・道北の廃村探索 3日目、
雨煙別駅跡からは、学校跡へと向かった。


雨煙別小学校はへき地等級1級、児童数60名(S.34)、大正3年開校、昭和49年閉校。
集落の離村は昭和63年頃。

学校跡は広い平地になっており、酪農施設が建っている。
奥のほうに二つ碑が見当たったので見に行くと、馬頭観音碑と牛魂碑だった。

 

 

 画像1:雨煙別小学校跡
     広い平地の一角に酪農施設が建つ。

 

 

 画像2:小学校跡奥の馬頭観音碑
     一段高い場所にあるので、学校跡地碑かと思った。

 

 

 画像3:小学校跡奥の牛魂碑
     学校に係わるものは見当たらなかった。

 

 (2019年5月27日(月)午後3時45分〜50分頃)
 

 

北海道幌加内町 雨煙別(その1)

  • 2019.09.20 Friday
  • 06:19

令和元年5月下旬の道東・道北の廃村探索 3日目、
新富からは、道の駅ほろかないに立ち寄りながら、7つ目の目標 農山村の廃村 雨煙別(うえんべつ)を目指した。

 

新富−雨煙別は、国道275号で12辧
国道から枝道を少し入った場所にある雨煙別駅(平成2年3月廃止)の跡には、駅前にあった倉庫の建物が残っていた。
また、駅舎入口のコンクリが駅跡を示していた。

 

蕗ノ台駅、雨煙別駅など4駅は、JR北海道への移管(昭和62年)後、臨時駅に降格となり、冬季は全列車が通過となっていた。

 

 

 画像1:雨煙別駅跡(その1)
     左側が幌加内・深川方面、右側が朱鞠内・名寄方面。

 

 

 画像2:雨煙別駅跡(その2)
     駅舎入口のコンクリが駅跡を示す。

 

 

 画像3:雨煙別駅前倉庫
     「雨煙別支庫 農業倉庫」と記されている。

 

 

 画像4:倉庫横の重機
     なぜか重機が放置されていた。田中さんによると「ずっと」だそうだ。

 

 (2019年5月27日(月)午後3時40分頃)
 

北海道幌加内町 新富(その2)

  • 2019.09.12 Thursday
  • 06:50

令和元年5月下旬の道東・道北の廃村探索 3日目、新富の探索、
新富にあった豊富小学校はへき地等級1級、児童数66名(S.34)、大正5年開校、昭和47年休校、同48年閉校。
集落の離村は平成12年頃。

 

体育館が酪農施設として使われており、施設の方の姿があったので、ご挨拶して見学を希望すると、見せていただくことができた。

 

 

 画像1:新富・豊富小学校跡は酪農施設になっている

 

 

 画像2:施設のかたわらに建つ「地神社」の碑

 

 

 画像3:体育館が干し草ロール置き場として活用されていた

 

 

 画像4:裏手から体育館を眺める

 

 

 画像5:体育館の内部を見ると、広がりがあることがわかる

 

 (2019年5月27日(月)午後2時50分〜3時5分頃)

 

北海道幌加内町 新富(その1)

  • 2019.09.11 Wednesday
  • 06:06

令和元年5月下旬の道東・道北の廃村探索 3日目、
共栄からは、駅舎が残る添牛内駅跡に立ち寄りながら、6つ目の目標 農山村の廃村 新富(しんとみ)を目指した。

 

共栄−新富は、国道275号で12辧
国道の新富バス停から枝道を少し入った場所にある新富駅(平成2年9月廃止)の跡には、駅前にあった牛乳集荷場跡の建物が残っていた。
五万地形図(添牛内、S.46)の十三線に鳥居マークがあったので(ちなみに文マークは十四線)、確認したが何も見つけることはできなかった。

 

 

 画像1:JR北海道バス 深名線 新富バス停

 

 

 画像2:牛乳集荷所跡の建物が新富駅跡を示す

 

 

 画像3:よく見ると「乳集荷所」の文字が読み取れる

 

 (2019年5月27日(月)午後2時30分〜2時35分頃)

 

北海道幌加内町 共栄

  • 2019.09.10 Tuesday
  • 06:37

令和元年5月下旬の道東・道北の廃村探索 3日目、
蕗之台からは白樺駅跡に立ち寄りながら母子里まで戻り、5つ目の目標 農山村の廃村 共栄(きょうえい)を目指した。

 

母子里−共栄は、国道275号で20辧
共栄小学校はへき地等級2級、児童数36名(S.34)、昭和7年開校、昭和55年閉校。集落の離村は平成2年頃。
校舎は作業小屋として使われているが、「村影弥太郎の集落紀行」Webに掲載されているもの(平成24年現在)よりも取り壊された部分が増えていた。

 

国道の共栄バス停から枝道を少し入った場所にある共栄駅(平成7年9月廃止)の跡は、線路の盛土が駅跡を示す程度になっていた。
駅跡に立ち、私は「時間があったら、廃線跡を歩く旅をしてみても面白そうだなあ」に思った。

 

 

 画像1:共栄・小学校跡の校舎は作業小屋として活用されていた

 

 

 画像2:作業小屋対面の平地は、校庭だったのだろう

 

 

 画像3:線路の盛土がそれとなく駅跡を示す

 

 (2019年5月27日(月)午後1時55分〜2時5分頃)

 

蕗之台再訪(その2)

  • 2019.09.09 Monday
  • 07:25

令和元年5月下旬の道東・道北の廃村探索 3日目、蕗之台の探索、
蕗之台小学校(のち母子里小学校蕗之台分校)はへき地等級3級、児童数32名(S.34)、昭和22年開校、昭和37年閉校。
集落の離村は昭和47年。五万地形図(蕗之台、S.31)を見ると、文マークと駅は1劼曚瀕イ譴討い襦
心当たりの場所を探索したが、笹籔となった平地が広がるのみだった。

 

昭和初期、蕗之台に木材搬出のため、人が出入りし始め、
昭和16年10月、蕗ノ台駅が開業、この頃、10戸ほどの造材関係者などが居住したという。
戦後、昭和21年、室蘭市から日鋼開拓団が入植、
豆類や馬鈴薯を栽培したが、成果はあがらず、昭和37年、開拓団が解散。
以降も少数戸が残ったが、昭和47年に最後の居住者が離村し、無住地となった。
蕗ノ台駅は、平成2年まで存続した。

 

かつての自治区は、駅周辺の蕗之台第1、開拓団が入植した地域の蕗之台第2に分かれていた。
朱鞠内局郵便区全図(S.28)によると、駅前を除く蕗之台は30戸となっている。
文マークを中心に広範囲に家屋が記されているが、
道筋は大きく変わっており、往時の痕跡は何も見つからなかった。

 

 

 画像1:蕗之台・道道名寄遠別線、板谷蕗の台線分岐の案内板
     ともに通行止となっているが、先までは行かなかった。

 

 

 画像2:道道688号 名寄遠別線「幌加内町蕗の台」の案内板
     昭和57年の字名改正により、今の字名は「蕗の台」になっている。

 

 

 画像3:蕗之台小学校推定地
     ササ原が広がるばかりだが、まとまった平地だったためここを推定地とした。

 

 (2019年5月27日(月)12時45分〜午後1時15分頃)

 

蕗之台再訪

  • 2019.09.08 Sunday
  • 07:31

令和元年5月下旬の道東・道北の廃村探索 3日目、

サンル、上幌内を経て、中幌内から次(4つ目)の目標は、戦後開拓集落の廃村 蕗之台(ふきのだい)を目指した。

中幌内−蕗之台は、美深市街、幌加内町母子里(もしり)を経て86劼發△襦
美深市街では郵便局と駅に立ち寄り、駅で一服し、母子里では小学校跡対面、地区センターの入口前で昼食休みをとった。

母子里−蕗之台は道道で12辧出発してすぐのゲートは、この日の午前11時、冬季通行止が解除されたばかりだった。


蕗之台は平成元年8月にツーリングで訪ねて以来30年ぶりだが、その時は駅も意識せずに通り過ぎただけだった。
道道から枝道を少し入った場所にある蕗ノ台駅(平成2年3月廃止)の跡は、草原となっていた。
朱鞠内局郵便区全図(S.28)には、駅前に25戸の集落が記されている。
田中さんはこれで深名線の全駅跡訪問を達成したそうだ。

 

 

 画像1:母子里地内 冬期間通行止の案内板

 

 

 画像2:蕗ノ台駅跡 正面

 

 

 画像3:蕗ノ台駅跡 母子里方向を背にして朱鞠内方向を見る

 

 (2019年5月27日(月)12時30分〜12時45分頃)

サンル再訪

  • 2019.09.07 Saturday
  • 07:03

令和元年5月下旬の道東・道北の廃村探索 3日目、
西興部村 上興部のゲストハウス「GA. KOPPER」を出発したは朝8時頃。
上興部からは、下川市街のガソリンスタンドとセイコマに立ち寄った後、昨年5月以来となるサンルを再訪した。

 

サンルダムはこの3月竣工したばかり。
離村記念碑が建つ展望台から見下ろすと、昨年5月は工事中だったダム堤体には観光の方の姿があり、堤体の内側には水が溜まり始めていた。

 

下川市街からサンル、上幌内、中幌内を経てオホーツク海沿いの雄武町幌内まで続く道道の距離は56辧
下川−幌内間に現住集落はなく、最果て感を味わうことができる。
高度成長期以前、上幌内は下川・美深から雄武・幌内に行くときの中継地点として重要だったに違いない。

 

 

 画像1:サンル・珊瑠望郷之碑

 

 

 画像2:竣工間近のダム堤体

 

 (2018年5月20日(日)午後2時10分頃)

 

 

 画像3:1年ぶりの珊瑠望郷之碑

 

 

 画像4:竣工したばかりのダムに水が溜まり始める

 

 (2019年5月27日(月)午前8時50分頃)

 

calendar

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< October 2019 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

recommend

recommend

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM