北海道浜頓別町 楓(その2)

  • 2020.04.10 Friday
  • 06:41

令和2年3月上旬、北海道・宗谷の廃校廃村探索、
清和小学校入口から学校跡までは300mほど。距離は短いが雪の量は峰岡より多い。
学校跡は白い平地になっていて、特に痕跡は見当たらなかった。
清和神社は手入れされていたが、旧教員住宅の会館は使われなくなって久しい様子だった。

 

楓という集落名にはやや違和感があるが、改めて清和神社の所在地を調べたところ「浜頓別町 楓」だったので、そのまま使うことにした。
近くの旧天北線常盤駅跡に立ち寄った後、浜頓別市街に戻って昼食休みをとって、成瀬さん、田中さんとは浜頓別バスターミナルで分かれた。

 

 

  画像1: 清和神社と旧清和小学校教員住宅

 

 

  画像2: 清和神社は、手入れされていた

 

 

  画像3: 清和小学校跡は、白い平地となっていた

 

 

  画像4: 旧天北線常盤駅跡そば、宗谷バス 常盤バス停

      現役のバス停だが、待合所は施錠されていた

 

 

  画像5: 国道275号線、「浜頓別町 楓」の標示板

 

 (2020年3月7日(土) 午前11時25分〜12時15分頃)
 

北海道浜頓別町 楓(その1)

  • 2020.04.09 Thursday
  • 06:06

令和2年3月上旬、北海道・宗谷の廃校廃村探索、
峰岡に続いて目指す浜頓別町楓(かえで)は、浜頓別市街から南西約6劼瞭睥Δ砲△襦
大清小学校(のち清和小学校)はへき地等級1級、児童数44名(S.34)、大正11年開校、昭和47年閉校。最終年度(S.46)の児童数は8名だった。
清和小学校の所在地(昭和37年に移転改称)は楓、常盤、金ヶ丘の境目にあり、正体をつかみにくい。

 

国道275号の枝道から学校跡への道は雪に埋もれていたが、近くに酪農の施設があり、作業する方(Kさん)の姿が見えた。
ご挨拶をして清和小学校について尋ねたところ、Kさんは閉校時小学4年生で、現地には元教員住宅の会館と「清和神社」という例祭が行われている神社があるとわかった。

 

 

 画像1: 楓・清和小学校跡入口には、酪農の施設と家屋がある
     黄色地の看板には
      衛生管理区域 関係者以外立ち入りご遠慮願います
     と記されている

 

 

 画像2: 清和小学校跡へ続く道に、除雪はなされていなかった

 

 

 画像3: カンジキ、スノーシューを履いて、清和小学校跡を目指す
     私は峰岡と同じく、最後尾から成瀬さん、田中さんを追いかけた

 

 (2020年3月7日(土) 午前11時10分〜11時25分頃)
 

北海道稚内市 峰岡(その7)

  • 2020.04.03 Friday
  • 07:19

令和2年3月上旬、北海道・宗谷の廃校廃村探索、
峰岡の門柱前で成瀬さん、田中さんと合流した後は、
帰り道方向にある高台に上り、全景を見渡した。
離村記念碑はなくても、門柱が残る限り
「ここに集落があった」ことは後世に伝わることだろう。

 

国道238号の枝道に戻ったのは午前9時50分頃。
「峰岡の探索は2時間半ぐらい」と見積もっていたので,よい塩梅だった。

 

 

 画像1: 峰岡小中学校跡、少し離れて北に向かって見た門柱

 

 

 画像2: 高台に上って見渡した峰岡の全景(その1)

 

 

 画像3: 高台に上って見渡した峰岡の全景(その2)

     校舎は門柱のすぐ後ろ、川に沿って建っていた

 

 (2020年3月7日(土) 午前9時10分〜9時20分頃)

 

北海道稚内市 峰岡(その6)

  • 2020.04.02 Thursday
  • 06:53

令和2年3月上旬、北海道・宗谷の廃校廃村探索、
峰岡の門柱のそばでのんびりひとときを過ごしていると、
分かれてから40分ほどで成瀬さん、田中さんが戻っていた。

 

私は2人から
「電柱のように見えたのは,神社の旗竿だった」
「神社跡の平地にはサクラの樹があった」
などの報告を受けた。
前回探索した昨年9月は、ササに行く手を阻まれて神社跡にたどり着けなかったという。

目的を達成して戻って来た2人は、意気揚々としていた。

 

 

 画像1: 峰岡小中学校跡、北に向かって見た門柱

 

 

 画像2: 目的を達成して、意気揚々と2人が戻って来た

 

 

 画像3: 私の目的は門柱にたどり着くことで達成している
      合同探索の良さを感じるひとときだった

 

 (2020年3月7日(土) 午前9時〜9時5分頃)

 

北海道稚内市 峰岡(その5)

  • 2020.04.01 Wednesday
  • 07:09

令和2年3月上旬、北海道・宗谷の廃校廃村探索、
峰岡の門柱を軸として、360度ぐるっとまわってみた。

近寄ってしまうと見通しはよく、積雪期に来てよかったと思う。


東に向かって門柱を見ていると、
神社跡の探索をする成瀬さん、田中さんの姿が見えた。
振り返えれば、ひとりであり、かつひとりではない、
面白いひとときだった。

 

 

 画像1: 峰岡小中学校跡、南東に向かって見た門柱

 

 

 画像2: 東側の丘の上、神社跡の探索をする成瀬さん、田中さん
     画像1でもごく小さく写っている

 

 

 画像3: 神社跡の探索をする成瀬さん、田中さん(その2)
     距離は直線だと100mほどだが、
     河口を回らないといけないので、500m離れているとみてよい

 

 

 画像4: 東側の丘の上、神社跡の旗竿
     画像1でもごく小さく写っている
     遠目には電柱に見える

 

 

 画像5: 峰岡小中学校跡、北西に向かって見た門柱

 

 

 画像6: 峰岡小中学校跡、北東に向かって見た門柱

 

 (2020年3月7日(土) 午前8時50分〜9時頃)
 

北海道稚内市 峰岡(その4)

  • 2020.03.31 Tuesday
  • 06:52

令和2年3月上旬、北海道・宗谷の廃校廃村探索、
峰岡の浜で流氷観察を楽しんだ後は、学校跡の門柱のところまでひとり歩いた。

 

「廃屋の猫」Webで峰岡の門柱を見たのは、平成12年春のこと。
改めて見直すと廃屋の猫さんは、平成9年9月に峰岡を訪ねている。
いま読むと素っ気ないレポートだが、20年前はそれが斬新な情報だった。
門柱はその頃と大きく変わることなく建っているように見えた。

 

 

 画像1: 「廃屋の猫」Webの峰岡の画面(1997年9月22日(月))
     今も見ることができるが、
     広告で埋め尽くされているのが悲しい
     

 

 画像2: 廃屋の猫さんと同じ角度から撮った峰岡小中学校の門柱

 

 (2020年3月7日(土) 午前8時50分頃)

北海道稚内市 峰岡(その3)

  • 2020.03.30 Monday
  • 06:15

令和2年3月上旬、北海道・宗谷の廃校廃村探索、
峰岡の浜は流氷で埋め尽くされており、ひとり佇んでいると氷がきしむ音が聞こえてきた。
ウイスキーがあったらオンザロックで飲みたいところだ。

 

稚内行き都市間バスで、ウイスキーの水割りを飲みたくなったこともあるし、
次の旅には、角瓶のポケットボトルを持っていこう。

 

 

 画像1: 流氷で埋め尽くされた峰岡の浜(その1、時前川河口、猿払方面)

 

 

 画像2: 流氷で埋め尽くされた峰岡の浜(その2、正面)

 

 

 画像3: 峰岡の流氷、池が凍るのと違ってでこぼこしている

 

 

 画像4: 流氷で埋め尽くされた峰岡の浜(その3、宗谷岬方面)

 

 (2020年3月7日(土) 午前8時20分〜8時40分頃)

 

北海道稚内市 峰岡(その2)

  • 2020.03.29 Sunday
  • 07:05

令和2年3月上旬、北海道・宗谷の廃校廃村探索、
峰岡小学校はへき地等級4級、児童数39名(S.34)、明治42年開校、昭和44年閉校。
最終年度(S.44)の児童数は10名だった。
見慣れた門柱は、分岐から1.5kmを45分かけて歩いた先に建っていた。

 

門柱を遠目で見て通り過ぎ、時前川(時前=峰岡の旧称)の河口に着くと、わずかに旧国道の木橋の残骸が残っていた。
往時は河口付近に商店や漁業施設があったらしい。
川の向こうの神社跡と移転前の学校跡を目指す成瀬さん、田中さんとは、一旦ここで分かれた。

 

 

 画像1: 峰岡・学校跡の見慣れた門柱を遠目に見る

 

 

 画像2: 時前川の河口、海には流氷が着岸していた

 

 

 画像3: 時前川の河口、旧国道の木橋の残骸が残っていた

 

 (2020年3月7日(土) 午前8時15分〜8時20分頃)

 

北海道稚内市 峰岡(その1)

  • 2020.03.28 Saturday
  • 07:29

令和2年3月上旬、北海道・宗谷の廃校廃村探索、
目指す峰岡(みねおか)は、宗谷岬から南南東約10劼離ホーツク海沿い場所にある。
明治20年頃に入植があり、ニシン漁、ホタテ漁などを生業とし、戦後の最盛期には60戸400名が暮らした。
しかし、漁港が建設できない狭い河口の集落は衰退が著しく、昭和44年9月、稚内市の援助を受け、集落は解散することになった。

 

その存在は20年前から知っていたが、日本最北の廃校廃村はとても遠く、また、国道から1勸幣綫茲慮玉遒砲△襪燭瓠単独で行くのは難しい。
成瀬さんは4回目、田中さんは2回目の訪問。今回は前回(令和元年9月)ササに行く手を阻まれた丘の上の神社跡にたどり着くことが目的という。
私は学校跡までたどり着けたら十分なので、願ってもない機会といえる。

 

探索時、私はカンジキ、成瀬さんと田中さんはスノーシューを使った。

国道238号の枝道から旧国道に入り、わりあいしっかりした雪が積もった道を進むと、左手に墓地跡のマツ林が見えてきた。
それを過ぎると下り坂になり,道の先には流氷を携えたオホーツク海が広がっており,期待が高まる。

 

 

 画像1: 国道238号、車窓から見た峰岡の案内板

 

 

 画像2: 国道にクルマを停めて、雪が積もった旧道へと入る

 

 

 画像3: 峰岡に向かって、雪が積もった旧道を歩く

 

 

 画像4: 峰岡に向かう下り坂、道の先に流氷を携えたオホーツク海が広がる

 

 (2020年3月7日(土) 午前7時25分〜8時15分頃)
 

 

北海道鷹栖町 大成

  • 2019.09.24 Tuesday
  • 06:12

令和元年5月下旬の道東・道北の廃村探索 3日目、
沼牛駅跡からは道道72号(旭川幌加内線)で江丹別峠を越えて、
8つ目(この日最後)の目標 農山村の廃村 鷹栖町大成(たいせい)を目指した。

 

学校跡を含む大成集落の大部分は、自動車メーカー ホンダのテストコースとなっている。
鷹栖大成小学校はへき地等級1級、児童数48名(S.34)、大正3年開校、昭和47年閉校(同年離村)。
学校跡はテストコースの柵のすぐそばなので、柵越しに様子をうかがうことで訪ねたことにした。

 

続いて田中さんの案内で、鷹栖市街、郷土資料館の敷地に建つ校名標入りの門柱を見に行った。
レンガ造りの門柱は存在感があったが、往時はレンガではなかったらしい。
旭川空港に到着したのでは夕方5時50分頃。

田中さん、3日間、約660kmの行程お疲れさまでした。

 

 

 画像1:大成・クルマのテストコースとなった学校跡を望む

 

 

 画像2:テストコースの外側は農地になっている

 

 

 画像3:鷹栖町中心部・郷土資料館の敷地に建つ校名標入りの門柱

 

 

 画像4:確かに「鷹栖町立 鷹栖大成小学校」の名がある

 

 (2019年5月27日(月)午後4時50分〜5時10分頃)
 

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