上川町旭ヶ丘再訪

  • 2019.04.11 Thursday
  • 06:52

平成31年2月中旬、道東〜道北の廃村探索、
滝上町 滝奥の探索を終え、浮島トンネルを越えて上川町に入り、可能であれば昨年5月に訪ねた天幕小学校跡を再訪したかったが、除雪は天幕駅跡までだったので断念。
その代わりに成瀬さんは初めてという旭ヶ丘小学校跡を再訪した。

 

旭ヶ丘は、標高584mの台地上にある戦後開拓の高度過疎集落で、平成25年現在 4戸の方が暮らされている。

昨年5月に訪ねたときのような眺望はなかったが、学校跡の牧場は積雪期も稼働していた。

 

 

 画像1:旭ヶ丘小学校跡地の碑と雪山を背にした大規模農場施設

 

  (2018年5月21日(月)午後1時5分頃)

 

 

 画像2:「旭」しか見えなかった小学校跡地の碑                    

 

 

 画像3:大規模農場施設は、積雪期も稼働していた

 

  (2019年2月11日(月祝)午後2時10分〜2時15分頃)

北海道中川町 神路

  • 2019.03.08 Friday
  • 06:57

平成31年2月上旬、道北の廃村探索、2日目、
雄信内駅発名寄行ローカル汽車(1両編成)は、定刻通り12時7分に出発した。
往路で思いついた廃村 神路(かみじ)の通過の特定、佐久駅に到着する前あたりから
運転席の横に陣取って、緩衝材を床に置いて、膝をついて前方の風景にかじりついた。

 

佐久局 郵便区全図(S.32・7)によると、神路の戸数(農家・鉄道関係)は駅前13戸、
駅そばの農耕地5戸、川向かいの開拓地に5戸。
駅と川向い間の天塩川の流れは急で、
永年の望みが叶って架けられた神路大橋(昭和38年5月架設)は、同年12月、突風が原因で落橋した。
その頃、順次進んだ離農のため、昭和40年6月には鉄道関係を除くと農家1戸になった。
利用者が皆無となった神路駅は、昭和61年に廃止となっている。

 

神路小学校はへき地等級1級、児童数16名(S.34)、大正7年開校、昭和40年6月閉校。
学校跡は駅のすぐそばにあったが、前方の風景に目を凝らしても駅跡の気配は感じられない。
ただ、佐久駅発から11分経過したあたりで、特徴的な山を正面とした左カーブがあったので、
神路通過を確信することができた。

「意識しないでの通過」ではなく、「目いっぱい意識をしての通過」だったことから、
これをもって神路は訪ねたことにした。

 

昭和48年の時刻表を見ると、佐久−神路間は10.5辧⊃析−筬島間は7.5辧
神路駅には往復6本の普通列車が停まっていた。

 

 

 画像1:いざ、佐久駅から神路に向かって出発

 

 

 画像2:時計から、神路通過が近づいてきたことを知る

 

 

 画像3:神路通過を確信した山を正面とした左カーブ

 

 

 画像4:そして、筬島駅へ到着

 

  (2019年2月9日(土)12時43分〜13時1分頃)

 

北海道幌延町 雄信内(その7)

  • 2019.03.07 Thursday
  • 06:51

平成31年2月上旬、道北の廃村探索、2日目、
駅前廃村 雄信内(おのっぷない)の探索、余った時間は駅で過ごしたが,
通過予定の特急 宗谷は,大幅な遅れのため来なかった。

 

12時6分、定刻通り名寄行きローカル汽車は雄信内駅に到着した。
2時間弱の雄信内の探索で出会ったのは,駅舎を詰め所とする保線業務の方2名と,
駅を訪ねてクルマで来られた観光の方1名だけだった。

 

 

 画像1:名寄方面行きホームから見た雄信内駅舎

 

 

 画像2:稚内行き特急 宗谷 はやって来なかった

 

 

 画像3:雄信内に到着する名寄行きローカル汽車

 

  (2019年2月9日(土)午前11時25分〜12時6分頃)

 

北海道幌延町 雄信内(その6)

  • 2019.03.06 Wednesday
  • 07:08

平成31年2月上旬、道北の廃村探索、2日目、
駅前廃村 雄信内(おのっぷない)の探索、学校跡から駅前に戻り、
駅を背にして左に曲がると、大ききめの農業用倉庫が建っていた。

 

中をうかがうとガランとしていたが、ふだんは干し草が置かれている様子だった。
上雄信内(タンタシャモナイ)に住まれる2戸は酪農家なので、
駅前の平地は採草地として活用されているのだろう。

 

「地理院地図」Webの地形図には、農業用倉庫の少し先、線路越し、山の手前に
鳥居マークが記されている。
「行くことができないかな」と思ったが、

積雪の中、神社へ続く道の気配はしなかった。

 

 

 画像1:雄信内・農業用倉庫を見つける

 

 

 画像2:農業用倉庫と上雄信内へ向かう道

 

  (2019年2月9日(土)午前10時50分〜11時20分頃)

 

北海道幌延町 雄信内(その5)

  • 2019.03.05 Tuesday
  • 06:17

平成31年2月上旬、道北の廃村探索、2日目、
駅前廃村 雄信内(おのっぷない)の探索、学校跡は駅から700mほど、
道道(256号豊富遠別線)のT字路を右方向に曲がった場所にある。

 

雄信内小学校はへき地等級1級、児童数61名(S.34)、昭和12年開校、昭和57年閉校。
集会所は閉まっていたが、扉まで除雪されており、雪には足跡があった。
過疎は学校閉校の頃に急激に進み、平成3年発行の住宅地図では、雄信内に家屋は記されていない。

 

 

 画像1:雄信内小学校跡・門柱と集会所
     小さく跡地の碑も見える

 

 

 画像2:雄信内小学校跡・跡地の碑

 

 

 画像3:雄信内小学校跡・跡地の碑と集会所

     2年ほど前まで、集会所の左側にくっついた形で体育館が残っていた

 

  (2019年2月9日(土)午前10時25分〜10時50分頃)

 

北海道幌延町 雄信内(その4)

  • 2019.03.04 Monday
  • 06:42

平成31年2月上旬、道北の廃村探索、2日目、
駅前廃村 雄信内(おのっぷない)の探索、商店跡の建物を過ぎ、学校跡を目指す。
道の右手に、鐘のない火の見やぐらがそびえている。

 

駅から5分ほど歩くと、道道(256号豊富遠別線)のT字路に着く。
学校跡は右方向だが、まず左方向に折れて天塩川の様子を見に行った。
雄信内大橋から眺めた天塩川は、綺麗に凍結していた。

 

 

 画像1:雄信内・鐘のない火の見やぐらがそびえる


 

 画像2:雄信内大橋から眺めた天塩川(その1、上流方向)

 

 

 画像3:雄信内大橋から眺めた天塩川(その2、下流方向)

 

  (2019年2月9日(土)午前10時25分〜10時50分頃)

 

北海道幌延町 雄信内(その3)

  • 2019.03.03 Sunday
  • 07:33

平成31年2月上旬、道北の廃村探索、2日目、
駅前廃村 雄信内(おのっぷない)の探索、
何もない駅前通りを右に曲がると商店跡の建物があったが,
その前には雪の壁ができていた。

 

駅前通りを左に曲がると、上雄信内(タンタシャモナイ、2戸在住)へ向かう道となるが、
この道は除雪はされていたが、クルマが通った跡はなかった。
気温はマイナス10℃ぐらいだったが,晴れていて風がほとんどなかったため,
寒さがつらいことはなかった。

 

郵便区全図雄信内局(S.29.8)には、雄信内新市街46戸、タンタシャモナイ9戸と
記されている。
天塩町雄信内(おのぶない)は「雄信内旧市街」と記されている。
「新市街」という表記から、幌延町雄信内は駅の開設(大正14年)を契機に
新たに興ったことがわかる。

 

 

 画像1:雄信内・駅前通りの風景(その1)
     駅前通りを右に曲がると商店跡の建物がある。

 

 

 画像2:雄信内・駅前通りの風景(その2)
     駅前通りを左に曲がる道にクルマが通った跡はない

 

 

 画像3:雄信内・駅前通りの風景(その3)
     商店跡の建物を駅へ向かう方向から見ると、
     錆びたコカ・コーラの看板があった。

 

  (2019年2月9日(土)午前10時20分〜11時50分頃)

 

北海道幌延町 雄信内(その2)

  • 2019.03.02 Saturday
  • 07:34

平成31年2月上旬、道北の廃村探索、2日目、
稚内行きローカル汽車は、朝10時10分雄信内(おのっぷない)駅を出発した。
次の上りの名寄行きは12時7分発なのだが、
「列車を使っての雄信内の探索は、この便を使う以外にない」と考えた。

 

雄信内は、「日本唯一の駅前廃村」として広く知られている。
年季が入った木造駅舎は、後で調べたところ、
大正14年(開業時)建設、昭和28年改築とわかった。
雄信内駅は「極端にご利用の少ない駅」として廃止候補に入っている。

 

 

 画像1:雄信内駅を出発する稚内行きローカル汽車

 

 

 画像2:ホームから見た雄信内駅駅舎

 

 

 画像3:駅前広場から見た雄信内駅駅舎

 

  (2019年2月9日(土)午前10時10分〜10時20分頃)

 

北海道幌延町 雄信内(その1)

  • 2019.03.01 Friday
  • 06:44

平成31年2月上旬、道北の廃村探索、2日目、
音威子府の一つ先、筬島(おさしま)−佐久間では乗客が4名になったので、
運転席の横に陣取って前方から風景を楽しんだ。

 

筬島−佐久間(距離18辧⊇衢彁間20分)の真ん中には
かつて神路(かみじ)という駅があり、
神路は廃校廃村の一つに数えられている。

佐久を出発したとき、ふと「時計があったら、神路の通過を特定できる」と思いついた。

 

雄信内(おのっぷない)駅到着は、定刻通りの朝10時10分。
駅名標と年季が入った木造駅舎に迎えられる。
下車した2名のうち一人は地域の方で、素早く送迎のクルマに乗られた。

 

 

 画像1:稚内行きローカル汽車、筬島−佐久間(神路区間)の冬景色
    筬島発は9時16分だから、まだ神路に着いていないことがわかる。

 

  (2019年2月9日(土)午前9時21分頃)

 

 

 画像2:佐久駅に到着

 

  (同 午前9時35分頃)

 

 

 画像3:そして目的地 雄信内駅に到着

 

 

 画像4:雄信内駅名標に迎えられる

 

 

 画像5:雄信内駅に停まる稚内行きローカル汽車

 

  (同 午前10時10分頃)

 

真冬の北海道(道北・道東)の廃村に行ってきました

  • 2019.02.14 Thursday
  • 07:11

平成31年亥年、2度目の廃村探索、
真冬の北海道(宗谷・オホーツク)の廃村に行ってきました(道内は4泊5日)。

 

訪ねた廃村は、道北(宗谷管内)幌延町雄信内、(上川管内)中川町神路、
道東(オホーツク管内)西興部村忍路子開拓、中興部、興部町オタッペ、
紋別市上藻内、鴻之舞、上鴻之舞、上古潭、八十士、
滝上町中雄柏、白鳥松布、奥札久留、滝奥、
道北(宗谷管内)上川町中越、天幕、旭ヶ丘(計17か所、初訪13か所、再訪4か所)です。
メンバーは、雄信内、神路が単独、その他は成瀬さん、田中さん(3名)です。

 

出発時(2/8(金))の午前中、旭川の気候は大荒れで、
夕方のエアドゥ羽田−旭川便は、「羽田に引き返す可能性あり」の条件付き運航となりました。
しかし、焦ったのはこの時だけで、
あとは気温は低いものの、晴れ間が多く、風は弱い目という穏やかな天気に恵まれて、
満足のいく探索を行うことができました。

 

 

 画像1:名寄駅前・マイナス21.2℃を示す温度計

 

 (2019年2月8日(金)午後11時25分頃)

 

 

 画像2:雄信内駅周辺・橋の上から見た凍結した天塩川

 

 (2019年2月9日(土)午前10時45分頃)

 

 

 画像3:紋別・オムサロ原生花園で見た着岸した流氷

 

 (2019年2月10日(日)午前11時55分頃)

 

calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< June 2019 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

recommend

recommend

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM