2017年7月、月例更新のお知らせ

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    本日(7/1(土))、「HEYANEKOのホームページ」の 
    「500か所超えへの道」の旅行記、新潟・富山以北No.29 
    「海の日で 500か所まであと2つ」
    宮城県栗原市玉山、大土森 をアップしました。 
    「旅心のページ」トップでは、I No.29 海の日・宮城編と記しています。 
     
    昨年7月中旬(海の日)の廃村探索の記録です。
    古川駅からレンタカーで出発したので、
    「化女沼レジャーランド」跡にも立ち寄りました。
    その後、いろいろと話題になりましたが、
    今でも普通に立ち入ることはできるのでしょうか。

     

    訪ねた当時は見当がつかなかった大土森の分校跡ですが、
    その後、三差路から別の道を少し山に入ったところに
    文マークが記されている古地図を、友人から提供していただきました。
    草の茂みが薄い頃、再訪してみたいものです。

     

     

     画像1 高度過疎集落 玉山の分校跡に、門構えが残る
      (平成28年7月18日(月祝)午前11時頃)

     

     

     画像2 大土森・鉱山があったことを彷彿させる古い橋とトンネル
      (同 12時30分頃)

     

     

     画像3 「化女沼レジャーランド」跡を象徴する観覧車の廃墟
      (同 午後3時頃)
     


    宮城県栗原市(旧鶯沢町) 大土森(その2)

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      平成28年7月中旬、宮城県の鉱山関係の廃村 大土森(おおどもり)の探索、
      ヤマユリの花が綺麗に咲いているが、その深い緑をかき分けたいとは思えない。
      細倉小学校大土森分校は、へき地等級1級、児童数106名(S.34)、昭和15年開校、昭和38年閉校。
      最終年度(S.38)の児童数は10名。
      二万五千図(岩ヶ崎、S.41)を見ると、三差路付近に多くの家屋が記されているが、文マークは見られない。
      「夏の廃村だからなあ」と割り切って、道沿いのみを探索したところ、
      橋の下を流れる川の護岸に、集落跡の匂いが感じられた。

       

      ふと思いついて、米本さんにこの橋の上で地図を見る私の後ろ姿の写真を撮っていただいた。
      この写真は、10月下旬に完成した『秋田・廃村の記録』(秋田ふるさと育英会刊)の
      表紙イラストの元画像となった。

       

      後日、検索から知った「細倉フォトギャラリー」Webで、
      大土森鉱山の詳細図や往時の写真を発見した。
      詳細図には高台にある分校の写真が載っており、
      「この辺りに分校があったんだなあ」と想像できた。

      その他大土森では、並んで建つ植林記念の碑と「山神」の碑が見られた。

       

       

       画像1 綺麗に咲くヤマユリの花

       

       

       画像2 集落跡の匂いが感じられる川の護岸

       

       

       画像3 橋の上で地図を見る私の後ろ姿

       

       (2016年 7月18日(月祝)午後12時30分〜1時頃)
       


      宮城県栗原市(旧鶯沢町) 大土森

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        平成28年7月中旬、宮城県の廃村めぐり、
        ダム建設関係の高度過疎集落 玉山からは、大峰森の開拓地を抜けて、
        二迫川沿いの道を下って鉱山関係の廃村 大土森(おおどもり)へと向かった。
        道沿いには「細倉マインパーク」(細倉鉱山跡を利用したテーマパーク)
        を示す案内板がよく見られる。
        細倉鉱山は、江戸期からの歴史を持ち、昭和62年の閉山まで、
        わが国屈指の規模の鉛・亜鉛鉱山として栄えた。

         

        大土森鉱山は、細倉鉱山に隣り合う中規模の鉛・亜鉛鉱山で、
        分校の閉校時期から昭和38年閉山と推測しているが、詳しいことはわからない。
        奥には大土ヶ森(おおどがもり)という山があるが、鉱山集落名には「ヶ」はつかない。

         

        二迫川沿いの道から大土森へ向かうにあたって、
        カーナビは細倉マインパークを経由する回り道を案内したが、
        「どう考えてもこっちでしょう」と言いながら、川の流れをさかのぼる枝道を選んだ。
        最寄りの集落 放森からの道はやがてダートになったが、
        「かつて鉱山があった」ことを彷彿させる古い橋やトンネルがあって、
        「この道を選んでよかった」と思った。

         

        やがて、養豚場跡の施設が見えてきて、午後12時30分頃、
        大土森鉱山集落跡の三差路付近に到着した。

         

         

         画像1 大土森・鉱山があったことを彷彿させる古い橋とトンネル

         

         

         画像2 養豚場跡の施設の看板には「ヶ」がついていた

         

         (2016年 7月18日(月祝)午後12時30分頃)
         


        宮城県栗原市(旧栗駒町) 玉山

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          平成28年7月中旬、宮城県の廃村めぐりでは、ダム建設関係の高度過疎集落 玉山(たまやま)と
          鉱山関係の廃村 大土森(おおどもり)を訪ねた。

           

          大宮駅からはやてに乗って、古川駅に到着したのは午前9時12分。
          同行する米本さんは同じ便に乗っていて、改札を出る前に落ち合えた。
          「元気にしてるかい」などと話しながら、古川市街から旧栗駒町へとクルマを走らせた。
           小一時間、車窓の風景は田園地帯が中心だったが、三迫川沿いの道が栗駒ダムに近づくと空気は山間のものに代わった。
          「こっちに行ってみましょう」といって通った旧道は、ダム堤体1卅阿△燭蠅琶弔兇気譴織押璽箸貌佑当たった。
          「歩いていくと面白いかも」とも思ったが、季節は梅雨の終わり頃。ロクなことにならないことは明らかなので、ゲートの先には足を踏み入れなかった。頭を非日常に切り替えるにはちょうどよい出来事だった。

           

          玉山旧集落は、栗駒ダム(昭和37年竣工)の建設によって水没。
          その際、ダム湖畔の放森(はなれもり)に小数戸が移転した。
          栗駒小学校玉山分校は、へき地等級1級、児童数24名(S.34)、大正5年開校、昭和41年閉校。最終年度(S.40)の児童数は5名。
          二万五千図(沼倉、S.43)を見ると、文マークはダム湖の南側にポツンと記されている。住宅地図を調べると、その場所は旧道沿いの除雪基地になっていた。
          新道のトンネルを抜けて、心当たりの場所に行くと、「いかにも学校跡」という門構えがある除雪基地が見当たった。
          玉山旧集落の移転は昭和36年だが、分校の周囲には家々は作られなかった。事前の確認がなかったら、ただの除雪基地にしか見えなかったかもしれない。

           

           画像1 栗駒ダムへ続く閉ざされた旧道

           

           

           画像2 分校跡の匂いを感じる除雪基地の門構え

           

           

           画像3 知っていなかったら、ただの除雪基地に見えたかもしれない

           

           (2016年 7月18日(月祝)午前10時45分頃)


          宮城県の廃校廃村に出かけました

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            平成28年8月11日(木祝)、新幹線日帰りで 
            宮城県の廃校廃村 田代(たしろ)と北滝(きたたき)に 
            出かけた。 

             

            「廃村千選」累計訪問数は501か所となり、
            無事、500か所超えを達成した。
            同時に、宮城県の廃校廃村12か所を完訪して、
            県単位の完訪は21都府県となった。

             

            探索は、山の日に仙台で飲み会をした長年の付合いのSさんと
            一緒に行った。 
            Sさんはキノコを探すことを趣味としており、
            廃村+キノコという、一風変わった探索となった。

             

            田代、北滝とも閉校・閉村から50年ほど経過し、
            往時の面影はほとんど見当たらなかったが、
            珍しいキノコや冬虫夏草が発見されたこともあり、
            記憶に残る廃村+キノコ探索となった。

             

             

             画像1 : 田代の耕作放棄地と思われる平地
              田代は、仙台藩の山形藩に対する国境警備の働きがあった
              といわれる山中の小集落だった。
              旭小学校田代分校は、へき地等級4級、児童数6名(S.34)、
              明治34年開校、昭和40年閉校。
              集落跡はキャンプ場として整備されており、
              分校もその一角にあったのではないかと推測される。
              地形図(薬莱山、1968)の水田マークの場所に足を運ぶと
              木本が侵入した平地が見られた。

             

             (2016年 8月11日(木祝)午前11時35分頃) 


             

             画像2 : テングノメシガイというキノコ
              田代−鳴子市街間のダートでSさんが発見した。
              枯葉を背にした黒っぽい棒状のもので、
              大きさは1cmぐらいしかない。
              これは、素人が発見できるものではない。 

             

             (同 午前11時45分頃) 

             

             

             画像3 : 北滝の耕作放棄地と思われる平地
              北滝は江合川源流部にあった戦後開拓集落で、
              近くの荒雄岳には鬼首地熱発電所がある。
              鬼首小学校北滝分校は、へき地等級5級、児童数6名(S.34)、
              昭和27年開校、昭和40年閉校。
              集落跡は滝沢に架かる車道の橋(滝ノ沢橋)の北側にあった。
              分校もその一角にあったのではないかと推測される。
              車道から草が茂る枝道に入って探索したが、
              切り株を使った荒々しいフクロウの木掘りが
              見つかっただけだった。
              地形図(鳴子、1968)の水田マークの場所に足を運ぶと
              ヨシが茂る平地が見られた。
              Sさんは、鬼首温泉周辺の山の事情に詳しいが
              滝ノ沢橋のそばに集落があったことは、
              「思いもよらず」とのことだった。

             

             (同 午後3時25分頃) 


            宮城県の廃校廃村に出かけました

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              平成28年7月18日(月祝)、新幹線日帰りで
              宮城県の廃校廃村 玉山(たまやま)と大土森(おおどもり)に
              出かけた。 

               

              この頃何かと忙しい。
              大宮−仙台間が1時間少しと思うと、
              宮城県は日帰りで行きたくなってしまう。

               

              当日は梅雨明け前にして、なかなかの好天だった。
              廃村めぐりは、長年の付合い(ガールポップ関係)の
              Yさんと2人で出かけた。

              その後、仙台駅で同じく長年の付合いのSさんと待ち合わせて
              駅近く居酒屋で、再会を祝して3人で乾杯した。

               

              「廃村千選」累計訪問数は498か所となった。 
              500か所達成まで、いよいよあと2か所だ! 

               

               

               画像1 : 玉山分校跡 
                玉山集落がダム湖に沈んだのは昭和36年。
                分校は、その後湖畔で昭和41年まで(5年間)存続した。
                その詳細は謎のままだ。
                分校跡は、除雪基地となっていた。

               

               (2016年 7月18日(月祝)午前10時50分頃) 


               

               画像2 : 大土森集落跡の古い橋
                鉱山集落大土森は、昭和38年、鉱山の閉山とともに
                閉村となった。
                集落跡には、往時のものらしき橋やトンネルがあったが、
                分校跡などの痕跡は見当たらなかった。

               

               (同 午後12時55分頃)


              山中・大山祇神社

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                平成26年8月、中越・会津の廃村への旅、2日目(24日(日))。
                2番目に訪ねた山中は、畑があって家屋が残る取り着きやすさを感じる廃村です。
                横田小学校山中冬季分校は、へき地等級2級、児童数5名(S.34)、昭和12年開校、昭和47年閉校。五万地形図(只見、S.42)には文マークがない代わり、鳥居マークが記されています。
                学校跡は地域の方がいないと探すことは困難ですが、神社は気配を頼りに歩くと、比較的簡単に見つかりました。境内には新しい祠と遷宮の碑があって、碑には「大山祇神社 平成23年10月遷宮」と刻まれていました。
                神社から萱葺き屋根の家屋へ戻ると雷が鳴りだして、トタンを屋根にかけた家屋の辺りを歩いていると雨が降り始めました。
                「大雨になるとまずい」と警戒しましたが、幸いにも雨の勢いは折りたたみ傘を差しながら山中からの坂道を下れるぐらいのものでした。



                画像1 : 山中・大山祇神社、境内から鳥居を見下ろす



                画像2 : 「大山祇神社 平成23年10月遷宮」と刻まれた碑

                (2014年8月24日(日)午後1時〜1時30分頃)

                福島県金山町 山中

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                  平成26年8月、中越・会津の廃村への旅、2日目(24日(日))。
                  山中踏切を渡り、只見川の流れから離れると、舗装道の斜度は急になりました。しかし、アシストをパワーにして走ると、自転車は押すことなく進みました。電チャリは、急斜度の道をゆっくり走るとき、力を発揮するみたいです。
                  先に「まさか」の萱葺き屋根の家屋が見えて、廃村 山中(やまなか)に到着したのは午後1時。萱葺き屋根の家屋は傷んでいましたが、もう一軒のトタンを屋根にかけた家屋は整っていました。
                  地域の方の姿は見当たりませんでしたが、畑があって家屋が残る風景には、取り着きやすさがあります。見応えがある萱葺き屋根の家屋があったことはとても嬉しく、そばのがれきの山に座って昼食休みをとりました。



                  画像1 : 山中へ続くかなりの斜度の道
                  電チャリが力を発揮してくれたおかげで、押さずに上り切りました。



                  画像2 : 「まさか」の萱葺き屋根の家屋が見えてきた
                  多少ぶれているのは、驚きを表していると解釈してくださいまし(^^)



                  画像3 : 山中に残る萱葺き屋根の家屋
                  家屋の横には、無線関係らしきアンテナが立っていました。

                  (2014年8月24日(日)午後12時50分〜1時頃)

                  福島県金山町 三条

                  0
                    平成26年8月、中越・会津の廃村への旅、2日目(24日(日))。
                    R.252 本名ダムの脇から分岐する廃村 三条(さんじょう)への道はダートでしたが、斜度は概ねそれほどでもなく、電チャリに乗ったまま進むことができました。道が舗装となって、左手にお墓が見えて三条に到着したのは午前11時20分。舗装が雨に濡れていたので、電チャリを木陰に停めて探索開始です。

                    本名小学校三条分校は、へき地等級2級、児童数8名(S.34)、明治30年冬季分校開校、昭和48年常設分校閉校。昭和53年冬季分校閉校。五万地形図(只見、S.42)には家々が記されているだけで、目指すとすれば学校跡だけですが、地域の方の姿はなく、お墓以外は何も見つかりそうにありません。ただ、お墓周囲の草は刈られていて、近くには小さな畑があったので、人の出入りはある様子でした。



                    画像1 : 三条へ続く道
                    概ねダートでしたが、集落跡付近は舗装されていました



                    画像2 : 三条で見つけたお墓(下手)
                    下手のお墓は、たどる道がわからず、遠目に見ただけでした。



                    画像3 : 三条で見つけたお墓(上手)
                    上手のお墓には、草が刈られた道があり、そばまで行くことができました。

                    (2014年8月24日(日)午前11時20分〜35分頃)

                    会津の廃村に行ってきました

                    0
                      先の土日(2014年5月10日(土)〜11日(日))、福島県会津地方、
                      会津若松市、会津美里町の廃村に行ってきました。
                      全部で9か所(うち初訪4か所)の廃校廃村をめぐりました。

                      九州から帰って中5日での会津への旅は、正直少々ハードでしたが、
                      天気にも恵まれて、楽しいひとときでした。
                      フィールドワークにおける趣味と仕事の割合はロクヨンです(^_^;) 



                      画像は、会津美里町(旧会津高田町)の廃村 海老山の全景です。
                      地形図(1/25000 東尾岐、1976年)に文マークはなかったのですが、
                      平地と道の境目にサクラの樹が並ぶ風景を見て
                      「ここが分校跡に違いない」とすぐに確信できました。
                       左側の赤い屋根の建物は、他の集落でもよく見かけた子安観音です。

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