福島県塙町入山(その5)

  • 2018.09.01 Saturday
  • 07:15

平成30年8月下旬、福島県の廃村探索、
入山三差路から八溝山に向かって出発したのはよいが、
「閉まったゲートがある」とのことで、おそるおそるだ。

思ったよりも急な上り坂を進むと、やがて峠があって
坂は下りに変わった。

 

「何か変だな」と思いながら進むと、やがて別の三差路にたどり着いた。

「どうも道を誤って、茗荷川のほうに来てしまったようです」と私。
「え、なんで」とMさん。
手元の地図を見ても、入山−茗荷川間の道ははっきりわからず、
越えているはずの八溝川の橋もわからない。
もしかすると、暗渠になっていたのか。
あまり状態のよい道ではなかったので、来た道を戻らず、
茗荷川を下って撤収することになった。

 

 

 画像1: 入山三差路に停まるCRF250ラリー
    BAJAと比べると重いバイクだったが、走りはスムーズだった。
    走行距離はおよそ310辧おつかれさまでした。

 

  (2018年8月25日(土)午後1時50分頃)

 

 

 画像2: 入山三差路と奥茗荷三差路の関係図
    「地理院地図」Webの地形図に、情報をプロットした。
    高城局郵便区全図(S.32.9.30)によると、
    奥茗荷には13戸と、造林事業所が記されている。
    ちなみに奥茗荷は、地形図では「入山」なのだが、
    まぎらわしいので、茗荷川の奥=「奥茗荷」とした。
 

福島県塙町入山(その4)

  • 2018.08.31 Friday
  • 07:19

平成30年8月下旬、福島県の廃村探索、
畑の沢への道を閉ざすゲートの前、「片道1.5卻發べきか」と考えたが、
今回はバイクを走らせることが主目的なので、
比較的あっさりと畑の沢行きをあきらめた。

 

入山三差路に戻って、林道の案内板を撮っていると
Mさんから「神社があるよ」と声がかかった。
「おお、神社発見!」と言って、喜ぶ私(^^)

 

「分校跡に行けなかったかわりに、神社を見つけたから、まあよいか」
と思っていたのだが、
10年前のレポートを読み直すと
>分校跡の特定はできませんでしたが,山の神様(大山祇神社)を見つけることができました
の一文があり、神社が新たな発見ではなかったことがわかった。

 

 

 画像1: 入山三差路付近・大山祇神社の鳥居

     鳥居の足には「平成10年4月吉日」「真名畑林業有限会社」と刻まれていた。

 

 

 画像2: 大山祇神社の石碑

 

 

 画像3: 大山祇神社のご本尊

 

  (2018年8月25日(土)午後1時50分頃)
 

福島県塙町入山(その3)

  • 2018.08.30 Thursday
  • 07:19

平成30年8月下旬、福島県の廃村探索、
大きな土場(材木置き場)を過ぎたあたりで、材木をいっぱい積んだトラックとすれ違った。
運ちゃんにご挨拶して、話をしたところ、
「しばらく走るとゲートがあって、八溝山方面には行けない」とのこと。
行く手に黄信号がともったが、Mさんと相談して、
「行けるところまで行こう」と決める。

 

土場から3分ほど走ると、はっきりした三差路があって、
枝道の脇には「畑の沢林道 昭和52年度 棚倉営林署」という案内板があった。
無事、入山三差路に到着できてホッと一息。
高城局郵便区全図(S.32.9.30)によると、
三差路の小地名は篠崎(7戸)で、営林集落の事業所(真名畑事業所)がある。
その他、下流側に小屋平(2戸)、上流側に佐倉(6戸)、鼻栗(4戸)、
畑の沢側に畑の沢下(1戸)、畑の沢(7戸)、畑の沢上(8戸)とある。
計35戸というとなかなかの規模だが、ずいぶん広範囲に散らばっている。

高城小学校入山分校は、へき地等級3級、児童数59名(S.34)、昭和13年開校、昭和39年閉校。
文マークは畑の沢にある。

 

「よっしゃ、分校跡を目指しましょう!」と枝道に入って少し走ると、
残念なことに、行く手はゲートで閉ざされていた。

 

 

 画像1: 入山三差路・畑の沢林道の案内板

 

 

 画像2: ゲートに閉ざされた畑の沢林道

 

  (2018年8月25日(土)午後1時45分頃)
 

福島県塙町入山(その2)

  • 2018.08.29 Wednesday
  • 07:12

平成30年8月下旬、福島県の廃村探索、
営林集落の廃村 入山の分校跡については、長い間情報がなかったが、
今年になって高城局郵便区全図(S.32.9.30)を見たところ、
文マークが入山三差路から畑の沢へ1.5卞った場所に
記されていることがわかった。

 

最初に「入山国有林の案内板」が見えた場所は
荒い道ながら三差路になっており、
「ここ、もしかすると畑の沢かもしれません」と私。
通じる枝道の傾斜は大きく、轍はあるがオフロードバイクでも
走ってみようという気にはならない。

 

「この先、何があるんだろうと思うと面白いね」とMさん。
だが、今回はバイクを走らせることが主目的なので、
「もう少し走ると、はっきり畑の沢とわかる沢があるかもしれません」
といって、先へ進むことになった。
少し先の道の左側には、大きな土場(材木置き場)が見られた。

 

 

 画像1: 傾度が大きい枝道の様子をうかがう私
     (Mさん撮影)

 

 

 画像2: 入山の大きな土場(材木置き場)

 

  (2018年8月25日(土)午後1時20分〜40分頃)
 

福島県の廃村に行ってきました

  • 2018.08.26 Sunday
  • 07:49

平成30年戌年、13度目の廃村探索、
福島県の廃村に行ってきました。
訪ねた廃村は、塙町の営林集落の廃校廃村 入山の1か所、
東北地方の廃村を訪ねたのは、今年初めてです。
茨城県土浦でバイク(250ccのオフロードバイク)を借りて、
土浦近郊在住の旧知の友人Mさんと一緒に出かけました。

 

本格的なツーリングは、2013年10月の新潟県中越以来5年ぶり。
Mさんとのツーリングは、実に20年超ぶり!
画期的な出来事でしたが、
(カーナビ依存が進んで)地図を見る能力が衰えていることを実感したり、
雷雲に阻まれてもう一か所の目的地 中ノ沢に行けなかったり、
帰り道の笠間近辺では強い雷雨に襲われたりと、なかなかたいへんでした。
Mさんとは10月頃に反省会をする予定となりました(^^)

 

 

 画像1:2台並ぶオフロードバイク(CRF250ラリー(赤)とCRF250L(白))
     往路のビーフライン 山桜 道の駅にて

 

     (2018年8月25日(土)午前10時15分)

 

 

 画像2:入山で見つけた神社(大山祇神社)の鳥居
     入山の訪問は2008年11月以来10年ぶり
     前回わからなかった神社を見つけた
     神社があるY字路から畑の沢林道を1.5區覆鵑西貊蠅
     分校跡があるのはわかっていたが、
     ゲートが閉ざされていて、行くことはできなかった。

 

     (同 午後1時45分頃)

 

 

 画像3:思いがけないところで役になったBAJAのハンドルパッド
     復路の常陸大宮市 ガソリンスタンドの一角にて

 

     (同 午後5時30分頃)
 

2017年7月、月例更新のお知らせ

  • 2017.07.01 Saturday
  • 09:13

本日(7/1(土))、「HEYANEKOのホームページ」の 
「500か所超えへの道」の旅行記、新潟・富山以北No.29 
「海の日で 500か所まであと2つ」
宮城県栗原市玉山、大土森 をアップしました。 
「旅心のページ」トップでは、I No.29 海の日・宮城編と記しています。 
 
昨年7月中旬(海の日)の廃村探索の記録です。
古川駅からレンタカーで出発したので、
「化女沼レジャーランド」跡にも立ち寄りました。
その後、いろいろと話題になりましたが、
今でも普通に立ち入ることはできるのでしょうか。

 

訪ねた当時は見当がつかなかった大土森の分校跡ですが、
その後、三差路から別の道を少し山に入ったところに
文マークが記されている古地図を、友人から提供していただきました。
草の茂みが薄い頃、再訪してみたいものです。

 

 

 画像1 高度過疎集落 玉山の分校跡に、門構えが残る
  (平成28年7月18日(月祝)午前11時頃)

 

 

 画像2 大土森・鉱山があったことを彷彿させる古い橋とトンネル
  (同 12時30分頃)

 

 

 画像3 「化女沼レジャーランド」跡を象徴する観覧車の廃墟
  (同 午後3時頃)
 

宮城県栗原市(旧鶯沢町) 大土森(その2)

  • 2016.12.22 Thursday
  • 06:21

平成28年7月中旬、宮城県の鉱山関係の廃村 大土森(おおどもり)の探索、
ヤマユリの花が綺麗に咲いているが、その深い緑をかき分けたいとは思えない。
細倉小学校大土森分校は、へき地等級1級、児童数106名(S.34)、昭和15年開校、昭和38年閉校。
最終年度(S.38)の児童数は10名。
二万五千図(岩ヶ崎、S.41)を見ると、三差路付近に多くの家屋が記されているが、文マークは見られない。
「夏の廃村だからなあ」と割り切って、道沿いのみを探索したところ、
橋の下を流れる川の護岸に、集落跡の匂いが感じられた。

 

ふと思いついて、米本さんにこの橋の上で地図を見る私の後ろ姿の写真を撮っていただいた。
この写真は、10月下旬に完成した『秋田・廃村の記録』(秋田ふるさと育英会刊)の
表紙イラストの元画像となった。

 

後日、検索から知った「細倉フォトギャラリー」Webで、
大土森鉱山の詳細図や往時の写真を発見した。
詳細図には高台にある分校の写真が載っており、
「この辺りに分校があったんだなあ」と想像できた。

その他大土森では、並んで建つ植林記念の碑と「山神」の碑が見られた。

 

 

 画像1 綺麗に咲くヤマユリの花

 

 

 画像2 集落跡の匂いが感じられる川の護岸

 

 

 画像3 橋の上で地図を見る私の後ろ姿

 

 (2016年 7月18日(月祝)午後12時30分〜1時頃)
 

宮城県栗原市(旧鶯沢町) 大土森

  • 2016.12.21 Wednesday
  • 07:13

平成28年7月中旬、宮城県の廃村めぐり、
ダム建設関係の高度過疎集落 玉山からは、大峰森の開拓地を抜けて、
二迫川沿いの道を下って鉱山関係の廃村 大土森(おおどもり)へと向かった。
道沿いには「細倉マインパーク」(細倉鉱山跡を利用したテーマパーク)
を示す案内板がよく見られる。
細倉鉱山は、江戸期からの歴史を持ち、昭和62年の閉山まで、
わが国屈指の規模の鉛・亜鉛鉱山として栄えた。

 

大土森鉱山は、細倉鉱山に隣り合う中規模の鉛・亜鉛鉱山で、
分校の閉校時期から昭和38年閉山と推測しているが、詳しいことはわからない。
奥には大土ヶ森(おおどがもり)という山があるが、鉱山集落名には「ヶ」はつかない。

 

二迫川沿いの道から大土森へ向かうにあたって、
カーナビは細倉マインパークを経由する回り道を案内したが、
「どう考えてもこっちでしょう」と言いながら、川の流れをさかのぼる枝道を選んだ。
最寄りの集落 放森からの道はやがてダートになったが、
「かつて鉱山があった」ことを彷彿させる古い橋やトンネルがあって、
「この道を選んでよかった」と思った。

 

やがて、養豚場跡の施設が見えてきて、午後12時30分頃、
大土森鉱山集落跡の三差路付近に到着した。

 

 

 画像1 大土森・鉱山があったことを彷彿させる古い橋とトンネル

 

 

 画像2 養豚場跡の施設の看板には「ヶ」がついていた

 

 (2016年 7月18日(月祝)午後12時30分頃)
 

宮城県栗原市(旧栗駒町) 玉山

  • 2016.11.28 Monday
  • 07:13

平成28年7月中旬、宮城県の廃村めぐりでは、ダム建設関係の高度過疎集落 玉山(たまやま)と
鉱山関係の廃村 大土森(おおどもり)を訪ねた。

 

大宮駅からはやてに乗って、古川駅に到着したのは午前9時12分。
同行する米本さんは同じ便に乗っていて、改札を出る前に落ち合えた。
「元気にしてるかい」などと話しながら、古川市街から旧栗駒町へとクルマを走らせた。
 小一時間、車窓の風景は田園地帯が中心だったが、三迫川沿いの道が栗駒ダムに近づくと空気は山間のものに代わった。
「こっちに行ってみましょう」といって通った旧道は、ダム堤体1卅阿△燭蠅琶弔兇気譴織押璽箸貌佑当たった。
「歩いていくと面白いかも」とも思ったが、季節は梅雨の終わり頃。ロクなことにならないことは明らかなので、ゲートの先には足を踏み入れなかった。頭を非日常に切り替えるにはちょうどよい出来事だった。

 

玉山旧集落は、栗駒ダム(昭和37年竣工)の建設によって水没。
その際、ダム湖畔の放森(はなれもり)に小数戸が移転した。
栗駒小学校玉山分校は、へき地等級1級、児童数24名(S.34)、大正5年開校、昭和41年閉校。最終年度(S.40)の児童数は5名。
二万五千図(沼倉、S.43)を見ると、文マークはダム湖の南側にポツンと記されている。住宅地図を調べると、その場所は旧道沿いの除雪基地になっていた。
新道のトンネルを抜けて、心当たりの場所に行くと、「いかにも学校跡」という門構えがある除雪基地が見当たった。
玉山旧集落の移転は昭和36年だが、分校の周囲には家々は作られなかった。事前の確認がなかったら、ただの除雪基地にしか見えなかったかもしれない。

 

 画像1 栗駒ダムへ続く閉ざされた旧道

 

 

 画像2 分校跡の匂いを感じる除雪基地の門構え

 

 

 画像3 知っていなかったら、ただの除雪基地に見えたかもしれない

 

 (2016年 7月18日(月祝)午前10時45分頃)

宮城県の廃校廃村に出かけました

  • 2016.08.12 Friday
  • 12:04

平成28年8月11日(木祝)、新幹線日帰りで 
宮城県の廃校廃村 田代(たしろ)と北滝(きたたき)に 
出かけた。 

 

「廃村千選」累計訪問数は501か所となり、
無事、500か所超えを達成した。
同時に、宮城県の廃校廃村12か所を完訪して、
県単位の完訪は21都府県となった。

 

探索は、山の日に仙台で飲み会をした長年の付合いのSさんと
一緒に行った。 
Sさんはキノコを探すことを趣味としており、
廃村+キノコという、一風変わった探索となった。

 

田代、北滝とも閉校・閉村から50年ほど経過し、
往時の面影はほとんど見当たらなかったが、
珍しいキノコや冬虫夏草が発見されたこともあり、
記憶に残る廃村+キノコ探索となった。

 

 

 画像1 : 田代の耕作放棄地と思われる平地
  田代は、仙台藩の山形藩に対する国境警備の働きがあった
  といわれる山中の小集落だった。
  旭小学校田代分校は、へき地等級4級、児童数6名(S.34)、
  明治34年開校、昭和40年閉校。
  集落跡はキャンプ場として整備されており、
  分校もその一角にあったのではないかと推測される。
  地形図(薬莱山、1968)の水田マークの場所に足を運ぶと
  木本が侵入した平地が見られた。

 

 (2016年 8月11日(木祝)午前11時35分頃) 


 

 画像2 : テングノメシガイというキノコ
  田代−鳴子市街間のダートでSさんが発見した。
  枯葉を背にした黒っぽい棒状のもので、
  大きさは1cmぐらいしかない。
  これは、素人が発見できるものではない。 

 

 (同 午前11時45分頃) 

 

 

 画像3 : 北滝の耕作放棄地と思われる平地
  北滝は江合川源流部にあった戦後開拓集落で、
  近くの荒雄岳には鬼首地熱発電所がある。
  鬼首小学校北滝分校は、へき地等級5級、児童数6名(S.34)、
  昭和27年開校、昭和40年閉校。
  集落跡は滝沢に架かる車道の橋(滝ノ沢橋)の北側にあった。
  分校もその一角にあったのではないかと推測される。
  車道から草が茂る枝道に入って探索したが、
  切り株を使った荒々しいフクロウの木掘りが
  見つかっただけだった。
  地形図(鳴子、1968)の水田マークの場所に足を運ぶと
  ヨシが茂る平地が見られた。
  Sさんは、鬼首温泉周辺の山の事情に詳しいが
  滝ノ沢橋のそばに集落があったことは、
  「思いもよらず」とのことだった。

 

 (同 午後3時25分頃) 

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