泥湯温泉 再訪

  • 2020.01.05 Sunday
  • 07:18

令和元年9月中旬、秋田県の廃村探索、
3日目の宿は湯沢市の泥湯温泉「小椋旅館」。
自炊の宿なので、旧増田町のスーパーで買い出しをして、国道398号を使って旧稲川町方面から向かった。

 

泥湯温泉は、平成30年9月の秋田県廃村探索でも泊まったので、ちょうど1年ぶり。
かつて分校があって住まれる方は小椋旅館の方だけなので、泥湯は「廃村千選」、そして「日本廃村百選」のひとつに数えている。

高松小学校泥湯分校(のち坊ヶ沢小学校泥湯分校、昭和50年閉校)は、へき地5級だった(S.34)。

 

「廃村千選」秋田県 全50ヵ所全訪達成、「廃村千選」累計訪問数 700ヵ所超え達成祝いに、妻と食したカレーうどんの味は、記憶に残ることだろう。

 

 

 画像1: 泥湯温泉・宿泊した「小椋旅館」
      イヌがいい味を出している

 

 

 画像2: 再建された「奥山旅館」

 

 

 画像3: 奥山旅館の別館として、移築されて残る旧泥湯分校の校舎

 

 (2019年9月17日(火)午前6時30分〜6時50分頃)
 

秋田県横手市(旧山内村)外山(その2)

  • 2020.01.04 Saturday
  • 06:59

令和元年9月中旬、秋田県の廃村探索、
外山(そでやま)に向かうカーナビに表示されない迂回路はダートで、急傾斜の部分もあったが、ゆっくり走ることで事なきを得た。
午後2時40分頃 無事外山に到着したが、残念なことに小雨が降り出したため、探索は傘をさして行うことになった。

 

松川小学校外山分校は、へき地等級2級、児童数48名(S.34)、明治7年開校、昭和48年閉校。
特別な痕跡はなかったが、『秋田・消えた分校の記録』(無明舎出版刊)に「校舎は橋の付近にあった」と記されているので、「たくさん電柱が立っている場所が分校跡なのだろう」と想定した。

 

集落跡にはコスモスが咲いており、耕された畑もあったが、田んぼは耕されなくなったものが目立っていた。
20分ほどの探索の間、出会ったのは地域の方らしいクルマの方ひとりだけだった。
この方に尋ねたおかげで、通行止の県道は「通ることができない」ことがはっきりした。

 

外山を訪ねて、「廃村千選」秋田県のポイント50ヵ所全訪と、「廃村千選」の累計訪問数700ヵ所超えを同時達成した。

 

 

 画像1: 外山・集落名入りの道標が迎えてくれた

 

 

 画像2: 分校跡と想定した複数の電柱が立っている場所

 

 

 画像3: 集落跡にはコスモスが咲く

 

 

 画像4: 田んぼは耕されなくなったものが目立っていた

 

 (2019年9月16日(月祝)午後2時40分〜2時55分頃)
 

秋田県横手市(旧山内村)外山(その1)

  • 2020.01.03 Friday
  • 07:17

令和元年9月中旬、秋田県の廃村探索、
戸澤さん、武田さんに見送られて六郷市街を出発したのは午後1時30分頃。
六郷からは、秋田県50ヵ所の最後の未訪廃校廃村となった、旧山内村外山(そでやま)へと向かった。

 

1年前、手前の福万(ふくまん)、赤水(あかみず)まで行きながら、県道が通行止で行けなかったため、リベンジでもある。

外山の離村年は昭和61年。大松川ダム建設関連の廃校廃村だが、福万、赤水と異なり水没はしていない。

 

外山には国道13号で横手市街に出てから、国道107号を通って向かった(六郷市街−外山は36辧法
カーナビの案内が緑色ではなく赤色になっているのが気になったが、「通行止は1年前のことなので、95%大丈夫だろう」と気楽に構えていた。
しかし、みたけ湖(大松川ダム湖)、福万を通過して赤水に着くと、昨年と同じ箇所に「全面通行止」の案内板が立っていた。
すんなり着かせてくれないものだが、手前には「横手方面への迂回路」の案内板があり、この道をたどると外山に着くことは確認できている。
「また荒れた道ですか」と妻は嫌そうだったが、ここは付き合ってもらうしかない。

 

 

 画像1: 赤水・「この先、路肩決壊のため通り抜けできません」の案内板

 

 

 画像2: 「全面通行止」の標示が道を閉ざす

 

 

 画像3: 手前には「横手方面への迂回路」の案内板があった

 

 (2019年9月16日(月祝)午後2時20分〜2時30分頃)

 

※ 続きは「こちら」

湯田再訪(その2)

  • 2020.01.02 Thursday
  • 06:46

令和元年9月中旬、秋田県の廃村探索、
湯田の標高は、湖面が191m、神社登り口が208m、神社が342mだから、登り口−神社は134mの高低差がある。
「この急勾配の山道を、炭を背負って歩いていたのですが」と尋ねたところ、戸澤さんは「歩くときにはリズムがあって、これを保つことがポイントだ」と話された。


ぐんぐん山を上がっていくうちに空がいくらか明るくなり、 「当時はここでカヤを採った」という場所を過ぎると、ほどなく山道が二又となっており、左に進むと稜線上の神社に着いた。

神社では3名の山岳協会の方々が待っていて、本殿の前で7名でひと休みすることになった。

三吉神社は平成27年9月以来4年ぶり。
本殿の屋根は傷みが進んでいたが、草が刈られているからか、天候のためか、4年前よりも明るい印象を受けた。

 

山を下りてからは、ダム堤体の駐車場でゴザを敷いて昼食休みを取った。
体を動かした後のパンは美味しい。
帰り道、六郷温泉あったか山の手前で猟友会の方々が銃を構えていたので驚いたが、話をうかがうと「クマが出没したから撃ちに来た」とのことだった。

 

 

 画像1: 湯田・神社へ続く急勾配の山道

 

 

 画像2: 思いがけない賑わいに包まれた湯田三吉神社

 

 

 画像3: 『日本廃村百選』の表紙を意識して、社殿に手を合わせる

 

 (2019年9月16日(月祝)午前10時40分〜11時20分頃)

 

湯田再訪(その1)

  • 2020.01.01 Wednesday
  • 08:24

令和元年9月中旬、秋田県の廃村探索、
大仙市内 姫神温泉を朝8時20分に出発し、大曲市街を通り,およそ30分で六郷市街の戸澤辰男さん宅に到着した。
事前に戸澤さんに「湯田の三吉神社を再訪したい」と希望を伝えてやり取りをしていると、戸澤さんの友人(武田さん)が参加することになった。
さらに稜線上の神社では六郷山岳協会の方々が道の手入れがてら待っているという。

 

六郷市街−湯田は9km(クルマで18分)。私と妻は戸澤さんのクルマに乗り替えて、4人で湯田へと向かったところ、戸澤さんと武田さんの会話は秋田弁となり、半分ぐらいわからなかった。

 

六郷東根小学校湯田分校は、大正4年開校、昭和49年閉校。
湯田の離村年は昭和50年で、六郷砂防ダムは移転後に建設された(昭和59年竣工)。
今回、戸澤さんのご教示で、分校跡は湖岸沿いの平地として残っていることがわかった。
対岸から見たところ、分校跡に建つ地震観測の建物がはっきり見えた。

 

 

 画像1: 湯田・湖岸沿いに平地が見られる

 

 

 画像2: 分校跡に建つ地震観測施設

 

 

 画像3: 道と分校跡の間には川があり、橋は架かっていない

 

 (2019年9月16日(月祝)午前10時〜正午頃)

 

※ 続きは「こちら」

秋田県大仙市(旧西仙北町) 田ノ沢(その2)

  • 2019.12.20 Friday
  • 06:51

令和元年9月中旬、秋田県の廃村探索、
旧西仙北町 大楽経由、田ノ沢入口からの道は「この先、集落があるのかな」という感じだったが、
やがて視界が開けて、お地蔵様に挨拶して少し先へ進むと、整った無住の家屋が見えてきた。
その先には書き文字の襖が印象的な大破した家屋が見られた。

 

それにしても、平成末頃まで現住だった集落までの道がなぜ未舗装のままなのだろうか。
道は家屋があるあたりだけ舗装されていた。

 

 

 画像1:田ノ沢・無住集落を見守るお地蔵さん

 

 

 画像2:お地蔵様の前から見た未舗装道
     平成初期の田舎の道はこんな感じだった
     平凡な風景だが、なつかしさが感じられる

 

 

 画像3:道が舗装になり、整った無住の家屋が見当たった

 

 

 画像4:書き文字の襖が印象的な大破した家屋

 

 (2019年9月15日(日祝)午後4時50分〜5時5分頃)
 

 

秋田県大仙市(旧西仙北町) 田ノ沢(その1)

  • 2019.12.19 Thursday
  • 06:48

令和元年9月中旬、秋田県の廃村探索、
宮田又からは徳瀬、大盛館に戻り、オプションで旧西仙北町の農山村の廃村 田ノ沢(たのさわ)を訪ねた。

 

『秋田・消えた分校の記録』(無明舎出版刊)、『秋田・消えゆく集落180』(秋田文化出版刊)によると、従来からの集落に戦後開拓の入植があり、昭和22年に土川小学校田ノ沢分校が開校したが、昭和50年に開拓団が離村、昭和51年に分校が閉校。
その後も4戸の暮らしがあったが、平成27年に最後の住民が移転し無住になったとのこと。

 

大盛館がある旧協和町方面からだと、「峰越えの林道を通って7辧廚肇ーナビに表示されたが、未舗装の林道の途中には重機が停まっていてどうにもならなかった。
この道をあきらめ、大楽経由の道(大盛館から13辧砲鯀ぶと、田ノ沢の手前4劼諒岐から道は未舗装となった。

 

 

 画像1:田ノ沢へ向かう峰越えの林道・行く手を無人の重機で阻まれる

 

 

 画像2:迂回路と思って進んだ道は、土場で終点になっていた

 

 

 画像3:大楽経由の道・田ノ沢入口の案内板

     田ノ沢までは4劼△襪、道は分岐からほどなく未舗装になった

 

(2019年9月15日(日祝)午後4時10分〜4時40分頃)

 

※ 続きは「こちら」

秋田県大仙市(旧協和町) 宮田又

  • 2019.12.18 Wednesday
  • 06:20

令和元年9月中旬、秋田県の廃村探索、
この日3つ目の目的地 宮田又(みやたまた)は、徳瀬の奥3劼砲△襦
宮田又鉱山の主要鉱物は銅で、戦後は新鉱業開発が経営した。
昭和32年には従業員246名の中規模鉱山となったが、資源の枯渇、市況の悪化により昭和40年に閉山となった。

 

二つ並んだ徳瀬の神社にお参りし、川沿いのダートを進むとやがて道が広がり、大鍋倉沢を渡る橋の手前まで到達したとき、鉱山集落跡に着いたことを確信した。
宮田又小学校は、へき地等級2級、児童数103名(S.34)、昭和18年開校、昭和40年12月閉校。
学校跡など、往時の痕跡は何も見つからなかったが、たどり着いたという確信がもてたことは大きい。
五万地形図(刈和野、S.41)によると、鉱山の施設は大鍋倉沢沿い(分岐から1卆茵砲砲△辰燭隼廚錣譴襦

 

 

 画像1:鉱山集落があったと思われる平地

 

 

 画像2:道の中に空気弁の鉄ぶたが見つかった

 

 

 画像3:鉱山の施設があったと思われる大鍋倉沢沿いの道 

 

 (2019年9月15日(日祝)午後3時〜3時15分頃)

 

秋田県大仙市(旧協和町) 徳瀬

  • 2019.12.17 Tuesday
  • 07:08

令和元年9月中旬、秋田県の廃村探索、
荒川鉱山に続いては、小さな峠を越えて、宮田又鉱山の手前3劼砲△詁狙ァ覆箸せ)に立ち寄った。
戸数4戸(H.29)の徳瀬では、稲穂が実った田んぼが広がっていた。

 

大盛小学校徳瀬分校は、へき地等級2級、児童数13名(S.34)、明治23年開校、昭和52年閉校。
分校跡は集落の真ん中にあり、探索すると「徳瀬分校跡地」の碑が見つかった。
宮田又鉱山跡へと続く道沿いには、2つの神社が隣り合わせで建っていた。

 

 

 画像1:徳瀬・稲穂が実った田んぼが広がる

 

 

 画像2:分校跡に「徳瀬分校跡地」の碑が建つ

 

 

 画像3:宮田又鉱山跡へと続く道沿いに神社が建つ 

 

 (2019年9月15日(日祝)午後2時35分〜3時40分頃)

 

秋田県大仙市(旧協和町) 荒川鉱山

  • 2019.12.16 Monday
  • 06:54

令和元年9月中旬、秋田県の廃村探索、
大盛館(大盛小学校跡)の展示を見て、急きょ荒川鉱山跡を目指すことになった。

 

荒川鉱山の主要鉱物は銅で、三菱が経営した全盛期(明治末〜昭和10年頃)には4000人が住む一大鉱山街が形成された。
しかし、資源の枯渇により昭和15年に休止、戦後は規模を縮小して昭和34年閉山。
明治11年開校の大盛小学校は、昭和34年に移転、昭和52年まで存続した。

 

大盛館−荒川鉱山は2辧車道からも確認できるカラミレンガを使った選鉱場跡は、見応え満点だった。
駐車場がクルマで満杯だったのは、高橋優(秋田県出身)主催のイベントの関係だった。

 

 

 画像1:荒川鉱山 選鉱場跡(その1)

 

 

 画像2:荒川鉱山 選鉱場跡(その2)
     シックナーはすぐそばに見られる

 

 

 画像3:イベント会場へ向かうバス
     荒川鉱山の駐車場にはたくさんのクルマが停まっていて、
     イベント会場(協和野球場)まではバスで移動しているらしい
     高橋優主催のイベントは「秋田CARAVAN MUSIC FES 2019」で
     今年が4回目だそうだ

 

 (2019年9月15日(日祝)午後2時15分〜2時25分頃)

 

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