秋田県大仙市(旧南外村) 夏見沢

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    南外夏見沢(なんがいなつみざわ、秋田県大仙市)平成29年2月の改定後もレポートが空白となっていたのが気になっていました。
    この機会に、『秋田・廃村の記録』の記事をもとに、レポートを起こします。

     

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    南外夏見沢は楢岡川支流上流沿いにあり、さらに1匸緡部には大森夏見沢がある。
    至近距離にありながら市境(町村境)で隔てられているので、区別するときは南外夏見沢(下流部)、大森夏見沢(上流部)と呼ばれる。
    標高は129m(家屋群の場所)、大仙市南外支所からは8辧⊇乎聴榲消呂ある南外下湯ノ又からは6辧淵ルマで12分)である。
     
    二万五千図(角間川、H.12)の家屋が記された場所には、複数の往時の家屋が残っていた。
    離れのような建物には、左右対称の半円状の窓があった。
    家屋群は使用されている感じがあったが、誰かに会うことはなかった。

    人工林の合間には、小さな家屋が見当たった。集落跡の道は未舗装で、多くの田んぼが耕作されていた。

     

    クルマから降りて道を歩くと、往時の雰囲気を感じることができる。
    桑台(戸数4戸)との分岐点そばには夏桑分校跡がある。
    外小友小学校(のち南外西小学校)夏桑分校は、へき地等級3級、児童数19名(S.34)、昭和26年開校、昭和60年閉校。
    この場所が南外夏見沢に含まれるかどうかは微妙だが、平成29年2月の改定で分校跡は「あり」と判断することになった。

     

     

     画像1 複数残る場所の往時の家屋

     

     

     画像2 耕された田んぼと集落の道

     

     

     画像3 雑然とした夏桑分校跡

     

     (平成27年9月21日(月祝)午前8時25分〜8時50分頃訪問)


    小摩当再訪

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      平成29年2月12日(日)、秋田県〜青森県の旅、 
      鷹巣の宿「ビジネスホテル八木」で目覚めたのは朝6時。
      天気は曇りで、それほど寒くはない。

      まず、宿から5劼曚匹諒臣呂僚戸 小摩当(こまとう)を訪ね、
      昭和47年に廃村となった山間の集落 小摩当に住まれていた
      本城谷勉さんのお家を訪ねて、お話をうかがった。
      というか、本城谷さんに宿まで迎えに来ていただいた。
      平地の新小摩当と山間の旧小摩当は、3劼曚瀕イ譴討い襦

       

      朝の食卓に加えていただき、いろんな話をうかがったが、
      「離村記念碑は神様ではないので、特別な思いは持っていない」
      という言葉は、とても印象に残った。
      小摩当には、耕された棚田があって、神様も奉られている。
      鷹巣町が建てた離村記念碑(昭和57年建立)は、
      村の方々には浸透していない感じがした。

       

       

       画像1 平地の小摩当集落(その1) 
          「秋田・廃村調査」(全12日)では、 

          2015年10月中旬(7日目)に足を運んだ。 

       

        (2015年2月7日(土)午後2時頃) 

       

       

       画像2 平地の小摩当集落(その2) 
          同じ季節で異なる年の写真を並べると 
          どちらがどちらなのか、迷いそうになる。 
        
        (2017年2月12日(日)午前9時) 

       

       

       画像3 山間の小摩当集落跡、雪の棚田 
          今回は山間には出かけなかった。

       

        (2015年2月7日(土)午後3時20分頃)


      湯田三吉神社

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        平成29年2月11日(土祝)、秋田県の旅、
        横手からは、戸澤辰男さんが住まれる六郷市街に移動した。
        六郷は湧き水の里として知られる。
        戸澤さんは、湯田の山里から六郷に転居してからは
        市街の造り酒屋に勤め、工場長にもなられたとのこと。
        思いがけず、高橋酒造という造り酒屋の蔵にも立ち寄り、
        蔵を見学させていただいた。

         

        続いて、湯田三吉神社に立ち寄った。
        三吉神社は湯田集落の鎮守様で、今も社殿が山中に残されている。
        移転後、市街熊野神社の境内に、新たな社殿が建てられている。
        社殿の隣には、略歴を記した案内板が立っている。

         

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        湯田三吉神社
        湯田部落は六郷東根の最奥の部落であったが
        昭和50年(1975年)がけ地危険住宅移転事業により
        集団移転し消滅した。
        跡地は砂防ダムとなっている。
        部落の人々はかつて部落の山上にあった
        三吉神社を力を併せて熊野神社境内に移築し
        現在もお祭りしている。
        祭日は旧6月12日である。
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        山中に残る三吉神社には、
        平成27年秋の秋田・廃村調査(全12日)の4日目、
        県南の調査の締めとして、林直樹さんと訪ねている。
        また、秋田文化出版の渡辺修さん(編集担当)がら、
        「三吉神社の仁王像は、なぜあんな山中にあったのか、興味深い」
        と話されていて、どんなものなのか私も興味をもった。

         

        新たな社殿に向かう道は、雪で埋もれており、
        私と戸澤さんは長靴に履きかえて、雪を踏みしめて向かった。
        仁王像は、社殿の正面に構えていて、
        力士像という感じの、親しみがもてるものだった。

         

         

         画像1 山中の三吉神社の社殿
              ダム湖畔から稜線に向かって20分登ってたどり着いた

         

          (2015年9月23日(水祝)午後3時30分頃) 

         

         

         画像2 熊野神社境内に新たに建てられた三吉神社の社殿
              戸澤さんに記念写真を撮っていただいた

         

         

         画像3 三吉神社の仁王像
              こんな仁王さんが、山中の三吉神社に構えていたと思うと
              確かに興味深い

         

          (2017年2月11日(土祝)午前9時45分頃) 


        秋田・消えゆく集落180

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          昨日(2/4(土))、秋田の廃村の師匠 佐藤晃之輔さんから
          新しい市販本『秋田・消えゆく集落180』(秋田文化出版刊)が届きました。

          検索しても何にもひっかかりません。
          できたてのものをちょうだいできたのは、とてもありがたいことです。

           

          本は、消えゆく集落編(32か所)、消えた集落編(115か所)、
          ダムに消えた集落編(33か所)の3部構成で、消えゆく集落編がハイライトです。

          平成10年代の消えゆく集落は14か所、平成20年代は12か所、
          急ではないけれど、廃村は確実に増えています。

           

           

           画像 『秋田・消えゆく集落180』
               表紙の集落は、旧東由利町浮蓋(最盛期戸数6戸、平成10年離村)です。
               佐藤さんの故郷 祝沢の隣村で、かつて横荘鉄道の駅がありました。
           


          海辺の廃村 申川

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            男鹿市(旧若美町)申川(さるかわ)は、男鹿半島の北側付け根あたり、
            『秋田・廃村の記録』本編62か所の廃村の中で唯一海辺にある。
            標高は10m(神社前)と極めて低く、男鹿市若美庁舎まで5辧淵ルマで10分)と近い。
            最盛期戸数は6戸、移転は昭和52年、個別移転(集住あり)である。

             

            『秋田・消えた村の記録』には「申川の住民は漁業で暮らしていた」と記されているが、
            現在、海辺に漁業施設は皆無である。
            「菅江真澄の道 申川」という標柱が建つ日吉神社があり、
            拝殿のかたわらには、小さな仏様の像が見当たった。
            集落跡には2棟の作業小屋が見当たった。
            ロープが張られた作業小屋から海へと続く道沿いには、多くの粗大ゴミが見られた。

             

            海辺の申川は風が強いことが想像されるが、耕された田んぼが見られた。
            人工林が見られなかったのも本編62か所の廃村の中で唯一である。
            斜面は草に覆われており、木はまばらにしか生えていなかった。
            北側約1劼砲蓮∪侈資源開発(株)の申川鉱場がある。
            油井は柵で囲われていて、「立入禁止」「火気厳禁」の看板があった。

             

             

             画像1: 申川の浜辺から男鹿半島を臨む

             

             

             画像2: 申川の田んぼ越しに日本海を臨む

             

             

             画像3: 申川鉱場付近の道路から日本海を臨む

             

             (2015年10月12日(月祝)午後1時20分〜1時55分頃)
             


            小滝の離村記念碑

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              平成28年も、大詰めとなりました。

               

              昨日(12/25(日))、久しぶりに平成27年秋に行った 
              「秋田県・無居住化集落(廃村)の調査資料」を見直していると 
              12日間の日程の中で、計画には入れたけれども 
              足を運ぶことができなかった廃村があることに気が付きました。 

               

              それは、北秋田市(旧森吉町)小滝(こたき)、 
              森吉山ダムの建設による廃村で、調査ではオプションで 
              10日目の朝、桐内沢の前に回る予定でした。 
              行っていたら、『秋田・廃村の記録』で取り上げた県内の廃村は 
              69か所ではなく70か所になっていたはずです。 

               

              前日の「深沢の教訓」(レンタカーのアクシデント)のため、 
              行けなかったのですが、ふたつを天秤にかけると、 
              「「深沢の教訓」を乗り切ったことに軍配があがるかな」とも 
              思えるところですが・・・。 

               

               

               画像1:小滝の離村記念碑(その1)
                   平成21年8月、スクーターを借りて行ったときのものです。
                   その後、平成27年2月(積雪期)にも訪ねています。

               

               

               画像2:小滝の離村記念碑(その2)
                   碑は小又川の左岸(南側)に、集落跡は右岸(北側)にあります。
                   まだ集落跡には、足を運べていません。

               

               (2009年8月2日(日)午後3時15分頃)


              秋田・廃村市販本、進捗のお知らせ(7月中旬)

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                昨日(7/13(水))、10月頃出版予定の秋田・廃村市販本の
                本文170ページ分の校正紙が手元に届きました。

                 

                いろいろ煮詰めるべきところはあるのですが、
                『廃村をゆく2』の校正紙が出てきたときと比べると

                とても安心して見ることができています。

                 

                廃村や民俗学、過疎問題といった真面目な内容には
                この類の体裁が似合うのかもしれません。
                改めて「『廃村をゆく2』は画期的な本なんだなあ・・・」
                とも思うところです。

                 

                仮タイトルは今のところ『秋田・廃村 駆け足の記録』です。
                完成まであと3か月ほど。
                「廃村千選」累計訪問数500か所超えとともに、
                頑張りたい今年の夏です。

                 

                 

                 画像1:秋田・廃村市販本、県東北部 中扉
                  このような形で、中扉が8つ入ります。
                  体裁はA5判、約200ページになる見込みです。

                 

                 

                 画像2:秋田・廃村市販本、本文 鹿角市山田
                  本文は原則見開き2ページで流れます。
                  取り上げる廃村は77か所になる見込みです。

                 

                  (2016年 7月14日(木)午前6時50分頃)
                 


                「廃村をゆく2」、合津分校跡の校舎

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                  単独執筆市販本「廃村をゆく2」(イカロス出版刊)、
                  本日(5/26(木))発売されます。

                  「廃村をゆく」と「廃村をゆく2」で
                  私の執筆で両方出てくるのが秋田県大館市合津(かっつ)、
                  長野県飯山市沓津(くっつ)、
                  福井県大野市中島(なかじま)・上笹又(かみささまた)の
                  3地区です。
                  特に合津は地味な廃村で、我れながらよく両方で
                  計5ページも仕上げることができたものだと感心します。

                  時間をかけて継続することで、いろんなことが見えてくる。
                  合津では、冬季分校跡の校舎を通して見えてくるものがありました。
                  最初に訪ねたとき(1999年11月)、校舎は
                  「物置きかと思った」というほど、存在感のないものでした。
                  2度目に訪ねたとき(2002年2月)は積雪の中、
                  カンジキを履かないと行けない集落では
                  冬の不便さを実感できたものでした。

                  3度目、4度目と、訪問を繰り返すうちに、
                  校舎の傷みが進行し、中は乱雑になっていきました。
                  4度目の訪問の時、「集落の記憶」の取材で訪ねた
                  佐藤慶一郎さんは、校舎を農作業用に使われている方でした。
                  「10年前はすっきりしていたのが、ごちゃごちゃしてきましたね」
                  と話すと、
                  「値打ちのあるモノだったら、片づけなきゃいかんなあ」
                  と返してくれたことを思い出します。

                  「慶一郎さんがお亡くなりになった」と
                  大館の知人(仲谷香さん)から知らされたのは2015年2月のこと。
                  地域紙のお悔やみの欄に載っていたとのこと。
                  その年の11月、5度目の訪問のとき、
                  校舎の教室部分は倒壊しており、残る部分もすっかり傷んでしまっていた。
                  合津冬季分校の閉校は1971年、合津の閉村は1977年。
                  「慶一郎さんに使われていたから、長く残ったんだなあ」と
                  しみじみ思いました。



                   画像1 : 積雪期の合津分校跡の校舎
                       初訪から6年、4年ぶり3度目の訪問。
                       屋根に積もった雪は重そうだった。
                       ※「廃村をゆく2」では別構図のものを掲載。

                     (2005年 2月4日(金)午後2時30分頃) 



                   画像2 : 晩秋の合津分校跡の校舎(その1)
                       初訪から12年、6年ぶり4度目の訪問。
                       「久しぶりだね」と語りかけるようだった。

                     (2011年11月3日(木祝)午後12時30分頃) 



                   画像3 : 晩秋の合津分校跡の校舎(その1)
                       初訪から12年、4年ぶり5度目の訪問。
                       ついに教室部分は倒壊した。
                       雪深い土地柄、残る部分も長くはもたないだろう。 

                     (2015年11月3日(火祝)午前7時30分頃) 
                   

                  屋布の集落移転記念碑

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                    浦和ではサクラが散って、廃村探索のベストシーズンとなってきました(^_^)

                    同じ廃村へ出かけたとしても、訪ねた季節や天候によって印象が大きく異なることがあります。
                    昨年6月と11月に訪ねた秋田県上小阿仁村の廃村 屋布(やしき)の「集落移転記念碑」は、そのよい例なので、ふたつ並べて紹介します。



                     画像1: 6月の屋布の集落移転記念碑
                      天候は快晴。陽が当たる新緑に囲まれて、碑は明るい感じに見えます。

                      (2015年6月1日(月)午後3時頃)



                     画像2: 11月の屋布の集落移転記念碑
                      天候は小雨交じりの曇。枯れ草に囲まれて、碑は沈んだ感じに見えます。

                      (2015年11月2日(月)午後12時50分頃)
                     

                    営林事業集落 手代沢

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                      昨日、林直樹さんの研究報告書の中に
                      「林業のために形成された集落」という一文を見つけました。

                      これは、「秋田・消えた村の記録」の中の
                      仁郷、手代沢のことを指します。
                      ともに、営林署の事業所がある集落で、
                      一般の農山村とは趣が異なります。

                      「林業集落」は、「山村」(主な生業が林業で成り立っていた集落)と、
                      とても近しい表現で、誤解をまねくおそれを感じました。
                      「廃村千選」では、「林業専業集落」と名付けていますが、
                      あまりよい表現とは思っていませんでした。

                      ふと、
                      「営林事業のために形成された集落」という
                      新たな表現が思い浮かびました。
                      「営林事業集落」はベタな表現ですが、誤解をまねくおそれは薄そうです。

                      今後は「廃村千選」でも「林業専業集落」はやめにして、
                      「営林事業集落」を使っていこうと思います。



                      画像1:手代沢の分校跡(その1)
                      手代沢(てしろざわ)は、秋田県由利本荘市(旧鳥海町)、
                      子吉川の源流部(玉田渓谷)にあった営林事業集落です。
                      直根小学校手代沢分校は、へき地等級5級、児童数11名(S.34)、
                      昭和23年開校、昭和36年閉校。
                      集落も昭和36年になくなりました。
                      通勤で継続した事業所の廃止は、昭和52年です。



                      画像2:手代沢の分校跡(その2)
                      手代沢は、鳥海山の麓、標高500mの地にあります。
                      分校跡には「火山噴火警戒避難対策事業」の
                      音響・振動観測の施設が建てられていました。

                      (2015年 9月22日(火)午後3時30分頃)

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