廃村小平・新旧の風景

  • 2018.11.15 Thursday
  • 07:15

平成30年11月中旬、山形県の廃村探索、
3日目の大石田町 農山村の廃村 小平(こだいら)には
平成20年7月以来、10年ぶりに訪ねた。

 

再訪の廃村、特に季節を変えての再訪では、その変化に驚かされることがある。
十八坂と呼ばれる手前の大石田鉱山(珪砂の鉱山)から小平へ向かう道、
10年前は歩道だったが拡幅されて、クルマでも通れる幅になっていた。
そのことを知らなかった私は、鉱山の分岐から2卻發い童かった。
しかし、峠を越えてしばらく道を下ると、クルマは通れない法面崩落があった。
歩いてだと、問題なく通行することができた。

 

一軒残った家屋は建ってはいたが、10年の間にずいぶん傷みが進んでいた。
10年前は草藪に阻まれて行けなかった分校跡、神社跡方面だが、
今回はすっきりとした道を歩いてたどり着くことができた。
道の左側に建つ標柱を確認すると、「小平部落跡地」と刻まれていた。
二万五千図(海谷、S.46)の文マークと、大石田町立図書館の方とのやり取りから、
標柱は分校跡に建てられていることがわかった。

 

 

 画像1:小平に一軒残る家屋(その1)
    周囲の草が刈られていることから、
    「家屋は活用されているのではないか」と思った。

 

 (2008年 7月20日(日)午後3時20分頃)

 

 

 画像2:小平に一軒残る家屋(その2)

    周囲の草は刈られておらず、

    「家屋は活用されなくなったのだろう」と思った。

 

 (2018年11月11日(日)午前9時15分頃)

 

 

 画像3:小平・行く手を阻む草藪
    草藪の密度は、先に進む気分にはまったくならないほどのものだった。

 

 (2008年 7月20日(日)午後3時20分頃)

 

 

 画像4:小平・分校跡に建つ跡地の碑

    再訪で初めて見たこともあり、「新たに建てられたのではないか」
    と思ったが、建立は昭和57年だった。
    「碑は離村から10年後、集落の方々の手で分校跡地に建てられた」と

    図書館の方から教えていただいた。

 

 (2018年11月11日(日)午前9時15分頃)

 

桝形の大きなプール跡

  • 2018.11.14 Wednesday
  • 06:47

平成30年11月中旬、山形県の廃村探索、
2日目の鶴岡市 鉱山集落の廃村 桝形(ますがた)には、
クルマを降りてから片道5劼瞭擦里蠅髻¬鼠 村影さんと2人で歩いて訪ねました。

 

桝形の探索は2時間近く。
神社跡、ズリ山、鉱業所関係の施設跡、大きなプール跡が見つかりましたが、
学校跡では、確定できるほどのものは見つかりませんでした。

 

異彩を放っていたのは大きなプール跡です。

その規模の大きさから、大きな鉱山街があったことが想像できます。
桝形は手前の集落から10厠イ譴燭悗地5級地で、
昭和54年、鉱山の閉山とともに鉱山集落は消滅しました。

 

 

 画像1:桝形の大きなプール跡(その1)
    存在は知っていたが、どこにあるのかははっきりしていなかった。
    草の茂みに視界をブロックされていたら、わからないままになることだろう。

 

 

 画像2:桝形の大きなプール跡(その2)
    何気なく茂みの先を眺めているときに見つかった。
    学校跡とは1劼曚瀕イ譴疹貊蠅砲△辰拭


 

 画像3:桝形の大きなプール跡(その3)
    プールサイドまで下りると、改めてその大きさが実感できる。
    おそらく昭和40年代に造られたものなのだろう。

 

 (2018年11月11日(日)午前9時15分頃)
 

山形県の廃村に行ってきました

  • 2018.11.13 Tuesday
  • 07:03

平成30年戌年、19度目の廃村探索、
2泊3日で山形県の廃村に行ってきました。
訪ねた廃村は、寒河江市畑、清水山、柳ノ沢、西川町高旭、砂子関、月山沢、
鶴岡市桝形、大机、河倉、長滝、
大石田町藁口、小平(計12か所、初訪10か所、再訪2か所)です。

 

心配された天候にも恵まれ、成果満載のうち終了しました。
10年以上その所在地がわからないままだった、
大石田町三和(短期間の炭鉱集落)の場所を確定することができました。

地域の方とお会いする約束が2件あったことを発端に、
来春(5月中旬あたり)も、山形行きの機会が生じそうです。

 

 

 画像1:高旭(たかひ)・山深くに残る坑道跡
    高旭は昭和42年閉山の鉱山集落で、平成期にできた林道を通ってたどり着いた。
    手前の標柱は、坑道補強工事がなされたことを示すもので、
    平成24年度から平成28年度までの5本が並んでいた。

 

 (2018年11月10日(土)午後2時頃)

 

 

 画像2:桝形(ますがた)・山深くに残るプール跡
    桝形は手前の集落から10厠イ譴燭悗地5級地で、昭和54年まで鉱山集落があった。
    4コースまである大きなプール跡は学校跡から1匐瓩離れた集落南部(奥のほう)、
    鉱業所のそばにあった。

 

 (2018年11月11日(日)午前9時15分頃)

 

 

 画像3:小平(こだいら)・「小平部落跡地」の碑

    小平は昭和47年に集団移転がなされた農山村で、
    平成20年7月以来、10年ぶりに再訪した。
    前回は草の茂みのため立ち入れなかった区域、
    おそらく分校跡に、昭和57年建立の碑を見つけた。

 

 (2018年11月12日(月)午前8時30分頃)
 

山形県東根市 沼沢沼(郵便区全図)

  • 2017.09.10 Sunday
  • 08:45

昨日、地形図のことに触れたので、
今日は郵便区全図について、少し触れておこうと思う。

 

山形県東根市 沼沢沼(ぬまざわぬま、戦後開拓集落)はかつて分校があったため、
早くから「廃村千選」で取り上げていたが、地形図に記載がないため、
長い間「おそらく沼のほとりにあったんだろう」という想像のレベルにとどまっていた。
東郷小学校沼沢沼冬季分校は、へき地等級3級、児童数16名(S.34)、
昭和34年開校、同35年から通年分校、同41年閉校。
昭和35年度から同40年度(最終年度)までの児童数は2〜3名で推移した。

 

沼沢沼は、東根市街地の東側にある沼の名前で、

「沼から流れ出す川がないため、水量が安定している」という特徴があるらしい。

2017年5月中旬、地形図に記載がない廃村について、

 

郵便区全図を集中的に調べたところ、
東郷局 郵便区全図(S.35)に、文マークと「沼平」という集落名を見つけた。
目が醒める思いだった。

 

国会図書館には、約9000枚の全国(沖縄を除く)の郵便区全図が所蔵されている。
地形図のように全国をカバーしているのだが、
中に所蔵がない郵便区があるのが残念なところだ。

 

 

 画像1:昭和40年代の沼沢沼の地形図
     およそ集落がありそうな雰囲気はない
     もっとも、昭和44年の地形図なので、
     すでに集落はなくなっていたのかもしれない
     「五万地形図 関山峠」(1969、国土地理院)より

 

 

 画像2:沼沢沼分校の文マークと「沼平」集落
     集落名「沼平」は、この図で初めて見た
     廃村千選の所在地も 沼平にすべきかもしれないが、
     とりあえず、通りが良い 沼沢沼のままにしようと思う
     「東郷局 郵便区全図」(S.35.11.4、郵政省)より

 

 

 画像3:最新の沼沢沼の地形図
     分校跡の位置に家屋マークがあるが、どんなものなのだろう
     沼沢沼に行く予定は、今のところ立てていない
     「地理院地図」Webの地形図(関山峠、2015に相当、国土地理院)より
 

西吾妻鉱山の記念碑(その4)

  • 2017.03.01 Wednesday
  • 07:02

2017年2月10日(金)、山形県の廃村めぐり。 
西吾妻鉱山の記念碑を背にして、スキー場のレストハウスを目指す。

ペンション村のあたりまで来て、振り返ると、
小さくなりながらも碑が見えている。

リフトのあたりからも、500m離れたレストハウスからも碑は見えていた。

 

浦和から100厠イ譴辛抻了海、案外大きく見えるのと同じ理屈で
場所がわかっているから、見ることができるんだろう。
スキー実習の高校生たちで賑わうレストハウスでは、
窓辺の席で碑を見ながら みそラーメンを食した。

 

 

 画像1 スキー場のレストハウスから見た記念碑
     碑のことを知らなかったら、見えないことだろう。

 

 

 画像2 スキー場のレストハウスから見た記念碑(拡大)
     改めて、「大きな碑なんだなあ」と思った。

 

    (2017年2月10日(金)午後12時20分頃)
 

西吾妻鉱山の記念碑(その3)

  • 2017.02.28 Tuesday
  • 07:14


2017年2月10日(金)、山形県の廃村めぐり。 
西吾妻鉱山の記念碑、膝の上まで雪に埋もれながら
碑文が読めるところまでやってきた。

 

===

 

西吾妻鉱毒防止工事記念碑

昭和12年西吾妻鉱山が明道沢左岸に操業以来、鉱毒水が松川に流出
死の川となり、地域住民の生活をに至ったため、関係者一致団結、
積極的な運動の結果、昭和24年度から農林省管轄の鉱毒防止事業が
着手され、3年間において当時の金額にして8660万円余を投じ
日本で最初の地下浸透式による除毒施設が完成した。
鉱山は昭和36年閉山した。このあと降雨のたびに鉱滓が流出し
除毒施設に与える影響が憂慮されていた矢先、昭和42年の羽越豪雨、
44年の吾妻集中豪雨の二度にわたり、大量の鉱滓が流出して、
かん止堰が崩壊し除毒施設に流入、その機能は完全に停止の状態に
なった。施設の回復を計るため抜本的な対策に急を要する事態となり、
施設改善と鉱滓安定処理の早期実現を関係機関に強く要望の結果、
昭和46年通産省所管の休廃止鉱山鉱毒防止工事が着手され、
以来8年の歳月と総事業費7億8644万円の巨額をもって、鉱滓堆積場の
表面保護と除毒施設の機能回復を計り、昭和53年完成した。

 

昭和54年9月10日

題字 山形県知事 板垣清一郎書
沿革 安部健一書 

 

===

 

西吾妻鉱山跡の記念碑ではなく、鉱毒防止施設の記念碑ということで、
鉱山のことはどこか否定的な匂いがするが、
鉱毒防止も鉱山の重要な側面ということが感じられた。

 

 

 画像1 西吾妻鉱毒防止工事記念碑
     重要ポイント「7億8644万円」の「7」の字が雪に埋もれていたが、
     この季節、これほど堂々とした姿が見られるとは思わなかった。

 

 

 画像2 帰路の雪中の足跡
     帰路は足跡をたどることができるので、画像を撮る余裕が生まれた。
     長靴には、ガムテープで目張りを施した
 

 

 画像3 やや斜めから、記念碑を見る
     広い雪原の中、碑とマツの木の組み合わせは

     よい味を醸し出している。
 
    (2017年2月10日(金)午前11時35分頃)
 

西吾妻鉱山の記念碑(その2)

  • 2017.02.23 Thursday
  • 06:52

2017年2月10日(金)、山形県の廃村めぐり。 
西吾妻鉱山の記念碑まであと100m。
除雪されていない雪の中を、膝の上まで埋もれながらゆっくりと歩く。
カンジキはまるで役に立たないので、両手にもってストックの代わりにした。

 

 

 画像1 碑の手前およそ50m
     だいぶ大きく見えるようになってきた

 

 

 画像2 振り返ると、レストハウスとペンション村の建物が見えた
     この高原に西吾妻鉱山の施設と鉱山街が広がっていた。

 

 

 画像3 碑のすぐそばまでやってきた
     碑には「西吾妻鉱毒防止工事記念碑」と刻まれていた

 

    (2017年2月10日(金)午前11時25分頃)

西吾妻鉱山の記念碑(その1)

  • 2017.02.21 Tuesday
  • 06:56

2017年2月10日(金)、山形県の廃村めぐり。 
西吾妻鉱山の記念碑を目指して、雪の中を歩くが、
なかなかきついので、
ペンション村の中のとあるペンションに立ち寄り一服する。
扉は開いていたが、
「ごめんください」と声をかけても返事はなかった。

ひと息ついている間に雪はあがって、穏やかな天気になった。

 

ペンション村から記念碑がある方向のルートは
除雪された跡があり、長靴で十分歩けるぐらいだ。
ふと前方をみると、黒くて大きな碑らしきものが視界に入った。
急に現れたので驚いたが、無事に見つかってよかった。

 

 

 画像1 ペンション村の横を通り、記念碑を目指して歩く

 

 

 画像2 前方に、黒くて大きな碑らしきものが見えた

     画像で見ると小さいけれど、現場だととても大きく見えるものなのです。

 

 

 画像3 除雪された跡は、碑の手前100mほどで止まっていた

 

    (2017年2月10日(金)午前11時15分頃)

大笠分校跡

  • 2017.02.20 Monday
  • 06:44

2017年2月10日(金)、山形県の廃村めぐり。 
西吾妻鉱山の分校、米沢市立関小学校大笠分校はへき地等級3級,
児童数49名(S.34),昭和13年開校,昭和36年閉校。
分校跡には宿泊施設とレストハウスが建っている。

 

宿泊施設「アルブ天元台」に立ち寄って、ご挨拶をして、
鉱山ゆかりの記念碑を探すため、カンジキを履いて身繕いする。
手元の地図を見ると、駅・宿泊施設からだと、ともに600mほど離れていて、
ペンション村のやや先、台地の端っこにある。
「米沢観光navi」Webのトレッキング案内によると、
鉱山の記念碑があるルートは初級とのこと。

 

いざ歩き始めると、雪が強くなってきた。
ホワイトアウトというのかな。近くにあるはずのリフトがはっきりと見えない。
雪がしまっていないところに足を踏み入れると、カンジキなどまるで役に立たず。
膝を超えるところまで埋もれてしまう。

 

リフトを背にして、ペンション村のほうに歩いて、ペンションの様子を見たが、
人の気配はまるで感じられなかった。

 

 

 画像1 宿泊施設とレストハウス(大笠分校跡)
     東北地方唯一の標高1000m超え(1311m)の廃校廃村は
     こんなところにあった。 

 

 

 画像2 スキー場のリフト

 

 

 画像3 人の気配のないペンション

 

    (2017年2月10日(金)午前10時45分頃)
 

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