山形県東根市 沼沢沼(郵便区全図)

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    昨日、地形図のことに触れたので、
    今日は郵便区全図について、少し触れておこうと思う。

     

    山形県東根市 沼沢沼(ぬまざわぬま、戦後開拓集落)はかつて分校があったため、
    早くから「廃村千選」で取り上げていたが、地形図に記載がないため、
    長い間「おそらく沼のほとりにあったんだろう」という想像のレベルにとどまっていた。
    東郷小学校沼沢沼冬季分校は、へき地等級3級、児童数16名(S.34)、
    昭和34年開校、同35年から通年分校、同41年閉校。
    昭和35年度から同40年度(最終年度)までの児童数は2〜3名で推移した。

     

    沼沢沼は、東根市街地の東側にある沼の名前で、

    「沼から流れ出す川がないため、水量が安定している」という特徴があるらしい。

    2017年5月中旬、地形図に記載がない廃村について、

     

    郵便区全図を集中的に調べたところ、
    東郷局 郵便区全図(S.35)に、文マークと「沼平」という集落名を見つけた。
    目が醒める思いだった。

     

    国会図書館には、約9000枚の全国(沖縄を除く)の郵便区全図が所蔵されている。
    地形図のように全国をカバーしているのだが、
    中に所蔵がない郵便区があるのが残念なところだ。

     

     

     画像1:昭和40年代の沼沢沼の地形図
         およそ集落がありそうな雰囲気はない
         もっとも、昭和44年の地形図なので、
         すでに集落はなくなっていたのかもしれない
         「五万地形図 関山峠」(1969、国土地理院)より

     

     

     画像2:沼沢沼分校の文マークと「沼平」集落
         集落名「沼平」は、この図で初めて見た
         廃村千選の所在地も 沼平にすべきかもしれないが、
         とりあえず、通りが良い 沼沢沼のままにしようと思う
         「東郷局 郵便区全図」(S.35.11.4、郵政省)より

     

     

     画像3:最新の沼沢沼の地形図
         分校跡の位置に家屋マークがあるが、どんなものなのだろう
         沼沢沼に行く予定は、今のところ立てていない
         「地理院地図」Webの地形図(関山峠、2015に相当、国土地理院)より
     


    西吾妻鉱山の記念碑(その4)

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      2017年2月10日(金)、山形県の廃村めぐり。 
      西吾妻鉱山の記念碑を背にして、スキー場のレストハウスを目指す。

      ペンション村のあたりまで来て、振り返ると、
      小さくなりながらも碑が見えている。

      リフトのあたりからも、500m離れたレストハウスからも碑は見えていた。

       

      浦和から100厠イ譴辛抻了海、案外大きく見えるのと同じ理屈で
      場所がわかっているから、見ることができるんだろう。
      スキー実習の高校生たちで賑わうレストハウスでは、
      窓辺の席で碑を見ながら みそラーメンを食した。

       

       

       画像1 スキー場のレストハウスから見た記念碑
           碑のことを知らなかったら、見えないことだろう。

       

       

       画像2 スキー場のレストハウスから見た記念碑(拡大)
           改めて、「大きな碑なんだなあ」と思った。

       

          (2017年2月10日(金)午後12時20分頃)
       


      西吾妻鉱山の記念碑(その3)

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        2017年2月10日(金)、山形県の廃村めぐり。 
        西吾妻鉱山の記念碑、膝の上まで雪に埋もれながら
        碑文が読めるところまでやってきた。

         

        ===

         

        西吾妻鉱毒防止工事記念碑

        昭和12年西吾妻鉱山が明道沢左岸に操業以来、鉱毒水が松川に流出
        死の川となり、地域住民の生活をに至ったため、関係者一致団結、
        積極的な運動の結果、昭和24年度から農林省管轄の鉱毒防止事業が
        着手され、3年間において当時の金額にして8660万円余を投じ
        日本で最初の地下浸透式による除毒施設が完成した。
        鉱山は昭和36年閉山した。このあと降雨のたびに鉱滓が流出し
        除毒施設に与える影響が憂慮されていた矢先、昭和42年の羽越豪雨、
        44年の吾妻集中豪雨の二度にわたり、大量の鉱滓が流出して、
        かん止堰が崩壊し除毒施設に流入、その機能は完全に停止の状態に
        なった。施設の回復を計るため抜本的な対策に急を要する事態となり、
        施設改善と鉱滓安定処理の早期実現を関係機関に強く要望の結果、
        昭和46年通産省所管の休廃止鉱山鉱毒防止工事が着手され、
        以来8年の歳月と総事業費7億8644万円の巨額をもって、鉱滓堆積場の
        表面保護と除毒施設の機能回復を計り、昭和53年完成した。

         

        昭和54年9月10日

        題字 山形県知事 板垣清一郎書
        沿革 安部健一書 

         

        ===

         

        西吾妻鉱山跡の記念碑ではなく、鉱毒防止施設の記念碑ということで、
        鉱山のことはどこか否定的な匂いがするが、
        鉱毒防止も鉱山の重要な側面ということが感じられた。

         

         

         画像1 西吾妻鉱毒防止工事記念碑
             重要ポイント「7億8644万円」の「7」の字が雪に埋もれていたが、
             この季節、これほど堂々とした姿が見られるとは思わなかった。

         

         

         画像2 帰路の雪中の足跡
             帰路は足跡をたどることができるので、画像を撮る余裕が生まれた。
             長靴には、ガムテープで目張りを施した
         

         

         画像3 やや斜めから、記念碑を見る
             広い雪原の中、碑とマツの木の組み合わせは

             よい味を醸し出している。
         
            (2017年2月10日(金)午前11時35分頃)
         


        西吾妻鉱山の記念碑(その2)

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          2017年2月10日(金)、山形県の廃村めぐり。 
          西吾妻鉱山の記念碑まであと100m。
          除雪されていない雪の中を、膝の上まで埋もれながらゆっくりと歩く。
          カンジキはまるで役に立たないので、両手にもってストックの代わりにした。

           

           

           画像1 碑の手前およそ50m
               だいぶ大きく見えるようになってきた

           

           

           画像2 振り返ると、レストハウスとペンション村の建物が見えた
               この高原に西吾妻鉱山の施設と鉱山街が広がっていた。

           

           

           画像3 碑のすぐそばまでやってきた
               碑には「西吾妻鉱毒防止工事記念碑」と刻まれていた

           

              (2017年2月10日(金)午前11時25分頃)


          西吾妻鉱山の記念碑(その1)

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            2017年2月10日(金)、山形県の廃村めぐり。 
            西吾妻鉱山の記念碑を目指して、雪の中を歩くが、
            なかなかきついので、
            ペンション村の中のとあるペンションに立ち寄り一服する。
            扉は開いていたが、
            「ごめんください」と声をかけても返事はなかった。

            ひと息ついている間に雪はあがって、穏やかな天気になった。

             

            ペンション村から記念碑がある方向のルートは
            除雪された跡があり、長靴で十分歩けるぐらいだ。
            ふと前方をみると、黒くて大きな碑らしきものが視界に入った。
            急に現れたので驚いたが、無事に見つかってよかった。

             

             

             画像1 ペンション村の横を通り、記念碑を目指して歩く

             

             

             画像2 前方に、黒くて大きな碑らしきものが見えた

                 画像で見ると小さいけれど、現場だととても大きく見えるものなのです。

             

             

             画像3 除雪された跡は、碑の手前100mほどで止まっていた

             

                (2017年2月10日(金)午前11時15分頃)


            大笠分校跡

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              2017年2月10日(金)、山形県の廃村めぐり。 
              西吾妻鉱山の分校、米沢市立関小学校大笠分校はへき地等級3級,
              児童数49名(S.34),昭和13年開校,昭和36年閉校。
              分校跡には宿泊施設とレストハウスが建っている。

               

              宿泊施設「アルブ天元台」に立ち寄って、ご挨拶をして、
              鉱山ゆかりの記念碑を探すため、カンジキを履いて身繕いする。
              手元の地図を見ると、駅・宿泊施設からだと、ともに600mほど離れていて、
              ペンション村のやや先、台地の端っこにある。
              「米沢観光navi」Webのトレッキング案内によると、
              鉱山の記念碑があるルートは初級とのこと。

               

              いざ歩き始めると、雪が強くなってきた。
              ホワイトアウトというのかな。近くにあるはずのリフトがはっきりと見えない。
              雪がしまっていないところに足を踏み入れると、カンジキなどまるで役に立たず。
              膝を超えるところまで埋もれてしまう。

               

              リフトを背にして、ペンション村のほうに歩いて、ペンションの様子を見たが、
              人の気配はまるで感じられなかった。

               

               

               画像1 宿泊施設とレストハウス(大笠分校跡)
                   東北地方唯一の標高1000m超え(1311m)の廃校廃村は
                   こんなところにあった。 

               

               

               画像2 スキー場のリフト

               

               

               画像3 人の気配のないペンション

               

                  (2017年2月10日(金)午前10時45分頃)
               


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