泥部 再訪

  • 2019.12.06 Friday
  • 06:22

令和元年9月中旬、山形県上山市 鉱山関係の廃村 蔵王鉱山(ざおうこうざん)の探索、
五万地形図(上山、S.44)を見たところ、蔵王開拓と農山村の廃村 泥部(どろぶ)はどれほど離れていない(車道だと8辧法
天気はすこぶるよく、「ちょっと寄っていこうか」と思うのはいつものパターンだ。

 

宮生小学校泥部冬季分校は、昭和26年開校、昭和47年閉校。集落の離村は昭和58年。

県道の終点に建つ「泥部の碑」や大きな家のトタン屋根の様子は10年前と変わりがなく、穏やかな秋の廃村の風景を観ることができた。
再訪することがあったら、分校跡の場所を特定させたい。

 

泥部−かみのやま温泉駅は10辧ガソリンスタンド経由でも30分足らずで駅に着いた。

 

 

 画像1: 泥部・県道の行き止まりに碑が建つ

 

 

 画像2: 昔ながらの家屋が残る

 

 

 画像3: 「泥部の碑」など3つの碑とお墓が並ぶ

 

 (2019年9月14日(金)午前11時50分〜11時55分)
 

山形県上山市 蔵王鉱山(その3)

  • 2019.12.04 Wednesday
  • 06:20

令和元年9月中旬、山形県上山市 鉱山関係の廃村 蔵王鉱山(ざおうこうざん)の探索、
「蔵王鉱山の歴史を語り継ぐ会」の事務局は、学校跡から700mほど町寄りの猿倉スキー場併設の蔵王猿倉レストハウスにある。
事前に連絡をとったおかげで、会の理事長でかつて鉱山で勤められた川口兼次さん(昭和6年生まれ)にお会いすることができた。

 

川口さんは鉱山閉山後も蔵王に留まり、スキー場を中心とした観光事業に取り組まれた。
しかし、閉山から50年以上経過し、このままでは鉱山のことは忘れ去られてしまう。
「今の観光地としての賑わいは、かつての鉱山の歴史とつながっており、資料館は鉱山を語り継ぐための拠点としたい」と川口さんは語られた。
レストハウスの一角には硫黄の原石が飾られており、ケースの上には校舎部分が加わった鉱山資料館のミニチュアが置かれていた。

 

 

 画像1: 蔵王鉱山・観光の方で賑わう蔵王猿倉レストハウス

 

 

 画像2: レストハウスの一角・硫黄の原石が飾られていた

 

 

 画像3: 原石のケースの上には、 鉱山資料館のミニチュアが置かれていた

 

 (2019年9月14日(金)午前10時10分〜11時10分)

 

山形県上山市 蔵王鉱山(その2)

  • 2019.12.03 Tuesday
  • 06:59

令和元年9月中旬、山形県上山市 鉱山関係の廃村 蔵王鉱山(ざおうこうざん)の探索、
鉱山資料館(小学校跡)に続いては、学校跡から600mほど山へ向かった場所にある山神社を目指した。
朽ちかけていた神社は、平成8年に再建され、毎年5月15日に祭礼が行われているという。
訪ねたところ、県道(蔵王ライン)沿いに鳥居が見つかったが、少々わかりにくかった。

 

神社には多くの方々の名前が刻まれた銘板があって、その奥に本殿が鎮座していた。
手前の広々とした駐車場、屋外施設は、かつての鉱山集落、鉱山施設跡に作られたという。

 

業界地図(S.34)を調べたところ蔵王鉱山集落は大きく3つに分かれており、
中川第二小学校がある猿倉が30戸、山神社と精錬所がある観音原が100戸、
そして採鉱所がある元山が55戸と記されていた。
元山は観音原から蔵王沢沿いを4劼曚瓢海惴かった場所にあるが、
今の地形図には通じる山道さえ記されていない。

 

 

 画像1: 蔵王鉱山山神社 鳥居

 

 

 画像2: 蔵王鉱山資料館 ご本尊

 

 

 画像3: 鉱山集落跡(観音原)の屋外施設

 

 (2019年9月14日(金)午前9時45分〜10時頃)
 

山形県上山市 蔵王鉱山(その1)

  • 2019.12.02 Monday
  • 07:02

令和元年9月中旬、秋田県への旅は、山形県大石田町の農山村の廃村 小平(こだいら)の「集落の記憶」の取材を兼ねている。
「山形県でどこか1ヵ所足を運べないか」と調べたところ、上山市の鉱山関係の廃村 蔵王鉱山(ざおうこうざん)が浮かび上がった。
主要鉱物は硫黄で、戦後の最盛期には従業員600人を超える規模があったが、昭和37年12月に坑内火災が起こり、翌38年3月に閉山したという。
また、「蔵王鉱山の歴史を語り継ぐ会」が学校跡に鉱山資料館を建設中ということがわかった。

 

上山市の人口は約30,000人(R.元)。「廃村千選」のポイントは5つあり、古屋敷(ふるやしき)、泥部(どろぶ)、竜沢(りゅうざわ)、内山(うちやま)にはちょうど10年前(平成21年9月)に足を運んでいる。
このとき蔵王鉱山に立ち寄らなかったのは、『午後の校庭 山形・消えゆく分校を訪ねて』(無明舎出版刊)に載った「蔵王鉱山は手がかりが少なく、どんな谷を上がっても下がっても学校跡地は捜せなかった」という記事の影響が大きい。

 

9月14日(金)、旅は3泊4日。大宮駅発6時38分の「つばさ」がかみのやま温泉駅に到着したのは8時48分。
中川第二小学校はへき地等級2級、児童数162名(S.34)、昭和21年開校、昭和43年閉校。
駅からレンタカーを走らせること30分(13辧法蔵王エコー山荘の対面にある学校跡は簡単に見つかった。

 

 

 画像1: 蔵王エコー山荘と蔵王鉱山資料館(中川第二小学校跡)

 

 

 画像2: 蔵王鉱山資料館(その2)

 

 

 画像3: 蔵王鉱山資料館(その3)

     資料館は中川第二小学校の校舎を再現したもので、近々完成するという

 

 (2019年9月14日(金)午前9時30分〜9時35分頃)
 

山形県東根市 沼沢沼 戦後開拓集落跡(その2)

  • 2019.07.31 Wednesday
  • 06:12

令和元年5月中旬、山形県東根市 沼沢沼(ぬまざわぬま)戦後開拓集落跡の探索、
東郷小学校沼沢沼和冬季分校(のち沼沢沼分校)は、へき地等級3級、児童数16名(S.34)、昭和34年開校、昭和40年12月閉校。
郵便区全図(S.35)には沼沢沼(沼平)は14戸、文マークは湖の北側に記されている。

 

湖畔の三差路から左側の道を500mほど進むと「ここが分校跡」と特定した場所に到着した。
痕跡は見当たらなかったが、枯れたヨシ原が広がっており、分校跡の雰囲気がほのかに感じられた。
沼沢沼の探索は30分ほど、バス釣りの方と出会った。

 

 

 画像1:沼沢沼分校跡を目指して、地道を歩く

 

 

 画像2:特徴的なカーブと平地から、沼沢沼分校跡到着を確信する

 

 

 画像3:分校跡から,沼沢沼を見渡す 

 

 

 画像4:帰り道、東側から分校跡を見る

 

 (2019年5月11日(土)午前9時20分〜9時35分頃)
 

 

山形県東根市 沼沢沼 戦後開拓集落跡(その1)

  • 2019.07.30 Tuesday
  • 06:38

令和元年5月中旬、山形県の探索、
2日目は東根市 沼沢沼(ぬまざわぬま)戦後開拓集落跡を目指した。

 

宿の温泉に入った後、晴天の下、東根温泉を出発したのは朝6時10分。
手前の集落 沼沢までは12劼世、道は概ねゆるやかに上っており、自転車を走らせて向かうと1時間半かかった。
沼沢から沼沢沼までは5辧F擦魯澄璽箸如傾斜も急になってきたので、手前3劼曚匹両貊蠅らは歩いて向かった。

 

沼沢から沼沢沼に向かうダートはカーナビでは案内の対象になっておらず、レンタカーを使うのは気が進まなかったのだが、行ってみるとその荒れ方は何とか走れるレベルだった。
歩き始めて40分ほどで視界が開け、山深くの天然のせき止め湖 沼沢沼に到着した。
湖面を見ると大きなコイが泳いでいた。

 

 

 画像1:沼沢沼には,まず自転車でダートの道をたどって向かった 

 

 

 画像2:途中から自転車を置いて歩いて向かった

 

 

 画像3:山深くの天然のせき止め湖 沼沢沼に到着

 

 (2019年5月11日(土)午前8時〜9時10分頃)
 

山形県大石田町 三和炭鉱集落跡(その3)

  • 2019.07.29 Monday
  • 07:00

令和元年5月中旬、山形県 三和(さんわ)炭鉱集落跡の探索、
手元の「地理院地図」Webの写しで「ここが集落跡」とプロットした場所は、川の左岸、荷物を置いたヨシ原から北へ100mほどのところにある。
しばらく遠藤さんに同行し、心当たりの場所には単独で出かけると、小さな尾根の上に大きなマツが見つかり、マツの下方にはまとまった広さの枯れたヨシ原が見つかった。

 

横山小学校三和冬季分校は、へき地等級1級、児童数8名(S.34)、昭和26年開校、昭和35年閉校。
業界地図(S.33)には、三和(松浦山)は18戸とある。
枯れたヨシ原に集落の痕跡は見られなかったが、斜面だらけの現地にこれだけまとまった平地は他に見当たらなかった。
山菜採りを兼ねての探索は、昼食休みを含めて2時間30分行ったが、炭鉱に係わる痕跡は川に落ちていた石炭の塊ぐらいだった。
山菜のほうは、なじみがあるコゴミ、なじみはあるが普段採らないゼンマイに加え、プレゼントされたウルイを持ち帰った。

 

帰路は川のさかのぼりを中心に歩くと、足はずぶ濡れになったが、途中に滝を見ることができた。
上りということもあり、三和口まで1時間半かかった。

 

 

 画像1:三和谷、日影にはまとまった雪が残っていたる

 

 

 画像2:小さな尾根の上に大きなマツが見つかる

 

 

 画像3:マツの下方にはまとまった広さの枯れたヨシ原が見つかった 

 

 

 画像4:ヨシ原(集落跡推定地)で記念写真を撮る

 

 (2019年5月11日(土)12時40分〜午後2時10分頃)
 

山形県大石田町 三和炭鉱集落跡(その2)

  • 2019.07.28 Sunday
  • 07:18

令和元年5月中旬、山形県 三和(さんわ)炭鉱集落跡の探索、
三和口から炭鉱集落跡へ向かうけもの道は草に埋もれていたり、川をたどったほうがよい箇所があったりで、思い浮かべたよりも険しいものだった。

 

歩き始めて50分ほどで若草が生えたヨシ原が見つかり、笹原さんのスマホで現在地をすると、集落跡のそばまで来たことがわかった。
ここに午後1時集合、昼食休みのイメージで、各自山菜採りを開始した。

 

 

 画像1:三和谷沿いを下り、炭鉱集落跡を目指す(その1)
    歩き始めて20分ほど、足元はずぶ濡れになる

 

 

 画像2:三和谷沿い、水田の跡
    横山さんによると、小平からの通いで耕されていたという

 

 

 画像3:三和谷沿いを下り、炭鉱集落跡を目指す(その2)
    歩き始めて30分ほど、いくらか見通しがよくなってきた

 

 

 画像4:炭鉱集落跡そば、若草が生えたヨシ原
    このヨシ原に荷物を置いて、各自山菜採りを開始した

 

 (2019年5月11日(土)午前11時20分〜11時55分頃)
 

山形県大石田町 三和炭鉱集落跡(その1)

  • 2019.07.27 Saturday
  • 07:04

令和元年5月中旬、山形県の廃村探索、1日目は大石田町 最上川左岸の山中にある三和(さんわ)炭鉱集落跡を目指した。
旅の出発は5月11日(土)、天気は晴。
大宮駅朝6時38分発の新庄行きつばさは、およそ3時間で大石田に到着した。

 

大石田駅では地域の方(遠藤さん)が待っていてくれて、クルマで大高根山の麓に向かう。
クルマに同乗した横山さんは小平(こだいら、三和近辺の農山村の廃村)出身で、
「今走る新道(林道小平線)は小平を目指して作られたが、人が住まなくなったため途中までしかできなかった」と話された。

三和集落跡を流れる川(ここでは三和谷とする)の上流部には、林道小平線の枝道との交点(ここでは三和口とする)がある。
その手前の駐車スペースでは3名の方が待っていて、メンバーは総勢6名になった。
そのうち若い方(笹原さん)は町役場勤務の方で、広報の取材を兼ねて会に参加したという。

 

まず三和谷を跨いで枝道を進み、炭鉱集落跡に近いポイントを探したが、谷は険しく行けそうな箇所はなかった。
メンバーのうち芳賀さんは山歩きのスペシャリストだが、三和炭鉱跡がどこにあるかはっきり知らないとのこと。
結局、「三和谷から川沿いに下って、炭鉱集落跡を目指すのがよい」となった。
三和口から炭鉱集落跡までの距離は、およそ1劼噺積もった。

 

 

 画像1:林道小平線の枝道沿いに建つ案内板
    造林者は「北村山森林組合」とあった
    案内板には「松浦山」(三和の所在小字)の名前が載っていた

 

 

 画像2:枝道から見た山の様子
    木々の間を歩けなくないようにも見えるが、
    なだらかな傾斜が続くわけはない

 

 

 画像3:6人組で枝道を歩く
    枝道沿いに三和集落跡へ行けそうな箇所はなく、
    三和谷まで戻ることになった 

 

 (2019年5月11日(土)午前10時20分頃)
 

山形県の廃村に行ってきました

  • 2019.05.13 Monday
  • 07:08

令和元年5月中旬、山形県の廃村に行ってきました。
訪ねた廃村は、大石田町の炭鉱集落 三和(さんわ)、
東根市の戦後開拓集落 沼沢沼(ぬまざわぬま)
の計2か所(初訪2か所)、
メンバーは、三和が地域の方々と私の6名、沼沢沼が単独です。 

 

ともに所在がはっきりしなかった廃村で、
沼沢沼の分校が郵便区全図に載っていたときは
「ついにわかった!」と思ったものでした。
三和に至っては、地形図、郵便区全図ともに集落名すら記されておらず、
大石田町立図書館に問い合わせて、昨年11月、大石田町に赴くことによって
場所の確定ができたという経緯があります。

 

しかし、地域の方と出会って話をすることは重みがあるもので、
おかげで6名で山に入り、沢を下って上っての悪戦苦闘を経て、
何とか三和炭鉱集落跡に足跡を残ることができました。
この季節(山菜採りの頃)、地域の方々の力添えがあったから実現できたことで、
おそらく単独では無理だったのではないかと思います。
沼沢沼のほうは、「場所さえ確定できれば大丈夫」と単独で出かけましたが、
レンタサイクル+徒歩の行程は、歯ごたえがありました。

 

やはり、春は廃村探索のハイシーズン、
枯れたヨシ原もこの季節の雪国ならではです。
採った山菜は、宿泊地(東根温泉)の食堂、スナックでさばいていただき、
美味しく食することができました。

 

 

 画像1:三和・炭鉱集落跡の一角に到着
    川上にある林道か沢沿いに下ること1辧
    ルートは山歩きの達人と呼ばれる方に選んでいただいた。
    私持参の+印入り詳細地形図と、若い方の地図ソフトの情報と
    以前、川下から訪ねたことがあるという方の話をミックスすることで
    炭鉱集落跡の一角(やや草が芽生えた枯れたヨシ原)に到着ことを確信した。

 

 

 画像2:炭鉱集落跡があったと思われる場所
    集落は、沢の左岸にあった。
    ある程度平たい場所は他に見られず、そこは枯れたヨシ原となっていて、
    近くの尾根には大きな一本のマツが見られた。

 

 (2019年5月11日(土)午前11時50分〜12時55分頃)

 

 

 画像3:沼沢沼・湖のほとりに到着
    山深くにある湖で、林道は通じているが
    カーナビでは「行くことができない」と表示されるので、
    クルマを借りず、歩きを主とするつもりで出かけた。
    湖までのダート区間はおよそ5辧
    自転車が2辧∧發が3劼阿蕕い琉鎚で向かった。

 

 

 画像4:沼沢沼・分校跡から湖を見渡す
    湖の西端から北側へ500mほど進んだ分校跡は、枯れたヨシ原となったおり、
    その先の道は荒れて、やがて進めなくなった。
    分校跡からは、湖が見渡せるほどの視界があった。

 

 (2019年5月12日(日)午前9時5分〜9時15分頃)

 

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