山形県東根市 沼沢沼 戦後開拓集落跡(その2)

  • 2019.07.31 Wednesday
  • 06:12

令和元年5月中旬、山形県東根市 沼沢沼(ぬまざわぬま)戦後開拓集落跡の探索、
東郷小学校沼沢沼和冬季分校(のち沼沢沼分校)は、へき地等級3級、児童数16名(S.34)、昭和34年開校、昭和40年12月閉校。
郵便区全図(S.35)には沼沢沼(沼平)は14戸、文マークは湖の北側に記されている。

 

湖畔の三差路から左側の道を500mほど進むと「ここが分校跡」と特定した場所に到着した。
痕跡は見当たらなかったが、枯れたヨシ原が広がっており、分校跡の雰囲気がほのかに感じられた。
沼沢沼の探索は30分ほど、バス釣りの方と出会った。

 

 

 画像1:沼沢沼分校跡を目指して、地道を歩く

 

 

 画像2:特徴的なカーブと平地から、沼沢沼分校跡到着を確信する

 

 

 画像3:分校跡から,沼沢沼を見渡す 

 

 

 画像4:帰り道、東側から分校跡を見る

 

 (2019年5月11日(土)午前9時20分〜9時35分頃)
 

 

山形県東根市 沼沢沼 戦後開拓集落跡(その1)

  • 2019.07.30 Tuesday
  • 06:38

令和元年5月中旬、山形県の探索、
2日目は東根市 沼沢沼(ぬまざわぬま)戦後開拓集落跡を目指した。

 

宿の温泉に入った後、晴天の下、東根温泉を出発したのは朝6時10分。
手前の集落 沼沢までは12劼世、道は概ねゆるやかに上っており、自転車を走らせて向かうと1時間半かかった。
沼沢から沼沢沼までは5辧F擦魯澄璽箸如傾斜も急になってきたので、手前3劼曚匹両貊蠅らは歩いて向かった。

 

沼沢から沼沢沼に向かうダートはカーナビでは案内の対象になっておらず、レンタカーを使うのは気が進まなかったのだが、行ってみるとその荒れ方は何とか走れるレベルだった。
歩き始めて40分ほどで視界が開け、山深くの天然のせき止め湖 沼沢沼に到着した。
湖面を見ると大きなコイが泳いでいた。

 

 

 画像1:沼沢沼には,まず自転車でダートの道をたどって向かった 

 

 

 画像2:途中から自転車を置いて歩いて向かった

 

 

 画像3:山深くの天然のせき止め湖 沼沢沼に到着

 

 (2019年5月11日(土)午前8時〜9時10分頃)
 

山形県大石田町 三和炭鉱集落跡(その3)

  • 2019.07.29 Monday
  • 07:00

令和元年5月中旬、山形県 三和(さんわ)炭鉱集落跡の探索、
手元の「地理院地図」Webの写しで「ここが集落跡」とプロットした場所は、川の左岸、荷物を置いたヨシ原から北へ100mほどのところにある。
しばらく遠藤さんに同行し、心当たりの場所には単独で出かけると、小さな尾根の上に大きなマツが見つかり、マツの下方にはまとまった広さの枯れたヨシ原が見つかった。

 

横山小学校三和冬季分校は、へき地等級1級、児童数8名(S.34)、昭和26年開校、昭和35年閉校。
業界地図(S.33)には、三和(松浦山)は18戸とある。
枯れたヨシ原に集落の痕跡は見られなかったが、斜面だらけの現地にこれだけまとまった平地は他に見当たらなかった。
山菜採りを兼ねての探索は、昼食休みを含めて2時間30分行ったが、炭鉱に係わる痕跡は川に落ちていた石炭の塊ぐらいだった。
山菜のほうは、なじみがあるコゴミ、なじみはあるが普段採らないゼンマイに加え、プレゼントされたウルイを持ち帰った。

 

帰路は川のさかのぼりを中心に歩くと、足はずぶ濡れになったが、途中に滝を見ることができた。
上りということもあり、三和口まで1時間半かかった。

 

 

 画像1:三和谷、日影にはまとまった雪が残っていたる

 

 

 画像2:小さな尾根の上に大きなマツが見つかる

 

 

 画像3:マツの下方にはまとまった広さの枯れたヨシ原が見つかった 

 

 

 画像4:ヨシ原(集落跡推定地)で記念写真を撮る

 

 (2019年5月11日(土)12時40分〜午後2時10分頃)
 

山形県大石田町 三和炭鉱集落跡(その2)

  • 2019.07.28 Sunday
  • 07:18

令和元年5月中旬、山形県 三和(さんわ)炭鉱集落跡の探索、
三和口から炭鉱集落跡へ向かうけもの道は草に埋もれていたり、川をたどったほうがよい箇所があったりで、思い浮かべたよりも険しいものだった。

 

歩き始めて50分ほどで若草が生えたヨシ原が見つかり、笹原さんのスマホで現在地をすると、集落跡のそばまで来たことがわかった。
ここに午後1時集合、昼食休みのイメージで、各自山菜採りを開始した。

 

 

 画像1:三和谷沿いを下り、炭鉱集落跡を目指す(その1)
    歩き始めて20分ほど、足元はずぶ濡れになる

 

 

 画像2:三和谷沿い、水田の跡
    横山さんによると、小平からの通いで耕されていたという

 

 

 画像3:三和谷沿いを下り、炭鉱集落跡を目指す(その2)
    歩き始めて30分ほど、いくらか見通しがよくなってきた

 

 

 画像4:炭鉱集落跡そば、若草が生えたヨシ原
    このヨシ原に荷物を置いて、各自山菜採りを開始した

 

 (2019年5月11日(土)午前11時20分〜11時55分頃)
 

山形県大石田町 三和炭鉱集落跡(その1)

  • 2019.07.27 Saturday
  • 07:04

令和元年5月中旬、山形県の廃村探索、1日目は大石田町 最上川左岸の山中にある三和(さんわ)炭鉱集落跡を目指した。
旅の出発は5月11日(土)、天気は晴。
大宮駅朝6時38分発の新庄行きつばさは、およそ3時間で大石田に到着した。

 

大石田駅では地域の方(遠藤さん)が待っていてくれて、クルマで大高根山の麓に向かう。
クルマに同乗した横山さんは小平(こだいら、三和近辺の農山村の廃村)出身で、
「今走る新道(林道小平線)は小平を目指して作られたが、人が住まなくなったため途中までしかできなかった」と話された。

三和集落跡を流れる川(ここでは三和谷とする)の上流部には、林道小平線の枝道との交点(ここでは三和口とする)がある。
その手前の駐車スペースでは3名の方が待っていて、メンバーは総勢6名になった。
そのうち若い方(笹原さん)は町役場勤務の方で、広報の取材を兼ねて会に参加したという。

 

まず三和谷を跨いで枝道を進み、炭鉱集落跡に近いポイントを探したが、谷は険しく行けそうな箇所はなかった。
メンバーのうち芳賀さんは山歩きのスペシャリストだが、三和炭鉱跡がどこにあるかはっきり知らないとのこと。
結局、「三和谷から川沿いに下って、炭鉱集落跡を目指すのがよい」となった。
三和口から炭鉱集落跡までの距離は、およそ1劼噺積もった。

 

 

 画像1:林道小平線の枝道沿いに建つ案内板
    造林者は「北村山森林組合」とあった
    案内板には「松浦山」(三和の所在小字)の名前が載っていた

 

 

 画像2:枝道から見た山の様子
    木々の間を歩けなくないようにも見えるが、
    なだらかな傾斜が続くわけはない

 

 

 画像3:6人組で枝道を歩く
    枝道沿いに三和集落跡へ行けそうな箇所はなく、
    三和谷まで戻ることになった 

 

 (2019年5月11日(土)午前10時20分頃)
 

山形県の廃村に行ってきました

  • 2019.05.13 Monday
  • 07:08

令和元年5月中旬、山形県の廃村に行ってきました。
訪ねた廃村は、大石田町の炭鉱集落 三和(さんわ)、
東根市の戦後開拓集落 沼沢沼(ぬまざわぬま)
の計2か所(初訪2か所)、
メンバーは、三和が地域の方々と私の6名、沼沢沼が単独です。 

 

ともに所在がはっきりしなかった廃村で、
沼沢沼の分校が郵便区全図に載っていたときは
「ついにわかった!」と思ったものでした。
三和に至っては、地形図、郵便区全図ともに集落名すら記されておらず、
大石田町立図書館に問い合わせて、昨年11月、大石田町に赴くことによって
場所の確定ができたという経緯があります。

 

しかし、地域の方と出会って話をすることは重みがあるもので、
おかげで6名で山に入り、沢を下って上っての悪戦苦闘を経て、
何とか三和炭鉱集落跡に足跡を残ることができました。
この季節(山菜採りの頃)、地域の方々の力添えがあったから実現できたことで、
おそらく単独では無理だったのではないかと思います。
沼沢沼のほうは、「場所さえ確定できれば大丈夫」と単独で出かけましたが、
レンタサイクル+徒歩の行程は、歯ごたえがありました。

 

やはり、春は廃村探索のハイシーズン、
枯れたヨシ原もこの季節の雪国ならではです。
採った山菜は、宿泊地(東根温泉)の食堂、スナックでさばいていただき、
美味しく食することができました。

 

 

 画像1:三和・炭鉱集落跡の一角に到着
    川上にある林道か沢沿いに下ること1辧
    ルートは山歩きの達人と呼ばれる方に選んでいただいた。
    私持参の+印入り詳細地形図と、若い方の地図ソフトの情報と
    以前、川下から訪ねたことがあるという方の話をミックスすることで
    炭鉱集落跡の一角(やや草が芽生えた枯れたヨシ原)に到着ことを確信した。

 

 

 画像2:炭鉱集落跡があったと思われる場所
    集落は、沢の左岸にあった。
    ある程度平たい場所は他に見られず、そこは枯れたヨシ原となっていて、
    近くの尾根には大きな一本のマツが見られた。

 

 (2019年5月11日(土)午前11時50分〜12時55分頃)

 

 

 画像3:沼沢沼・湖のほとりに到着
    山深くにある湖で、林道は通じているが
    カーナビでは「行くことができない」と表示されるので、
    クルマを借りず、歩きを主とするつもりで出かけた。
    湖までのダート区間はおよそ5辧
    自転車が2辧∧發が3劼阿蕕い琉鎚で向かった。

 

 

 画像4:沼沢沼・分校跡から湖を見渡す
    湖の西端から北側へ500mほど進んだ分校跡は、枯れたヨシ原となったおり、
    その先の道は荒れて、やがて進めなくなった。
    分校跡からは、湖が見渡せるほどの視界があった。

 

 (2019年5月12日(日)午前9時5分〜9時15分頃)

 

山形県鶴岡市 長滝

  • 2019.01.23 Wednesday
  • 06:56

平成30年11月中旬、山形県の廃村探索2日目、
河倉に続いては、その北東側、直線距離だと2.5kmほどの長滝(ながたき)を目指した。

 

長滝は最寄集落 砂谷(いさごだに)から2.5辧標高は291m(分校跡)、戸数11戸(S.37)の農山村で、昭和56年に離村した。

長滝への道はふた通りあって、往路は少連寺を通る道を選んだ。少連寺−長滝は3劼△襪、渓谷沿いに上がるだけのため走りやすい。

たどり着いた集落跡は数軒の家屋が建っており、神社(大鳥神社)も整然としていた。

 

田川小学校長滝冬季分校は、へき地等級2級、児童数5名(S.48)、昭和48年開校、昭和54年閉校。
外で作業をする方(Nさん、60代ぐらいの男性)がいたので、ご挨拶をして冬季分校について尋ねたところ、
「使ってはいないが建物は残っている」との返事を得た。

 

そこは事前に想定した場所で、訪ねてみると「鶴岡市田川公民館長滝分館」と記された建物が建っていた。
長滝の探索はおよそ30分、敷地に風呂釜を利用した水回り施設が残っている家跡が印象に残った。
風呂釜は、タイル張り、FRP、ステンレスと様々なものがあった。

 


 画像1 長滝・集落遠景

 

 

 画像2 赤い鳥居が印象的な大鳥神社

 

 

 画像3 ステンレスの風呂釜

 

 

 画像4 長滝冬季分校跡には、公民館兼用の建物が残っていた 

 

  (2018年11月11日(日)午後3時5分〜3時45分頃)
 
 

山形県鶴岡市 河倉

  • 2019.01.22 Tuesday
  • 06:46

平成30年11月中旬、山形県の廃村探索2日目、
大机に続いては、その北側、直線距離だと1.5kmほどの河倉(かわくら)を目指した。

河倉は最寄集落 坂野下から4辧標高は294m(分校跡)、戸数9戸(S.37)の戦後開拓集落で、昭和50年に離村した。

 

R.345旧道の河倉口バス停から枝道に入るとすぐにダートとなり、集落跡手前1.5劼らはクルマは走らないほうがよいレベルになってきた。
何とかたどり着いた集落跡はスギと灌木、ササやシダなどに覆われていた。

近くにある池にも足を運んだが、水鳥がいるぐらいで森閑としていた。

 

田川小学校河倉冬季分校は、へき地等級1級、児童数28名(S.34)、昭和28年開校、昭和44年閉校。
往時からの道が個性的な形をしているため、「集落跡中心部、分校跡はこの辺り」と見当がついた。
集落跡では、痕跡は池沿いの古い作業小屋、潰れた建物の屋根、何かのコンクリ建造物が見当たった。

 

 

 画像1 河倉・集落跡中心部はスギと灌木、ササやシダなどに覆われていた

 

 

 画像2 潰れた建物の屋根 

 

 

 画像3 何かのコンクリ建造物

 

 

 画像4 近くにある池は、水鳥がいるぐらいで森閑としていた

 

  (2018年11月11日(日)午後2時〜2時30分頃)
 

山形県鶴岡市 大机(その2)

  • 2019.01.11 Friday
  • 06:16

平成30年11月中旬、山形県の廃村探索2日目、
湯殿山碑、庚申碑、馬頭観音碑などが並んだ場所辺りにクルマを停めて、
「地理院地図」Webの鳥居マークを目指すと、「大山祇神社」の標柱と拝殿が迎えてくれた。

 

田川小学校大机冬季分校は、へき地等級1級、児童数8名(S.34)、大正元年開校、昭和54年閉校。
神社下方の平地が「分校跡ではないか」と思ったが、後に調べると、その平地は寺(宗建寺)の跡で、分校跡は湯殿山碑のそばだった。
大机の探索はおよそ40分、地域の方に出会うことはなかった
平成期の離村にして、電柱が見当たらないのが気になった。

 

 

  画像1 後にそれとわかった大机冬季分校跡の石垣

 

 

  画像2 大山祇神社の拝殿と石柱

 

 

  画像3 神社の下方、宗建寺跡の平地

 

  (2018年11月11日(日)12時45分〜午後1時20分頃)
 

山形県鶴岡市 大机(その1)

  • 2019.01.10 Thursday
  • 06:37

平成30年11月中旬、山形県の廃村探索2日目、
午後の部、大机(おおつくえ)、河倉(かわくら)、長滝(ながたき)は、すべて鶴岡市南東部、旧田川村(昭和30年鶴岡市に編入)の山間部にある。
地形図ではあまり差がないように見えるが、どれもその情報は薄い。
それぞれどんな集落なのかは、行ってみてのお楽しみだ。

 

大机は最寄集落 坂野下から2辧標高は274m(分校跡)、戸数13戸(S.37)の農山村で、平成6年頃に離村した。
通じる道は急だが舗装されていて走りやすい。
集落の少し手前には「不動明王」碑があって、小さな川の流れ沿いの道を上がると、不動さまと出会うことができた。

 

 

  画像1 車道沿い、橋の袂に石碑を見つける

 

 

  画像2 碑には「明治35年 不動明王」と刻まれている

 

 

  画像3 滝のすぐそばに不動さまが鎮座していた

 

  (2018年11月11日(日)12時40分〜12時45分頃)
 

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