山形県鶴岡市 長滝

  • 2019.01.23 Wednesday
  • 06:56

平成30年11月中旬、山形県の廃村探索2日目、
河倉に続いては、その北東側、直線距離だと2.5kmほどの長滝(ながたき)を目指した。

 

長滝は最寄集落 砂谷(いさごだに)から2.5辧標高は291m(分校跡)、戸数11戸(S.37)の農山村で、昭和56年に離村した。

長滝への道はふた通りあって、往路は少連寺を通る道を選んだ。少連寺−長滝は3劼△襪、渓谷沿いに上がるだけのため走りやすい。

たどり着いた集落跡は数軒の家屋が建っており、神社(大鳥神社)も整然としていた。

 

田川小学校長滝冬季分校は、へき地等級2級、児童数5名(S.48)、昭和48年開校、昭和54年閉校。
外で作業をする方(Nさん、60代ぐらいの男性)がいたので、ご挨拶をして冬季分校について尋ねたところ、
「使ってはいないが建物は残っている」との返事を得た。

 

そこは事前に想定した場所で、訪ねてみると「鶴岡市田川公民館長滝分館」と記された建物が建っていた。
長滝の探索はおよそ30分、敷地に風呂釜を利用した水回り施設が残っている家跡が印象に残った。
風呂釜は、タイル張り、FRP、ステンレスと様々なものがあった。

 


 画像1 長滝・集落遠景

 

 

 画像2 赤い鳥居が印象的な大鳥神社

 

 

 画像3 ステンレスの風呂釜

 

 

 画像4 長滝冬季分校跡には、公民館兼用の建物が残っていた 

 

  (2018年11月11日(日)午後3時5分〜3時45分頃)
 
 

山形県鶴岡市 河倉

  • 2019.01.22 Tuesday
  • 06:46

平成30年11月中旬、山形県の廃村探索2日目、
大机に続いては、その北側、直線距離だと1.5kmほどの河倉(かわくら)を目指した。

河倉は最寄集落 坂野下から4辧標高は294m(分校跡)、戸数9戸(S.37)の戦後開拓集落で、昭和50年に離村した。

 

R.345旧道の河倉口バス停から枝道に入るとすぐにダートとなり、集落跡手前1.5劼らはクルマは走らないほうがよいレベルになってきた。
何とかたどり着いた集落跡はスギと灌木、ササやシダなどに覆われていた。

近くにある池にも足を運んだが、水鳥がいるぐらいで森閑としていた。

 

田川小学校河倉冬季分校は、へき地等級1級、児童数28名(S.34)、昭和28年開校、昭和44年閉校。
往時からの道が個性的な形をしているため、「集落跡中心部、分校跡はこの辺り」と見当がついた。
集落跡では、痕跡は池沿いの古い作業小屋、潰れた建物の屋根、何かのコンクリ建造物が見当たった。

 

 

 画像1 河倉・集落跡中心部はスギと灌木、ササやシダなどに覆われていた

 

 

 画像2 潰れた建物の屋根 

 

 

 画像3 何かのコンクリ建造物

 

 

 画像4 近くにある池は、水鳥がいるぐらいで森閑としていた

 

  (2018年11月11日(日)午後2時〜2時30分頃)
 

山形県鶴岡市 大机(その2)

  • 2019.01.11 Friday
  • 06:16

平成30年11月中旬、山形県の廃村探索2日目、
湯殿山碑、庚申碑、馬頭観音碑などが並んだ場所辺りにクルマを停めて、
「地理院地図」Webの鳥居マークを目指すと、「大山祇神社」の標柱と拝殿が迎えてくれた。

 

田川小学校大机冬季分校は、へき地等級1級、児童数8名(S.34)、大正元年開校、昭和54年閉校。
神社下方の平地が「分校跡ではないか」と思ったが、後に調べると、その平地は寺(宗建寺)の跡で、分校跡は湯殿山碑のそばだった。
大机の探索はおよそ40分、地域の方に出会うことはなかった
平成期の離村にして、電柱が見当たらないのが気になった。

 

 

  画像1 後にそれとわかった大机冬季分校跡の石垣

 

 

  画像2 大山祇神社の拝殿と石柱

 

 

  画像3 神社の下方、宗建寺跡の平地

 

  (2018年11月11日(日)12時45分〜午後1時20分頃)
 

山形県鶴岡市 大机(その1)

  • 2019.01.10 Thursday
  • 06:37

平成30年11月中旬、山形県の廃村探索2日目、
午後の部、大机(おおつくえ)、河倉(かわくら)、長滝(ながたき)は、すべて鶴岡市南東部、旧田川村(昭和30年鶴岡市に編入)の山間部にある。
地形図ではあまり差がないように見えるが、どれもその情報は薄い。
それぞれどんな集落なのかは、行ってみてのお楽しみだ。

 

大机は最寄集落 坂野下から2辧標高は274m(分校跡)、戸数13戸(S.37)の農山村で、平成6年頃に離村した。
通じる道は急だが舗装されていて走りやすい。
集落の少し手前には「不動明王」碑があって、小さな川の流れ沿いの道を上がると、不動さまと出会うことができた。

 

 

  画像1 車道沿い、橋の袂に石碑を見つける

 

 

  画像2 碑には「明治35年 不動明王」と刻まれている

 

 

  画像3 滝のすぐそばに不動さまが鎮座していた

 

  (2018年11月11日(日)12時40分〜12時45分頃)
 

山形県鶴岡市(旧朝日村) 桝形(その6)

  • 2019.01.09 Wednesday
  • 06:39

平成30年11月中旬、山形県の廃村探索2日目、
鉱山関係の廃村 桝形(ますがた)の探索、
学校跡はプールからだと1匐瓩下流側にあり、
「この辺り」と想定した場所に草藪をかき分けて向かった。

 

大鳥小学校桝形分校はへき地等級5級、児童数80名(S.34)、昭和16年開校、昭和54年閉校。
「地理院地図」Webの空中写真ではクルマが通れる幅の枝道があって、
その先左手に鰍沢に沿って校舎が建っている(標高は466m)。
クルマが通れる幅の枝道は何とか見つかったが、その先には灌木とススキに覆われた平地があるばかりで、確証できるものを見つけることはできなかった。
しかし、他に心当たりはないので、ここを分校跡想定地とした。

 

桝形の探索は2時間(往復10劼諒發を加えると5時間)、
歯ごたえがある探索だった。

 

 

  画像1 クルマが通れる幅の枝道

 

 

  画像2 分校跡想定地(ススキに覆われた平地)

 

  (2018年11月11日(日)午前9時50分〜10時10分頃)
 

山形県鶴岡市(旧朝日村) 桝形(その5)

  • 2019.01.08 Tuesday
  • 06:44

平成30年11月中旬、山形県の廃村探索2日目、
鉱山関係の廃村 桝形(ますがた)の探索、
大きなプールには村影さんとともに斜面を下って近づき、その様子をうかがった。

 

プールは25m、4コースあり、横にはシャワーや塩素消毒の小プールもあった。
プールに入る梯子がステンレス製なことから、
「鉱業所が福利施設として閉山直前(昭和50年頃)に作ったのではないか」と思った。

 

 

  画像1 桝形のプール(その1)
     シャワー、塩素消毒の小プールが写っている。

 

 

  画像2 桝形のプール(その2)
     「ステンレスは錆びないものだなあ」と感心する。

 

 

  画像3 桝形のプール(その3)
     プールサイドに佇むHEYANEKOさんが写っている(村影さん撮影)。

 

  (2018年11月11日(日)午前9時〜9時30分頃)

山形県鶴岡市(旧朝日村) 桝形(その4)

  • 2019.01.07 Monday
  • 06:21

平成30年11月中旬、山形県の廃村探索2日目、
鉱山関係の廃村 桝形(ますがた)の探索、
鉱業所跡の探索は、鰍沢を渡らない領域で行った。
大泉鉱山の主要鉱物は銅、亜鉛、鉛、昭和12年から昭和54年まで操業した。

 

「何かないだろうか」と高台から周囲を見渡していると、ズリ山と大きめの建物の基礎、大きなプールが見つかった。
「柵の向こう側」ブログ(管理者まこちゃん)の記事から、プールの存在は知っていたが、学校跡ではなく鉱業所跡の領域にあるというのは意外だった。

 

 

  画像1 桝形・大泉鉱山のズリ山と大きめの建物の基礎
     ズリ山と建物の基礎の間に、鰍沢が流れている。

 

 

  画像2 鰍沢の向こう、鉱業所施設
     沢を渡る上に相当な高さがあるので、アプローチは難しそうだ。

 

 

  画像3 鰍沢の流れ
     山の深さが感じられる。

 

 

  画像4 鰍沢の流れと大きなプール
     この組み合わせは、大きな鉱山町があってのことと言える。

 

  (2018年11月11日(日)午前9時〜9時30分頃)
 

山形県鶴岡市(旧朝日村) 桝形(その3)

  • 2019.01.06 Sunday
  • 06:47

平成30年11月中旬、山形県の廃村探索2日目、
鉱山関係の廃村 桝形(ますがた)の探索、
神社跡の気配がする斜面は、村影さんに続いて私も上った。

 

「地理院地図」Webの地形図の鳥居マークは、道との高低差40mの場所にある。
行く手を阻む斜めに生える灌木が、大量の雪が長く残る地であることを物語っている。
歩き始めて15分ほどで神社の跡地が見つかった。
ご本尊が奉られていたと思われるコンクリートの窪みには、なぜか大量のゴミが入っていた。
「こんなところに捨てなくてもいいのに」と村影さんと顔を合わせて、私はため息をついた。
それでも、横から撮ると、まあまあ風情のある画像になった。

 

 

  画像1 神社跡の気配がする斜面

 

 

  画像2 斜めに生える灌木が行く手を拒む

 

 

  画像3 神社跡、コンクリートの窪みには大量のゴミが入っていた。

 

 

  画像4 コンクリートの窪みを横から撮る

 

  (2018年11月11日(日)午前8時30分〜9時頃)
 

山形県鶴岡市(旧朝日村) 桝形(その2)

  • 2019.01.05 Saturday
  • 06:54

平成30年11月中旬、山形県の廃村探索2日目、
鉱山関係の廃村 桝形(ますがた)の探索、
雪崩遭難慰霊碑の少し先、鰍沢の向かい側には、大鳥鉱山時代(大正の頃)のものと思われるズリ山が見られた。

 

歩き始めて1時間10分ほど(約5辧砲燃惺酸廚剖瓩鼎い燭、気配がしなかったので、探索は神社跡(集落跡を含む)、鉱業所跡、学校跡の順序で回ることになった。

 

県道の右手に集落跡の気配がする低い法面があった。
村影さんは「行ってきます」といって法面を上がったが、私はよいタイミングなので、一服して朝食をとることにした。
戻ってきた村影さんに朝食のことを尋ねたところ、「宿で食べてきました」とのことだった。
探索の収穫は、これといってなかったそうだ。

 

 

  画像1 大鳥鉱山時代のものと思われるズリ山

 

 

  画像2 桝形へと続く道、秋景色が美しい

 

 

  画像3 集落跡の気配がした法面

 

  (2018年11月11日(日)午前7時20分〜8時30分頃)
 

山形県鶴岡市(旧朝日村) 桝形(その1)

  • 2019.01.04 Friday
  • 06:21

平成30年11月中旬、山形県の廃村探索2日目、
旧朝日村大鳥「旅館朝日屋」での起床は未明5時。天気は曇時々晴。
この季節にしては暖かく、未明に外へ出ても寒くはなかった。

 

宿を朝6時30分に出発し、鉱山関係の廃村 桝形(ますがた)を目指して、県道 鶴岡村上線を山に向かって走ると、
西大鳥ダムを過ぎたあたりで通行止の案内板があった。

通行止の案内板から桝形までは5kmほど。
会話をしながら道を歩くと、それほどの遠さは感じされない。

 

歩き始めて1劼曚匹如道沿い右手に大鳥鉱山時代(大正7年)の雪崩遭難慰霊碑が見つかった。
桝形鉱山集落は、大鳥鉱山(古河鉱業)の時代と、大泉鉱山(大日本鉱業)の時代に大別される。
大正7年の大雪崩は154名の犠牲者を出し、鉱山は休山となった。
昭和12年の鉱山再開は、軍事資源の確保を目的としたものと言われる。

 

 

  画像1 大鳥・未明の「旅館朝日屋」

 

 

  画像2 西大鳥ダムを過ぎたあたりであった通行止の案内板

 

 

  画像3 大鳥鉱山時代の雪崩遭難慰霊碑

 

  (2018年11月11日(日)午前6時5分〜7時15分頃)
 

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