深芝浜 3つの移転記念碑

  • 2018.11.07 Wednesday
  • 07:08

平成30年10月下旬、茨城県神栖市の廃村日帰り旅、
廃村 深芝浜(ふかしばはま)には、3つの移転記念碑があります。
なぜ3つあるかというと、深芝浜の集落の規模は大きく(移転戸数214戸)、
主要な移転地が4つ(大野原、平泉、知手、横瀬)あるからなのです。

 

移転記念碑めぐりは、取材の後、
大野原、知手、横瀬の順で、クロスカブを走らせて行いました。
集落移転からおよそ半世紀。
3つの記念碑はすべて公民館の敷地内にあり、周囲の風景になじんでいました。

 

 

 画像1: 移転記念碑(深芝浜・居切浜)
     建立:昭和46年10月
     所在:神栖市大野原 浜松公民館敷地内

 

 

 画像2: 深芝浜移転記念碑
     建立:昭和49年6月
     所在:神栖市知手 仲町公民館敷地内

 

 

 画像3: 横瀬団地移転記念碑(深芝浜・池向)
     建立:昭和53年3月
     所在:神栖市横瀬 横瀬団地公民館敷地内

 

  (2018年10月28日(日)12時40分〜午後2時10分頃)

 

茨城県神栖市(旧神栖町) 深芝浜集落跡

  • 2018.07.27 Friday
  • 07:26

平成30年7月、茨城県 廃校廃村の旅、
鹿島神宮駅から神栖市深芝浜に向かって電チャリを走らせること2時間、
おそらく25劼曚描って、やっと深芝浜集落跡にたどり着いた。

 

「何もない」というのはわかっていたが、
それにしても何もなかった。
「学校跡はこの辺り」とわかるのは、往時の地形図があるからだ。
「こんな場所だからこそ、集落跡の碑、学校跡の碑がほしい」と思った。

 

 

 画像1 深芝浜集落跡(その1)
    集落跡は、道の左右にある。
    かつての分校は、左側(現 製油所)内にあった。

 

 

 画像2 深芝浜集落跡(その2)
    左側(現 製油所)、分校跡推定地から右側(現 発電所)に向かって、
    高架のパイプラインが走る。

 

 

 画像3 深芝浜集落跡(その3)
    道を90度曲がって、右側は発電所のままだが、
    左側は鹿島港の敷地に変わった。

 

  (2018年7月21日(土)午後1時30分頃)
 

茨城県の廃村に行ってきました

  • 2018.07.22 Sunday
  • 10:50

平成30年戌年、11度目の廃村探索、
茨城県の廃村に行ってきました。
場所は鹿島臨海工業地帯、神栖市深芝浜(ふかしばはま)、
最寄り駅(鹿島線 鹿島神宮駅)で自転車を借りて行ってきました。

 

現地は鹿島東部コンビナートの一角で、
集落の痕跡は何ひとつ残っていませんでした。
息栖小学校深芝浜分校は、へき地等級無級、児童数260名(S.34)、
大正7年開校、昭和44年9月閉校。
同年10月、鹿島港が開港しており、集落がなくなったのは
閉校と同じ頃と思われます。

 

鹿島港がY字形に掘りこまれているため、現地までの距離は遠く、
やや雲が多めとはいえ、炎天下、
50匐瓩自転車を走らせることになりました。

 

 

 画像1: 深芝浜・交差点の標示板
     交差点は、集落跡から1劼曚鋲鄲Δ砲△襦
     「深芝浜」という地名は、この標示板以外に見られなかった。

 

 

 画像2: 鹿島石油(JXTGグループ)鹿島製油所の施設
     集落跡の西半分(分校跡を含む)は、製油所の敷地になっている。
     製油所の操業開始は昭和45年4月(分校閉校半年後)とある。

 

 

 画像3: 東京電力鹿島火力発電所の施設
     集落跡の東半分は、発電所の敷地になっている。
     火力発電所1号機の運転開始は昭和46年4月、
     製油所、発電所の所在地名は
     昭和48年に深芝浜から東和田(とうわだ)に改められている。

 

  (2018年7月21日(土)午後1時15分〜2時15分頃)

 

千葉県の廃村に行ってきました

  • 2018.05.28 Monday
  • 07:01

平成30年戌年、8度目の廃村探索、
千葉県の廃村に行ってきました。
場所は成田空港そば、芝山町台宿(だいじゅく)、
最寄り駅(芝山鉄道 芝山千代田駅)で自転車を借りて行ってきました。

 

現地は空港南部工業団地の一角で、
物流関係の建物がたくさん建っていました。
「騒音対策で、昭和49年から昭和53年にかけて離村した」とのことですが、

現地の騒音は、飛行機ではなく物流のトラックに感じました。

 

台宿にあった岩山小学校は、へき地等級無級、児童数152名(S.34)、

明治6年開校、昭和50年閉校。

台宿の隣集落、校区と思われる谷(さく)にも足を運んだところ、

数戸の家屋が建っていましたが、地域の方に出会うことはありませんでした。

 

 

 画像1: 台宿・岩山小学校跡地の碑と門柱
     駐車場の区画に、静かに跡地の碑と門柱が建っていた。
     離村前、どんな集落があったのか、想像できないが、
     そんな場所だからこそ、
     碑がある意味も大きいように思った。

 

 
 画像2: 子安神社の鳥居と祠
     小学校跡地の碑のそばには、神社の鳥居と祠が見られた。
     鳥居には「賀正」という貼り紙があった。

 

 
 画像3: 台宿に1軒残る家屋入口
     場所が場所だけに、入口から見るだけに留めた。
     自転車に戻ろうとすると、イヌの鳴き声が聞こえた。
 
  (2018年5月26日(土)午前10時〜10時30分頃)

 

東京都奥多摩町 峰

  • 2016.02.10 Wednesday
  • 07:12
平成27年12月26日(土)、都内奥多摩町の廃村 峰に
長野県から来た友人 のら猫さんと二人で出かけた。

峰は5年ぶり8度目。前回(平成22年12月)は、当時東京に住んでいた
現北海道在住の友人成瀬さんと出かけた。
初訪(平成12年1月)の時は単独だったが、
以後は必ず誰かと、それもいろいろな面子と出かけている。

廃村を相手に紹介するのは、単独行とはまた違う面白みがある。
今年は誰をどこを紹介することになるのだろうか。



画像1:峠にある祠「大根の山の神」



画像2:集落の入口、農地跡の林床植生のない人工林



画像3:ご神木を背にする「日天神社」

(2015年12月26日(土)正午〜午後1時頃) 

栃木県日光市(旧藤原町) 五十里分校跡

  • 2015.04.25 Saturday
  • 07:51
平成27年4月19日(日)、栃木県の廃校廃村への旅、
日光市(旧藤原町)五十里(いかり)、
示現神社からは、1kmほど北にある長念寺、五十里分校跡へと向かいました。

三依小学校五十里分校は、へき地等級1級、児童数16名(S.34)、
明治33年開校、昭和36年閉校。
旧集落からの移転が昭和28年に行なわれたとすると、湖畔の分校は8年ほどしか開かれていなかったことになります。

駐車場の少し上の壇状の平地を訪ねると、潅木に混じった建物の土台と、水溜めのようなコンクリートのかたまりが、9年前と同じ姿で迎えてくれました。



画像 : 五十里分校跡の建物の土台と、水溜めのようなコンクリートのかたまり

(2015年 4月19日(日)午後 1時頃)

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五十里・示現神社

  • 2015.04.24 Friday
  • 07:07
平成27年4月19日(日)、栃木県の廃校廃村への旅、
日光市(旧藤原町)五十里(いかり)では
村の鎮守様(示現神社)と長念寺、五十里分校跡、湖畔の集落に
足を運びました。

示現神社という名前は、地域の歴史を記す案内板で知りました。
この案内板は、9年前にはなかったものです。
9年前は雪が積もっていたため、鳥居の前で引き返したのですが、
今回、鳥居をくぐって先へ進むと、
歩いて3分ほどで本殿までたどり着くことができました。
拝殿はなくなっていて、脇にガレキが置かれていました。
後で地域の方に尋ねたところ、
「老朽化したので3年ほど前に取り壊した」とのこと。
「9年前、訪ねておけばよかったなあ・・・」
とも思いましたが
無事たどり着けたのは何よりです。



画像1 : 五十里・示現神社の鳥居

(2006年 3月21日(火祝)午後2時頃)



画像2 : 示現神社の鳥居



画像3 : 示現神社の本殿

(2015年 4月19日(日)午後 1時頃)

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栃木県日光市(旧藤原町) 五十里

  • 2015.04.23 Thursday
  • 07:14
平成27年4月19日(日)、栃木県の廃校廃村への旅、
梶又とともに訪ねた、日光市(旧藤原町)五十里(いかり)は
五十里ダム建設(昭和31年竣工)のため、多数の住居が移転した高度過疎集落です。
「角川日本地名大辞典」には、昭和28年に57戸中49戸が集落外に移転、
8戸がダム湖のほとりに移転したとの旨が記されており、
「廃村と過疎の風景(4)」の「廃村千選」総合リストでは、
五十里の戸数は5戸(H.19)です。

新しい五十里集落は、旧集落よりもやや下流側の湖左岸の2か所に作られ、
新しい分校はこの新集落の間に作られました。
住宅地図には民宿や食事処に混じって閉ざされた家屋が多く見られ、
集落は閑散としているように見受けられます。

2か所の新集落のうちの南側、神社へと続く道の途中には
旧集落から移設されたのではないかと思われる風格がある閉ざされた家屋があります。
10年ぶりに訪ねた梶又では、その大きな変化に驚いたものでしたが、
9年ぶりに訪ねた五十里では、大きな変化は感じられません。
特にそのままの姿で残っていたこの家屋を見て、
私は何ともいえない安堵感を覚えました。



画像1 : 五十里・風格がある閉ざされた家屋
屋根は青系色です。

(2006年 3月21日(火祝)午後2時頃)



画像2 : 五十里・風格がある閉ざされた家屋
屋根は赤系色に変わっていますが、訪ねたときは気がつきませんでした。

(2015年 4月19日(日)午後 1時頃)

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栃木県鹿沼市 梶又小学校跡

  • 2015.04.22 Wednesday
  • 07:03
平成27年4月19日(日)、栃木県の廃校廃村への旅、
鹿沼市梶又、平成22年8月頃に校舎等建物が解体された
梶又小学校跡を改めて紹介します。

学校跡には台形状に土盛がされて、その上には青緑色のシートが
被せられています。
「シートがある場所が学校跡」
と割り切れば、探しやすいかもしれません。
校門の位置を6時としたら、7時ぐらいの位置に
春の花が咲いた木が立っています。

シートの周囲を反時計回りで歩いてみると、
1時半ぐらいの位置に建物の基礎、
0時ぐらいの位置にかまどが残っていました。
これら、往時からのものを学校跡に見出したとき
「梶又に来てよかった」と思いました。



画像1 : 小学校跡の一角に立つ春の花が咲いた木
(7時ぐらいの位置)



画像2 : 建物の土台
(1時半ぐらいの位置)



画像3 : かまど
(0時ぐらいの位置)

(2015年 4月19日(日)午前10時頃)
 

栃木県鹿沼市梶又・浅間神社跡

  • 2015.04.21 Tuesday
  • 07:08
平成27年4月19日(日)、栃木県の廃校廃村への旅、
鹿沼市梶又、平成21年に解体されたという浅間神社跡を紹介します。

「南摩川の向こう側、橋を渡ってすぐに鳥居があった」
という記憶をもとに川を歩くと、
ぼんやりながら、石段を見い出すことができました。



画像1 : 10年前の浅間神社

(2005年11月 8日(火)午前11時頃)



画像2 : 現在の浅間神社跡

(2015年 4月19日(日)午前10時頃)
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