島根県安来市(旧広瀬町) 坊床(その2)

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    平成29年7月10日(月)、島根県の廃村探索、
    東比田小学校坊床分校は、へき地等級不明、児童数9名(S.37)、昭和37年開校、昭和46年閉校。
    比田局郵便区全図(S.35.6)を見ると、坊床は19戸、文マークも記されている。
    常設分校が開校する前は冬季分校が開設されていたのだろうか。
    分校跡近辺を探索したが、周囲は森になっていた。

     

    建物の屋根が車道沿いに見えたので、草をかき分けて近づいてみると、2棟の建物のうち1棟は大きな牛舎の廃墟だった。
    戦後開拓集落 坊床の入植時期は昭和21年度(20戸入植)、昭和24年度までに25戸が入植している。
    離村時期は分校が閉校した頃ではないかと思われる。
    放牧場や牛舎は、集落がなくなった後にできたものなのだろう。

    およそ1時間の探索の間、坊床では地域の方に会うことはなかった。

     

     

     画像1:坊床分校跡付近の風景
        深いササ藪が茂っており、跡地特定という欲求は起こらなかった。

     

     

     画像2:車道沿いから見えた建物の屋根
        集落跡の手前にあるのだが、奥(分校跡)から手前へと探索した。

     

     

     画像3:大きな牛舎の廃墟
        7年前(平成22年)には、たくさんのウシがこの中にいたのであろう。
     
      (平成29年7月10日(月)午後2時15分〜2時45分頃)
     


    島根県安来市(旧広瀬町) 坊床(その1)

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      平成29年7月10日(月)、島根県の廃村探索、
      目的地の坊床(ぼうとこ)は、戦後開拓集落で、昭和24年度には25戸の暮らしがあった。
      旧大東町久野から旧広瀬町に入って奥田原から枝道に入って西谷を経てR.432へとつなぎ、
      布部ダムではダムカードをゲット。

       

      布部でR.432から県道(274号東比田布部線)に入り、さらに坊床に向かう枝道へ入ろうとすると、
      入口から夏草が茂っている上に、「落石注意」の看板が立っていた。
      スピードを落として慎重に先へと進むと、午後2時前、予定通りのペースで坊床に到着した。
      出雲市からの距離は63劼世辰拭

       

      島根在住のおきのくにさんからは、
      「坊床の集落跡は放牧場になっていて、夏場は立ち入りが制限されている」という情報をいただいていた。
      しかしそれは7年前の情報で、「行ってみてのお楽しみ」と思っていたが、
      放牧場が跡地になって久しいことは、到着してすぐにわかった。

       

       

       画像1:坊床に向かう枝道の入口

          「ここに入っていくのか」という感じがする。

       

       

       画像2:坊床・放牧場跡
          古い地形図を見ると、放牧場跡は集落跡と一致する。

       

       

       画像3:放牧場の施設跡
          地盤がコンクリの場所には、何かの施設があったのであろう。

       
        (平成29年7月10日(月)午後2時頃)
       


      島根の廃村に行ってきました

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        7月10日(月)、土日出勤(大阪出張)の振替休日 
        島根の廃村に行ってきました。
        梅雨時で、天候が心配されましたが、おおむね晴のよい天気でした。
         
        訪ねた廃校廃村は、安来市(旧広瀬町)坊床(ぼうとこ)です。
        戦後開拓の廃村で、
        「比田局 郵便局全図」(S.35.6)には文マークと19戸が記されています。
         
        ざっくりいって、島根滞在は13時間ほど。
        旅は三江線に乗ったり、木次線の小さな駅をめぐったり、サンライズ出雲で帰ったりで、
        廃村1:鉄道9という感じでした。
        坊床の探索はおよそ1時間。
        牛舎など、放牧場跡の施設の廃墟が印象的でした。

         

         

         画像1:三江線、車窓の風景
             (川平−千金間)
           三次の駅前旅館に泊まって、朝いちばんのディーゼルカーに乗ったのですが、
           結構な数の鉄道マニア(私を入れて14名)が居るのに対して、
           地域の方の姿はゼロ(三次−口羽間)。
           江の川と寄り沿ってゆっくり走る車窓の風景は印象に残るものでしたが、
           「廃止はやむなし」と思いました。

         

          (平成29年7月10日(月)午前9時20分頃)

         

         

         画像2:坊床、分校跡周辺の風景
             (看板は分校跡そばの三差路にあったもの)
           東比田小学校坊床分校は、へき地等級不明、児童数9名(S.37)、
           昭和37年開校、昭和46年閉校。
           S.35の郵便区全図に文マークがあるのは、冬季分校が置かれていたのでしょうか。
           開拓時期は昭和21年度(20戸入植)、S.24までに25戸が入植しています。
           離村時期は、分校の閉校年(昭和46年)頃と思われます。
           集落跡は、近年まで放牧場として使われていましたが、
           訪ねたところ、放牧場も跡地となっていました。
           分校跡周辺は森になっており、
           「昭和46年まで分校があった」とは思えない風景が広がっていました。

         

          (同 午後2時10分頃)

         

         

         画像3:サンライズ出雲、A寝台の車窓から見たサンライズ
             (興津−由比間)
           ブルートレインが栄えていた頃は、効率よく移動する手段として
           ビジネスでよく使われていたそうです。
           廃村探索がからんていますが、出張での利用で、東京駅から直接出勤したので、
           ある意味寝台車の伝統的な乗り方とも言えます(^_^;)。
           初めてA寝台を使ったのですが、乗り心地はよく、6時間ぐらい眠ることができたので、
           強行軍ではなく健全に仕事をすることができました。

         

          (平成29年7月11日(火)午前5時頃)
         


        「廃村をゆく2」、冒頭のページ(p.6−7)

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          平成28年5月26日(木)、初めての単独執筆市販本
          「廃村をゆく2」(イカロス出版刊)が発売されます。

          冒頭の大きな画像があるページ(p.6−7)は
          アマゾンでも公開されています。
          ここが、最後まで調整を必要としたページでした。

          このページの画像は、一幡さん、武部さんの写真が使われると思っていました。
          しかし、5月2日(月)の打ち合わせで提示された初校では、
          3枚のうち2枚が私の写真だったので、まずこの点に驚きました(画像1)。
          大きな画像は一幡公平さんのもので、ヨコB5判(表紙と同じ大きさ)です。
          メインコピー「「廃村と過疎の風景」から−」は、
          私家本との関係を考えると、願ってもないものです。

          その上で、左下隅の富山県南砺市北原の雪景色の画像に、違和感を覚えました。
          表紙画像案で提出したものではなく、
          一幡さんの画像の横に置くことで、素人っぽさが際立つように見えたのです。
          また、北原は「廃村の再生例」で、土蔵の裏には民宿が開業しています。
          担当いわく「雪景色の中、光が差している感じがよい」とのこと。

          分割にしても十分見える大きさがあることと
          主な産業別の選択肢が6つだったことから、4分割案を思い付きました(画像2)。
          私としては「これで決まりだろう」と思ったのですが、
          担当は「ここは大きな写真を見せるページです」とのことで、
          あっさり却下となりました。

          雪景色で大きな画像ということで、
          探索仲間の多映介さん(ウインデーさん)に用意していただいた、
          北海道夕張市鹿島千年町の廃屋画像を当てはめてみました(画像3)。
          「なかなかよい出来だ」と思ったのですが、
          同時に、廃墟色が強くなったことに違和感を覚えました。

          思えば「廃村をゆく2」は、廃墟色よりも
          廃村の多様性(さまざまな廃村の姿)を売りとしているので、
          「廃村の再生例」が冒頭に出てきても、それはそれでよいことです。
          5月9日(月)の打ち合わせでの調整で、鹿島案について
          担当は「なかなか良いですね」という感じでしたが、
          「差し替えましょう」と感じではなかったので、
          当初の案をそのまま使うことで合意しました。

          一つひとつのページに、何かしらこのようなやり取りがありました。
          現物を手渡しでちょうだいするのは、いよいよ明日です。

           ※ 以下、イカロス出版 編集担当から許可を得て掲載



           画像1:「廃村をゆく2」、冒頭のページ(p.6−7)
             一幡さんの画像は、鳥取県鳥取市板井原です。
            (2016年4月10日(日)午後1時45分頃)

             左上の秋景色は、秩父市小倉沢です。
            (2011年11月13日(日)午後12時25分頃)

             左下の冬景色は、富山県南砺市北原です。
             本文にも雪が降る同じ構図の画像が掲載されていますが、
             撮影時期には6年の差があります。
            (2009年2月2日(月)午後12時50分頃)



           画像2:「廃村をゆく2」、冒頭ページ案(その1)
             板井原は農山村、小倉沢は鉱山集落なので、
             北海道夕張市鹿島(炭鉱集落)、
             新潟県魚沼市大平(戦後開拓集落)、
             大分県佐伯市傾山(営林事業集落)、
             沖縄県伊是名村具志川島(離島集落)で
             産業別の選択肢6つをそろえて、
             個性の比較ができることをねらいました。
             よいアイデアだと思ったのですが・・・



           画像3:「廃村をゆく2」、冒頭ページ案(その2)
             夕張市鹿島千年町のこの廃屋は、最後まで残されていたもので
             往時は電機店だったとのことです。
            (2002年2月2日(土)午後3時頃)

           

          「廃村をゆく2」、表紙画像(その2)

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            平成28年3月27日(日)、板井原の現地撮影と、
            かかわる方への画像掲載についてのご挨拶をするため、
            この日の都合があった武部さんと一緒に
            移転地の鷹狩旭ヶ丘公民館に向かいました。

            応対していただいたのは、集落について詳しい年配の方(Tさん)と
            鳥取市役所用瀬総合支所の職員の方(Iさん)。
            ご挨拶をすると、Iさんも板井原出身とのこと。
            かれこれ2時間ほど話し合ったでしょうか。
            往時の写真を紹介していただき、住まれていた頃の話をうかがい、
            いわゆる「集落の記憶」の取材も行うことができました。
            「歴史を掘り下げて、本という形にしてくれるのはありがたい」
            というTさんの言葉が記憶に残りました。

            撮影に際し、武部さんは前日夕方、この日の朝方、取材の後(午後)と
            三度にわたって現地に足を運んでくれました。
            改めて「採用された写真はどれかな」と思って調べてみると、
            当方と出かけた取材の後(午後)のものでした(画像1)。
            編集担当いわく、
            「光の当たり方が絶妙によい」
            とのこと。
            私が同じ廃屋を同じ時間に撮った画像もあります(画像2)。
            最終校正が終わってから調べるまで、気づきませんでしたが、
            「あの時の画像が表紙になったのか」
            と思うと、嬉しいところです。

            かくして、「廃村をゆく2」、表紙画像ができあがりました(画像3)。
            4月10日(日)に撮影に出かけてくれた一幡さんの画像は、
            冒頭で大きく取り上げることになりました。

            説明を控えめにして、素材の良さを活かした
            よい表紙だと思います。
            私が初校を見たのは5月2日(月)、
            完成版を見たのは5月12日(木)のことでした。



             画像1:「廃村をゆく2」、表紙画像の元画像

              (2016年3月27日(日)午後3時30分頃)
                 ※ 撮影/武部将治さん



             画像2:「廃村をゆく2」、表紙画像の元画像の筆者撮影バージョン

                 ※ 撮影/HEYANEKO



             画像3:「廃村をゆく2」、表紙画像
                 ※ ツカを含む
                  イカロス出版 編集担当から許可を得て掲載

            「廃村をゆく2」、表紙画像

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              平成28年5月26日(木)、初めての単独執筆市販本
              「廃村をゆく2」(イカロス出版刊)が発売されます。

              土日に最終校正が終わり、何とか手離れしました。
              制作工程ではいろいろありましたが、
              特に目を引く表紙画像(画像1)について、話をしたいと思います。

              昨年10月中旬、表紙、裏表紙、冒頭の大きな写真について
              「こんな感じでどうでしょう」という案を編集担当に提出しました。
              案では石垣や階段、学校跡、神社、離村記念碑、廃屋など、
              いろいろな要素を織り交ぜました。

              3月になって、編集担当とすり合わせをしたところ
              「廃村といえば、廃屋がいちばんでしょう!」
              「石垣や階段だと、廃城や廃道を連想させますし・・・」
              「廃屋が連なった感じが廃村らしくてよいですね」
              とのことで、
              鳥取県旧用瀬町の廃村 板井原(いたいばら)の廃屋と連なる土蔵が、
              イチ押しの候補となりました(画像2)。
              表紙の一枚画像なので、縦アングルです(画像3)。

              幸い鳥取は、旧知のこの道の友人 ムサシノ工務店の
              一幡公平さん、武部将治さんの地元岡山の隣り県です。
              彼らの協力を得ることができたら、よい表紙を作ることができそうです。

              あと、「何とかしなければ・・・」と思ったのは
              板井原にかかわる方への画像掲載についてのご挨拶です。
              話を通さずに、集落の、それも廃屋の写真を表紙にした書籍ができる
              というのは、どう考えてもご法度です。
              鳥取市役所用瀬総合支所に問い合わせたところ、
              集落について詳しい年配の方にご挨拶をする場を
              作っていただくことができました。
              (続く)




               画像1:「廃村をゆく2」、表紙画像
                #イカロス出版 編集担当から許可を得て掲載



               画像2:「廃村をゆく2」、表紙画像案の画像



               画像3:「廃村をゆく2」、表紙画像案の画像(縦アングルにトリミング)

                (2011年10月3日(月)午後12時10分頃)
               

              鳥取県の廃村に出かけました

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                平成28年3月27日(日)、大阪の実家行きにコブを付ける形で
                鳥取県の廃村に出かけました。 
                訪ねたのは、旧用瀬町の廃村 杉森と板井原で、ともに3度目です。
                今回は、ムサシノ工務店の武部さんとご一緒しました。

                春とはいえ、新緑の季節を前にした廃村は枯れ色一色です。
                「どこにあるのだろう」と気になっていた杉森の神社跡を、
                なかなかハードな探索で見つけることができました。
                季節を変えた廃村の再訪、いろんな収穫がありました。



                 画像1: 杉森の神社跡
                     山仕事に来ていた地域の方からお話を伺わなかったら
                     たどり着けなかったことだと思います。



                 画像2: 板井原の廃家屋
                     屋根の囲炉裏の煙抜きが印象的です。



                 画像3: 板井原の土蔵
                     夏は緑に包まれていましたが、今回は枯れ色一色でした。

                 (2016年3月28日(日)午後1時30分〜3時30分頃)

                鳥取県鳥取市(旧用瀬町) 板井原(その3)

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                  平成27年8月8日(土)、鳥取県の廃村めぐりの旅2日目、
                  伝統的建造物保存地区 智頭町上板井原続いて、
                  旧用瀬町の廃村 板井原(いたいばら)に足を運んだ(4年ぶり2回目)。

                  前回は秋だったが今回は真夏。
                  季節によって変わる風景を見るのもの廃村探索の楽しみのひとつだ。



                  画像1: つる草がからまる大きな家屋



                  画像2: 使えそうな整った土蔵



                  画像3: 神社の本殿

                   (2015年8月8日(土)午前9時30分〜10時頃)

                  ※ その1、その2は2015年8月掲載

                  岡山県高梁市(旧備中町) 柳平(その3)

                  0
                    平成27年7月13日(月)、岡山県の廃校廃村への旅、
                    目標の柳平(やなびら)では、およそ1時間探索した。

                    湖畔に建っている碑は、離村記念碑のような感じなのだが、
                    達筆すぎて、何を書いているのか、少々わかりづらい。

                    裏面を見ると、読みやすい字でしっかりした記述があった。

                    >昭和四十三年新成羽川ダムの建設の議起
                    >るや部落民は其の時代の流れに従い幾百
                    >年幾世代を経にし祖先墳墓の地を後に
                    >して各地に離散のやむなきに至ったのである
                    >思えば柳平部落は部落を挙げて一大
                    >家族の如く古い傳統を持ち分教場は其の
                    >文化の中心として理想郷を建設して居たのである
                    >今萬感の思をこめてここに記念の歌碑を
                    >建て郷里柳平の名を永遠に偲び伝えん
                    >とするものである

                    >昭和五十三年十一月吉日建立
                    >村上儀平治 貞子

                    やはり、昭和43年(1968年)にダム建設が始まり、
                    「故郷はダム湖に沈んだ」というのが一般的な認識と見てよさそうだ
                    「高台の家が一二軒残った」状態を廃村と見てよいかどうかは、
                    少々時間をおいて考えたい。



                    画像1: 柳平・離村記念碑(表面)
                    >ダム沿いに 野菊が咲いて 秋ふかし
                    >柳平部落 ここにしずむ
                    でよいだろうか?



                    画像2: 柳平・離村記念碑(裏面)
                    立派な離村記念碑である。
                    個人が建てたものだとしたら、私が知る限り
                    五指に入る立派さだ。

                    (2015年7月13日(月)午後1時40分頃)

                    岡山県高梁市(旧備中町) 柳平(その2)

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                      平成27年7月13日(月)、岡山県の廃校廃村への旅、
                      目標の高梁市(旧備中町)柳平(やなびら)、
                      石垣の上の大きな家屋は、すっぽりと緑に囲まれており、
                      とてもしっかりと建っていた。

                      「おじゃまします」と挨拶をして、家屋の中を見てみると
                      妙なデザインのカレンダーがかかっていた。
                      年を確認すると「1987年11月・12月」だった。
                      1987年といえば、昭和62年である。

                      柳平分校の閉校は昭和40(1965)年で、
                      新成羽川ダムの竣工は昭和43(1968)年。
                      「廃村千選」では、柳平の閉村年は分校の閉校年にあわせて
                      昭和40年としていた。
                      22年もずれがあるとは、思いもよらなかった。
                      「現地にいくことは大切だなあ」と強く感じたひとときだった。



                      画像1: 柳平・大きな家屋の軒先(1)
                      向かって左方向に撮ったもので、
                      まるでモノクロのような画像になった。



                      画像2: 柳平・大きな家屋の軒先(2)
                      向かって右方向に撮ったもので、
                      緑が入ってカラーらしくなった。



                      画像3: 家屋の中にかかっていた1987年のカレンダー
                      計算すると28年前のものとわかる。
                      カレンダーの存在はありがたい。

                      (2015年7月13日(月)午後1時25分頃)

                      calendar
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