島根県益田市 笹田原

  • 2018.05.16 Wednesday
  • 06:52

平成30年4月、島根県益田市近辺の廃校廃村を目指す旅。
岩倉からは新しい集落道を使って馬谷小学校跡に戻り、
最後の目標 笹田原(ささたばら)には4台で向かった。

真砂小学校笹田原分校は、へき地等級1級、児童数15名(S.34)、明治20年開校、昭和44年閉校。
「廃村千選」では、笹田原の離村時期を複数の住宅地図の比較から平成22年頃としている。

 

分校跡は車道から川を渡ってすぐの場所にあり、電柵で囲われた平地にはブロックが置かれていた。
このブロックの上にはミツバチの樽が置かれるらしい。
分校跡の裏手では、崩壊した家屋の黒瓦の屋根が見当たった。
平成15年頃に笹田原を訪ねたおきのくにさんによると、
黒瓦の家屋は整然と建っていて、分校跡からそぐそばに見ることができたという。
今は藪に埋もれて、注意深く観察しないとその存在はわからなくなっていた。 

 

 

 画像1:笹田原・分校跡の平地は養蜂場として活用されている
    (トンちゃん撮影) 

 

 
 画像2:笹田原分校跡も橋を渡ったところにある

 

 
 画像3:分校跡の裏手では,崩壊した家屋の屋根が見当たった
 
  (2018年4月8日(日)午後4時15分〜4時30分頃)
 

島根県益田市 岩倉(その2)

  • 2018.05.15 Tuesday
  • 06:40

平成30年4月、島根県益田市近辺の廃校廃村を目指す旅。
岩倉分校跡から来た道へ少し戻ると、「岩栃しだれ桜」というノボリが立っていたので、
皆でこれを目指して歩くことになった。
 
サクラは大元神社の境内にあり、休憩所ではコーヒーを飲んで一服できるようになっていた。
神社の狛犬は、石段を登り詰めた場所の右脇と拝殿の右脇にあって、
「なぜ左右対称でないのか」不思議に思ったが、
「左側にあると崩落の危険があるからではないか」ということで落ち着いた。
神社へ足を運ぶのはこの探索では初めて。
私は記帳をして、萩諸島行きの代替探索が無事に進んでいることに感謝した。 
 

 

 画像1:岩倉・「岩栃しだれ桜」の案内板
    「栃」は隣集落「栃山」に由来する。
    クマ注意の看板があるのは、ここが人里だからだろうか。 
 

 

 画像2:大元神社の鳥居
    石造りのしっかりした鳥居が建っている。
    三八豪雪のときはたいへんだったことだろう。
 

 

 画像3:神社の拝殿としだれ桜
    旅先のサクラは、咲く頃をねらって見れるものではない。
    萩諸島には行けなかったが、島根で実りがある探索ができたよかった。
 
  (2018年4月8日(日)午後3時25分〜3時40分頃)
 

島根県益田市 岩倉(その1)

  • 2018.05.14 Monday
  • 06:59

平成30年4月、島根県益田市近辺の廃校廃村を目指す旅。
岩倉(いわくら)には、おきのくにカー、ハマちゃんカーの2台で向かった。
 
豊川小学校岩倉分校は、へき地等級1級、児童数38名(S.34)、
明治8年開校、昭和61年閉校。
戸数5戸(H.29)の高度過疎集落で、訪ねてみたところ、
斜面に広がる集落の棚田は耕されており、家々にも人の気配が感じられた。
分校跡の建物は高台に建っており、私はその遠景に
「古き良き農村風景はこんな感じだったのかな」と思った。
 
木造モルタル造校舎は、閉校後へき地診療所として使われていたらしい。
木造体育館の基礎には石垣が使われており、
「大正期以前の建物ではないか」と推測される。
窓から中を覗くと、体育館の中にはドラムなど楽器が置かれていた。
校舎の玄関横には分校跡地の碑(平成21年建立)があるが、
校舎の裏にはそれよりも古くて地味な分校跡地の碑が見られた。 

 

 
 画像1:岩倉・棚田の向こうに分校跡建物が見える

 

 
 画像2:木造体育館の基礎には石垣が使われている

 

 
 画像3:校舎の玄関横に建つ分校跡地の碑

 

  (2018年4月8日(日)午後3時〜3時15分頃)
 

島根県益田市 西長沢

  • 2018.05.11 Friday
  • 07:10

平成30年4月、島根県益田市近辺の廃校廃村を目指す旅。
滝谷入口に戻り、R.488匹見川沿いを先に進み、旧匹見町澄川からは県道54号線(益田澄川線)に入って走る。
この県道はまさしく「険道」で、「対向車が来たらどうなるんだろう」というほど道幅は狭い。
おきのくにさんによると、県道は明治期に馬車道として作られ、長らく益田市街と匹見を結ぶ主要道だったとのこと。
 
狭い県道を走ること6辧∧岐する西長沢(にしながさわ)までの枝道は、おきのくにカー、ハマちゃんカーの2台で向かった。
おきのくにさんが「竹が倒れていて通れないかも」と心配していた枝道だが、
クルマが通れるよう整えられており、分岐から600mほどで分校跡目印のお地蔵さんに出会った。
 
真砂小学校西長沢分校は、へき地等級1級、児童数11名(S.34)、明治20年開校、昭和45年閉校。
お地蔵さん正面の橋が分校跡への入口で、分校跡は草に埋もれた階段を上がった先にある。
西長沢の集落は散在しており、分校跡と離れた場所に神社があるのはわかっていたが、訪問はあきらめた。
「廃村千選」では、西長沢の離村時期を複数の住宅地図の比較から平成25年頃としているが、分校跡の様子を見るともう少し早いかもしれない。
 
分校跡の探索では、瓦のガレキにまじって材木が載った建物基礎の石垣が見当たった。
おきのくにさんは「この形の建物基礎は大正期よりも前のもので、昭和期になってコンクリ製の基礎が普及した」と話された。
なお、西長沢学校跡の標高(361m)は、今回訪ねた廃校廃村中で最も高い。 

 

 
 画像1:西長沢・分校跡への入口(左に橋、右にお地蔵さん)

 

 
 画像2:分校跡は草に埋もれた階段を上がった先にある

 

 
 画像3:分校跡・材木が載った建物基礎の石垣
 
  (2018年4月8日(日)午後1時20分〜1時45分頃)
 

島根県津和野町(旧日原町) 滝谷(その2)

  • 2018.05.10 Thursday
  • 06:39

平成30年4月、島根県益田市近辺の廃校廃村を目指す旅。
須川小学校滝谷分校は、へき地等級1級、児童数30名(S.34)、明治9年開校、昭和48年閉校。
学校跡は橋の手前にあって、おきのくにさんが平成14年に訪ねたときは校舎が残っていたとのこと。
その後すぐに道を作るため土盛りが行われて、今も残る教員住宅跡の建物は道下の平地に建つことになった。
 
滝谷での探索は、各自で三々五々に行われた。
学校跡に土盛りされた道は、棚田跡へと続いている。
神社跡がどこかにあるはずだが、急きょの代替案のため地形図は持ち合わせていない。
比較的近場を探索をしたところ、
平地の片隅に墓石のような「校地寄附紀念碑」(大正7年建立)と金網が見つかった。
亀山さんとこの碑を見ているうちに
「滝谷といえば広島ホームテレビのロケ地選定のとき、スタッフが断られたんだなあ」
と思い出した。
 
探索を行った後、すっきり広がった青空のもと、橋に集まって昼食休みをとった。
離村記念碑のサクラを見ているうちに、
私は「廃村に出向いて花見をする(イコール 廃花見)は新ジャンルにできないかな」
と思いついた。
この年のサクラの開花は早く3月下旬には全国各地で満開になったが、
滝谷のサクラが満開だったのは標高が高いからなのだろう
(滝谷学校跡の標高は313m、猪木谷は181m)。 
家屋に隣接する倉から教室で使われていたと思われるの椅子をお借りして、
離村記念碑とサクラをバックに集合写真を撮った。
 
現地では探す気にはならなかった神社跡だが、後日「地理院地図」Webで調べたところ、
鳥居マークは学校跡から少しだけ先にある小山の上にあった。
 
 
 
 画像1:滝谷・「校地寄附紀念碑」と金網が残る
 
 
 
 画像2:教員住宅跡の建物も残っている
 
 
 
 画像3:離村記念碑とサクラをバックに集合写真を撮る
 
  (2018年4月8日(日)午前11時45分〜12時30分頃)
 

島根県津和野町(旧日原町) 滝谷(その1)

  • 2018.05.09 Wednesday
  • 07:05

平成30年4月、島根県益田市近辺の廃校廃村を目指す旅。
匹見川の向こう、旧日原町滝谷(たきだに)にはおきのくにカー、ふたつぎカーの2台で向かった。

滝谷は水上勉の短編『鎮守』に登場する。
『鎮守』を読むと、
「昔は50戸の家々があったが、昭和60年頃には70代の老夫婦が1戸残るだけになっていた」
ことがわかる。

 

滝谷へ向かう道の幅は広く、クルマの走行もスムーズだ。
『鎮守』ではすごい山奥のように記されているが、そのイメージにそぐわないのは、
道が改良されたからなのだろう。
滝谷到着は11時40分頃。まず『鎮守』の老夫婦の家と思われる朽ちた家屋が見当たった。
橋の向こうには、川沿いにサクラを背にして建つ
「ふるさと滝谷を憶う碑」(離村記念碑、昭和62年建立)が見られた。

 

 
 画像1:滝谷・『鎮守』の老夫婦の家と思われる朽ちた家屋

 

 
 画像2:棚田跡から、朽ちた家屋を見る

 

 
 画像3:サクラを背にして建つ「ふるさと滝谷を憶う碑」
 
  (2018年4月8日(日)午前11時45分〜正午頃)
 

島根県益田市 猪木谷(その3)

  • 2018.04.27 Friday
  • 07:12

平成30年4月、島根県益田市近辺の廃校廃村を目指す旅。
猪木谷では、小学校跡の探索がメインとなった。
亀山さんはいち早くスギ林となった敷地に乗り込み、ガイシなどを見つけられた。
おきのくにさんによると校舎は閉校後まもなく取り壊され、跡地は畑として利用されたらしい。
ふたつぎさん、ハマちゃん、トンちゃんは、それぞれ跡地の端に向かって「何かないか」と探しているようである。
私は「校舎の基礎が見つかった」という声があったらそこへ向かうというように、
落穂拾いに徹していた。
 
中でもハマちゃんが見つけた真鍮の鍵付き窓枠は出色だった。
これは校舎の窓枠だったに違いない。
トンちゃんによると、ハマちゃんは廃墟探索で小物を探すことの名人らしい。
小さくて写真を撮りづらいものなので、私が手にもってかざす役目を担った。

 

 
 画像1:猪木谷・学校跡地はスギ林になっている

 

 
 画像2:学校跡地では、いろいろなものが見つかった

 

 
 画像3:真鍮の鍵付き窓枠を手にする(トンちゃん撮影)
 
  (2018年4月8日(日)午前10時15分〜10時40分頃)

島根県益田市 猪木谷(その2)

  • 2018.04.26 Thursday
  • 06:47

平成30年4月、島根県益田市近辺の廃校廃村を目指す旅、猪木谷の探索。
猪木谷小学校は、へき地等級1級、児童数33名(S.34)、
明治8年開校、昭和44年閉校(S.43 西益田小学校に統合)。
離村時期は閉校数年後と思われるが、1戸が長らく残られた。

 

かつての校地正面階段が復元され、
その上に屋根付きの「猪木谷学校跡 S.43年廃校」と刻まれた碑が建っていた。

 

碑のそばにクルマを停めて、少し手前のサクラの樹が植えられた棚田跡に足を運んだ。
整った集落跡の様子に、地域の方がこの地を大切にしているとを感じた。

 

 

 画像1:猪木谷・屋根がついた学校跡地の碑

 

     
 画像2:学校跡から棚田跡へと歩いて向かう

 

 

 画像3:サクラの樹が植えられた棚田跡

 

  (2018年4月8日(日)午前10時5分〜10時15分頃)
 

島根県益田市 猪木谷(その1)

  • 2018.04.25 Wednesday
  • 07:12

平成30年4月、山口県萩諸島改め島根県益田市近辺の廃校廃村を目指す旅。
飯浦からは石見空港のそばを通るルートでR.9に出て、コンビニで各自昼食を調達し、
R.488匹見川沿いの猪木谷入口に到着したのは9時45分頃。
猪木谷(いのきだに)にはおきのくにカー、ハマちゃんカーの2台で向かった。
おきのくにさんは
「島根県へき地の道路舗装率は良く、今回訪ねる廃村に通じる道はすべて舗装されているが、
道幅が狭い箇所が数か所ある」と話された。

 

幅の狭い坂道を上っていくと、新しい屋根付きの碑が視界に入った。

クルマを停めて確認すると、
左側の碑は「想い出の里 猪木谷」(離村記念碑、平成23年竣工)、
右側の碑は「猪木谷林道竣工 昭和25年」と刻まれていた。
屋根がある碑は珍しいが、積雪に備えてのものなのだろう。
おきのくにさんは十数年前にも猪木谷を訪ねており、新しい碑に驚かれていた。

 

 

 画像1:猪木谷・屋根がついた離村記念碑

 

 

 画像2:猪木谷林道竣工 記念碑

 

 

 画像3:碑のすぐそば、猪木谷川の流れ

 

  (2018年4月8日(日)午前9時55分〜10時頃)
 

萩漁港から益田市へ

  • 2018.04.23 Monday
  • 07:07

平成30年4月、山口県萩諸島の無住化した離島 尾島(おじま)、羽島(はじま)と
ごく少数戸が残るらしい櫃島(ひつしま)をめざす旅、
4月8日(日)、起床は未明5時15分、天気は曇。
宿近くのファミレスで朝食をとった後、電話の天気予報で確認すると
「西の風が強く、波の高さは2.5メートル」とのこと。

 

萩漁港到着は朝7時。船長が待っていてくれたが、
突堤に吹く風は相変わらず強く「これはダメですね」と諦めがついた。
島にかかわる話をした後、
「またの機会にはよろしくお願いします」といって船長とは別れた。

島に行けなかったときの代替案として、
比較的近い島根県益田市近辺の廃校廃村(猪木谷など全部で6か所)を
探索できるよう備えていたので、
頭をそちらに切り替えた。

 

道の駅 萩に移動して行程調整ミーティング。
メンバーは計6名。
おきのくにさんと亀山さん(山口廃校休校管理人)は廃校探索、
ふたつぎさんと、ハマちゃん、トンちゃんは廃墟探索が専門分野。
クルマは全部で4台。
皆の嗜好性や帰路のルートを考えながら大筋のルートを決めた。

 

萩諸島(羽島・肥島)_180408.jpg

 

 画像1:萩市郊外(串山崎付近)から見た萩諸島
    左から本土(虎ヶ崎)、羽島、肥島(無人島)で、
    肥島の後左手に相島(有人島)、右手に尾島が見える。

 

羽島_180408.jpg

 

 画像2:羽島(拡大)
    羽島は萩漁港から5辧虎ヶ崎から1.5劼曚匹両貊蠅砲△襦
    島からは、本土がすぐそばのように見えるという。

 

尾島_180408.jpg

 

 画像3:肥島と尾島(拡大)
    尾島は萩漁港から10辧虎ヶ崎からだと6劼曚匹両貊蠅砲△襦
    島々は火山性安山岩でできているので、
    周囲は絶壁状で、島の中は平たくなっている。

 

  (2018年4月8日(日)午前7時50分頃)
 

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