山口県萩市 羽島(その3)

  • 2019.06.03 Monday
  • 07:14

平成31年4月、山口県 萩諸島の無住化した離島 羽島(はじま)の探索、
海洋パークセンターの探索は、それぞれのペースで行った。
案内板には3つの建物(1号棟、2号棟、3号棟)と4つの広場(運動広場、園地広場、コミュニティー広場、いこいの広場)、テントサイト、トイレなどが記されている。


建物は3つとも残っていて、すべて往時の民家を再利用したものだった。

1号棟は管理棟で、入口の壁には用具貸出料金表が貼られていた。
広場は往時のタバコ畑のはずだが、草や雑木が茂ってその面影は感じられなかった。
1号棟の裏手には3台ほどの軽トラが朽ちていて、給水タンクも見られた。
私は見つけられたなかったが、旗ポールやトイレも見られたとのこと

 

おきのくにさん、ふたつぎさんとの無住化した島への旅は、かれこれ5回目(船を出せなかった前回を含む)、
一緒に訪ねた学校跡がある島は全部で10島になった。
かめさんは、山口県内最難関の学校跡所在地に行くことができ、「念願がかなった」とのこと。
ハマちゃん、トンちゃん、ウメちゃんも「ディープな旅ができた」とのことだった。
「しぶとく取り組めば、願いがかなうこともある」、そんなことを私は思った。

 

 

 画像1:羽島・海洋パークセンターの建物(1号棟=管理棟)は、民家を再利用したものだった 

 

 

 画像2:奥まった場所に残る3号棟

 

 

 画像3:羽島港外・舳先からのんちゃん丸に乗り込む 

 

  (2019年4月14日(日)午後1時30分〜2時30分頃)

 

山口県萩市 羽島(その2)

  • 2019.06.02 Sunday
  • 06:55

平成31年4月、山口県 萩諸島の無住化した離島 羽島(はじま)の探索、
港からクルマが通れる幅があるやや荒れた道を上がると、羽島海洋パークセンターの案内板、南無阿弥陀仏と刻まれた石碑、観音堂とお地蔵さんが見つかった。
案内板には「閉鎖中」の標示があったが、再開されることはないことだろう。

 

大島小学校羽島分校は、へき地等級5級、児童数19名(S.34)、明治18年開校、昭和40年閉校。
地形図の文マークは港の近くに記されている。
お地蔵さんの横方向に、藪に埋もれた門柱が見つかった。
写真を撮るにあたって、おきのくにさんが鎌で藪を刈り、私、ふたつぎさん、かめさんはそれを運び出した。
校舎は観音堂の背後にあったと思われるが、石垣と平地が見られるだけだった。

 

 

 画像1:羽島・海洋パークセンターの案内板

 

 

 画像2:無阿弥陀仏と刻まれた石碑、観音堂とお地蔵さん

 

 

 画像3:藪に埋もれた羽島分校の門柱(かめさん撮影)

 

 

 画像4:藪刈りをした後の羽島分校の門柱

 

  (2019年4月14日(日)午後1時10分〜1時20分頃)

 

山口県萩市 羽島(その1)

  • 2019.06.01 Saturday
  • 07:06

平成31年4月、山口県 萩諸島の廃校廃村探索、
櫃島に続いては、南方向 約6劼砲△覬島(はじま)へ向かった。
羽島は面積0.27k屐標高22m。本土の虎ヶ崎からは2匱紊靴離れていない。
昭和35年には10戸84名の暮らしがあったが、昭和46年8戸44名が集団移転して無住化した。

 

天気予報の通り、午後からはやや波が高くなり、船の揺れが大きくなった。
のんちゃん丸は櫃島−羽島間にある肥島に立ち寄り、釣りの方2人が加わった。

 

萩諸島は、定期船が通う沖合の見島、比較的本土に近い大島、相島に
尾島、羽島、櫃島、肥島を加えた七島からなり、
見島を除く六島は、昭和30年まで阿武郡六島村という自治体だった。
現在(H.29)、大島には約700名、相島には約200名の暮らしがある。

 

羽島到着は午後1時。やはり港には入らず、石積みを補強したコンクリ堤防に舳先をつけて上陸した。
島の探索予定は1時間30分。釣りの方2人も一緒に羽島で降りた。
港の風景は尾島はもちろん、櫃島よりも穏やかに見えた。
無住化した後、羽島の民有地は山口県と萩市によって購入され、昭和56年には羽島海洋パークセンターが開設されたが
長続きはせず、平成7年には休止になった。

 

 

 画像1:羽島・港の風景(その1)
     台地上にある集落跡へ向かう坂道が見える

 

 

 画像2:羽島・港の風景(その2)
     釣りの方とのんちゃん丸の先には虎ヶ崎(本土)が見える

 

 

 画像3:羽島・港の風景(その3)
     防波堤の先には、萩市街がある

 

 (2019年4月14日(日)午後1時〜1時5分頃)

 

山口県萩市 櫃島(その5)

  • 2019.05.24 Friday
  • 06:20

平成31年4月、山口県 萩諸島の無住化した離島 櫃島(ひつしま)の探索、
昼食休みは、集落唯一の新しい建物 櫃島地域間交流施設に集まって取った。
萩諸島観光関係のWebでは、櫃島は有人島として扱われていて、
「定期船はなく、萩−櫃島海上交通組合 が本土との往復を行っている」と記されている。

また、地域間交流施設は、希望すれば宿泊することも可能という。

 

昼食休み後は、集落中央の三差路そばの3つ並んだ蔵の前で集合写真を撮り、各自のペースで港を目指した。
私は単独で分校跡と神社に足を運んで、かめさんと一緒に手前のハッサク畑の中に建っている家屋を確認すると、最後尾になったようだ。
帰り道、港を見下ろすと、メンバー5人が待っていた。
港の先には短い間しか人は住まなかった肥島の姿がはっきり見えた。

 

 

 画像1:櫃島地域間交流施設で昼食休みを取る(かめさん撮影)

 

 

 画像2:集落中央の三差路そば、3つ並んだ蔵が建つ

 

 

 画像3:ハッサク畑の中に建っている家屋

 

 

 画像4:櫃島港で待つメンバー5人(先に見える島は肥島)

 

 (2019年4月14日(日)午前11時30分〜12時30分頃)
 

山口県萩市 櫃島(その4)

  • 2019.05.23 Thursday
  • 06:16

平成31年4月、山口県 萩諸島の無住化した離島 櫃島(ひつしま)の探索、
集落中央の三差路を左側に分かれた道は、かつてのタバコ畑へと続いている。
5人でしばらく歩いてみたが、集落のそばに植え付けがされていない畑があるだけで、後は草生した平地が広がるだけだった。

 

ふたつぎさんと二人で枝道へと入っていくと、ハッサク畑にたどり着き、
家屋の裏から廃道状態の道を進むと、集落中央の池と水神様がある場所にたどり着いた。

 

 

 画像1:かつてのタバコ畑(草生した平地)

 

 

 画像2:廃道状態の枝道を進む

 

 

 画像3:集落中央の池と水神様

 

 (2019年4月14日(日)午前11時〜11時20分頃)
 

山口県萩市 櫃島(その3)

  • 2019.05.22 Wednesday
  • 05:57

平成31年4月、山口県 萩諸島の無住化した離島 櫃島(ひつしま)の探索、
分校の隣の神社(八幡宮)は、参道が草生していたが、石造りの鳥居、拝殿、本殿ともに整っていた。
境内のリュウキュウエノキは日本最大級のものらしい。
分校と神社の間には畑があって、分校の対面の家屋には使われている感じの耕運機が見られた。

 

 

 画像1:櫃島八幡宮・石造りの鳥居と、その横の畑

 

 

 画像2:八幡宮・本殿は整った姿で残っていた

 

 

 画像3:八幡宮・木橋で結ばれた拝殿と本殿

 

 

 画像4:八幡宮・境内のリュウキュウエノキ

 

 (2019年4月14日(日)午前10時40分〜10時50分頃)
 

山口県萩市 櫃島(その2)

  • 2019.05.20 Monday
  • 06:45

平成31年4月、山口県 萩諸島の無住化した離島 櫃島(ひつしま)の探索、
大島小学校櫃島分校は、へき地等級5級、児童数28名(S.34)、明治18年開校、昭和40年閉校。
「どこにあるのか」と思っていた分校跡は、集落中央の三差路を右側に分かれた道の終点近くにあって、木造校舎が整った姿で残っていた。

 

尾島、櫃島、羽島の小学生は、分校の閉校後、萩市内の寄宿舎に入らなければならなくなり、このことが過疎を加速させたという。
校舎の周囲を探索すると「櫃島分教場 新築記念」と刻まれた石碑が見つかった。

 

 

 画像1:櫃島分校跡・木造校舎を見つける

 

 

 画像2:木造校舎は整った姿で残っていた

 

 

 画像3:校地の片隅に「櫃島分教場 新築記念」の碑が建つ(昭和11年建立)

 

 (2019年4月14日(日)午前10時15分〜10時40分頃)
 

 

山口県萩市 櫃島(その1)

  • 2019.05.19 Sunday
  • 07:02

平成31年4月、山口県 萩諸島の無住化した離島の探索、
尾島に続いては、東北東方向 5劼曚匹砲△諫づ隋覆劼弔靴沺砲惴かった。
櫃島は面積0.83k屐標高90m。昭和35年には13戸98名、平成7年でも7戸14名の暮らしがあったが、平成17年頃から定住される方はいなくなった。

 

櫃島到着は9時45分。やはり港には入らず、コンクリ堤防を補強したテトラポットに舳先をつけて上陸した。
島の探索予定は、昼食休みも含めて2時間45分。港には島の方の船が停まっていて、台地上にある集落には軽トラで行き来している。
道を歩いていると、島の方の軽トラと出会ったので、ご挨拶をして話したところ、台地上ではハッサク畑があるとのこと。
また、カラスを除けるため、8分に一度、発砲音が鳴るとのことだった。

 

春の花や廃車を見ながら坂道を上ると,港から15分ほどで台地上にある集落にたどり着いた。
多くの家々が建っているが人の気配はなく,無住化していることが実感できた。
背の高い2階建ての蔵は,タバコの乾燥に使われていたらしい。

 

 

 画像1:櫃島港には、島の方の船が停まっていた

 

 

 画像2:行く手にハッサク畑と背の高い2階建ての蔵が見えた

 

 

 画像3:集落には無住の家々が建っていた

 

 (2019年4月14日(日)午前9時50分〜10時10分頃)
 

山口県萩市 尾島(その3)

  • 2019.05.18 Saturday
  • 06:19

平成31年4月、山口県 萩諸島の無住化した離島 尾島(おしま)の探索、
事前の調べでは、尾島に残る建物は校舎のみで、他に何が残っているかは「行ってみてのお楽しみ」だった。
港の岸壁は崩れていて、集落跡は藪に埋もれていた。
「地理院地図」Webの地形図には岸壁から1劼曚匹梁翆肋紊膨撒錺沺璽が記されており、目指して行くにはちょうど良い。

 

藪をかき分けて往時の道をたどったが、ウメちゃんとトンちゃんは体力温存のため途中で撤退した。
所々に藪が厳しい箇所があったが、ササやタケがわずかだったのは幸いだった。
2回ほど切り返し、たどり着いた台地の上を心当たりの方向に進むと、「大歳宮新築之碑 昭和三年」と刻まれた石碑が見つかった。
神社跡には手水鉢、鳥居、本殿など、思いがけないほどたくさんのものが残っていた。

 

 

 画像1:尾島・港の岸壁は崩れていた

 

 

 画像2:集落跡から神社跡まで、藪をかき分けて往時の道をたどる

 

 

 画像3:緑に埋もれた神社跡に、石碑が残っていた

 

 

 画像4:神社跡の石碑には「大歳宮新築之碑」と刻まれていた(昭和3年10月建立)

 

 (2019年4月14日(日)午前8時5分〜8時50分頃)

山口県萩市 尾島(その2)

  • 2019.05.17 Friday
  • 06:42

平成31年4月、山口県 萩諸島の無住化した離島 尾島(おしま)の探索、
港の西側には、今も校舎が残る尾島分校跡がある。
相島小学校尾島分校は、へき地等級5級、児童数16名(S.34)、明治18年開校、昭和40年閉校。
6人が校庭の茂みを分けて歩いて行く中、私は堤防の端まで歩いて、
ガレキを歩く形で校舎へと向かった。

 

校舎のうち、海に近い部分は崩壊しており、山に近い部分もガレキだらけになってはいたが、
教室、廊下、トイレなど、往時の様子がよくわかった。
おきのくにさんは校舎の図面をもっていて、いちばん海に近い部分は教員住宅だったとのこと。
ガレキの中を探索すると、浴槽など水回りが見つかった。

校舎から山側へ少し進むと、墓石を見つけることができた。

 

 

 画像1:尾島分校跡・3分の1ほどになりながらも校舎が残る

 

 

 画像2:教室、廊下など、往時の様子がわかった

 

 

 画像3:トイレなどがある校舎の裏手(山側)を外から見る

 

 (2019年4月14日(日)午前7時40分〜8時頃)
 

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