宮崎県えびの市 吉牟田(その2)

  • 2018.02.07 Wednesday
  • 06:47

平成30年1月、宮崎県の廃校廃村探索2日日、
かつては営林事業に係わった高度過疎集落 吉牟田(よしむた)の探索、
集落の田畑は部分的に使われているようだが、人の気配はない。
代わりに遠くからイヌの鳴き声が聞こえてきた。
「地理院地図」Webにまとまった家屋が記されているところまでクルマを進めると、
道の真ん中にシカがいて通せんぼされた。

 

クルマを停めて大きめの農作業小屋という感じの家屋に足を運ぶと、
中ではラジオが鳴っていたが、「ごめんください」という問いかけに返事はなかった。

 

最後に分校裏手の丘にある神社に足を運び、鎮守様にご挨拶したところ、
戻り道でブランコ、回旋塔、雲梯といった分校跡らしい遊具を見ることができた。
後で住宅地図を調べたところ、吉牟田の戸数は2戸まで減少しているらしかった。

 

 

 画像1: 吉牟田・「弘法大師」という標札がある神社

 

 

 画像2: 神社からの戻り道、回旋塔、雲梯などの遊具を見ることができた

 

 

 画像3: 吉牟田で回旋塔に出会えるとは思わなかった

 

  (2018年1月7日(日)午後3時40分〜50分頃)

 

宮崎県えびの市 吉牟田(その1)

  • 2018.02.06 Tuesday
  • 07:18

平成30年1月、宮崎県の廃校廃村探索2日日、
巣之浦官行からはレンタカーを取りにえびの飯野駅に戻り、
ムーヴ先行のクルマ二台体勢で吉牟田(よしむた)へ向かった。
しかし、吉牟田までの道はピストンなので、途中、石積みの橋のところで
「この先は一台に戻りましょうか」とクルマを停めた。
この石橋は水道橋だと思っていたが、後に森林軌道跡の橋であることがわかった。

 

その先の最寄り集落 鍋倉では「吉牟田9km」という手作りの案内板があった。
舗装はしているけれど、分水嶺越えもある吉牟田までの道は歯応えのあるものだった。
吉牟田到着は午後3時30分頃、人の気配はなかったが、
建物が立ち並ぶ集落らしい風景は、探索2日目の締めにはちょうどよいものだった。

 

大河平小学校吉牟田分校は、へき地等級4級、児童数18名(S.34)、
大正13年開校、昭和54年閉校。
『ここに学校があった』に載っている池はすぐに見つかり、
その奥にはキャンプ場の施設があった。
平地の隅に残るバスケットボールのゴールは、分校跡らしさを醸し出していた。
キャンプ場の運営者は「吉牟田活性化委員会」とあったが、
壊れた自販機が放置されているなど、使われていない感が強かった。

 

 

 画像1: 吉牟田・分校ゆかりの池はすぐに見つかった

 

 

 画像2: 分校跡の敷地は、キャンプ場に転用されていた

 

 

 画像3: 分校跡の一角にはバスケットボールのゴールが残っていた

 

  (2018年1月7日(日)午後3時30分〜40分頃)

 

宮崎県小林市 巣之浦官行(その2)

  • 2018.02.05 Monday
  • 06:31

平成30年1月、宮崎県の廃校廃村探索2日日、
探索は困難と思われる巣之浦官行(すのうらかんこう)営林集落跡だが、
それでもしぶとく痕跡探しをしていると、
三差路のすぐ脇のスギ林の中にレンガ造の構造物が見つかった。
この構造物が何なのかはわからなかったが、集落跡の痕跡らしいものが見つかり、
ひと息つくことができた。

 

後で五万地形図(霧島山、S.35)を確認したところ、
文マークや集落があった様子は記されてなかったが、
すぐそばに小林駅からの森林軌道が走っており、
構造物は、何かしら巣之浦官行と係わりがあるものと見て良さそうな感じがした。

 

 

 画像1: 巣之浦官行 営林集落跡に関係すると思われるレンガ造の構造物

 

 

 画像2: 構造物のそばには、魔法瓶のようなものが見られた

 

  (2018年1月7日(日)午後2時15分頃)

 

宮崎県小林市 巣之浦官行(その1)

  • 2018.02.04 Sunday
  • 07:21

平成30年1月、宮崎県の廃校廃村探索2日日、
狗留孫神社に続いて、訪ねることになった巣之浦官行(すのうらかんこう)は、
旅の1日前(1月5日(金))、『ここに学校があった』を読んでいて
「廃村千選」の条件を満たす営林集落として、新たに見つけたものだった。

 

巣之浦官行は、えびの高原へと向かう道の途中、
枝道の林道に入って1kmほどの場所にあると想定される。

西小林小学校巣之浦分校は、へき地等級無級、児童数31名(S.34)、昭和9年開校、同35年閉校。
『ここに学校があった』には巣之浦林道ともうひとつの林道との三差路そばのスギ林が

分校跡付近の写真として掲載されている。
手前途中にあるゲートは開いていて、あっけなく三差路までたどり着いた。

 

三差路付近の林道の周囲は比較的なだらかで、何かあったとしてもおかしくはないが、
確証が得られそうな感じがしない。
そのうちに古い地形図を持ち合わせていないことが判明し、
砂浜でイヤリングを探しているような気分になった。

 

 

 画像1: 巣之浦官行へ向かう林道のゲートは閉ざされていなかった

 

 

 画像2: 営林集落跡想定地をあてどもなく歩く

 

  (2018年1月7日(日)午後2時頃)

 

宮崎県えびの市 鉄山(その2)

  • 2018.02.03 Saturday
  • 07:50

平成30年1月、宮崎県の廃校廃村探索2日日、
最初の目標、鉄山(てつやま)営林集落跡の探索、
飯野小学校鉄山分校は、へき地等級2級、児童数26名(S.34)、昭和22年開校、同38年閉校。
「ここに学校があった」には鉄山分校跡に残された噴水塔の写真が掲載されている。
これを何とか見つけるべく、心当たりの平地を探索したところ、
多くの石垣のほか、水周りのようなコンクリの建造物と神社(祠)の跡を見つけることができた。

 

後に噴水塔は、集落跡下手の川向こうにあることがわかった。
そこは足を運ぼうとして川の流れの真ん中まで行ったけど、
「何もないだろう」と引き返した場所だった。
鉄山は、集落跡には行けたけれども、リベンジが必要な場所となった。
可能であれば、さらに奥の大平尾(おおひらお)営林集落跡行きにあわせてリベンジしたいところだ。

 

 

 画像1: 鉄山集落跡、「学校跡かも」と思った上手の平地

 

 

 画像2: 上手の平地には、水周りのようなコンクリの建造物

 

 

 画像3: 上手の平地、川向こうでは、神社の跡を見つけることができた

 

  (2018年1月7日(日)午前10時〜10時10分頃)

宮崎県えびの市 鉄山(その1)

  • 2018.01.31 Wednesday
  • 07:13

平成30年1月、宮崎県の廃校廃村探索2日日、
西都城の宿での起床は未明5時半。ほんのり二日酔いっぽかったが、朝風呂と朝食で何とか乗り切る。
身支度をして夜明け頃西都城を出発し、えびの飯野駅に到着したのは8時25分。
まもなくむっちーさんの軽の箱バン(ハイゼット)が到着した。

 

最初の目標、鉄山(てつやま)営林集落跡は、飯野市街から13kmほど、鉄山(山の名前)西側の渓谷沿いにある。
むっちーさんのクルマに便乗し、走った鉄山へ向かう道(鉄山林道)は概ねダートで、取り付きにくかったけれども路面は整っていた。

鉄山手前1.5kmほどの場所には閉ざされたゲートがあって、案内板には熊本森林管理署の名前が入っていた。
「こりゃ歩くしかないですね」とクルマを停めて先へと進むと、やがて右手渓谷沿いのスギが生えた平地に石垣が見出された。

 

 

 画像1: 鉄山へ向かう林道のゲートは閉ざされていた

 

 

 画像2: むっちーさんと二人で、鉄山林道を歩く

 

 

 画像3: スギが生えた平地に石垣が見出された

 

  (2018年1月7日(日)午前9時20分〜10時頃)

宮崎県日南市(旧北郷町) 板谷(その2)

  • 2018.01.30 Tuesday
  • 07:19

平成30年1月、新春いちばん、宮崎県の廃校廃村探索1日日、
農山村の廃村 板谷(いたや)では県道(33号都城北郷線)沿いの山の斜面に、
バス停、郵便ポスト、案山子など多くのアートが置かれた空間を見つけた。
後で調べたところ、板谷出身の方が1年かがりで制作されたもので、
斜面にはサクラの苗木が植えられているらしい。

 

奥のほうには作業小屋も建っていたが、誰かに出会うことはなかった。
作業小屋横の休憩所には
「人生は山有り谷有り 楽しくやろう 板谷」と記された椅子があった。

 

板谷を出発し、矢立トンネルを越えて、県道をまっすぐ西に進み、
この日の宿がある西都城には午後3時35分頃到着した。

 

 

 画像1: 板谷・山の斜面に案山子など多くのアートが置かれていた 

 

 

 画像2: 案山子たちの先には作業小屋が建っていた

 

 

 画像3: 作業小屋横には休憩所があった

 

  (2018年1月6日(土)午後2時55分頃)

 

宮崎県日南市(旧北郷町) 板谷(その1)

  • 2018.01.29 Monday
  • 07:14

平成30年1月、新春いちばん、宮崎県の廃校廃村探索1日日、
家一郷・椿山キャンプ場跡からは、平成26年5月にも訪ねた農山村の廃村 板谷(いたや)を目指した。
広渡(ひろと)ダムの建設(平成5年竣工)に伴う廃村(昭和59年頃離村)で、
前回訪ねたときは痕跡の少なさに「村跡を消すかのようだ」と思ったものだった。

 

広渡ダムの管理事務所でダムカードをいただき、ダム資料館には足を運んだが、
板谷に係わる資料は見当たらなかった。
続いてダム堤体から2.5劼曚評綣蠅砲△訃学校跡に立ち寄った。
板谷小学校は、へき地等級2級、児童数75名(S.34)、明治40年開校、昭和44年閉校。
4年前(平成26年)は荒れた平地だった学校跡は材木置き場になっており、

「かつて学校があった」という気配は感じられなかった。

 

 

 画像1: 板谷小学校跡(その1:4年前の荒れた平地)

 

  (2014年5月4日(日)午前11時30分頃)

 

 

 画像2: 板谷小学校跡(その2:材木置き場)

 

  (2018年1月6日(土)午後2時45分頃)

 

 

 画像3: 板谷小学校跡(その3:材木置き場を県道から見下ろす)

 

  (同 午後2時50分頃)
 

宮崎県宮崎市 家一郷(その2)

  • 2018.01.28 Sunday
  • 07:08

平成30年1月、新春いちばん、宮崎県の廃校廃村探索1日日、
椿山キャンプ場となった家一郷(かいちごう)営林集落跡、クルマを停めて探索すると、
閉ざされたキャンプ場の入口に「家一郷製品事業所跡」の碑が見つかった。
碑の裏面には「昭和28年〜47年」と刻まれており、
営林集落の離村時期は昭和47年と推測することにした。

 

その後、平成3年に市営で開設されたキャンプ場は、平成21年に指定事業者制に替わり、

平成28年9月に閉鎖されたことがわかった。

まだ穏やかな山の空気に包まれたキャンプ場跡だが、「これからだんだん荒れてくるのかな」と思うと心が痛む

 

 

 画像1: 椿山キャンプ場跡入口に「家一郷製品事業所跡」の碑が見つかった

 

 

 画像2: 碑の裏面には「昭和28年〜47年」と刻まれていた

 

 

 画像3: キャンプ場跡では、ツバキの花が見られた

 

 (2018年1月6日(土)午後1時20分〜1時40分頃)

宮崎県宮崎市 家一郷(その1)

  • 2018.01.27 Saturday
  • 07:18

平成30年1月、新春いちばん、宮崎県の廃校廃村探索1日日、
JR内海駅で短い昼食休みをとった後は、もうひとつの目標 家一郷(かいちごう)を目指した。

 

鏡洲小学校家一郷分校は、へき地等級2級、児童数40名(S.34)、昭和28年開校、同39年閉校。
五万地形図(日向青島、S.44)に「家一郷」と記されているのは東家一郷で、
分校があった家一郷は東家一郷から5km渓谷沿いをさかのぼった地名が記されていない場所だった。
このことに気がついたのは、この旅の計画を煮詰めているうちのことだった。

 

R.220から宮崎学研都市を通って県道(27号宮崎北郷線)に抜け、
椿山キャンプ場となった家一郷集落跡に到着したのは午後1時10分頃。
『ここに学校があった』に載っている分校跡の碑は駐車場のそばにあり、
簡単に見つけることができた。

 

 

 画像1: 家一郷・分校跡の碑は駐車場のそばに建っていた             

 

 

 画像2: 分校跡の碑には校歌が刻まれていた

 

 

 画像3: 分校跡地から駐車場を見下ろす

 

 (2018年1月6日(土)午後1時10分〜1時20分頃)

calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< December 2018 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

recommend

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM