片内 再訪

  • 2019.02.22 Friday
  • 07:00

平成31年1月中旬、南九州の廃村探索4日目(最終日)、
西都市片内の民宿「かたすみ」での起床は朝7時。
この日は特に予定を入れていない。

 

まず、keikoと一ツ瀬発電所まで散歩した後に朝食をとり、続いて兄ちゃんと裏の山上にある片内小学校跡を目指して歩いた。
片内(本流瀬)は発電所関係の廃村で、小学校は昭和41年まで存続した。
2度訪ねて慣れているはずの山道だが、昨秋の台風の影響で荒れており、V字の折返しを見つけることができず、小学校跡にたどり着くことはできなかった。

 

 

 画像1:民宿「かたすみ」、片内(本流瀬)で唯一残る民家でもある

 

 

 画像2:一ツ瀬発電所の下手、一ツ瀬川の流れ

 

 

 画像3:片内小学校跡への山道分岐付近、教員住宅跡の家屋

 

  (2019年1月15日(火)午前7時20分〜9時40分頃)

 

宮崎県西米良村 尾股

  • 2019.02.21 Thursday
  • 06:54

平成31年1月中旬、南九州の廃村探索3日目、
田代八重に続いて訪ねた営林集落の廃村 尾股(おまた)も平成25年8月以来6年ぶり。
国道265号は尾股へ向かう道にも「全面通行止」の標示板があって焦ったが、祝日のためか休工中で、何とか先に進むことができた。
前回は西米良方面からむっちーさんのクルマに便乗して訪ねたが、今回は須木方面から自走での訪問。
国道265号のこの区間が「酷道」ということを思い知らされた。

 

へき地5級の木造校舎にも再会できたが、前回の夏に対し今回は冬。
到着した時刻(夕方4時過ぎ)には日影になっており、寒々しい感じがした。
それでも標高400m超の地にして路面凍結の心配はなく、南九州の暖かさが実感できた。

 

 

 画像1:国道265号 田代八重−尾股間、全面通行止の案内板

 

 

 画像2:昭和53年まで開校していた尾股小学校(閉校後41年目)

 

 

 画像3:ほのかに往時の面影が残る教室

 

  (2019年1月14日(月祝)午後4時5分〜4時15分頃)

 

宮崎県小林市(旧須木村)田代八重

  • 2019.02.20 Wednesday
  • 06:06

平成31年1月中旬、南九州の廃村探索3日目、
須木−田代八重(たしろばえ)間は、国道265号 輝嶺峠ルートが通行止のため、熊本県槻木経由ルートを走ることになった。
後で調べたところ、輝嶺峠ルートは19辧槻木経由ルートは38劼世辰拭

 

多良木町槻木(つきのき)は、熊本県にありながら太平洋に注ぐ大淀川水系槻木川沿い、田代八重の上流部に位置する。
「限界集落の活性化」のため現役世代が移住した槻木では、小学校が平成26年から同29年7月まで再開校していた。
意外に大きな校舎や体育館がある校地には、近々診療所が移転してくるとのことだった。

 

宮崎県に戻ってすぐ、営林集落の廃村 田代八重は平成25年8月以来6年ぶり。
前回は田代八重ダム湖の渇水時期に訪ねたため、学校跡の平地まで行くことができたが、
今回は「学校跡はこのあたりだったかな」と確認してやっとわかるぐらいになっていた。

 

 

 画像1:国道265号 須木・木浦木・田代八重の三差路にあった全面通行止の案内板

 

 

 画像2:平成29年7月まで開校していた槻木小学校(休校中)

 

 

 画像3:ダム湖に沈んだ田代八重・学校跡付近

 

  (2019年1月14日(月祝)午後2時35分〜3時50分頃)

 

宮崎県小林市 木浦木

  • 2019.02.08 Friday
  • 06:45

平成31年1月中旬、南九州の廃村探索3日目、
赤松からは、2番目の初訪 農山村(営林関係)の廃村 木浦木(きうらぎ)へと向かった。赤松と木浦木を結ぶ木浦木林道には、10勸幣紊離澄璽箸あり、その走りごたえは記憶に残るものだった。

 

住宅地図から調べた木浦木の離村時期は平成5年頃。『ここに学校があった』には「昭和56年に全戸引き揚げた」とある。
浜ノ瀬ダムの着工は平成6年、竣工は平成26年なので、離村の要因がダム建設なのかどうかは微妙なところである。

 

小林小学校木浦木分校(のち木浦木小学校)は、へき地等級3級、児童数70名(S.34)、明治31年開校、昭和51年閉校。
少しだけ上流側の神社(山之神神社)は堂々としたものに新築されていたが、学校跡はギリギリの線で水没していた。
渇水期に来たら別の印象を受けたかもしれない。
神社の一角でやや遅めの昼食休みをとっていると、「数十年ぶりに来た」という元住民の方と出会うことができた。

 

 

 画像1:木浦木・学校跡はギリギリの線で水没していた

 

 

 画像2:スギ林となった住宅の跡地

 

 

 画像3:真新しい社殿が建つ山之神神社

 

  (2019年1月14日(月祝)午後1時35分〜55分頃)
 

宮崎県小林市 赤松

  • 2019.02.07 Thursday
  • 06:47

平成31年1月中旬、南九州の廃村探索3日目、
鉄山からは、国道で小林市街をかすめて、1番目の初訪 営林集落の廃村 赤松(あかまつ)を目指した。
五万地形図、郵便区全図には赤松の記述はまったくないが、直前の調べで、岩瀬川の向こうに戸数20戸(S.31)の官行集落(営林集落)があったことがわかった。

 

小林小学校赤松分校は、へき地等級2級、児童数46名(S.34)、昭和21年開校、同42年閉校。分校跡は県道の終点、境谷林道と木浦木林道の起点、官行集落へ向かう道の四差路付近にあり、むっちーさんは通過はしているが、分校があるとは思いもよらなかったとのこと。
心当たりの場所の探索すると、小さな川の向こうに往時の校舎の壁と基礎、便槽を見つけることができた。
官行集落跡への枝道の先には、浜ノ瀬ダム関係の施設があるような感じだった。

 

 

 画像1:赤松・分校跡は2つの林道の起点、四差路付近にある

 

 

 画像2:小さな川の向こうで見つかった校舎の壁と便槽

 

 

 画像3:官行集落跡へ向かう枝道

 

  (2019年1月14日(月祝)午前11時35分〜50分頃)
 

鉄山 再訪

  • 2019.02.06 Wednesday
  • 06:50

平成31年1月中旬、南九州の廃村探索3日目、
宿(妙見温泉きらく温泉)での起床は5時半頃。
まだ暗い中、露天風呂を楽しむ。
妻の兄運転のレンタカーで、宿近くのJR嘉例川駅まで走り、再びむっちーさんと合流。
クルマ2台で走る川内川沿いの国道は、霧に包まれていた。

 

県境を越えて目指す営林集落の廃村 宮崎県えびの市鉄山(てつやま)は昨年1月以来1年ぶり。
飯野小学校鉄山分校は、へき地等級2級、児童数26名(S.34)、昭和22年開校、同38年閉校。
前回の探索で見つからなった鉄山分校跡の噴水塔は、集落下流部の川向こうにあったことを確認している。

 

鉄山川の水量は予想よりも多かったが、昨秋の台風に由来すると思われる倒木を利用して川を渡ることができた。
人数が多いと動きやすくてよい。
分校跡の平地を探索したところ、下流側の隅に高さ約2mの噴水塔が見つかった。
すぐ上の段には校舎の基礎が残っていた。

 

 

 画像1:鉄山・営林集落跡に湯呑みが残っていた

 

 

 画像2:鉄山川には複数の倒木が架かっていた

 

 

 画像3:リベンジで見つけた鉄山分校跡の噴水塔

 

  (2019年1月14日(月祝)午前9時40分〜10時頃)
 

国見 再訪

  • 2019.02.04 Monday
  • 06:49

平成31年1月中旬、南九州の廃村探索1日目、
農山村の廃村 鹿児島県湧水町(旧栗野町)国見(くにみ)は平成25年3月以来6年ぶり。
分校跡はT字路の幸田寄りにあることを確認している。

 

苔むした法面を右側から上がると灌木が茂る平地があって、分校跡地の碑が見つかった。
分校跡は尾根の上にあり、門柱とコンクリ階段、校舎の基礎が残っていた。
尾根を先に進むと、そこに神社があったことを示す往時の石碑が残っていた。

 

前回、単独での探索時は、1軒だけ現住の家屋があったが、
再訪時の様子だと、無住となって久しい様子だった。

 

 

 画像1:国見分校跡碑
    幸田小学校国見分校は、へき地等級1級、児童数28名(昭和34)、明治30年開校、昭和44年閉校
    碑の建立は閉校時(昭和44年3月)
    碑の表面に工事費が明記されている(町5万、国見校区3万)

 

 

 画像2:神社があったことを示す往時の石碑
    「天神様碑」「昭和4年」と、文字が浮き上がるように掘られているのだが
    はっきりとは読めなかった

 

 

 画像3:無住となって久しい様子の家屋
    門柱の前にはシキミが育っていた

 

 (2019年1月12日(土)12時55分〜午後1時40分頃)
 

新島 再訪

  • 2019.01.20 Sunday
  • 07:00

平成31年1月中旬、南九州の廃村探索2日目、
離島の廃村 鹿児島市(旧桜島町)新島(しんじま)は平成25年4月以来6年ぶり。
前回、単独での探索時はわずかな住民(2戸4名)がいたが、その年の8月に無住化している。
今回は、東さん夫妻主宰のNPO法人「ふるさと再生プロジェクトの会」の活動にあわせて
係わりがある方 総勢22名で出かけた。

 

港から島のメインストリートの坂を上ると、校跡校庭は刈込みによって復元し、
神社は新築されていた。階段を下りた先、島の東側には外周道が新設されていた。

 

新島での滞在時間は4時間30分ほど。
小さな島だが、公民館で皆と食事をしたり、テーブルの片づけを手伝ったり、補足の聞き取りをしたりしているとどんどん時は流れた。
活気が感じられた一方、無住となった家屋は「6年前、ここに暮らしがあったのか」と思うほどひっそりしていた。

 

 

 画像1:新島の遠景
   4人乗りのモーターボート「柿の実丸」が島へ向かう。
   行政連絡船「しんじま丸」の定員は12人。
   私も「柿の実丸」で島へと向かった。

 

 (2019年1月13日(日)午前9時55分頃)

 

 

 画像2:新島・五社神社(その1、平成25年4月)
   茂みの中に鳥居があって、その先にはブロック造りの拝殿が
   奉られていた。

 

 (2013年4月1日(月)午後2時15分頃)

 

 

 画像3:新島・五社神社(その2、平成31年1月)
  鳥居、拝殿とも新調され、別物になっていた。
  鳥居には「五社神社」の標板がついていた。

 

 (2019年1月13日(日)午前10時50分頃)
 

鹿児島県・宮崎県の廃村に行ってきました

  • 2019.01.17 Thursday
  • 06:57

平成31年亥年、初めての廃村探索、
南九州(鹿児島県・宮崎県)の廃村に行ってきました。


訪ねた廃村は、鹿児島県湧水町国見、新島、
宮崎県えびの市鉄山、小林市赤松、木浦木、田代八重、
西米良村尾股、西都市片内、古仏所、猪之原
(計10か所、初訪3か所、再訪7か所)です。
新島の聞き取り調査を兼ねた3泊4日の旅でした。

 

探索は、鹿児島在住の友人 むっちーさん、
妻とその兄(大阪在住)など、メンバーはいろいろでしたが、
すべて複数で行いました。

 

「廃村千選」鹿児島県(佐多岬以北)のポイントは7か所。
すべて既訪ですが、再訪したかった2か所に行けてよかったです。
「廃村千選」宮崎県のポイント26か所中、
未訪は5か所(納屋平、戸崎、茶臼岳、多古羅、大平尾)に
なりました。

 

 

 画像1:赤松・分校跡
     校舎の基礎、便槽が残っていた。

 

 (2019年1月14日(月祝)午前11時40分頃)

 

 

 画像2:木浦木・学校跡
     現存する神社とはそれほど離れていない学校跡は
     ダム湖に水没していた。

 

 (同 午後1時40分頃)

 

 

 画像3:猪之原・分校跡地碑
    ゆず畑の一角に、跡地碑が建っていた。

 

 (2019年1月15日(月祝)午前11時40分頃)
 
 

宮崎県えびの市 吉牟田(その2)

  • 2018.02.07 Wednesday
  • 06:47

平成30年1月、宮崎県の廃校廃村探索2日日、
かつては営林事業に係わった高度過疎集落 吉牟田(よしむた)の探索、
集落の田畑は部分的に使われているようだが、人の気配はない。
代わりに遠くからイヌの鳴き声が聞こえてきた。
「地理院地図」Webにまとまった家屋が記されているところまでクルマを進めると、
道の真ん中にシカがいて通せんぼされた。

 

クルマを停めて大きめの農作業小屋という感じの家屋に足を運ぶと、
中ではラジオが鳴っていたが、「ごめんください」という問いかけに返事はなかった。

 

最後に分校裏手の丘にある神社に足を運び、鎮守様にご挨拶したところ、
戻り道でブランコ、回旋塔、雲梯といった分校跡らしい遊具を見ることができた。
後で住宅地図を調べたところ、吉牟田の戸数は2戸まで減少しているらしかった。

 

 

 画像1: 吉牟田・「弘法大師」という標札がある神社

 

 

 画像2: 神社からの戻り道、回旋塔、雲梯などの遊具を見ることができた

 

 

 画像3: 吉牟田で回旋塔に出会えるとは思わなかった

 

  (2018年1月7日(日)午後3時40分〜50分頃)

 

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
2425262728  
<< February 2019 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

recommend

recommend

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM