鹿児島県阿久根市 上本之牟礼

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    平成27年7月14日(火)、鹿児島県の廃校廃村への旅の目的地
    本之牟礼(ほんのむれ)は、
    川沿いの下本之牟礼、丘の上の上本之牟礼に大別される。
    上本之牟礼は、分校跡付近の三差路で北上する道を選んで
    1kmの場所にある。
    しかし、花木さんの
    「この道は荒れているので、回り込んで向かいましょう」
    という声を受けて、4劼曚姫回する道を選んだ。

    下本之牟礼集落跡の家屋跡は散在しており、かつ家屋は見当たらない。
    しかし、家屋跡に向かう道にはクルマが通ることができる幅があるものもあり、
    上本之牟礼と比べると、明るい感じがした。

    上本之牟礼の目玉は、墓地を改造したという馬頭観音公園である。
    サクラの木が植えられた見晴らしの良い公園、
    花木さんは「春には元住民の方が集って花見が行われる」と話された。



     画像1:上本之牟礼、馬頭観音公園の入口
      草は茂っているが、荒れた感じはしなかった。



     画像2:上本之牟礼、馬頭観音公園の祠
      右下の金文字の碑には、「立山の里 桜山公園」と刻まれている。



     画像3:上本之牟礼、馬頭観音公園の祠(近影)
      祠の正面には、島津の丸十マークのような紋が掘られている。

      (2015年7月14日(火)午後12時20分頃)

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    鹿児島県阿久根市 下本之牟礼

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      平成27年7月14日(火)、鹿児島県の廃校廃村への旅の目的地
      本之牟礼(ほんのむれ)は、
      川沿いの下本之牟礼、丘の上の上本之牟礼に大別される。
      分校跡は下本之牟礼のいちばん手前に位置する。
      花木さんの案内で、分校跡を起点に下本之牟礼集落跡の様子を見て歩いた。

      「撤退の農村計画」(学芸出版社、2010年刊)では、
      平成20年7月現在の下本之牟礼集落跡の家屋等の様子が記されている。
      集落が集団移転したのは、平成元年のこと。
      「撤退」の中には、
      「本之牟礼は降雪の少なさのせいか、移転して約20年経った今も、
      住居が比較的そのままの形で残っているところが多い」
      という一文がある。

      下本之牟礼集落跡を歩いて驚いたのは、
      7年経って、家屋の大部分が崩壊していたことだった。
      花木さんは、この心当たりについて、
      「元住民の高齢化が進み、訪ねる人がほとんどいなくなったこと」
      「たびたび台風が襲来し、その際に一気に崩れたこと」
      を挙げられた。



       画像1:下本之牟礼の風呂の跡
        この風呂があった家屋は、少し前まで残っていたという。
        タイル張りの風呂は、廃村を歩くとよく見かけるが、
        秋田県南の調査(2015年9月)では、ひとつも見なかった。



       画像2:下本之牟礼の祠
        集落跡のほぼ中央、市の水道施設の隣りにある。
        後方には、屋根にコケが生えた往時の家屋が構えている。
        コンクリ造りの頑丈そうな祠は、往時のままで、
        集落に神社はなかった。


        
       画像3:下本之牟礼の家屋
        集落跡のいちばん奥、分校跡から500mほどの場所に
        傷んだ家屋が残っていた。
        30分ほどの下本之牟礼の探索で見かけた家屋は
        分校跡の校舎を含めて3つだけだった。

        (2015年7月14日(火)午前11時30分頃)

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      大川小学校 本之牟礼分校跡

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        平成27年7月14日(火)、鹿児島県の廃校廃村、
        本之牟礼(ほんのむれ)を訪ねる旅、
        薩摩大川駅には、阿久根市在住の花木雅昭さんが待っていてくれた。

        花木さんは本之牟礼出身で、阿久根市役所勤務の頃、
        市職員として集落の集団移転事業にかかわられた。
        移転が実施されたは平成元年(1989年)。
        「撤退の農村計画」の林直樹さんによると、
        平成になってから、国が施した集落の集団移転事業は
        本之牟礼を含め全国で5例しかないという。

        薩摩大川駅から本之牟礼まではおよそ5km。
        花木さんのクルマに乗って、お話をうかがいながら目指すと
        15分後には分校跡にたどり着いた。

        大川小学校本之牟礼分校は、へき地等級無級、
        児童数39名(S.34),大正3年開校,昭和51年閉校。
        分校は集落のいちばん手前に位置し、
        校舎は陶芸の方(Hさん)の作業所兼住居として使われている。
        花木さんを介して、Hさんともお話をすることができ、
        作業場(元教室)を案内していただいた。



        画像1:本之牟礼分校跡の校舎
        屋根まで緑に包まれた木造モルタル平屋建て校舎は
        南国らしい風情がある。



        画像2:分校跡を流れる川
        分校跡手前で合流した川は、
        暗渠になって校庭の下へと向かっていた。
        花木さんは
        「狭い山中に、広い校庭を作るための智恵」
        と話された。



        画像3:「本之牟礼分校の跡」の碑
        表面の隅には「阿久根市長 坂元善文書」と刻まれている
        建立は閉校の翌年(昭和52年)である。

        (2015年7月14日(火)午前11時頃)

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        福岡県宮若市(旧若宮町)犬鳴

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          平成27年5月18日(月)、佐賀県・福岡県の廃校廃村への旅、 
          五ケ山の探索が終わったのは正午頃。荒天でもあり、新鳥栖に引き上げることも考えましたが、私が住む埼玉から福岡は遠い県です。
          「もうひと頑張り」と決めて、R.385を福岡市街方向に走り、春日、大野城、宇美、須恵、久山といった郊外の町を抜けて、福岡−直方間の山間の犬鳴を目指しました。

          犬鳴(いぬなき)は、筑豊を流れる遠賀川の支流 犬鳴川の上流部にあり、犬鳴ダム(平成6年竣工)の建設により、昭和60年に閉村となりました。
          ダム湖の名称「司書の湖」は、江戸時代後期、犬鳴に鉄山を開き、山城を作った福岡藩の家老 加藤司書の功績をたたえて名づけられたとのこと。
          県道の新犬鳴トンネルを越えると、左手にダム堤体が見えて、犬鳴到着にホッとひと息。しかしクルマを停めた頃、雨は本降りになっていました。

          吉川小学校犬鳴分校は、へき地等級1級、児童数17名、明治15年開校、昭和41年閉校。
          堤体から時計回りにダム湖畔をクルマで走ると、すぐに「犬鳴区移転者記念の碑」が見つかりましたが、村影さんのWebで見た記憶がある分校跡の案内板は、見当を外したらしく見落としてしまいました。



          画像1 犬鳴ダムに着いた頃、雨は本降りになっていた



          画像2 ダム湖畔に「犬鳴区移転者記念の碑」が見つかった 

          (2015年5月18日(月)午後1時30分〜2時頃)

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          福岡県那珂川町五ケ山

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            平成27年5月18日(月)、佐賀県・福岡県の廃校廃村への旅、 
            大川内に続いて目指した廃村は、福岡県那珂川町五ケ山(ごかやま)です。 
            五ケ山は、福岡市街を流れる那珂川の上流部にあり、五ケ山ダム(未竣工)の建設により、平成17年に閉村となりました。大川内と五ケ山は県境を挟みますが、距離は3kmほどしか離れていません。
            R.385佐賀大橋を渡り、大きな橋が続く新道を走り切り、まず網取(大字五ケ山の中心集落)にある神社に足を運びました。
            「山神社」という扁額があるこの神社、近くに農作業をされる地域の方がいたので、神社について尋ねたところ、「昔からここにある」とのお返事でした。また、学校跡について尋ねたところ、「旧道沿いに跡地がある」とのお返事をいただきました。

            五ケ山小学校は、へき地等級2級、児童数65名(S.34)、明治7年開校、昭和41年閉校。
            工事関係の車両が走るR.385旧道を「行けるところまで行こう」とクルマを走らせると、車窓の右手に一目で学校跡と分かる場所が見当たりました。
            クルマを停めて探索すると、門柱と「五ケ山小学校跡地」の碑(平成元年建立)、ブロック造りの小屋、動物のオブジェを見つけることができました。
            改めて新道を走ってダム堤体を確認したところ、小学校跡は堤体のすぐ下手でした。
            また、五万地形図(背振山、S.43)を確認すると、文マークは網取の上手約1km、周囲に家がない場所に記されています。この場所に学校があったのは、大字五ケ山の各集落から平均的に通いやすかったからの様子です。



            画像1 旧道沿いを走るとすぐにそれとわかった五ケ山小学校跡



            画像2 五ケ山小学校跡に門柱と跡地記念碑が見つかった



            画像3 新道からダムの堤体を確認すると、すぐ下に小学校跡が見当たった 

            (2015年5月18日(月)午前11時〜正午頃)

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            佐賀県吉野ヶ里町(旧東背振村)大川内

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              平成27年5月18日(月)、佐賀県・福岡県の廃校廃村への旅、
              福岡市街の宿を出発したのは朝6時。宿から近い西鉄福岡駅からローカル電車に乗って、二日市、鳥栖で乗り替えて、レンタカー店がある新鳥栖駅に到着したのは午前8時。
              まず目指した廃村は、佐賀県吉野ヶ里町(旧東背振村)大川内(おごうち)です。
              大川内は、福岡市街を流れる那珂川の上流部にあり、五ケ山ダム(未竣工)の建設により、平成17年に閉村となりました。

              R.385佐賀大橋(佐賀と福岡の県境)で枝道に入り、たどり着いた大川内では「五ケ山豆腐」というノボリが見当たりました。
              そのお店は「立入禁止」の看板がある旧道沿いに建っていたので、ここでクルマを停めて、お店に入って大川内の情報収集です。

              お店の中には五ケ山ダムの詳しい地図が貼られており,神社の移転地が佐賀大橋のそばにあることがわかりました。
              醤油を買いがてらお店の方に大河内について尋ねると、「立入禁止の看板を越えて1kmほど歩くと、神社のご神木が残っている」とのお話を伺うことができました。
              傘をさして「お邪魔します」と声をかけて立入禁止の看板を越えると、穏やかな雰囲気の旧道が続いています。
              やがてたどり着いた家々が取り壊された集落跡には、児童注意の標識が残っていました。
              続く三差路を右に折れて坂道を上がると、川の方向にご神木が見つかりました。そばの案内板には「佐賀県指定天然記念物 大川内の杉」、「山祇神社の神木として長い間住民に親しまれた」と記されていました。

              大川内小学校は,へき地等級2級,児童数21名,明治8年開校,平成4年休校、平成17年閉校。
              跡地の特定はできませんでしたが、神社の移転地を訪ねたところ、いろいろな碑の中に、小学校の門柱と「大川内小学校移転記念碑」(平成20年建立)を見つけることができました。



              画像1 児童注意の標識が残る大川内集落跡(先の橋はR.385佐賀大橋)



              画像2 集落跡に残る神社のご神木



              画像3 神社の移転地に移設されていた、小学校の門柱

              (2015年5月18日(月)午前10時〜11時頃)

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              軍艦島上陸観光

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                平成27年5月19日(火)、長崎県の廃校廃村への旅、
                「廃村千選」のポイントでいちばん知名度が高いのは
                長崎市(旧高島町)端島、いわゆる軍艦島に違いないことでしょう。

                15年ぶりの軍艦島上陸観光、世界遺産勧告の流れがあって、
                賑わっていました。
                3時間のプログラムのうち、島の周遊は30分ほど、
                上陸は50分ほど。
                心配された物足りなさは、取りあえず今回はしませんでした。
                長い目で少しずつ整備して、上陸観光できる範囲を
                広げていけると良い感じがしました。



                画像は、軍艦島上陸観光の風景です。
                正面の四角い建物が、日本最古のRC造高層アパート(30号館)です。

                (2015年5月19日(火)午後12時頃) 

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                福岡県・佐賀県・長崎県の廃村に行ってきました

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                  平成27年5月18日(月)〜19日(火)、2泊3日で
                  福岡県・佐賀県・長崎県の廃校廃村への旅に行ってきました。 
                  訪ねたのは、佐賀県吉野ヶ里町(旧東背振村)大川内、
                  福岡県那珂川町五ケ山、宮若市(旧若宮町)犬鳴、
                  長崎県長崎市(旧高島町)端島、大村市箕島の5か所で、
                  大河内、五ケ山、犬鳴は初訪、端島、箕島は再訪です。 

                  月曜(大河内、五ケ山、犬鳴)が荒天、
                  火曜(端島、箕島)が晴天だったのは、幸運でした。
                  両方晴天だったら、いちばんですが、
                  月曜晴天、火曜荒天だったら、がっかりしていたところでした。

                  画像は、帰路の箕島(長崎空港)で撮った、
                  慰霊碑(法界萬霊碑)がある場所の遠景です。
                  箕島は、昨年5月1日の慰霊祭に参加して、永年の夢だった
                  慰霊祭の取材、慰霊碑の確認ができたのですが、
                  空港からその場所の遠景を確認したのは、今回が初めてです。

                  搭乗間際まで花文字山の慰霊碑がある場所の遠景を見ていたところ、
                  とても良い感じで飛行機が曳航されてきました(*^_^*)
                  端島(軍艦島)上陸観光のすぐ後に、
                  箕島に足を運んた実感が得られたのは、思いもよらすの収穫でした。



                  画像1 : 箕島・慰霊碑がある場所の遠景
                  一段高い場所へ向かう道が登り着いた場所、
                  丸い茂みの奥に慰霊碑があります。 



                  画像2 : 箕島・慰霊碑がある場所の遠景(拡大)
                  「廃村と過疎の風景(9)」No.13の、箕島慰霊祭の記事と組み合わせると
                  イメージがつかめるのではないかと思います。 

                  (2015年5月19日(火)午後3時30分頃)

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                  軍艦島を探索する

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                    先の土日、「廃村と過疎の風景」の端島(軍艦島)探索のレポートを
                    改めてじっくり読む機会があった。
                    15年も前にして、それほど前のことでもないように思い出される。

                    その後脈々と続く廃村探索の中でも、軍艦島に類するものは見当たらない。
                    世界遺産への登録が現実となってきた今、自由に軍艦島を闊歩できたおかげで、
                    島の魅力が肌でわかることにありがたさが感じられた。



                    画像 : 30号館(日本最古のRC造高層アパート)の共同炊事場

                    建設は大正5年(1916年)、ほぼ100年経過している。
                    崩壊の危険性のため、立ち入りは全面禁止となり、
                    ラジコンで観察している様子をTVで見た。

                    (2000年 8月15日(火)午前11時頃)

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                    鹿児島県湧水町(旧栗野町) 国見

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                      平成24年春 鹿児島2泊3日の旅、3月31日(日曜,旅の2日目)の起床は未明5時頃。
                      旅程は,宿北側の旧栗野町の廃校廃村 国見,日添に行った後,本土最南端の廃村 二股川,本土最南端 佐多岬をまわって,宿泊地,垂水市「海潟温泉 海潟荘」までで,見積距離は380km。普段クルマの運転には縁がない私としてはかなりの強行軍です。



                      空港近くのコンビニで朝食を調達して,国見(Kunimi)には,旧薩摩町永野から川筋をさかのぼる道を選んで向かいました。この3kmほどの道はふだん使われていない道らしく,舗装はしているものの茂みがあったり石が転がっていたりで,国見集落中心のT字路に着くまで,ハラハラしました。



                      住宅地図に記された国見の戸数は2戸。うち1戸はT字路の上方すぐにあり,1戸はT字路から永野寄りに少し離れています。クルマを停めてT字路を行止まり方向に歩いてみると,舗装道はひび割れがあるほど荒れていて,2戸の廃屋が見つかりました。うち1戸は公共の建物のような雰囲気があったので,後で調べてみると,往時の公民館でした。T字路上方の家には明かりは点いているけどクルマはなく,お年寄りが暮らされている様子です。

                      幸田小学校国見分校は,へき地等級1級,児童数28名(S.34),明治30年開校,昭和44年閉校。国見は鹿児島唯一の農山村の廃校廃村で,大隅国にありながら,地勢は薩摩国です。昔は国境警備の役割があったのかもしれません。



                      T字路のやや永野寄りに「いかにも分校入口」という感じのスロープがあり,草をかき分けて進むとまずまずの広さの平地があって,隅には土塀が見つかりました。



                      分校についてお話をうかがいたくて,明かりは点いている家を訪ねたのですが,扉をたたいても返事はありませんでした。続いて,T字路から永野寄りに少し離れた家も訪ねたのですが,こちらは無人となって久しい雰囲気で,道沿いに残った車庫は傷んでいました。

                      思ったよりも見ごたえがあった国見では,朝食休みを含めて1時間半滞在しましたが,その間,通過するクルマ一台ありませんでした。

                      (追記) その後,ガッチャマンさんからいただいた情報で,国見分校跡は私が想定したよりも北側の高台にあることがわかりました。現地には門柱と分校跡の碑があるとのこと。これはいつかまた行かねばなりません。
                       

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