青森県六ヶ所村 上弥栄(その3)

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    平成29年2月13日(月)、青森県の廃村めぐり、 
    上弥栄「入植20周年記念」の碑、裏面を見てみると
    「開拓」の大きな2文字と、「村長  沼田正」という小さな名前が刻まれていた。
    私は思わず息をのんだ。

     

    六ヶ所村の3か所の廃校廃村をめぐるにあたって、雪の季節を選んだのは
    「何もないだろうから」「雪があまりなく、行きやすそうだから」という
    やや消極的な理由からだったが、
    ここにしかないものが多く見出された。

     

    訪ねる前に、「村が消えた」を読むことができたのはよかった。
    あと、村影さんがその存在を指摘してくれたことに、感謝することしきりです。

     

    下北道 六ヶ所ICは、「入植20周年記念」の碑から1匱紊靴離れていない。
    七戸十和田駅夕方4時53分発のはやぶさに乗るために帰り道を急ぐと、
    43劼瞭擦里蠅鬚よそ1時間で、駅に到着した。

     

     

     画像1 上弥栄「入植20周年記念」の碑(裏面)
        碑の建立は昭和41年4月。
        大規模開発が表面化する前だ。
        六ヶ所村長は「入植20周年」を記念して、「開拓」と刻んだのだろうか。

     

     

     画像2 上弥栄の風景
        昭和40年代の上弥栄は、酪農が主な生業だった。
        石油備蓄基地のタンクが立ち並ぶ平原の多くは、牧草地だったのだろう。

     

       (2017年2月13日(月)午後3時頃)


    青森県六ヶ所村 上弥栄(その2)

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      平成29年2月13日(月)、青森県の廃村めぐり、 
      「村が消えた むつ小川原 農民と国家」(本田靖春著、講談社文庫(1985))
      には、子供や女性、老人も含めて、
      戦後開拓集落 上弥栄の人々が数多く、実名で登場する。
      印象深く残った3名の登場人物の概略をまとめる(敬称略)。

       

      ◎清野光栄 
       明治44年9月、山形県上山町狸森生まれ
       昭和14年4月、満州 三江省 弥栄村へ入植
       昭和23年4月、単身で復員
       昭和24年4月、単身で上弥栄に入植
              以来、酪農には手を出さず、畑作一筋で上弥栄で営農する。
       部落が解散した後も上弥栄に残り、廃校の管理を担う。

       

      ◎佐藤柾五郎
       大正11年、青森県黒石町生まれ
       満州 三江省 東北村で開拓に従事
       昭和22年5月、上弥栄に第1次入植団(33戸)が入ったときからの
              中心人物で、「上弥栄五人衆」のひとり。
       むつ小川原開発が表面化して、用地買収に集落が揺れた頃、組合長を勤める。
       移転後は、黒石市で隠居の日を送る。

       

      ◎小田桐清一
       昭和5年、樺太生まれ、父は青森県弘前市出身。
       昭和23年9月、父とともに上弥栄に入植
       昭和28年、父が死去。以来、母と6人兄弟の一家の支柱となって、
            上弥栄で営農し、負債に挑む。
       昭和40年代、「上弥栄で数少ない成功者」と呼ばれる。
       移転後は、三沢市で食堂経営者となる。

       

      上弥栄に記念碑があることは、事前の調べでわかっていた。
      場所は石油備蓄基地の西のはずれで、地形図にも碑のマークが記されている。
      上弥栄小学校跡跡から西にクルマを走らせて、
      心当たりの場所付近を車窓から見たが、碑は見つからなかった。

       

      そのうちに下北道 六ヶ所ICを示す案内板が見えてきたので、折り返したところ、
      道よりも少し入った柵沿いに、碑を見つけることができた。

      クルマを停めて、長靴に履き替えて碑を見に行った。
      碑の表面には、次のように刻まれていた。

      ◎で「村が消えた むつ小川原 農民と国家」の登場人物を示した。

       

      >入植20周年記念
      >昭和41年4月15日

      >◎佐藤柾五郎
      > 沼山澄司
      >◎高橋正由
      > 山下藤一郎
      > 工藤勝英
      >◎山田岩次郎
      > 佐々木孝之助
      > 鈴木源治
      > 沼山長之助
      > 佐々木正次郎
      > 金子吉雄
      >◎江口辨重
      >◎林茂利雄

      > 工藤喜一
      >◎土屋與右エ門
      > 古川勇策
      > 古川淺市
      > 一戸義市
      > 柏崎定雄
      > 大杉三太郎
      >◎早坂良次
      > 山内長助
      >◎小田桐清一
      > 有川増吉
      >◎渡部幸助
      > 鈴木太寿

      > 高田栄三郎
      > 沼尾由太郎
      > 一戸柾吉
      > 松田清一
      > 佐藤吉五郎
      > 庄司保太郎
      > 井上市郎
      > 阿部金次郎
      > 安孫子治郎
      > 戸田光吉
      >◎佐藤三太郎
      > 後藤庄五郎
      >◎村形久

      > 佐藤村太
      > 早坂菊雄
      >◎清野光栄
      > 遠藤熊次郎
      > 川合卯蔵
      > 大木芳春
      > 伊勢谷伴蔵
      > 松田義夫
      > 松田武
      > 佐藤武美
      > 黒滝清一
      > 工藤定男
      > 松田傳

      > 沼尾松三郎
      > 二階堂篤治
      > 上野郁夫
      > 富田敏蔵

       

      また、台座の銘板には、次のように記されていた。

       

      >この碑は、現在地より東方3劼涼呂暴蟶澆靴燭、
      >むつ小川原開発計画石油国家備蓄基地々内となったため
      >むつ小川原開発株式会社の御協力により移転されたものである。
      > 昭和56年10月

       

      碑に記されていたのは、「入植20周年記念」という右から始まる横書きの文字と
      世帯主56名の名前だけだったが、
      今は石油備蓄基地となった上弥栄に繰り広げられた戦後開拓のことを偲ぶには
      十分すぎるぐらいの存在感があった。

       

       

       画像1:上弥栄「入植20周年記念」の碑(その1)

       

       

       画像2:上弥栄「入植20周年記念」の碑(その2)

       

       

       画像3:上弥栄「入植20周年記念」の碑(その3)

       

         (2017年2月13日(月)午後2時55分頃)


      青森県六ヶ所村 上弥栄(その1)

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        平成29年2月13日(月)、青森県の廃村めぐり、 
        弥栄平・弥栄山(仮称)からは、西に2劼曚瀕イ譴
        三つ目の廃校廃村 上弥栄(かみいやさか)の小学校跡地へと向かった。

         

        この旅に備えて、六ヶ所村の3か所の廃校廃村について調べていたところ、
        「村が消えた むつ小川原 農民と国家」(本田靖春著、講談社文庫(1985))
        戦後開拓集落 上弥栄の創立から解散までを
        満蒙開拓から大規模開発まで、時代背景とともに描いた
        ノンフィクションを読むことになった。

        本の冒頭と末尾あたりに記された、印象的なひとこまを引用する。

         

        > 冬、旧上弥栄小学校あたりに立つと、積雪がかつての営みの跡を
        >一面に覆いかくして
        >目にする変化は、ゆるやかな高低と光と影が描き分ける白の濃淡と、
        >その先に取り残された防風林の薄墨色ぐらいのものである。
        > 広がる風景は、まさに地の果てのそれであって、
        >小学校の廃屋は、荒れ地に挑んで空しく終わった79戸の墓標と映る。

         

        上弥栄小学校は、へき地等級2級、児童数109名(S.34)、昭和24年開校、同50年閉校。 
        戦後開拓集落で、主に満州 弥栄村からの引揚者が昭和22年5月に入植して成立した。
        上弥栄の名称は、満州 弥栄村ゆかりの方が多数を占めていたことと、
        集落が在来集落 弥栄平の上手にあることから名付けられた。
        上弥栄の人口は、306名(S.40)、9名(S.60)、ゼロ(H.4)と推移している。 
        むつ小川原開発により上弥栄の開拓農業組合は、昭和48年4月6日に解散した。
        閉校年との2年のギャップは、弥栄平の児童が上弥栄小学校に通っていたから 
        と思われる。 

         

        現在上弥栄は、石油備蓄基地のタンクに覆われている。
        風力発電の大きな風車や、太陽光発電のパネルも多数建ってあり、
        さながらエネルギーフロンティアといった様相になっている。
        小学校跡地と思われる場所のそばにクルマを停めて、
        雪が積もっていない範囲から周囲を見渡したが、
        当然のことながら、往時をしのぶものは何も見当たらなかった。

         

         

         画像1 上弥栄小学校跡の風景(その1)

         

         

         画像2 上弥栄小学校跡の風景(その2)

         

         

         画像3 上弥栄小学校跡の風景(その3)

         

        「地理院地図」Webのかつての上弥栄の場所には
        「上弥平」(かみいやだいら?)という地名が記されている。
        六ヶ所村発行のパンフレットには「上弥栄」と記されているので、
        上弥平は誤植と思われる。
        誤植とすれば、地名が誤って引き継がれるおそれがあり、気になるところだ。

         

           (2017年2月13日(月)午後2時40分頃)


        青森県六ヶ所村 弥栄平

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          平成29年2月13日(月)、青森県の廃村めぐり、 
          鷹架・新納屋からは、古い橋で鷹架沼を渡って、パイプライン沿いの道を走って
          二つ目の廃校廃村 弥栄平(いやさかだいら)へと向かった。

           

          弥栄平小学校は、へき地等級3級、児童数94名(S.34)、昭和16年開校、同37年閉校。 
          開拓集落だが、開校時期からわかるように、開拓時期は戦前(昭和11年)である。
          小学校は上弥栄小学校に併合され、単独校となった弥栄平中学校は、昭和45年まで存続した。
          弥栄平の人口は、216名(S.40)、2名(S.60)、ゼロ(H.4)と推移している。 
          むつ小川原開発による弥栄平の離村式は、昭和54年10月26日に行われた。

           

          現在弥栄平は、むつ小川原開発の中心地となっており、
          多くの会社の事業所が立ち並び、コンビニ(サンクス)まである。
          原子燃料サイクル施設も弥栄平の地内にある。

          コンビニ近くの四差路、南東の角に展望ができる小山(仮称 弥栄山)があったので、
          ここにクルマを停めて、周囲を探索した。

           

          五万地形図(平沼、1973)には、四差路の辺りに多くの家屋が記されている。
          小学校跡は、四差路の南西の角にある。
          長靴に履き替えて、防風柵の切れ目から原野に戻った学校跡の平地を歩いたが、

          村影さんのWebで出てくる門柱や建物の基礎などの痕跡は、見つけることができなかった。

           

           

           画像1 弥栄平四差路に立つパイプラインを示す案内板
                パイプラインは、むつ小川原港から石油備蓄基地まで(約10辧法
                原油を運ぶために施されている。
                道を挟んで 弥栄山(仮称)が見える。

           

           

           画像2 仮称 弥栄山の頂から見た弥栄平集落跡
                会社の事業所は、四差路 北西の角に集まっている。
                コンビニは、北東の角にある。
                店名を確認したところ、弥栄平店ではなく六ヶ所店だった。

           

           

           画像3 弥栄平小学校跡地
                ササが茂る中に、マツの木が生えている。
                開拓に携わった方々は、きっとこんな風景の中、
                農地を開墾していったことなのだろう。

           

           (2017年2月13日(月)午後2時30分頃)


          新納屋開村百年之碑

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            平成29年2月13日(月)、青森県の廃村めぐり、 
            一つ目の廃校廃村 鷹架(たかほこ)からは、電話ボックスがある四差路の反対側、
            新納屋(しんなや)へと向かった。

             

            新納屋は、大字鷹架の中でも鷹架本村と至近距離だが、
            明治6年(1873年)に開かれた比較的新しい集落という歴史があるので、
            鷹架本村とは別の集落と考えたい。

             

            「地理院地図」Webからコピーした新しい地形図を見ながら歩くと、
            進行方向の右手(西側)に鳥居マークがあるので、
            これを確認すると、雪が混ざる原野の中、
            赤い鳥居とご本尊、何かの記念碑が残っていた。

            記念碑の表面には「新納屋開村百年之碑」と刻まれていた。
            以下、碑文の要約をまとめる。

             

            ===

             

            新納屋開村百年之碑

             

            新納屋部落は明治6年、集団網場として始まり、以来沿岸漁業で生計を立てていたが、
            大正末期から昭和初めにかけて機械化漁業の圧迫によって急激に漁獲量が減ったため、
            原野に農地を開墾した。
            その後も部落挙げての耕地拡張により、今では広い水田、畑を有する86戸の農業集落となった。
            泉田稲荷神社は、部落の氏神として昭和18年7月に落成したものである。
            開村百年を記念し、集落の概略を碑に刻み、境内の丘に建てこれを後世に伝える。

             

             昭和47年10月10日 新納屋部落一同 建立

             

            ===

             

            昭和47年(1972年)といえば、むつ小川原開発の計画が表面化し、
            村が賛成派、反対派に割れて、混乱を極めていた頃だ。
            当時の新納屋集落の方々は、どんな思いでこの碑を建てたのだろうか。

            新納屋の人口は、457名(S.40)、48名(S.60)、21名(H.4)と推移している。
            今は1戸のみが残るという。

             

            鷹架の閉村は昭和54年、鷹架小学校の閉校は昭和59年。
            この5年のギャップは、新納屋の児童が約1厠イ譴疹学校に通っていたから
            と思われる。

             

             

             画像1 泉田稲荷神社の鳥居と新納屋開村百年之碑
                  何もなくなった鷹架小学校跡との距離は1匱紊任△襦

             

             

             画像2 泉田稲荷神社のご本尊
                  ご本尊は、しっかり手入れされていた。

             

             

             画像3 新納屋開村百年之碑
                  神社がある場所も、大規模開発のエリアの中にある。
                  碑はいつまでこの地に建ち続けることができるのだるか。

             

             (2017年2月13日(月)午後1時40分頃)

             


            青森県六ヶ所村 鷹架

            0

              平成29年2月13日(月)、青森県の廃村めぐり、 
              ハクチョウがいた尾駮沼からは、むつ小川原港がある鷹架沼を超えて
              一つ目の廃校廃村 鷹架(たかほこ)へ向かった。

               

              六ヶ所村のむつ小川原開発関係の3か所の廃校廃村(鷹架、弥栄平、上弥栄)の所在は、
              前年の5月下旬、現地を訪ねたばかりの村影弥太郎さんから、
              釧路駅での電話で教えていただいたものだ。
              後で調べると鷹架、弥栄平は昭和54年に、
              上弥栄は昭和48年に廃村となっていることがわかった。

              鷹架の人口は、336名(S.40)、5名(S.60)、4名(H.4)と推移している。

              むつ小川原開発による鷹架の離村式は、昭和54年9月8日に行われた。

               

              大規模工業開発で取り壊されたため、村跡には面影を留めるものは何も見当たらない。
              クルマを停める場所すら見当たらない。
              鷹架小学校は、へき地等級2級、児童数184名(S.34)、明治12年開校、昭和59年閉校。 
              鷹架は海や沼の近くだが、昭和の頃は農業集落だった。
              南隣の廃村 新納屋との間の四差路に電話ボックスが見当たったので、クルマを停めて、
              ときどきダンプカーなどのクルマが走るR.338を歩いて学校跡を見に行った。

               

              たどり着くと、そこには原野が広がるばかりだった。
              かつては学校や、約50戸の集落があった場所とは思えなかった。

               

               

               画像1 鷹架‐新納屋間、四差路の電話ボックス
                    この形の電話ボックスは青森県内各所で見られた。
                    海に向かう道の脇には
                    「港湾施設内につき 関係者以外立入禁止」の看板が立っていた。

               

               

               画像2 鷹架・小学校跡の風景(その1)
                    道が左に向かって曲がっている角あたりにかつて鷹架小学校があった。

               

               

               画像3 鷹架・小学校跡の風景(その2)
                    小学校跡・集落跡では、まだ開発はまったく行われておらず、。
                    看板ひとつ立っていなかった。

               

               (2017年2月13日(月)午後1時20分頃)
               


              青森県むつ市(旧川内町) 野平(その5)

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                平成29年2月13日(月)、青森県の廃村めぐり、 
                電話ボックス対面に停めたクルマに戻って、靴を長靴に履き替えて
                雪原に建つ「留魂の碑」に向かって歩いた。

                 

                といっても、電話ボックスから碑までは100mほど。
                天気は落ち着いていて、雪もほどよくしまっていて歩きやすい。

                横長の碑の表面には、次のような碑文が刻まれていた。

                 

                =====

                 

                留魂の碑

                 

                 吾等曽て満蒙の大陸に朔北の樺太に雄飛するも、敗戦の憂目に会い、
                再びは踏まずと誓いし故国の地に憔悴傷心を抱きて還る。
                 本州最北、下北の深奥に住昔より斧鉞を知らざる原始林の地あり野平という。
                吾等この地を三度青山の地と定め鍬を入れし者左の如し。
                時正に昭和24年なり。

                 

                  元満蒙開拓青少年義勇隊   5戸
                  元満州開拓団 山形団体   61戸
                  元樺太開拓者       12戸

                 

                 以来昼尚暗き原生林開拓に言語を絶する辛酸の日々を刻み、
                耕地となりたる後も、朝に星を頂き夕に月を仰ぎて耕す様は
                野平小中学校の校歌に歴然たり。

                 入植20年にして漸く生計の基礎成りたるも、折しも国の勧める経営適正化に伴う
                離農助成策に、前途に光明を見ることなく、止むなく離農せる者42戸あり、
                寂として声なくこの地を去る。

                 

                 残れる36戸、変転する農政下に愈々志を固くし畜産に畑作に協業共同経営化を
                推進し、大いにその実を上げ将来を展望せむとする時、
                たまたま川内ダム建設の議成り、朝野挙げてその完成を期さむとす。

                 紆余曲折を経たるも、吾等野平住民は
                30年に亘る艱難辛苦の地と汗の滲む青山の地を未来永劫に湖底に沈むるは
                真に忍びざるものあれど、川内町勢伸展の大義に涙をのみて同意せるものなり。

                 

                 今吾等それぞれに新転地を得て野平開拓30年の歴史を閉じるにあたり、
                蔭に陽に温情支援を賜りし関係各位に万腔の感謝を捧げ
                今後にその恩義に報えむことを心に誓う。
                 いつの日にか満々と水を湛え、吾等開拓民の苦闘の跡を鎮める
                山上の湖畔に往時を忍ぶよすがと、
                併せて野平に住せし36戸の開拓魂を留め、この碑を建立する。
                 
                 昭和56年 盛夏

                 

                ===

                 

                要約すると、次のようになる。
                 
                 ・ 昭和24年、満州開拓団 山形団体を主とした78戸が
                  野平に入植。
                 ・ 入植20年(昭和44年)頃までに、離農助成策により、
                  42戸が離農。
                 ・ 残る36戸が、畜産、畑作の協業共同経営化を成し遂げ
                  実りを上げている頃、川内ダムの建設が決まった。
                 ・ 昭和56年、32年間の野平開拓の歴史を閉じるにあたり、
                  36戸の開拓魂を留め、碑を建立する。

                 

                冊子『廃村と過疎の風景(4)』を見ると、野平小学校の児童数は
                昭和41年から同44年の間に大きく減少している。
                 ・ S.41=66名、S.42=50名、S.43=32名、S.44=26名

                 

                「ダム便覧」Webには、川内ダム建設に伴う集落移転の方法について、
                次のように記されている。
                 ・ 川内町の11戸は 水没者のため損失補償で移転
                 ・ 川内町の8戸は 過疎地域集落再編事業で移転
                 ・ 佐井村の17戸は 少数残存者損失補償で移転

                 

                野平集落は、川内町(現むつ市)と佐井村にまたがっているが、
                学校が川内町立だったため、「廃村千選」での所在地は川内町としている。
                ただし、「地理院地図」Webで調べた学校跡の所在地は、佐井村長後となっている。

                 

                 

                 画像1 野平・留魂の碑(その1)
                      雪の中、黒っぽく見えるが、近づくと黒い碑ではなかった。

                 

                 

                 画像2 野平・留魂の碑(その2)
                      碑文を読もうとすると、案外白みがかった碑だった。

                 

                 

                 画像3 野平・留魂の碑(その3)
                      裏面には、世帯主36名の名前と、
                      川内町長、佐井村長の名前が刻まれていた。

                 

                 (2017年2月13日(月)午前9時40分頃)
                 


                青森県むつ市(旧川内町) 野平(その4)

                0

                  平成29年2月13日(月)、青森県の廃村めぐり、 
                  野平小中学校跡からは、電話ボックスに向かって来た道を戻った。
                  道の左右には多くの家々が残っている。
                  開拓集落だけあって、家々は広範囲に散らばって建っていたようだ。

                   

                  野平高原は、ダイコンやレタスなどの産地で、
                  放牧も行われているとのこと。
                  真冬は人の気配がない野平だが、春夏秋はふつうに地域の方の姿が

                  見られるのかもしれない。

                   

                   

                   画像1 野平・サイロがある家屋

                   

                   

                   画像2 雪に埋もれた軽トラが停まる家屋

                   

                   

                   画像3 雪原の向こうにある背の高い家屋

                   

                   (2017年2月13日(月)午前9時30分頃)


                  青森県むつ市(旧川内町) 野平(その3)

                  0

                    平成29年2月13日(月)、青森県の廃村めぐり、 
                    電話ボックスのそばにクルマを停めたままで、
                    東に向かって300mほど歩いて、野平小中学校跡を見に行った。

                     

                    野平小中学校は、へき地等級4級、児童数59名、生徒12名(S.34)、
                    昭和23年開校、昭和56年閉校。
                    学校跡は、碑の方向からだと道が左側に曲がってスノーシェッドに入る手前、
                    地図でみると三角形になっているエリアにある。

                     

                    たどり着くと、そこにはかまぼこ型屋根の倉庫が建っていて、
                    外には2台のコンテナが並んで置かれていた。
                    遠くのほうには、雨量観測の施設が建っているようだった。

                     

                     

                     画像1 野平小中学校(その1) 
                          「ようこそ川内町 むつ湾の恵みと森のやすらぎ」
                          と記された案内板の向こうの
                          かまぼこ型屋根の倉庫が建っているあたりが学校跡である。

                     

                     

                     画像2 野平小中学校(その2) 
                          道路はスノーシェッドに入った途端、
                          やや急な下りになっている。

                     

                     

                     画像3 野平小中学校(その3) 
                          校舎は電柱の右の建物の辺りに建っていた。
                          長靴を履いて雪原を歩いてみてもよかった。

                     

                     (2017年2月13日(月)午前9時25分頃)


                    青森県むつ市(旧川内町) 野平(その2)

                    0

                      平成29年2月13日(月)、青森県の廃村めぐり、
                      戦後開拓の廃村 野平(のだい)には「留魂の碑」という離村記念碑があることが
                      事前の調べでわかっていた。


                      前日の夜、お酒を飲みながら 牛滝「まるた旅館」のご主人に、
                      野平の碑について尋ねたところ、
                      「電話ボックスがあったじゃろ。そのすぐそばにある」
                       でも、何が書いてあるか見たことはないなあ」
                      とのこと。
                      碑を見つけるのは、難しいことではなさそうだ。

                       

                      電話ボックスのそばにクルマを停めて、あたりを見渡すと、
                      少し入った雪原の中に黒っぽくて横に長い碑が見つかった。
                      しかし、さすがに長靴がないとそばには行けそうにない。
                      先に東へ300mほどの場所にある学校跡を見に行くことにした。

                       

                       

                       画像1 野平 電話ボックス付近の風景(その1)
                            進行方向に川内ダム、背中の方向に牛滝がある。
                            いくつかの家屋、作業小屋が見られる。

                       

                       

                       画像2 野平 電話ボックス付近の風景(その2)
                            進行方向に牛滝、背中の方向に川内ダムがある。
                            交通量はごくわずかしかない。

                       

                       

                       画像3 野平 電話ボックス付近の風景(その3)
                            電話ボックスの奥に、離村記念碑が見える。

                       

                       (2017年2月13日(月)午前9時15分頃)


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