何だコレ!?ミステリー・長野県 沓津集落

  • 2019.06.13 Thursday
  • 07:06

昨夕、フジテレビ系(地上波)で放映された
「世界の何だコレ!?ミステリー」、晩酌のアテに見ました。
信州の廃村は、飯山市沓津で、
空中写真で森の中に見つけた赤い屋根の建物が
分校の校舎だったというところから物語が始まります。

 

物語はうまくまとまっていたので、
一拍置いたところで、「住まなくなっても守りたい」の要領で、
概要をまとめようと思います。

 

 

 画像:沓津・春まつりの一コマ
   春まつりの参加は、10年ぶり2回目。
   供え物を持って隊列に加わっており、
   「手ぶらで写真を撮る役に回ればよかった」と思いながら
   何とか撮った3枚の画像のうち、2枚が番組制作の役に立った。

 

 (2019年4月29日(月祝)午後1時20分頃)
 

10回目の堂平

  • 2019.05.07 Tuesday
  • 06:14

平成31年4月GW、長野県の廃村探索、
飯山からこの日の宿泊地 新潟県糸魚川まで、北陸新幹線だと2駅だが
その本数は2時間に1本の時間帯があり、あまり近い感じはしない。

 

沓津の春まつりが終わってから、乗る予定のはくたかの出発時間まで
余裕があったことと、
電動アシスト付自転車のバッテリー充電量がほどよく残っていることから
急きょ、堂平と分道(現住集落)を追加でまわることにした。

 

堂平を初めて訪問したのは平成17年8月。
沓津とセットで足を運ぶことが多いので、今回はトータル10回目になるが、
これまでさらりと見るか、ほぼ通過という感じのことが多かった。

 

今回は、離村記念碑、分校跡に加えて、初めて神社に足を運んだ。
堂平の神社(伊勢社)は集落の下手のほうから、枝道に入った高台にあった。
地域の方の姿があったので、ご挨拶することもできた。

 

 

 画像1:堂平・離村記念碑
     平成19年建立だから、建ってから12年目になる。

 

 

 画像2:堂平分校跡校舎
     分道寄りの場所にあり、個人の方が管理されている。

 

 

 画像3:伊勢社の鳥居と社殿
     沓津と同じような、まつりが行われているという。

 

 (2019年4月29日(月祝)午後3時30分〜4時15分頃)
 

 

13回目の沓津

  • 2019.05.06 Monday
  • 07:12

平成31年4月GW、長野県の廃村探索、
目的地 飯山市 沓津(くっつ)には、JR飯山駅で電動アシスト付自転車を借りて出かけた。

 

沓津を初めて訪問したのは平成17年8月のこと。
今回は平成25年10月以来6年ぶりで、トータル13回目になる。

バイク、徒歩、バス+徒歩、ロケ車+徒歩など、地域の方のクルマなど、
交通手段はいろいろあったが、自転車は初めて。
さすが電チャリは坂道に強く、一度も押さないで駅から7劼曚匹瞭擦里蝓聞眥禳350m)を
45分ほどで走ることができた。

 

春まつりは、平成21年4月以来10年ぶり。
集合時間には間に合わなかったが、公会堂(分校跡校舎)で集落の方々とともに昼食をとり、
神事にゲスト参加することができた。

 

離村(昭和47年)から数えると、今年は47年目ということに気が付いた。
校舎(昭和30年建立)も、公会堂としての期間のほうがはるかに長くなった。

 

 

 画像1:沓津・公会堂(分校跡校舎)
     今年の春まつりは、サクラの頃とぴったり重なった。

 

 

 画像2:高台にある山の神と火の神
     神社のほか、山の神と火の神、権現様、水神様がある。

 

 

 画像3:神事を待つ沓津神社の拝殿
     拝殿前には、遅い時期に降った雪が残っていた。

 

 (2019年4月29日(月祝)午前9時45分〜10時25分頃)
 

山梨県の廃村に行ってきました

  • 2019.03.19 Tuesday
  • 07:19

平成31年亥年、3度目の廃村探索、
山梨県の廃村に行ってきました。

 

訪ねた廃村は、山梨県身延町折門(御弟子、上折門)、
廃校廃村でカウントすると、再訪1か所です。
静岡県富士市在住の大学時代からの友人(田中義信さん)と二人で出かけました。

 

上折門は、ムック本『廃村をゆく』(イカロス出版刊、2011年)の
表紙画像の撮影地です。
御弟子(分校所在地で既訪)と上折門(未訪)の距離はおよそ1劼任垢、
間に1000mを超える峠があり、
「地理院地図」Webに記された山道には、切れている箇所があります。

 

よくわからない御弟子から山道までの取り付きをなんとかこなし、
神社と武田信玄ゆかりの石碑が建つ峠を一服しながら越えて、
何とかたどり着いた上折門には、数軒の家屋が残っていました。
上折門の離村時期は昭和45年(御弟子は平成20年頃)。
山へ行くのは30数年ぶりという友人は
「現代人は、ここには住めんねー」と話していました。

 

 

 画像1:折門(御弟子)・折八分校跡地の碑
     前回訪ねたのは平成22年7月。
     碑はその3か月後(平成22年10月)に建てられたものだった。

 

 

 画像2:御弟子‐上折門間の山道
     山道にははっきりしない箇所があり、
     斜度が大きい1劼曚匹瞭擦里蠅論橘1時間かかった。

 

 

 画像3:上折門・連なった家屋
    『廃村をゆく』の表紙画像は、10年ほど前のものと思われるが、
    ほぼ同じ構図で写真に収めることができた。

 

 (2019年3月16日(土)午前11時〜午後2時30分頃)
 

続・四徳学校跡の碑(離村関連記念碑)

  • 2016.04.15 Friday
  • 07:07
長野県中川村の廃村 四徳(しとく)に建つ
「心のふるさと 四徳学校跡」と刻まれた分校記念碑(離村記念関連碑)、
碑に刻まれた誌文をみて、いま一度振り返ってみたい。

===


明治六年九月一日第二十三区一小区四徳三楽学校として
開校し昭和三十六年六月未曾有の梅雨前線集中豪雨の
災害を受け部落全住民集団移住により閉校するまで
約一世紀の間四徳住民を育てた教学の場所である学校跡に
碑を建てこれを記念する

昭和四十九年五月二日
四徳学校同窓会建立

===

道沿いには「四徳学校跡の案内板」があり(平成11年建立)、
こちらのほうが読みやすい。
しかし、「集落の存在を後世に伝える」にあたって、
重要な役割を果たすのは、案内板ではなく碑であろう。

四徳の離村は昭和37年(54年前)。碑の建立は昭和49年(42年前)。
たとえば、二十二世紀になったとき、碑は建っているだろうか。
そしてそのような存在になっているのだろうか。



 画像1: 四徳学校跡の碑(その1)
  これほどスケールの大きい学校跡の碑を
  私は知らない。



 画像2: 四徳学校跡の碑(その2)
  誌文はこんな感じで刻まれている。

  (2007年5月13日(日)正午頃)

 

四徳学校跡の碑(離村関連記念碑)

  • 2016.04.13 Wednesday
  • 07:02
平成17年から20年にかけて、私は長野県の21か所の学校があった廃村を訪ねたが、
離村記念碑を8か所で見かけている。
これに対して、分校記念碑は10か所(看板、木柱を含む)で見かけている。
廃村に建つ分校記念碑は、「離村関連記念碑」と捉えることができる。
両方あった3か所を勘案すると、
8+10−3=15か所に離村関連記念碑が建っていることになる(71%)。

平成27年、秋田県の廃村調査で見かけた離村記念関連碑(分校記念碑を含む)は
66か所中18か所(27%)。
選定条件はやや異なるが、ふたつを比べると、
秋田県の離村記念関連碑は、長野県よりも少ないと言える。

===

廃村に建つ分校記念碑の例として、中川村四徳(しとく)の碑を紹介します。
四徳は、伊那谷三六災害(昭和36年6月の集中豪雨による広域災害)で
壊滅的な被害を受け、昭和37年、全戸(84戸)が集団移転。
四徳にあった中川東小学校四徳分校はへき地等級1級,児童数71名(S.34),
明治6年開校、昭和38年閉校です。



 画像1: 四徳学校跡の案内板
  道沿いに学校の沿革が記された案内板が建っていた(平成11年建立)。



 画像2: 四徳学校跡の碑(その1)
  碑のそばの広い平地の中には石と土が盛られており、
  その上に大きな碑が建っていた。



 画像3: 四徳学校跡の碑(その2)
  盛り土の上に建つ碑の表面には「心のふるさと 四徳学校跡」と刻まれた
  (昭和46年建立)。

  (2007年5月13日(日)正午頃)
 

平成25年秋、上越方面廃村ツーリング

  • 2013.10.30 Wednesday
  • 22:14
飛騨・富山方面ツーリングの台風26号による中断のため、
急きょ浮かび上がった、上越方面廃村ツーリング(1泊2日)、
台風27号に翻弄されてたいへんでしたが、何とか無事に実行することができました(^_^)

●10/27(日) 
早朝5時21分、鉄道で南浦和出発、普通列車を乗り継いで、
午前9時43分、魚沼市旧小出町のJR小出駅に到着。 
堀淳一先生主宰のコンターサークル 旧山古志村探索に参加。 
中山隧道と、ニシキゴイを養殖するいくつかの池を見て回る。
夕方4時16分、JR小千谷駅で散会後、鉄道で飯山へ移動(午後7時17分着)。
知人からバイクを受け取り、駅前旅館に宿泊。 

●10/28(月) 
朝6時半頃バイクで飯山の宿を出発。なじみの廃村沓津(くっつ)に立ち寄った後、
上越市旧高田市の廃村 後谷(うしろだに)、塩荷谷(しおにだに)をまわり、 
R.405、R.403などで旧牧村、旧安塚町、旧大島村などを走り、
旧松代町の高度過疎集落小屋丸(こやまる)を訪ねて、
六日町ICから関越道を走って、午後6時45分、浦和に帰還。 

画像は、長野県飯山市の廃村沓津の分校跡です。
私が沓津を訪ねたのは、今回で実に12回目(^_^)
今回は朝霧に包まれていて、これまでとは違う表情を見せてくれました。

長野県飯山市 沓津

  • 2013.02.24 Sunday
  • 09:27

●39 沓津(くっつ)
 長野県飯山市


平成23年夏、北陸方面6泊7日ツーリング、
7月30日(土、旅6日目)午前11時〜午後12時20分頃


この日の起床は朝6時頃。天気は雨。宿出発時からカッパ着用です。
この日の目標は、訪ねるのは11回目という飯山市の廃村 沓津の「集落の記憶」の取材です。
平成17年夏以来の縁がある佐藤長治さんのお家でお話しを伺った後、雨混じりの沓津を3名で訪ねました。



秋津小学校沓津分校は、へき地等級2級、児童数17名(S.34)、昭和47年閉校です。
分校跡の校舎は、愛郷会の集会、春まつりなど、公民館として活用されています。



校舎の裏手から山道をたどってたどり着いた権現様には、11回目にして初めてお参りです。



佐藤長治さん宅を出発したのは午後2時半。この日の宿泊は群馬県長野原町の泊まりは川原湯温泉「丸木屋」です。
天候が心配なので、当初のR.292志賀高原、渋峠、草津経由はあきらめて、R.406菅平、鳥居峠、嬬恋経由となりました。幸い雨には降られませんでした。


川原湯温泉の旅館町は、何度も通っていますが、宿泊は初めて。宿に着いた途端雨が降り出したため、外には出れませんでしたが、湯元の温泉は良い塩梅でした。
 *7/30(土)、廃校廃村:1ヶ所、走行距離:114km

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