福井県の廃村に行ってきました

  • 2019.05.04 Saturday
  • 07:32

令和元年5月GW、福井県の廃村に行ってきました。
訪ねた廃村は、大野市嵐(あらし)、上打波(かみうちなみ)、
小池(こいけ)、小谷堂(こたんどう)、荷暮(にぐれ)
の計5か所(初訪4か所、再訪1か所)、
メンバーは、私と妻のふたりです。 

 

4月GWは長野県飯山市沓津、堂平、富山県魚津市古鹿熊、
5月GWは他に岐阜県揖斐川町徳山本郷、本巣市越波と
ピンポイントであちこち出かけましたが、
初訪廃村があるのは福井県だけです。

 

嵐、上打波、小池は3つとも景色が良く、
地域の方と話すこともできました。
やはり、春は廃村探索のハイシーズンです。

 

 

 画像1:嵐・分校跡校舎

 

 

 画像2:上打波・小学校跡に残っていた二宮金次郎像

 

 

 画像3:小池・分校跡地付近の風景

 

 (2019年5月3日(金祝)午前9時〜11時10分頃)

 

NHK「おはよう日本」、人が住まない“無住集落”

  • 2019.04.16 Tuesday
  • 06:48

4/12(金)朝、NHK「おはよう日本」、
人口減少で急増 人が住まない“無住集落”の内容が、
番組ホームページ「けさのクローズアップ」に
掲載されました。
 

福井県小浜市上根来(かみねごり)の事例からなっていますが、
私が提供した静岡県浜松市有本と、鹿児島県鹿児島市新島の画像も
載っていました。

 

テロップとはいえ、全国放送の主要番組に登場というのは
嬉しい出来事でした。

 

 

 画像1:「おはよう日本」人が住まない“無住集落”
     福井県小浜市上根来の全景

 

 

 画像2:農業継続 静岡(有本)と
     寺社管理 鹿児島(新島)の事例

 

 

 画像3:“無住集落”の約2割

     元住民が維持管理(エンディング)

 

  (2019年4月12日(金)午前7時22分〜7時30分頃)
 

NHK「ナビゲーション」 住めなくなっても守りたい(その3)

  • 2019.04.02 Tuesday
  • 07:01

● 全国の無住集落を調査・研究 浅原昭生さんのコメント
 ムラがなくなっていくというか、記憶からもなくなることは避けたい。
 何かの形で残りたいというのが共通項。

 

● 福井県おおい町老左近の事例(NPO法人による取組み)
 無住集落 老左近(おいさこ)には、京都市からの足の便が比較的よく、
 街中の子供たちが通ってきている。
 農村の暮らしに親しむイベントが、NPO法人「森林楽校・森っ子」の手で
 10年以上前から行われている。

 

 NPO法人は、空き家を借り、畑を活用し、宿泊体験を行うというように
 活動を広げていこうと考えている。
 その名も「Oisako夢充集楽プロジェクト」。
 代表は「周辺地域や大都市などの交流拠点にしていきたい」と語る。

 

 千葉県の長男宅に転居した元住民は、NPO法人から「活用拠点にしたい」という
 打診を受け、老左近の生家を貸し出すことにした。
 元住民は「なつかしいし、帰りたいとは思うが、それは夢のようなこと」
 「朽ちてゆくか取り壊すかだと思っていたが、手が加えられるとはいえ
 賑わいの場として使っていただけることには感謝している」。
 「いつか、新しい集落の姿を見にいきたい」と話された。
 

 東京から高松市の実家を管理し続けているという松本明子さんは
 「何とか形に残してほしいという思いは、すごくよくわかります」と話された。

 

● 金沢大学准教授 林直樹さんのコメント
 農村の文化に理解がある、集落の継承に興味がある、外部の方のパワーを巻き込むことも
 ひとつの手である。

 

 「良い無居住化」のためには、集落に力があるうちに将来についてとことん話し合い
 準備をしておくことが大切。
 「悪い無居住化」は、ぎりぎりまで頑張ったものの、余力を残さず越して廃れてしまう。
 そのまま存続できるのがいちばんではあるが、
 無居住化が避けられないのであれば、せめて「良い無居住化」を目指したい。


 

 画像1:浅原昭生さんのコメント画像
     ロケの終わりの頃のコマで、髪の毛に疲れが見える。
     オンエアのことを考えると、少しは整えておくべきだった(反省点)。

 

 

 画像2:福井 おおい 老左近集落 萱葺き屋根の家屋に集う子供たち
     老左近の無住化は平成17年頃。移転は各自で行われたようだ。
     「Oisako夢充集楽プロジェクト」で検索すると
     「かやぶき民家のある里山で のんびり田舎体験!」という案内が見つかった。
     官・学・民(おおい町、京都大学、森林楽校・森っ子)の連携事業とのこと。
     >無住化した集落に、集い・学び・遊び・新しい暮らしを創り出そう
     というキャッチコピーがあった。

 

 

 画像3:林直樹さんのコメント画像
     林さんからは、
     >活性化ではなく、撤退論の王道(?)に関する貴重な番組だと思います。
     >わたしの発言はいつもどおりですが、番組中の事例紹介がすばらしいです。
     という声をいただいている。

 

 番組は良い出来に仕上がっていたが、  
 TVはオンエアされたら流れていってしまうのが難点だ。 
 放送エリアも限られるということで、伝える術をつくるのにもなんぎした。
 

NHK「ナビゲーション」 住めなくなっても守りたい(その2)

  • 2019.04.01 Monday
  • 06:44

● 全国の無住集落を調査・研究 浅原昭生さんからの事例紹介
 集落を離れて、通いながら景観や産業、文化などを守る例は各地で見られる。
 東海・北陸地方では、次のような事例がある。

 

 

 画像1:静岡 浜松 有本集落 通って茶畑を維持
     有本は昭和61年移転。
     茶畑は移転後に作られた。


 

 画像2:富山 南砺 水無集落 神社・祭りを維持
     水無は昭和45年移転。
     簡単には行くことができない山の奥深くにある。

 

 

 画像3:岐阜 下呂 弓掛集落 小学校を宿泊施設に
     弓掛は昭和48年移転。
     運営者の有限会社 弓掛観光開発は,地域の方が運営されている。

 

 上根来の移転時期は平成23年に対し、
 これら3つの集落の移転時期は昭和の頃ということに注意を要する。

 

 上根来についても、元住民たちの会「上根来百里会」に加え、
 番組には登場しない NPO法人「上根来プロジェクト」の活動があるから、 
 集落の景観維持、休憩所の整備などがなされているように思える。

 

 この辺りのことをうまく整理して、限られた時間でどんな番組を作り出すかは
 制作者の真価が問われるところなのだろう。
 

NHK「ナビゲーション」 住めなくなっても守りたい(その1)

  • 2019.03.31 Sunday
  • 08:04

NHK「ナビゲーション」 (東海北陸7県ローカルの情報番組)、
サブタイトル「住めなくなっても守りたい〜“無住集落”元住民たちの取り組み〜」、
オンエアから半月ほど経ったので、備忘録がてら3回に分けて要点をまとめる。
※ 2019年3月15日(金)19:30〜19:56 オンエア、NHK福井放送局制作
  【ゲスト】タレント 松本明子、金沢大学准教授 林直樹
    【キャスター】山田大樹

 

● 番組の全容(番組公式Webより)
>人口減少が進み、人が住まない“無住集落”が急増。
>こうした中、地区を離れても、通いながら景観や産業、文化などを守る、
>新たな活動が広がっている。
>こうした例は“無住集落”の2割に及ぶという国の調査も。
>住めなくなっても集落を守りたいという元住民たちの切実な思い。
>そして、ふるさととの新たな関係を見つめる。

 

● オープニング
 山田「ふるさととはどういうものですか」
 松本「ふるさとは、一生のかけがえのない宝物です」
 山田「今、ふるさとがどんどんなくなっているんです」
 松本「えー、どういうこと」

 

 この5年間で190か所の集落が無住となった。
 今後20年間で、人が住まないエリアは今の3倍になる。
 「ふるさとの大事なものを守りたい」、
 無住集落と向き合う人たちを見つめる。

 

● 福井県小浜市上根来の事例(元住民たちによる取組み)
 上根来(かみねごり)は、小浜市中心部から車で30分の山間にある集落で
 最盛期の住民は100名以上、積雪は2mになることもある。
 5年前(平成26年)に最後の住民がいなくなり、無住となった。
 しかし、元住民たちの会「上根来百里会」が組織され、
 家々は管理されており、集落は美しい景観が保たれている。

 

 会の代表 岸本長三さん(71歳)は、毎日のように上根来に足を運び、
 30軒の家々を点検し、異状があったら持ち主に知らせている。
 江戸時代から建つかつての自宅は、くつろげるようにしている。
 寺の雪囲いなど、人手が必要なときは、大ぜいの会員が集まる。
 集落は、小浜と京都を結ぶ旧街道沿いにあり、
 ハイカーなどが立ち寄ることができる休憩所「助太郎」も整備されている。

 

 元住民の家20戸のうち11戸は小浜市内竜前(上根来からクルマで20分)に集団移転しており、

 集落のコミュニティは守られている。

 隣の集落(中ノ畑)は、元住民が各自で離れていったため、
 管理はなされておらず、家々は朽ちていってしまった。

 

 神事や初詣など伝統の行事も行われ、初詣では県外からの帰省の方も参加する。
 ただ、上根来で生まれ育った世代と、住んだことがない若い世代(子や孫など)の間には
 ギャップがある。
 若い世代は「仲間がいるからできることで、家族2人では無理」と言う。
 岸本さんは「難しいけど、帰るところがあるのは一番、そういうところにしたい」と語る。

 

● 金沢大学准教授 林直樹さんのコメント
 集落には「居住」「文化伝承」「アイデンティティ」「生産活動」といった要素がある。
 居住がなくなることは、集落がなくなることと同義ではない。
 無住集落は、これから全国で増えてゆくだろう。
 しかし、住まなくなっても集落を守ることは可能である。

 

 公共インフラ(道路など)の維持管理のコストは、それほど大きなものではない。
 しかし、集落の維持管理は、集落の方々が行わなければならない。
 いかに若い世代にかかわってもらうか、愛着を感じるきっかけをつくるかが大切である。

 

● 全国の無住集落を調査・研究 浅原昭生さんの紹介
 浅原さんは、本業のかたわら、全国の無住集落(廃村)を訪ねて
 本を出版するなど、その様子を記録に残している。

 

 

 画像1:福井 小浜 上根来集落 初詣で集落に集う元住民たち
     小さな子供の姿が目を引いている。
     ゲストの松本明子さんが、画面の左下でいろいろな表情を見せている。
     松本さんは、東京から高松市の実家を管理し続けているという。

 

 

 画像2:金沢大学 林直樹准教授 の紹介
     テロップには「農山村の社会・環境が専門 "無住集落"の現状の詳しい」とある。
     ロケは上根来で、山田大樹キャスター、松本明子さんとともに行われている。

 

 

 画像3:無住集落を調査・研究 浅原昭生さん の紹介
     ロケは浦和の自宅で行われた。
     3時間ぐらいかかったが、オンエアは1分ほどだった。

 

 

 画像4:浅原昭生さんからの事例紹介
     「無住集落を800か所以上訪問」する中で、
     9か所、12枚の写真を提供した。

 

 画像の引用は、現地ロケの部分もして、リアルに伝えたかったが、
 当方ややり取りがある林直樹さんが係わる部分を中心に必要最小限とした。

 

福井県南越前町(旧今庄町)大河内(その2)

  • 2016.08.25 Thursday
  • 07:28

平成28年7月31日(日)、岐阜県〜福井県の廃村めぐり、 
旧今庄町の廃村 大河内(おおこうち)では、
『廃村をゆく2』大河内の「集落の記憶」に登場する山田儀一さんに
分校跡、神社跡、耕地跡などを案内していただいた。

 

前回訪ねたときは、草に埋もれていた大河内神社の鳥居だが
今回は、山田さんが草を刈って手入れされていたため
とてもすっきりと見えた。
さらに、鳥居の先の本殿跡へと続く道筋ができていた。
「どこに本殿があったのだろう」という謎が解けて
「訪ねてよかった」と私は思った。

 

 

 画像1 : 大河内神社の鳥居
  前回は、これほど引いた位置で写真を撮ることはできなかった。

 

 

 画像2 : 大河内神社の本殿跡
  石段がしっかりと残る本殿跡で、山田さんから話をうかがった。
  ※ ミナカミさん撮影

 

 

 画像3 : 大河内の耕地跡
  集落跡よりもやや奥に、草に埋もれた耕地跡が広がっていた。
  木はまだ侵入していなかった。

 

 (2016年 7月31日(日)午後2時〜2時20分頃)

 

福井県南越前町(旧今庄町)大河内(その1)

  • 2016.08.19 Friday
  • 07:31

平成28年7月31日(日)、岐阜県〜福井県の廃村めぐり、 
芋ヶ平からは、今庄町中心部を経由して、大河内(おおこうち)へと向かった。

大河内は『廃村をゆく2』でも取り上げた廃村で、平成26年10月以来 2年ぶり。
前回は妻、井手口さんとその友人の4名で出かけた。

 

『廃村をゆく2』大河内の「集落の記憶」に登場する山田儀一さんは
「週に2、3度は大河内に来て、悠々自適のひとときを過ごしている」という。
集落の入口にクルマを停めて、「会えるといいな」と思いながら砂利道を歩くと、
蔵跡の木影に山田さんの姿が見当たった。

 

「お久しぶりです」とご挨拶し、ミナカミさん夫妻を紹介すると、
蔵跡を囲んで、昼食をとりながら語らいのひとときとなった。

三八豪雪(昭和38年1月)のときは、その後2か月間道が通じなかったという。
時は高度経済成長期、三八豪雪は山を降りるきっかけのひとつとなった。
後に手紙で山田さんは、「離村の直接の引き金となったのは
「嫁の来てがなかったことではないか」と綴ってくれた。

 

昼食後は山田さんに分校跡と神社跡を案内していただいた。
堺東小学校大河内分校は、へき地等級4級、児童数9名、大正15年開校、昭和40年閉校。
分校跡の錆びた旗ポールは、前回見たときよりもすっきりとして見えた。
大河内には離村記念碑は建っていないが、
旗ポールは十分に「集落があったことの証」の役割を果たしていた。

 

 

 画像1 : 大河内分校跡の錆びた旗ポール(1)
  すっきりして見えたのは、山田さんが草を刈って手入れされたからに他ならない。、
  『廃村をゆく2』大河内の記事には、往時の分校と旗ボールの写真が載っている。

 

 

 画像2 : 大河内分校跡の錆びた旗ポール(2)
  ポールに並んで立っていた雑木は切り倒されていた。
  山田さんは「まだしばらくは大丈夫だな」とポールを持って話された。

 

 

 画像3 : 大河内分校跡の錆びた旗ポール(3)
  ポールの下で、山田さんとミナカミさん夫妻が語らった。
  人物が入ったおかげで、高さは8mぐらいということがわかった。

 

 (2016年 7月31日(日)午後1時45分頃)

 

福井県南越前町(旧今庄町)芋ヶ平

  • 2016.08.15 Monday
  • 05:52

平成28年7月31日(日)、岐阜県〜福井県の廃村めぐり、 
旧徳山村からは、塚林道を走り、高倉峠を越えて旧今庄町へと入った。

高倉峠は、平成3年実に25年ぶり。
前回は福井県側から岐阜県へと走った。

高倉(こうくら)は福井県側の廃村の名前だが、
クルマ社会になってできた塚林道は、高倉を通らない。

 

高倉峠から10km山を下った廃村 芋ヶ平(いもがだいら)は、
平成25年7月以来 3年ぶり。
集落跡に着くと、見慣れない石碑が建っていた。
「芋ヶ平集落記念碑」という名前の離村記念碑、
建立は平成25年11月とあった。

芋ヶ平の閉村は昭和50年、記念碑の建立は平成25年11月。
閉村から記念碑の建立まで、実に48年かかっている。

 

往時のことを知る世代が少なくなってきた今、
離村記念碑建立の機運は高まりつつあるのかもしれない。

 

 

 画像1 : 高倉峠の碑
  標高956mもある山深い峠だが、眺望はよい。
  「ふつう“たかくらとうげ”って読みますよね」と私が話すと、
  よっぱさんから
  「こうくらけん(笑)」という返事が来た。

 

 (2016年 7月31日(日)午前11時25分頃)

 

 

 画像2 : 芋ヶ平集落記念碑(1)
  記念碑の表面には、分校、道場(石盛教念)、熊野神社と
  28戸の家々が刻まれていた。
  昭和30年代の姿とのことだった。

 

 

 画像3 : 芋ヶ平集落記念碑(2)
  裏面には「昭和38年の豪雪により、殆ど武生や春江などに移転した」と
  刻まれていた。
  建立者は「元芋ヶ平住民」とあった。

 

 (同 正午頃)
 

「廃村をゆく2」、旧西谷村上笹又のサクラの記事

  • 2016.05.27 Friday
  • 06:56
単独執筆市販本「廃村をゆく2」(イカロス出版刊)、
昨日(5/26(木))発売されました。
私はジュンク堂池袋本店2階で、発売開始を確認しました。

「廃村をゆく」と「廃村をゆく2」で
私の執筆で両方出てくる3地区の中のひとつが
福井県大野市旧西谷村中島(なかじま)・上笹又(かみささまた)。
この記事(2ページ)の主役は、上笹又のサクラです。

旧西谷村は、昭和の頃(1987年)から足を運んでいる
私にとってルーツのような廃村です。
昨年4月下旬(GW)の訪問時、
「咲いていたらいいな」と思っていたサクラは葉桜でした。

「満開のサクラに替えたい」というのは、
昨年6月下旬の原稿提出時から思っていたことでした。
そして、一発勝負をかけた今年4月中旬の訪問では、
満開となったサクラが迎えてくれたのでした。

サクラの画像は4月25日(月)に出てきた再校校正紙までは
葉桜でした(画像1)。
ついに満開のサクラの画像入り最終校正紙が出てきたのは
5月12日(木)のことでした(画像2)。

2002年、サクラの苗木を植えた上笹又出身の吉田吉次さんは、
2012年にお亡くなりになりました。
吉次さんからいただいた
「何事にも正直でまじめに取り組んでゆくだけだ」という言葉は
頭に強く刻まれています。



 画像1 : 旧西谷村上笹又のサクラの記事(その1)
     初訪から28年、4年ぶり6度目の訪問。
     残念ながらサクラは葉桜になっていた。

   ※サクラの撮影は、2015年4月30日(木)午後3時20分頃



 画像2 : 旧西谷村上笹又のサクラの記事(その2)
     初訪から29年、1年ぶり7度目の訪問。
     サクラは満開になって迎えてくれた。

   ※サクラの撮影は、2016年4月16日(土)午後12時30分頃
 

福井県大野市 上笹又・「ダム用地」の風景

  • 2016.05.11 Wednesday
  • 07:20
平成28年4月16日(土)、福井県大野市旧西谷村、
中島、上笹又への旅。 
上笹又を訪ねるのは6回目だが、これまで国道からはずれて
ダム用地(真名川)のほうに向かうことはなかった。

今回初めて足を運んだダム用地(真名川)には
「集落の痕跡」がはっきりと残っていた。
また、川はしっかり流れていた。
新しい発見があると、「再訪してよかった」としみじみ思える。



 画像1:上笹又・ダム用地の風景(その1)
  国道とダム用地(真名川)の間には、30mの標高差がある。



 画像2:上笹又・ダム用地の風景(その2)
  真名川の手前には、家屋の敷地跡と思われる石垣が見つかった。
  上笹又は、「ダム湖」に沈んだ村ではなかった。



 画像3:上笹又・ダム用地の風景(その3)
  真名川には普通に流れがあり、どうみても「ダム湖」ではない。
  初めて訪ねたのは、2000年5月のこと。
  「ダム湖」から「ダムの敷地」を経て、
  「ダム用地」という表現にたどり着くまで、16年かかった。

  (2016年4月16日(土)午後2時頃)
 

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