福井県南越前町(旧今庄町)大河内(その2)

  • 2016.08.25 Thursday
  • 07:28

平成28年7月31日(日)、岐阜県〜福井県の廃村めぐり、 
旧今庄町の廃村 大河内(おおこうち)では、
『廃村をゆく2』大河内の「集落の記憶」に登場する山田儀一さんに
分校跡、神社跡、耕地跡などを案内していただいた。

 

前回訪ねたときは、草に埋もれていた大河内神社の鳥居だが
今回は、山田さんが草を刈って手入れされていたため
とてもすっきりと見えた。
さらに、鳥居の先の本殿跡へと続く道筋ができていた。
「どこに本殿があったのだろう」という謎が解けて
「訪ねてよかった」と私は思った。

 

 

 画像1 : 大河内神社の鳥居
  前回は、これほど引いた位置で写真を撮ることはできなかった。

 

 

 画像2 : 大河内神社の本殿跡
  石段がしっかりと残る本殿跡で、山田さんから話をうかがった。
  ※ ミナカミさん撮影

 

 

 画像3 : 大河内の耕地跡
  集落跡よりもやや奥に、草に埋もれた耕地跡が広がっていた。
  木はまだ侵入していなかった。

 

 (2016年 7月31日(日)午後2時〜2時20分頃)

 

福井県南越前町(旧今庄町)大河内(その1)

  • 2016.08.19 Friday
  • 07:31

平成28年7月31日(日)、岐阜県〜福井県の廃村めぐり、 
芋ヶ平からは、今庄町中心部を経由して、大河内(おおこうち)へと向かった。

大河内は『廃村をゆく2』でも取り上げた廃村で、平成26年10月以来 2年ぶり。
前回は妻、井手口さんとその友人の4名で出かけた。

 

『廃村をゆく2』大河内の「集落の記憶」に登場する山田儀一さんは
「週に2、3度は大河内に来て、悠々自適のひとときを過ごしている」という。
集落の入口にクルマを停めて、「会えるといいな」と思いながら砂利道を歩くと、
蔵跡の木影に山田さんの姿が見当たった。

 

「お久しぶりです」とご挨拶し、ミナカミさん夫妻を紹介すると、
蔵跡を囲んで、昼食をとりながら語らいのひとときとなった。

三八豪雪(昭和38年1月)のときは、その後2か月間道が通じなかったという。
時は高度経済成長期、三八豪雪は山を降りるきっかけのひとつとなった。
後に手紙で山田さんは、「離村の直接の引き金となったのは
「嫁の来てがなかったことではないか」と綴ってくれた。

 

昼食後は山田さんに分校跡と神社跡を案内していただいた。
堺東小学校大河内分校は、へき地等級4級、児童数9名、大正15年開校、昭和40年閉校。
分校跡の錆びた旗ポールは、前回見たときよりもすっきりとして見えた。
大河内には離村記念碑は建っていないが、
旗ポールは十分に「集落があったことの証」の役割を果たしていた。

 

 

 画像1 : 大河内分校跡の錆びた旗ポール(1)
  すっきりして見えたのは、山田さんが草を刈って手入れされたからに他ならない。、
  『廃村をゆく2』大河内の記事には、往時の分校と旗ボールの写真が載っている。

 

 

 画像2 : 大河内分校跡の錆びた旗ポール(2)
  ポールに並んで立っていた雑木は切り倒されていた。
  山田さんは「まだしばらくは大丈夫だな」とポールを持って話された。

 

 

 画像3 : 大河内分校跡の錆びた旗ポール(3)
  ポールの下で、山田さんとミナカミさん夫妻が語らった。
  人物が入ったおかげで、高さは8mぐらいということがわかった。

 

 (2016年 7月31日(日)午後1時45分頃)

 

福井県南越前町(旧今庄町)芋ヶ平

  • 2016.08.15 Monday
  • 05:52

平成28年7月31日(日)、岐阜県〜福井県の廃村めぐり、 
旧徳山村からは、塚林道を走り、高倉峠を越えて旧今庄町へと入った。

高倉峠は、平成3年実に25年ぶり。
前回は福井県側から岐阜県へと走った。

高倉(こうくら)は福井県側の廃村の名前だが、
クルマ社会になってできた塚林道は、高倉を通らない。

 

高倉峠から10km山を下った廃村 芋ヶ平(いもがだいら)は、
平成25年7月以来 3年ぶり。
集落跡に着くと、見慣れない石碑が建っていた。
「芋ヶ平集落記念碑」という名前の離村記念碑、
建立は平成25年11月とあった。

芋ヶ平の閉村は昭和50年、記念碑の建立は平成25年11月。
閉村から記念碑の建立まで、実に48年かかっている。

 

往時のことを知る世代が少なくなってきた今、
離村記念碑建立の機運は高まりつつあるのかもしれない。

 

 

 画像1 : 高倉峠の碑
  標高956mもある山深い峠だが、眺望はよい。
  「ふつう“たかくらとうげ”って読みますよね」と私が話すと、
  よっぱさんから
  「こうくらけん(笑)」という返事が来た。

 

 (2016年 7月31日(日)午前11時25分頃)

 

 

 画像2 : 芋ヶ平集落記念碑(1)
  記念碑の表面には、分校、道場(石盛教念)、熊野神社と
  28戸の家々が刻まれていた。
  昭和30年代の姿とのことだった。

 

 

 画像3 : 芋ヶ平集落記念碑(2)
  裏面には「昭和38年の豪雪により、殆ど武生や春江などに移転した」と
  刻まれていた。
  建立者は「元芋ヶ平住民」とあった。

 

 (同 正午頃)
 

「廃村をゆく2」、旧西谷村上笹又のサクラの記事

  • 2016.05.27 Friday
  • 06:56
単独執筆市販本「廃村をゆく2」(イカロス出版刊)、
昨日(5/26(木))発売されました。
私はジュンク堂池袋本店2階で、発売開始を確認しました。

「廃村をゆく」と「廃村をゆく2」で
私の執筆で両方出てくる3地区の中のひとつが
福井県大野市旧西谷村中島(なかじま)・上笹又(かみささまた)。
この記事(2ページ)の主役は、上笹又のサクラです。

旧西谷村は、昭和の頃(1987年)から足を運んでいる
私にとってルーツのような廃村です。
昨年4月下旬(GW)の訪問時、
「咲いていたらいいな」と思っていたサクラは葉桜でした。

「満開のサクラに替えたい」というのは、
昨年6月下旬の原稿提出時から思っていたことでした。
そして、一発勝負をかけた今年4月中旬の訪問では、
満開となったサクラが迎えてくれたのでした。

サクラの画像は4月25日(月)に出てきた再校校正紙までは
葉桜でした(画像1)。
ついに満開のサクラの画像入り最終校正紙が出てきたのは
5月12日(木)のことでした(画像2)。

2002年、サクラの苗木を植えた上笹又出身の吉田吉次さんは、
2012年にお亡くなりになりました。
吉次さんからいただいた
「何事にも正直でまじめに取り組んでゆくだけだ」という言葉は
頭に強く刻まれています。



 画像1 : 旧西谷村上笹又のサクラの記事(その1)
     初訪から28年、4年ぶり6度目の訪問。
     残念ながらサクラは葉桜になっていた。

   ※サクラの撮影は、2015年4月30日(木)午後3時20分頃



 画像2 : 旧西谷村上笹又のサクラの記事(その2)
     初訪から29年、1年ぶり7度目の訪問。
     サクラは満開になって迎えてくれた。

   ※サクラの撮影は、2016年4月16日(土)午後12時30分頃
 

福井県大野市 上笹又・「ダム用地」の風景

  • 2016.05.11 Wednesday
  • 07:20
平成28年4月16日(土)、福井県大野市旧西谷村、
中島、上笹又への旅。 
上笹又を訪ねるのは6回目だが、これまで国道からはずれて
ダム用地(真名川)のほうに向かうことはなかった。

今回初めて足を運んだダム用地(真名川)には
「集落の痕跡」がはっきりと残っていた。
また、川はしっかり流れていた。
新しい発見があると、「再訪してよかった」としみじみ思える。



 画像1:上笹又・ダム用地の風景(その1)
  国道とダム用地(真名川)の間には、30mの標高差がある。



 画像2:上笹又・ダム用地の風景(その2)
  真名川の手前には、家屋の敷地跡と思われる石垣が見つかった。
  上笹又は、「ダム湖」に沈んだ村ではなかった。



 画像3:上笹又・ダム用地の風景(その3)
  真名川には普通に流れがあり、どうみても「ダム湖」ではない。
  初めて訪ねたのは、2000年5月のこと。
  「ダム湖」から「ダムの敷地」を経て、
  「ダム用地」という表現にたどり着くまで、16年かかった。

  (2016年4月16日(土)午後2時頃)
 

福井県大野市 下笹又「萬霊之碑」

  • 2016.04.29 Friday
  • 07:24
平成28年4月16日(土)、福井県大野市旧西谷村、
中島、上笹又への旅。 
上若生子−上笹又間にある、下笹又(しもささまた)の
離村記念碑「萬霊之碑」は、旅の終わり、帰り道に訪ねた。 

下笹又よりも山側が、旧西谷村の集落となる。
旧西谷村は11集落からなる自治体だったが、
昭和32年の笹生川ダム建設、昭和38年1月の三八豪雪、
昭和40年9月の奥越集中豪雨の被害を経て、
昭和44年8月、真名川ダム建設のため
中島、黒当戸、上笹又、下笹又が離村し、
自治体規模の廃村となった(大野市への編入は昭和45年7月)。

私はこれまで、小沢を除く旧西谷村10集落を訪ねたが、
本戸を除く9集落には離村記念碑を見い出している。
その姿は、集落ごとにさまざまだ。
旧西谷村は、離村記念碑の設置において、優等生である。



 画像1 : 下笹又「萬霊之碑」(その1)
  碑の上にサクラの花を乗せる形となっていた。



 画像2 : 下笹又「萬霊之碑」(その2)
  碑の正面には離村記念「萬霊之碑」と刻まれている。
  集落名 下笹又は、裏面に小さく刻まれているだけである。
  建立は昭和44年8月、下笹又一同となっている。

 (2016年4月16日(土)午後2時20分頃)

福井県大野市 上若生子 「ふるさとの碑」と学校跡の碑

  • 2016.04.26 Tuesday
  • 07:04
平成28年4月16日(土)、福井県大野市旧西谷村、
中島、上笹又への旅。 
麻那姫像、下若生子「ふるさとの碑」に続いて、
上若生子(かみわかご)「ふるさとの碑」を訪ねた。 

敷地には「若生子小学校跡」という石柱も建っている。
若生子小学校はへき地等級1級,児童数74名(S.34),
明治8年開校,昭和44年(年度途中)閉校。集落も同年閉村。
最終年度(S.44年度)の児童数は13名だった。



 画像1 : 下若生子「ふるさとの碑」と学校跡の碑
  サクラの花に春が感じられる
  集落、学校跡はともに湖の中なのだろう。



 画像2 : 「若生子小学校跡」の碑、側面と裏面 
  学制は明治6年(1873年)だから、
  百年後は1973年(昭和48年)に建ったことになる。



 画像3 : 「賞状 優良造林地の部 奨励賞」の碑
  「上若生子生産森林組合」の名前があって、
  中日新聞社から贈られた賞状をもとにしたものらしい。
  碑の年月は「平成20年2月」だった。

  (2016年 1月11日(月)正午頃)

下若生子・麻那姫像と「ふるさとの碑」

  • 2016.04.23 Saturday
  • 07:15
平成28年4月16日(土)、福井県大野市旧西谷村、
中島、上笹又への旅。 
手前には、下若生子、上若生子、下笹又という
3つのダム関係の廃村がある。
若生子は「わかご」「わこうご」と2通りの読み方があるが、
「わかご」のほうがよく使われている。

大野市街からR.157で山へ向かい、
真名川ダム・麻那姫湖まで来ると、迎えてくれるのが麻那姫像だ。
「昔、真名川に身を投げて自らを竜神にささげ、
大干ばつから村人を救った」という伝説にちなむ像で、
サクラは盛りは過ぎていたが、きれいに咲く木もあった。

近くには下若生子の「ふるさとの碑」が建っているが、
碑の回りのサクラの花はあまり残っていなかった。



 画像1 : 麻那姫像
  平成12年春以来、複数回訪ねているので、なじみと言える。



 画像2 : 麻那姫湖
  ダム湖を覗き込むと、サクラが咲いていた。



 画像3 : 下若生子「ふるさとの碑」
  存在感がある碑の周囲は、公園のように整えられている。

  (2016年 4月16日(土)午前11時50分頃)

 

福井県大野市 上笹又・白山神社跡

  • 2016.04.20 Wednesday
  • 07:13
平成28年4月16日(土)、福井県大野市旧西谷村、
中島、上笹又への旅。 
中島の春日神社跡に続いて、上笹又の白山神社跡を訪ねた。 

神社跡に石垣などは見当たらなかったが、
見事にシダレザクラが咲いていた。
意外な展開は、旅の醍醐味だ。



 画像1 : 上笹又・白山神社跡(遠景) 
  5回目の訪問で、初めて発見した。



 画像2 : 上笹又・白山神社跡(近景) 
  サクラが咲いていなかったら、開けた空間でしかない。
  花の頃に訪ねることができて本当によかった。

  (2016年 1月11日(月)午後1時40分頃)
 

福井県の廃村に出かけました

  • 2016.04.19 Tuesday
  • 07:27
平成28年4月16日(土)、大阪の実家行きの途中下車で 
福井県の廃村に出かけました。 
訪ねたのは、旧西谷村の廃村 上笹又と中島で、5度目と6度目です。 
故吉田吉次さんのご子息(吉成さん)とご一緒しました。 

麻那姫湖青少年旅行村で昼食をとった後、 
「何か痕跡はないかな」という私の声に、吉田さんは
「受付の方は何か知っているかもしれない」と返してくれました。
そして、意外な展開で、中島、上笹又のお宮さん(神社)の跡を
見つけることができました。



 画像1: 中島の「萬霊之碑」
     改めて建立時期を確認すると、
     「昭和44年8月建立」、離村と同時期でした。 



 画像2: 中島・春日神社跡の石段 
     しっかりした石組に、
     大きな神社があったことがうかがえました。



 画像3: 中島・春日神社跡の境内
     境内はスギ林になっていましたが、
     ご本尊が祀られていた場所は高くなっていて、
     階段、石垣からはっきりとわかりました。

 (2016年4月16日(土)午後1時〜1時10分頃)

calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< July 2018 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

recommend

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM