福井県南越前町(旧今庄町)大河内(その2)

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    平成28年7月31日(日)、岐阜県〜福井県の廃村めぐり、 
    旧今庄町の廃村 大河内(おおこうち)では、
    『廃村をゆく2』大河内の「集落の記憶」に登場する山田儀一さんに
    分校跡、神社跡、耕地跡などを案内していただいた。

     

    前回訪ねたときは、草に埋もれていた大河内神社の鳥居だが
    今回は、山田さんが草を刈って手入れされていたため
    とてもすっきりと見えた。
    さらに、鳥居の先の本殿跡へと続く道筋ができていた。
    「どこに本殿があったのだろう」という謎が解けて
    「訪ねてよかった」と私は思った。

     

     

     画像1 : 大河内神社の鳥居
      前回は、これほど引いた位置で写真を撮ることはできなかった。

     

     

     画像2 : 大河内神社の本殿跡
      石段がしっかりと残る本殿跡で、山田さんから話をうかがった。
      ※ ミナカミさん撮影

     

     

     画像3 : 大河内の耕地跡
      集落跡よりもやや奥に、草に埋もれた耕地跡が広がっていた。
      木はまだ侵入していなかった。

     

     (2016年 7月31日(日)午後2時〜2時20分頃)

     


    福井県南越前町(旧今庄町)大河内(その1)

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      平成28年7月31日(日)、岐阜県〜福井県の廃村めぐり、 
      芋ヶ平からは、今庄町中心部を経由して、大河内(おおこうち)へと向かった。

      大河内は『廃村をゆく2』でも取り上げた廃村で、平成26年10月以来 2年ぶり。
      前回は妻、井手口さんとその友人の4名で出かけた。

       

      『廃村をゆく2』大河内の「集落の記憶」に登場する山田儀一さんは
      「週に2、3度は大河内に来て、悠々自適のひとときを過ごしている」という。
      集落の入口にクルマを停めて、「会えるといいな」と思いながら砂利道を歩くと、
      蔵跡の木影に山田さんの姿が見当たった。

       

      「お久しぶりです」とご挨拶し、ミナカミさん夫妻を紹介すると、
      蔵跡を囲んで、昼食をとりながら語らいのひとときとなった。

      三八豪雪(昭和38年1月)のときは、その後2か月間道が通じなかったという。
      時は高度経済成長期、三八豪雪は山を降りるきっかけのひとつとなった。
      後に手紙で山田さんは、「離村の直接の引き金となったのは
      「嫁の来てがなかったことではないか」と綴ってくれた。

       

      昼食後は山田さんに分校跡と神社跡を案内していただいた。
      堺東小学校大河内分校は、へき地等級4級、児童数9名、大正15年開校、昭和40年閉校。
      分校跡の錆びた旗ポールは、前回見たときよりもすっきりとして見えた。
      大河内には離村記念碑は建っていないが、
      旗ポールは十分に「集落があったことの証」の役割を果たしていた。

       

       

       画像1 : 大河内分校跡の錆びた旗ポール(1)
        すっきりして見えたのは、山田さんが草を刈って手入れされたからに他ならない。、
        『廃村をゆく2』大河内の記事には、往時の分校と旗ボールの写真が載っている。

       

       

       画像2 : 大河内分校跡の錆びた旗ポール(2)
        ポールに並んで立っていた雑木は切り倒されていた。
        山田さんは「まだしばらくは大丈夫だな」とポールを持って話された。

       

       

       画像3 : 大河内分校跡の錆びた旗ポール(3)
        ポールの下で、山田さんとミナカミさん夫妻が語らった。
        人物が入ったおかげで、高さは8mぐらいということがわかった。

       

       (2016年 7月31日(日)午後1時45分頃)

       


      福井県南越前町(旧今庄町)芋ヶ平

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        平成28年7月31日(日)、岐阜県〜福井県の廃村めぐり、 
        旧徳山村からは、塚林道を走り、高倉峠を越えて旧今庄町へと入った。

        高倉峠は、平成3年実に25年ぶり。
        前回は福井県側から岐阜県へと走った。

        高倉(こうくら)は福井県側の廃村の名前だが、
        クルマ社会になってできた塚林道は、高倉を通らない。

         

        高倉峠から10km山を下った廃村 芋ヶ平(いもがだいら)は、
        平成25年7月以来 3年ぶり。
        集落跡に着くと、見慣れない石碑が建っていた。
        「芋ヶ平集落記念碑」という名前の離村記念碑、
        建立は平成25年11月とあった。

        芋ヶ平の閉村は昭和50年、記念碑の建立は平成25年11月。
        閉村から記念碑の建立まで、実に48年かかっている。

         

        往時のことを知る世代が少なくなってきた今、
        離村記念碑建立の機運は高まりつつあるのかもしれない。

         

         

         画像1 : 高倉峠の碑
          標高956mもある山深い峠だが、眺望はよい。
          「ふつう“たかくらとうげ”って読みますよね」と私が話すと、
          よっぱさんから
          「こうくらけん(笑)」という返事が来た。

         

         (2016年 7月31日(日)午前11時25分頃)

         

         

         画像2 : 芋ヶ平集落記念碑(1)
          記念碑の表面には、分校、道場(石盛教念)、熊野神社と
          28戸の家々が刻まれていた。
          昭和30年代の姿とのことだった。

         

         

         画像3 : 芋ヶ平集落記念碑(2)
          裏面には「昭和38年の豪雪により、殆ど武生や春江などに移転した」と
          刻まれていた。
          建立者は「元芋ヶ平住民」とあった。

         

         (同 正午頃)
         


        「廃村をゆく2」、旧西谷村上笹又のサクラの記事

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          単独執筆市販本「廃村をゆく2」(イカロス出版刊)、
          昨日(5/26(木))発売されました。
          私はジュンク堂池袋本店2階で、発売開始を確認しました。

          「廃村をゆく」と「廃村をゆく2」で
          私の執筆で両方出てくる3地区の中のひとつが
          福井県大野市旧西谷村中島(なかじま)・上笹又(かみささまた)。
          この記事(2ページ)の主役は、上笹又のサクラです。

          旧西谷村は、昭和の頃(1987年)から足を運んでいる
          私にとってルーツのような廃村です。
          昨年4月下旬(GW)の訪問時、
          「咲いていたらいいな」と思っていたサクラは葉桜でした。

          「満開のサクラに替えたい」というのは、
          昨年6月下旬の原稿提出時から思っていたことでした。
          そして、一発勝負をかけた今年4月中旬の訪問では、
          満開となったサクラが迎えてくれたのでした。

          サクラの画像は4月25日(月)に出てきた再校校正紙までは
          葉桜でした(画像1)。
          ついに満開のサクラの画像入り最終校正紙が出てきたのは
          5月12日(木)のことでした(画像2)。

          2002年、サクラの苗木を植えた上笹又出身の吉田吉次さんは、
          2012年にお亡くなりになりました。
          吉次さんからいただいた
          「何事にも正直でまじめに取り組んでゆくだけだ」という言葉は
          頭に強く刻まれています。



           画像1 : 旧西谷村上笹又のサクラの記事(その1)
               初訪から28年、4年ぶり6度目の訪問。
               残念ながらサクラは葉桜になっていた。

             ※サクラの撮影は、2015年4月30日(木)午後3時20分頃



           画像2 : 旧西谷村上笹又のサクラの記事(その2)
               初訪から29年、1年ぶり7度目の訪問。
               サクラは満開になって迎えてくれた。

             ※サクラの撮影は、2016年4月16日(土)午後12時30分頃
           

          福井県大野市 上笹又・「ダム用地」の風景

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            平成28年4月16日(土)、福井県大野市旧西谷村、
            中島、上笹又への旅。 
            上笹又を訪ねるのは6回目だが、これまで国道からはずれて
            ダム用地(真名川)のほうに向かうことはなかった。

            今回初めて足を運んだダム用地(真名川)には
            「集落の痕跡」がはっきりと残っていた。
            また、川はしっかり流れていた。
            新しい発見があると、「再訪してよかった」としみじみ思える。



             画像1:上笹又・ダム用地の風景(その1)
              国道とダム用地(真名川)の間には、30mの標高差がある。



             画像2:上笹又・ダム用地の風景(その2)
              真名川の手前には、家屋の敷地跡と思われる石垣が見つかった。
              上笹又は、「ダム湖」に沈んだ村ではなかった。



             画像3:上笹又・ダム用地の風景(その3)
              真名川には普通に流れがあり、どうみても「ダム湖」ではない。
              初めて訪ねたのは、2000年5月のこと。
              「ダム湖」から「ダムの敷地」を経て、
              「ダム用地」という表現にたどり着くまで、16年かかった。

              (2016年4月16日(土)午後2時頃)
             

            福井県大野市 下笹又「萬霊之碑」

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              平成28年4月16日(土)、福井県大野市旧西谷村、
              中島、上笹又への旅。 
              上若生子−上笹又間にある、下笹又(しもささまた)の
              離村記念碑「萬霊之碑」は、旅の終わり、帰り道に訪ねた。 

              下笹又よりも山側が、旧西谷村の集落となる。
              旧西谷村は11集落からなる自治体だったが、
              昭和32年の笹生川ダム建設、昭和38年1月の三八豪雪、
              昭和40年9月の奥越集中豪雨の被害を経て、
              昭和44年8月、真名川ダム建設のため
              中島、黒当戸、上笹又、下笹又が離村し、
              自治体規模の廃村となった(大野市への編入は昭和45年7月)。

              私はこれまで、小沢を除く旧西谷村10集落を訪ねたが、
              本戸を除く9集落には離村記念碑を見い出している。
              その姿は、集落ごとにさまざまだ。
              旧西谷村は、離村記念碑の設置において、優等生である。



               画像1 : 下笹又「萬霊之碑」(その1)
                碑の上にサクラの花を乗せる形となっていた。



               画像2 : 下笹又「萬霊之碑」(その2)
                碑の正面には離村記念「萬霊之碑」と刻まれている。
                集落名 下笹又は、裏面に小さく刻まれているだけである。
                建立は昭和44年8月、下笹又一同となっている。

               (2016年4月16日(土)午後2時20分頃)

              福井県大野市 上若生子 「ふるさとの碑」と学校跡の碑

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                平成28年4月16日(土)、福井県大野市旧西谷村、
                中島、上笹又への旅。 
                麻那姫像、下若生子「ふるさとの碑」に続いて、
                上若生子(かみわかご)「ふるさとの碑」を訪ねた。 

                敷地には「若生子小学校跡」という石柱も建っている。
                若生子小学校はへき地等級1級,児童数74名(S.34),
                明治8年開校,昭和44年(年度途中)閉校。集落も同年閉村。
                最終年度(S.44年度)の児童数は13名だった。



                 画像1 : 下若生子「ふるさとの碑」と学校跡の碑
                  サクラの花に春が感じられる
                  集落、学校跡はともに湖の中なのだろう。



                 画像2 : 「若生子小学校跡」の碑、側面と裏面 
                  学制は明治6年(1873年)だから、
                  百年後は1973年(昭和48年)に建ったことになる。



                 画像3 : 「賞状 優良造林地の部 奨励賞」の碑
                  「上若生子生産森林組合」の名前があって、
                  中日新聞社から贈られた賞状をもとにしたものらしい。
                  碑の年月は「平成20年2月」だった。

                  (2016年 1月11日(月)正午頃)

                下若生子・麻那姫像と「ふるさとの碑」

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                  平成28年4月16日(土)、福井県大野市旧西谷村、
                  中島、上笹又への旅。 
                  手前には、下若生子、上若生子、下笹又という
                  3つのダム関係の廃村がある。
                  若生子は「わかご」「わこうご」と2通りの読み方があるが、
                  「わかご」のほうがよく使われている。

                  大野市街からR.157で山へ向かい、
                  真名川ダム・麻那姫湖まで来ると、迎えてくれるのが麻那姫像だ。
                  「昔、真名川に身を投げて自らを竜神にささげ、
                  大干ばつから村人を救った」という伝説にちなむ像で、
                  サクラは盛りは過ぎていたが、きれいに咲く木もあった。

                  近くには下若生子の「ふるさとの碑」が建っているが、
                  碑の回りのサクラの花はあまり残っていなかった。



                   画像1 : 麻那姫像
                    平成12年春以来、複数回訪ねているので、なじみと言える。



                   画像2 : 麻那姫湖
                    ダム湖を覗き込むと、サクラが咲いていた。



                   画像3 : 下若生子「ふるさとの碑」
                    存在感がある碑の周囲は、公園のように整えられている。

                    (2016年 4月16日(土)午前11時50分頃)

                   

                  福井県大野市 上笹又・白山神社跡

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                    平成28年4月16日(土)、福井県大野市旧西谷村、
                    中島、上笹又への旅。 
                    中島の春日神社跡に続いて、上笹又の白山神社跡を訪ねた。 

                    神社跡に石垣などは見当たらなかったが、
                    見事にシダレザクラが咲いていた。
                    意外な展開は、旅の醍醐味だ。



                     画像1 : 上笹又・白山神社跡(遠景) 
                      5回目の訪問で、初めて発見した。



                     画像2 : 上笹又・白山神社跡(近景) 
                      サクラが咲いていなかったら、開けた空間でしかない。
                      花の頃に訪ねることができて本当によかった。

                      (2016年 1月11日(月)午後1時40分頃)
                     

                    福井県の廃村に出かけました

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                      平成28年4月16日(土)、大阪の実家行きの途中下車で 
                      福井県の廃村に出かけました。 
                      訪ねたのは、旧西谷村の廃村 上笹又と中島で、5度目と6度目です。 
                      故吉田吉次さんのご子息(吉成さん)とご一緒しました。 

                      麻那姫湖青少年旅行村で昼食をとった後、 
                      「何か痕跡はないかな」という私の声に、吉田さんは
                      「受付の方は何か知っているかもしれない」と返してくれました。
                      そして、意外な展開で、中島、上笹又のお宮さん(神社)の跡を
                      見つけることができました。



                       画像1: 中島の「萬霊之碑」
                           改めて建立時期を確認すると、
                           「昭和44年8月建立」、離村と同時期でした。 



                       画像2: 中島・春日神社跡の石段 
                           しっかりした石組に、
                           大きな神社があったことがうかがえました。



                       画像3: 中島・春日神社跡の境内
                           境内はスギ林になっていましたが、
                           ご本尊が祀られていた場所は高くなっていて、
                           階段、石垣からはっきりとわかりました。

                       (2016年4月16日(土)午後1時〜1時10分頃)

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