門谷 再訪(その2)

  • 2019.08.28 Wednesday
  • 06:37

令和元年8月中旬、静岡県の廃村探索、
2日後の TBS「マツコの知らない世界」という番組で、
トンネルマニアの方が
「現地まで歩いていくと、着いたときの感動が違う」と話されていた。

 

確かに、片道2時間30分 歩いていった門谷は、
感動というか、より記憶に残る廃村となった。

 

 

 画像1:門谷分校跡 校舎(その4)

 

 

 画像2:門谷分校跡 校舎(その5)

 

 

 画像3:門谷分校跡 校舎(その6)

 

 

 画像4:校庭に残る遊具(その1)

 

 

 画像5:校庭に残る遊具(その2)

 

 (2019年8月18日(日)午後4時30分〜4時40分頃)
 

門谷 再訪(その1)

  • 2019.08.27 Tuesday
  • 07:20

令和元年8月中旬、静岡県の廃村探索、
塩沢から林道天竜川線をおよそ5辧▲泪ぅ據璽垢琶發とおよそ1時間30分で
目的地の廃村 門谷(かどたに)にたどり着いた。
小和田駅からの8劼任蓮2時間30分かかった。

 

業界地図(S.33)の門谷戸数は14戸。
水窪小学校門谷分校は、へき地等級2級、児童数12名(S.34)、明治12年開校、昭和44年休校、同45年閉校。
小和田や塩沢も校区に入っていたはずだ。

 

広葉樹林の中に隠れるように建つ分校跡の校舎は、傷んではいたが、教室に机が並ぶなど、往時の雰囲気を残していた。

気になっていた校舎正面入口のモニュメントは、やはり灰皿だった。
道中、林道天竜川線を走るクルマとは、一台も出会わなかった。

 

 

 画像1:門谷分校跡 校舎(その1)
     林道天竜川線沿いではあるが、高台にあるためわかりにくい。

 

 

 画像2:門谷分校跡 校舎(その2)
     校舎正面入口、かつては灰皿ではなく校章などがあったのだろう。

 

 

 画像3:門谷分校跡裏手に建つ忠魂碑
     大正時代に建てられたものらしい。

 

 

 画像4:門谷分校跡 校舎(その3)
     裏手から見ると、崩れはじめていることがわかった。

 

 (2019年8月18日(日)午後4時20分〜4時30分頃)
 

高瀬 / 小和田駅−林道天竜川線間の山道の廃村

  • 2019.08.25 Sunday
  • 07:29

令和元年8月中旬、静岡県の廃村探索、
小和田駅からの山道は、林道天竜川線が通る集落 塩沢へと向かっている。
小和田駅−塩沢の標高差は約300mだから、山登りのような雰囲気がある。

 

途中には、高瀬という小さな規模の廃村がある。
今も残る「ポツンと一軒家」という感じの家屋には、

近年まで老夫婦が暮らされていたという。

 

 

 画像1:高瀬・ポツンと一軒残る家屋
     人の気配はなく、使われている様子はなかった。
     庭先に「門谷自主防災会」という名称入りの防災用品入れがあった。
     業界地図(S.33)では、「高瀬4戸」となっている。

 

 

 画像2:高瀬川付近の迂回路
     昨年の夏から秋にかけての台風で、山道は相当傷んだらしい。
     迂回路はかなりの下りと上りがあった。

 

 

 画像3:高瀬川の吊り橋
     迂回路は吊り橋手前で山道と合流した。
     吊り橋はしっかり管理されていた。

 

 (2019年8月18日(日)午後2時5分〜2時15分頃)
 

小和田 駅前廃村

  • 2019.08.24 Saturday
  • 07:32

令和元年8月中旬、静岡県の廃村探索、
秘境駅 小和田で下車して、目的地の廃校廃村 門谷を目指して
歩き始めたのは午後1時45分。
まといリスの看板を過ぎると、前方に廃屋が見えてきた。

 

廃屋は2軒あって、ひとつは製茶工場のようだった。
業界地図に記された小和田の戸数は7戸(S.33)、
「小和田駅近辺に集落はない」という情報は得ていたが、
駅前廃村を訪ねるイメージはなかったので、とても驚いた。

 

廃屋の様子、Webに記された記事などから

小和田の離村時期は昭和51年頃と推測した。

 

 

 画像1:小和田 駅前廃村の廃屋
     駅から坂を下ること2分ほどで、この廃屋が見えてきた。

 

 

 画像2:廃屋の内部
     古びてはいるが、開放されているので傷みにくそうだ。

 

 

 画像3:製茶工場跡
     もう一軒、機械が入った廃屋があった。

 

 

 画像4:製茶工場跡の内部
     往時は、斜面に茶畑が広がっていたことが想像される。

 

 

 画像5:塩沢集落への道を示す案内板
     荒い気候が続くからか、案内板は傾いていた。

 

 (2019年8月18日(日)午後1時50分〜1時55分頃)
 

静岡県の廃村に行ってきました

  • 2019.08.20 Tuesday
  • 06:53

令和元年8月中旬、静岡県の廃村に行ってきました。

訪ねた廃校廃村は、浜松市天竜区(旧水窪町)の門谷(かどたに)で、
最寄りの駅から歩いて訪ねました。

前に訪ねたのが平成19年5月だから、12年ぶりの再訪です。

 

最寄り駅は飯田線小和田(こわだ)駅で、山道を3 歩かないと車道(林道天竜川線)にたどり着きません。
門谷分校跡までは、林道天竜川線を歩いて5辧△海隆屐⊃佑筌ルマには遭遇しませんでした。
帰りには、次の最寄り駅 大嵐(おおぞれ)駅を使いました。

林道天竜川線と林道西山線を歩いて9辧△海隆屬眇佑筌ルマにはまったく遭遇しませんでした。

 

大がかりな計画ですが、埼玉−大阪間の移動の中に納まりました。
帰路の湯谷温泉−豊橋間では、豊橋在住の友人と1時間ほど飲み鉄しました。

 

 

 画像1:小和田駅 駅舎 
    3両編成の電車にはまずまずの乗客数があったが、
    下りたのは私一人だった。

 

 

 画像2:門谷分校跡 校舎
    林道沿いなのだが、なかなか見つけにくい山の中、
    傷みが進んだ校舎が迎えてくれた。

 

 

 画像3:大嵐駅 駅舎
    小和田から門谷経由、大嵐まで計17km、
    かかった時間は休憩・探索を含めて5時間半だった。

 

 (2019年8月18日(日)午後1時41分〜7時10分頃)

 

三重県の廃村に行ってきました

  • 2014.03.24 Monday
  • 06:31

春分の日(3/21(金祝))、誕生日の翌日、 
先月に引き続き、愛知県在住のきたたびさんと三重県の廃村に行ってきました。 
今回訪ねたのは、松阪市旧飯高町青田(おおだ)、蓮(はちす)、 
旧飯南町峠(とうげ)の3か所で、青田、蓮は初訪、峠は10年ぶりの訪問です。 

当日の伊勢の山間部は、日差しはありましたが風が強くて肌寒く、 
あられが降ったかと思えばみぞれになって・・・ という荒天でした。 
しかし、廃村には三者三様の味があって、 
先月の北布引に引き続き、充実した一日を過ごすことができました(^_^) 

今回はレンタカーだったので、クルマを返した後、 
近鉄伊勢中川駅近くで、飲み会をすることができたのも、収穫でした(^_^;) 



画像1 青田・盛伝寺跡の石碑と大きなクスノキ 
(2014年3月21日(金祝)午後12時35分頃) 



画像2 蓮・「水」と記された特徴的な流しの跡(右)と 
風呂の跡(左) 
(午後2時頃) 



画像3 峠・分校跡から見た集落跡の遠景 
(午後4時20分頃)

静岡県の廃村に出かけました

  • 2012.11.27 Tuesday
  • 20:10

11/22(木)から25(日)まで、3泊4日で関西に戻っていました。
埼玉への帰り道、静岡県の掛川で途中下車して、森町の廃村 中塚に立ち寄りました。


中塚には、クルマを置いてから10分弱山道を歩いて上らなければ行くことができません。
中塚にあった分校は、吉川小学校(のち天方小学校)嵯塚分校。
分校には、中塚からさらに10分弱山道を歩いて上らなければ行くことができません。


嵯塚は、佐賀野と中塚の一字ずつを取った合成名と思われます。
中塚に1軒残る家の方のお話しによると、
ほぼ山上にある分校から佐賀野までは、谷まで下って、それから山を上って、
歩いて約1時間かかったとのこと。
佐賀野へ向かう道は地形図(新・旧)には記されていなかったのですが、
この謎は解くことができました。


今は、佐賀野に向かう道は、山に還っていると思われます。
また、佐賀野と中塚を直接結ぶ車道はなく、佐賀野には行けませんでした。


画像は、階段から見上げた嵯塚分校跡で、背中の方向が中塚集落跡です。


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