滋賀県彦根市 明幸(その3)

  • 2020.05.09 Saturday
  • 07:19

令和2年3月下旬、滋賀県の廃村探索+廃村の取材、
明幸(みょうこう)の神社は神明宮で、鳥居は「平成6年9月建立」とあった。
鳥居をくぐってから坂道を上がると、趣がある社殿が迎えてくれた。

 

米原駅には夕方5時30分には戻りたい。
「こんな静かな廃村から、大丈夫かな」と思ったが、
明幸から米原駅まで、ガソリンスタンド経由で50分で戻り着くことができた。
すぐそばの武奈の再訪は果たせなかった。

 

 

  画像1: 明幸・神社の鳥居と分校跡の碑
      画像の左に明満寺跡碑、右に個人宅跡の碑がある。

 

 

  画像2: 神明宮の社殿
      青く塗られた扉が印象に残る。

 

 

  画像3: 帰り道、スギ林の中で見た蔵
      帰路はスギ林の中の小道を通った。

 

  (2020年3月22日(日) 午後4時30分〜36分頃)

 

滋賀県彦根市 明幸(その2)

  • 2020.05.08 Friday
  • 07:13

令和2年3月下旬、滋賀県の廃村探索+廃村の取材、
明幸(みょうこう)は、武奈町の中の小集落で、
郵便区全図(鳥居本局、S.38.11)には、武奈14戸、明幸2戸とある。
距離は1劼睥イ譴討らず、まとめて「武奈16戸」と読んでも不都合はない。

 

そんな小集落に分校があって、さらに神社、寺まであったという。
離村を昭和50年(分校休校年)頃と推定すると、無住になっておよそ45年。
緑の中、静まりかえった集落跡では
分校跡の碑のほか、神社、作業小屋、石垣、寺跡の碑、個人宅跡の碑など

さまざまなものがあった。

 

 

  画像1: 明幸・分校跡の碑と神社の鳥居
      神社は神明宮で、鳥居は「平成6年9月建立」とあった。

 

 

  画像2: 角が尖った石垣と作業小屋
      かつては石垣の上に家屋が建っていたのかもしれない

 

 

 

  画像3: 明満寺の跡地と跡地碑
      跡地碑は「昭和48年5月建立」とあった。

 

  (2020年3月22日(日) 午後4時27分〜29分頃)
 

滋賀県彦根市 明幸(その1)

  • 2020.05.07 Thursday
  • 06:39

令和2年3月下旬、滋賀県の廃村探索+廃村の取材、
芹谷分校跡地からは、多賀町と彦根市境のゆるい峠を越えて仏生寺に進み、
仏生寺から再び山へと進み、武奈分校跡がある 明幸(みょうこう)へと向かった。

 

鳥居本小学校武奈分校は、へき地等級2級、児童数6名(S.34)、
明治33年開校,昭和50年休校、平成2年閉校。最終年度(S.49)の児童数は4名。
私は武奈には平成12年7月に訪ねているが、明幸は今回が初めて。
つまり、武奈分校跡も初めてとなる。

 

狭い舗装道を進み、武奈手前のわかりづらい枝道(未舗装)との分岐点に
クルマを停めて、しばし歩くと
森の中にひらけた場所があり、分校跡の碑が見つかった。

 

 

  画像1: 明幸への枝道の分岐点
      一度通り過ぎて、武奈方向から戻ることで見つけた。

 

 

  画像2: 明幸のお地蔵さん
      歩いて行ったおかげで、お地蔵さんにご挨拶できた。

 

 

  画像3: 武奈分校跡地の碑と作業小屋
      碑は小さな集落跡の真ん中に建っていた。

 

  (2020年3月22日(日) 午後4時23分〜26分頃)
 
 

甲頭倉入口のゲート

  • 2020.05.02 Saturday
  • 05:54

令和2年3月下旬、滋賀県の廃村探索+廃村の取材、
霊仙落合から河内へ戻り、芹谷を下ることになったので、
予定外に芹谷分校跡へ足を運べることになった。

 

芹谷分校跡の1匱綣蠢阿砲蓮甲頭倉(こうずくら)というバス停がある。
甲頭倉集落は、バス停から1.5劼曚瓢海貌った場所にあるが、
枝道の入口には閉ざされたゲートがあって、立ち入ることができない。

 

平成12年7月に訪ねたときは、ゲートの左手の家の方が野良仕事をしていて、
承諾を得て先へと進んだ。

そのとき、
「ゲートは知らない人が入るのを避けるために多賀町役場の方と相談の上設けた」
と話をうかがったので、ゲートは設けられて20年目ということになる。

 

保月をはじめ、山間の廃村では窃盗、住居侵入といった被害があり、
防犯カメラの設置も進んでいるという。
狭い道にパトカーを見かけることもある。
甲頭倉のように、入口にゲートがある廃村がめったにないことは、
訪問者にとってはありがたいことだ。

 

 

  画像1: 甲頭倉入口のゲート(その1)
       ゲートの先、甲頭倉集落にはおじいさんがひとり暮らしているのみ。
      幸いお会いできたので,ご挨拶した

 

  (2000年7月20日(金) 午後5時30分頃)

 

 

  画像2: 甲頭倉入口のゲート(その2)
      ゲートの塗色は黒になっていたが、20年前と同じもののようだ。

 

 

  画像3: 甲頭倉入口のゲート(その3)
      ゲートには「不審者や物取りが横行しています」云々

      甲頭倉創生会会長の看板が貼られていた。

 

  (2020年3月22日(日) 午後3時35分頃)
 

滋賀県多賀町 霊仙落合(その2)

  • 2020.05.01 Friday
  • 05:47

令和2年3月下旬、滋賀県の廃村探索+廃村の取材、
霊仙落合(りょうぜんおちあい)の分校(霊仙分校)跡の脇から
男鬼(おおり)、武奈(ぶな)方面へ向かう道は通行止めとなっていた。

 

どうも霊仙落合−男鬼間に土砂崩れの箇所があるらしい。
霊仙落合は多賀町、男鬼、武奈は彦根市、
市町境をまたぐので、復旧しにくいのかもしれない。
霊仙落合−男鬼は2劼曚匹世、河内まで戻り、芹谷を下り、
彦根市仏生寺まで回り込んで行くとすれば16劼發△襦
結局、男鬼、武奈に行くのはあきらめて、
目標を未訪の武奈分校跡がある明幸(みょうこう)に絞ることになった。

 

戻り道、原形を保ちながら崩れかけた家屋があったので、クルマを停めた。
近づいて見てみると、柱や梁はしっかりしており、
この状態になってもしっかり建っている理由がわかった。


 

  画像1: 霊仙落合・崩れかけた家屋(その1)
      崩れかけているのに、原形が保たれているのがすごい。

 

 

  画像2: 崩れかけた家屋(その2)
      落合へ通じる車道は狭いので、
      今はこの家屋の庭がクルマの通路になっている。
      「危険」の看板がないのは、すぐにわかるからなのだろうか。

 

  (2020年3月22日(日) 午後3時20分頃)

 

滋賀県多賀町 霊仙落合(その1)

  • 2020.04.30 Thursday
  • 07:08

令和2年3月下旬、滋賀県の廃村探索+廃村の取材、
五僧からは権現谷沿いの林道を下り、河内風穴の駐車場で飲み物を買って
霊仙落合(りょうぜんおちあい)へと向かった。

 

霊仙落合は平成12年7月以来、20年ぶりの再訪。
「廃村と過疎の風景」のレポートには霊仙落合の画像は載っておらず、
あまり印象に残らなかったようだ。

 

多賀小学校霊仙分校は、へき地等級2級、児童数33名(S.34)、
明治16年開校、昭和60年休校、平成5年閉校。
離村年は平成7年頃と推定している。

 

分校跡は集落の奥のほうにあり、手前には広い駐車場がある。
駐車場には数台のクルマと登山者の姿があったが、地域の方の姿はなかった。
分校跡の脇から男鬼、武奈方面へ向かう道は通行止めとなっていた。

 

 

  画像1: 霊仙落合・落合神社
      霊仙は川沿いの落合、山腹の入谷、今畑の3集落からなる。
      それぞれに神社と寺があることに、歴史の深さが感じられる。

 

 

  画像2: 建設資材が置かれた霊仙分校跡の校庭
      分校跡はそれなりに整っているのだが、
      無造作に建設資材が置かれているのが気になった。

 

 

  画像3: 霊仙分校跡の碑
      碑は建設資材に挟まれて建っていた。

 

  (2020年3月22日(日) 午後3時10分〜3時15分頃)
 

滋賀県多賀町 五僧

  • 2020.04.29 Wednesday
  • 07:27

令和2年3月下旬、滋賀県の廃村探索+廃村の取材、
辻本さん(区長)達にご挨拶して保月を後にして、権現谷を越えた先の五僧(ごそう)へと向かった。

 

五僧は平成13年7月以来、19年ぶり3回目。
「何も残っていない」と聞いてきたが、傷みながらも家屋は建っていた。
「移転した」と話をうかがった美奈戸神社の跡地、探してみたがわからなかった。

 

五僧の戸数は8戸(S.38)、離村年は昭和50年。
峠の上にあるが、標高は508mで、保月、杉よりも低い。
ヒルの生息地で、19年前はジーンズが赤くなるほどの被害を受けた。
金沢大学の林さんも、「五僧でヒルにやられた」という。
しかし今は春、そんな心配はなく、快適に探索することができた。

 

 

  画像1: 五僧・林道時山多賀線開通記念碑
      峠の上にあり、平成22年5月建立と刻まれている。
      しかし、林道は峠のところで通行止めになっていた。
      背後には、古い時代の五僧峠の案内板がある。 

 

 

  画像2: 五僧の傷んだ家屋
      古い歩道を無視して、新しい林道が盛り土して作られているから
      荒んでいるように見える。

 

 

  画像3: もう一軒の家屋
      家屋は二棟並んでおり、奥の家屋は目の前が平地だからか
      いくらか明るい感じがする。

 

  (2020年3月22日(日) 午後2時30分〜2時35分頃)
 

4回目の保月

  • 2020.04.28 Tuesday
  • 07:08

令和2年3月下旬、滋賀県の廃村探索+廃村の取材、
杉からは車道を4區覆漾⊆荳狎茲諒欸遏覆曚Δ鼎)へと向かった。

 

中学校分校跡の駐車場には3台のクルマが停まっており、
神社脇の辻本さん(区長)の別宅前庭では、辻本さん、辻中さん(前区長)などが机を囲んで談笑していた。
ご挨拶をして、輪の中に加わると、奥さんはコーヒー、サツマイモ、ういろうなどを用意してくれた。
山の空気の中一服できると、幸せな気持ちになる。
「3月下旬に雪がないのは珍しい」とのこと。

 

取材が一段落してから、ひとりで集落を歩いた。
小学校跡へ続く坂道には、フクジュソウの黄色い花がたくさん咲いている。
尾根を切り拓いたと思われる小学校跡の高台から反対側へ下りると、
平成13年(19年前)6月に訪ねたときお世話になった筒井さんの家屋があった。
そのとき、中で話をうかがった江戸期からの萱葺き屋根の家屋は、朽ちてガレキになっていた。

 

脇ケ畑村役場跡裏手あたりを歩いていると、タイル貼りの浴槽が見つかった。
20年前、本腰を入れて廃村探索を始めた頃、
「浴槽って、しっかり残るものだなあ」と思ったことを思い出した。

 

 

  画像1: 中学校分校跡の駐車場、校舎のトイレ
      保月の象徴的なトイレだが、現役として使うには厳しい状況にある。

 

 

  画像2: 小学校跡へ続く坂道、フクジュソウの黄色い花
      スイセン、フクジュソウと、春の黄色い花はいいもんだ。

 

 

  画像3: 筒井さんの家屋
      江戸期からの萱葺き屋根の家屋は、残った家屋の右隣に建っていた。

 

 

  画像4: 脇ケ畑村役場跡裏手あたり、タイル貼りの浴槽
      この浴槽は、保月4回目の今回、初めて見つけた。

 

  (2020年3月22日(日) 午後1時〜1時15分頃)
 

滋賀県多賀町 杉(その2)

  • 2020.04.27 Monday
  • 07:00

令和2年3月下旬、滋賀県の廃村探索+廃村の取材、
杉(すぎ)では集落をさらっと歩いて、
車道を挟んで向こう側にある春日神社に足を運んだ。

 

杉の標高は535m(杉坂峠は585m、保月は612m)、
普段の3月下旬ならば積雪があって、道は通じていないこともある。
この日の彦根地方の最高気温は16.5℃。
この季節にしてはとても暖かく、雪は日影にも見当たらなかった。

 

 

  画像1: 春日神社の社殿
      石段を上がったところに社殿が構えていた。

 

 

  画像2: 通告の看板がついた石柱
      幟立石柱のようにも見えるが、神社からはやや離れている。

 


  画像3: 車道から見た杉の全景
      道ばたには網を巻いた苗木があった。

      すっきりしているように見えるのは、季節柄かもしれない。

 

 (2020年3月22日(日) 午前11時5分〜10分頃)
 

滋賀県多賀町 杉(その1)

  • 2020.04.26 Sunday
  • 07:07

令和2年3月下旬、滋賀県の廃村探索+廃村の取材、
鳥居本からは県道で多賀町域に入り、芹川が流れる谷(芹谷)に出て、
栗栖から曲がりくねった杉坂を上がって、廃村 杉(すぎ)へと向かった。

 

前回(令和元年6月)の保月の取材時は通過しただけだったため、
杉は平成13年6月以来、19年ぶり。
思ったよりも家屋があって、「集落」の雰囲気が残っていた。

 

杉の戸数は11戸(S.38)、離村年は昭和48年。
多賀町内 木曽に集団移転地がある。

 

 

  画像1: 杉・車道から集落への入口
      「通告 山林に無断で立ち入るべからず」
      「不法投棄禁止」
      の看板が並んで建っていた。

 

 

  画像2: 「光明寺之跡」碑
      光明寺は昭和52年に木曽団地へ移転。
      碑は平成5年に建てられた。
      平成13年6月のレポートには「新しい石碑」とあるが、
      相応に年季が入ってきた。

 

 

  画像3: 光明寺の建物と鐘楼の土台
      なぜか、「冬山遭難事故注意」の貼り紙がある。
      「鐘楼は昭和60年10月に移転した」との旨が
      『脇ケ畑史話』に記されている。

 

  (2020年3月22日(日) 午前11時頃)

 

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