新潟県十日町市(旧中里村)土倉 「ここに集い学ぶ」の碑

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    2017年7月31日(月)、新潟県の廃村探索で訪ねた、
    十日町市旧中里村の過疎集落 土倉の学校跡の碑を紹介します。
    土倉は結構な山中ですが、10世帯の暮らしがあります。

     

    高道山小学校土倉分校(のち清津峡小学校土倉分校)は、へき地等級3級、
    児童数52名(S.34)、明治15年開校、平成8年閉校。
    地域の方とお話をしたところ、
    閉校の碑が建ってからも、しばらく校舎は公民館として使われ、
    「越後妻有トリエンターレ」の会場になったとこもあったそうです。

     

    昨日取り上げた「嶺閉村之碑」は「建之」でしたが、
    「ここに集い学ぶ」は「建立」です。

     

     

     画像1:ここに集い学ぶ(表面)
        シンプルでわかりやすい碑文だと思います。

     

     

     画像2:碑から見た分校跡
        対面には、絵に描いたようなお堂が建っています。
        私はお堂があるところまで上って、分校跡を見下ろしながら
        昼食休みをとりました。

     

     

     画像3:ここに集い学ぶ(裏面)
        「此ノ碑ノ建立 平成8年3月」とあります。

     

      (平成29年7月31日(月)正午頃)


    津南町 出浦分校跡

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      2017年7月31日(月)、新潟県の廃村探索、
      津南町のなじみの宿「もりあおがえる」に近い出浦(いでうら)の分校跡を、
      10年ぶりに見に行った。

       

      宮野原小学校出浦分校(上郷小学校出浦分校)は、へき地等級1級、
      児童数11名(S.34)、昭和53年閉校。
      地区の公民館として使われている二階建て木造校舎は、
      とてもしっかり建っていた。
      現在、出浦には7戸19人の暮らしがある。

       

       

       画像1:出浦分校、二階建て木造校舎の正面
         明かりのところに「津南町立上郷小学校 出浦分校」の文字が見られる。

       

       

       画像2:二階建て木造校舎と校庭(その1)
         10年前(平成19年)に訪ねたときは、積雪期(1月)だった。

       

       

       画像3:二階建て木造校舎と校庭(その2)
         夏の津南は初めて。たまには夏の廃校探索もよいものだ。

       

        (平成29年7月31日(月)午前8時15分頃) 
       


      夕張市 清水沢小学校跡

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        平成29年5月29日(月)、北海道日高の廃村探索の帰路、
        大和炭鉱からは小学校跡に移転した沼ノ沢郵便局とセイコマに立ち寄った後、
        JR石勝線夕張支線 清水沢駅には、午後3時30分に到着した。

         

        清水沢では、成瀬さんの知合いで大夕張ゆかりの南部安友さんとお会いして、
        田中さんと歩いて小学校跡(平成元年閉校)を歩いて訪ねた。
        あと、駅近くの読売新聞夕張中央メディアセンターの高橋勇治さんにご挨拶をした。

         

         

         画像1 雑木に覆われて残る清水沢小学校跡の校舎
            平成24年5月以来だが、その雰囲気はほとんど変わっていなかった。

         

         

         画像2 「夕張市立 清水沢小学校碑」
            「閉校 1989(昭和64)年3月31日」という碑文が印象的。

         

         

         画像3 学校跡の探索で見つかった鉄製の旗ポール
            三島で見かけたばかりの旗ポールの土台と、ポールの関係がよくわかった。

         

           (2017年5月29日(月)午後4時頃)


        新冠町 太陽小学校跡

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          平成29年5月下旬、北海道・日高の廃校廃村合同探索、
          日高にある「廃村千選」のポイントは全9か所。
          もともと日高の廃村には1か所も足を運んでいなかったのだが、
          今回の行程が無事に進んだら一気に9か所全訪となる。

          長い目で見たとき、決まった地域を集中的に訪ねることは、
          〔度が高くなって効率が良い、記憶に残りやすいなど、多くのメリットがある。
          最大の難関、高見に足を運ぶことができ、ずいぶん気は軽くなった。

           

          平成29年5月29日(月)、起床は早朝5時半頃。私はまずコンビニの袋をもって、浜にコンブを拾いに行った。
          昨晩、宿のご主人に確認したところ、
          「新鮮なものを選ぶとよい土産になるだろう」とのこと。
          家では、肉厚のものは干して出汁用にして、薄いものは佃煮にして食した。

           

          皆で朝食をとった後、「三石旅館」を出発したのは朝7時15分。
          最初の目的地、平取町仁世宇までは、海岸沿いの門別経由で105辧
          新冠から内陸経由で117劼發△襦
          田中さんが「内陸ルートで行きましょう」と勧めるのは、内陸にはたくさん廃校があるかららしい。

          新冠町は、平成の大合併期の廃校を競売にかけて積極的に再利用を促したことでその道では名高い。

           

          その中、太陽小学校(平成20年閉校)の跡地は「太陽の森 ディマジオ美術館」として再利用されている。
          太陽は昭和22年に56戸の入植があったことから始まった戦後開拓集落で、今(H.22)も33戸の暮らしがある。
          学校跡のそばには簡易郵便局、木の皮学校保存室、「太陽開拓団発祥の地」の碑などがあり、
          特に木の皮学校はとても興味深かった。

           

           

           画像1:太陽小学校跡
            「太陽の森 ディマジオ美術館」として再利用されている。

           

           

           画像2: 太陽・木の皮学校保存室とその説明の碑
            そばには「太陽開拓団発祥の地」の碑、
            「一本の鍬」のモニュメントなどが見られる。

           

           

           画像3:保存室では、復元された開校時の太陽小学校が公開されている 
            気軽に訪ねることができるのは、素晴らしいと思った。

           

            (平成29年5月29日(月)午前8時45分頃)
           


          音調津と目黒

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            平成29年5月27日(土)、北海道日高の廃村探索1日目、
            帯広空港から襟裳岬方面に向かう途中、
            広尾町音調津(おしらべつ)とえりも町目黒(めぐろ)の学校跡へ立ち寄った。

             

            音調津小学校跡(平成19年閉校)には大きな校舎や運動場が残っていたが,
            人の気配はなかった。
            目黒小学校跡(平成18年閉校)の校舎には公立の食事処があったので,
            コーヒーを頼んで一服し,地域の様子をうかがった。

             

            音調津は十勝管内、目黒は日高管内、
            R.336は、長い間十勝と日高を結ぶ唯一の道だったが、
            R.236(天馬街道)の開通(平成9年開通)で、ずいぶん事情は変わったのだろう。
            なかなか来れる場所ではないので、
            目黒小学校跡でゆっくりできたてよかった。

             

             

             画像1 音調津小中学校 閉校記念碑
               閉校年(平成19年)に建立されたもので、
               沿革がプレートに記されている。

             

             

             画像2 目黒小学校 開校百周年記念碑
               平成 7年(1995年)建立と刻まれている。
               逆算すると明治28年(1895年)創立となる。

             

             

             画像3 目黒小学校跡 校舎と教員住宅
               煙突が北海道の学校らしい。
               ウインディーくんはゼニガタアザラシをモチーフとした
               えりも町のゆるキャラとのこと。

             

               (2017年5月27日(土)午前10時30分〜11時30分頃)
             


            岩渡小学校跡

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              なぜか青森県の話題がホットなので、
              王余魚沢小学校跡訪問の1時間ほど前に訪ねた
              岩渡(いわたり)小学校跡の体育館を紹介します。

               

              岩渡小学校は、へき地等級2級、児童数50名(S.34)、
              明治35年開校、昭和63年閉校。
              先の日曜日(12/11)、初めて訪ねた「柵の向こう側」というblogに
              この体育館のガレキが掲載されていました。
              寂しさと同時に、
              「あの時、訪ねておいてよかったなあ・・・」と
              思った次第です。

               

              「柵の向こう側」blogは、他にも見どころ満載なので、
              へき地blogのリンク集に追加しました。

               

               

               画像1:岩渡小学校跡の体育館(その1)
                二股(岩渡小学校の冬季分校)、王余魚沢と比べると、
                明らかに物憂げな感じが漂っていました。
                場所は雪深い津軽の山間、
                ガレキになる順序でいったら、合点するところです。

               

               

               画像2:岩渡小学校跡の体育館(その2)
                訪ねてから7年半経って、アップする気になったのも
                何かの縁なのでしょう。
                思い出すきっかけを作ってくれた
                まこちゃん(「柵の向こう側」blog管理者)に感謝します。

               

               (2009年6月6日(土)午後4時35分頃)
               


              王余魚沢小学校跡

              0

                Team HEYANEKOの若頭ことNさんのリクエストにお応えして
                平成21年6月に訪ねた青森市(旧浪岡町)王余魚沢(かれいざわ)小学校跡の
                校舎の画像をアップします。

                 

                王余魚沢小学校は、へき地等級1級、児童数86名(S.34)、明治28年開校、
                平成16年休校、平成18年閉校。
                「あの校舎は今も残っているのかなあ」と思って調べたら、
                『王余魚沢倶楽部』というカフェ&ショップとして再利用されている
                とのことです。

                 

                 

                 画像:王余魚沢小学校跡の校舎
                  あの日は一日中雨で、たいへんでした。
                  付き合っていただいたかりんさんに感謝です。

                 

                 (2009年6月6日(土)午後5時50分頃)


                ああ、保滝沢冬季分校

                0
                  平成27年10月31日(土)、秋田県廃村調査第3陣の1日目、
                  旧田代町杉の沢に続いて、
                  2月にも出かけた戸数2戸の過疎集落 保滝沢(ほたきざわ)に立ち寄った。
                  正確に言うと、保滝沢冬季分校跡地にのみ立ち寄った。

                  山田小学校保滝沢冬季分校は,へき地等級1級,児童数14名(S.34),
                  昭和29年開校,昭和45年閉校。
                  2月に探索したときは、雪景色の中、
                  農業用倉庫として残る冬季分校跡の校舎が残っていた。
                  見つけてから接近するまで1時間以上かかったことを思い出す。

                  時間がない中なので、すぐそばまでクルマでアプローチした。
                  目印の赤い鳥居の前を通過しても、それらしいものは見当たらない。
                  赤い鳥居のそばにクルマを停めて、
                  「確かこのあたりだったはず」という場所まで歩いた。
                  どうやら、分校跡校舎はこの8か月の間に取り壊されたらしく、
                  現地には建物の基礎すら残っていなかった。



                  画像1 : 保滝沢冬季分校跡の校舎 
                  保存状態は悪くはなく、「農業用倉庫として活用されているからだろう」と思った。
                  校舎の右側に、赤い鳥居が小さく写っている。

                  (2015年 2月 7日(土)午前11時20分頃) 



                  画像2 : 保滝沢冬季分校跡地
                  ここが「分校跡地」ということは、往時を知る方以外わからないことだろう。
                  意識はしなかったのだが、画像の右端に赤い鳥居が小さく写っている。

                  (2015年10月31日(土)午後1時45分頃)

                  学校食堂

                  0
                    平成27年7月13日(月)、岡山県の廃校廃村への旅、
                    備中湖沿いの通行止め箇所からは、折り返して柳平、佐原目を通過すると、
                    カーナビは新成羽川ダムの堤体を渡るよう指示した。
                    こんなルートがあるとは思いもよらず。
                    おかげで、通行止めのダメージは小さくて済んだ。

                    県境を超えると、広島県神石高原町旧豊松村に出た。
                    「豊松村」なんて自治体があったのは、このとき初めて知った。

                    旧豊松村から、旧油木町の南はずれをかすめて、旧三和町に入った。
                    国道沿い、視界の右側に二階建ての古びた校舎が見える。
                    立ち寄ってみると、「学校食堂」という看板が出ていた。
                    どうも廃校の校舎が飲食店として再利用されているらしい。

                    入口の手前には、「井関小学校之跡」という碑があった。
                    後で調べると、井関小学校は、昭和59年閉校、 
                    へき地等級無級、児童数207名(S.34)だった。



                    画像1: 井関小学校跡入口から見た二階建て校舎
                    昭和30年代前半に建てられた古い校舎らしい。



                    画像2: 校舎の入口正面
                    何となくあやしげな雰囲気ともいえる。



                    画像3: 校舎の入口から中の様子を伺う
                    営業は午後3時までだった。
                    営業中だったら、コーヒーでも飲みたかったなあ・・・

                    (2015年7月13日(月)午後3時50分頃)

                    旧備中町長谷小学校跡

                    0
                      平成27年7月13日(月)、岡山県の廃校廃村への旅、
                      目標の高梁市(旧備中町)柳平(やなびら)への道中、
                      旧川上町から旧備中町にかけて、
                      カーナビは一車線で草いっぱいのマイナーな道を選んだ。

                      ようやく谷が広くなった長谷という集落には、
                      一目でそれとわかる小さな学校跡の校舎があった。
                      後で調べると、長谷小学校は、昭和52年閉校、
                      へき地等級無級、児童数210名(S.34)だった。



                      画像1:長谷小学校跡の校舎と門柱
                      校舎は地域のコミュニティハウスとして使われている。



                      画像2:長谷小学校跡の校舎
                      田舎の学校の校舎というと、こんなイメージなんだけれども、
                      今やこの型の現役校舎はほとんど見られないことだろう。

                      (2015年7月13日(月)午後12時5分頃)

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