三瀬川小学校跡

  • 2020.05.19 Tuesday
  • 06:19

令和2年4月上旬、山口県の廃村探索+廃村の取材、
周防大島・外入港からは、北側の海岸沿いの国道を走って大島大橋に戻り、
柳井市内、旧周東町 岩徳線周防高森駅付近を経て、かめさんオススメの木造校舎がある三瀬川小学校跡を目指した。
三瀬川(さんぜがわ)は根笠川(錦川の支流)の上流域にある集落で、過疎が進んでいることがうかがえた。

 

三瀬川小学校は、へき地等級1級、児童数196名(S.34)、明治12年開校、昭和63年閉校。
学校跡は県道から少し入った場所にあり、草生した校庭の向こう、サクラと平屋建て木造校舎に迎えられた。
ハマちゃんチームは廃墟探索を得意としており、ちょうどよい機会のようだ。
校舎は開け放たれており、風通しの良さが保存状態の良さにつながっているように思えた。
校舎の裏手には体育館があって、舞台の上には校章が残っていた。

 

 

 画像1 三瀬川小学校跡・サクラと平屋建て木造校舎に迎えられる

 

 

 画像2 校舎内、長い廊下を歩く

 

 

 画像3 給食室の上に、卒業生が描いた絵が飾ってあった

     「昭和37年度卒業生作品」とあるから、
     描いた方はいま 69歳ぐらいになる。

 

   (2020年 4月 5日(日)12時25分〜12時55分頃)
 

 

芹谷分校跡地

  • 2020.05.04 Monday
  • 07:51

令和2年3月下旬、滋賀県の廃村探索+廃村の取材、
甲頭倉バス停からは、1匱絛楡遽茲い魏爾辰振榁分校跡(所在地は屏風)へと向かった。


多賀小学校後谷分校は、へき地等級1級、児童数122名(S.34)、
明治10年開校,昭和37年12月、桃原口から現在地に移転して芹谷分校と改称、平成5年閉校。
平成12年7月、翌13年7月に訪ねたときは、校舎や門柱が残っていた。
校舎は平成16年3月に解体された。

 

今回、19年ぶりに訪ねてみたところ、跡地には大きな土盛りがあって、
片隅にお地蔵さんが奉られていた。
男鬼、武奈に行けなかったのは残念だが、芹谷分校跡地に行けてよかった。

 

 

  画像1: 芹谷分校跡の校舎
      二度足を運んだので、どちらの写真か迷ったが、
      よく見るとBAJAが写り込んでいて、一度目ということが特定できた。

 

  (2000年7月20日(金) 午後5時40分頃)

 

 

  画像2: 芹谷分校跡地
      何のための土盛りかはわからなかった。

 

 

  画像3: 分校跡地の片隅、お地蔵さん
      今回、初めて見かけた。
      校舎があった頃からのものなのかはわからなかった。

 

  (2020年3月22日(日) 午後3時40分頃)
 

道の駅「三田貝分校」

  • 2020.03.16 Monday
  • 06:58

令和2年2月上旬,岩手県の廃校廃村探索1日目,
宮古平から丹藤川沿いをさかのぼり旧玉山村藪川で国道455号に入ると,道沿いの過疎の匂いはいくらか薄らいだ。

 

藪川−岩泉市街間は,平成2年8月,7泊8日の東北ツーリングで訪ねており,数えると実に30年ぶり。
そのときはカーブが続く早坂峠を越えて走った。
後で調べると,早坂トンネル(延長 3.1km)は平成19年に開通したとことがわかった。

 

早坂トンネルを抜けてしばらく走ると,「三田貝分校」という道の駅があったので,ここで一服して給食室で分校ラーメンを食した。
丘の上には分校にしては大ぶりな体育館が残っている。
後で調べたところ,門小学校三田貝分校はへき地等級3級,児童数70名(S.34),明治22年開校,平成11年閉校。
そして,早坂トンネル開通と同時(平成19年)に,分校の雰囲気を残した道の駅「三田貝分校」が開業した。

 

 

 画像1: 分校の雰囲気を残した道の駅「三田貝分校」

 

 

 画像2: 「三田貝分校」校舎入口の黒板には「参観日」と書かれていた

 

 (2020年2月9日(日) 午後1時30分〜1時55分頃)

大盛小学校跡「大盛館」

  • 2019.12.15 Sunday
  • 07:17

令和元年9月中旬、秋田県の廃村探索、
鍛治台からは,雄物川左岸の県道を通って大曲市街に出て,正午頃,大曲駅で妻と合流し,次の目的地 農山村の高度過疎集落 徳瀬(とくせ)を目指した。

 

国道46号,徳瀬の手前2 面日(おもにち)には大盛小学校跡に建つ「大盛館」という公的施設があって,立ち寄ってみると,荒川鉱山と宮田又鉱山の資料が展示されていた。
荒川鉱山は学校が現住集落に移転した関係で「廃村千選」には含まれていないが,展示を見ているうちに足を運びたくなった。

 

 

 画像1:大盛小学校跡の門柱と、大盛館
    一見、開いているかどうかわからなかった

 

 

 画像2:大盛館、荒川鉱山集落のジオラマ
    よくできた施設だったが、お客は私達だけだった


 

 画像3:江戸時代の宿駅で働く娘
    なぜか妻と似ていたので、写真を撮った

 

 (2019年9月15日(日祝)午後1時20分〜2時頃)
 

山形県上山市 蔵王開拓分校

  • 2019.12.05 Thursday
  • 07:09

令和元年9月中旬、山形県上山市 鉱山関係の廃村 蔵王鉱山(ざおうこうざん)の探索、
鉱山の閉山が昭和38年なのに対し、中川第二小学校の閉校は昭和43年。
この5年の差について、川口さんに尋ねたところ、
「昭和38年からは3卍寄りの蔵王開拓からの児童のため開校していたが、蔵王鉱山集落は無住になっていた」
という返事をちょうだいした。
少し前まで鉱山の閉山も昭和43年だと思っていた私は、眼からウロコが落ちる思いだった。

 

レストハウスに続いては、現住の戦後開拓集落 蔵王開拓の分校跡を訪ねた。
中川第二小学校蔵王冬季分校は、昭和22年開校。昭和43年から中川小学校蔵王分校となり、昭和56年休校、冬季分校は平成12年休校。
分校跡には木造校舎が残っており、開拓集落にはコスモスが咲いた田んぼが広がっていた。

 

分校跡木造校舎入口に標札があった「蔵王こまくさ分校」について後で調べると、
「蔵王緑の騎士団」の本部として活用されていて、校庭のサクラはGW頃に満開になることがわかった。
「蔵王鉱山歴史資料館が開館したときには、サクラの頃に訪ねたい」と思った。

 

 

 画像1: 蔵王開拓・分校跡には校舎が残る

 

 

 画像2: 草生した校庭には鉄棒が見られた

 

 

 画像3: 分校そばの田んぼには、コスモスの花が咲いていた

 

 (2019年9月14日(金)午前11時20分〜11時30分)
 

西興部村 ゲストハウスGA. KOPPER

  • 2019.02.18 Monday
  • 07:02

平成31年2月、道北・道東の廃村探索、
2日目の宿泊地 ゲストハウスGA.KOPPER(ガコッパー)がある
西興部(にしおこっぺ)村は、名寄と紋別の中間に位置する。
人口1100人ほどの小さな村だが、ギター工場があって、
コンパクトシティに取り組むなど、個性的な感じがする。

 

GA.KOPPERは、旧上興部中学校(昭和60年閉校)の校舎を使った宿で、
昭和22年建設という大きな木造校舎は、存在感満点だ。
旅をして知ったことだが、上興部にはかつて石灰鉱山があって、
旧名寄本線からの引込み線まであったという。

 

今回、上興部は宿に泊まっただけ、西興部市街は通過しただけになったが、
再訪したときには、ここというポイントを歩いてみたい。

 

 

 画像1:夕闇迫る GA.KOPPER

 

 (2019年2月9日(土)午後5時5分頃)

 

 

 画像2:朝の GA.KOPPER、集合写真を撮る

 

 (2019年2月10日(日)午前8時15分頃)
 

豊浦町 新富小学校跡

  • 2018.09.27 Thursday
  • 07:01

平成30年6月中旬、北海道・後志の廃村探索 旅3日目(6/10、日曜日)、
蘭越町川上に続いて、現住集落 豊浦町新富にも立ち寄った。
新富の戸数は14戸(H.27)。その多くは大規模な酪農家で、冬の積雪は厳しそうだが、
生活は豊かな感じがする。

 

新富小学校は、へき地等級5級、児童数34名(S.34)、明治40年開校、平成15年休校、平成18年閉校。
道道32号線と914号線(新富神里線)の三差路から校舎が見えたので、
様子を見に行くと、学校跡のそばに住まれる地域の方(Tさん、40代の男性)と出会った。

Tさんは平成28年に横浜から新富に移住され、新富では酪農体験ガイドをされているという。
小学校の校舎を見学させていただくと、体育館の中には詳細な新富地区の年表が貼られていて、
「へき地5級地が4級地に変更になったのは、除雪体制が整った昭和63年のこと」とわかった。

 

 

 画像1: 新富小学校跡の校舎
     瀟洒な校舎には、15年前(平成15年)まで児童が通った。

 

 

 画像2: 新富小学校跡、体育館
     まだまだ新しいように見えるが、
     Tさんによると、少しずつ傷んできているそうだ。

 

 

 画像3: 新富の歩み(年表)
     情報満載の手書きの年表は、平成7年で止まっていた。

 

  (2018年6月10日(日)午後1時25分〜1時50分頃)
 

旧利賀小学校

  • 2018.08.23 Thursday
  • 07:06

平成30年8月上旬、富山県の廃村探索1日目、
高台の現小学校に続いて利賀上村中心部、寺と神社の裏手にある旧利賀小学校を訪ねた。

 

利賀の分校校舎は各所でなじみがあるが、本校校舎を訪ねるのはこれが初めて。
昭和38年に作られたRC造3階建ての校舎の入口には
「利賀埋蔵文化財等展示保存学習施設」、「(利賀ダム)工事業者現場事務所」の標札があったが、人の気配はなかった。

 

 

 画像1: 運動場から見た旧利賀小学校校舎
     高台に小さく現校舎が見られる。

 

 

 画像2: 雪国仕様の校舎入口
     壁面の時計は、正確な時を刻んでいた。

 

 

 画像3: 裏手から見た旧利賀小学校校舎
     校舎に児童が通わなくなってから23年経つ。

 

  (2018年 8月5日(日)午後5時10分頃)
 

利賀小学校上百瀬分校跡

  • 2018.08.18 Saturday
  • 08:11

平成30年8月上旬、富山県の廃村探索、
1番目の目標 旧利賀村水無に向かう道は大きく分けて2つある。
ひとつは利賀川本流沿いの県道(34号 利賀河合線)をさかのぼるルートで、
最寄り集落 奥大勘場から8劼曚匹世、昨年11月、ゲートに阻まれて行けず終いになった。
その後の調べで、このゲートは通年閉じていることがわかった。

 

もう一つが百瀬川沿いの市道上百瀬水無線(百瀬川林道)で峰越えをするルートで、
こちらは最寄り集落 上百瀬から15劼△襪、積雪期を除き道は通じているらしい。

今回初めて足を運んだ上百瀬でも分校跡校舎が見当たったので、クルマを停めて小休止した。
利賀小学校上百瀬分校はへき地等級3級、児童数47名(S.34)、平成元年休校、平成8年閉校。
上百瀬でもオロロ(小型のアブ)の襲撃があって、落ち着いたひとときを過ごすことはできなかった。

 

 

 画像1: まずまずの戸数がある上百瀬集落

 

 

 画像2: 建設会社が再利用されているらしい上百瀬分校跡の校舎

 

  (2018年 8月5日(日)12時40分頃)
 

利賀小学校百瀬川分校跡

  • 2018.08.17 Friday
  • 07:20

平成30年8月上旬、富山県の廃村探索、
1番目の目標 旧利賀村水無(みずなし)は,八尾市街から百瀬川経由で42km,富山駅からだと60劼凌爾せ鈎罎砲△襦
八尾から中山間地域に入るまでは前回(7月上旬)の行程と重なっている。
前回、足谷の代わりに大沢を訪ねておけば,今回の行程も楽なものになっていたところだ。

 

旧八尾町栃折でR.471に入り、栃折峠を越えて、旧利賀村百瀬川の分校跡前で一服する。
利賀小学校百瀬川分校はへき地等級2級、児童数72名(S.34)、平成元年休校、平成8年閉校。
なじみがある校舎を見ながら昼食休みをとろうとクルマから出ると、いきなりアブの大群の襲撃を受けた。
クルマを離れるとついてこなかったので、予定通り昼食休みをとることができたが、何とも不吉なものを感じた。

 

 

 画像1: 秋の利賀小学校百瀬川分校跡

 

  (2014年11月7日(金)午前11時10分頃)

 

 

 画像2: 真冬の利賀小学校百瀬川分校跡

 

  (2015年 1月9日(金)午後 3時55分頃)

 

 

 画像3: 真夏の利賀小学校百瀬川分校跡

 

  (2018年 8月5日(日)12時25分頃)
 

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