蟹田町 大山小学校跡(その2)

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    平成29年9月18日(月祝)、青森県・津軽の廃村めぐり、 
    蟹田町 大山小学校跡=大山ふるさと資料館には、メインの石器以外にも
    いろいろな展示物があった。 

     

    民具がたくさん置かれている教室があった。
    廃村探索で見かけるものもいくつかある。
    偶然見つけた名前も知らなかった廃校が、記憶に残る場所となった。

     

    大山小学校はへき地等級無級、児童数146名(S.34)、平成11年閉校、
    大山ふるさと資料館は平成13年開館なので
    開館から16年目に訪ねたことになる。

     

     

     画像1 釜

     

     

     画像2 コビキノコ

     

     

     画像3 足踏脱穀機

     

      (平成29年9月18日(月祝)午後1時〜1時15分頃)

     


    蟹田町 大山小学校跡

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      平成29年9月18日(月祝)、青森県・津軽の廃村めぐり、 
      JR大平駅のすぐそば、R.280(松前街道)を挟んで反対側に、
      郵便局跡のような建物が見当たったので、立ち寄ってみた。

      標札は「大山ふるさと資料館」、開館中とのことなので、
      ご挨拶して、中へ入った。

       

      係の方(50代ぐらいの女性)によると、
      資料館は閉校となった大山小学校(平成11年閉校)校舎を使ったもので、
      近くにある大平山元遺跡の出土品(旧石器時代から縄文時代の石器など)
      の展示がメインだという。

      石器にはあまり興味はなかったが、学校跡ということで、
      見学すると、年期が入った木造校舎が迎えてくれた。

       

       

       画像1 大山ふるさと資料館 玄関
          その趣に、郵便局跡かと思った。

       

       

       画像2 資料館内部 木造校舎の廊下
          真ん中に引かれた白線が、時代を感じさせる。

       

       

       画像3 国鉄三厩駅の普通運賃表
          館内には石器以外にもいろいろな展示物があった。

       

        (平成29年9月18日(月祝)午後1時〜1時15分頃)

       


      中滝小学校跡

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        平成29年9月17日(日)、秋田県北部の廃村めぐり、 
        小坂からこの日最後の目的地 鹿角市大清水(おおしみず)には、
        県道(2号大館十和田湖線、樹海ライン)、R.103、R.104を結んで向かった。
        途中、県道とR.103の交点(発荷峠)では、発荷峠展望台から十和田湖を見下ろし、
        R.103とR.104の交点(中滝)では、中滝小学校跡(平成21年閉校)に立ち寄った。

         

        かつて大清水分校の本校だった中滝小学校跡の平屋建て木造校舎は、
        交流体験施設「中滝ふるさと学舎」 として活用されており、
        一服して中を見せていただいた。

         

         

         画像1 中滝小学校跡、平屋建て木造校舎と校庭

         

         

         画像2 中滝小学校跡、体育館

         

         

         画像3 中滝小学校跡、廊下

         

          (平成29年9月17日(日)午後3時35分〜3時55分頃)


        半平小学校跡

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          2017年10月11日(水)、徳島県の廃村探索、
          旧穴吹町の廃村 樫山(かしやま)を後にして、
          杖立(つえたて)に向かう山道の入口を目指してクルマを走らせていると、
          車窓左手に二階建て木造校舎が見えた。
          門柱を確認すると、「半平小学校」と記されていた。
          杖立分校の本校だ。

           

          後で調べたところ、半平小学校は、へき地等級無級、児童数276名(S.34)、
          明治12年開校、平成11年休校、平成20年閉校。
          9月に訪ねた秋田でも気になったが、
          廃村にあった分校の本校は、10年前ぐらい、平成の大合併の直後に
          休校・閉校になっていることが多いようだ。
          樫山分校の本校(宮内小学校)も、平成25年に休校となっていた。

           

           

           画像1 半平小学校跡(その1)
              半平は山の麓の集落で、平地はほとんど見られない。
              校舎は、等高線に沿ったわずかな平地に建てられている。

           

           

           画像2 半平小学校跡(その2)
              廊下の様子をうかがうと、
              使われなくなって久しいことがわかった。

           

           

           画像3 半平小学校跡(その3)
              運動場は、車道を隔てて、クルマを停めた場所にある。
              運動場の金網には「無断使用を禁ず」の錆びた看板が残っていた。

           

            (平成29年10月11日(水)正午頃)

           


          仁鮒小学校跡

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            平成29年9月16日(土)、秋田県の廃村めぐり、
            平滝からは、岩瀬川沿いの道を走って R.7に戻り、
            旧鷹巣町域,旧二ツ井町中心部を過ぎて,三番目の目的地 
            戦後開拓集落の廃村 長五郎沢(ちょうごろうさわ)へと向かった。

             

            長い橋で米代川を渡り、県道(203号高屋敷茶屋下線)を走ると
            クランク状の右折の箇所に、古い学校の建物が見当たった。
            クルマを停めて立ち寄ったところ、
            それは長五郎沢冬季分校の本校 仁鮒小学校跡の校舎だった
            跡地の碑には「閉校 平成20年3月31日」と刻まれていた。

             

            はっきりとはわからなかったが、
            校舎は何かしらの用途で再利用されている様子だった。

             

             

             画像1 仁鮒小学校跡の校舎(その1)
                停められていたクルマは、
                仕事関係のような感じがした。

             

             

             画像2 仁鮒小学校跡地の碑
                仁鮒っ子ここに学び 百三十年の歴史を刻む
                4434名巣立つ
                と刻まれている。
             

             

             画像3 仁鮒小学校跡の校舎(その2)
                堂々とした玄関からは
                先生が出てきてもよい雰囲気があった。

             

              (平成29年9月16日(土)午後4時30分頃)

             


            岩野目小学校跡

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              平成29年9月16日(土)、秋田県の廃村めぐり、
              早口駅を出発し、早口川沿いの道を走っていると四階建ての大きな建物が見当たったので、
              立ち寄ってみると、それは岩野目小学校跡の校舎だった。

              跡地の碑には「昭和45年7月 千歳分校閉校」と刻まれていた。

              校舎は再利用されている様子はなく、静けさの中でもう一つのおにぎりを食した。

               

              岩野目では、脇道の上に施された「祭祝典」と書かれた飾りが気になった。
              すぐ近くには平成27年秋の「秋田・廃村研究調査」で因縁がある深沢があるが、
              立ち寄らずに先を急いだ。

               

               

               画像1 岩野目小学校跡の建物
                  上層部は体育館となっている。

               

               

               画像2 岩野目小学校跡地の碑
                  表面には校歌、裏面には沿革が刻まれていた。
                  開校は明治8年、閉校は平成20年とあった。

               

                (平成29年9月16日(土)12時30分頃)
               


              新潟県十日町市(旧中里村)土倉 「ここに集い学ぶ」の碑

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                2017年7月31日(月)、新潟県の廃村探索で訪ねた、
                十日町市旧中里村の過疎集落 土倉の学校跡の碑を紹介します。
                土倉は結構な山中ですが、10世帯の暮らしがあります。

                 

                高道山小学校土倉分校(のち清津峡小学校土倉分校)は、へき地等級3級、
                児童数52名(S.34)、明治15年開校、平成8年閉校。
                地域の方とお話をしたところ、
                閉校の碑が建ってからも、しばらく校舎は公民館として使われ、
                「越後妻有トリエンターレ」の会場になったとこもあったそうです。

                 

                昨日取り上げた「嶺閉村之碑」は「建之」でしたが、
                「ここに集い学ぶ」は「建立」です。

                 

                 

                 画像1:ここに集い学ぶ(表面)
                    シンプルでわかりやすい碑文だと思います。

                 

                 

                 画像2:碑から見た分校跡
                    対面には、絵に描いたようなお堂が建っています。
                    私はお堂があるところまで上って、分校跡を見下ろしながら
                    昼食休みをとりました。

                 

                 

                 画像3:ここに集い学ぶ(裏面)
                    「此ノ碑ノ建立 平成8年3月」とあります。

                 

                  (平成29年7月31日(月)正午頃)


                津南町 出浦分校跡

                0

                  2017年7月31日(月)、新潟県の廃村探索、
                  津南町のなじみの宿「もりあおがえる」に近い出浦(いでうら)の分校跡を、
                  10年ぶりに見に行った。

                   

                  宮野原小学校出浦分校(上郷小学校出浦分校)は、へき地等級1級、
                  児童数11名(S.34)、昭和53年閉校。
                  地区の公民館として使われている二階建て木造校舎は、
                  とてもしっかり建っていた。
                  現在、出浦には7戸19人の暮らしがある。

                   

                   

                   画像1:出浦分校、二階建て木造校舎の正面
                     明かりのところに「津南町立上郷小学校 出浦分校」の文字が見られる。

                   

                   

                   画像2:二階建て木造校舎と校庭(その1)
                     10年前(平成19年)に訪ねたときは、積雪期(1月)だった。

                   

                   

                   画像3:二階建て木造校舎と校庭(その2)
                     夏の津南は初めて。たまには夏の廃校探索もよいものだ。

                   

                    (平成29年7月31日(月)午前8時15分頃) 
                   


                  夕張市 清水沢小学校跡

                  0

                    平成29年5月29日(月)、北海道日高の廃村探索の帰路、
                    大和炭鉱からは小学校跡に移転した沼ノ沢郵便局とセイコマに立ち寄った後、
                    JR石勝線夕張支線 清水沢駅には、午後3時30分に到着した。

                     

                    清水沢では、成瀬さんの知合いで大夕張ゆかりの南部安友さんとお会いして、
                    田中さんと歩いて小学校跡(平成元年閉校)を歩いて訪ねた。
                    あと、駅近くの読売新聞夕張中央メディアセンターの高橋勇治さんにご挨拶をした。

                     

                     

                     画像1 雑木に覆われて残る清水沢小学校跡の校舎
                        平成24年5月以来だが、その雰囲気はほとんど変わっていなかった。

                     

                     

                     画像2 「夕張市立 清水沢小学校碑」
                        「閉校 1989(昭和64)年3月31日」という碑文が印象的。

                     

                     

                     画像3 学校跡の探索で見つかった鉄製の旗ポール
                        三島で見かけたばかりの旗ポールの土台と、ポールの関係がよくわかった。

                     

                       (2017年5月29日(月)午後4時頃)


                    新冠町 太陽小学校跡

                    0

                      平成29年5月下旬、北海道・日高の廃校廃村合同探索、
                      日高にある「廃村千選」のポイントは全9か所。
                      もともと日高の廃村には1か所も足を運んでいなかったのだが、
                      今回の行程が無事に進んだら一気に9か所全訪となる。

                      長い目で見たとき、決まった地域を集中的に訪ねることは、
                      〔度が高くなって効率が良い、記憶に残りやすいなど、多くのメリットがある。
                      最大の難関、高見に足を運ぶことができ、ずいぶん気は軽くなった。

                       

                      平成29年5月29日(月)、起床は早朝5時半頃。私はまずコンビニの袋をもって、浜にコンブを拾いに行った。
                      昨晩、宿のご主人に確認したところ、
                      「新鮮なものを選ぶとよい土産になるだろう」とのこと。
                      家では、肉厚のものは干して出汁用にして、薄いものは佃煮にして食した。

                       

                      皆で朝食をとった後、「三石旅館」を出発したのは朝7時15分。
                      最初の目的地、平取町仁世宇までは、海岸沿いの門別経由で105辧
                      新冠から内陸経由で117劼發△襦
                      田中さんが「内陸ルートで行きましょう」と勧めるのは、内陸にはたくさん廃校があるかららしい。

                      新冠町は、平成の大合併期の廃校を競売にかけて積極的に再利用を促したことでその道では名高い。

                       

                      その中、太陽小学校(平成20年閉校)の跡地は「太陽の森 ディマジオ美術館」として再利用されている。
                      太陽は昭和22年に56戸の入植があったことから始まった戦後開拓集落で、今(H.22)も33戸の暮らしがある。
                      学校跡のそばには簡易郵便局、木の皮学校保存室、「太陽開拓団発祥の地」の碑などがあり、
                      特に木の皮学校はとても興味深かった。

                       

                       

                       画像1:太陽小学校跡
                        「太陽の森 ディマジオ美術館」として再利用されている。

                       

                       

                       画像2: 太陽・木の皮学校保存室とその説明の碑
                        そばには「太陽開拓団発祥の地」の碑、
                        「一本の鍬」のモニュメントなどが見られる。

                       

                       

                       画像3:保存室では、復元された開校時の太陽小学校が公開されている 
                        気軽に訪ねることができるのは、素晴らしいと思った。

                       

                        (平成29年5月29日(月)午前8時45分頃)
                       


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