馬谷小学校跡

  • 2018.05.12 Saturday
  • 07:09

平成30年4月、島根県益田市近辺の廃校廃村を目指す旅。
西長沢入口の分岐に戻り、県道を4台で北上すると、
やがて空が広がって真砂(まさご)小学校の本校2階建てモルタル校舎が見当たった。
真砂小学校は児童数223名(S.34)。今も児童数15名(H.27)で存続するのは、
統合先候補との距離が離れすぎていることと、
地域に存続の意向が強いことからという。
所在地が波田(はだ)なのに学校名が真砂なのは、
昭和の大合併以前の村名が使われていることによる(美濃郡真砂村、S.30編入)。
 
旧真砂村では馬谷(うまだに)にも小学校があった。
岩倉にはこの小学校跡校庭から先はクルマを2台に絞って行く予定を立てている。
おきのくにさんは「校舎は残っているけど、味わいはないですよ」などという。
助手席の私は「行ってみてのお楽しみでしょう」と答えた。
 
馬谷小学校は児童数82名(S.34)、平成15年閉校。
やがて見えてきた小学校跡の校舎は平屋建て木造モルタル造の地味な建物で、
玄関には「城山会館」という標札があった。
校庭に地域の方(Uさん)の姿があったので、ご挨拶をして
「運動場にクルマを停めてもよいですか」と尋ねたところ、了承を得ることができた。
Uさんと「学校跡を訪ねる旅をしているんですよ」と話をしているうちに、
校舎を見学させていただくことになった。
 
校舎の中は公民館に改装されていたが、
黒板や児童の卒業作品、40年にも及ぶ卒業写真の掲示など、
学校跡ならではのものがたくさん残っていた。
校庭より一段高い場所に残る馬の像もインパクトがあり、
「馬谷小学校跡は味わい深い」と頭の中に刻まれた。 

 

 
 画像1:馬谷小学校跡・公民館として残る校舎
    学校跡という雰囲気は薄く、味わいはない。

 

 
 画像2:校庭と一段高い場所に残る馬の像
    学校跡の雰囲気は色濃い。
    校名と掛け合わせた馬の像も、印象深くてよい。

 

 
 画像3:校舎の中に残る「思い出の馬谷小学校」のプレート
    光の加減でうまく写っていないが、
    平成14年度(最終年度)の児童5名の名前も刻まれている。
    真ん中の木造二階建ての体育館は、取り壊されていた。

 

  (2018年4月8日(日)午後2時15分〜2時35分頃)

飯浦小学校跡+飯浦駅

  • 2018.04.24 Tuesday
  • 07:00

平成30年4月、山口県萩諸島改め島根県益田市近辺の廃校廃村を目指す旅、
道の駅 萩から県境に近い道の駅 田万川までは4台分かれて走った。
移動中、おきのくにさんと私の間で煮詰めて、
廃校廃村の探索順は、益田市猪木谷、(旧日原町)滝谷、西長沢、岩倉、笹田原、
(旧匹見町)七村(全6か所)になった。

 

道の駅 田万川で皆で相談したところ、まず県境を超えてすぐ、
R.191から少し入った益田市飯浦(いいのうら)の小学校跡の木造校舎を訪ねることになった。
飯浦小学校は児童数169名(S.34)、平成20年閉校。
平屋建て木造校舎は2階建て木造モルタル校舎、RC造体育館に挟まれて残っていた。

 

飯浦には山陰本線の駅があり、小学校跡から歩いて行くことができる。
ローカル駅に興味がある私は「ちょっと行ってくる」といって、
坂の上にある飯浦駅まで往復した。
この辺りの山陰本線は普通気動車が日に8往復走るのみ。
振り返ると、この旅でひとりのひとときを過ごしたのは飯浦駅だけだった。

 

 

 画像1:飯浦小学校跡、平屋建て木造校舎が残る                  

 

 

 画像2:飯浦駅、ひとりのひとときを楽しむ 

 

 

 画像3:飯浦駅へ続く坂道から、飯浦小学校跡を眺める

    飯浦という地名は、この旅で初めて知った。

 

  (2018年4月8日(日)午前8時40分〜8時55分頃頃)
 

蟹田町 大山小学校跡(その2)

  • 2017.11.15 Wednesday
  • 06:58

平成29年9月18日(月祝)、青森県・津軽の廃村めぐり、 
蟹田町 大山小学校跡=大山ふるさと資料館には、メインの石器以外にも
いろいろな展示物があった。 

 

民具がたくさん置かれている教室があった。
廃村探索で見かけるものもいくつかある。
偶然見つけた名前も知らなかった廃校が、記憶に残る場所となった。

 

大山小学校はへき地等級無級、児童数146名(S.34)、平成11年閉校、
大山ふるさと資料館は平成13年開館なので
開館から16年目に訪ねたことになる。

 

 

 画像1 釜

 

 

 画像2 コビキノコ

 

 

 画像3 足踏脱穀機

 

  (平成29年9月18日(月祝)午後1時〜1時15分頃)

 

蟹田町 大山小学校跡

  • 2017.11.14 Tuesday
  • 07:20

平成29年9月18日(月祝)、青森県・津軽の廃村めぐり、 
JR大平駅のすぐそば、R.280(松前街道)を挟んで反対側に、
郵便局跡のような建物が見当たったので、立ち寄ってみた。

標札は「大山ふるさと資料館」、開館中とのことなので、
ご挨拶して、中へ入った。

 

係の方(50代ぐらいの女性)によると、
資料館は閉校となった大山小学校(平成11年閉校)校舎を使ったもので、
近くにある大平山元遺跡の出土品(旧石器時代から縄文時代の石器など)
の展示がメインだという。

石器にはあまり興味はなかったが、学校跡ということで、
見学すると、年期が入った木造校舎が迎えてくれた。

 

 

 画像1 大山ふるさと資料館 玄関
    その趣に、郵便局跡かと思った。

 

 

 画像2 資料館内部 木造校舎の廊下
    真ん中に引かれた白線が、時代を感じさせる。

 

 

 画像3 国鉄三厩駅の普通運賃表
    館内には石器以外にもいろいろな展示物があった。

 

  (平成29年9月18日(月祝)午後1時〜1時15分頃)

 

中滝小学校跡

  • 2017.10.28 Saturday
  • 07:37

平成29年9月17日(日)、秋田県北部の廃村めぐり、 
小坂からこの日最後の目的地 鹿角市大清水(おおしみず)には、
県道(2号大館十和田湖線、樹海ライン)、R.103、R.104を結んで向かった。
途中、県道とR.103の交点(発荷峠)では、発荷峠展望台から十和田湖を見下ろし、
R.103とR.104の交点(中滝)では、中滝小学校跡(平成21年閉校)に立ち寄った。

 

かつて大清水分校の本校だった中滝小学校跡の平屋建て木造校舎は、
交流体験施設「中滝ふるさと学舎」 として活用されており、
一服して中を見せていただいた。

 

 

 画像1 中滝小学校跡、平屋建て木造校舎と校庭

 

 

 画像2 中滝小学校跡、体育館

 

 

 画像3 中滝小学校跡、廊下

 

  (平成29年9月17日(日)午後3時35分〜3時55分頃)

半平小学校跡

  • 2017.10.15 Sunday
  • 08:09

2017年10月11日(水)、徳島県の廃村探索、
旧穴吹町の廃村 樫山(かしやま)を後にして、
杖立(つえたて)に向かう山道の入口を目指してクルマを走らせていると、
車窓左手に二階建て木造校舎が見えた。
門柱を確認すると、「半平小学校」と記されていた。
杖立分校の本校だ。

 

後で調べたところ、半平小学校は、へき地等級無級、児童数276名(S.34)、
明治12年開校、平成11年休校、平成20年閉校。
9月に訪ねた秋田でも気になったが、
廃村にあった分校の本校は、10年前ぐらい、平成の大合併の直後に
休校・閉校になっていることが多いようだ。
樫山分校の本校(宮内小学校)も、平成25年に休校となっていた。

 

 

 画像1 半平小学校跡(その1)
    半平は山の麓の集落で、平地はほとんど見られない。
    校舎は、等高線に沿ったわずかな平地に建てられている。

 

 

 画像2 半平小学校跡(その2)
    廊下の様子をうかがうと、
    使われなくなって久しいことがわかった。

 

 

 画像3 半平小学校跡(その3)
    運動場は、車道を隔てて、クルマを停めた場所にある。
    運動場の金網には「無断使用を禁ず」の錆びた看板が残っていた。

 

  (平成29年10月11日(水)正午頃)

 

仁鮒小学校跡

  • 2017.10.02 Monday
  • 07:07

平成29年9月16日(土)、秋田県の廃村めぐり、
平滝からは、岩瀬川沿いの道を走って R.7に戻り、
旧鷹巣町域,旧二ツ井町中心部を過ぎて,三番目の目的地 
戦後開拓集落の廃村 長五郎沢(ちょうごろうさわ)へと向かった。

 

長い橋で米代川を渡り、県道(203号高屋敷茶屋下線)を走ると
クランク状の右折の箇所に、古い学校の建物が見当たった。
クルマを停めて立ち寄ったところ、
それは長五郎沢冬季分校の本校 仁鮒小学校跡の校舎だった
跡地の碑には「閉校 平成20年3月31日」と刻まれていた。

 

はっきりとはわからなかったが、
校舎は何かしらの用途で再利用されている様子だった。

 

 

 画像1 仁鮒小学校跡の校舎(その1)
    停められていたクルマは、
    仕事関係のような感じがした。

 

 

 画像2 仁鮒小学校跡地の碑
    仁鮒っ子ここに学び 百三十年の歴史を刻む
    4434名巣立つ
    と刻まれている。
 

 

 画像3 仁鮒小学校跡の校舎(その2)
    堂々とした玄関からは
    先生が出てきてもよい雰囲気があった。

 

  (平成29年9月16日(土)午後4時30分頃)

 

岩野目小学校跡

  • 2017.09.27 Wednesday
  • 07:03

平成29年9月16日(土)、秋田県の廃村めぐり、
早口駅を出発し、早口川沿いの道を走っていると四階建ての大きな建物が見当たったので、
立ち寄ってみると、それは岩野目小学校跡の校舎だった。

跡地の碑には「昭和45年7月 千歳分校閉校」と刻まれていた。

校舎は再利用されている様子はなく、静けさの中でもう一つのおにぎりを食した。

 

岩野目では、脇道の上に施された「祭祝典」と書かれた飾りが気になった。
すぐ近くには平成27年秋の「秋田・廃村研究調査」で因縁がある深沢があるが、
立ち寄らずに先を急いだ。

 

 

 画像1 岩野目小学校跡の建物
    上層部は体育館となっている。

 

 

 画像2 岩野目小学校跡地の碑
    表面には校歌、裏面には沿革が刻まれていた。
    開校は明治8年、閉校は平成20年とあった。

 

  (平成29年9月16日(土)12時30分頃)
 

新潟県十日町市(旧中里村)土倉 「ここに集い学ぶ」の碑

  • 2017.08.13 Sunday
  • 09:23

2017年7月31日(月)、新潟県の廃村探索で訪ねた、
十日町市旧中里村の過疎集落 土倉の学校跡の碑を紹介します。
土倉は結構な山中ですが、10世帯の暮らしがあります。

 

高道山小学校土倉分校(のち清津峡小学校土倉分校)は、へき地等級3級、
児童数52名(S.34)、明治15年開校、平成8年閉校。
地域の方とお話をしたところ、
閉校の碑が建ってからも、しばらく校舎は公民館として使われ、
「越後妻有トリエンターレ」の会場になったとこもあったそうです。

 

昨日取り上げた「嶺閉村之碑」は「建之」でしたが、
「ここに集い学ぶ」は「建立」です。

 

 

 画像1:ここに集い学ぶ(表面)
    シンプルでわかりやすい碑文だと思います。

 

 

 画像2:碑から見た分校跡
    対面には、絵に描いたようなお堂が建っています。
    私はお堂があるところまで上って、分校跡を見下ろしながら
    昼食休みをとりました。

 

 

 画像3:ここに集い学ぶ(裏面)
    「此ノ碑ノ建立 平成8年3月」とあります。

 

  (平成29年7月31日(月)正午頃)

津南町 出浦分校跡

  • 2017.08.03 Thursday
  • 07:20

2017年7月31日(月)、新潟県の廃村探索、
津南町のなじみの宿「もりあおがえる」に近い出浦(いでうら)の分校跡を、
10年ぶりに見に行った。

 

宮野原小学校出浦分校(上郷小学校出浦分校)は、へき地等級1級、
児童数11名(S.34)、昭和53年閉校。
地区の公民館として使われている二階建て木造校舎は、
とてもしっかり建っていた。
現在、出浦には7戸19人の暮らしがある。

 

 

 画像1:出浦分校、二階建て木造校舎の正面
   明かりのところに「津南町立上郷小学校 出浦分校」の文字が見られる。

 

 

 画像2:二階建て木造校舎と校庭(その1)
   10年前(平成19年)に訪ねたときは、積雪期(1月)だった。

 

 

 画像3:二階建て木造校舎と校庭(その2)
   夏の津南は初めて。たまには夏の廃校探索もよいものだ。

 

  (平成29年7月31日(月)午前8時15分頃) 
 

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