岩渡小学校跡

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    なぜか青森県の話題がホットなので、
    王余魚沢小学校跡訪問の1時間ほど前に訪ねた
    岩渡(いわたり)小学校跡の体育館を紹介します。

     

    岩渡小学校は、へき地等級2級、児童数50名(S.34)、
    明治35年開校、昭和63年閉校。
    先の日曜日(12/11)、初めて訪ねた「柵の向こう側」というblogに
    この体育館のガレキが掲載されていました。
    寂しさと同時に、
    「あの時、訪ねておいてよかったなあ・・・」と
    思った次第です。

     

    「柵の向こう側」blogは、他にも見どころ満載なので、
    へき地blogのリンク集に追加しました。

     

     

     画像1:岩渡小学校跡の体育館(その1)
      二股(岩渡小学校の冬季分校)、王余魚沢と比べると、
      明らかに物憂げな感じが漂っていました。
      場所は雪深い津軽の山間、
      ガレキになる順序でいったら、合点するところです。

     

     

     画像2:岩渡小学校跡の体育館(その2)
      訪ねてから7年半経って、アップする気になったのも
      何かの縁なのでしょう。
      思い出すきっかけを作ってくれた
      まこちゃん(「柵の向こう側」blog管理者)に感謝します。

     

     (2009年6月6日(土)午後4時35分頃)
     


    王余魚沢小学校跡

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      Team HEYANEKOの若頭ことNさんのリクエストにお応えして
      平成21年6月に訪ねた青森市(旧浪岡町)王余魚沢(かれいざわ)小学校跡の
      校舎の画像をアップします。

       

      王余魚沢小学校は、へき地等級1級、児童数86名(S.34)、明治28年開校、
      平成16年休校、平成18年閉校。
      「あの校舎は今も残っているのかなあ」と思って調べたら、
      『王余魚沢倶楽部』というカフェ&ショップとして再利用されている
      とのことです。

       

       

       画像:王余魚沢小学校跡の校舎
        あの日は一日中雨で、たいへんでした。
        付き合っていただいたかりんさんに感謝です。

       

       (2009年6月6日(土)午後5時50分頃)


      ああ、保滝沢冬季分校

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        平成27年10月31日(土)、秋田県廃村調査第3陣の1日目、
        旧田代町杉の沢に続いて、
        2月にも出かけた戸数2戸の過疎集落 保滝沢(ほたきざわ)に立ち寄った。
        正確に言うと、保滝沢冬季分校跡地にのみ立ち寄った。

        山田小学校保滝沢冬季分校は,へき地等級1級,児童数14名(S.34),
        昭和29年開校,昭和45年閉校。
        2月に探索したときは、雪景色の中、
        農業用倉庫として残る冬季分校跡の校舎が残っていた。
        見つけてから接近するまで1時間以上かかったことを思い出す。

        時間がない中なので、すぐそばまでクルマでアプローチした。
        目印の赤い鳥居の前を通過しても、それらしいものは見当たらない。
        赤い鳥居のそばにクルマを停めて、
        「確かこのあたりだったはず」という場所まで歩いた。
        どうやら、分校跡校舎はこの8か月の間に取り壊されたらしく、
        現地には建物の基礎すら残っていなかった。



        画像1 : 保滝沢冬季分校跡の校舎 
        保存状態は悪くはなく、「農業用倉庫として活用されているからだろう」と思った。
        校舎の右側に、赤い鳥居が小さく写っている。

        (2015年 2月 7日(土)午前11時20分頃) 



        画像2 : 保滝沢冬季分校跡地
        ここが「分校跡地」ということは、往時を知る方以外わからないことだろう。
        意識はしなかったのだが、画像の右端に赤い鳥居が小さく写っている。

        (2015年10月31日(土)午後1時45分頃)

        学校食堂

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          平成27年7月13日(月)、岡山県の廃校廃村への旅、
          備中湖沿いの通行止め箇所からは、折り返して柳平、佐原目を通過すると、
          カーナビは新成羽川ダムの堤体を渡るよう指示した。
          こんなルートがあるとは思いもよらず。
          おかげで、通行止めのダメージは小さくて済んだ。

          県境を超えると、広島県神石高原町旧豊松村に出た。
          「豊松村」なんて自治体があったのは、このとき初めて知った。

          旧豊松村から、旧油木町の南はずれをかすめて、旧三和町に入った。
          国道沿い、視界の右側に二階建ての古びた校舎が見える。
          立ち寄ってみると、「学校食堂」という看板が出ていた。
          どうも廃校の校舎が飲食店として再利用されているらしい。

          入口の手前には、「井関小学校之跡」という碑があった。
          後で調べると、井関小学校は、昭和59年閉校、 
          へき地等級無級、児童数207名(S.34)だった。



          画像1: 井関小学校跡入口から見た二階建て校舎
          昭和30年代前半に建てられた古い校舎らしい。



          画像2: 校舎の入口正面
          何となくあやしげな雰囲気ともいえる。



          画像3: 校舎の入口から中の様子を伺う
          営業は午後3時までだった。
          営業中だったら、コーヒーでも飲みたかったなあ・・・

          (2015年7月13日(月)午後3時50分頃)

          旧備中町長谷小学校跡

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            平成27年7月13日(月)、岡山県の廃校廃村への旅、
            目標の高梁市(旧備中町)柳平(やなびら)への道中、
            旧川上町から旧備中町にかけて、
            カーナビは一車線で草いっぱいのマイナーな道を選んだ。

            ようやく谷が広くなった長谷という集落には、
            一目でそれとわかる小さな学校跡の校舎があった。
            後で調べると、長谷小学校は、昭和52年閉校、
            へき地等級無級、児童数210名(S.34)だった。



            画像1:長谷小学校跡の校舎と門柱
            校舎は地域のコミュニティハウスとして使われている。



            画像2:長谷小学校跡の校舎
            田舎の学校の校舎というと、こんなイメージなんだけれども、
            今やこの型の現役校舎はほとんど見られないことだろう。

            (2015年7月13日(月)午後12時5分頃)

            高山小学校の二宮金次郎像

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              平成27年7月13日(月)、岡山県の廃校廃村への旅、
              目標の高梁市(旧備中町)柳平(やなびら)への道中、
              カーナビは旧芳井町の山中、旧川上町の山中と、
              意外な方面へ私をいざなってくれた。

              旧川上町では、高山という吉備高原上にある集落で一服。
              集落にある弥高山は、この辺りではちょっとした観光地らしく、
              小さなお店と、大きな駐車場があったりした。
              そばに立派な校舎の小学校があったので立ち寄ったら、
              案の定休校になっていた。

              高山小学校は、平成15年休校、閉校となったかどうかは不明。
              後で調べると、へき地等級無級、児童数194名(S.34)だった。



              画像1:高山小学校の立派な校舎
              平成11年に新築されたものとのこと。
              現役で使われたのは4年という計算になる。



              画像2:高山小学校跡の石碑
              側面には沿革が記されている。
              休校は、実質閉校ということがわかる。



              画像3:陶器の二宮金次郎像
              これを見ると、「中国地方に来た」という感じがする。
              お店の横でも、同じ型のニノキンを見つけた。

              (2015年7月13日(月)午前11時40分頃)

              那岐小学校跡

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                平成27年8月8日(土)、鳥取県の廃村めぐりの旅2日目、
                農家民宿「いず味」の2階の部屋からは、すぐそばに那岐小学校跡の校舎が見えていました。

                那岐小学校は、へき地等級無級、児童数314名、明治8年開校、平成24年閉校。
                智頭町内の6つの小学校を1校に統合したことによる閉校です。
                智頭産のスギを使ったと思われる大きな校舎は、閉校後、公民館などの用途に活用されています。



                画像1: 那岐小学校跡 校舎
                サクラの花の真ん中に「那」の文字がある校章が印象的です。
                校舎は平成6年建てられました。



                画像2: 閉校記念碑等の石碑
                オンパレードという感じで並んでいました。



                画像3: 石造りの門柱
                レポートをまとめて、
                この大きさの廃校まで追いかけなければいけないとしたら、
                「廃校を追いかける人ははいへんだなあ・・・」
                と思いました。

                (2015年8月8日(土)午前6時〜6時50分頃)

                宮越小学校跡

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                  平成27年5月31日(日)、北海道・道南の廃村めぐり3日目。
                  上ノ国町内の探索、大安在から上ノ沢に向かう途中、
                  天ノ川駅よりも前に、宮越駅跡、宮越小学校跡を訪ねていたことを
                  天ノ川駅の駅名標を見ていて、気がついた。

                  宮越小学校は、へき地等級1級、児童数63名(S.34)、昭和23年開校、平成10年閉校。
                  廃村もしくは高度過疎集落以外の廃校は守備範囲外だが、画像の1枚ぐらいはとっておくものである。
                  ちなみに、宮越駅跡は画像を撮らなかったので、どんな駅跡だったか全然思い出さないし、Web上で画像を見てもピンと来ない。



                  画像1: 宮越小学校跡の校舎
                  17年前までこんな木造校舎が使われていたというのは驚きだが、
                  振り返れば、まだそんな時代だったのかもしれない。



                  画像2: 宮越小学校跡のバックネット
                  つる草の花が咲いていたから撮ったものと思われる。

                  (2015年5月31日(日)午後1時頃)

                  北海道せたな町(旧大成町) 太田小学校跡

                  0
                    平成27年5月30日(土)、北海道・道南の廃村めぐり、
                    北海道本土最西端の尾花岬近辺を長いトンネルで越えて、昼食はトンネルの先の集落 太田(おおた)の小学校跡でとった。
                    太田小学校はへき地等級5級、児童数49名(S.34)、明治15年開校、平成13年閉校。
                    学校は、昭和38年9月の集中豪雨の被害を契機に移転したため、集落からは500mほど入った高台にある。

                    旧大成町の行止まり集落 太田は、昭和63年8月のツーリングでも行きたかったポイントで、このような形で足を運べるとは思いもよらなかった。
                    太田集落の高齢化率は76%(H.26)と高いが、26戸46名とまずまずの規模がある。
                    単独で訪ねていたら集落を歩いて、出会う方がいたらお話でもしたかったところだ。
                    田中さんが話題にしていた、15世紀からの歴史があり、とても険しい参道の先にあるという太田神社も興味深い。



                    画像1: 太田小学校跡の校舎
                    往復1kmとはいえ、なかなかの傾斜がある道を
                    小学生が毎日通うのはなんぎだったのではないだろうか。



                    画像2: 太田小学校跡の校舎(拡大)
                    校舎の入口に校名と校章が施されているのは北海道らしい。
                    「太」の字が欠けているのはお愛嬌かな。

                    (2015年5月30日(土)午後1時頃)

                    湯ノ岱小中学校跡

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                      平成27年2月8日(日)、秋田県の廃村への旅、
                      旧森吉町湯ノ岱(ゆのたい)では、杣温泉に続いて、
                      森吉山荘(国民宿舎)にも立ち寄りました。

                      この山荘は、湯ノ岱小中学校の跡地に建てられたもので、
                      6年前(平成21年8月)に訪ねたときは、駐車場の片隅に閉校記念碑、
                      山荘の中に炭鉱があった頃の写真や年表、無煙炭の塊が展示されていました。
                      しかし、今回は雪の季節、
                      閉校記念碑は雪に埋もれて発見できず、
                      往時の展示品も見当たりませんでした。

                      湯ノ岱小学校は、へき地等級4級、児童数252名(S.34)、
                      昭和17年開校、昭和46年閉校。
                      「秋田・消えた開拓村の記録」(2005)には
                      「湯ノ岱には昭和33年には1244名の人たちが生活していた」
                      との旨、記されており、
                      往時の炭鉱の規模の大きさがわかります。



                      画像1 : 森吉山荘 駐車場の片隅に建つ閉校記念碑



                      画像2 : 閉校記念碑の横に建つ説明板
                      同窓有志会という名称が入っていますが、
                      冬場はどこかに保管されているのでしょうか。



                      画像3 : 山荘の中に展示されていた、山荘と体育館跡が同時にある写真

                      (2009年 8月 2日(日)午後3時頃) 

                      JUGEMテーマ:ふるさと

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