富山県南砺市(旧城端町)若杉 (その2)

  • 2018.10.21 Sunday
  • 07:00

平成30年8月上旬、富山県の廃村探索2日目、
若杉(わかすぎ)へと向かう歩道は進んでいるうちにだんだん頼りないものになったが、
やがてスギ林の中に石垣や建物が見つかった。
若杉には城端と五箇山を結ぶ街道(五箇山街道)が通り、明治大正期は物資の中継地や宿場のはたらきがあり、

最盛期は27戸あったという。

 

大鋸屋小学校(のち城端小学校)若杉分校はへき地等級2級、児童数12名(S.34)、大正2年開校、昭和42年3月閉校。
集落跡には広がりがあり、神社跡や分校跡を特定することはできなかった。
しっかりした探索をするには草生した夏は不向きだ。
『村の記憶』(山村調査グループ著、桂書房刊、1995)によると
若杉の離村は昭和42年(閉校と同時期)、5戸の住民は旧大鋸屋小学校の校舎へ集団移転した。
小学校跡に往時の体育館が残っているというのは、この歴史を踏まえると感慨深い。

 

 

 画像1: 草生したスギ林の中、若杉を目指して歩く

 

 

 画像2: スギ林の中に家屋が見つかった 

 

 

 画像3: 『村の記憶』にも載っているブロック造りの家屋が見つかった

 

  (2018年8月6日(月)午前8時5分〜8時45分頃)

 

富山県南砺市(旧城端町)若杉 (その1)

  • 2018.10.20 Saturday
  • 09:06

平成30年8月上旬、富山県の廃村探索2日目、
一つ目の目標 旧城端町若杉(わかすぎ)は、川から離れた緩斜面にある。
大鋸屋小学校跡から若杉までは4劼曚鼻
打尾川に沿った道は細いダートになって、やがて行き止まりになった。
クルマを降りようとすると例によってオロロが攻撃してくる。
行き止まり地点には工事の詰所があったので、ご挨拶をすべく扉を開けたところ、第一声は
「兄ちゃん、はやく扉を閉めてくれ」だった。

 

この夏は全国的に猛暑日続きで、工事現場には「熱中症を防ごう」という
温湿度計付きの注意喚起の掲示があった。

 

 

 画像1: 若杉入口・車道終点の工事現場

 

 

 画像2: 車道終点そばには砂防ダムがある

 

 

 画像3: 若杉へと向かう山道

 

  (2018年8月6日(月)午前8時頃)
 

大林

  • 2018.10.19 Friday
  • 07:09

昨夕、2年ぶりに山谷の大林に行ってきました。
何と、あの大将がコの字カウンターの中にいるではないですか・・・(^_^)
小1時間静かに呑んでいると、大将から
「赤くなったね」と声がかかりました。

 

 

 画像1: 大林(その1)

 

 

 画像2: 大林(その2)

 

  (2018年10月18日(木)午後5時30分〜6時30分頃)
 

読売テレビ「マヨなか笑人」

  • 2018.10.18 Thursday
  • 06:51

読売テレビの「マヨなか笑人」という番組(関西ローカル)、
10/5(金)深夜オンエアの回に「廃村でデート」という特集があり、
その中で「廃村研究家」として取り上げられました。

 

番組の司会はブラックマヨネーズで、2015年5月から続いています。

「超穴場デートスポット」として取り上げられたのは、滋賀県多賀町の廃村 保月(ほうづき)。
デートするのは、守谷日和という吉本のピン芸人とその彼女、
番組の中でも地名はオープンで、家屋の中に入る場面があって、その際は
>※保月区長の許可を得て入室しています
などのテロップが入るという、力の入った作りになっていました。
彼女は、「廃村デートは楽しかった」とのことです。

 

TVに出るのはかれこれ6回目、今回は写真が一枚取り上げられただけですが、
私とディレクターとのやり取りから、こんな特集が生まれるというのも

「廃村の調べもののひとつの成果」と言えそうです。

 

 

 画像1: 「廃村研究家 浅原昭生さんオススメ 関西の廃村」
     私は多賀町にしぼって、いくつか候補を挙げたが、
     ディレクターのロケハンで「保月がよい」となったようだ。
     (写真は 東京・奥多摩の倉沢、2012年12月)

 

 

 画像2: 「廃村デート」の説明をする守谷日和
     番組は、難波のよしもと漫才劇場で、公開録画で作られている。
     ブラックマヨネーズをはじめ、
     10名ほどの出演者で、バラエティー番組らしく賑やかに構成されていた。

 

 

 画像3: 「廃村デート」の一場面
     どんな構成になっているか少し心配だったが、
     楽しんで見ることができた。
     関西ローカルなので、オンエア時に見ることはできなかったけれども。

 

  (2018年10月5日(金)深夜25:00頃 オンエア)
 

新幹線の車内販売

  • 2018.10.17 Wednesday
  • 06:38

平成30年10月上旬、奈良県の廃村探索、
南海難波駅からは、御堂筋線で新大阪に出て(大阪市街は素通りして)、
東海道新幹線で東京へと向かった。

 

月曜日祝日の夕方、新幹線は混んでいることが予想されたが、
新大阪発の臨時列車は、出発10分前で、自由席2人がけ窓側を確保できた。
人混みを避けたい私は、1号車に乗ることが多い。
席を確保してから、ホームの売店で弁当とビールを買う。

 

京都を過ぎて、座席がほぼ埋まったところで、
車内販売のアナウンスがあった。
「本日は混雑のため、車内販売は7号車から11号車までの間のサービスといたします」
これは困ったことになったが、
おそらく、通路に人が立ってどうしようもない混み方ではない。

 

浜松を過ぎた頃、意を決して、ビールを買うため7号車を目指す。
幸い、混雑はそれほどではなく、
車内販売は8号車(グリーン車)の7号車寄りで確保することができた。
販売員には、若葉マークがついていた。

 

しかし、車内販売サービスが、ここまで劣化してしまうとは。。。
新大阪でビール2本買う気にはなれないので、
たとえばビール+ワンカップとか、酒の調達にも工夫が必要になりそうだ。

 

 

 画像: 1号車−8号車を往復して買ったスーパードライ

 

  (2018年10月8日(月祝)午後8時頃)
 

橋本駅

  • 2018.10.16 Tuesday
  • 07:21

平成30年10月上旬、奈良県の廃村探索、
復路は特急こうやに乗って、難波へ向かった。
南海高野線 極楽橋−橋本間は山岳路線で、スピードは極めて遅い。
「橋本を出たら早くなるかな」と思ったら、
「橋本で10分以上の停車がある」との旨、アナウンスがあった。

 

ボーっと待っていても仕方がないので、列車から降りて、
こうやの先頭車両を見ながら、ビールを飲んで過ごした。
背中を夕陽に照らされながら過ごすひとときは、
なぜかわりと心地よかった。

 

 

 画像: 橋本駅・ホームに座って、ビールを飲んで過ごす

 

  (2018年10月8日(月祝)午後5時頃)
 

極楽橋駅

  • 2018.10.15 Monday
  • 06:51

平成30年10月上旬、奈良県の廃村探索では、
往路、復路とも、南海高野線、高野山ケーブルを使った。
極楽橋駅は南海高野線の終着駅で、高野山ケーブルとの乗換え駅でもある。
駅は国有林の中にあり、周囲に家屋は皆無だ。

 

「極楽橋駅って、外に出ることができるのか」、
素朴に疑問に思っていたが、とても狭い改札がホームの先端にあった。
そばを流れる川に極楽橋という橋が架かっており、
山道を上がると、山上の女人堂に通じるという。
今度行く機会があったら、山登りをするのも悪くない。

 

 

 画像1: 極楽橋駅・改札外の風景
     復路に改札を見つけたので、思いついて出てみた。
     時間があったら、極楽橋まで歩いてみたかった。

 

  (2018年10月8日(月祝)午後4時20分頃)

 

 

 画像2: 極楽橋駅 ホーム
     左に特急こうやが、右に普通列車が停まっている。

 

 

 画像3: 鉄道−ケーブル連絡橋から見た極楽橋
     少々距離があるが、川の先に赤い橋が見える。

 

  (2018年10月8日(月祝)午前11時頃)
 

奈良県野迫川村 中津川(その2)

  • 2018.10.14 Sunday
  • 08:05

平成30年10月上旬、奈良県の廃村探索、
野迫川村中津川(なかつがわ)、小学校の児童の多数が金屋渕鉱山関係と考えると
鉱山関係の集落と見れなくもないが、
郵便区全図では金屋渕は紫園の地内となっているので、
農山村のままにすることにした。

 

小学校グラウンドの隅には神社があって、
少々荒れてはいたが、維持管理されている様子がうかがえた。
家屋は5軒ほど残っているが、集落の方々が来られる雰囲気はなかった。
車道よりも低い家屋まで降りて、「かつての歩道がないか」と探索したところ、
小さな廃屋にたどり着くことができた。

 

 

 画像1: 中津川・天照神社
     少々荒れてはいたが、維持管理されている様子がうかがえた。

 

 

 画像2: 石垣の上に建つ家屋の塀
     管理されているかどうかは微妙だが、車道から見る分にはしっかりしていた。

 

 

 画像3: スギ林の中の小さな廃屋
     「作業小屋か」と思ったが、食器も残っていた。

 

  (2018年10月8日(月祝)午後1時30分〜2時30分頃)
 

奈良県野迫川村 中津川(その1)

  • 2018.10.13 Saturday
  • 10:11

平成30年10月上旬、奈良県の廃村探索、
野迫川村中津川(なかつがわ)を訪ねたのは、18年ぶり2度目。
池津川局郵便区全図(S.32.10)では、中津川は15戸とある。
離村時期は昭和47年頃と想定している(学校閉校後3年後の経験則)。

 

中津川小学校はへき地等級2級、児童数65名(S.34)、明治20年開校、
昭和44年休校、平成11年閉校。
児童数の推移を見ると、S.36:63名、S.37:36名、S.38:5名と
昭和37年前後に激減している。
これは、2劼曚瀕イ譴振皺緯次覆なやふち)という鉱山があり、

鉱山の閉山(昭和37年)とともに、鉱山集落関係の児童が転出したためである。
先の郵便区全図では、金屋渕は84戸とある。

 

『野迫川村史』(野迫川村史編集委員会、1974)には、
学校休校後の中津川の様子(昭和45年、人口21名)について、
>明治15年(1882)の人口の3分の1に減少し、実質的には村落共同体は内部崩壊し、
>離村者がわずかに夏季に帰村し、共同体財産の維持、管理が行われているにすぎない。
と記している。

 

野迫川村の平成27年国勢調査人口は449名。
平成12年(783名)と比べた減少率は、43%となっている。

 

 

 画像1: 中津川小学校跡(その1、平成12年5月)
     閉校から1年2か月後のことだが、周囲に人の気配はまったくなかった。

 

  (2000年5月26日(金)午後3時頃)

 

 

 画像2: 中津川小学校跡(その2、平成30年10月)
     18年ぶりに訪ねて、あまり雰囲気が変わっていない小さな木造校舎は
     「時の流れとはどのようなものか」、語りかけるようだった。
     再訪して、よかった。

 

 

 画像3: 中津川小学校跡(その3)
     中津川探索レポートはいくつかあるが、
     なぜか取り上げられない向きから校舎を撮ってみた。

 

  (2018年10月8日(月祝)午後1時〜1時30分頃)
 

奈良県野迫川村 紫園

  • 2018.10.12 Friday
  • 07:16

平成30年10月上旬、奈良県の廃村探索、
野迫川村紫園(しおん)を訪ねたのは、18年ぶり2度目。
池津川局郵便区全図(S.32.10)には8戸とある。
離村時期は昭和45年頃(高度成長期後期)と思われる。

 

見覚えがある「野迫川村 紫園」の案内板近くにクルマを停めて、
Iさん達と4名で 20分ほど辺りを探索した。
廃屋が1戸、スギ林の中に残っていた。
家の敷地に建てられらログハウスも、使われなくなって久しい様子だった。

 

 

 画像1: 「野迫川村 紫園」の案内板

 

 

 画像2: スギ林の中に残った廃屋

 

 

 画像3: 使われなくなって久しい様子のログハウス

 

  (2018年10月8日(月祝)12時25分〜12時40分頃)

 

calendar

S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< October 2018 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

recommend

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM