北海道幌加内町 雨煙別(その1)

  • 2019.09.20 Friday
  • 06:19

令和元年5月下旬の道東・道北の廃村探索 3日目、
新富からは、道の駅ほろかないに立ち寄りながら、7つ目の目標 農山村の廃村 雨煙別(うえんべつ)を目指した。

 

新富−雨煙別は、国道275号で12辧
国道から枝道を少し入った場所にある雨煙別駅(平成2年3月廃止)の跡には、駅前にあった倉庫の建物が残っていた。
また、駅舎入口のコンクリが駅跡を示していた。

 

蕗ノ台駅、雨煙別駅など4駅は、JR北海道への移管(昭和62年)後、臨時駅に降格となり、冬季は全列車が通過となっていた。

 

 

 画像1:雨煙別駅跡(その1)
     左側が幌加内・深川方面、右側が朱鞠内・名寄方面。

 

 

 画像2:雨煙別駅跡(その2)
     駅舎入口のコンクリが駅跡を示す。

 

 

 画像3:雨煙別駅前倉庫
     「雨煙別支庫 農業倉庫」と記されている。

 

 

 画像4:倉庫横の重機
     なぜか重機が放置されていた。田中さんによると「ずっと」だそうだ。

 

 (2019年5月27日(月)午後3時40分頃)
 

連続乗車券

  • 2019.09.19 Thursday
  • 07:11

令和元年9月中旬、山形県・秋田県の廃村めぐり、
駅レンタカーは、かみのやま温泉と横手で借りた。

今回、「連続乗車券」なるものを初めて買った。
存在自体知らなかったのだが、
時刻表のピンクのページにも載っている。
片道乗車券、往復乗車券と並ぶ「第3の普通乗車券だ」と感じた。

 

ざっくりいうと、
>秋田から横手に向かい、クルマを借りて横手から大宮へ向かう場合、
>大曲−横手にダブりができるから片道乗車券は変えないが、
>連続乗車券なら買える
という感じだ。

主発駅が鯉川になっているのは、
>発駅から100勸幣緡イ譴討い覆い隼箸Δ海箸できない
という、レール&レンタカーのローカルルールによる。

 

連続乗車券の長所は、有効期間が長くなることだ。
この場合、7日間(2+5日間)あるので、使い方によっては大きなメリットになる。
当初、「鯉川−横手」の乗車券でレール&レンタカーを使う予定だったが、
往路「南浦和−土崎」の乗車券で、
2か所レール&レンタカーを使えることがわかったので、
結局、「鯉川−横手」は「横手−川口」を連続乗車券とすることで
復路「秋田−大宮」の乗車券として使うことになった。
「鯉川−横手」の有効期間は2日間なので、
片道乗車券のままだと、有効期限切れになるところだった。

 

連続乗車券の存在を教えてくれた、上野駅の窓口の方に感謝します。

 

 

 画像1:往路「南浦和−土崎」の片道乗車券
     土崎は秋田のひとつ先なので、秋田は途中下車で降りた。

 

 

 画像2:復路「鯉川−横手」と「横手−川口」の連続乗車券
     自動改札は秋田では通ったが、大宮ではだめだった。
     説明をして、乗車記念印をもらって降りた。
 

山形県・秋田県の廃村に行ってきました

  • 2019.09.18 Wednesday
  • 07:13

令和元年9月中旬、3泊4日で山形県・秋田県の廃村に行ってきました。
訪ねた廃校廃村は、山形県上山市蔵王鉱山、泥部、
秋田県横手市鍛治台、大仙市徳瀬、宮田又、
美郷町湯田、横手市福万、外山、湯沢市泥湯、川原毛
(初訪5か所、再訪5か所、計10か所)、
メンバーは、山形県は単独、秋田県は妻と二人です。

 

旅の3日目(9/16(月祝))、外山を訪ねることで、
「廃村千選」の累計訪問数 700か所超えと、
秋田県の廃校廃村50か所の全箇所訪問を同時に達成しました!
今のスタイル(事前に調べ、目指して訪ね、事後にまとめる)が確立して
最初に訪ねた廃校廃村が、1999年10月、秋田県大館市合津でした。
そこから数えると全箇所訪問まで、20年かかったことになります。

 

帰路のこまちでは、700か所超え、50か所全箇所訪問を祝って
秋田駅で買った駅弁を仙台あたりから食して、ビールを飲みました(^_^)
弁当ガラが、ピーナツの殻入れになることに気が付きました(^_^;)

 

 

 画像1:「秋田 和牛こまち弁当」を食する

 

 

 画像2:隣の妻は「秋田 比内地鶏こだわり鶏めし」を食した

 

 (2019年9月17日(火)午後6時30分頃)

オフィスの昼飯に駅弁

  • 2019.09.14 Saturday
  • 04:48

2月から週に一度、お昼をオフィスで食べることになったので、
当初はコンビニでパンやおにぎりを買ったり、カップめんを食べていた。
4月から思いついて、よく上野駅で駅弁を買っているが、これがなかなかよい。

少なくてもコンビニ弁当よりははるかによい。

 

昨日は、いつも行く店が混んでいたので、別の店に行くと、
秋田や山形といった、東北ゆかりの弁当が並んでいて、
「秋田 比内地鶏こだわり鶏めし」を買ったが、なかなか美味かった。

 

オフィスの昼飯に駅弁、意外かもしれないけど「相性よし」です。

 


 

美深駅

  • 2019.09.13 Friday
  • 06:43

令和元年5月下旬の道東・道北の廃村探索 3日目、
中幌内から蕗之台までの移動の途中、中継地点としてJR宗谷本線美深駅に立ち寄った。
特急の停車駅だが、駅前通りは焼肉店と理髪店、整骨院があるぐらいで閑散としている。

 

この旅は鉄道に乗る機会がなく、美深のほかに訪ねたのは駅跡ばかり。
宗谷本線の存在はありがたい。
駅では、トイレを使って、売店で買い物をした。
クルマの旅で立ち寄るだけの利用者は、存続を祈って寄付をしていってもよいかもしれない。

「ご当地入場券」を買っておけばよかった。

 

 

 画像1:美深市街・閑散とした駅前通り

 

 

 画像2:駅の温度計は「32℃」とあった。

 

 

 画像3:広いスペースが印象的な駅前

 

 (2019年5月27日(月)午前11時25分〜11時35分頃)

 

北海道幌加内町 新富(その2)

  • 2019.09.12 Thursday
  • 06:50

令和元年5月下旬の道東・道北の廃村探索 3日目、新富の探索、
新富にあった豊富小学校はへき地等級1級、児童数66名(S.34)、大正5年開校、昭和47年休校、同48年閉校。
集落の離村は平成12年頃。

 

体育館が酪農施設として使われており、施設の方の姿があったので、ご挨拶して見学を希望すると、見せていただくことができた。

 

 

 画像1:新富・豊富小学校跡は酪農施設になっている

 

 

 画像2:施設のかたわらに建つ「地神社」の碑

 

 

 画像3:体育館が干し草ロール置き場として活用されていた

 

 

 画像4:裏手から体育館を眺める

 

 

 画像5:体育館の内部を見ると、広がりがあることがわかる

 

 (2019年5月27日(月)午後2時50分〜3時5分頃)

 

北海道幌加内町 新富(その1)

  • 2019.09.11 Wednesday
  • 06:06

令和元年5月下旬の道東・道北の廃村探索 3日目、
共栄からは、駅舎が残る添牛内駅跡に立ち寄りながら、6つ目の目標 農山村の廃村 新富(しんとみ)を目指した。

 

共栄−新富は、国道275号で12辧
国道の新富バス停から枝道を少し入った場所にある新富駅(平成2年9月廃止)の跡には、駅前にあった牛乳集荷場跡の建物が残っていた。
五万地形図(添牛内、S.46)の十三線に鳥居マークがあったので(ちなみに文マークは十四線)、確認したが何も見つけることはできなかった。

 

 

 画像1:JR北海道バス 深名線 新富バス停

 

 

 画像2:牛乳集荷所跡の建物が新富駅跡を示す

 

 

 画像3:よく見ると「乳集荷所」の文字が読み取れる

 

 (2019年5月27日(月)午後2時30分〜2時35分頃)

 

北海道幌加内町 共栄

  • 2019.09.10 Tuesday
  • 06:37

令和元年5月下旬の道東・道北の廃村探索 3日目、
蕗之台からは白樺駅跡に立ち寄りながら母子里まで戻り、5つ目の目標 農山村の廃村 共栄(きょうえい)を目指した。

 

母子里−共栄は、国道275号で20辧
共栄小学校はへき地等級2級、児童数36名(S.34)、昭和7年開校、昭和55年閉校。集落の離村は平成2年頃。
校舎は作業小屋として使われているが、「村影弥太郎の集落紀行」Webに掲載されているもの(平成24年現在)よりも取り壊された部分が増えていた。

 

国道の共栄バス停から枝道を少し入った場所にある共栄駅(平成7年9月廃止)の跡は、線路の盛土が駅跡を示す程度になっていた。
駅跡に立ち、私は「時間があったら、廃線跡を歩く旅をしてみても面白そうだなあ」に思った。

 

 

 画像1:共栄・小学校跡の校舎は作業小屋として活用されていた

 

 

 画像2:作業小屋対面の平地は、校庭だったのだろう

 

 

 画像3:線路の盛土がそれとなく駅跡を示す

 

 (2019年5月27日(月)午後1時55分〜2時5分頃)

 

蕗之台再訪(その2)

  • 2019.09.09 Monday
  • 07:25

令和元年5月下旬の道東・道北の廃村探索 3日目、蕗之台の探索、
蕗之台小学校(のち母子里小学校蕗之台分校)はへき地等級3級、児童数32名(S.34)、昭和22年開校、昭和37年閉校。
集落の離村は昭和47年。五万地形図(蕗之台、S.31)を見ると、文マークと駅は1劼曚瀕イ譴討い襦
心当たりの場所を探索したが、笹籔となった平地が広がるのみだった。

 

昭和初期、蕗之台に木材搬出のため、人が出入りし始め、
昭和16年10月、蕗ノ台駅が開業、この頃、10戸ほどの造材関係者などが居住したという。
戦後、昭和21年、室蘭市から日鋼開拓団が入植、
豆類や馬鈴薯を栽培したが、成果はあがらず、昭和37年、開拓団が解散。
以降も少数戸が残ったが、昭和47年に最後の居住者が離村し、無住地となった。
蕗ノ台駅は、平成2年まで存続した。

 

かつての自治区は、駅周辺の蕗之台第1、開拓団が入植した地域の蕗之台第2に分かれていた。
朱鞠内局郵便区全図(S.28)によると、駅前を除く蕗之台は30戸となっている。
文マークを中心に広範囲に家屋が記されているが、
道筋は大きく変わっており、往時の痕跡は何も見つからなかった。

 

 

 画像1:蕗之台・道道名寄遠別線、板谷蕗の台線分岐の案内板
     ともに通行止となっているが、先までは行かなかった。

 

 

 画像2:道道688号 名寄遠別線「幌加内町蕗の台」の案内板
     昭和57年の字名改正により、今の字名は「蕗の台」になっている。

 

 

 画像3:蕗之台小学校推定地
     ササ原が広がるばかりだが、まとまった平地だったためここを推定地とした。

 

 (2019年5月27日(月)12時45分〜午後1時15分頃)

 

蕗之台再訪

  • 2019.09.08 Sunday
  • 07:31

令和元年5月下旬の道東・道北の廃村探索 3日目、

サンル、上幌内を経て、中幌内から次(4つ目)の目標は、戦後開拓集落の廃村 蕗之台(ふきのだい)を目指した。

中幌内−蕗之台は、美深市街、幌加内町母子里(もしり)を経て86劼發△襦
美深市街では郵便局と駅に立ち寄り、駅で一服し、母子里では小学校跡対面、地区センターの入口前で昼食休みをとった。

母子里−蕗之台は道道で12辧出発してすぐのゲートは、この日の午前11時、冬季通行止が解除されたばかりだった。


蕗之台は平成元年8月にツーリングで訪ねて以来30年ぶりだが、その時は駅も意識せずに通り過ぎただけだった。
道道から枝道を少し入った場所にある蕗ノ台駅(平成2年3月廃止)の跡は、草原となっていた。
朱鞠内局郵便区全図(S.28)には、駅前に25戸の集落が記されている。
田中さんはこれで深名線の全駅跡訪問を達成したそうだ。

 

 

 画像1:母子里地内 冬期間通行止の案内板

 

 

 画像2:蕗ノ台駅跡 正面

 

 

 画像3:蕗ノ台駅跡 母子里方向を背にして朱鞠内方向を見る

 

 (2019年5月27日(月)12時30分〜12時45分頃)

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