山口県萩市 櫃島(その1)

  • 2019.05.19 Sunday
  • 07:02

平成31年4月、山口県 萩諸島の無住化した離島の探索、
尾島に続いては、東北東方向 5劼曚匹砲△諫づ隋覆劼弔靴沺砲惴かった。
櫃島は面積0.83k屐標高90m。昭和35年には13戸98名、平成7年でも7戸14名の暮らしがあったが、平成17年頃から定住される方はいなくなった。

 

櫃島到着は9時45分。やはり港には入らず、コンクリ堤防を補強したテトラポットに舳先をつけて上陸した。
島の探索予定は、昼食休みも含めて2時間45分。港には島の方の船が停まっていて、台地上にある集落には軽トラで行き来している。
道を歩いていると、島の方の軽トラと出会ったので、ご挨拶をして話したところ、台地上ではハッサク畑があるとのこと。
また、カラスを除けるため、8分に一度、発砲音が鳴るとのことだった。

 

春の花や廃車を見ながら坂道を上ると,港から15分ほどで台地上にある集落にたどり着いた。
多くの家々が建っているが人の気配はなく,無住化していることが実感できた。
背の高い2階建ての蔵は,タバコの乾燥に使われていたらしい。

 

 

 画像1:櫃島港には、島の方の船が停まっていた

 

 

 画像2:行く手にハッサク畑と背の高い2階建ての蔵が見えた

 

 

 画像3:集落には無住の家々が建っていた

 

 (2019年4月14日(日)午前9時50分〜10時10分頃)
 

山口県萩市 尾島(その3)

  • 2019.05.18 Saturday
  • 06:19

平成31年4月、山口県 萩諸島の無住化した離島 尾島(おしま)の探索、
事前の調べでは、尾島に残る建物は校舎のみで、他に何が残っているかは「行ってみてのお楽しみ」だった。
港の岸壁は崩れていて、集落跡は藪に埋もれていた。
「地理院地図」Webの地形図には岸壁から1劼曚匹梁翆肋紊膨撒錺沺璽が記されており、目指して行くにはちょうど良い。

 

藪をかき分けて往時の道をたどったが、ウメちゃんとトンちゃんは体力温存のため途中で撤退した。
所々に藪が厳しい箇所があったが、ササやタケがわずかだったのは幸いだった。
2回ほど切り返し、たどり着いた台地の上を心当たりの方向に進むと、「大歳宮新築之碑 昭和三年」と刻まれた石碑が見つかった。
神社跡には手水鉢、鳥居、本殿など、思いがけないほどたくさんのものが残っていた。

 

 

 画像1:尾島・港の岸壁は崩れていた

 

 

 画像2:集落跡から神社跡まで、藪をかき分けて往時の道をたどる

 

 

 画像3:緑に埋もれた神社跡に、石碑が残っていた

 

 

 画像4:神社跡の石碑には「大歳宮新築之碑」と刻まれていた(昭和3年10月建立)

 

 (2019年4月14日(日)午前8時5分〜8時50分頃)

山口県萩市 尾島(その2)

  • 2019.05.17 Friday
  • 06:42

平成31年4月、山口県 萩諸島の無住化した離島 尾島(おしま)の探索、
港の西側には、今も校舎が残る尾島分校跡がある。
相島小学校尾島分校は、へき地等級5級、児童数16名(S.34)、明治18年開校、昭和40年閉校。
6人が校庭の茂みを分けて歩いて行く中、私は堤防の端まで歩いて、
ガレキを歩く形で校舎へと向かった。

 

校舎のうち、海に近い部分は崩壊しており、山に近い部分もガレキだらけになってはいたが、
教室、廊下、トイレなど、往時の様子がよくわかった。
おきのくにさんは校舎の図面をもっていて、いちばん海に近い部分は教員住宅だったとのこと。
ガレキの中を探索すると、浴槽など水回りが見つかった。

校舎から山側へ少し進むと、墓石を見つけることができた。

 

 

 画像1:尾島分校跡・3分の1ほどになりながらも校舎が残る

 

 

 画像2:教室、廊下など、往時の様子がわかった

 

 

 画像3:トイレなどがある校舎の裏手(山側)を外から見る

 

 (2019年4月14日(日)午前7時40分〜8時頃)
 

山口県萩市 尾島(その1)

  • 2019.05.16 Thursday
  • 06:14

平成31年4月、山口県日本海側 萩諸島の無住化した離島 尾島(おしま)と羽島(はじま)、
無住化したらしい櫃島(ひつしま)へのリベンジの旅、
2日目(4月14日(日))、萩市街・旅館 芳和荘での起床は朝5時頃。
宿から出ると、空は曇っていて風もそこそこ吹いているが、南風のため暖かい。
近くのファミレスへ三々五々で集い、朝食をとる。
昼食やお茶など、島で必要なものは各自コンビニで調達した。

 

4台のクルマ、7名のメンバー(私、ふたつぎさん、おきのくにさん、かめさん、ハマちゃん、トンちゃん、ウメちゃん)が萩漁港に到着したのは朝6時55分頃。
ほどなくのんちゃん丸(13人乗り)がやってきて、船長と1年ぶりに再会する。
波の高さは1mほど。舳先から船に乗り込み、船後部の席に座った。

萩漁港出発は7時2分。萩諸島の島々は火山性玄武岩からなるため、周囲は海食崖、真ん中は扁平な台地になっている。
尾島、羽島、櫃島は、それぞれ農業が中心の島々で、かつては台地上にタバコ畑が広がっていたという。

 

まず、11卆茵遠くて様子がわからない尾島へ向かう。

尾島は面積0.22k屐標高71m。昭和35年には10戸87名の暮らしがあったが、昭和47年7戸19名が集団移転して無住化した。

萩諸島の島々の港は、北風を避けるためすべて島の南側にある。
尾島到着は7時35分。のんちゃん丸は港には入らず、石積み堤防に舳先をつけて上陸した。
島の探索予定は2時間取ったが、船長は「そんなに長い時間、何をするのだろう」と思ったことだろう。

 

 

 画像1:萩漁港・のんちゃん丸の船長にご挨拶(かめさん撮影)

 

 

 画像2:のんちゃん前の行く手、尾島が近づいてきた

 

 

 画像3:尾島港・石積み堤防を歩く(左に見える島は、現住集落がある相島)

 

 (2019年4月14日(日)午前7時〜7時40分頃)
 

東根温泉・山菜をゆでていただく

  • 2019.05.15 Wednesday
  • 06:53

令和元年5月中旬、山形県の廃村探索、
大石田町 三和炭鉱跡の探索では、現地で山菜採りを行った。
私は、ゼンマイとコゴミを採り、
ウルイというなじみがない山菜をプレゼントされた。

さて、問題はこれをどうするかだ。
探索のメンバーは「今日中にゆでないといけない」という。

 

東根温泉の宿に着き、「まずは宿で頼むことだな」と思い
「ゆでることができないか」とご主人に話すと、
「ウチではできない」とのこと。
そうすると、食事をとる店にお願いするしかない。

幸い、宿には「料飲食店ガイドマップ」というものがあった。
夜の温泉街を歩き、「まるこ食堂」という店に入り、
ギョウザ定食を注文する。

 

女将さんに事情を話すと、「ゼンマイはアクが出るからダメだけど、
コゴミとウルイはやってあげるよ」という、嬉しい言葉をいただいた。
さらに、ショウガ醤油で食べれるようにしてくれた。
ゼンマイは、女将さんに「山菜好きのママがいる」というスナックを
紹介していただき、スナックでゆでていただいた。
「ゴールド」というそのスナックのママは、
「今朝山菜採りに行っていた」とのことで、
タラノメとコシアブラの天ぷらを作ってくれた。

 

 

 画像1:東根温泉 料飲食店ガイドマップ
    知らない町で、マップを片手に鼻を利かせて店を選ぶ。
    よい店に入れると嬉しいものだ。
    東根温泉は観光地色が薄く、湯質もよかった。

 

 

 画像2:コゴミとウルイを食する
    コゴミは10年前の沓津の春まつり以来、なじみがある。
    これからウルイも、なじみに加わるだろうか。

 

 

 画像3:スナックでゼンマイを用意する
    ゼンマイは、春の廃村探索ではよく見るが、
    アク抜きのことがあるので、これまで採ることがなかった。

 

 (2019年5月11日(土)午後8時〜11時40分頃)

 

 

 画像4:ゼンマイを天日干しにする
    春の廃村では、おばあさんがよくゼンマイ干しをしている。
    浦和で干しゼンマイを作れるとは、思いもよらなかった。

 

 (同15日(水)午前6時頃)
 

さくらんぼ東根駅

  • 2019.05.14 Tuesday
  • 06:54

令和元年5月中旬、山形県の廃村探索、
宿泊地 東根温泉までは、山形新幹線さくらんぼ東根駅で
自転車を借りて向かった。

 

山形新幹線の新庄延伸(平成11年12月)とともにできた駅で
降りるのは今回が初めて。
東根市も今回初めて訪ねたが、人口が増えているというのは驚きだった。

 

東根といえば、駅名にあるとおり「さくらんぼ」が名産だ。
さくらんぼ畑の中に作業所が見当たったので、
「買えますか」と声をかけたところ、
「露地ものはまだだけど、ハウスものならあるよ」とのこと。
いい値段はしたが、家用の土産にひとパック買った。

 

 

 画像1:さくらんぼ東根駅 駅舎
    田んぼの真ん中に作ったというが、
    駅周辺はロードサイド系の店が多く開店し、賑わいを感じた。

    鉄道が高架でないのは、ミニ新幹線のよいところだ。

 

 

 画像2:さくらんぼ東根駅 駅名標
    開業して20年経つからか、黒部宇奈月温泉 のような
    不自然さは感じなかった。

 

 (2019年5月12日(日)午前11時25分〜11時40分頃)

 

 

 画像3:東根駅 駅舎

    さくらんぼ東根駅から北へ2.5辧
    新幹線開業までの市の代表駅は、見事にひなびていた。

 

 (2019年5月11日(土)午後5時40分頃)

 

山形県の廃村に行ってきました

  • 2019.05.13 Monday
  • 07:08

令和元年5月中旬、山形県の廃村に行ってきました。
訪ねた廃村は、大石田町の炭鉱集落 三和(さんわ)、
東根市の戦後開拓集落 沼沢沼(ぬまざわぬま)
の計2か所(初訪2か所)、
メンバーは、三和が地域の方々と私の6名、沼沢沼が単独です。 

 

ともに所在がはっきりしなかった廃村で、
沼沢沼の分校が郵便区全図に載っていたときは
「ついにわかった!」と思ったものでした。
三和に至っては、地形図、郵便区全図ともに集落名すら記されておらず、
大石田町立図書館に問い合わせて、昨年11月、大石田町に赴くことによって
場所の確定ができたという経緯があります。

 

しかし、地域の方と出会って話をすることは重みがあるもので、
おかげで6名で山に入り、沢を下って上っての悪戦苦闘を経て、
何とか三和炭鉱集落跡に足跡を残ることができました。
この季節(山菜採りの頃)、地域の方々の力添えがあったから実現できたことで、
おそらく単独では無理だったのではないかと思います。
沼沢沼のほうは、「場所さえ確定できれば大丈夫」と単独で出かけましたが、
レンタサイクル+徒歩の行程は、歯ごたえがありました。

 

やはり、春は廃村探索のハイシーズン、
枯れたヨシ原もこの季節の雪国ならではです。
採った山菜は、宿泊地(東根温泉)の食堂、スナックでさばいていただき、
美味しく食することができました。

 

 

 画像1:三和・炭鉱集落跡の一角に到着
    川上にある林道か沢沿いに下ること1辧
    ルートは山歩きの達人と呼ばれる方に選んでいただいた。
    私持参の+印入り詳細地形図と、若い方の地図ソフトの情報と
    以前、川下から訪ねたことがあるという方の話をミックスすることで
    炭鉱集落跡の一角(やや草が芽生えた枯れたヨシ原)に到着ことを確信した。

 

 

 画像2:炭鉱集落跡があったと思われる場所
    集落は、沢の左岸にあった。
    ある程度平たい場所は他に見られず、そこは枯れたヨシ原となっていて、
    近くの尾根には大きな一本のマツが見られた。

 

 (2019年5月11日(土)午前11時50分〜12時55分頃)

 

 

 画像3:沼沢沼・湖のほとりに到着
    山深くにある湖で、林道は通じているが
    カーナビでは「行くことができない」と表示されるので、
    クルマを借りず、歩きを主とするつもりで出かけた。
    湖までのダート区間はおよそ5辧
    自転車が2辧∧發が3劼阿蕕い琉鎚で向かった。

 

 

 画像4:沼沢沼・分校跡から湖を見渡す
    湖の西端から北側へ500mほど進んだ分校跡は、枯れたヨシ原となったおり、
    その先の道は荒れて、やがて進めなくなった。
    分校跡からは、湖が見渡せるほどの視界があった。

 

 (2019年5月12日(日)午前9時5分〜9時15分頃)

 

古鹿熊再訪

  • 2019.05.10 Friday
  • 06:44

平成31年4月GW、富山県の廃村探索、
魚津市古鹿熊(ふるかくま)には、初訪時(平成26年7月)、
クマらしき動物や、マムシにに遭遇したため、
満足な探索ができなかったという因縁がある。

 

今回は、春先の穏やかな風景を目指して、クルマを走らせたのだが、
角川ダム奥の三差路から先は通行止になっていた。
三差路から集落跡までは3.5km。
迂回路はなく、歩いていくしかない。
通行止の理由は「法面工事のため」とあったが、
歩いていてクルマが走れそうにない区間はなかった。

 

県道の終点から坂を上り詰めた場所には「古鹿熊ふるさと会館」が建っており、
会館の向かいには個人の顕彰碑と仏様の像があった。
今回は、これに加えて白山社にたどり着くことができた。
寺跡探しは時間切れになったが、とりあえずリベンジは果たせた。
黒部宇奈月温泉駅にも、4時間の枠以内に戻ることができた。

 

 

 画像1:角川ダム奥の三差路・通行止の標示
    GWのため、工事はお休みだった。

 

 

 画像2:古鹿熊ふるさと会館(旧分校 教員住宅)
    平成27年頃までここで、GWに「ふるさと祭り」が行われていたという。
    人の気配はなかったが、荒れた感じはなかった。

 

 

 画像3:ハスの花の上に座った仏様が見守る
    「また来たよ」と声をかけたくなる、味がある仏様だ。

 

 

 画像4:村社 白山社(その1)

    神社は、急勾配の斜面の上にあった。
 

 

 画像5:村社 白山社(その2)
    この風景にも、集落の方のプライドが感じられた。

 

 (2019年4月30日(火)午前10時30分〜12時10分頃)
 

黒部宇奈月温泉駅

  • 2019.05.09 Thursday
  • 06:16

平成31年4月GW、富山県の廃村探索、
宿泊地 糸魚川からは、北陸新幹線でひとつ先の
黒部宇奈月温泉駅へと向かった。

 

北陸新幹線開業(平成27年3月)とともにできた駅で
降りるのは今回が初めて。
目的の廃村は、魚津市古鹿熊(ふるかくま)。
改めて調べると、富山地鉄 新黒部−新魚津は10.5km。
魚津市街−古鹿熊は14劼世辰拭
(ちなみに黒部宇奈月温泉−古鹿熊はクルマで23辧法

天気がよかったら、前日と同じく
電チャリを使うのも一手だったかもしれないが、

 

だが、この日の天気は雨の可能性がある曇で、
与えられた時間は4時間ほど。
やはり、新幹線駅でレンタカーは正解だった。

 

 

 画像1:黒部宇奈月温泉駅 駅名標
    富山地鉄と同じく、新黒部でよかったと思うのだが・・・

 

 

 画像2:黒部宇奈月温泉駅 駅舎
    すぐそばに北陸道が走っている。

 

 

 画像3:富山地鉄 新黒部駅 駅舎
    新幹線開業に合わせた新駅だが、
    周囲の駅のようにひなびた駅舎にしてほしかったところだ。

 

 (2019年4月30日(火)午前9時〜9時10分頃)
 

分道・諏訪社の御柱

  • 2019.05.08 Wednesday
  • 06:19

平成31年4月GW、長野県の廃村探索、
沓津・堂平に続いては、さらに先、斑尾高原リゾートに近い
戸数9戸(H.27)の現住集落 分道(ぶんどう)まで足を運んだ。
沓津の春まつりで、神主から
「分道の神社には御柱(おんばしら)が建っている」
という話をうかがったので、
この機会に、実際に見てみたくなったからだ。

 

御柱というと諏訪大社(長野県諏訪市)の
6年に一度行われる御柱祭が思い浮かぶ。
神主の話では、
「分道の神社には拝殿の両角に2本の御柱が建っており、
6年に一度、信徒の手で建て替えられる」
とのこと。

 

分道の神社(諏訪社)を訪ねてみると、
確かに、拝殿の両角に2本の御柱が建っていた。
「分道で、御柱の建て替えができる信徒は5人ぐらいではないか」
と神主は話されていた。
何気ない風景の中に、集落の方のプライドが感じられた。

 

 

 画像1:分道・屋根が崩れたペンションの跡
    11年前(平成20年)、熱中時間のロケで
    ロケ車が雪の斜面でタイヤがすべり、立ち往生したとき
    このペンションに「灰はありませんか」と助けを求めたものだった。

 

 

 画像2:諏訪社の御柱
    6年に一度御柱を建て替えるというのは、
    「定期的に神域を新たにする」意味があるとのこと。
    左側には、切られた古い御柱が並んでいる。

 

 

 画像3:諏訪社の入口に停めた自転車と、分道の風景
    分道の標高は、沓津、堂平よりも高く、見晴らしはすこぶるよい。
    自転車のバッテリーはぎりぎりになっていたが、
    帰り道は下りなので、問題はおこらなかった。

 

 (2019年4月29日(月祝)午後3時45分〜4時頃)
 

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