百瀬川林道・東俣峠

  • 2018.08.19 Sunday
  • 08:03

平成30年8月上旬、富山県の廃村探索1日目、
上百瀬には、利賀芸術公園(合掌文化村)、天竺温泉の郷(宿泊施設)、スノーバレー利賀(スキー場)など、大規模な観光施設が多く見られるが、人の気配は極めて薄い。
これは暑さのせいというよりも、オロロのせいなのだろうか。
「発生時期はお盆前後で1か月ぐらい」とのことなので、秋口に訪ねたとすれば、ずいぶん違う印象を受けることになりそうだ。
その後の調べで、スノーバレー利賀は平成25年に閉鎖されたことがわかった。

 

山の領域にに入り、ダートになってからも百瀬川林道は比較的走りやすく、金剛堂山の登山口がある峠(仮称 東俣峠、標高1248m)まではすんなりとたどり着いた。
ただしオロロのため、クルマの外に出る気にはなれず、写真はすべてクルマの中から撮った。

 

 

 画像1: スノーバレー利賀の建物を百瀬川の橋から臨む

 

 

 画像2: 百瀬川林道の峠(東俣峠)は、金剛堂山の登山口になっている

 

 

 画像3: 東俣峠・登山口の案内板

      改めてこれを見ると、水無は富山県の最奥ということがわかる。

 

  (2018年 8月5日(日)12時50分〜午後1時35分頃)
 

旧利賀村、上百瀬分校跡

  • 2018.08.18 Saturday
  • 08:11

平成30年8月上旬、富山県の廃村探索、
1番目の目標 旧利賀村水無に向かう道は大きく分けて2つある。
ひとつは利賀川本流沿いの県道(34号 利賀河合線)をさかのぼるルートで、
最寄り集落 奥大勘場から8劼曚匹世、昨年11月、ゲートに阻まれて行けず終いになった。
その後の調べで、このゲートは通年閉じていることがわかった。

 

もう一つが百瀬川沿いの市道上百瀬水無線(百瀬川林道)で峰越えをするルートで、
こちらは最寄り集落 上百瀬から15劼△襪、積雪期を除き道は通じているらしい。

今回初めて足を運んだ上百瀬でも分校跡校舎が見当たったので、クルマを停めて小休止した。
利賀小学校上百瀬分校はへき地等級3級、児童数47名(S.34)、平成元年休校、平成8年閉校。
上百瀬でもオロロ(小型のアブ)の襲撃があって、落ち着いたひとときを過ごすことはできなかった。

 

 

 画像1: まずまずの戸数がある上百瀬集落

 

 

 画像2: 建設会社が再利用されているらしい上百瀬分校跡の校舎

 

  (2018年 8月5日(日)12時40分頃)
 

旧利賀村、百瀬川分校跡

  • 2018.08.17 Friday
  • 07:20

平成30年8月上旬、富山県の廃村探索、
1番目の目標 旧利賀村水無(みずなし)は,八尾市街から百瀬川経由で42km,富山駅からだと60劼凌爾せ鈎罎砲△襦
八尾から中山間地域に入るまでは前回(7月上旬)の行程と重なっている。
前回、足谷の代わりに大沢を訪ねておけば,今回の行程も楽なものになっていたところだ。

 

旧八尾町栃折でR.471に入り、栃折峠を越えて、旧利賀村百瀬川の分校跡前で一服する。
利賀小学校百瀬川分校はへき地等級2級、児童数72名(S.34)、平成元年休校、平成8年閉校。
なじみがある校舎を見ながら昼食休みをとろうとクルマから出ると、いきなりアブの大群の襲撃を受けた。
クルマを離れるとついてこなかったので、予定通り昼食休みをとることができたが、何とも不吉なものを感じた。

 

 

 画像1: 秋の利賀小学校百瀬川分校跡

 

  (2014年11月7日(金)午前11時10分頃)

 

 

 画像2: 真冬の利賀小学校百瀬川分校跡

 

  (2015年 1月9日(金)午後 3時55分頃)

 

 

 画像3: 真夏の利賀小学校百瀬川分校跡

 

  (2018年 8月5日(日)12時25分頃)
 

富山県富山市(旧大山町) 小坂(その2)

  • 2018.08.16 Thursday
  • 07:00

平成30年7月上旬、富山県の廃村探索、
小坂校区には、下双嶺、折谷、小坂、大清水、荒屋敷、千長原、大双嶺の7集落がある(荒屋敷を除く6集落は大字)。
しかし、荒屋敷に建つ神明社は7集落の合祀であり、「廃村千選」では7集落を小坂地区と捉えている。
山奥の大双嶺は昭和38年に、千長原は昭和50年に離村しており、その後荒屋敷、下双嶺も無住化している。

 

小坂集落に唯一人の気配がある家屋があったので、ご挨拶をしたところ、70代ぐらいの女性(Kさん)が迎えてくれた。
Kさんによると「小坂地区は年寄りばかりになってしまって、田畑はすべて杉林になってしまった」とのこと。
耕地を失った山間の集落は、夕方ということもあり、とても侘しく感じられた。
やや早足で荒屋敷の神明社(小坂地区の社)を訪ねると、拝殿は屋根付きの家屋のようになっていて、

坂の下から見上げると堂々としていた。

 

 

 画像1: 下小坂・バス停と家屋
     大字では折谷になる。
     数軒の家屋があって、うち1軒には人の気配があった。

 

 

 画像2: 大清水の家屋
     小坂から川を渡ってすぐだが、大字では大清水となる。
     数軒の家屋があるが、人の気配はなかった。

 

 

 画像3: 荒屋敷・堂々と建つ神明社
     荒屋敷は、大字では千長原になる。
     千長原本村、大双嶺には足を運ばなかった。

 

  (2018年7月9日(月)午後5時25分〜6時頃) 
 

富山県富山市(旧大山町) 小坂(その1)

  • 2018.08.15 Wednesday
  • 06:47

平成30年7月上旬、富山県の廃村探索、
4番目(この日最後)の目標 旧大山町小坂(こさか)は、戸数4戸(H.29、地区全体)の高度過疎集落で、大山市街(上滝)から14kmの山中にある。
JR笹津駅で一服した後、平野と中山間地域の境目を福沢まで進み、
黒川沿いの県道を南進すると、瀬戸より先の道は頼りないものになった。
瀬戸から4劼曚鼻⊂坂集落(地区の中心部)に着いたのは夕方5時25分。
第一印象は「ここが中心部なのか」だった。

 

福沢小学校小坂分校はへき地等級1級、児童数41名(S.34)、明治17年開校、昭和51年閉校。
旧版地形図には文マークがあって、これを頼りに探索すると、バス停の背後の草むした平地がそれだとわかった。
バス停自体が草に埋もれていたので、写真を撮る前に草を倒して整えた。

 

 

 画像1: 小坂・地区の中心部
     道幅の広さが、空ろさを増幅させている。

 

 

 画像2: 草に埋もれたバス停と、展開場
     クルマの車窓からはわからなかったら、歩いてみると何とかわかった。

 

 

 画像3: 草を整理した後の小坂バス停
     背後の草むした平地が分校跡だが、特に何も見当たらなかった。

 

  (2018年7月9日(月)午後5時25分〜5時40分頃) 
 

富山県富山市(旧大沢野町) 土

  • 2018.08.14 Tuesday
  • 06:49

平成30年7月上旬、富山県の廃村探索、
3番目の目標 旧大沢野町土(ど)は、戸数2戸(H.29)の高度過疎集落で、大沢野市街(笹津)から6kmの山中にある。
事前の情報では、土には「土遊野」という農場があって、有機米、鶏卵、野菜などを生産直売しているという。
戸数はわずかでも人の気配はありそうだ。
集落の外れにクルマを停めて、土遊野の施設(直売所がある建物)に足を運ぶと、30代ぐらいの女性(Dさん)が迎えてくれた。

 

小羽小学校土分校(のち土冬季分校)はへき地等級無級、児童数9名(S.34)、明治7年開校、昭和41年常設分校閉校。昭和52年冬季分校閉校。
旧版地形図に文マークは記されておらず、Dさんに分校について尋ねてみたところ、施設の一角、パン工房の建物が分校跡の校舎を活用したものということがわかった。
事前に連絡すれば、見学も可能とのこと。
土を訪ねた記念として有機米を購入すると、商品規格外のニンジンをおまけしてくれた。

 

農場勤務の若い方の姿がある土だが、集落の川沿いは「土石流危険渓流」の掲示板が建っており、暮らしやすい場所ではないのだろう。
土の水田は渓流沿いに広がっていて、高台からは棚田を見渡すことができた。

 

 

 画像1: 土・分校跡の校舎は、パン工房として活用されていた

 

 

 画像2: 「土遊野」では水車が稼働していた

 

 

 画像3: 渓流を挟んだ高台から見た土の棚田

 

  (2018年7月9日(月)午後3時〜4時頃) 
 

富山県富山市(旧八尾町) 小井波(その3)

  • 2018.08.13 Monday
  • 06:39

平成30年7月上旬、富山県の廃村探索、
2番目の目標 小井波では1時間5分かかった。
この日の富山市の最高気温は31.2℃。天気は良いが暑いためか探索のペースは進まない。

 

桐谷小学校小井波冬季分校はへき地等級1級、児童数9名(S.44)、明治13年開校、昭和52年閉校。
旧版地形図に文マークは記されておらず、場所は不明のままになった。
「もしかすると、本校があった桐谷へ行けば、小井波についてご存知の方がいるのではないか」
と思いついたのは、桐谷を通り過ぎてしばらく経ってからだった。
再訪することがあったら、本校の桐谷小学校跡(昭和58年休校、平成8年閉校)にも立ち寄りたいものだ。

 

 

 画像1: 小井波集落跡・養豚農場(シムコ八尾GGPセンター)の入口
     シムコの秋田県 大館GGPセンターは、開拓集落跡 菅谷地(すがやち)にある。
     もしかすると、廃村と養豚農場の相性はよいのかもしれない。

 

 

 画像2: 小井波の水田跡
     水田跡もシムコ八尾GGPセンターの私有地になっている。

 

 

 画像3: 小井波の探索で見つけた獣のふん
     とても大きなもので、緑に光る小さな虫がうごめいていた。

 

  (2018年7月9日(月)午後1時45分〜2時30分頃) 
 

夜の魚津駅

  • 2018.08.12 Sunday
  • 05:59

平成30年8月上旬、富山県の廃村探索、
2日目の夜は、あいの里とやま鉄道線 魚津駅そばの
ビジネスホテルに泊まりました。

 

北陸新幹線が開通して3年少し、
JR幹線の主要駅から三セクの中の一駅となった魚津駅、
どんな様子なのか気になっていたのですが、
訪問は4年前(北陸本線お別れの旅)以来です。
宿はその時と同じ、魚津ローカルな宿です。

 

現地ではわからなかったのですが、画像を見直しているうちに
駅舎の帯の色が、変わっていくことに気づきました。
まずまず賑やかな市街では、宿主さんに紹介していただいた
一見のスナックで2時間半ほど唄いました。

 

 

 画像1: 夜の魚津駅(その1)
     駅南西からで、色帯は青。

 

 

 画像2: 夜の魚津駅(その2)
     駅北東からで、色帯は緑。


 

 画像3: 夜の魚津駅(その3)
     正面からで、色帯は赤。
     真正面は青で変わらないみたいです。

 

  (2018年8月6日(月)午後9時5分〜9時15分頃)

 

南砺市大鋸屋、旧小学校木造体育館

  • 2018.08.11 Saturday
  • 08:24

平成30年8月上旬、富山県の廃村探索、
旧城端町若杉に向かう前に、若杉分校の本校があった、
大鋸屋(おがや)の小学校跡地に立ち寄りました。

 

大鋸屋小学校の閉校は昭和41年。
二万五千図(下梨、1972)に文マークは掲載されていません。
「見つかるかなあ・・・」と裏手のほうから
心当たりの場所に歩いていくと、
木造板張りの大きな建物が見つかりました。

 

建物の正面には「大鋸屋地区軽スポーツセンター」という標札があり、
案内板と「登録有形文化財」の標板がついていました。
建物は「旧大鋸屋小学校体育館」、昭和4年に建てられたもので、
平成27年より登録有形文化財(文化庁)とのこと。

 

思いがけない発見は、とても楽しいものです。
なお、昭和42年、若杉集落離村の際、
「全5戸の住民は旧小学校の校舎へ集団移転した」とのことです。

 

 

 画像1: 裏手から見た旧大鋸屋小学校体育館
      ひと目で往時からの建物とわかったが、
      登録有形文化財とは、思いもよらなかった。

 

 

 画像2: 正面から見た旧大鋸屋小学校体育館
      左は大鋸屋公民館(本館)、
      右は公民館別館(旧大鋸屋保育所)となっている。

 

 

 画像3: 旧大鋸屋小学校体育館の遠景
      つまり学校跡は、公民館として利用されていた。
      校庭の隅には二宮金次郎像もあった。

 

  (2018年8月6日(月)午前7時5分〜7時25分頃) 
 

南砺市下小屋、オロロの祟り

  • 2018.08.10 Friday
  • 06:58

平成30年8月上旬、富山県の廃村探索、オロロの執拗な攻撃を受けたことが
印象深い南砺市(旧福光町)下小屋。
振り返って地形図を確認すると、どうやら分校跡まであと300m弱のところで、
引き返してしまったらしいことがわかりました。

 

◎1.本流の堰(1地点)より上流、下小屋平(道と川が接近した場所)では、
まず大きな支流で道が失われた場所がある。 
◎2.大きな支流の少し先、道の右側(山側)に「塩硝の道」と記された朽ちかけの木標がある(2地点)。 
◎3.木標を過ぎてしばらく歩くと川と道が離れていき、だいぶ坂を上がった場所に橋があった(3地点)ので、行き過ぎと判断し、ここで折り返した。 

 

当初の予想では、2と3の間、道から山側に少し入った場所に分校跡がある感じがしていました。
しかし、その後村影弥太郎さんに「分校跡は道に沿って山側にある」ことを確認し、
二万五千図(西赤尾、1971)を再確認したところ、 
橋よりも300m弱先が、分校跡の最有力候補地に見えてきました。

 

寸前で引き返してしまったのは、オロロの祟りなのでしょうか・・・。
下小屋は足を運んだとカウントしますが、1年以内、ハイシーズンに再訪して
今度こそ分校跡までたどり着きたいと思います。

 

 

 画像1: 下小屋・本流の堰

 

 

 画像2: 「塩硝の道」と記された朽ちかけの木標

 

 

 画像3: 引き返しを決断した橋付近の風景

 

  (2018年8月6日(月)12時30分〜12時50分頃)

 

 

 画像4: 昨夜作成した行程図

 

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