愛媛県西条市 今宮(その2)

  • 2018.12.15 Saturday
  • 05:55

平成30年11月上旬、愛媛県の廃村探索2日目、

今宮の探索、後半は「丸一屋」を折返り点として、

石鎚登拝道と今宮林道を元に戻る形で行った。

 

高嶺小学校今宮分校は、へき地等級2級、児童数20名(S.34)、明治44年開校、昭和47年閉校。
初訪時に見つけることができなかった校舎は、木や草に埋もれていたが、
中はさっぱりとしていて、廊下や教室に面影が感じられた。

 

14年ぶりに訪ねた石鎚登拝道の途中にある旅籠町 今宮。
人の気配が薄れ、木々が茂り、森へ還っていく感が印象深く残った。
同時に、14年という年月の重みが肌身にしみた。

 

 

 画像1: 今宮・「丸一屋」に戻ったので、石鎚登拝道を折り返して上る

 

 

 画像2: 木立の中なので薄暗いが、歴史を感じさせる石垣が続く

 

 

 画像3: 「表屋」の近く、とてもしっかりした石垣が見られた

 

 

 画像4: 「善之丞」のそばには、静かに墓石が建っていた
     (「丞」は正確には「極」の木へんがないもの)

 

 

 画像5: そして今宮分校の屋根に戻り着く
      40分ほど経過して、周囲はやや明るくなった

 

 

 画像6: 校舎の内部は、思いのほかすっきりとしていた

 

 

 画像7: 校舎を灌木だらけの校庭から見る
      どこかに往時からの標札も残っているらしい
 

 

 画像8: 校庭を挟んで、廃屋が建っている
     (手元の資料によると、宿ではなく一般の民家)

 

 

 画像9: コンロやなべに往時の生活感が感じられる

 

 

 画像10: 宿ではないはずなのだが、宿泊人名簿が残っていた

 

 (2018年11月4日(日)午前6時45分〜7時20分頃)
 

愛媛県西条市 今宮(その1)

  • 2018.12.14 Friday
  • 07:12

平成30年11月上旬、愛媛県の廃村探索2日目、
起床は早朝5時頃。まだ暗い時間に宿を出発し、宿から3劼虜5椶鯡椹悗靴拭

 

今宮は石鎚登拝道の途中にある旅籠町で、昭和44年の戸数は19戸、昭和59年に最後の1戸が離村した。
林道1つめのカーブに大きな法面崩落があり、どうなることかと思ったが、
高さ5mほどの岩塊群を乗り越え、その先は歩いて向かった。

 

 

 画像1: 今宮林道・行く手を阻む岩塊群

 

 

 画像2: 岩塊群に登って、来た道を見直す

 

 

 画像3: 岩塊群の先には道が続いていて ひと安心

 

 

 画像4: 左手に「丸一屋」の屋根が見えた

 

 

 画像5: 路傍のお地蔵さんにご挨拶

 

 

 画像6: 今宮林道は、台風の影響からか荒れている

 

 

 画像7: 林道2つめのカーブの先、右手に今宮分校の屋根を見つけるが、

     探索が後の楽しみとする

 

 

 画像8: 林道と石鎚登拝道の交点に来たので、登拝道を下った

 

 

 画像9: 最後の住民が住まれていたという「善之丞」
     (「丞」は正確には「極」の木がないもの)

 

 

 画像10: 登拝道沿いには、各所に石垣が見られる

 

 

 画像11: 登拝道から枝道を入った場所に「表屋」が建っていた

 

 

 画像12: 建物の中には、旅籠の面影が残っていた

 

 (2018年11月4日(日)午前6時5分〜6時45分頃)
 

愛媛県西条市 黒瀬本郷(その2)

  • 2018.12.13 Thursday
  • 06:56

平成30年11月上旬、愛媛県の廃村探索1日目、
黒瀬小学校は、へき地等級無級、児童数73名(S.34)、明治10年開校、昭和45年閉校。
学校跡は黒瀬ダム1号公園の沖合150mほどの湖底にある。

 

1号公園には人の気配はなく、探索しても離村記念碑や学校跡地の碑の類は見つからない。
諦めてクルマに乗り、先に進もうとしたところ、湖畔の小さなスペースに移転の概略が付記された「黒瀬ダム湖」の碑が見つかった。

 

>昭和48年3月、多目的ダムとして完成
>ダムの完成に伴い、112世帯、107戸が水没し、
>西条市、周桑郡等に新居を求めた。
>平成16年3月 西条市教育委員会

 

探索が終了し、ロスタイムと言える時間に、離村記念碑といえる石碑が見つかり、私はとても嬉しかった。

 

 

 画像1: 人の気配がない黒瀬ダム1号公園

 

 

 画像2: 新しい地蔵(昭和60年建立)が、湖畔の各所に建つ

 

 

 画像3:「学校水没地はこのあたりかな」と黒瀬湖を見つめる

 

 

 画像4: けもの道にも足を運んだが、収穫はなかった

 

 

 画像5: 最後の最後に、移転の概略が付記された「黒瀬ダム湖」の碑が見つかる

 

 (2018年11月3日(土祝)午後3時30分〜4時10分頃)
 

愛媛県西条市 黒瀬本郷(その1)

  • 2018.12.12 Wednesday
  • 07:02

平成30年11月上旬、愛媛県の廃村探索1日目、
加茂からは、3か所目(最終)の新規訪問廃村 黒瀬本郷(くろせほんごう)を目指した。
黒瀬本郷は、黒瀬ダム(総貯水容量3600万立方m、昭和47年竣工)建設に伴い、昭和45年に離村した。

 

県道(12号西条久万線)から黒瀬湖南側を通る枝道沿いには、公園が二つある(黒瀬ダム2号公園と1号公園)。
まず2号公園を訪ねると、大きな石碑が見つかったが、碑には「自然を大切に」と記されているだけだった。
湖畔には「待つ」というタイトルの彫像が建っており、人けのない公園にポツンと立つ彫像に「風流だなあ」という印象を受けた。

 

後にこの彫像の作者 伊藤五百亀(いとういおき)は黒瀬出身の著名な彫刻家で、西条市街には「五百亀記念館」があることがわかった。
「待つ」は「高台にあって水没を免れた」という五百亀の生家跡に建っている。

 

 

 画像1:黒瀬ダム2号公園から見た黒瀬湖

 

 

 画像2:「自然を大切に」の石碑

 

 

 画像3:「待つ」というタイトルの彫像(昭和63年建立)

 

 (2018年11月3日(土祝)午後3時10分〜3時20分頃)
 

愛媛県今治市(旧玉川町) 鈍川木地

  • 2018.12.11 Tuesday
  • 08:30

平成30年11月上旬、愛媛県の廃村探索1日目、
龍岡木地に続いて訪ねた鈍川木地(にぶかわきじ)は、鈍川温泉の奥にあって、昭和43年頃に離村した。
ともに「木地」というぐらいだから、木地師との係わりがある集落なのだろう。
旧玉川町内には「ツール・ド・玉川」というノボリが立っていて、サイクリングの方の姿が多く見られた。

 

鈍川温泉を過ぎて、ふれあいの森までは観光色があって道も穏やかだったが、その先は急に道が狭くなって心細くなった。
「そのうち着くだろう」とゆっくりクルマを走らせていると、分校所在地 竹ヶ城の1匱蠢阿把鵡垰澆琉篤眸弔帽圓手を阻まれた。

平成30年は災害の当たり年、おそらく9月下旬の台風24号の影響で路面の崩落もしくは法面崩落が起きているのだろう。

加茂の獅子舞を見るためには午後2時までに旧加茂小学校(平成7年閉校)に着かなければいけないが、時計を見ると午前11時55分。
カーナビを加茂にあわせてから早足で竹ヶ城を目指すと、10分で木地川を渡る橋(千ちせ橋)までたどり着いた。
幸い、車道に危険箇所はなかった。

 

鈍川小学校木地分校は、へき地等級3級、児童数22名(S.34)、明治7年開校、昭和44年閉校。
橋を渡った先、分校跡がどこにあるかは定かでなかったが、幟を立てるための石柱をくぐり、道なりに歩いたところ、
切り返す方向の枝道の先に堂々とした分校跡地の碑を見つけることができた。

鈍川木地は下木地、竹ヶ成、上木地の3小集落からなり、竹ヶ成だけでも分校跡がある下流側と上流側に分かれている。
しかし、時間に余裕がなかったので、分校跡の探索を終えた後はまっすぐ来た道を戻った。。
その他下流側竹ヶ成では、別荘のような家屋が見られた。

 

 

 画像1:鈍川木地・分校跡地へ向かう山道

 

 

 画像2:堂々とした分校跡地の碑が建つ

 

 

 画像3:分校跡では水回りの施設が見つかった

 

 (2018年11月3日(土祝)12時10分〜12時25分頃)

 

愛媛県今治市(旧玉川町) 龍岡木地

  • 2018.12.10 Monday
  • 06:36

平成30年11月上旬、愛媛県の廃村探索1日目、
最初に訪ねた旧玉川町龍岡木地(りゅうおかきじ)は、戸数3戸(H.28)の高度過疎集落で、松山から今治、さらに島伝いに広島県尾道市へと続くR.317沿いにある。
今は交通量の多い国道だが、平成8年に水ヶ峠トンネルが開通するまでは松山市米野から龍岡木地まで車道はなかった。

 

水ヶ峠トンネルを越えてすぐ左手、頼りない枝道を進むと、古くて味がある建物が見当たった。

龍岡小学校木地分校は、へき地等級2級、児童数36名(S.34)、昭和27年開校、昭和44年閉校。
クルマから降りて確認すると、建物は往時の校舎で、クルマを停めた敷地が校庭だった。
校舎の縁には重機が置かれていて、校庭も雑然としていたが、紅葉と並んで分校跡地の碑が建っていた。

 

龍岡木地の探索は、「地理院地図」Web地形図の卍マーク(木地観音堂)に注目して行った。
クルマが停まる家屋もあるが、明らかに無住という家屋がたくさんあるのには驚いた。
観音堂は山縁にあって、見晴らしはよいが日影になっていた、お堂の前には六地蔵が並んでいた。

地形図には鳥居マークはなく、神社を見つけることはできなかったが、石造りの常夜灯や幟を立てるための石柱が見られたので、どこかにあることなのだろう。

 

分校跡に戻って校舎を裏側から見ると、見事にツタに覆われていた。
50分ほどの探索の間、冒頭に分校跡で出会った方(Rさん、70代ぐらいの男性)だけだった。
Rさんには狭い敷地の中でクルマを切り返すのに苦労しているときに出会い、手助けをしていただいた。

 

 

 画像1:龍岡木地・分校跡校舎の縁に重機が並ぶ

 

 

 画像2:校庭の隅に,紅葉と並んで分校跡地の碑が建つ

 

 

 画像3:十一面観音像を本尊とする木地観音堂

 

 

 画像4:龍岡木地には、無住の家屋が多数建つ

 

 

 画像5:校舎を裏側から見ると、見事にツタに覆われていた

 

 (2018年11月3日(土祝)午前10時30分〜11時20分頃)
 

加茂の獅子舞

  • 2018.12.09 Sunday
  • 07:35

平成30年11月上旬、愛媛県の廃村探索1日目、
今治市(旧玉川町)龍岡木地、鈍川木地の探索の後は、
西条市旧加茂村に向かい、加茂の獅子舞(荒川の獅子舞)を見学した。

 

現在、加茂では千町と荒川で獅子舞が行われており、
荒川の獅子舞は毎年11月3日(文化の日)に行われている。

旧加茂村は昭和の大合併までは行政村(新居郡加茂村)で、
昭和10年の人口は2,398名を数えた。
現在(平成29年)は、140名しか住んでいない。

 

鈍川木地から旧加茂小学校までは44辧出発したのは12時35分だったが、
昼食をコンビニのサンドイッチにして運転しながら食べると、
午後1時45分に到着することができた。

 

R.194沿いにクルマを停めて校庭へと向かうと、
女の子(なぶりこ)が叩く太鼓の音にあわせて、祭りの獅子が舞っていた。
普段は閑散とした旧加茂小学校だが、村に縁がある方が集う祭りには賑わいがあった。
写真を撮っていた荒獅子さんとも話をすることができた。

 

荒獅子さんは、平成15年頃からのネット仲間で、
「HEYANEKOのホームページ」では、「加茂の獅子舞」Webを15年前からリンクしている。
「いつか見てみたい」と思っていた加茂の獅子舞(荒川の獅子舞)、
15年経って、初めて見ることができた。

 

 

 画像1:加茂の獅子舞(その1)
     なぶりこ(太鼓の叩き手)と、獅子とのかけ合いが面白い。

 

 

 画像2:加茂の獅子舞(その2)
     荒獅子さん(右下)がカメラを構えている。

 

 (2018年11月3日(土祝)午後2時頃)
 

石鎚保育所跡(その2)

  • 2018.12.08 Saturday
  • 07:10

平成30年11月上旬、愛媛県の廃村探索2日目、
石鎚保育所跡の建物にはまずまずの規模があり、
外壁を追いかけているうちに「石鎚養蚕組合」という標板を見つけた。
保育所以外にも公共施設が入っていた様子だ。

 

昭和10年の周桑郡千足山村(この地域の行政村)の人口は 1,161名。
昭和26年、千足山村は石鎚村へと名称変更。
昭和30年、昭和の大合併で小松町石鎚となり、
平成16年、平成の大合併で西条市小松町石鎚となる。
平成27年の国勢調査では、石鎚は2戸3名。
かつて千人を超える人口があったという規模を考えると、
石鎚村は行政村の廃村と言える。

 

平成7年、旧石鎚小中学校に設けられていた石鎚公民館が廃止となっており、
その頃、虎杖土場は無住化したと思われる。

 

 

 画像1:石鎚保育所跡の建物
     「石鎚養蚕組合」という標板を見つけた

 

 

 画像2:石鎚保育所跡の建物の廊下
     荒れ方が、使われなくなって久しいことを物語る

 

 

 画像3:石鎚保育所跡、外付けのトイレ
     まとまった数の便器が残っていた

 

 (2018年11月4日(日)午前9時25分〜45分頃)
 

石鎚保育所跡(その1)

  • 2018.12.07 Friday
  • 07:00

平成30年11月上旬、愛媛県の廃村探索2日目、
虎杖土場(いたずりどば)では、石鎚小中学校跡とともに、この機会に行っておきたい場所があった。
それは石鎚保育所跡、話によると川を渡って対岸にあり、建物が残っているという。

 

欄干がない古い橋を渡り、崩落箇所を回避しながら山道を進むと、
道の右手に、ひと目でそれとわかる保育所跡の門柱と建物が見つかった。
「ここに石鎚村の就学前の子供が通っていた」と、想像することはできなかった。

 

 

 画像1:石鎚保育所跡へ向かう山道の橋
     欄干がないのは、流されにくいように取り外されたからなのだろう。

 

 

 画像2:石鎚保育所跡の門柱と建物
     閉所は、小中学校の閉校(昭和52年)と同時期と思われる。
     小学校の最終年度(S.51)の児童数は2名だった。

 

 

 画像3:石鎚保育所跡の門柱(拡大)
     「石鎚保育所」の文字も、門柱に直に掘られている。

 

 (2018年11月4日(日)午前9時25分〜45分頃)

 

石鎚小中学校の校庭

  • 2018.12.06 Thursday
  • 06:54

平成30年11月上旬、愛媛県の廃村探索2日目、
石鎚小中学校跡、門柱から右側の道に回り込んで、校庭へと下りてみた。

石鎚小中学校は、へき地等級2級、児童数148名、生徒数53名(S.34)、明治41年開校(小)、昭和22年開校(中)、昭和52年閉校。
校庭は緑に包まれていたが、広い平地があって、学校跡の雰囲気が残っていた。

 

探索では、学校関係の建物と錆びた遊具、閉校後建設の養魚場跡が見当たった。
11月上旬、午前9時過ぎにして、日影になっているのが気になった。
斜度の大きい山間部では、谷沿いよりも山腹に集落が多い理由が実感できる。

 

 

 画像1:石鎚小中学校跡・閉校後建設の養魚場跡
     一角に「皇太子殿下御降誕」の碑(昭和10年)が立つ。

 

 

 画像2:学校関係の建物と錆びた遊具
     二階建て木造校舎は左側に建っていた。
     この建物は給食室で、その後アマゴの直売所として利用されたという。

 

 

 画像3:日影となっている校庭全景
     谷の北側の山には日が差している。
     この関係は、今も昔も変わらない。

 

 (2018年11月4日(日)午前9時10分〜25分頃)
 

calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< December 2018 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

recommend

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM